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ユダヤ人が紅海を渡った謎

2023-06-10 04:15:32 | 歴史四方山話
 

ユダヤ人が紅海を渡った謎

 


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デンマンさん。。。、ユダヤ人が紅海を渡った謎というのは、あの有名なモーゼが神の助けを借りて、海の水を真っ二つに分けて通り道を作り、ユダヤ人と共にエジプトから対岸に逃げたというお話ですかァ?


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そうです。。。上のクリップで語られている通りです。。。

。。。で、何が謎なのですかァ〜?

あのねぇ〜、神の助けを借りたからと言って、海の水を真っ二つに分けで道を作れるはずがないでしょう! 小学生だって信じませんよう。

でも、敬虔なキリスト教徒は信じてますわァ〜。。。とにかく、人間は猿から類人猿を経過して進化したのではない、神様がが神様に似せて人間をお作りになったのだと真面目に信じていますから。。。

ベティさんの友達にそういうキリスト教徒が居るのですか?

いますわァ〜。。。

日本人には、まず、そういう人はいないと思いますよ。。。

でも、日本人だって神様を信じてないと言いながら、「神頼み」をする人が居るでしょう!?

 


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確かに、「神頼み」をする日本人はいますよ。。。でもねぇ〜、それは神様が居て奇跡を起こすのだとは考えてないのですよ。。。「誰でもいいから大学に受かるように助けてぇ〜」というのでは、カッコがつかないので、天神様(菅原道真)をお祀(まつ)りしている神社に行って、少しでも気持の上で頑張れるようになろうと、そういうわけで天神様を拝むのです。。。そうすれば、一生懸命になって勉強する意欲が湧いてくるだろうと、自分に催眠術をかけるのですよ。。。



デンマンさんもそうやって大学受験に臨(のぞ)んだのですかァ〜?

そうですよ。。。だから、一生懸命に勉強して 僕は浪人しないで現役で受かったのです。。。「神頼み」は神様の問題じゃない! 自分の気持ちの問題ですよ。。。そういうわけで、日本人の多くは、ユダヤ人がモーゼの神頼みで紅海を渡ったなんて、はなからバカバカしい伝説だと思って信じてませんよ。。。

そんな事を言ったら、敬虔なキリスト教徒がテロリストになってデンマンさんを暗殺するかもしれませんわァ〜。。。うふふふふふふ。。。

あのねぇ〜、モーゼの時代は、今から3500年も前ですよ。。。迷信と妄想と世迷言(よまいごと)の時代ですよ。。。現在の科学の時代に、いくら敬虔なキリスト教徒でも、モーゼが神様の力を借りて、海の水を真っ二つに分けたなんて誰も信じてませんよ。。。神様がロケットを飛ばして人間が月に降りたと考えないのと同じことです。。。

でも、モーゼが神様の力を借りて、海の水を真っ二つに分けた話が、それほどバカバカしいことならば、どういうわけでデンマンさんは、こうして記事で取り上げるのですか?

あのねぇ〜、「火のない所に煙は立たず」という諺が日本にはあるのですよ。。。つまり、モーゼの紅海の伝説には、その話をでっち上げただけの歴史的な事実があったに違いないのです。。。本当にバカバカしい話ならば、3500年も、この伝説が語り継がれてない。。。

つまり、モーゼの紅海の伝説を裏付けるような歴史的な事実があった、とデンマンさんは言うのですか?

そうです。。。でも、僕が言い始めたわけじゃない。。。たまたま、バンクーバー市立図書館で借りたDVD を観たら、モーゼの紅海の伝説を裏付けるような歴史的な事実を説明していたのですよ。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』


 



Albert Lin seeks out the truth behind a great story of the Bible.

Could real events lie behind the parting of the Red Sea?

To solve this mystery Albert will use satellites and space age technology to look beneath the earth's surface to reveal secrets that have been buried for thousands of years.




この記録映画のホスト役を務めるアルバート・リンさんがバイブルの偉大な物語に隠されている真実を探求する。

ユダヤ人が紅海を渡ったという物語には歴史的な事実があったのだろうか?

この謎を解き明かすためにリンさんは衛星画像を使い宇宙技術を駆使して、数千年の間 地表の下に眠っていた真実を探り出す。




カタログページの説明より (デンマン訳)


 



 



このドキュメンタリーの内容に触れる前に、ウィキペディアでは、「出エジプト物語」がどのように説明されているのか? それをここに書き出します。

 



Crossing the Red Sea

紅海を渡る


 


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紅海横断または紅海の別れ(ヘブライ語: קריעת ים סוף、ローマ字: Kriat Yam Suph、直訳すると「葦の海の別れ」または「世界の終わりの海の別れ」)
ヘブライ語聖書の出エジプト記の起源神話のエピソード。

出エジプト記で詳述されているように、モーゼに率いられたイスラエル人が追撃してくるエジプト人から逃れる様子が描かれている。
モーセが杖を差し出し、神はヤム・スフ川の水を分ける。
ヤム・スフ川は伝統的に紅海であると考えられているが、他の解釈もある

水が分散されたため、イスラエル人は乾いた地面を歩いて海を渡ることができた。
エジプト軍もそれに続いた。

イスラエル人が無事に渡ると、モーゼは杖を落として海を閉め、追ってきたエジプト人を溺死させた

 


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聖書の物語

エジプトの疫病の後、ファラオはイスラエル人を解放することに同意し、イスラエル人は昼は雲の柱、夜は火の柱に導かれながら、ラムセスからスコト、そして砂漠の端にあるエタムまで旅した。

そこで神はモーゼに、引き返してバアル・ゼフォンの真向かい、ミグドルと海の間にあるピ・ハヒロトの海辺で野営するように命じる。

神はファラオに戦車でイスラエル人を追跡させ、ファラオはピハヒロトでイスラエル人を追い越す。
イスラエル人はエジプト軍を見て恐れるが、火の柱と雲がイスラエル人とエジプト人を隔てる。

神の命令で、モーゼが水の上に手をかざすと、一晩中強い東風が海を分け、イスラエル人は両側に水の壁がある乾いた土地を歩いた(出エジプト記14:21、22)。

エジプト人は彼らを追跡したが、夜明けに神が彼らの戦車の車輪を詰まらせてパニックに陥らせ、水が戻ってきたことでファラオとその軍隊全体が滅ぼされた。

イスラエル人は神の力を見て、神とモーゼに信仰を置き、海を渡り敵を滅ぼしたことを主に賛美の唄を歌った。(出エジプト記 15 章のこの歌は「海の歌」と呼ばれている)。

物語には少なくとも 3 つ、場合によっては4 つのバージョンが含まれている。

最初のバージョン(最も古いバージョン)では、神は強い東風で海を吹き返し、イスラエル人が乾いた陸地を渡れるようにした。

2番目では、モーゼが手を伸ばすと、水が2つの壁に分かれる。

第3のバージョンでは、神がエジプト人の戦車の車輪を詰まらせ、エジプト人は逃げる(このバージョンではエジプト人は水の中にも入らない)。

そして4番目の「海の歌」では、神はエジプト人をテホモット、海の深さ、または神話の深淵に投げ込む。

 

ヤム・スフとは「紅海」のことか?

イスラエル人の最初の旅はラムセスからスコトまで。
ラムセスは一般に、第 19 王朝の首都ペル ラムセスのあった現在のカンティールと同一視され、スコスは聖書のゴシェンの地であるワディ トゥミラットのテル エル マスクフタと同一視される。

イスラエル人はスコトから「砂漠の端」のエタムまで旅し、その後ミグドルと海の間に位置し、バアル・ゼフォンの真向かいに位置するピ・ハヒロトに引き返す。
これらはどれも確実に特定されてない。

広く支持されている理論の 1 つは、これらがティムサー湖の地域を総称して指すというもの。
スエズ湾の北にある塩湖で、ワディ トゥミラットの次に近い大きな水域である。
ティムサー湖はさまざまな時期に運河によってゲセムのピトムとつながっており、1 千年紀後半の文書ではミグドル バアル ゼフォンが運河の砦であると言及されている。

 


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   現在のティムサー湖

 

交差点の場所をヘブライ語でヤム・スフと言う。
これは伝統的に、アフリカとアラビア半島の間にある、英語では紅海として知られる塩水の入口を指すと考えられてきたが、これはギリシャ語七十人訳聖書からの誤訳であり、ヘブライ語のスフは決して「赤」を意味するものではない。

水域の特定には関係ないが、suphはヘブライ語のsuphah (「嵐」) とsoph (「終わり」)をもじったもので、出エジプトの出来事に言及している。

七十人訳学者がなぜヤム・スフ・エルトラ・タラッサを紅海と翻訳したのかは はっきりとはわかっていない。
一説によると、紀元前 3 世紀にエジプトのアレクサンドリアに住んでいたこれらの学者たちは、今日私たちが知っている紅海を具体的に特定したのは、ここが横断が行われた場所であると信じていたためである。

一般的な学者の見解では、出エジプト物語は多くの伝承を組み合わせたもので、そのうちの 1 つは「葦の海」 (ティムサー湖で、戦車の車輪が詰まってエジプト人が敗北した) でのもので、もう 1 つはさらに深い紅海でのもので、出来事をよりドラマチックに語っている。

塩水に強いアシは、スエズの北から地中海まで広がる一連の浅い湖に生い茂っている

ケネス・キッチンとジェームス・ホフマイヤーは、スエズ地峡沿いのこれらの葦の生い茂る湖沼は、ヤムイモ・スフの栽培に適していると述べている。
古代のヤムイモのスフは現代の紅海に限定されない

ホフマイヤーは、ヤムイモのスフを、ナイル川デルタ東部の湖を指すラムサイド時代のエジプト語pa-tjufy ( p3 twfyとも書かれる) と同一視している。

現代のテル・エル・バラムンと考えられているアムン島の文脈でテル・エル・バラムンはファラオ時代のエジプトの最北端の都市で、ダミエッタの南西約29km 、北緯31.2586、東経31.5714に位置していた。

 

歴史性

紅海横断を裏付ける考古学者が検証した証拠は見つかっていない。

エジプト考古学者で元エジプト考古学担当大臣のザヒ・ハワスは、イスラエル人がエジプトから脱出し、その後約束の地を求めて40年間砂漠をさまよった聖書の記述である出エジプト物語について次のように述べた。


正直に言えば、それは神話です...考古学者として、歴史的証拠がないため、それは決して起こらなかったと言わなければならない。


聖書の記述の証拠が不足していることを考慮して、聖書著者の物語にインスピレーションを与えたものについての説明を探したり、自然な説明を提供したりする人もいる。

1つの説明は、イスラエル人とエジプト人が、砂漠で一般的に発生する自然現象である蜃気楼を経験したという(蜃気楼自体は超自然的であると考えられていた可能性がある)。

各グループは相手が水に浸かったと信じていた可能性があり、その結果エジプト人はイスラエル人が溺れたと思い込み、追跡を中止した。

紅海の分断とエジプトの疫病は、ギリシャのサントリーニ島での大規模な火山噴火という単一の自然災害によって引き起こされた自然現象であると主張する人もいる。

紀元前16世紀に起きた陸路の形成は、別の提案では、東ナイルデルタで当時 吹いた強風によっ形成されたというものである。

上で述べたように、元のヘブライ語のヤム・スフを「紅海」と訳したのは依然として疑わしい




SOURCE: "Crossing the Red Sea" (デンマン訳)
Wikipedia : The Free Encyclopedia


 



上の説明を読んでも解るように「紅海」を渡ったのではなく、スエズ湾の北にある塩湖で、葦の茂った浅いティムサー湖だろというのが、現在広く支持されている場所なのですよ。。。

 


(timsah10.jpg)

   現在のティムサー湖

 



上のティムサー湖が陸路になったというのはどういうことですか?



僕が観たドキュメンタリーでは、ティムサー湖というのは、葦の茂った浅い湖で、当時、運河によって紅海につながっていた。。。それで潮の満ち引きによって周期的に浅い部分が陸路になったというのですよ。。。その時期にユダヤ人が差し掛かったので、その陸路を通って逃げたというわけです。。。

でも、エジプト軍が溺れ死んで、ほぼ全滅したというのはどういうことですか?

あのねぇ〜、そもそもこの出エジプト物語は多くの伝承を組み合わせたものであると歴史家の間では考えられているのです。。。この物語が生まれた頃、つまり、3500年前にサントリーニ島(古代のセラ島)で火山が大爆発を起こしたのです。。。

 


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このサントリーニ島の大爆発は人類史上稀に見る大爆発で、ドキュメンタリーによると200万の原爆に匹敵するだけのエネルギーが放出されたというのです。。。そのために、火砕流が海に流れ出して巨大な津波を引き起こし、これが地中海を渡ってエジプトの海岸に押し寄せ、エジプト軍を始め民衆を飲み込んで溺れさせたというのです。。。この大爆発が「出エジプト物語」の時期に重なるのです。。。



つまり、サントリーニ島の大爆発の津波と、ティムサー湖の干上がってできた通路を渡ったという2つの物語が一つになって出来上がったのが「出エジプト物語」だと言うのですか?

そうです。。。

何だかこじつけのようですわねぇ〜。。。

でもねぇ〜、伝説というのは、そうやって出来上がるものなのですよ。。。全くバカバカしい話ならば3500年も伝説として伝わらない。。。でも、実際に似たような歴史的事実があったから伝説として伝わったのです。。。

 


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あの有名なトロイ戦争も、シュリーマンによってトロイの考古遺跡が発掘されるまでは歴史的事実ではないと長い間考えられていた。。。だから、僕のこの説明を信じてねぇ〜。。。



分かりました。。。信じますわァ〜。。。




【ジューンの独り言】


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ですってぇ〜。。。

あなたもデンマンさんの説明を聞いて納得がゆきましたかァ〜?

ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、もっと他に面白いことを話せ!」

あなたは、そのような命令口調で わたしに面白いことを話せと言うのですかァ〜?

分かりましたわァ〜。。。

じゃあ、気分を変えるために面白い動画をお目にかけます。。。

 


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貴方は、上のワンちゃんが金魚を食べてしまうと思いましたか?

ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、他にもっと面白いことを話せ!」

あなたは、そのような強い口調で 更に わたしにご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわァ。。。

デンマンさんが10年以上も前にアンケートを作りました。

 


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『拡大する』


『もう一度クリスマスのページ』

 

上のリンクをクリックすると、

左側のサイドコラムにたくさんの質問が出てきます。

ひとつひとつ見ながら ぜひアンケートに答えてみてください。

ええ。。。、「そんな暇ないよ!」

じゃあ、たまには、古代のお話も読んでみてくださいね。

意外に面白いですわよ。。。

あなたも古代の謎に挑んでくださいねぇ~。。。


天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。
 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?


マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?



ところで、他にも面白い記事がたくさんあります。

興味のある方は次の記事も読んでみてくださいね。


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『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

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『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』

『アクセス急増!』

『超アクセス急増!』

『地球を飛ぶ』

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『6000日@GOO』

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『ネット恋愛注目記事』

『知られざる未開部族』

『37年後に出現した飛行機』

『ほほえましい動物たち』

『愉快な動物たち』

『サイトコピーツール』

『スパルタクス』

『マカロニ・ウエスタン』

『グーグルレンズ』



とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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『HIRO 中野 せどり スパマー』

 


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ィ~ハァ~♪~!

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聖徳太子の母親

2023-06-10 02:10:27 | 歴史四方山話

 

聖徳太子の母親

 


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デンマンさん。。。どう言うわけで急に聖徳太子のお母さんを持ち出してきたのでござ~♪~ますか?


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ちょっと次のリストを見てください。。。

 


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『拡大する』

『聖徳太子のママ』


 



これはライブドアの僕の「徒然ブログ」の日本時間で7月6日の午後4時36分から午後10時2分までのアクセス者の記録です。。。赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。。。



あらっ。。。7月6日の午後7時6分に『聖徳太子のママ』を読んだネット市民がいたのですわねぇ~。。。

そうなのです。。。実は、北九州市に住んでいる木谷弥生(きたに やよい)さんが読んだのです。。。

IPアドレスを調べて弥生さんが読んだことを突き止めたのですか?

そうです。。。

 


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。。。で、弥生さんは北九州市で何をしているのでござ~ますか?



北九州市立大学で日本文化と日本史を勉強しているのですよ。。。

 


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あらっ。。。それで日本史の研究テーマとして聖徳太子のママを調べていたのですか?

そういうことです。。。弥生さんは次のように検索して記事を見つけたのですよ。。。

 


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『拡大する』

『現時点での検索結果』

『聖徳太子のママ』


 



あらっ。。。聖徳太子のママ 徒然と入れて検索したのですわねぇ~。。。 弥生さんは「徒然ブログ」の常連さんなのでござ~ますか?



そうなのです。。。

でも。。。、でも。。。、「聖徳太子のママ」と入れたのは、偶然にしては出来すぎていると思いますわァ~。。。

あのねぇ~、弥生さんは『聖徳太子のママ』という記事のタイトルを僕のブログで目にしたことがあったのですよ。。。

そのタイトルを覚えていたのでござ~ますか?

そういうことです。。。

それで、弥生さんは何を調べたのですか?

だから、聖徳太子のママにはペルシャ人の血が流れているのだろうか?。。。時たまネットで見かける記事にそのようなことが書いてあった。。。それで、ずっとオツムの片隅で、そのことが気にかかっていたのですよ。。。

。。。で、どういうわけで急に調べようと思ったのでござ~ますか?

タームペーパーを書くのに、このテーマを選んだからです。。。

つまり、聖徳太子の母親の祖先にはペルシャ人が居た事をテーマにして調べ始めたのですか?

そういうことです。。。

。。。で、弥生さんは記事を読んで参考になるような情報をゲットしたのでござ~ますか?

もちろんです。。。卑弥子さんも読んでみてください。。。

 



聖徳太子のママの謎

 

当時ペルシャ人をハシ人と呼び、波斯人と書きました。
太子の個人教授の一人である覚袈(かくか)がペルシャ系の人ではないかという推測は、太子の母が穴穂部間人(あなほべのはしひと)と書かれている事と、大いに関係があります。
間人(はしひと)とは波斯人(はしひと)でペルシャ人のことではないか!と、いうわけです。

太子が赤い髪の毛をしていたという伝承があります。この伝承に真実が隠されているのではないか?
もしそうだとするなら、太子の母親がペルシャ人であるということも決して荒唐無稽な事ではありません。

 

Family tree of Prince Shotoku (shotoku03.gif--366x617)
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聖徳太子の父は用明天皇、母は蘇我稲目の孫娘です。
この稲目の父は高麗(こま)で、高句麗からやってきたのですが、実は
この人がペルシャのサカ族の出身だと言う研究家も居ます。

しかし、そんな遠いところにペルシャ人を持ってゆかなくてもよいのです。
私はその説よりも、むしろ穴穂部間人の母親、つまり小姉君(おあねぎみ)がペルシャ人の血を受け継いでいるのではないか、とみています。

もし当時、ペルシャ人が日本へやってきて、どの一族を頼りにするかといえば、当然、飛ぶ鳥を落とす勢いの蘇我氏の元を訪れたことでしょう。
その頃、渡来人を掌握していたのが蘇我氏だからです。

ペルシャ人の中には、蘇我氏との絆を確固なものにするために、蘇我稲目に娘を側室として差し出す親も現れたでしょう。
そのようにして穴穂部間人が生まれた、と考えるわけです。

小姉君の父はたしかに稲目なのですが、母親の出自について日本書紀は沈黙しています。
なぜ沈黙する必要があるのか?
その答えを出すには誰が日本書紀を書いたかが分かれば簡単です。
天武天皇の息子の舎人親王が編集長だったと言うように書かれていますが、彼はむしろ発行人であり、実際に編集に当たっていたのは藤原不比等です。

藤原氏は、元、中臣氏ということで、日本古来の氏族となっていますが、不比等のおじいさんの御食子(みけこ)は百済からやって来ました。
従って、自分たちが「よそ者」であるということを書きたくなっかたように、穴穂部間人の出自についても沈黙していたのです。

では、なぜ、不比等は自分の名前を編集長として書紀に書かなかったのか?
それには、これまた事情があります。
そのことについてはこのページ (『壬申の乱』は天智帝暗殺で始まった) で説明しています。

しかし、この説を採ると、飛び越えねばならないハードルがあります。
どういうことかというと、実は、小姉君の母親が物部氏出身と思える節があるのです。

というのは、当時の皇子・皇女は一定の年齢まで母方の実家で養育されるのが普通でした。
そして育った土地の名前をつける慣習がありました。
飛鳥で育った大王の娘なら飛鳥皇女と呼ばれるわけです。
すると穴穂部間人皇女の穴穂も地名に由来することになります。

大和周辺に穴穂の地名は河内と奈良の石上にあります。
皇女がどちらで育ったか分りませんが、どちらも物部氏の領地なのです。

つまり小姉君は蘇我稲目の娘であると同時に、物部氏の娘でもあったのです。
しかも穴穂部間人皇女は物部の土地で成長しました。
しかし、ご存知のように、仏教をめぐって蘇我氏と物部氏は対立し、それまでの史上最大の戦闘を繰り広げました。
したがって、このようなことがあり得るだろうかと、あなたは疑問に思うかもしれません。

ところが、それ以前、朝廷で権力を握っていた大伴氏を退けるため、蘇我氏と物部氏は手を握り合ったことがあります。
どういうことかというと、小姉君は、蘇我氏と物部氏が宮中で勢力を伸ばす方策として、互いに婚姻関係を結んでいた当時の産物ということになります。
「友情の証」として、蘇我稲目かあるいは彼の父親の高麗が自分の側室の中から美しいペルシャ人の娘を物部の氏の長者に与えたのでしょう。

このようなことは、この当時よくあることでした。
軽皇子(後の孝徳天皇)が小足姫(おたらしひめ)を中臣鎌足(藤原鎌足)に与えたのもこのような例です。
このことについては、このページ (藤原鎌足と軽皇子) で述べています。

そのお返しに、今度は、物部氏がペルシャ人の女性から生まれた娘を蘇我稲目の側室として与えたわけです。
その娘から生まれたのが小姉君だというわけです。
したがって、小姉君の体内にはペルシャ人の血が4分の1流れていたわけです。
彼女の娘が穴穂部間人皇女です。

確証があるわけではありませんが、これが事実とするならば、聖徳太子には、16分の1のペルシャ人の血が流れていたことになります。
太子が赤い髪の毛をしていたという伝承は、このことによって説明がつきます。

また、後に推古天皇を生む堅塩媛(きたしひめ)と小姉君の間の確執も、このことによっていっそう良く理解することができます。

つまり、この腹違いの姉妹は共に欽明天皇の後宮に入ります。
ところが、若くてきれいな小姉君へと天皇の愛は傾いてゆきます。
それも分かるような気がします。
エキゾチックなペルシャ人の血を引いている小姉君は、天皇の目には、さぞかし魅惑的に映ったことでしょう。

しかし、堅塩媛(きたしひめ)にしてみれば我慢のならないことです。
このようなことを身近に見て来た娘の豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)も、当然、この混血児の叔母のことを良く思うはずがありません。
母親からずいぶんとグチをきかされたことでしょう。
この豊御食炊屋姫が推古帝です。

推古天皇は、後年、この小姉君の血を引き継いでいる皇子(聖徳太子も含めて)が天皇になることを極力避けようとしています。
推古帝の身になってみると、2重の意味でこのような皇子を排除したかったでしょう。
先ず「よそ者」の血が流れているということ。

しかも、この混血児の叔母のために、自分の母親がつらい目にあってきたということ。
このように考えてゆくと、つまり小姉君にペルシャ人の血が流れているとすれば、このあたりの事情が非常にすっきりと説明できます。

しかし、これだけに止まりません。
なぜ、聖徳太子は厩戸王子と呼ばれたのか?
母親の穴穂部間人皇女が宮中を見回るうちに、馬屋の前で産気づき、そこで出産したからという逸話が日本書紀などに見られます。
これはキリストの生誕を彷佛とさせます。
しかし、納得ゆくような説明が見当たりません。

ここで、聖徳太子の母親にペルシャ人の血が混じっていたこと、また彼女の回りにペルシャ人を含めて、多くの渡来人が居たことを考えると、このことも、非常にうまく説明がつきます。
では、次のページでもっと詳しくこのことを見て行こうと思います。




『聖徳太子の個人教授にはペルシャ人がいた』より
(2003年8月3日)


 



なるほど。。。デンマンさんの説では聖徳太子のお母様のお名前の“穴穂”は地名から取ったと言うのですわね。



そうです。。。当時、そのように皇子や皇女は一定の年齢まで母方の実家で養育されるのが普通だった。 そして育った土地の名前をつける慣習があったのですよ。

つうことは。。。“穴穂(あなほ)”を“うつほ”という齋藤さんの説は、こじつけだとデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか?

 


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Comments :


楽しく読ませていただきました。
ペルシャのことを波斯国と中国で呼ばれたことですが、同じ国名が「うつぼ物語」のなかにでてきますが聖徳太子の母の名が「穴穂」が冠されていますので、穴穂で「うつほ」と著者の源順は充てていると考えています。

これを、引継いで紫式部が源氏物語を書いたと思います。
うつほ物語の中では波斯国の琴が中心に書かれていて「仏教」に掛けられています。

ここを抑えて読まなければ、聖徳太子のことや、うつほ物語、源氏物語も正しい翻訳さえ怪しいものとなってしまいます。


Thank you for using Bravenet Email Form Processing!


 



いや。。。齋藤さんの説がこじつけだと言うつもりはありません。 そのような考え方も面白いと思いますよ。 

 




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俊蔭の娘は、太政大臣の子息(藤原兼雅)との間に

子をもうけたが、貧しさをかこち、

北山の森の木の空洞 - うつほで子(藤原仲忠)を

育てながら秘琴の技を教えた。





空洞 - うつほ と“穴穂(あなほ)”の「穴」は「中が空っぽ」という意味で共通しますからね。 だから、“穴穂”を「うつほ」と読ませても不思議ではない。



じゃあ、『うつほ物語』の作者も、そう考えたのでござ~♪~ますか?

いや。。。『うつほ物語』がマジで聖徳太子のお母さんと関係ある話であれば『宇津保物語』としないで『穴穂物語』としたでしょうね。 でも、実際には『うつほ物語』と聖徳太子のお母さんは関係ありません。

つまり、齋藤さんのコメントは見当違いだとデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか?

いや。。。全くの見当違いでもありません。 遣唐使清原俊蔭(としかげ)は渡唐の途中で難破のため波斯国(ペルシア)へ漂着するのですよ。 唐でもなく、琉球でもなく、お隣の高麗でもなく、ましてや呂宋(ルソン)や越南(ベトナム)でもない。

作者は、どうして波斯国(ペルシア)をえらんだのでござ~♪~ましょうか?

要するに、当時でも遣唐使清原俊蔭(としかげ)が渡唐の途中で難破のため波斯国(ペルシア)へ漂着したとしても荒唐無稽な話ではない程にペルシャ人がけっこうたくさん京都に住んでいたという証拠ですよ。

つまり、波斯国(ペルシア)は遠い国かもしれないけれど、ペルシャ人は身近にも居たということでござ~♪~ますか?

その通りですよ。 『竹取物語』には伝奇的性格が強い。 それと比べれば、『うつほ物語』は当時の“世話物語(現実的物語)”ですよ。 そのような現実的な話の中にペルシャが出てくるということ自体、ペルシャ人が当時、身近に居たという証拠だと僕は思いますね。 だから、聖徳太子のお母さんにペルシャ人の血が流れていたとしても不思議なことではないのですよ。




初出: 2020年7月16日



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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたは聖徳太子のお母さんにペルシャ人の血が流れていると思いますか?

ええっ。。。「そんな昔のことは、誰にもわからないのだよ! そんな事をいつまでも言ってないで、他にもっと面白い話をしろ!」

そんな事を おっしゃらないでくださいましなァ~。。。

じゃあ、あなたにも興味がある話題を。。。

どうして小百合さんが「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?

あなたは ご存知でござ~♪~ますかァ?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。
小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。
分からない事ではござ~ませんわァ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉



軽井沢のイルミネーション



秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩



とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


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『センスあるランジェリー』



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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




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