「蒲団」と「田舎教師」(PART 1 OF 4)
11月の桜
11月に桜が咲いている!
ビックリしました。
間違いなく桜の一種です。
小百合さんもビックリしていました。
名前は分かりません。
バンクーバーやバーナビーの植物園のように名札をつけてくれればいいのに!
小百合さんは、そう言っていましたね。
ごもっともです。
旧秋元別邸の近くに田山花袋が9歳から14歳まで住んでいたという旧居が保存されていました。
田山花袋の『田舎教師』を読んだ事がありますが、
僕の記憶では、主人公は羽生の田舎にあるお寺に下宿して僕の母校・熊谷高校(当時の旧制熊谷中学)に毎日、朝4時から5時ごろに起きて4時間歩いて通っていた、というような事を読んだことがあります。
初めて読んだ時、信じがたい事をしていたものだと驚きました。
僕が通ってた頃、校長室の前の廊下にガラス張りのケースがあって、
その中に旧熊谷中学校第三回卒業生の写真の中に、
「田舎教師」のモデル・小林秀三の少年時代の姿を見たことがあります。
小百合さんが卒業した館林女子高校は田山花袋の旧居から歩いて5分のところにありました。
女子高時代、校門の近くの食べ物屋さんで
ラーメンだか、うどんだか、あるいはカップヌードルだったか。。。
それを買って戻って来る時に校門のすぐ前で、それをぶちまけてしまい、
後片付けをしなければと思ったけれど、
結局、何もしないでそのままにして教室に戻ってしまった。
そんな事をいつだったか小百合さんが書いていました。
12月にバンクーバーに戻るまでに
小百合さんの面白いエピソードが、もっともっと聞けるような気がするのです。
楽しみにしていま~♪~す。
では、小百合さんに捧げる短歌を。。。
館林
季節外れの
桜咲き
かわゆいきみに
胸ときめかせ
『愛しい人 (2008年11月14日)』より
デンマンさん。。。、今日も館林の短歌を持ち出してきたのでござ~♪~ますわねぇ!?
そうでうよう。今日も田山花袋について卑弥子さんと語ろうと思うのですよう。
どうして田山花袋先生にデンマンさんはこだわるのでござ~♪~ますか?
あのねぇ~、考えてみると僕はよくよく田山花袋とは縁があるのだと思うのですよう。
どうして、そう思うのでござ~♪~ますか?
まずねぇ、館林に着くと小百合さんが僕を田山花袋の旧居に案内してくれたのですよう。
なぜ。。。?
だから。。。ぼくも、どうしてぇ、と思ったのですよう。。。あのねぇ、それまでに僕は小百合さんと田山花袋について語り合ったことなど一度もないのですよう。
多分、小百合さんは他に案内する所が思い浮かばなかったのだと思いますわ。
いや。。。たとえば、すぐそばにある県立つつじヶ丘公園だとか、旧秋元別邸だとか、旧上毛モスリン事務所など。。。僕を案内する場所は他にも幾つかあったのですよう。
それなのに何をおいてもまず最初に、小百合さんは田山花袋の旧居にデンマンさんを案内したのでござ~♪~ますか?
そうなのですよう。
だったら、多分、小百合さんはデンマンさんが田山花袋について書いた記事を読んだのでござ~♪~ますわ。
あのねぇ~、僕が田山花袋のこと、田舎教師のことを書いたのは、現在ではもう無くなってしまった『タンタン広場』と呼ばれるコミュニティだったのですよう。それは僕と小百合さんが2007年に再会する以前のことなのですよう。
でも、デンマンさんが『タンタン広場』で書いた記事を小百合さんは読んでいたかもしれませんわ。
それは考えられません。
どうして。。。?
当時、僕はデンマンではなく、バークレーと言うハンドル名を使っていた。それに小百合さんは僕を本名でしか知らなかった。だから、僕が田山花袋に関心を持っていたなんて全く知らなかったはずなんですよう。
それで、小百合さんに案内されて田山花袋の旧居を訪れたことに並々ならない不思議な縁をデンマンさんは感じたのでござ~♪~ますか?
いや。。。館林で小百合さんと会っている時には、それ程の不思議な縁を感じなかったのだけれど、今振り返ってみると、どうしてこれほど田山花袋のこと、田舎教師のことを書くことになったのか?。。。この事を考えた時に、僕は改めて不思議な縁を感じたのですよう。
つまり、田山花袋旧居を訪れたことで、デンマンさんは次のような記事を書くことになった。そこに不思議な縁を感じるのでござ~♪~ますか?
■『坊っちゃんと熊谷(2009年8月29日)』
■『田舎教師と熊谷(2009年8月31日)』
■『坊っちゃん再訪(2009年9月2日)』
■『田舎教師と成りすまし馬鹿(2009年9月4日)』
■『弘中先生と熊谷(2009年9月6日)』
■『熊校の先生(2009年9月10日)』
■『「田舎教師」再訪(2009年9月12日)』
■『四季桜 (2009年9月14日)』
■『「田舎教師」と行田(2009年9月18日)』
■『小百合さんの存在感(2009年9月20日)』
そうですよう。僕もこれ程たくさんの記事を書くとは思っても居ませんでしたよう。
でも、『坊っちゃん』のことを書いたことがきっかけだったのではござ~♪~ませんか?
いや。。。その前に僕は森村誠一さんが書いた『人間の証明』について記事を書いたのですよう。それで、森村さんのことをウィキペディアで調べたら“熊谷空襲”を体験している事が分かった。しかも熊谷市で生まれ育った。それで、たまたま僕は母校の“熊谷高校”をウィキペディアで見てみた。そうして気づいたのが次の項目だった。
熊谷高校
1895年(明治28年)、埼玉県第二尋常中学校として創設された。
県下の公立校としては埼玉県第一尋常中学校(現埼玉県立浦和高等学校)に次ぐものである。
戦後、新制埼玉県立熊谷高等学校となった。
開学以来男子校である。
早くから私服での登校が認められており、校風は極めて自由である。
校訓
「質実剛健」
「文武両道」
「自由自治」
部活動への加入率は高く、また自由な校風を有している。
校風
自由な校風を有することが特徴である。
(中略)
主な出身者・関係者
政治・行政 (略)
経済 (略)
(中略)
芸術・雑
弘中又一: 夏目漱石の小説「坊っちゃん」の主人公のモデルとなった第二中学の教員
小林秀三: 田山花袋『田舎教師』モデル
須田剋太: 日本画家
(後略)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『坊っちゃんと熊谷 (2009年8月29日)』に掲載
この弘中先生が「坊っちゃん」の主人公のモデルだったことを僕はすっかり忘れていた。それで弘中先生のことを書き始めて、やがて関心が「田舎教師」の小林秀三さんに移っていったのですよう。
つまり、そもそものきっかけは『人間の証明』について書き始めたことでござ~♪~ますわね?
その通りですよう。
だったら、なにも小百合さんの事を持ち出す必要は無いではござ~♪~ませんか!
あのねぇ、どうしても小百合さんのことを持ち出さねばならない理由があるのですよ。
それは何でござ~♪~ますか?
『人間の証明』について書き始めるきっかけを作ったのが小百合さんが書いた次のメールだったからですよう。
Subj:霧積(きりづみ)温泉で、
また楽しい思い出が増えてよかったね。
\(*^_^*)/ キャハハハ。。。
日付: Mon, 10 Aug 2009 08:24:47 +0900 (JST)
(バンクーバー時間:8月9日 日曜日 午後4時24分)
差出人: "domini@yahoo.co.jp"
宛先: "green@infoseek.jp"
ただいまー 夕べ 戻りました。
自由に させてもらいました
元気です
碓氷峠の近く 霧積(きりづみ)温泉にやっと行きました
霧積(きりづみ)温泉
金湯館(きんとうかん)
一晩ねて翌朝、 急用で すぐ戻らなくては・・っと
軽井沢から 帰らなくては いけない状況になり
あわてて 横川まで 降り PA (パーキング)からTelして長男坊と話したら、戻らなくてOK という事になった。
ホットして また 碓氷峠を登る。バカだねー私
(今度は旧道から、父と昔 とおった道を登った)
横川まで降りてしまったから
途中 霧積(きりづみ)へ向かってみよう。イイ チャンス!
ここから軽井沢は近いし夕方までにまた戻れば・・と
「人間の証明」で麦わら帽子を
渓谷で落して亡くした、あのフレーズを
ずーっと 気になっていて やっと 行けました。
「人間の証明」で麦わら帽子を 渓谷で落して亡くした???
なんだか興味深いことを書いてくれたね?
ん。。。?「人間の証明」?
なんだか聞き覚えのあるタイトルですよう。
また、後で調べてみます。
碓氷峠近くの 霧積(きりづみ)温泉ね?
初めて聞く温泉ですよう。
う~♪~ん!
軽井沢タリアセン夫人と一緒に入りたいですよう!
\(@_@)/ キャハハハ。。。
『人間の証明 (2009年8月19日)』より
(すぐ下のページへ続く)