愛憎と三輪山 (PART 1 OF 3)
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デンマンさん。。。 愛と憎しみが三輪山と関係あるのでござ~ますかァ~?
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関係ないように見えても関係あるのですよ。。。 関係なかったら、上のようなタイトルを書けませんからねぇ~。。。
。。。んで、どういうわけで“愛憎と三輪山”というタイトルにしたのでござ~ますか?
あのねぇ~、実は夕べ、バンクーバー市立図書館で借りた本を読んでいたら次の箇所にぶち当たったのですよ。
額田王が近江に下向する時の歌
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明日香や藤原で生活していた人びとは、円錐形の三輪山を東に望んで生活していた人びとであった。
その三輪のミモロ、カムナビ(土地の神様がおられる所: デンマン注)を、額田王(ぬかたのおおきみ)が、奈良盆地の北の遥か奈良山から歌っている歌がある。
題詞によれば、近江に下向する時に歌われた歌だという。
だとすれば、一時的な別れであるにせよ、永遠の別れであるにせよ、大和を去るにあたって歌われた歌ということになる。
額田王、近江国に下る時に作る歌、井戸王の即ち和ふる歌
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味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際に
い隠るまで 道の隅 い積もるまでに つばらにも 見つつ行かむを
しばしばも 見放けむ山を 心なく 雲の 隠さふべしや
反歌
三輪山を 然も隠すか 雲だにも 心あらなも 隠さふべしや
上の二首の歌は、山上憶良大夫の類聚歌林に曰く、「都を近江国に遷す時に、三輪山を御覧す御歌なり」といふ。
日本書紀に曰く、「六年丙寅の春三月、辛酉の朔(つきたち)の己卯(きぼう)に、都を近江に遷す」といふ。
[和ふる歌省略] (巻1の17、18)
まさに、故郷を離れる人々の心情を読み取ることのできる歌である。
万葉ファンなら、一度は読んだことのある歌だろう。
(略) 訳すと、
額田王が近江国に下った時に作った歌、そして井戸王がすぐに唱和した歌
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うまい酒といえば三輪 その三輪山を 青土がよいという 奈良の山の 山の向こうに
隠れゆくまでに 道の曲がり角の 見えなくなるまでに 幾重にも幾重にも重なってゆくまでに
思う存分に 見続けながら旅立ってゆきたいのに…… 幾たびも幾たびも眺めてゆきたい山だのに……
つれなくも その三輪山を雲が 隠してよいものか
(そんなことが許されてたまるものか……)
反歌
三輪山を そんなにも隠してよいことか せめてせめて雲だけでも わが思いを察してほしい
隠してよいものか (私はいつまでも見ていたいのだ……)
上の二首の歌については、山上憶良大夫の『類聚歌林』に、「近江国に遷都した時に、三輪山をご覧になって天智天皇がお作りになったお歌である」と記されている。
『日本書紀』には、「天智天皇の6年3月19日」、近江に遷都したと記されている。
[和ふる歌省略]
。。。となろうか。
奈良山から見る三輪山は、遥か南に望むことができる小さな山だ。
しかも、竜王山などの山影に隠れ、その全体が見えるわけでもない。
山並みの一つで、よほど注意深く見なくては、あれが三輪山だと気づくことはない。
だから、わざわざ奈良山に登って三輪山を見ようとする人などいない。
いるとすれば、『万葉集』の愛好家だけだ。
(中略)
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この歌の左注は、山上憶良大夫の『類聚歌林』という書物と『日本書紀』を引用して、歌が歌われた事情について、編纂者の考えを述べている。
『類聚歌林』は、今日、残念ながら現存しないのだが、『万葉集』の編纂にあたって中心的に用いられていた資料と異なる伝えもあった。
その場合、編纂者は、『類聚歌林』をみますと、別の伝えもあるのですよ、と引き合いに出すのである。
この歌の場合、天智天皇が都を近江に遷した時に作った歌との伝えもあったようだ。
この『類聚歌林』の伝えを確認せんがために、編纂者は『日本書紀』を引用して、年月日を確認しているのである。
『類聚歌林』の伝えを信じれば、当該歌は額田王の作ではなく、遷都にあたっての、天智天皇の御製歌ということになる。
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(中略)
なぜ、作者は、繰り返し繰り返し、三輪山を見たいと歌ったのだろうか?
私は、故郷の山たる三輪山への哀惜の念と、三輪山に対する畏敬の念があったからだろう、と信じる。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
190-195ページ
『日本人にとって聖なるものとは何か』
著者: 上野誠
2015年1月25日 初版第1刷発行
発行所: 中央公論新社
あらっ。。。 額田王(ぬかたのおおきみ)の長歌と反歌でござ~ますわねぇ~。。。 とっても素敵なお歌でござ~ますわァ~。。。
あれっ。。。 卑弥子さんは、この長歌と反歌の素晴らしさが解るのですかァ~?
デンマンさん! 失礼でござ~ますわよう! こう見えても、あたくしは京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を教えているのですわァ~。。。 この程度のお歌は、あたくしにとって朝ご飯の前なのですわァ~。。。 うふふふふふふ。。。
それを言うなら“朝メシ前”と言ってくださいよ。
つまり、額田王(ぬかたのおおきみ)の長歌と反歌を持ち出してきて、デンマンさんは あたくしの古代文学の素養を試そうとしたのですわねぇ~。。。?
卑弥子さんは、そのようカングッタのですかァ~?
それ以外に考えられないじゃござ~ませんかア!
。。。で、上の歌のどこに卑弥子さんは感銘を受けたのですか?
本の著者が書いてるではござ~ませんかア! 額田王(ぬかたのおおきみ)は故郷の山たる三輪山への哀惜の念と、三輪山に対する畏敬の念があったために、繰り返し繰り返し、三輪山を見たいと歌ったのでござ~ますわァ。。。 誰が上のお歌を読んでも、そのようなところに感動するものですわァ~。。。 おほほほほほ。。。
卑弥子さんはマジでそう思うのですかァ~?
デンマンさんは、そうじゃないとおっしゃるのでござ~ますかァ。。。!?
あのねぇ~、僕は他の記事の中で次のように書いたことがある。
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私たちが生きてゆく過程で必要なのは、
すでに分かりやすい形に
加工されている情報を摂取し、
頭を太らすことだけでなく、
情報という形になっていない情報を、
どのくらい自分の力で噛み砕き、
吸収していくかということなのである。
それは、うまく世の中を渡れる知識を
手っ取り早く獲得することとは一線を画し、
いかに自分が人間として、
生き生きした時間を開拓するか
ということにつながっているのである。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
257ぺージ 『考えの整頓』
著者: 佐藤雅彦
2012(平成24)年1月27日 第3刷発行
発行所: 暮らしの手帳社
『愛の擬人法』に掲載
(2016年4月28日)
なるほどォ~。。。 情報という形になっていない情報を、どのくらい自分の力で噛み砕き、吸収していくか? そのことが大切だとおっしゃるのでござ~ますわねぇ~。。。
その通りですよ。。。 生前、司馬遼太郎さんも、次のように言ってたのです。。。
(すぐ下のページへ続く)