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デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

舞踏会 明子

2022-09-19 02:06:20 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 

舞踏会 明子

 


(nobelbanquet.jpg)


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旧ソビエト連邦時代のグルジア出身の

アルメニア人音楽家アラム・ハチャトゥリアンの作曲した

仮面舞踏会はミハイル・レールモントフの戯曲

『仮面舞踏会』を題材にした音楽作品で、

当初は劇音楽として作曲されたが、

後に作者本人によって管弦楽のための

組曲に編成された。

この組曲の最初の“ワルツ”に合わせて

ヒロインのナターシャ・ロストワが

初めての舞踏会でアンドレイ・ボルコンスキー公爵と

踊るのだけれど、このシーンが

デンマンの心を最も捉(とら)えたのでした。







ケイトーは明子さんじゃなくて真由美ちゃんと舞踏会で踊ったのォ~?


(kato3.gif)

ん。。。? 僕が明子さんじゃなくて真由美ちゃんと舞踏会で踊ったのですかァ~。。。

私が質問しているのよ。。。 真由美ちゃんとケイトーが踊っている写真が上の中にあるじゃない!

あのねぇ~、それらしい写真がないと面白くないので、真由美ちゃんと僕の写真を貼り付けたのですよ。。。

じゃあ、明子さんというのは、いったい誰なのよゥ?

ちょっと次のリストを見て欲しいのです。。。

 


(liv70123a3.png)

『拡大する』

 



これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の1月22日の日本時間で午後2時9分から午後2時39分までの30分間の「生ログ」です。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しいのですよ。。。



あらっ。。。 1月22日の午後2時31分に Yahoo!で画像検索して『美しい日本語』を読みにやって来たのねぇ~。。。

そういうことです。。。

“美しい日本語”と舞踏会が どのように関係しているのォ~?

あのねぇ~、「リファラ」のリンクをクリックすると次の検索結果が出てくるのですよ。。。

 


(yah70123c.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』


 



あらっ。。。 「舞踏会 明子」と入れてYahoo!で画像検索したのねぇ~。。。



そうなのですよ。。。  78,500件ヒットするのだけれど、画像検索したネット市民は赤枠で囲んだ写真をクリックしたのです。。。 すると次のページが出てきます。

 


(yah70123d.png)


『拡大する』

『美しい日本語』


 



あらっ。。。 この写真の女性が“明子”さんなのォ~?



いや。。。 この女性は明治時代に実在した皇族の女性ですよ。。。 たまたま“舞踏会”という雰囲気にふさわしいと思って記事に載せたのだけれど、明子さんではありません。。。 検索したネット市民は、明らかに芥川龍之介が書いた「舞踏会」という作品に出てくる“明子”さんを探していたようです。。。

 


芥川龍之介 「舞踏会」

 


(rokumei02.jpg)

 

(略) …が、鹿鳴館の中へはいると、間もなく彼女はその不安を忘れるような事件に遭遇した。
と云うは階段のちょうど中ほどまで来かかった時、二人は一足先に上って行く支那の大官に追いついた。
すると大官は肥満した体を開いて、二人を先へ通らせながら、呆れたような視線を明子へ投げた。

初々しい薔薇色の舞踏服、品好く頸へかけた水色のリボン、それから濃い髪に匂っているたった一輪の薔薇の花---実際その夜の明子の姿は、この長い辮髪(べんぱつ)を垂れた支那の大官を驚かすべく、開化の日本の少女の美を遺憾なく具えていたのであった。 (中略)

 


(rokumei12b.jpg)

 

二人が階段を上り切ると、二階の舞踏室の入口には、半白の頬髯(ほおひげ)を蓄えた主人役の伯爵が、胸間に幾つかの勲章を帯びて、路易(ルイ)15世式の装いを凝らした年上の伯爵夫人と一緒に、大様(おおよう)に客を迎えていた。
明子はこの伯爵でさえ、彼女の姿を見た時には、その老獪(ろうかい)らしい顔のどこかに、一瞬間無邪気な驚嘆の色が去来したのを見のがさなかった。

人の好(い)い明子の父親は、嬉しそうな微笑を浮かべながら、伯爵とその夫人とへ手短に娘を紹介した。
彼女は羞恥と得意とを交(かわ)る交(がわ)る味わった。
が、その暇にも権高(けんだか)な伯爵夫人の顔立ちに、一点下品な気があるのを感づくだけの余裕があった。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




72-74ページ
『日本人が忘れてしまった美しい日本語』
著者: 佐藤 勝 
2002年8月19日 第1版発行
発行所: 株式会社 主婦と生活社


 



「舞踏会」は大正9年1月に発表された芥川が書いた短編なのですよ。 鹿鳴館での舞踏会の一夜を描いた前半と、32年後の秋の日を描いた後半とから成り立っているのです。 前半は、明治19年11月3日、今で言えば天皇誕生日に、鹿鳴館での舞踏会にデビューした数え年17歳の明子が経験した忘れえぬ一夜の物語なのです。 上の部分は、その前半の一部です。 明子さんがマジで美しいので彼女を見た「主人公の伯爵」の「老獪らしい顔」にさえ「無邪気な驚嘆の色」が表れてしまうというのですよ。



。。。で、後半は?

後半では、上の場面から32年後の秋の日の事が書かれているのです。 つまり、大正7年の秋なのです。 汽車の中で青年小説家が明子さんと一緒になる。 その時、32年前の舞踏会の思い出を小説家に語るのです。

その思い出というのが上のエピソードの中の老獪(ろうかい)な顔をした伯爵のことですか?

違うのですよ。 実は、伯爵に出会った後で明子さんはフランス海軍将校と踊るのです。 そのフランス人が明子さんの美しさを「ワットオの画の中の御姫様のよう」だと言うのです。

ワットオというのはフランス人の画家なのォ~?

実は、ワットオという呼び方は大正時代の呼び方だったらしい。 ウィキペディアで調べたらアントワーヌ・ヴァトー(Antoine Watteau: 1684年10月10日 - 1721年7月18日)のことですよ。 

 


(watt00.jpg)

 



300年前に活躍していた画家です。 Watteau は次のような女性の絵を描いたのです。

 


(watt06.jpg)


(watt07.jpg)


(watt05.jpg)


(watt02.jpg)


(watt01.jpg)

 



ケイトーも、こういうタイプの女性が美しいと思うの?



いや。。。 僕が思っている「美しい女性」のタイプとはかなり違いますよ。

ケイトーが想っている「美しい女性」のタイプってぇ、どういうタイプなのォ~?

例えば、イタリア映画 "I girasoli (Sunflower)" に出てきたロシア人 (Masha) を演じた Ludmila Savelyeva (リュドミラ・サベーリエワ) のような女性ですよ。

 


(sunf07.jpg)

I girasoli - TRAILER



Henry Mancini

Love theme from SUNFLOWER




 



Ludmila Savelyeva (リュドミラ・サベーリエワ) のような女性が「美しい女性」なのォ~? つまり、ケイトーは白人女性志向なのねぇ~?



違いますよ。 たまたま Watteau の描いた絵にフランス女性が出てきたから白人の女性を取り上げたまでですよ。

日本人だったら。。。?

そうですねぇ~。。。 日本人だったら次のような可愛らしい舞妓さんですよ。

 



 



あらっ。。。 ケイトーってぇ、どちらかと言えば幼い感じの女性が好みなのねぇ~。。。? もしかしてロリコンじゃないのォ~?



やだなあああァ~。。。 ロリコンじゃありませんよう! シルヴィーはダイアンも幼い感じを与える女性だと思うわけぇ~?

 


(2004f.gif)

 



どちらかと言えばダイアンも熟女と言うよりは幼い感じを与える女性だと思うわ。



でも、いくらなんでもオッパイの感じといい、ヒップのムキムキした感じといい。。。 ロリコンとは違うでしょう!?

とにかく、ケイトーの美人観はフランス人将校とはだいぶ違ってるわよねぇ~。。。

その通りですよ。 僕もかなり違っていると意識しましたよ。

それで、明子さんはその将校と忘れられない思い出があるのォ~?

いや。。。 その夜、鹿鳴館で会っただけですよ。 ただ、二人でバルコニーに出て「ほとんど悲しい気を起こさせるほどそれほど美し」い花火を見ながら言葉を交わすのです。

どのような。。。?

「私は花火のことを考えていたのです。 我々の生(ヴィ)のような花火の事を」とフランス人の将校は言うのです。 花火は一瞬美しく輝いて永遠に真暗な闇の中に沈んでゆくので、そこにフランス人将校は「我々の生(ヴィ)」の象徴を見ていたと言いたかったのですよ。 つまり、人形のように美しい明子も、一瞬輝いて闇に消えてゆく。。。 美しさとはそのようなものと芥川は捉(とら)えていたのですよ、多分。。。 おそらく芥川がフランス人の口を借りて、そのように言わせたのですよ。

ただ、それだけのことですか?

そうです。 フランス人将校と明子さんとの間にそれ以上の発展はない。 ただ、物語を読んでゆくと僕はハッとしてある驚きを感じたのですよ。

どのような。。。?

明子さんの話を聞きながら、小説家は話の中の海軍将校がピーエル・ロティである事を知るのです。

あの『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』を書いた作家ですか?

そうです。 芥川は短編の中で49歳の明子さんに次のように言わせているのですよ。

 



(hara901.jpg)

 

存じて居りますとも。 Julien Viaud (ジュリアン・ヴィオ)と仰有る方でございました。

 


(loti03.jpg)

 

あなたも御承知でいらっしゃいましょう。 これはあの『お菊夫人』を御書きになった、ピエール・ロティと仰有る方の御本名でございますから。。。


 


(loti01.jpg)

「お菊」さんのモデルになった「オカネ」さん


(loti04.jpg)

 



ケイトーにとってぇ、明子さんが鹿鳴館でピエール・ロティに出会ったということがそれほどの驚きなのォ~?



あのねぇ~、ピエール・ロティは1885年と1900~1901年の二度、日本へやって来ているのですよ。 鹿鳴館のパーティに出たのは1885年に日本へやって来た時なのです。 でもねぇ~、『お菊夫人』の中では芥川が『舞踏会』で書いているようなことは言ってないのですよ。

どのよなことを言ってるのですか?

鹿鳴館でダンスを踊る日本人を「しとやかに伏せた睫毛の下で左右に動かしている、巴旦杏(アーモンド)のようにつり上がった眼をした、大そうまるくて平べったい、小っぽけな顔」「個性的な独創がなく、ただ自動人形のように踊るだけ」「何と醜く、卑しく、また何とグロテスクなことだろう!」と書いている。

あらっ。。。 ピエール・ロティは日本人に対して蔑視に近い念を抱いていたということじゃない!?

だから、そのように言う評論家も多いのですよ。 でもねぇ、もしピエール・ロティが『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』を書かなかったら、ヨーロッパやアメリカでの日本女性の人気はなかったのですよ。

でも、「(鹿鳴館でダンスを踊る日本人は)何と醜く、卑しく、また何とグロテスクなことだろう!」と書いているのでしょう?

でもねぇ~、そういう悪い事ばかりを書いているわけじゃない。 ヨーロッパ人やアメリカ人が読んだら、「日本へ行って、ぜひとも日本のきれいな女性とロマンスを味わいたい」というような夢を膨らませるようなことも書いている。

マジで。。。?

もちろんですよ。 あの有名なプッチーニのオペラ『蝶々夫人 (Madame Butterfly)』も。。。、また最近では、1989年9月20日にロンドンのウエストエンドで初演されたミュージカル『ミス・サイゴン (Miss Saigon)』も、ピエール・ロティの『お菊夫人(Madame Chrysanthème)』をストーリーのベースにしているのですよ。

 

Madame Butterfly



Miss Saigon



 



でも、ピエール・ロティがそれほどの影響をマジで与えたのかしら?



じゃあねぇ~、駄目押しのエピソードをシルヴィーのために、ここに載せますよ。 読んでみてください。

 



(chehogh3.jpg)

 

チェーホフは2月に日露戦争がはじまったあとの明治37(1904)年7月15日(グレゴリ暦)に亡くなった。
その3日前の友人あての手紙で、日本が戦争に敗北するのを予想して、「悲しい思いにかられている」と記した。
そして死の床についたとき、ぽつんと「日本人」(単数形)と呟いたという。
夫人のクニッペルがちょっとシャンパンを口に含ませた。
するとチェーホフはドイツ語ではっきりと医師に「Ich sterbe」(死にます)といい、それから夫人の顔を見て微笑んで「長いことシャンパンを飲んでいなかったね」と語りかけ、静かに横になり、眼をつむり、そのまま永遠の眠りについた。
午前3時であった。

まるで一場の芝居をみるようであるが、日本に来たこともないチェーホフが、死の床で日本と日本人にたいして何やらの想いを吐露しているようで、すこぶる不思議ではないか。

ところが、そのナゾが中本信幸氏の『チェーホフのなかの日本』(大和書房)を読むことでスパッと解けた(ような気がする)。

明治23(1890)年の春、彼はサハリン(樺太)への長途の旅にでた、その帰り道の途中のこと。
ときは6月26日、ところは中国と国境が接しているアムール河ぞいのブラゴヴェシチェンスクである。
ここで何事かが起こった。

翌27日、チェーホフは友人の作家スヴォーリンに手紙を書いているそうな。
「……羞恥心を、日本女は独特に理解しているようなのです。
彼女はあのとき明かりを消さないし、あれやこれやを日本語でどういうのかという問いに、彼女は率直に答え……ロシア女のようにもったいぶらないし、気どらない。
たえず笑みを浮かべ、言葉少なだ。
だが、あの事にかけては絶妙な手並みを見せ、そのため女を買っているのではなくて、最高に調教された馬に乗っているような気になるのです。
事がすむと、日本女は袖から懐紙をとりだし『坊や』をつかみ、意外なことに拭いてくれます。
紙が腹にこそばゆく当たるのです。
そして、こうしたことすべてをコケティッシュに、笑いながら……」
と書き綴ってきて、最後に記すのである。

「ぼくはアムールに惚れこんでいます。
2年ほどここで暮らせたらもっけの幸いと思うのです。
美しく、広々として、自由で、暖かい。
スイスやフランスでも、このような自由を1回も味わったことはありません」
アムール河畔でのたった一夜の契り。
だが「ぼくはアムールに惚れこんでいる」とまでいう。

当時、シベリア沿海州には、日本人の“からゆきさん”が多くいたことは記録にも見えている。
その中の一人が、チェーホフに優しさと暖かさというイメージ(夢)を抱かせ、その想いがふくらみ、ついに名作『桜の園』を生ましめた。
「庭は一面真っ白だ。 …… 月光に白く光るんだ」(ガーエフ)、
「すばらしいお庭、白い花が沢山」(ラネーフスカヤ)、
こうした日本の桜の純白の美しさを教えたのは、実に、その言葉少なな日本女であった。

 


(chehogh4.jpg)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




237-239ページ
『ぶらり日本史散策』
著者: 半藤一利 
2010年4月15日 第1版発行
発行所: 株式会社 文藝春秋


 



つまり、チェーホフがアムール河ぞいのブラゴヴェシチェンスクで日本人の「からゆきさん」に会ったのはピエール・ロティの『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』の影響だと言いたいのォ~?



その通りですよ。 チェーホフは1890年の4月から12月にかけて当時流刑地として使用されていたサハリン島へ「突然」でかけたのですよ。

どうして。。。?

あのねぇ~、ピエール・ロティの『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』が出版されたのは1887年なのですよ。

つまり、チェーホフは『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』を読んで、それでサハリン(樺太)への長途の旅の帰り道にアムール河ぞいのブラゴヴェシチェンスクに立ち寄り日本人の「からゆきさん」に会ったと。。。?

その通りですよ。 『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』には、それほどの影響力があったということです。




初出: 2017年2月13日



(laugh16.gif)


【ジューンの独り言】


(bare02b.gif)

ですってぇ~。。。

あなたはオペラ『蝶々夫人』を観たことがありますか?

もし、興味があったらここに2時間半のオペラを貼り出しますので、

時間があったら観てください。。。


(chocho87.jpg)



ところで、シルヴィーさんのことをもっと知りたかったら次の記事を読んでください。


(sylvie500.jpg)


『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』


(sunwind2.gif)

『チョコレートと軍産複合体』

『チョコレートと甘い権力』

『CIAの黒い糸』

『美しい日本語再び』

『宮沢りえブーム?』

『また、宮沢りえ?』

『浅間山噴火とフランス革命』

『なぜアクセスが急増したの?』

『気になる検索ワード』

『なぜ塩野七生批判』

『その検査、ムカつく!』

『宮沢りえと床上手な女』

『MH370ミステリー』

『なぜ死刑廃止?』

『真犯人はそこにいる』

『MH370ミステリー裏話』

『お裁きを信じますから』

『ジャルパックと国際化』

『古代ローマのセックス』

『CIAとノーパン』

『エロいローマ再び』

『エロいけれどためになる話』

『えろあくにめ温泉』

『エロいけれどためになる』

『地球上のネット普及率』

『原発はダメだったのに』

『スカートをはいた兵隊』

『行田シンドローム』

『幻の暴走機関車』

『CIA@NOパンツ』

『やっぱり、セックス』

『セックス風呂具村』

『CIAの黒い手再び』

『アダムとイブは何を食べたの』


とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


(hand.gif)



(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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(byebye.gif)
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良寛さんの顔

2022-09-14 01:16:29 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 

良寛さんの顔

 


(ryokan3.jpg)

長岡市隆泉寺の良寛像

 




(himiko22b.gif)

デンマンさん!。。。どうして「良寛さんの顔」を取り上げたのでござ~♪~ますか?


(kato3.gif)

あのねぇ~、夕べ本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。

 


ボサツ顔とラカン顔

 

良寛は菩薩だったのか、それとも羅漢だったのか。

そんな問いが、いつごろからか明滅するようになった。

菩薩のようでもあり、羅漢のようでもある、いや、そのどちらでもなうようにも思える。

安田靫彦(ゆきひこ)の良寛さんをみていて、つくづくそう思う。

 


(ryokan2.jpg)

安田靫彦画 良寛和尚像

 

いや、そう思い惑っている。

現実の良寛も、おそらくそんな風だったのではないか。

良寛の面白いところ、近づき難いところである。

(デンマン注: 読み易くするために改行を加えています)




194ページ
『日本人の情感はどこからくるのか』
2003年5月9日 第1刷発行
著者: 山折哲雄
発行所: 株式会社 草思社


 



良寛さんは菩薩顔だったのか? それとも羅漢顔だったのか? 本の著者は、どちらでもないようにも思える、と言っているのでござ~♪~ますわね。 ところで菩薩と羅漢とはどういう人なのですか?



あれっ。。。京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授が菩薩と羅漢の意味を知らないのですか?

違いますわよう。 この記事を読んでいらっしゃる日本語が解る世界のネット市民の皆様の中にも、菩薩と羅漢を知らない人が居ると思ったので、気を利かせて尋ねてみただけですわ。 おほほほほほ。。。

解りました。 僕の国語辞典から簡単に書き出しますよ。

 


菩薩

 

1) 仏陀(ブッダ)の次の位

2) 昔、朝廷から高僧に賜った号。

3) 仏になぞらえて用いた、神の尊号




 

羅漢

 

煩悩を殺す意の梵語(ぼんご)の音訳。

完全に悟りを開いた、小乗仏教の修行者。




三省堂『新明解国語辞典』より


 



国語辞典にはこのように書いてあるのですよ。 でもねぇ、本の中で使われている意味は「菩薩」は「すぐにでも救いの手を差し伸べてくれるような優しい人」、「羅漢」は「厳しい修行を耐え抜いて気迫に満ちた人」ということなのですよ。



。。。で、良寛さんは「すぐにでも救いの手を差し伸べてくれるような優しい人」のようでもあり、「厳しい修行を耐え抜いて気迫に満ちた人」のようでもある。 そのどちらでもないようにも思えると、言っているのでざ~ますわね?

そうなのです。

では、良寛さんの顔は結局、判らないままではござ~ませんか!

いや。。。読んでゆくと安田靫彦(ゆきひこ)が描いた良寛像の表情を良寛さんもきっと持っていただろうと言っているのですよ。

良寛さんの表情について書いてある文献はないのでござ~ますか?

なさそうです。 試しに「良寛」を入れて画像検索してみたのですよ。 その結果を見てください。

 


(gog21108.gif)

 



あらっ。。。どの画像もどことなく安田靫彦(ゆきひこ)が描いた良寛像のようでござ~ますわね?



そうなのです。 どことなく痩(や)せて生気のない表情を浮かべているのですよ。 

でも、どこかに良寛さんの表情について書いた文献があるのではありませんか?

もしそうならば上の本の中にもその事が書いてあるはずですよ。 『ウィキペディア』には次のように書いてあります。

 


良寛

 



1758年11月2日 - 1831年2月18日

 

良寛は江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。
俗名、山本栄蔵または文孝。
号は大愚。

良寛は越後国出雲崎(現・新潟県三島郡出雲崎町)に生まれた。
四男三女の長子。
父、山本左門泰雄はこの地区の名主・橘屋であり、石井神社の祠職を務め、以南という俳人でもあった。
異説では越後国新津(現・新潟県新潟市秋葉区)の大庄屋・桂誉章の子。

名主見習いだった良寛は18歳のとき出家したが、この時期には妻(山本家家譜によると死後法名は釋尼妙歓)が居たとする説が最近出ている。
この妻は出家前に離縁。

出家後、玉島(岡山県倉敷市)の円通寺の国仙和尚に師事し、諸国を廻る。
その頃義提尼より和歌の影響を受ける。
48歳のとき、越後国蒲原郡国上村(現燕市)国上山(くがみやま)国上寺(こくじょうじ)の五合庵、61歳のとき、乙子神社境内の草庵、70歳のとき島崎村(現長岡市)の木村元右衛門邸内にそれぞれ住んだ。

無欲恬淡な性格で、生涯寺を持たず、諸民に信頼され、良く教化に努めた。
良寛自身、難しい説法を民衆に対しては行わず、自らの質素な生活を示す事や、簡単な言葉(格言)によって一般庶民に解り易く仏法を説いた。
その姿勢は一般民衆のみならず、様々な人々の共感や信頼を得ることになった。

最期を看取った弟子の貞心尼が『蓮の露』に良寛の和歌を集めた。
良寛は他に漢詩、狂歌、俳句、俗謡に巧みで、書の達人でもあった。
故に後世の贋作が多い。
新潟県長岡市(旧和島村)の隆泉寺に眠る。

良寛の名は、子供達を愛し積極的に遊んだという行動が人々の記憶に残っている。
良寛は「子供の純真な心こそが誠の仏の心」と解釈し、子供達と遊ぶことを好み、かくれんぼや、手毬をついたりしてよく遊んだという。
懐には常に手毬を入れていたという。

名書家として知られた良寛であったが、高名な人物からの書の依頼は断る傾向があったが、子供達から「凧に文字を書いて欲しい」と頼まれた時には喜んで『天上大風』(てんじょうたいふう)の字を書いた。
現在でもその凧は残っている。

ある日の夕暮れ時にも、良寛は隠れん坊をして子供達と遊んでいて、自分が隠れる番になり、田んぼにうまく隠れ得た。
しかし、日が暮れて暗くなり、子供達は、良寛だけを探し出せないまま、家に帰ってしまった。
翌朝早くに、ある農夫が田んぼに来ると、そこに良寛が居たので、驚いて問い質すと、良寛は、「静かに!そんな大声を出せば、子供達に見つかってしまうではないか」と言ったという。
このような類いの話が伝えられ、子供向けの童話などとして紹介されることで、良寛に対する親しみ深い印象が、現在にまで伝えられている。

また戒律の厳しい禅宗の僧侶でありながら般若湯(酒)を好み、良寛を慕う民と頻繁に杯を交わした。
また弟子の貞心尼に対してほのかな恋心を抱いていたといわれている。

今日生家跡には「良寛堂」が建っている。
裏手には良寛の坐像がありその視線の先には日本海が広がっている。
沖に見える島影は、良寛の母のふるさと佐渡島である。




出典: 「良寛」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



やっぱり、良寛さんの表情については書いてありませんわね。



。。。でしょう? ところで、本の中には次のようにも書いてあった。

 


究極の菩薩の姿

 

よく菩薩の中の菩薩といわれるのに、「常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)」というボサツがいる。
『法華経』に登場して有名になったボサツである。
「常不軽品」という章の名称にまでなっている。
どんな人間に会っても、辞を低くして礼拝したというボサツである。
「常不軽」というのは、どんなときでも出会う相手を「軽んじない」という意味だ。
なぜなら人間は誰でもやがて仏になる存在だからである、という。

しかし、つねに相手を軽んずることなく礼拝をくり返している人間(菩薩)は、それゆえに人々から軽んじられるであろう。
たえず軽蔑され、馬鹿にされ、そして差別の眼差しを全身にうける。
その逆境的な運命を甘受するところに「常不軽菩薩」の存在理由があるのだと思う。
誰にでもなれる境地ではない。
ふつうの菩薩でも、このボサツにななかなか手がとどかないであろう。
自立、自立……と咆哮するラカンたちからは、もっとも遠い存在かもしれない。
「常不軽菩薩」が菩薩、究極の菩薩の姿、といわれるゆえんである。

その常不軽菩薩のことが、良寛さんも好きだったようだ。
理想の菩薩だったのではないだろうか。
後世の良寛神話が、そうした良寛さんの心情を純化して、良寛さんのイメージをこの常不軽菩薩と重ね合わせるようになった。

(中略)

良寛さんもその常不軽菩薩のように生きようとひそかに決意していたにちがいない。
実際、良寛さんの日常生活をうかがうと、そのような生き方を心がけていたことがよくわかる。
その自然体の優しさの中に常不軽菩薩を実践している良寛さんのイメージが蘇る。
安田靫彦の良寛像にもそのような気配がただよっているといっていいだろう。



(ryokan2.jpg)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




197-199ページ
『日本人の情感はどこからくるのか』
2003年5月9日 第1刷発行
著者: 山折哲雄
発行所: 株式会社 草思社


 



この箇所がデンマンさんには興味深く感じられたのでござ~♪~ますか?



そうなのです。 「常不軽菩薩」で思い出したことがあるのですよ。 僕は以前、良寛さんの本を読んで強烈なエピソードに出くわしたことがある。

そのエピソードって一体どのようなものでござ~ますか?

良寛さんが40代の頃の話というから、たぶん、越後国蒲原郡国上村(現燕市)の国上寺にある五合庵で暮らしていた頃のエピソードだと思いますよ。 ある日、村の女の子のことで騒ぎが持ち上がった。

どのような。。。?

その女の子は15歳か16歳で、小さな頃、子供仲間と一緒に良寛さんとよく遊んだことがあった。 その子のおなかが見るからに膨(ふく)らみ始めた。

妊娠したということでござ~ますか?

そうです。 まだ嫁に行く前の娘だから村中の噂にのぼった。 当然、誰が孕(はら)ませたのか? 村中で詮索が始まった。 その娘に尋ねても全く答えようとしない。 そのうち立派な赤ちゃんが生まれた。 しかし誰が父親なのか判らない限りその赤ちゃんの始末に困ってしまう。 両親は仕方なく村の名主(なぬし)さんのところに相談に行った。

それで。。。?

名主さんが娘を呼んで優しく問いただしたのですよ。

。。。んで、女の子は誰が父親だか名主さんに話したのですか?

それがなかなか話さない。 でも、名主さんは根気よく娘にいろいろと世間話をしながら、なんとか聞き出した。

その子はなんと答えたのでござ~ますか?

良寛さんだと答えたのですよ。 もちろん、名主さんは信じることができなかった。 でも、女の子がそう言うものだから、仕方なく名主さんは良寛さんのところへ相談に行った。

そしたら。。。?

良寛さんは薄笑いを浮かべながら答えて言うのですよ。 「その女の子がそう言うのなら私が孕ませたんじゃろう」 それで良寛さんがその赤ちゃんを引き取って育てたという話です。

このエピソードが「常不軽菩薩」と関係あるのでござ~ますか?

あのねぇ~、誰もが亡くなったら仏になるのだから、たとえ15歳の女子であろうとも軽んじてはいけない。 それで良寛さんは、その子の悩みを汲(く)んであげたのですよ。 そのような気持ちが良寛さんに働いたのだと思います。 だからこそ、ウィキペディアの説明にも書いてあるとおり、良寛さんは子供の純真な心こそが誠の仏の心と解釈して、子供達と遊ぶことを好んだのですよ。

つまり、だから子供にも好かれたと言うのですか?

そうです。 しかし、そのことを考えて安田靫彦の良寛和尚像を見ると子供が好きそうな表情には見えない。

子供と一緒に遊びそうな人物には見えないということでござ~ますか?

僕にはそう思えるのですよ。

。。。で、デンマンさんの目には良寛さんはどのような表情をしていたと思うのですか?

次のような表情をしていたと思うのですよ。

 


(ryokany.gif)

 



つまり、誰にでも優しく救いの手を差し伸べてくれる菩薩のような表情をしていたと僕には思えるのですよ。



そうですわね。 上の絵の良寛さんならば子供が好んで集まるかもしれませんわね。




初出: 2012年11月9日



【ジューンの独り言】


(bare02b.gif)

 

ですってぇ~。。。
良寛和尚像を描いた安田靫彦は前田青邨と並ぶ歴史画の大家で、青邨とともに、焼損した法隆寺金堂壁画の模写にも携わりました。
良寛の書の研究家としても知られ、良寛の生地新潟県出雲崎町に良寛堂を設計しました。

安田靫彦は1884年、東京日本橋の料亭の四男として生まれました。
日本絵画協会絵画共進会で横山大観、菱田春草、小堀鞆音らの作品を見て感動し、画業を決意したということです。
1898年より小堀鞆音に師事しました。
東京美術学校(現在の東京芸術大学)に進みましたが中退しています。

後に岡倉天心に認められ、1907年に日本美術院に招かれ、院展の初回より作品を出品しています。
肺病に悩まされながらも晩年まで制作を続け、1978年神奈川県大磯町にて没しています。
墓所は大磯の大運寺です。

ところで、卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


『感じてストで和露他』

『笑える漢字クイズ』

『哀れなネアンデルタール』

『佐伯今毛人は臆病者か?』

『笑わせる漢字でござ~ます』

『卑弥子@婚活』

『プロメテウスの第2の火』

『うむうむ、ふむふむ人間』

『コギャルと甘え』

『癒しと水墨画』

『東電八分』

『怒りっぽいあなたに』

『床上手だよ!』

『床上手@docomo』

『漢字で体操ざ~ます』

『曲屁(きょくべ)』

『天神様と東日本大震災』

『日本は良い国か?』

『日本を良い国に…』

『エロい熟女』

『アッと驚くマキアベリ!』


とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


(hand.gif)



(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


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■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』


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『夢とロマンの横浜散歩』

『愛とロマンの小包』

『下つきだねって言われて…』


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『銀幕の愛』

『パリの空の下で』

『愛の進化論』

『畳の上の水練(2011年3月15日)』

『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『アナクロニズム(2011年3月27日)』




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布袋さんの魅力

2022-09-06 01:02:26 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 

布袋さんの魅力

 


(hotei02.jpg)

狩野洞白愛信(とうはくちかのぶ)作


(jbeauty7.gif)




(himiko22b.gif)

デンマンさん。。。 上の布袋さんを描いた画家が狩野洞白愛信でござ~♪~ますか?


(kato3.gif)

そうですよ。 布袋さんのユーモラスで楽しげな様子がよく出ているでしょう!?

それが布袋さんの魅力なのですか?

そうですよ。。。 そう思いませんか? あのねぇ~、かつて徳川家康は次のように言った。


(ieyasu2.gif)

人の一生は重荷を負て

遠き道をゆくがごとし、

いそぐべからず。

不自由を常とおもへば不足なし、

こころに望おこらば

困窮したる時を思ひ出すべし。


 



確かに、人の一生は重荷を背負って遠い道をゆくようなものだけれど、布袋さんも当然それを知っていたでしょうね。。。 でも、決して悲観的にならずに、何もかも解った上で飄々(ひょうひょう)として、笑顔を浮かべながら風の吹くままに、風に背中を押されながら人の道を行くところがいいじゃありませんか!



デンマンさんも布袋さんの生き方にあやかりたいと思っているのでござ~ますか?

決して悪くない生き方だと思うのですよ。

 


布袋(ほてい)

 


(hotei02.jpg)

 

布袋は、唐末の明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したとされる伝説的な仏僧。
水墨画の好画題とされ、大きな袋を背負った太鼓腹の僧侶の姿で描かれる。
日本では七福神の一柱として信仰されている。

本来の名は釈契此(しゃくかいし)であるが、常に袋を背負っていたことから布袋という俗称がつけられた。
四明県の出身という説もあるが、出身地も俗姓も不明である。
図像に描かれるような太鼓腹の姿で、寺に住む訳でもなく、処処を泊まり歩いたという。
また、そのトレードマークである大きな袋を常に背負っており、生臭ものであっても構わず施しを受け、その幾らかを袋に入れていたという。
なお、布袋が背負っているこの袋は堪忍袋ともいわれる。

雪の中で横になっていても布袋の身体の上だけには雪が積もっていなかった、あるいは人の吉凶を言い当てたなどという類の逸話が伝えられる。
彼が残した偈文に「弥勒真弥勒、世人は皆な識らず、云々」という句があったことから、実は布袋は弥勒の垂迹、つまり化身なのだという伝聞が広まったという。

その最期についても不思議な逸話が伝えられており、仙人の尸解に類している。
天復年間(9世紀末)に奉川県で亡くなり埋葬されたにもかかわらず、後日、他の州で見かけられたというのである。
その没後あまり時を経ないうちから、布袋の図像を描く習慣が江南地方で行われていたという記録がある。

なお、布袋を禅僧と見る向きもあるが、これは後世の付会である。
10世紀後半に記された『宋高僧伝』巻21「感通篇」に立てられた「唐明州奉化県釈契此」(布袋)の伝には、彼と禅との関係について一切触れていない。
布袋と禅宗の関係が見られるのは、時代が下がって11世紀初頭、『景徳傳燈録』巻27に「禅門達者雖不出世有名於時者」として、梁の宝誌や、天台智顗、寒山拾得らの異僧・高僧たちと共に、「明州布袋和尚」として立伝される頃からのことである。




出典: 「布袋」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



デンマンさんはマジで布袋さんの生き方もまんざらではないと思っているのでござ~ますか?



その通りですよ。

だったら、デンマンさんがいいなと思う布袋さんの生き方は、“インテリ乞食”の辞世の歌に込められた生き方に近いのではござ~ませんか?

。。。ん? “インテリ乞食”の辞世の歌?

次のエピソードの乞食が残した歌ですわよう。
   
 
  

嘉永五(1852)年の世相トピックス

インテリ乞食の最後

江戸の山下御門外をかせぎ場にしていた乞食の六助が死んだ。

朋輩の易者が悔みにたずねたところ、六助が使っていた茶碗の底に、辞世の歌が書いてあるのを発見した。

さだめし名ある人物のなれの果てだろうと評判になった。


(rokusuke.png)

赤字はデンマンが強調。)




772 ページ 『読める年表・日本史』
2012年7月21日 改訂11版第1刷発行
発行所: 株式会社 自由国民社


 



デンマンさんも忘れてはいないでしょう?



もちろん覚えてますよう。 つい最近、卑弥子さんと話したばかりですからね。。。

あたくしは上の辞世の句を次のように解釈したのですわ。

 


一鉢千家飯 孤身幾度秋 

不空遂不色 無楽又無憂

冬暖草園裡 夏涼橋下流

若人間此六 明月水中浮






(himiko22.gif)

おもらい用のドンブリに千軒の家からご飯をもらって 一人で食べた食欲の秋が何度もありましたわ。

ドンブリが空になるまで思う存分いただきました。 色気のことなど、ちっとも考えてみませんでしたわ。

楽しければよいのです。 憂いなんて要りません。

冬は暖かい草の上に寝て、夏は橋の下で涼みます。

人間は若い内が花ですよ。

だから、明日はウキウキしながら水の中に飛び込んで、楽しく浮いて泳ごうと思いますわ。




『遊女と三つ子』より
(2013年9月5日)


 



あたくしは、このように現代語に訳したのでござ~ますわ。



うん、うん、うん。。。 はっきりと覚えてますよ。

だったら、布袋さんの生き方は、あたくしが解釈したような生き方に近いのではござ~ませんか?

もちろん、卑弥子さんのように解釈することもできると思いますよ。 いかにも卑弥子さんらしい人生観に基づいて現代語に訳しています。 でもねぇ~、“現代語訳”と言うよりも“現代誤訳”になっていると思うのですよ。

あらっ。。。 どこか間違っているのでしょうか?

京都の女子大学で腐女子の皆さんに「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授に向かって失礼かとは思うけれど、上の現代語訳は卑弥子さんの人生観に基づいての個人的な解釈で、上のように解釈すると、さだめし名ある人物のなれの果てだろうと評判にならないと思うのですよ。

そうかしら。。。? どこがいけないのかしら。。。?

あのねぇ~。。。 解釈全体が、楽観的、享楽的すぎるのですよ。 これでは乞食の六助さんがルンルン気分で死んだことになって、どう考えてもさだめし名ある人物のなれの果てだろうと評判にならないです。

そうかしら。。。?

僕は思うのだけれど、この漢詩には“布袋さんの心”が読まれていると思うのですよ。

“布袋さんの心”でござ~ますか? 

そうです。 さだめし名ある人物のなれの果てだろうと評判になったということは、六助さんは乞食でありながらも中国の歴史や中国文学にも詳しかった。 そういう古典の素養を基にして上の辞世の漢詩を詠んだということだと思うのですよ。

あたくしのように解釈してはいけませんか?

いや。。。 卑弥子さんのように解釈してもいいですよ。 でもねぇ~、京都の女子大学で腐女子の皆さんに教える時には、卑弥子さんの極めて個人的な解釈では駄目だと思うのですよ。

じゃあ、デンマンさんはどのように現在語訳したのでござ~ますか?

次のように訳してみました。

 




布袋さんのように施しを受けがら孤独の生活を何十年と続けてきた。

施しが無ければ食わずに居ることもある。

特に楽しみと言うほどのことも無い代わりに、これと言って憂いも無い。

冬は暖かい干し草の上にでも寝て、夏は橋の下の流れで涼む。

そのような生活のどこがいいのか?ともし、誰かがこの六助に問うならば、きれいなお月さんが池に映って浮かんでいるような気持ちで生きているだけです、と答えようか。。。?


(moon77.jpg)




『遊女と三つ子』より
(2013年9月5日)


 



あたくしの現代語訳とそれほど変わらないと思うのですけれど。。。



うん、うん、うん。。。 確かに、大きな違いがあるわけじゃないかもしれません。 結局、見解の相違でしょうね。 僕にとって、卑弥子さんの解釈は、極めて楽観的、享楽的すぎると思う。 布袋さんは卑弥子さんほどルンルン気分ではいなかったと思うのですよ。 でもねぇ~、卑弥子さんの解釈が間違っているとは言いませんよ。

でも、駄目だと言ったじゃござ~ませんか!

それは僕の言いすぎでした。 卑弥子さんのような解釈の生き方もありだと思います。 自由主義・民主主義の世の中ですからね。。。 この記事を読んでいる人の考え方にも いろいろあると思うのですよ。

つまり、布袋さんの魅力は一つとは限らない。。。 人によってそれぞれ見解の相違がある。。。 デンマンさんはそのように言うためにこの記事を書き始めたのでござ~ますか?

いや。。。 実は、布袋さんを描いた狩野洞白愛信に興味を持ったのですよ。

 


(hotei02.jpg)

 



この布袋さんの絵が実にいい。。。 僕は惚れ惚れとして眺めながら、一体いつ頃の人なのだろうか? そう思いながら、この画家に興味を持ったというわけです。 それに、僕にとって“狩野洞白愛信”とは初めて耳にする名前だったのですよ。 だから、僕は初め“どうはくあいしん”と読んだ。 本当はどのように読むのだろうか? それで、ネットで調べてみたら、“とうはくちかのぶ”と読んでいるページに出会った。

 


(gog30910.gif)


(gog30910c.gif)

 



こうして検索結果を見ると日本よりも中国やイギリスの方で有名なようですよ。



そうですわね。 確かに、1ページ目には中国語と大英博物館のページが出てきますわね。

日本語の“読み”が出てくるのは2ページ目です。 赤枠で囲んだページです。

それで、そのまま“とうはくちかのぶ”という読み仮名を書き入れたのでござ~ますか?

その通りです。 ところが、僕は『狩野派決定版』という本で、この「狩野洞白愛信」という人物を調べてみたのですよ。

 


(kano001.jpg)

 



残念ながら、この人の描いた絵は一枚も紹介されてない。 でも、巻末に「狩野派系図」があった。 その中に「狩野洞白愛信」(1772-1821)の名前があったのですよ。 しかし、『ウィキペディア』には「狩野洞白愛信」も、「狩野愛信」も、「狩野洞白」という項目もない。 かろうじて「狩野洞白」を入れて検索すると次のような項目が引っかかった。

 


(wik30910.gif)

 



山本昇雲(1870-1965)も河鍋暁斎(1831-1889)も画家で、二人とも狩野洞白の弟子となっている。



でも、弟子にしては時代が違いすぎるではありませんか!

そうなのですよ。 「狩野洞白愛信」(1772-1821)はとっくの昔に死んでいるのです。 それで、「狩野派系図」をよく見たら、「狩野洞白」というのは二人居るのですよ。 狩野洞白愛信(1772-1821)の弟子が 狩野洞益春信(1772-1821)で、その弟子が 狩野洞白陳信(?-1851)。 洞白陳信(とうはくちんしん)の弟子が狩野洞春陽信(とうしゅんようしん)と河鍋暁斎(かわなべきょうさい)と書いてある。 系図には山本昇雲(しょううん)の名は出てない。

。。。で、系図によると「洞白愛信」は何と読むのでござ~ますか?

“とうはくなかのぶ”と書いてありました。

あらっ。。。 “愛”が“ちか”なのか? それとも“なか”なのか? どちらが正しいのでしょうか?

本人に聞いてみるしかないでしょうね。 でも、1821年に亡くなっていますからね。 訊くことはできないですよ。

。。。で 「南原宏治」は画家ではないのでござ~ますか?

南原宏治(1927-2001)は俳優ですよ。 苦(にが)みばしった いい役者でしたよ。 1971年公開の『闇の中の魑魅魍魎(ちみもうりょう)』という映画で狩野洞白を演じているのです。

 


(kano005.jpg)

『闇の中の魑魅魍魎』 (切腹シーン)

 



幕末の土佐を舞台に、異色絵師・金蔵の生き様を描いた映画で、出てくるのは狩野洞白愛信じゃなくて、1851年に亡くなった狩野洞白陳信の方なのですよ。



要するに「狩野洞白愛信」は、あまり有名ではないのですわね。

そうらしい。。。 でもねぇ~、布袋さんの絵を見たとき、僕は素晴らしい画家だと思いましたよ。 僕が気に入った一枚です。



(laugh16.gif)


【小百合の独り言】


(sayuri5.gif)

ですってぇ~。。。 
私は絵の方は、あまり関心がないのですけれど、それでも狩野派の名前は知っていますわ。
私が印象に残っているのは狩野芳崖の次の2つの絵です。


(kano002.jpg)

狩野芳崖 (1828-1888)


(kano004.jpg)

  溪山幽趣


(kano003b.jpg)

  渓間雄飛図(部分)


ところで、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。
卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


『感じてストで和露他』

『笑える漢字クイズ』

『哀れなネアンデルタール』

『佐伯今毛人は臆病者か?』

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『うむうむ、ふむふむ人間』

『コギャルと甘え』

『癒しと水墨画』

『東電八分』

『怒りっぽいあなたに』

『床上手だよ!』

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『漢字で体操ざ~ます』

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『天神様と東日本大震災』

『日本は良い国か?』

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『アッと驚くマキアベリ!』

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『エロい徳子を探して』

『紫式部と皇国史観』

『エロい道鏡と薬師如来』

『天平の麗しき淑女』

『元からの饅頭』

『なぜ唐に留まったの?』

『下着美人』

『一所懸命』

『ねぇ、ねぇ、ねぇ効果』

『遊女と三つ子』




(cow02.jpg)


(byebye.gif)
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増長慢

2022-08-30 00:52:06 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 

増長慢

 


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丸亀城


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海抜80メートルの小山をそのまま利用して築かれた丸亀城は、造形美の粋をこらした城壁の石垣で名高い。
石垣は、花崗岩の切石を巧みに積みあげたもので、2段、3段の層をなし、山腹を螺旋状に包みこんでいる。

また“扇の勾配”と呼ばれる二の丸の清正流三日月形の石組みは、その名の如く、ひらいた扇のようなゆるやかな曲線を描き、城全体に雄大さと優美さをかもしだしている。

この石垣には、石工・羽重 重三郎の哀話が残されている。
石垣を築くことにかけては名人とうたわれた重三郎は、その名声により、時の領主・生駒親正(いこま ちかまさ)に召しだされ、期待通りの腕をふるって石垣を完成させた。

ある日巡視にきた親正は、高々と聳(そび)えたつ峻険な石垣の出来栄えに感嘆し、
「この石垣を乗り越えるものは、空飛ぶ鳥のほかにはあるまい」
と大いに賞賛した。

有頂天になった重三郎は、うかつにも、
「私ならば、これ一本で登ってみせまする」
というや、かたわらにあった一尺あまりの鉄棒を切石の割れ目にはさみ、するすると頂上までかけ登ったかと思うと、また鉄棒を巧みにあやつって難なく地上におり立ったのである。

唖然とした親正は、その場ではともかく重三郎を誉めたたえたものの、内心では、この者を生かしておいては万一敵に通じた場合、要害堅固を誇る城も危険にさらされるに違いないと胸さわぎを覚えた。

 


(idosoko2.jpg)

 

その夜、親正は重三郎に場内の井戸の底を調べるように命じ、、上から石を落として殺してしまったという。

この話は、とかく増長慢(ぞうちょうまん)になりがちな人間の弱点を戒める教訓として、今日まで伝えられている。

 


(nihonsiro2.jpg)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




231-232ページ 『日本の城ハンドブック新版』
監修者: 小和田哲男
2005年11月3日 第1刷発行
発行所: 株式会社 三省堂





(ohta03.png)

デンマンさん。。。、どういうわけで“増長慢”にオイラを呼び出したのですかァ~?


(kato3.gif)

あのさァ~、オマエは“増長慢”という言葉の意味を知っているよなァ~?

当たり前でしょう! オイラはこう見えても早稲田の理工学部で数学科に籍を置いて優秀な成績で卒業したのですよ。。。増長慢の意味ぐらい知ってますよ。。。

だったら、意味を言ってごらんよ!

“増長慢”とは、仏教用語であり、「増上慢」と言う人も居ますよ。 意味は、己が悟ったと錯覚し、まさに増長して鼻高々に陥ることです。。。 そのことを持って天狗の鼻は高くなり、「天狗になる」などという言葉も出て来たのです。

オマエは、マジで知っているんだねぇ~。。。

この程度のことは常識ですよ。。。 「増長」とは、思い上がること。 つけあがることですよ。。。 「慢」は、当然、自慢していい気になることです。。。

じゃあ、オマエは、この言葉を聞いて 何か心当たりがあるだろう!?

。。。ん? つまり、オイラが“増長慢”だ、とデンマンさんは断定するのですかァ?

僕が そう断定すると、何か都合が悪いことでもあるのォ~。。。

お言葉ですが、オイラは自分では 一般的な日本人と比べても とりわけ謙虚だと自負しています。。。 うへへへへへへ。。。

オマエは、寝て起きたばかりじゃないよねぇ~。。。

いえ。。。 起きてからすでに半日が経過してますがァ~。。。 オイラが、何か寝ぼけた事を言っているとデンマンさんは妄想したのですかァ~?

あのさァ~、オマエは最近 物忘れが激しくなっただろう?

確かに、日本語が通じなくなってから久しい家内が、時たま そのようなことを口にすることがあります。。。

悪い事は言わないから、近くの高齢者専門のお医者さんに診てもらったほうがいいよ。。。

どうして、そのような事をデンマンさんは言うのですか?

オマエは、恥ずかしげもなく次のような事を 最近、ネット市民の皆様を前にして公開したのだよ。。。

 


言葉 - この世話がやける手段

F. M. 様



ご無沙汰をしております。お元気でご活躍かと思われますが、その後、F. M. さんは如何お過ごしですか。
引退は、まだ遠いことなのでしょうか。F. M. さんの近況を知らせて頂けませんか。

…(中略)…

以前に、F. M. さんから、私は読者に親切でないから、と書かれてきたのですが、他の人からも指摘されたことに外来語をカタカナで書かないこともあったのでしょう
(私も一方では、ドストエフスキーについて書くときに限って、ロシア文字を書けないので、カタカナを使わざるを得ない、という不徹底さがあり、残念に思っていますが、しかし、日本で働いていたときでも、外来語がラテン文字である限りは、alphabetを混えて技術書を書いておりました。別に誰からもひんしゅくをかいませんでしたが、皆が呆れて諦めていたのでしょう)。

日本では、何故か、英語では、二重母音を長母音(例を挙げればきりがないのですが、informationをインフォメーション)などの理解できない慣例が多く、ドイツ語では母音が続かないときの子音は無声音であるはずなのに(例として、Burgmuelerをブルグミューラア、また、この例では最後のアは不要でしょう)、などの妙な慣習(更なる例として、Schweizerをシュワイツァー、ドイツ語でのwは英語やフランス語のvの発音)が観られますね。
漢字、平仮名、カタカナ、アラビア数字混じりの現代の日本文で、何ゆえalphabetだけが忌避されるのか疑問に思いませんか。
また、Los Angelesをロスなどといって粋がっている輩もおりますが、Losというスペイン語起源の単語は、英語で言うならばtheにすぎなく(但し、男性複数名詞用の定冠詞)、Los Angelesとは、もともとがThe Angelsの意味であるぐらいのことは、alphabetを使っていたならば、そして、最低限の想像力があるならば、推測できてしかるべきことではないでしょうか。
また、ロスアン…ではなく、ロサン…であるべきということにも敏感にならざるをえないですね。
当方での日本人を見ていても、そうした疑問を抱いております。日頃、言葉そのものについて無神経であるから外国語の習得にも苦労するのですね。
そういえば、F. M. さんのsiteを読んでいたとき、W.A. Mozartの<<Requiem>>を「モツレク」などと言語不明瞭意味不明瞭に略すのを批判しておられましたが、日本では、それに限らず、品の無い造語が氾濫しているではないですか。
こうした若輩に迎合するから、新仮名使い当用漢字の夏目漱石や谷崎源氏などの、低きに合わせた日本文化に堕落しつつある、と思われませんか。
私は、親切ではありたいのですが、迎合はしたくないので私の著作を出版できなかったということで、それでは出版を諦めよう、という心境でした。

此処で、今、また、F. M. さんが、私たちの学生時代に、太田君の妥協は妥協のうちに入らないよ、と言っていたことを思い出しております。
もっと重要なことは、これは日本人には限らないのですが、しかし、とりわけ日本人は、自分が曖昧に考えていたことを誰かが適切に表現し、書いてくれたことに同感、共感、評価するに留まることが多いですね。
彼我の違いを悦ばない、余所者を受け付けない、誰々の論理は理解できる、ではなくて、誰々の気持ちは分るわぁ、といった類です。
それが故に、言葉に於いても彼我の差には敏感になれなく、それどころか自分の母国語ででさえ曖昧になり、更に、思考能力の低下をもたらしているのではないでしょうか。
また、そこでは、自分が賛成するかしないかはさておいての他者の論理の自立、論理の終始一貫性なんぞは等閑に附される傾向が無いでしょうか。
それは理屈だよ、理屈に過ぎない、などと言う人は、生涯なんらの自らの論理体系も形成せずに終るのではないでしょうか。
それでは、ドストエフスキーの小説の登場人物(例えば、<<カラマーゾフの兄弟>>のイワンなど)の思い、自分は、ぎりぎりのところ、こうとしか考えられないけれど、それでは自他が辛すぎる。

むしろ自分が間違っていたらならばよいのだが、のような煩悶、苦悩、願望の弁証法の片鱗も理解できないでしょう。
私は、傲慢な私に戻ったようです。しかし、日本人の謙遜、謙譲のgestureというものは、多くの場合、何のこと無い、自己保身にすぎないのではないでしょうか
(それは、当方の世間、世界では通じない甘えですので、二、三を除いては、こちらの日本人との付き合いは無くなってきました)。
私は、何もかも此方の方がよいとしているわけではありませんが、傲慢になったついでに書きますと、私は、私が書き続けた著作には、高い水準で、日本では、いや世界では始めての見解が此処彼処に読みとれられる、と自負しているのですが、反面、読み手から反応が少ないのは私が浅学で夜郎自大だからかなのだろうか、と小心な私は一方で首を傾げておりますが、如何でしょうか。




赤字はデンマンが強調)
108-109ページ
『書簡集』より


 



確かに、オイラは『書簡集』の中で上のように書きました。。。 それが、デンマンさんの気に障ったのですかァ~?



あのさァ~、オマエの書いたものは、外国語をカタカナで書かずに、アルファベットをそのまま書き込んでいるので誰からも拒否されて出版できなかったのだよ! それで、オマエ自身が書いている! 「オイラは親切ではありたいのですが、迎合はしたくないのでオイラの著作を出版できなかったのです」 オマエはちゃんと自覚しているのだよ!

うへへへへへ。。。

そのように うすら馬鹿笑いしている場合じゃないのだよ!

その事と“増長慢”は関係ないでしょう!

あるのだよ。。。 言うに事欠いて次のようにネットで公開したら、多くのネット市民の皆様が呆れてしまうのだよ!

 


(ireba03.jpg)

私は、何もかも此方の方がよいとしている

わけではありませんが、傲慢になったついでに

書きますと、私は、私が書き続けた著作には、

高い水準で、日本では、

いや世界では始めての見解が

此処彼処に読みとれられる、

と自負している
のですが、

反面、読み手から反応が少ないのは

私が浅学で夜郎自大だからかなのだろうか


と小心な私は一方で首を傾げておりますが、

如何でしょうか。


 



オマエは恥ずかしげもなく、身の程知らずに このように書いているのだよ!



あのォ~。。。 もしかして上の部分を読んで西田 芽理亜(にしだ めりあ)さんも呆れ果ててしまったのですか?

 



『悪名と名声』

 



あたり前田のクラッカー!



デンマンさん! 40年前のギャグを言うのはやめてください!

とにかく、恥知らずにも、ここまで書いてネットで公開したら、これを読む多くのネット市民の皆様は、呆れるばかりじゃない! 

呆れるばかりじゃないということは、どういうことですか?

もしだよ。。。 ノーベル賞に「大馬鹿部門」が設けられていたら、オマエは第1回のノーベル賞大馬鹿野郎になれるよゥ!

オイラが書いたことはそれほどすごいことなのですか?

そうだよ。。。 でも、オマエが上の文章をネットで公開してくれたおかげで、僕はこの記事を書くことができる。。。 そうでないかぎり、この記事を読んでくれるネット市民の皆様は、オマエのような変わった人間が居ることを絶対に信じないと思うよ。。。

オイラは、それほどすごい人間だとデンマンさんは信じてくれるのですか?

そうだよ。。。


(smilerol.gif)


わァ~~ うれしいなあああァ~。。。

やはり、仏のデンマンさんは

すばらしいです。。。

デンマンさんがオイラを

すごい人間だと認めてくれました。

オイラは日本語が分かる

130ヵ国のネット市民の皆様にも

知れ渡ってしまうのです。。。

 

海外からのアクセス

 


(wp70707map.png->wp70701map.png)



(wp70707.png->wp70701.png+wp70707b)

『葛飾北斎と太田将宏』@Denman Blog

 

もう こうなったら、スキップしてしまおう!


(smilejp.gif)

ワぁ~♪~ うれしいなあああァ~。。。

コスタリカ(Costa Rica)の首都の

サンホセ(San José)に滞在している

出口 亀雄(でぐち かめお)君も

読んでくれるのです。


(costa04b.jpg)

『おばさんパンツ@サンホセ』


(smilejp.gif)

ワぁ~♪~ うれしいなあああァ~。。。

ルンルンル~♪~ン

ランランラ~♪~ン

もひとつおまけにィ~

ルンルンル~♪~ン

ランランラ~♪~ン


 



オイ!。。。 オイ!。。。 いつまでも喜んでいる場合じゃないのだよ!。。。 まだ、僕の話は終わっちゃいないのだよ。。。



あれっ。。。 まだ他にも言いたいことがあるのですかァ~?

あるのだよ。。。 オマエは 何を血迷ったのか婆(ばあ)さんに成りすまして次のコメントを書いたのだよ。。。

 


Identity theft をなさった

デンマンこと加藤明様について(改訂版)

by I. A.


太田将宏批判 哀れで愚かで孤独な老人 成りすまし老人 嫌われる太田将宏 孤立した太田将宏
(grandma9.jpg)


デンマン注

スピーカーをONにして 上の写真をクリックしてください。

太田将宏が ばあさんに成りすまして笑います。
別窓が開きます。 この男はオツムの回転が鈍いので
笑うまでに少し時間がかかります。

とにかく、虫唾(むしず)が走るようなうウザったい笑いです。
あなたも笑えますよ。 (爆笑)


2016-05-28 05:30:05

 

まだ、デンマンこと加藤明さんは、まるで狂犬病に罹った犬のように相変わらず吠え続けているのですね。

皆様、まずは、以下の駄文を読んで頂けますか。

 



(foolw.gif)

オイ! 太田将宏。。。オマエは相変わらず馬鹿だね!

どんな人物に成りすましても、このような愚かな極めて長い同じ内容のコメントを書くのは太田将宏しかいないのだよ!

愚か者! (爆笑)

オマエがこれまでに書いた すべてのコメントのIPアドレスは 次のアドレスなんだよ!

99.244.57.104

オマエは愚劣にも恥の上塗りをしているのを理解していない孤独で愚かな老人に成り下がってしまったのだよ!
実の娘にも、心優しい奥さんにも相手にされない、
愚かで哀れなもうろく爺さんになってしまったのだよ!
きゃははははは。。。


(laugh16.gif)

今、愚劣なオマエに付き合っている暇がないのだよ! (微笑)
大切な人に会っている最中なのだよ!
僕は孤独で愚かな老人のオマエとは違って
たくさんの大切な友人、知人、親戚の人たちに恵まれているのだよ!
ぎゃはははは。。。

オマエのような愚か者に こうして返信を書いている時間は、本来ならばもったいないのだよ!
でも、オマエのような愚か者と違って紳士の僕ちゃんは、オマエが愚かにも、同じ内容のたくさんのコメントを書きまくっているので、このままほおって置くと、愚かなオマエが、ますます愚かな行為を続けると思うので、仕方なくこうして返信を書いているのだよ!(爆笑)

そのうち大切な人たちと会って、時間のゆとりができたら、じっくりとオマエに関する記事を書くつもりなのだよ!
だから、同じ内容のコメントを もうこれ以上書くのをやめろよな!
オマエも、できたら、愚かな事を止めて、田舎者じゃなく紳士になれよな!

僕ちゃんのコメントを次の記事の中で引用したので読むように!


(paris29.jpg)

『きみ待ちわびて』

 

僕ちゃんの記事はたくさんの人に読まれるけれど、オマエの書いた愚劣なコメントなど真面目に読む人などいないのだよ!
オマエはネットでは、太田将宏という愚かな悲しい哀れで孤独な老人として知れ渡っているのだよ!
きゃははははは。。。

じゃあ、僕がオマエの記事を書くまで、元気にこの世に居て欲しい!
最後に、ぎゃはははははは。。。


(laughx.gif)


 

太田将宏批判 哀れで愚かで孤独な老人 成りすまし老人 嫌われる太田将宏 孤立した太田将宏

皆様。
妥協して、彼の想像から推測まででは、まあ、正常と致しましょうか。

でも、推測から空想、それが空想であることを自覚しているならば正常なのでしょうが、
彼としての曖昧さのために続く空想から妄想、その妄想についての自覚なんぞが全く無いので異常、つまりparanoiaに陥るのですね。

彼、デンマンこと加藤明様が書いていることを引用すると、
それだけでこちらの手が汚れるような気がしますので、
以下、ただの一例だけに致しますが、彼が言う、「孤独で愚かな老人」、
「実の娘にも、心優しい奥さんにも相手にされない」というのには、
太田さんを含めて私たち四人で大笑いを致しました。

まずは、太田さんが「実の娘にも、...、相手にされない」とのことですが、それはデンマンこと加藤明様の勝手な想像なのです。

二人の娘さんはUSAで働いていらっしゃるのですよ。
互いに忙しく、娘さんに度々会えないのは当然ではないですか。
まあ、empty nestでの寂しさがあるにしても「相手にされない」というわけではありません。

次に、彼の奥様についてなのですが、「心優しい奥さん」ですって???
太田さんの奥様が「加藤明さんの揉み上げを見ると虫唾が走る」と仰っていたのを太田さんが宥めて、
時おりでしたが、デンマンこと加藤明様を家に招き、
デンマンこと加藤明様が好きだという茶碗蒸しを用意させていた時期もあったことなどを


(chawan001.jpg)

デンマンこと加藤明さまが知る由も無いので仕方がないにしても、
太田さんの奥様が「心優しい」のは確かなのですが、
それにしても、デンマンこと加藤明様は知らぬが仏の三文道化師だったということですね。

此処からが重要なのですが、そもそも、他人の夫婦の機微や親と娘との関わりに、
もはや関係の無いデンマンこと加藤明様なんぞに、
あること無いことを出過ぎた態度で口汚く論評する資格はなかったでしょう。

加えて「僕は孤独で愚かな老人のオマエとは違ってたくさんの大切な友人、
知人、親戚の人たちに恵まれているのだよ!ぎゃはははは」ですって?!?。

デンマンこと加藤明様は自分を棚に上げていますが、彼こそが実年齢だけではなくて、
仲間内の幼児性を加えた「愚かな老人」ではないですか。

太田さんの方は、実年齢はともかくとしても、知的水準のみならず、
未だ溌剌とした現役のskierなのですよ。


(ski88.jpg)

更に重要な一般論として、そもそも、幸、不幸なんぞは誰もの人となりとは関係の無いことでして、
たとえ仮に誰かが孤独で不幸な人であったとしても、
それをデンマンこと加藤明様のような人が自分の方が孤独で不幸な人な人より
優位にあるなどと勘違いして、その軽薄な結果論で孤独で不幸な人をあげつらうことこそが、
皆様、さもしい彼らの品性ではないですか。

いえ、デンマンこと加藤明様は、品性のみならずに、
それら一切の区別、けじめがつかない程度の頭脳の持ち主ということなのではないですか。

要するに、デンマンこと加藤明様の為している全ては、
妄想にしか基づかないで他人を中傷すること自体を目的とするという卑劣な個人攻撃ですね。

奇妙なことに、いつぞや、デンマンこと加藤明様自身が太田さんに
「個人攻撃は良くない」などと抗議していたことがありましたが、
デンマンこと加藤明様は自分自身が何を言っているかすらも分かっていないのでしょう。

太田さんは事実に基づいて中傷などすることなしに抗議していたのです。
私たち三人も同様でしたが、デンマンこと加藤明さんよりも
私たちの方がparanoiacと皆様に思われないように、

この辺りで私もA. I. と同様に一時休止致しておりましたが、
もしかしたら、多分、もう、このような人、デンマンこと加藤明さんなどを相手にすることは、
私たちの人生での貴重な時間の無駄になるので止めようか、
と皆で話し合うことを提案するかもしれません。

 

I. A.




『孤独で寂しい太田将宏(PART 1 OF 3)』のコメント欄より


 



オイラが上の婆さんに成りすまして上のコメントを書いたとデンマンさんは断定するのですか?



その通りだよ。。。 詳しいことは次の記事で書いたので、もう一度読んでごらんよ。。。

『悪名と名声』

オマエは一人で道化師を演じてネット市民の皆様の笑いモノになっているのだよ。。。

マジで。。。?

あのさァ~、オマエは自分でも「こちらの日本人との付き合いは無くなってきました」と上の『言葉 - この世話がやける手段』の中で書いている。。。 つまり、オマエはトロントの日本人仲間の中では言わば“村八分”になっていたのだよ。。。

それは、“誹謗・中傷”です。。。

オマエが自分で書いてるのだよ!

“村八分”にされたとは書いてません。。。

だから、客観的に見ると、そうなのだよ。。。 オマエは自分で都合のいいように書いているだけなんだよ。。。 しかも、滑稽なのは、オマエは自分が書いた内容について2度、3度と読み返して推敲(すいこう)しようとしていない。。。

その証拠でもあるのですか?

あのさァ~、オマエは婆さん成りすまして「デンマンこと加藤明様が好きだという茶碗蒸し」と書いているけれど、この事実を知っているのは、オマエと心優しい奥さんの二人しかいないのだよ! 

 


(chawan001.jpg)

 



それ以外のトロントの日本人に僕は話したことがないのだよ。



マジっすかあああァ~。。。?

だから、オマエは愚かな道化役者だと、僕は言うのだよ! 5人に成りすまして僕の記事に嫌がらせのコメントを書いていることが、すぐにバレてしまうのだよ。。。

ついつい うっかりして 他の人が知らないことまで書いてしまいました。。。 やっぱり、完璧な人間は居ないという証拠ですねぇ~。。。 うへへへへへへ。。。

そうやって、うすら馬鹿笑いを浮かべて話題を変えようとしている場合じゃないのだよ。。。。

まだ他にも言うことがあるのですか?

あるのだよ。。。 オマエは婆(ばあ)さんに成りすまして次のようにも書いている!

 

太田将宏批判 哀れで愚かで孤独な老人 成りすまし老人 嫌われる太田将宏 孤立した太田将宏

太田さんの方は、実年齢はともかくとしても、

知的水準のみならず、

未だ溌剌とした現役のskierなのですよ。


 


(ski88.jpg)

 



オイラは、上の文章の中で 何か可笑しな事を書いてますかァ~?



あのさァ~、普通の日本人は このような文章の中でskierというアルファベットの英単語をまず書かないものなのだよ! スキーとかスキーヤーというのは、すでに日本語になっている! だから、オマエ以外に、skier と書く人は、まず居ないのだよ!

やっぱり外来語はカタカナで書くべきなのですか?

オマエ以外の日本人は99パーセントが、そう思っているはずだよ。。。

分かりました。。。 これから気をつけたいと思います。。。 バレないように。。。

それに、普通の日本人のネット市民の皆様は、オマエがプロのスキーヤーでもないのに、何で「未だ溌剌とした現役のskierなのですよ」と書いたのか理解に苦しむと思うのだよ。。。

どうしてですか?

あのさァ~、プロのスキーヤーの三浦雄一郎氏が、そのように書けば80歳を過ぎているのに たいしたものだ、と読む人は感心するかもしれないけれど。。。 オマエは時代遅れの大型コンピューターのプログラマーして退職後何もすることがなくて、5人に成りすまして嫌がらせのために、僕の記事にコメントを書きなぐっていたのだよ。

つまり、プロ・スキーヤー以外の人が「溌剌とした現役のskierなのですよ」と書くことは禁止されているのですか?

別に禁止されてないけれど、オマエの場合だったら、「時代遅れの大型コンピューターのプログラマーとしてはすでに退職したものの、未だ溌剌とした現役のプログラマーとして、周りの人から馬鹿にされながらも、一生懸命にプログラムを組んでいます」と書くのが知的で教養のあるやり方なのだよ。。。

でも。。。、でも。。。、オイラは趣味のスキーをやっていますが、そのスキーのテクニックはプロ級なのですよ。。。

だから、それがオマエの増長慢なのだよ! オマエだけが、そう思い込んでいる! 実際、オマエの家で心優しい奥さんが自ら作ってくれた茶碗蒸しを食べていると、オマエは酒を飲んでほろ酔い気分になったところで、急に次のように言ったのだよ!

 


(ireba03.jpg)

私は、デンマンさんが旨そうに

茶碗蒸しを食べているのを

妨害するつもりではありませんが、

ほど良く ほろ酔い気分になったついでに

言いますと、私は、素人ではありますが、

スキーにかけてはプロも驚くほどの

上達を成し遂げて

日本でも、 いや世界でも通用するような

スキーヤーだと自負している
のです。

反面、聞き手の反応が少ないのは

私が浅学で夜郎自大だからかなのだろうか


と小心な私は一方で首を傾げております。


 



これを聞いた心優しい奥さんは、「内の宿六は、ほろ酔い気分になってまた 悪い癖が出て 増長慢になり 誰も興味のない自慢話をし始めた! 恥ずかしい思いをするのは、いつも私なのよ!」 と僕に言ったのだよ!



マジで。。。?

オマエは、都合悪い事は忘れてしまうけれど、そういうことが度々(たびたび)あったので、現在、オマエと奥さんとの関係が次のように成ってしまったのだよ!

 




私は、この曲集を書き終えたとき、老人見習いから、正真正銘の老人になるのではないか、と思うこの頃である。
真の老人とは、もはや、失うべき何ものも無くなった人のことを言うのではないか。


長女は、私から去った。
次女は、中立を保つ為に、この家に寄りつかない。

家内と言えば、

日本語も通じなくなってから

何年にもなる。



私には、S.Kierkegaard の言った、一番易しく一番難しいこと、すべてを捨てること、が、案外、無理なくできるのではないか。
いや、その時には、捨てるべき何ものも見当たらなくなった境地であろう。

その意味では、老人になる前に、不慮の死で亡くなった人は気の毒である。
私は、若い時に、死ぬのはいいが風邪をひくのは嫌だ、などと言って、粋がって与太をほざいていた。
今も、願わくは、あまり苦しむことなく死を迎えられたなら、それにこしたことはない、と考えている。

Kierkegaard は、また、永遠とは有限が無限に出会う瞬間である、と言っていた。
私の人生に、かつて、そのような瞬間があったであろうか。
いや、それもまた、超越の命題であろう。

私の人生は、無明に迷ったそれに終わるのかもしれない。
しかし、私の背後には、母の祈りがあった。

ある麻薬中毒患者が、お母さん、僕は、こんな遠くまで来てしまった、と淋しげに呟いていたが、私は、麻薬中毒者ではないけれど、その気持ちが解かっている、と思う。
どのみち、人生は、rehearsal無しの、ぶっつけ本番なのである。

しかし、私は、F.M.Dostoevsky の「白痴」にある、あの「イッポリトの告白」に書かれているように、もし、生まれる前に、この条件を知らされていたとしたならば、私は、生まれるてくることを肯(がえ)んじなかったであろう、とは思っていない。
私は、感謝して死ねるように、今からでも、心の準備をしておこう。

S.D.G

コーダ(蛇足):

私の懐疑なるものが、深いのか、深くないのか、私自身も知る由もない。
仮に、深かったとしても、そもそも、懐疑の深さというものは、誇るべきものであるのか、という疑問が残る。




【デンマン注:】 改行を加え読み易くしました。あしからず。

S.Kierkegaard: キルケゴール (1813-1855) デンマークの哲学者

S.D.G.: Soli Deo Gloria (ラテン語) To God Alone the Glory(英語) 神に栄光あれ。

F.M.Dostoevsky: ドストエフスキー (1821-1881) ロシアの小説家・思想家




56ページ Michel-Richard de Lalande
『後奏曲集(後書きばかり)』 作品3
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年9月

『馬鹿やって人気?』にも掲載
(2015年8月18日)





初出: 2017年7月10日



(foolw.gif)


【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ~。。。
あたしは、太田さんの娘さんにも、奥様にもお会いした事はありません。

でも、娘さんは、二人とも アメリカで女医さんになっているほどですもの。。。
娘さんにしても、奥様にしても、決して悪い人ではないと思いますわ。

それなのに、太田さんは 娘さんとも、奥様ともうまくやっていないという事は、
太田さんに、問題があると思うのです。

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。
太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。

中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。
また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。

スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、
相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って 読者に登録してしまったりするものですわァ。
どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。

悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと
てぐすね引いて待っているのですから。。。

悪徳サイトを利用して、
メールアドレスで登録したりすると、
あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。

あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには騙されないと思い込んでいるでしょう?
でもねぇ~、もしかすると騙されているかもよ。。。

とにかく気をつけてくださいね。

次回も、さらに面白い話題が続きます。
あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。
では。。。


(hand.gif)


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肥後ずいきと龍之介

2022-08-27 01:20:36 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 

肥後ずいきと龍之介

 


(akuta01.jpg)


(hasuimo91.jpg)


(question.gif)

この上の食べ物は何でしょうか?


(foolw.gif)

肥後ずいきだよ!




(merange12.jpg)

あんさんのために一生懸命作りましたのやでぇ~。。。


(kato3.gif)

マジかいなァ。。。?

結婚して熊本に行きはった友達が「肥後ずいき」の茎を送ってくれましてん。

 


(hasuimo90.jpg)

 



これがその「肥後ずいき」の茎かいなァ?



そうですう。 「ハスイモ」とも呼ばれてますのやでぇ~。。。茎のなかに気泡のような空洞がありますねん。 それが蓮根に似ているよってに、この名前がついたと聞いてますう。

ほおォ~。。。そういう訳やったのかい。。。

この茎を乾燥させたものがデンマンさんの愛用している「肥後ずいき」という大人のおもちゃの原料になりますねん。 うふふふふふ。。。

わては「肥後ずいき」を愛用してへんでぇ~。 根の部分はどうしたのやァ?

根の部分は食べられへんと言うて、送ってよこしまへんでしたわ。 そないな事よりも、まず一口食べてみてくれへん?

おおおォ~。。。シャキシャキした食感がええやないかいなァ!

そうですねん。 清涼感があるさかいに、夏の食べ物にええと思いますわァ。

そうやなァ~。 それで、この紫色はどないしてつけたん?

水前寺菜の色素を使いましてん。

ほおォ~。。。そないもので、こないな色がつくのんかいなァ~!?

ちょっとアクがあるので皮を手でむいて熱湯を潜らせ冷水に晒し、それから水分を抜いて芥子味噌で「えぐみ」を抜きましてん。

ほおォ~。。。案外、手間、暇がかかるのやなァ~。。。?

そうでおますう。 あんさんのために心を込めて作りましたのやでぇ~。。。

マジかいなァ。。。? 隣からのおすそ分けとちゃうん?

あんさん!。。。わたしの言うことが信用できへんのォ~?

そないにムキにならんでも、ええやんかァ。。。めれちゃんに、こないな料理の才能があるなんて、全く夢にも思わんかったでぇ~。。。知能指数が140もあると、こないな料理まで作れるのやなァ~。。。

知能指数とは関係あらへん。

さよかァ~。。。じゃあ、もう一ついただきまっさァ~。。。




『愛駅を探して』より
(2012年5月24日)





デンマンさん。。。、あんさんはまた「肥後ずいき」を持ち出してきやはったん?



あきまへんか? 相変わらず「肥後ずいき」を入れて検索して「デンマン・シンジケート」のブログやウェブページを読む人が多いねん。 次のリストを見てみィ~なァ。

 


(hg20705.gif)

 



6月26日から7月5日までの10日間に延べ 401人が「肥後ずいき」を検索して「デンマン・シンジケート」へやって来たのやがなァ。 つまり、1日につき延べ40人が 「肥後ずいき」を入れて検索してやって来たわけやァ。



つまり、わたしが「肥後ずいき」を使って作った料理がネット市民の皆様に受けて人気が急上昇して来たのやね?

めれちゃん。。。マジでそう思ってるのかァ~? そないな事があるわけないやろう! 何をぬかしてけつかんねん。 「性具」という検索ワードも出てるやんかァ~。 「肥後ずいき」の料理で人気が出てきたのとちゃうねん。

そやけど、それは最近10日間に限って急に誰かが集中的に検索したのとちゃうのォ~?

めれちゃんがそう言うやろうと思うたから、わては去年の11月から今年の6月までの記録もソフトカメラで撮っておいたのやァ。 めれちゃんも見たらええやん。

 


(hg20705b.gif)

 



あらっ。。。8ヶ月間に延べ 3,777人が「肥後ずいき」を入れて検索してますやん。



そうやろう!。。。「肥後ずいき」は常に人気があるねん。 1ヶ月に平均 472人が「肥後ずいき」を入れて検索したことになるねん。

それでどの記事を読みはったん?

それを見極めるために、わてもGOOGLEで「肥後ずいき」を入れて検索してみたのやァ。 めれちゃんもその結果を見て欲しい。

 


(gog20707.gif)

 



上の赤枠で囲んである記事が「デンマン・シンジケート」のブログとウェブページに掲載されているということやのォ~?



そういうこっちゃァ。 最近デンマン・シンジケートのブログが読まれてるねん。

 


(denmansyn.gif)


(hg20704.gif)

 



つまり、「肥後ずいき」を目当てに来る人が増えたのでアクセス数が月ごとに上昇していると、あんさんは言わはるのォ~?



それも理由の一つやと、わては思うてるねん。

。。。で、読者は何を知りたがってるん?

おそらく「性具」のことやろなァ。

そないな事が書いてあるのォ~?

あるねん。 めれちゃんも読んでみたらええやん。

 


『道鏡鎧甲(よろいかぶと)』


(doukyox1.jpg)

 

上の絵は葛飾北斎の「魂胆遣曲道具」の一部を忠実に再現したものです。
『道鏡鎧甲(よろいかぶと)』と画題がついていますが、道鏡が鎧兜をつけて戦いに臨んだということはもちろん記録にありません。
奈良時代の僧には、鎌倉時代のようにまだ僧兵として活躍できる場はありませんでした。では、なぜ、道鏡の鎧甲という画題で、葛飾北斎が上の絵を描いたのでしょうか?
よく絵を見てください。
確かに鎧兜らしきものが2つ描かれていますが、私たちが普通頭に思い浮かべる鎧兜とは格好がかなり違っています。

もちろん、これは戦争で身につける鎧兜ではありません。
江戸時代に使われた性具を描いたものです。左が鎧で右が兜なのです。
鎧はペニスに装着します。これを男根に嵌(は)めるこことによって太さが増すと共に、この凹凸が腰を使った前後運動に伴い女性の膣壁をしっかりと摩擦することになります。
つまり、これによってGスポットが、確実に愛撫されるというわけですね。江戸時代の研究家が、性生活の知恵としてこういうものを考え出したようです。

兜は亀頭にかぶせます。
リングだと思えばどのような効果があるか想像がつくと思います。
しかし、使ったことがない場合、この絵だけで判断しますから、とても実用的とは思えませんね。
これでは、すぐに外れてしまいそうです。何か仕掛けがあるんでしょうか?
この性具に詳しい方が居たらぜひ教えて欲しいものです。

 

『光謙帝香合(こうけんていこうごう)』


(kouken82.jpg)

 

上の絵も葛飾北斎の「魂胆遣曲道具」の一部を忠実に再現したものです。
『光謙帝香合(こうけんていこうごう)』という画題がついています。
気がついたと思いますが、孝謙女帝の『孝』の字が『光』になっています。
おそらく、天皇の名を性具の名にかぶせるのは恐れ多いことだとして、わざと一字だけ変えたのでしょう。
中国では、皇帝の名は庶民は使えませんでした。
現在よりも、中国の文化の影響が強かった時代ですから、葛飾北斎か、あるいは、この煉香(ねりこう)媚薬の考案者が、そのように配慮したものだと思います。

この香合(こうごう)というのは国語辞典で引くと「香の入れ物(香盒とも書く)」と出ていますが、この場合の香合は「こうあわせ」のことです。
つまり、二種の香木をたいて、その匂いや香銘の優劣を競うゲームのようなものです。

孝謙女帝はご存知のように、巨根の道鏡を愛人にしていたと、下世話では昔から言い伝えられてきました。
最近では、多くの研究家がそれはデマだと言うようになりました。

従来どおり下世話に従うなら、巨根の道鏡を愛人として受け容れていたわけですから、この女帝はたぐい希な巨マンの持ち主だったというわけです。
その孝謙女帝の巨陰の姿をそのまま写した煉香(ねりこう)が、上の絵に描かれているわけです。




『道鏡と孝謙女帝は性具でも有名』より
(2004年3月1日)


 



デンマンさん。。。あんさんは、ずいぶんと詳しいやんか。。。道鏡さんの鎧甲(よろいかぶと)を使いはったん?



めれちゃん、言うに事欠いて何を言うねん? わては道鏡さんの鎧甲(よろいかぶと)を使う必要ないねん。

つまり、使わんでも道鏡さんの鎧甲(よろいかぶと)に太刀打(たちう)ちできると、あんさんは自慢したいん?

めれちゃん。。。脱線しているやんかァ!。。。脇道にそれたらアッカ~♪~ン!

分かりましたわ。。。あとでゆっくりと見せてもらいますよってにィ。。。うふふふふふふ。。。それで、他に何が言いたいねん?

わては、たまたまバンクーバー図書館からおもろい本を借りてきたのやがなァ。

何がそれほどおもろいのォ~?

芥川龍之介がエロ本を探して欲しいという依頼の手紙を書いてるねん。 ちょっと次の部分を読んで欲しいねん。

 



(akuta01.jpg)

 

大正10年3月、芥川はある人にこんな手紙を書いている。

「拝啓 支那の本中楊貴妃の生殖器なぞの事を書いた本と云(い)ふのは何と云う本ですか御教示下されば幸甚です
なほそんな本で面白いのがあつたら御教へくださいませんか
僕の知つてゐる誨淫(かいいん)の書は金瓶梅。
肉蒲団。 杏花天。 牡丹奇縁。 痴婆子。 貪官報。 歓喜奇観。 殺子報。 野嫂曝言(やそうばくげん)。 如意君伝(にょいくんでん)。 春風得意奇縁(しゅんぷうとくいきえん)。 隔簾花影(かくれんかえい) 等です
以上」

(写真はデンマン・ライブラリーより)




172ページ 『春本を愉しむ』
著者: 出久根達郎 2009年9月20日発行
発行所: 株式会社 新潮社


 



あらっ。。。あの有名な芥川さんがエロ本に関心がありはったん?



あのなァ~、男なら誰でも、まず間違いなくエロ本に関心があるねん。

そうやろか?

『春本を愉しむ』を読むと、森鴎外、北原白秋、石川啄木なども春本をずいぶんと愛読していたと書いてある。

あんさんもエロ本を愛読してはるのォ~?

最近は、それほどでもないんやけど、日本に居た頃にはずいぶんとあさって読んだものなのやァ。 うししししし。。。

あんさん!。。。下卑た笑いを浮かべている場合と違いますやろう?。。。それで何が言いたいねん?

上の続きがあるねん。 ちょっと読んでみて欲しい。

 



(nyoi03.jpg)

 

芥川が「知っている」書の中に、『如意君伝』なるタイトルが見える。
この本は、作家・駒田信二氏によれば、「中国風流本の四大奇書」の一書だそうである。
他の三書は『痴婆子伝』 『肉蒲団』 『杏花天』 だそうで、芥川は全部読んでいたことになる。
駒田氏の教示に従い、『如意君伝』の素性を紹介しよう。

この本は中国では禁書となり、押収されて滅びてしまった。
ところが、わが国に伝わり、宝暦13(1763)年に日本橋南通3丁目の小川彦九郎、同庄七の手で和訓本の体裁で発行された。

その4年後、翻訳書が出版された。
『通俗如意君伝』である。


(nyoi02.jpg)

翻訳者は「自辞矛斎蒙陸(じじむさいもうろく)」という。
中野三敏氏の研究では、この狂号のぬしは山口輝雄(きゆう)という。
通俗は、わかりやすいという意味である。

 (中略)

本編の主人公は、独裁者、則天武后である。
この恐るべき女傑のお相手をつとめるのが、「如意君」、彼は何者であるか?

薛敖曹(せつごうそう)という。
背が高く、色白のはなはだ美しい若者で、色男に似ず頭が優れており、読書を好み諸芸に通じ、おまけに酒が強い。
変わっているのは、「肉具ハナハダ壮大ニシテ常ノ人」ならず、男の一物が馬鹿に大きかったというのである。
何でも頭から根まで筋ばっていてミミズのようで、怒ると頭は蝸牛(かたつむり)の如く、竿は皮を剥ぎたる兎の如し、突き立つ雁首に一斗の粟(あわ)を入れた袋を下げてもたるることなし、というから力も強い。
遊郭の女は皆恐れて、叫びながら逃げ去る。

 (中略)


(sokuten2.jpg)

「頃(このころ)太后スデニ六十余歳に及ビ玉ヘドモ。 淫心サカンナルママニ」肉具の大なる男を召し入れては寵愛する。

牛晋卿(ぎゅうしんけい)という宦官(かんがん)が、武后のかすかな溜息を聞き、恐れながら、としゃしゃりでる。
声をひそめて奏上することは、かの薛敖曹のことである。
武后の目が光る。
晋卿の郷里の者という。
聞くに従い、よだれをが流れだした。
そなた、早速その者を連れて参れ、と命ず。

 (中略)

晋卿、ささやきていわく、君の肉具に合う容器は武后以外に無し、この機会を逸すと君は、人道(男女の交わり)を知らないで終わるぞ。
この時、敖曹、30歳である。
晋卿の、人道うんぬんに、たちまち心がぐらついたというのだから、まあ大した男ではない。
もっとも大した男だったら、春本に登場するはずがない。
春本の読者にすれば、こんな嬉しい人物はいないのである。

 (中略)


(asura2.jpg)

奈良後期の女帝、孝謙帝に重用された、河内の人、弓削道鏡(ゆげのどうきょう)は実在の僧だが、彼は宮中に入って病気を治した功で帝に信頼されたのだった。
このくだりは、ロシア帝政末期の怪僧ラスプーチンと似ている。
道鏡は太政大臣禅師に昇任し、ついには法王にもなった。
野望はさらに募り、宇佐八幡のお告げと称して皇位の継承を企てた。
孝謙帝が亡くなられて失脚したが、道鏡が女帝に目をかけられた理由が巨根だったから、という俗説は、恐らく『如意君伝』がわが国に伝えられてからのことと考えて間違いあるまい。

『如意君伝』が成立したのは明代らしく、日本の室町時代である
いつごろ原本が伝来したのか不明だが、江戸期には知識人の間で読まれていた様子である
紹介した『通俗如意君伝』が出版された前後から、道鏡と巨根を結びつけた川柳が、続々と詠まれている。


(doukyoux.gif)

道鏡はすわるとひざが三つ出来

「ちんぽこめらと公卿(くげ)を嘲弄す」

「公家めらがやきおりますと道鏡言い」

(注: 写真とイラストはデンマンが貼り付けました。
読み易いように改行を加えています。
赤字はデンマンが強調のため)




175-187ページ 『春本を愉しむ』
著者: 出久根達郎 2009年9月20日発行
発行所: 株式会社 新潮社


 



ずいぶん長々と引用しやはったけど、『通俗如意君伝』が日本で読まれるようになってから道鏡さんの巨根伝説が生まれたと、あんさんは言わはるの?



そうや。。。めれちゃんかて上の文章をじっくりと読めば中国の則天武后と薛敖曹(せつごうそう)の話が孝謙女帝と道鏡のエロ話の元になっているのが判るはずやねん。

そやけど、則天武后は唐時代の女帝ですやん。 当時の日本は奈良時代やった。 それなのに江戸時代まで則天武后のエロ話が日本に伝わってき~へんかったと言うのはおかしいんとちゃうん?

あのなァ~、則天武后が生きていた時代に則天武后が登場するエロ話を書いて出版したら首が飛ぶねん。 則天武后が亡くなったあとかて中国の女帝になった人をエロ話に登場させて出版したら、当局の役人に睨(にら)まれて出世の道はなくなってしまうねん。

つまり、則天武后が悪女やと言う事が世間で受け入れられる明の時代まで『如意君伝』のような書物は出版できへんかったと、あんさんは言わはるのォ~?

そうや。。。それが証拠に明朝の時代といえども『如意君伝』は禁書となって押収されて滅びてしまったのやがな。 日本に密輸入された物が日本に残って、その原本が 1767年に翻訳されて出版された。 それが『通俗如意君伝』やんかァ!

要するに、『如意君伝』が中国で出版されへんかったら道鏡伝説は日本に広まらなかったと、あんさんは言わはるの?

そうやァ。。。

そやけど、日本の庶民が独自に道鏡さんの巨根伝説を作ったと言う事だって考えられるんとちゃうん?

それは、ありえないと、わては思うでぇ~。。。

どうして。。。?

あのなァ~、もともと道鏡さんは悪い事をしてへん。 藤原氏が政権を奪い取って思いのままに日本を動かそうとすることに対して孝謙女帝と道鏡さんが立ち向かったのやがな。 そやから、道鏡さんをからかうような戯(ざ)れ歌など奈良時代や平安時代にできるわけないねん。

その証拠でもあるん?

そのことでは、すでに、わては次の記事の中で書いたのや。 めれちゃんも読んでみィ~なァ!

『日本女性の愛と情念の原点』

それで、則天武后さんは、それほどエッチやったのォ~?

悪女としていろいろと噂のある人やァ。。。

 


(yang01.jpg)

 



極めてユニークだった人やさかいに、いろいろと言われてるねん。 根も葉もないような事もずいぶんと書かれたと思うでぇ~。。。映画にもなってるから、めれちゃんも観たらええやん。


武則天 WU ZETIAN

(1995 VERSION)





【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ~。。。


(hasuimo91.jpg)

それにしても、この「肥後ずいき」はおいしそうですわねぇ~。
めれんげさんに、このような料理の才能があるなんて、あたしも知りませんでしたわ。
高知では、「肥後ずいき」の茎を寿司のネタにするそうです。
また、炒めて食べることもあるそうですわ。
あなたも試してみたらいかがですか?

とにかく、次回も面白くなりそうです。
あなたもどうか、また読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。


(byebye.gif)


メチャ面白い、

ためになる関連記事



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(30june.jpg)

『センスあるランジェリー』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』


(2ndbeach.jpg)

■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に別荘を持つことを

夢見る小百合さんの物語』


■ 『今すぐに役立つホットな情報』

『夢とロマンの横浜散歩』

『下つきだねって言われて…』

『銀幕の愛』


(eiffel15.jpg)

『パリの空の下で』

『夢の中華パン』

『愛の進化論』

『漫画家と平和(2011年3月6日)』

『漫画家の壁(2011年3月10日)』

『畳の上の水練(2011年3月15日)』

『アナクロニズム(2011年3月27日)』




(bare02b.gif)

こんにちは。ジューンです。

人間は性的動物だと思いますよね。

あなたも、そう思いませんか?

1960年代にDesmond Morris(デズモンド・モリス)

が『Naked Ape (裸のサル)』という本を書きました。

これは日本でも話題になりました。

人間もApe の一種です。

“裸のサル”とは、つまり、人間の事なのです。

純粋に動物学的な立場から

ヒトという生物を記述した本で

当時、中学生などが性の参考書として読んでいた、

と言う事を聞いたことがありますわ。

いろいろと面白い事を書いているのですが、

他のサルと違って

人は発情期が無くなったのです。

つまり、1年中セックスができるようになったのです。

サルは性器を露出し、

発情期にはフェロモンを発散させて、

相手を求めます。

でも、ヒトは性器を露出することもなく

発情期がなくなったので

フェロモンを出す事も無くなりました。

それで、ヒトは相手を求めるために

コミュニケーションが必要になり

言葉を使い始めた、と言うような事が書いてあります。

面白い解釈ですよね。


(baboon7.jpg)

ところで、これまで書いたレンゲさんの記事を集めて

デンマンさんが一つにまとめました。

もし、レンゲさんの記事をまとめて読みたいならば、

次のリンクをクリックしてくださいね。

■ 『最近のレンゲ物語 特集』


(maid03.gif)

■ 『性の俗説 (2008年3月4日)』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしてくださいね。

じゃあね。



(hand.gif)
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小学生お尻ペンペン

2022-08-21 01:12:42 | 日本人・日本文化・文学論・日本語


 

小学生お尻ペンペン

 


(lookanim.gif)


(butt003.jpg)


(himiko92.jpg)



(himiko22b.gif)

デンマンさん。。。あなたは小学生のお尻をペンペンすることに興味があるのでござ~ますかァ~?


(kato3.gif)

僕がどうして小学生のお尻をペンペンするのですか?

だってぇ~、タイトルにそのように書いてあるではありませんかア!

僕が小学生のお尻をペンペンしたとは書いてないでしょう! ネット市民の皆様に誤解を与えるようなことは言わないでくださいねぇ~。。。

じゃあ、どなたが小学生のお尻をペンペンしたのでござ~ますかァ~?

別に、特定の誰かが小学生のお尻をペンペンしたということを取り上げて、この記事を書き始めたわけではないのですよ。。。

じゃあ、どういうわけでお尻ペンペンを書き始めたのでござ~ますか?

次のリストを見てください。。。

 


(liv20-09-26b.jpg)


『拡大する』

『松原智恵子 お尻ペンペン』


 



これはライブドアの僕の「徒然ブログ」の日本時間で9月26日の午前9時13分から午後11時19分までのアクセス者の記録です。。。赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。。。



あらっ。。。9月26日の午前10時5分に GOOGLE で検索して『松原智恵子 お尻ペンペン』を読んだネット市民が居たのでござ~ますわねぇ~。。。

そうです。。。実は、東京の世田谷区に住んでいる篠崎美知留(しのざき みちる)さんが読んだのです。。。

またIPアドレスを調べて美知留さんが読んだことを突き止めたのですか?

そうです。。。

 


(girl517d.png)

 



。。。で、リファラ のリンクをクリックすると どのような検索結果が出てくるのでござ~ますかァ?



次のページが出てくるのです。。。

 


(gog20-09-26.jpg)


『拡大する』


 



あらっ。。。小学生お尻ペンペン を入れて画像検索したのですわねぇ~。。。



そういうことなのですよ。。。

それで、記事のタイトルを 小学生お尻ペンペン にしたのですか?

そういうことです。。。いけませんか?

かまいませんけれど、ちょっと単細胞的でござ~ますわァ~。。。それで、美知留さんは、どういうわけで小学生お尻ペンペン を入れて検索したのでござ~ますか?

実は、美知留さんには小学一年生の娘さんがいるのですよ。。。それで時々 言うことを聞かない娘さんのお尻をペンペンしたくなる衝動に駆られると言うのです。。。

つまり、小学生のお尻をペンペンして良いものかどうか?。。。そのことが気になって検索したのですか?

そういうことです。。。

でも、何で画像検索する必要があるのですか?

美知留さんは別に画像検索に関心があるわけではないのです。。。たまたま、検索結果を見ながら考え事をしているときに「画像」というリンクをクリックしただけなのですよ。。。卑弥子さんも、たまには画像が見たいわけではないのだけれで、ふと「画像」をクリックしてしまうことがあるでしょう!?

確かに、そういうこともありますわァ~。。。それで、美知留さんは次の画像に目が止まって、その画像をクリックしたというわけですか?

 


(butt003.jpg)


『松原智恵子 お尻ペンペン』


 



そうです。。。考え事をしながら上の画像をクリックしたのですよ。。。



それで美知留さんは、小学一年生の娘さんをペンペンするかどうか? 参考になるような小文を読むことができたのですか?

次の箇所を読んでペンペンすることを思い留(とど)まったのですよ。。。

 


尻叩き


(butt004.png)

 

尻叩きは、一般に子供を躾けるための罰の一種である。

お尻ペンペン・お尻叩き・尻ピン・ケツ叩きなどさまざまな呼び名が存在する。

文字通り、子供のお尻を叩くことを意味する。

日本でも躾の手段と使われることも多いが、日本以上に欧米などの諸外国では躾の手段として広く用いられている。

 

特徴

子供に行うお仕置きであるが人間の尻は体の中で一番脂肪が厚いので、脳への影響が心配される拳骨、耳の鼓膜が破れる恐れのあるビンタ(平手打ち)と比べると後遺症などの心配は少ない。

実際に行う際、親は子供のお尻を裸にする(皮膚を露出する)ことがしばしば有る。
これには、どれだけ皮膚が赤みを帯びたか目視で分る、皮膚を露出した方が痛覚が伝わり易い等といった理由が挙げられる。

一方、羞恥心を徒に煽ることは拙いという理由で、パンツの上から叩いたり、場合によってはスカート/ズボンを着用したままで叩くこともある。
また、極めて稀な例だが、パンツをお尻の谷間に寄せて皮膚を剥き出しにする(Tバックに似た状況を作り出す)、という方法もとられる。

基本的は平手打ちだが、英国のパブリックスクールではケイン、米国ではパドルが用いられた経緯がある。
これ以外にも、日用品(杓文字、布団叩き、蠅叩き、スリッパ等)が用いられることがある。

 

注意

肉体的な苦痛を与えるお仕置きである以上、ある程度は皮膚が腫れるのは避けられない。
然し、みみず腫れ、出血といった事態に及ぶほど叩くことは認められない。
また、余りに厳し過ぎると叩かれた皮膚の下を通る血管において赤血球の量が減り、血液の流れが悪くなる可能性もある。

精神的な問題として、自尊心の低下、大人になってから暴力的になったり薬物/アルコール中毒にかかり易くなること、性的倒錯といった物が後遺症としてその可能性を疑われている。
また尻叩きはほかの体罰と違い、ほとんどの場合何度も叩くため仕置きの時間は長くなり、与える痛みも時間とともに増していく。
そのためされる側の苦痛はかなりのものであり、そのイメージとは裏腹にもっとも厳しい体罰とも言える。

だからこそ親は軽はずみにこれを行ってはならず、本当に必要かという見極めとやりすぎ防止に最大の注意を払わねばならない。
また理解力の乏しい幼児に行ったり、道具を使って行う事は控えるべきである。


 

姿勢

多くの場合、親は子供を膝の上へ腹這いに横たえる傾向にある(オーバー・ザ・ニー)。
その方が親子双方にとって体に負荷が掛らないのが理由として挙げられる。

立ったまま行ったり(ベントオーバー)、仰向けに寝転がった状態で足を掴んでお尻を出させる(おむつ替えの姿勢を想像されたし)、片手で小脇に抱える(漫画などでよくみられる)等、他にも様々な姿勢をとることが可能であるが、現実には体力等の問題もあり、本当の意味で可能な姿勢ということになると選択肢が限られてくる。




出典: 「尻叩き」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



実は、多くのお母さんがお尻ペンペンしてよいかどうか?。。。迷っているのですよ。。。



マジで。。。?

ちょっと次のリストも見てください。。。

 


(liv20-09-29.jpg)


『拡大する』

『松原智恵子 お尻ペンペン』


 



これはライブドアの僕の「徒然ブログ」の日本時間で9月29日の午前8時2分から午後11時32分までのアクセス者の記録です。。。『松原智恵子 お尻ペンペン』を読んだネット市民のIPアドレスを調べると、次のような街のお母さんたちが読んだのですよ。。。

 



(kgal25.jpeg)

IPアドレス:123.254.36.59(香川県高松市)





(kgal22.jpg)

IPアドレス:115.65.95.52(横浜市)





(kgal21.jpg)

IPアドレス:180.146.55.238(兵庫県姫路市)





(kgal20.jpg)

IPアドレス:106.132.137.87(千葉市)





(kgal19.jpg)

IPアドレス:180.63.66.211(大阪市)


 



あらっ。。。小学生のお尻をペンペンしようか? 止めた方が良いのか? 。。。迷っているお母さんは意外に多いのでござ~ますわねぇ~。。。。



そうなのですよ。。。

でも。。。、でも。。。、どういうわけで美人の若いお母さんばかりが登場するのでござ~♫~ますかァ~?

僕の「徒然ブログ」には若いお母さんの常連さんが とっても多いのですよ。。。

信じられませんわァ~。。。

とにかく、上のお母さんたちは美知留さんのように、上の小文を読んで小さな子供のお尻をペンペンすることを思いとどまったのですよ。。。

どうしてそういう事までデンマンさんに分かるのですかァ~?

上のお母さんたちは「徒然ブログ」の長年の常連さんなのです。。。

マジで。。。?

だから、読んだ感想をメールで教えてくれたのですよ。。。

信じられませんわァ~。。。

世の中には信じられない事がたくさんあるものです。。。でも、昔の人は言いました。。。“信じる者は救われる”と。。。だから、卑弥子さんも素直に信じれば救われるのですよ。。。




初出: 2020年10月6日


 


(laugh16.gif)


【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~。。。

あなたも、デンマンさんの説明を素直に信じることができましたかァ~?

ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、他にもっと面白い話をしろ!」

分かりましたわ。。。

では、あなたもビックリするような

忠臣蔵のとっても古い映画をご覧くださいまし。。。

なんと。。。昭和3年(1928年)制作の『忠臣蔵』ですわよう!

無声映画ですけれど、弁士の方がなかなかうまい説明をしてくださいますわ。。。

つい、引き込まれて観てしまうのですわ。。。

浅野内匠頭がどうしてヘマをしでかしたのか?

そのへんのところが詳しく映像に残っております。

観るだけの値打ちがありますわ。。。

では、どうぞ。。。

 



 

ところで、どうして小百合さんが

「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?

 


(sayuri5.gif)

 

あなたは ご存知でござ~♪~ますかァ?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわァ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


(suikyu9.jpg)

それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉



軽井沢のイルミネーション



秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩



とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


(hand.gif)


メチャ面白い、

ためになる関連記事




(linger65.gif)

■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(house22.jpg)

■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)

『センスあるランジェリー』



(surfing9.gif)



(sayuri5.gif)

ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




(miya08.jpg)

『麻生元総理』

『ネットのバカ女を捜して』

『額田王の歌』

『聖女と娼婦』

『済子女王@萌える』

『ん?堀内亜里?』

『松平春嶽が黒幕?』

『旅行者的早餐』

『なぜ蝦夷なの?』

『プリキュアとヒトラー』

『戦争絶対反対よね』

『怨霊の歴史』

『色欲@歴史』

『紫式部と敗戦』

『ラピスラズリと源氏物語』


(annasalleh.jpg)

『性と愛@古代史』

『仙台を離れて』

『美人とブス@大奥』

『絵の中のウソ』

『阿倍仲麻呂@ベトナム』

『バイクガール』

『六条御息所』

『卑弥子さんの大学』

『元寇と捕虜』

『マキアベリにビックリ』

『痴漢が心配』

『びた一文』

『卑弥子@ブカレスト』

『エロい源氏を探して』

『ラピスラズリの舟形杯』

『平成の紫式部』

『隠元豆と国性爺合戦』

『おばさんと呼ばれて』


(zurose2.jpg)

『女帝の平和』

『アタマにくる一言』

『悪女レオタード@昌原市』

『スウィートビーン』

『ガチで浦島太郎やし』

『ご苦労さま』

『デンマンのはなし』

『卑弥呼の墓』

『室生犀星と人間学』

『松平春嶽ダントツ』

『英語は3語で伝わる』

『くだらない物』

『漢字で体操』

『面白い漢字テスト』


(hama10.jpg)

『日本のエロい文化』

『女のオナラ』

『紫式部と宮本武蔵』

『頼朝の死の謎』

『パンツと戦争』

『海外美女 新着記事』

『日本語を作った男』

『江戸の敵を長崎で』

『芸術は尻だ』

『尻の芸術』

『左翼的な下着』

『エロい源氏』

『ネット市民は見ている』


(costa04b.jpg)

『朝妻船』

『阿修羅を探して』

『羅漢と良寛』

『源氏エロ』

『元寇船』

『ハマガソ』

『歴史ロマン@バンコク』

『平安のキス』

『大久保独裁政権』

『愛情ゲットの呪術』

『源氏物語とおばさん』

『たこつぼ探し』

『光源氏の弟』

『勝負服』

『大伴家持の野心』

『そこが天才の偉いとこか?』

『生パンツカテゴリー』

『大衆文学』

『車中も亦臭し』

『聖徳太子の母親』

『笑える電報』

『忠臣蔵のウソ』

『天照大神@マレーシア』

『エロ@韓国』

『レオタード姿@女子大』

『見ちゃだめ、と言われると』

『忘我の境@英国』




軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)


(byebye.gif)


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吉田兼好とアレクサンダー

2022-08-18 01:19:55 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

吉田兼好とアレクサンダー

 


(alex08.jpg)


(yoshida2.jpg)
 



(himiko22b.gif)

デンマンさん。。。 吉田兼好というのは『徒然草』の作者でござ~ますか?


(kato3.gif)

それ以外にはちょっと考えられないでしょう!?

でも、アレクサンダーがあの有名なアレクサンダー大王だとすると、二人の間には何も接点がないじゃござ~ませんかァ~!

一見、何も接点がないように見えて実はあるのですよ。

でも、二人の生きていた時代が全く違うではござ~ませんかァ!

あのねぇ~、生きていた時代が違っていても思想的に、あるいは観念的に接点がある場合もありますよ。 例えば、仏教の開祖・ガウタマ・シッダールタと聖徳太子は生きていた時代は違っていても、聖徳太子がガウタマ・シッダールタを篤(あつ)く敬(うやま)っていたという点で二人には接点があるのですよ。

つまり、吉田兼好はアレキサンダー大王を篤く敬っていたとデンマンさんは言うのですか?

いや。。。 そのような事実はないと思いますよ。 まず間違いなく、吉田兼好はアレクサンダー大王が歴史的人物であったことも知らなかったと思うのですよ。

それなのに、どうして「吉田兼好とアレクサンダー」というタイトルのしたのでござ~ますか?

だから、二人の間には観念的に接点があるからですよ。

その観念的に接点があるというのは一体どういうことでござ~ますか?

あのねぇ~、実は、バンクーバー市立図書館から本を借りて読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。

 


一芸の極みは慎重にあり


(yoshida2.jpg)

兼好法師は、道を究めた人の話が好きで、40歳過ぎになって書かれた後半部分にその記載が多いのは、齢をとるにしたがって見えてくるものを伝えたかったのであろう。
達人・名人話は王道へつながる。

まず、第185段に乗馬の達人の話が出てくる。
城陸奥守泰盛(じょうのむつのかみやすもり)という馬乗りの名人がいた。
馬を引き出させたときに、足を揃えて門のしきいをひらりと飛び越えるのを見て、「これは気の荒い馬だ」と言って乗らなかった。
また、馬が足を伸ばしたままで、しきいに蹴あてると、「これは鈍感な馬で、こんな馬に乗ったら失敗するだろう」と言って乗らなかった。
というエピソードを紹介して、次のような感想を述べている。

道を知らざらん人、かばかり恐れなんや

(乗馬の道に通じていないような人は、どうしてこれほどまでに用心するだろうか)

物をよく知っているからこそ、慎重になる。
ごく当たり前のことでありながら、われわれが実生活の中で見過ごしてしまいがちなことを、兼好はここでも説いている。

 


(tsuredure3.jpg)



(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




36-37 ページ 
『転ばぬ先の転んだ後の 「徒然草」の知恵』
著者: 嵐山光三郎
2012年4月10日 第1刷発行
発行所: 株式会社 集英社


 



つまり、上の文章を読んで、このエピソードこそ王道へつながる達人・名人話だと思ってデンマンさんは感動したのでござ~ますか?



いや。。。 違うのですよ。 吉田兼好は上のエピソードを紹介するような人物だから“王道”から外れた人生を歩んだと思ったのですよ。

“王道”から外れた人生とは、一体どういうことでござ~ますか?

あのねぇ~、吉田兼好はウィキペディア(Wikipedia)には次のように書かれている。

 


吉田 兼好


(yoshida2.jpg)

弘安6年(1283年)頃-文和元年/正平7年(1352年)

鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての官人・遁世者・歌人・随筆家。
治部少輔卜部兼顕の子。
本名は卜部兼好(うらべ かねよし)。

卜部氏の嫡流は後の時代に吉田家、平野家などに分かれ、兼好は吉田家の系統であったことから江戸時代以降は吉田兼好と通称されるようになった。
また出家したことから兼好法師(けんこうほうし)とも呼ばれ、中学校国語の検定済み教科書ではすべて「兼好法師」と表している。
日本三大随筆の一つとされる『徒然草』の作者であり、また私家集『兼好法師家集』がある。

経歴

卜部氏は古代より卜占を司り神祇官を出す神職の家柄であり、父兼顕も吉田神社の神職であった。
母や生年は明らかでないが、一般には弘安6年ごろの出生と考えられている。
堀川家の家司となり、正安3年(1301年)に後二条天皇が即位すると、天皇の生母である西華門院が堀川具守の娘であったことから六位蔵人に任じられる。
従五位下左兵衛佐にまで昇進した後、30歳前後に出家遁世するが、その詳細な時期や理由は定かでない。

『徒然草』に最初に注目したと言われる正徹の歌論書『正徹物語』以来、後宇多法皇の死を悲しんで発心したとする説もあったが、1324年の法皇崩御のはるか以前、1313年以前には遁世していたことが文書から確認されており、後宇多院崩御を契機とする説は現在では否定されている。
法名としては、俗名を音読した兼好(けんこう)を名乗った。

出家した後の兼好の生活については修学院や比叡山横川などに籠り仏道修行に励む傍ら和歌に精進した様子などが自著から窺われるがあまり明確ではない。
鎌倉には少なくとも2度訪問滞在したことが知られ、鎌倉幕府の御家人で後に執権となる金沢貞顕と親しくしている。
その時、現在の神奈川県横浜市金沢区の上行寺の境内に庵があったと伝えられる。

二条為世に和歌を学び、為世門下の和歌四天王の一人にも数えられる。
その詠歌は『続千載集』・『続後拾遺集』・『風雅集』に計18首が収められている。
また、散文で思索や見聞した出来事を記した『徒然草』は、室町時代中期以降、高く評価され、現代においても文体や内容が文学的に評価されているだけでなく、
当時の社会風潮などを知るための貴重な史料ともなっている。

室町幕府の九州探題である今川貞世(了俊)とも文学を通じて親交があった。
また晩年は、当時の足利氏の執事高師直に接近したとされる。

 

逸話

『太平記』巻二十一の艶書(ラブレター)を代筆した話が知られる。
足利幕府の執事高師直は、侍従という女房から塩冶高貞(塩谷判官)の妻が美人であると聞いて、急に恋心を起こし侍従に取り持ちを頼むが上手くいかない。
いっそう思いを募らせた師直は「兼好とひける能書の遁世者」に艶書の代作をさせ、使者に届けさせる。
しかし判官の妻は、その手紙を開けもせず庭に捨ててしまったので、師直は怒って兼好の屋敷への出入りを禁じてしまったのだという。
この話は真偽はともかく、江戸時代の『仮名手本忠臣蔵』を代表として芝居や小説などの素材に数多く採り上げられ、兼好の恋の道もわきまえた「粋法師」としてのイメージを形成する上で大きな影響を与えている。




出典: 「吉田兼好」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



つまり、兼好法師は30歳前後に出家遁世するのですよ。 要するに、京都修学院や小野の辺りの山里に隠棲し、30代後半には比叡山・横川に庵(いおり)を構えて世捨人(よすてびと)になったのです。



要するに冒険を好まず、危険を回避して慎重過ぎる生活態度が兼好さんに“世捨人”の道を選ばせたとデンマンさんは言うのでござ~ますか?

その通りですよ。 兼好法師は物をよく知っているからこそ、慎重になる性格だったと僕は思うのです。 少なくとも人生を慎重に歩みたいと願っていたのでしょうね。 だから、上の乗馬の名人・エピソードを敢(あ)えて『徒然草』の中に書き入れたのですよ。

そうでしょうか?

だってぇ、上のエピソードに感動しない限り吉田兼好は『徒然草』に取り上げませんよう。

。。。んで、兼好法師さんはマジで足利幕府の執事・高師直さんのラブレターを代筆したのでござ~ますか?

いや。。。 僕はそうは思いませんね。 兼好法師が感動した上のエピソードを読めば「君子危うきに近寄らず」というのが兼好法師の生活信条だと思うのですよ。 だから、あとで面倒なことになりそうなラブレターの代筆など兼好法師は絶対にしなかったというのが僕の考えですよ。

じゃあ、ラブレターの代筆は後世の作り話でござ~ますか?

僕はそうだと思いますね。 吉田兼好が恋の道もわきまえた「粋法師」として語りたいための作り話だと思うのですよ。

そうだとしても、アレクサンダー大王がどこにも出てきませんわ。 一体、吉田兼好さんとアレクサンダー大王がどのように関係しているのでござ~ますか?

あのねぇ~、ちょっと次の映画を見てください。

 


(alex08.jpg)

Alexander the Great

アレクサンダー大王(予告編)




 



あらっ。。。 すべて英語ではござ~ませんかァ! あたくしは英語は苦手なのでござ~ますわァ。



じゃあ、日本語の次のクリップでも見てください。

 

アレクサンダー大王が生きた世界



 



上の日本語のクリップを見ても、吉田兼好さんとアレクサンダー大王がどのように関係しているのか? あたくしには理解できませんわァ。



あのねぇ~、アレクサンダー大王には愛馬・ブケパロス(Bucephalus)との間に有名なエピソードがあるのですよ。

 


ブケパロス


(alex09.jpg)

紀元前355年? - 紀元前326年6月

 

アレクサンドロス3世(アレクサンドロス大王)が愛馬とした1頭の軍馬。
その名はラテン語形では Bucephalas(ブーケパラース/現羅:ブケファラス)もしくは Bucephalus(ブーケパルス/現羅:ブケファルス)と表記される。
日本語ではブケファロスとの表記も多い。

大きな黒い馬で、額の星(ウマの額にある毛模様)が牛の角の形であったことから「ブーケパロス(雄牛の頭)」と呼ばれた。
牡馬であったとされているが、語尾変化を論拠に牝馬であったという説もある。
また、伝説では星ではなく角が生えていたともいわれ、ポンペイ遺跡から出土した壁画にも角が描かれている。
また、偽カリステネスの『マケドニア人アレクサンドロスの生涯』系統伝説は、人食い(英語版)馬であったと記している。

プルタルコスの『プルターク英雄伝』によると、ブケパロスはペラスギティス産(テッサリアの馬の産地)でアレクサンドロスの父ピリッポス2世への貢物であったが、暴れ馬で誰も乗りこなすことはできなかったという。
若きアレクサンドロス王子(のち、アレクサンドロス3世)はブケパロスが彼自身の影に怯えていることに気付き、父と賭けをし、馬の視線を太陽の方向へ向かせることで落ち着かせ、見事に騎乗馴致してみせたという。

以来、ブケパロスはアレクサンドロスの愛馬となる。

 


(buce02.jpg)


(buce03.jpg)


(buce04.jpg)

Alexander & Bucephalus



 

紀元前326年、アレクサンドロス3世軍とポロス王の軍がぶつかったヒュダスペス河畔の戦いにて、ブケパロスは戦死した。
戦いに勝利したアレクサンドロス3世は、愛馬を丁寧に埋葬し、この地に築いた新都市(アレクサンドリア都市)をブケパロスにちなんで「アレクサンドリア・ブケパロス」と名付けた。




出典: 「ブケパロス」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



上のYouTube のクリップを見れば解るように暴れ馬で誰も(ブケパロスを)乗りこなすことはできなかった。 しかし、若きアレクサンダーはブケパロスが彼自身の影に怯えていることに気付き、父と賭けをし、馬の視線を太陽の方向へ向かせることで落ち着かせ、見事に騎乗馴致してみせたのですよ。 つまり、『徒然草』に出てくる乗馬の名人は慎重すぎてブケパロスには乗らなかったでしょうね。



つまり、本当の“王道”は慎重過ぎてはダメだと言うことでござ~ますか?

そうですよ。 アレクサンダー王子が『徒然草』の中に出てくる乗馬の名人だったら、アレクサンダー大王にな成れかったと思うのですよ。 だから、事実、城陸奥守泰盛(じょうのむつのかみやすもり)という馬乗りの名人は織田信長や豊臣秀吉のような男にはなれなかった。




初出: 2014年1月21日



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ですってぇ~。。。
確かに、そうかもしれませんわ。
織田信長ならば、まず間違いなくブケパロスを乗りこなそうとしたでしょうね。
でも、振り落とされて殺してしまったかも知れませんわ。

ホトトギス 鳴かぬなら殺してしまえホトトギス

。。。ですものねぇ。

だから。。。

ブケパロス おとなしく乗せろブケパロス
俺を乗せぬなら 殺してしまうぞブケパロス

。。。ですよね。

とにかく、あなたも吉田兼好さんとアレクサンダー大王の違いを今夜じっくりと考えてくださいまし。

ところで、吉田兼好さんもアレクサンダー大王も それなりに面白いのですけれど、
ぜひ次の平安史、古代史の記事もお読みくださいまし。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。
 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?


マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?


とにかく、次回も興味深い記事が続きますわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。


(hand.gif)


ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)


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ところで、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。
卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


『感じてストで和露他』

『笑える漢字クイズ』

『哀れなネアンデルタール』

『佐伯今毛人は臆病者か?』

『笑わせる漢字でござ~ます』

『卑弥子@婚活』

『プロメテウスの第2の火』

『うむうむ、ふむふむ人間』

『コギャルと甘え』

『癒しと水墨画』

『東電八分』

『怒りっぽいあなたに』

『床上手だよ!』

『床上手@docomo』

『漢字で体操ざ~ます』

『曲屁(きょくべ)』

『天神様と東日本大震災』

『日本は良い国か?』

『日本を良い国に…』

『エロい熟女』

『アッと驚くマキアベリ!』

『良寛さんの顔』

『あなたの中の阿修羅』

『蝦夷って悪い意味?』

『伎楽は呉の音楽?』

『呉越の謎』

『紅のボートピープル』

『蕎麦屋と忠臣蔵』

『ピンクと桃色』

『妻の不貞』

『卑弥子さん、ご指名ですよ!』

『カン違い大岡越前』

『ロマンのカシオペア』

『カシオペアの現実』

『エロい徳子を探して』

『紫式部と皇国史観』

『エロい道鏡と薬師如来』

『天平の麗しき淑女』

『元からの饅頭』

『なぜ唐に留まったの?』

『下着美人』

『一所懸命』

『ねぇ、ねぇ、ねぇ効果』

『遊女と三つ子』

『布袋さんの魅力』

『今、エジプトに?』

『鍋かむり祭り』

『日本人はどこから来たの?』

『卑弥子も待ってます』

『卑弥子の源氏物語』

『源氏物語もエッチなのに』

『失意の紫式部』

『めちゃムカつく足枷』

『床上手な女になりたい』



軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)


(byebye.gif)
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美しい日本語

2022-08-11 01:16:39 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 

美しい日本語

 



 
(kuge03.jpg+maiko19.png)




ケイトーは日本語が美しいと思っているの?


(kato3.gif)

いや。。。 特に日本語が美しいとは思いませんよ。

でも、タイトルにそう書いてあるじゃない?

僕がそう思ったから書いたのではないのですよ。

じゃあ、誰がそう思ったのよ?

実は、バンクーバー市立図書館で次の本を借りたのです。

 


(lib30305b.gif)

 



つまり、赤枠で囲んである本を読んだのね?



そうです。 『日本人が忘れてしまった美しい日本語』というタイトルなのですよ。

それで今日はその日本人が忘れてしまった美しい日本語の話をするの?

そうです。。。 いけませんか?

別にいけなくはないけれど、それほど美しい日本語がマジであるのォ~?

やっぱり、シルヴィーもそう思う?

だってぇ~、言葉なんて生活に欠かせない、いわば道具でしょう? 普段使っている言葉を特に美しいと感じることなんてないわよね。

だから、本の著者も、たぶん、そう思っていたのですよ。 でもねぇ、古い本を取り出して読んでみると、もう普段使わなくなってしまった。。。つまり、ほとんどの日本人が忘れてしまった言葉の中に美しい日本を再発見したというのですよ。

。。。で、具体的にどのような言葉が美しいと言ってるのォ~?

じゃあ、次の小文を読んでみてください。

 


芥川龍之介 「舞踏会」


(rokumei02.jpg)

(略) …が、鹿鳴館の中へはいると、間もなく彼女はその不安を忘れるような事件に遭遇した。
と云うは階段のちょうど中ほどまで来かかった時、二人は一足先に上って行く支那の大官に追いついた。
すると大官は肥満した体を開いて、二人を先へ通らせながら、呆れたような視線を明子へ投げた。
初々しい薔薇色の舞踏服、品好く頸へかけた水色のリボン、それから濃い髪に匂っているたった一輪の薔薇の花---実際その夜の明子の姿は、この長い辮髪(べんぱつ)を垂れた支那の大官を驚かすべく、開化の日本の少女の美を遺憾なく具えていたのであった。 (中略)


(rokumei12b.jpg)

二人が階段を上り切ると、二階の舞踏室の入口には、半白の頬髯(ほおひげ)を蓄えた主人役の伯爵が、胸間に幾つかの勲章を帯びて、路易(ルイ)15世式の装いを凝らした年上の伯爵夫人と一緒に、大様(おおよう)に客を迎えていた。
明子はこの伯爵でさえ、彼女の姿を見た時には、その老獪(ろうかい)らしい顔のどこかに、一瞬間無邪気な驚嘆の色が去来したのを見のがさなかった。
人の好(い)い明子の父親は、嬉しそうな微笑を浮かべながら、伯爵とその夫人とへ手短に娘を紹介した。
彼女は羞恥と得意とを交(かわ)る交(がわ)る味わった。
が、その暇にも権高(けんだか)な伯爵夫人の顔立ちに、一点下品な気があるのを感づくだけの余裕があった。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




72-74ページ
『日本人が忘れてしまった美しい日本語』
著者: 佐藤 勝 
2002年8月19日 第1版発行
発行所: 株式会社 主婦と生活社


 



著者は赤字で書いてある老獪(ろうかい)が美しい日本語だと言ってるのォ~?



そうらしいのですよ。

私は特に美しいとは思わないけれど。。。

僕も同感ですよ。。。 むしろ「老獪」という言葉には僕は醜さを感じますよ。 ただ、引用されている芥川龍之介の「舞踏会」という作品は美しいと思いました。

どういうところが。。。?

「舞踏会」は大正9年1月に発表された短編なのですよ。 鹿鳴館での舞踏会の一夜を描いた前半と、32年後の秋の日を描いた後半とから成り立っているのです。 前半は、明治19年11月3日、今で言えば天皇誕生日に、鹿鳴館での舞踏会にデビューした数え年17歳の明子が経験した忘れえぬ一夜の物語なのです。 上の部分は、その前半の一部です。 明子さんがマジで美しいので彼女を見た「主人公の伯爵」の「老獪らしい顔」にさえ「無邪気な驚嘆の色」が表れてしまうというのですよ。

。。。で、後半は?

後半では、上の場面から32年後の秋の日の事が書かれているのです。 つまり、大正7年の秋なのです。 汽車の中で青年小説家が明子さんと一緒になる。 その時、32年前の舞踏会の思い出を小説家に語るのです。

その思い出というのが上のエピソードの中の老獪(ろうかい)な顔をした伯爵のことですか?

違うのですよ。 実は、伯爵に出会った後で明子さんはフランス海軍将校と踊るのです。 そのフランス人が明子さんの美しさを「ワットオの画の中の御姫様のよう」だと言うのです。

ワットオというのはフランス人の画家なのォ~?

実は、ワットオという呼び方は大正時代の呼び方だったらしい。 ウィキペディアで調べたらアントワーヌ・ヴァトー(Antoine Watteau: 1684年10月10日 - 1721年7月18日)のことですよ。 

 


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300年前に活躍していた画家です。 Watteau は次のような女性の絵を描いたのです。

 


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(watt02.jpg)


(watt01.jpg)

 



ケイトーも、こういうタイプの女性が美しいと思うの?



いや。。。 僕が思っている「美しい女性」のタイプとはかなり違いますよ。

ケイトーが想っている「美しい女性」のタイプってぇ、どういうタイプなのォ~?

例えば、イタリア映画 "I girasoli (Sunflower)" に出てきたロシア人 (Masha) を演じた Ludmila Savelyeva (リュドミラ・サベーリエワ) のような女性ですよ。

 


(sunf07.jpg)

I girasoli - TRAILER



Henry Mancini

Love theme from SUNFLOWER




 



Ludmila Savelyeva (リュドミラ・サベーリエワ) のような女性が「美しい女性」なのォ~? つまり、ケイトーは白人女性志向なのねぇ~?



違いますよ。 たまたま Watteau の描いた絵にフランス女性が出てきたから白人の女性を取り上げたまでですよ。

日本人だったら。。。?

だから、この冒頭に取り上げたような可愛らしい舞妓さんですよ。

 



 



あらっ。。。 ケイトーってぇ、どちらかと言えば幼い感じの女性が好みなのねぇ~。。。? もしかしてロリコンじゃないのォ~?



やだなあああァ~。。。 ロリコンじゃありませんよう! シルヴィーはダイアンも幼い感じを与える女性だと思うわけぇ~?

 


(2004f.gif)

 



どちらかと言えばダイアンも熟女と言うよりは幼い感じを与える女性だと思うわ。



でも、いくらなんでもオッパイの感じといい、ヒップのムキムキした感じといい。。。 ロリコンとは違うでしょう!?

とにかく、ケイトーの美人観はフランス人将校とはだいぶ違ってるわよねぇ~。

その通りですよ。 僕もかなり違っていると意識しましたよ。

それで、明子さんはその将校と忘れられない思い出があるのォ~?

いや。。。 その夜、鹿鳴館で会っただけですよ。 ただ、二人でバルコニーに出て「ほとんど悲しい気を起こさせるほどそれほど美し」い花火を見ながら言葉を交わすのです。

どのような。。。?

「私は花火のことを考えていたのです。 我々の生(ヴィ)のような花火の事を」とフランス人の将校は言うのです。 花火は一瞬美しく輝いて永遠に真暗な闇の中に沈んでゆくので、そこにフランス人将校は「我々の生(ヴィ)」の象徴を見ていたと言いたかったのですよ。 つまり、人形のように美しい明子も、一瞬輝いて闇に消えてゆく。。。 美しさとはそのようなものと芥川は捉(とら)えていたのですよ、多分。。。 おそらく芥川がフランス人の口を借りて、そのように言わせたのですよ。

ただ、それだけのことですか?

そうです。 フランス人将校と明子さんとの間にそれ以上の発展はない。 ただ、物語を読んでゆくと僕はハッとしてある驚きを感じたのですよ。

どのような。。。?

明子さんの話を聞きながら、小説家は話の中の海軍将校がピーエル・ロティである事を知るのです。

あの『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』を書いた作家ですか?

そうです。 芥川は短編の中で49歳の明子さんに次のように言わせているのですよ。

 



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存じて居りますとも。 Julien Viaud (ジュリアン・ヴィオ)と仰有る方でございました。


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あなたも御承知でいらっしゃいましょう。 これはあの『お菊夫人』を御書きになった、ピエール・ロティと仰有る方の御本名でございますから。。。


 


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「お菊」さんのモデルになった「オカネ」さん


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ケイトーにとってぇ、明子さんが鹿鳴館でピエール・ロティに出会ったということがそれほどの驚きなのォ~?



あのねぇ~、ピエール・ロティは1885年と1900~1901年の二度、日本へやって来ているのですよ。 鹿鳴館のパーティに出たのは1885年に日本へやって来た時なのです。 でもねぇ~、『お菊夫人』の中では芥川が『舞踏会』で書いているようなことは言ってないのですよ。

どのよなことを言ってるのですか?

鹿鳴館でダンスを踊る日本人を「しとやかに伏せた睫毛の下で左右に動かしている、巴旦杏(アーモンド)のようにつり上がった眼をした、大そうまるくて平べったい、小っぽけな顔」「個性的な独創がなく、ただ自動人形のように踊るだけ」「何と醜く、卑しく、また何とグロテスクなことだろう!」と書いている。

あらっ。。。 ピエール・ロティは日本人に対して蔑視に近い念を抱いていたということじゃない!?

だから、そのように言う評論家も多いのですよ。 でもねぇ、もしピエール・ロティが『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』を書かなかったら、ヨーロッパやアメリカでの日本女性の人気はなかったのですよ。

でも、「(鹿鳴館でダンスを踊る日本人は)何と醜く、卑しく、また何とグロテスクなことだろう!」と書いているのでしょう?

でもねぇ~、そういう悪い事ばかりを書いているわけじゃない。 ヨーロッパ人やアメリカ人が読んだら、「日本へ行って、ぜひとも日本のきれいな女性とロマンスを味わいたい」というような夢を膨らませるようなことも書いている。

マジで。。。?

もちろんですよ。 あの有名なプッチーニのオペラ『蝶々夫人 (Madame Butterfly)』も。。。、また最近では、1989年9月20日にロンドンのウエストエンドで初演されたミュージカル『ミス・サイゴン (Miss Saigon)』も、ピエール・ロティの『お菊夫人(Madame Chrysanthème)』をストーリーのベースにしているのですよ。

 

Madame Butterfly



Miss Saigon



 



でも、ピエール・ロティがそれほどの影響をマジで与えたのかしら?



じゃあねぇ~、駄目押しのエピソードをシルヴィーのために、ここに載せますよ。 読んでみてください。

 



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チェーホフは2月に日露戦争がはじまったあとの明治37(1904)年7月15日(グレゴリ暦)に亡くなった。
その3日前の友人あての手紙で、日本が戦争に敗北するのを予想して、「悲しい思いにかられている」と記した。

そして死の床についたとき、ぽつんと「日本人」(単数形)と呟いたという。
夫人のクニッペルがちょっとシャンパンを口に含ませた。
するとチェーホフはドイツ語ではっきりと医師に「Ich sterbe」(死にます)といい、それから夫人の顔を見て微笑んで「長いことシャンパンを飲んでいなかったね」と語りかけ、静かに横になり、眼をつむり、そのまま永遠の眠りについた。
午前3時であった。

まるで一場の芝居をみるようであるが、日本に来たこともないチェーホフが、死の床で日本と日本人にたいして何やらの想いを吐露しているようで、すこぶる不思議ではないか。

ところが、そのナゾが中本信幸氏の『チェーホフのなかの日本』(大和書房)を読むことでスパッと解けた(ような気がする)。

明治23(1890)年の春、彼はサハリン(樺太)への長途の旅にでた、その帰り道の途中のこと。
ときは6月26日、ところは中国と国境が接しているアムール河ぞいのブラゴヴェシチェンスクである。
ここで何事かが起こった。

翌27日、チェーホフは友人の作家スヴォーリンに手紙を書いているそうな。
「……羞恥心を、日本女は独特に理解しているようなのです。
彼女はあのとき明かりを消さないし、あれやこれやを日本語でどういうのかという問いに、彼女は率直に答え……ロシア女のようにもったいぶらないし、気どらない。
たえず笑みを浮かべ、言葉少なだ。

だが、あの事にかけては絶妙な手並みを見せ、そのため女を買っているのではなくて、最高に調教された馬に乗っているような気になるのです。
事がすむと、日本女は袖から懐紙をとりだし『坊や』をつかみ、意外なことに拭いてくれます。
紙が腹にこそばゆく当たるのです。
そして、こうしたことすべてをコケティッシュに、笑いながら……」
と書き綴ってきて、最後に記すのである。

「ぼくはアムールに惚れこんでいます。
2年ほどここで暮らせたらもっけの幸いと思うのです。
美しく、広々として、自由で、暖かい。
スイスやフランスでも、このような自由を1回も味わったことはありません」
アムール河畔でのたった一夜の契り。
だが「ぼくはアムールに惚れこんでいる」とまでいう。

当時、シベリア沿海州には、日本人の“からゆきさん”が多くいたことは記録にも見えている。
その中の一人が、チェーホフに優しさと暖かさというイメージ(夢)を抱かせ、その想いがふくらみ、ついに名作『桜の園』を生ましめた。
「庭は一面真っ白だ。 …… 月光に白く光るんだ」(ガーエフ)、
「すばらしいお庭、白い花が沢山」(ラネーフスカヤ)、
こうした日本の桜の純白の美しさを教えたのは、実に、その言葉少なな日本女であった。


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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




237-239ページ
『ぶらり日本史散策』
著者: 半藤一利 
2010年4月15日 第1版発行
発行所: 株式会社 文藝春秋


 



つまり、チェーホフがアムール河ぞいのブラゴヴェシチェンスクで日本人の「からゆきさん」に会ったのはピエール・ロティの『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』の影響だと言いたいのォ~?



その通りですよ。 チェーホフは1890年の4月から12月にかけて当時流刑地として使用されていたサハリン島へ「突然」でかけたのですよ。

どうして。。。?

あのねぇ~、ピエール・ロティの『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』が出版されたのは1887年なのですよ。

つまり、チェーホフは『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』を読んで、それでサハリン(樺太)への長途の旅の帰り道にアムール河ぞいのブラゴヴェシチェンスクに立ち寄り日本人の「からゆきさん」に会ったと。。。?

その通りですよ。 『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』には、それほどの影響力があったということですよ。



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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。
ピエール・ロティの小説『Madame Chrysanthème (お菊夫人)』が、チェーホフにサハリンへの長旅に駆り立てる“公表できない動機”を与えたのでしょうか?
そのよなことは聞いたことがありませんわ。
でも、可能性としてはありそうですよねぇ。

プッチーニも日本へ行ったことはありません。
それにもかかわらずオペラ『蝶々夫人 (Madame Butterfly)』を作ってしまったのですから。。。
その内、チェーホフに関しても動かぬ証拠が出てくるかもしれませんわ。

ところで、シルヴィーさんの事をもっと知りたかったら次の記事を読んでくださいね。


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『シルヴィー物語(2011年4月27日)』

『波乱の半生(2011年4月29日)』

『シルヴィーとネット革命(2011年5月6日)』

『シルヴィーとデヴィ夫人(2011年5月30日)』

『シルヴィーとケネディ夫人(2011年6月15日)』

『バンクーバー暴動と平和(2011年6月25日)』

『ビルマからの手紙(2011年7月3日)』

『ブッシュの戦争(2011年7月7日)』

『国際的愚か者(2011年7月11日)』

『あばたもえくぼ(2011年7月14日)』

『あなたも国際市民(2011年7月18日)』

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とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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ィ~ハァ~♪~!

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“縦社会” と “横社会” (再考)

2022-07-29 01:38:25 | 日本人・日本文化・文学論・日本語
 

“縦社会” と “横社会” (再考)

 


(find2.gif+home.gif)



日本は“縦社会”であり、欧米は“横社会”である、と言うような事を聞いたことがありますか?
次のコメントはスマットさんが書いたものですが、
この短い文章に“縦社会”に生まれ育った人間の思考方法が極めてはっきりと出ています。


Re[2]:記事引用における著作権の取り扱い

Name: smz E-MAIL
Date: 11/14 17:53

とりあえずPREP公式側に確認を依頼しました。
第三者目線でダメということになれば何らかのアクションがあると思います。

反論ですが、わたしが書いたコメントについてですが、

1. 文章というものは文芸の範囲です。
  文章なくして、文芸をなしえません。
  あのコメントは文章であり、従って文芸の範囲にあります。

2. あれはわたしの思想を表現したものです。

1、2の両面を定義に照らせば、あのコメントは著作物です。




『Re[2]:記事引用における著作権の取り扱い』より


スマットさんは海外で暮らした事がありません。
つまり、欧米の“横社会”に住んだことがありません。

スマットさんは“縦社会” と “横社会”について聞いたことがあるかもしれません。
しかし、実際にはそのような横社会を肌で感じた事がありません。

本題に入る前にここで“畳の上の水練”ということについてちょっと考えてみたいと思います。
あなたが、もしこれまでに海外で暮らした事がないとしても、あなたは自分のことを国際感覚が無いとは思っていないかもしれません。
あなたは恐らく海外事情についてかなり知っていると思っているはずです。

なぜなら、テレビで海外の事を良く見ているから知っているつもりになっている。
映画でも、海外の事を見た事がある。
ネットでも、海外の情報が手に入る。

あなたは“畳の上の水練”と言う事を聞いたことがありますよね。
畳の上でいくら泳ぎを練習したとしても、水に入って練習しなかったら絶対に泳げないという事です。
あなただって、このことなら良く理解が出来ると思います。

つまり、実際に海外で生活してみない事には海外事情と言うのは表面的にしか分からないものです。
何度他人が泳いでいるのを見ても泳げるようにはなりません。
畳の上で手足をばたつかせても泳げるようにはなりません。
実際に水に入って泳ぎを学ばねばなりません。

 


(golfer20.gif)

 

あなたはゴルフをやりますか?
やる?
10年ぐらいうの経験がありますか?

あなたはテニスをやりますか?
やる?
10年ぐらいの経験がありますか?

もしそうなら、ゴルフクラブを素振りしている人を見て、
あるいはテニスラケットを素振りしているのを見て、
その人が初心者か、上級者か分かるはずです。

僕は人生の半分以上を主に欧米で暮らしています。
だから、“縦社会” と “横社会”がどういうものなのかを肌で感じて知っています。

スマットさんが書いてくれたコメントの中で触れているPREPというのは、関西地区を主なサービスエリアとしている
ブログサービス運営会社です。スマットさんも僕もこのブログのユーザーです。

“PREP公式側”と書いていますが、PREPという組織は官庁でもないし、公社でもありません。
日本の小さな一企業に過ぎない。だから、“公”ではあり得ない。
どうして、“公”と書くのか?
“PREP側”で充分ですよ!
無意識のうちに“公”は“親方日の丸”、つまり、“上位の者”という意識が働いています。

こういうところが“縦社会”に住んでいる者の発想ですよね。
要するに“上位の者にたいしてお伺いを立てました。私の言う事を取り上げてくれ、きっとあなたを懲らしめてくれるでしょう。”
そのような気持ちがスマットさんの上の文章の中に込められています。

この“お上にお伺いを立てる”という考え方は、江戸持代の“身分制度”の名残(なごり)ですよね。
あの“士農工商”という身分制度です。

 


(musash2.jpg)

 

その当時、この身分制度の一番上にいた武士には“切り捨て御免”という特権があった。
つまり、町人や百姓が武士に対して無礼な事でもすれば、武士は剣を抜いて町人や百姓を切り殺しても、何の咎(とが)めも無かった。
ひどい話です。
このように同じ日本人なのに“お上”は人間に上下をつけた。

もちろん、民主主義の現在にあっては、こんな非常識な話はどこの国に行っても通用しないでしょう。
でも、スマットさんは、無意識のうちに、この“縦社会”の“掟(おきて)”を持ち出して“お上(公)”にお伺いを立てたのです。
“お上”に何をして欲しいのかと言うと、僕に対して“切り捨て御免”をやって欲しいわけです。

“横社会”の人間はこの様な発想をしません。お互いに平等同等なのだから“上位の者”と言う考えは無い。
あくまでも当事者間で話の決着をつける。
“お上”を持ち出しません。

結果としてスマットさんは一体どうなったか?
すでに10日以上が経過していますが、スマットさんは、この件に関しては全く触れていません。
つまり、“お上”に無視されたわけです。

【デンマン注釈:】 
これを書いている時点で、すでに3ヶ月が過ぎようとしていますが、
スマットさんのお伺いはPREPによって無視されてしまいました。


何らかの返事が来たのなら、スマットさんは得意になって勝ち誇り、報告するはずです。
つまり、この“お上”の対応も“縦社会”の良い見本です。

“スマットよ!オマエは下々の分際(ぶんざい)で何を下らない事をほざいているんだよ!
 お上は忙しいのだよ!そんな下らない事で手を焼かせるな!”

このようにPREPは思ったのでしょうね。へへへ。。。。
スマットさんのお伺いを無視したのです!
これが“縦社会”の実態です。

日本国憲法の下では、日本人は法人も含め、法の下に平等です。
例え国を訴えても、日本国憲法の下では公人も私人も平等です。
法律的にはそうなっています。

しかし、現実には“縦社会”の日本は、なかなかそのようにはゆかない。
なぜなら、江戸時代の“負の遺産”である身分制度の名残があって、
上で僕が説明したように“縦社会”に生まれ育ったスマットさんは
無意識のうちに“縦社会”的思考にすっかりはまっています。

じゃあ、“横社会”ではどうなっているのか?

僕のエピソードをここでお話します。
カナダには全国に支店網を持っている大きなカナダの銀行が7つあります。
その一つがノバ・スコシア銀行です。

バンクーバーのロブソン・ストリートの支店に僕はアカウントを持っているのですが、
ここで働いている女子行員と借入金の限度額について交渉していた時の話です。
担当の女性は“オフィサー”という肩書きを持っていましたから、日本流に言えば個室を持っている課長級の人でしょう。

ところが、電話したのに折り返しの返事はよこさない。
僕がその事を追求したら、対応の仕方がふざけている。
僕と電話で話している最中に、同僚と冗談言って笑ったりしている。
僕が常識を持ち出して相手の非を説明したのに全く取り合おうとしない。

僕はかなり頭にきたので、本社の人事・教育担当の副社長にタラタラと苦情の手紙を書きました。
要するに訓練・教育の不行き届きですよ!と書いたわけです。
“お上”にお伺いを立てたのではありません。
僕と法の下で平等同等な副社長の責任を追求したのです。

もちろん僕はその副社長と面識はありません。
彼は僕の事も知りません。
でも、2ページに亘(わた)る丁重な手紙をもらいました。
翌日、支店長から謝罪の電話をもらいました。

つまり法の下での平等ですよ。対等ですよ。
どこの馬の骨だか分からないような僕が手紙を書いたからって、無視しません。

ところが“縦社会”では、このようには行きません。
ナイトメア・ネッツ(仮名)というブログサービスを運営している会社があります。
中国地方の小さな会社ですよ。
この社長がナイトメア・ブログの管理人をしています。

もちろん、“お上” の “縦社会思考” にどっぷりとつかっている“田舎侍”は“武士気取り” で “問答無用!”と言って、僕のブログを丸ごと“切り捨て”てしまいました。

問答無用!のあとの削除です!

この管理人が僕に対して次のような警告文をメールで送ってきました。



Subj: ナイトメア・ブログのご利用につきまして
Date: 06/11/2005 10:31:24 PM Pacific Standard Time
   07/11/2005 3:31:24 PM 日本時間
From: info@night.jp (架空)
To: barclay1720@aol.com


ビーバーランド ネット様

この度は、当社のナイトメア・ブログにご登録いただき、誠に有難うごさいました。

弊社にてお客様サイトを確認させて頂きました。
お客様の投稿で利用規約に違反する内容がありますので修正してください。
修正が完了するまで、ポータルへ公開することが出来ません。

修正が完了致しましたら、連絡いただけますでしょうか。
連絡がいただけない場合、2週間後にサイトを削除させて頂きます。

詳細は以下を参照して下さい。

利用規約禁止事項 2.
(3)ポルノ、売春などわいせつ、わい雑な内容、倫理的に問題のあるコンテンツの表示
(5)その他、公序良俗に反する行為、あるいは社会的に不適切な行動と解される行為に違反していると判断しました。

・2005年10月28日 ビジネスに関係なく女性の下着画像を載せられている
・2005年11月03日 特定の人物(この場合実在するかどうかは問題ではありません)に対して馬鹿であると数回にわたり記述されている。
・2005年11月04日 コメントに対して>お前のようないい加減で無責任な低脳児童が日本にはたくさん居るんだよ、と返している。
・2005年11月06日 2005年11月04日の引用文掲載
・2005年11月06日 特定の人物(この場合実在するかどうかは問題ではない)に対して人間のクズという表現を使っている


この警告文に対して僕は次のような公開抗議文を書きました。


・2005年10月28日 ビジネスに関係なく女性の下着画像を載せられている

この問題の下着画像は次のリンクをクリックすると見る事が出来ます。

『問題になった10月28日の下着画像を含んだ記事』

この程度の下着画像は社会生活上から見ても、これまで全く問題にされませんでした。
日本のプロバイダーからも欧米のプロバイダーからも指摘された事はありません。

つまり、このグローバル化・国際化の時代にあって、責任者であるあなたの倫理観が時代遅れであることを物語っています。
要するに、あなたが責任者としてプロバイダーを統括する資格が乏しいものと僕は理解しています。

社会的に反しているのは僕ではなくあなた自身です。
教養も無く、時代に即した倫理観を持っていないあなたが責任者としてナイトメア・ブログを運営している事自体が非社会的な行為なんですよ。

つまり、こうしてあなたが僕に対して時代遅れで非国際的な倫理観を押し付けている事自体が世界のネットの発展のためにならないという事です。
ネットの現状とプロバイダーのあるべき姿をあなたは全く理解していません。


・2005年11月03日 特定の人物(この場合実在するかどうかは問題ではありません)に対して馬鹿であると数回にわたり記述されている。


“馬鹿”という言葉は法律的には全く誹謗中傷には値しないものです。
過去の判例を参照してください。
11月3日の記事の文脈から考慮しても、この言葉が非倫理的には使われていません。

責任者であるあなたの倫理観に問題があります。
グローバル化・国際化の時代の流れについてゆけないあなたの教養の無さと、“倫理観”の貧弱さがプロバイダーとしてやってゆくだけの能力の無さをあなた自身が暴露しています。


・2005年11月04日 コメントに対して>お前のようないい加減で無責任な低脳児童が日本にはたくさん居るんだよ、と返している。


この件に関しては、あなたは中立の立場にあるべきなんですよ。
このようなブログ・プロバイダーとしての基本的なことがあなたには理解できていない。

欧米でも日本でも、このことは常識ですよ。
欧米なら、さしずめ、None of your business! とあなたは言われますよ。 

つまり、コメントを書いた“Akitu”と僕の問題です。
こんな基本的なことがあなたには理解できていない!
あなたがノコノコとしゃしゃり出てくるような問題ではないのですよ。

Akituは反論していないんです。
つまり僕の指摘した事に対して非を認めているからこそ反論ができないんです。

この記事の中ですべてが言いつくされています。
つまり、僕は正々堂々と僕の信条・信念に基づいてAkituを批判しているのです。

それに対してAkituは全く反論していません。
URLも書いていないし、どう見てもAkituの書き方こそ非難されるべきで、あなたがプロバイダーの責任者として、この事実が全く理解できていないという事は非常識・無教養としか言いようがありません。

他のプロバイダーの事も良く知らず、ネットの現状の認識も浅く、まさに時代遅れなあなたがナイトメア・ブログを運営している事に驚きを感じる次第です。


・2005年11月06日 2005年11月04日の引用文掲載


11月4日の記事が問題ない以上、それを掲載した事も全く問題になりません。


・2005年11月06日 特定の人物(この場合実在するかどうかは問題ではない)に対して人間のクズという表現を使っている


“人間のクズ”という言葉も、法律的には“馬鹿”と同様全く誹謗中傷には値しないものです。
過去の判例を見ても問題にならないものです。

責任者としてのあなたが首を突っ込んでくる問題ではないのです!
もし、問題があるならば、当事者の間で解決するような問題です。
あなたは、このような点について全く理解していません。

つまり、あなたはプロバイダーとしてネット社会に貢献するような形でユーザーをサポートしていないばかりか、あなた自身の教養の無さ、法律的問題に対する理解力の無さのために、時代遅れの倫理観をユーザーに押し付けようとしている。

非常識、非社会的としか言いようがありません。
要するに、あなたはプロバイダーとしての良識と、教養を身につけていないわけです。
言論の自由という事も全く理解できていません。

あなたは日本のネットのためにも世界のネットの発展のためにも即刻プロバイダーとしての責任者の立場から身を引くべきです。
あなたの“利用規約”の解釈の仕方が時代錯誤であり、ネットの現状とネットの発展を全く考慮していません。

つまり、言論の自由を守りネット社会をオープンなものとして発展させてゆくという観点から見て、あなたの態度と倫理観が全く時代遅れになっている事をここに指摘しておきます。

この文章は責任者であるあなたとナイトメア・ブログに対する公開抗議文のつもりで書きました。
僕の指摘した点について、あなたが明確に回答する事を望みます。




このような公開抗議文を送りつけたのですが、期限の2005年11月21日までに全く返事をよこしませんでした。
つまり、僕の公開抗議文を無視したのです。
ノバ・スコシア銀行と比べたら、この会社は本当に吹けば飛ぶような小さなヴェンチャー企業ですよ。
ところが、この田舎者の社長は、“縦社会”しか知らない人物です。

そのくせ、言う事だけは“国際派”を気取っています。
もちろん、海外生活経験はゼロです。
僕はほぼ確信を持って言う事ができます!

誤解しないでくださいね。
海外生活経験が無いから人間的に劣っていると言うつもりはありません。
僕が言おうとしている事は、圧倒的に“横社会”型になりつつある世界をもっと目を開いてみたらどうなの?
。。。と言う事です。

この田舎者の社長の言う事がふるっていますよ。


GE(ゼネラルエレクトリック社)のジャック・ウィルチCEOが言っています。
「世界でシェア1位、悪くても2位を取れないビジネスからは撤退するべきだ」

... (中略)

ターゲット市場を出来るだけ絞り込んで、その市場でNo1を目指すこと。
これが重要なのです。
しかし、当社はまだ実践できていない



(foolw.gif)

あたりまえですよ。
そのような“縦社会思考”にハマッている“田舎社長”が業界一位に成れるはずが無い。

「世界でシェア1位、悪くても2位を取れないビジネスからは撤退するべきだ」

このまま、“縦社会”思考にはまっていたら、遅かれ早かれ撤退する事になるでしょうね。
ユーザーに対する“横社会”型の対応が全く出来ていません。

僕に反論のある人は是非次のスレッドをじっくりと読んでから書いてくれるとうれしいです。

『ナイトメア・ブログとその責任者に対する公開抗議文!』

実はここまでの文章は

2005年11月28日の記事として書いたのです。


どうしてまた、このようにして再考する必要があるのか?

11月28日の記事に対してSO-NETのNTHAWKSさんから次のようなコメントをもらったのです。


本筋からはずれますが

>あの“士農工商”という身分制度です。

江戸時代にこういう身分制度はありません。
武士と百姓・町人の関係を中心とした
職業と身分が結びついた制度ということです。
「士農工商」というのは明治になってはじめて使われた言葉です。
現在はこういう序列で江戸時代の身分制度を考えるのは
あやまりだとされています。

 

by NTHAWKS (2005-11-28 20:32)


この件に関してはこれまでにかなりの議論をしました。
もしあなたが今日の記事を読んで僕にコメントを書く場合には
次の2つのスレッドをよく読んでからコメントを書いてくれるとありがたいです。
なぜなら、あなたが同じ事を蒸し返して書くことになりかねないからです。

『☆ 日本 ☆ 日本人 ☆ 日本社会 ☆ 比較文化論 ☆ 』

『国際化・グローバル化とはあなたにとってどのようなものですか?』

(同じ議論はしたくない!僕にとっては時間の無駄ですから。。。。)

NTHAWKSさんのコメントに対して僕は去年の12月3日にGOOで次のような記事を書いたのです。

『“士農工商”という身分制度はなかったのか?』

この記事に対して3日前に次のようなコメントをもらいました。


驚いたので・・・ (P)

2006-02-22 21:36:42

NTHAWKSさんは間違ってませんよ。
NTHAWKSさんは身分制度が全く無かったと言ったわけではなく、職業区分と身分制度が渾然一体となったような制度だったと言いたかったのではないでしょうか。
士分をお金で買ったり、養子に入ったりして商家から侍になったり、侍よりこっちが向いていると、浄瑠璃作家になったり、商人になったりといった話が多くあるようです。まぁ、士は武士だけど役人(公務員)でもあったわけで・・・。
絶対的なと言うほど硬直した制度ではなかったってことですね。




http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AB%E8%BE%B2%E5%B7%A5%E5%95%86


このコメントをもらったことが今日のこの記事を書くきっかけになったというわけです。
事実上、名無しのPさんに対する返信をここに書きます。


コメントありがとう!

でも、君は歴史をしっかりと

勉強していませんよ!

驚きです! (デンマン)


2006-02-23 09:43:40

まず、僕の記事にコメントを書いてくれたことに感謝しますよ。ありがとね。

でもね、君は歴史をしっかりと勉強していませんよ!
なぜそう言えるのか?

君はURLを書いていないんだよ!

君が歴史をしっかりと勉強しており、
さらに、僕が何を言いたいのか?

そのことが知りたくて僕の記事を読んでいるならば、
君は自分のURLをしっかりと書いているはずなんですよ。

僕の上の記事にコメントを書いてくれた人たちは皆そうしている。

君だけがハンドル名もURLも書いてない!

分かる?

“士農工商”はNTHAWKSさんも認めている通り、
僕の記事の主旨からは外(はず)れているんですよ。

“本筋からはずれますが”。。。とNTHAWKSさんも書いているんですよ!

一連の記事で僕は何が言いたかったのか?
君は、この最も重要なことを読み飛ばしている!

つまり、君の“読解力”が極めて乏しいことを物語っているんですよ!
しかも、君はネチケットを知らない!ネット歴もほとんどないんだよね。
図星でしょう?へへへへへ。。。。

つまり、人間的にも極めて未熟なんですよ!

僕は日本が“縦型社会”から脱却して“士農工商”のない本当に“四民平等”の
“横型社会”にならねばならない。。。。そういうことを言おうとしたんですよ。

つまり、本当の意味で日本人一人一人が“市民意識”を持つ必要があると
僕は信じているんですよ。

その“市民意識”とは?

それは社会的に自我を確立することなんですよ。

社会的に自我を確立するとは?

それは、これまでに上の記事にコメントを書いてくれた人たちのように、
少なくとも自分のハンドル名とURLを書くことができると言うことですよ!

ところが、君には出来ない!

ハンドル名も書いてなければ、URLも書いてない!
つまり、君はまだ社会的な自我が確立していない未熟者なんですよ。

僕のいう事が理解できますか?

どうしてハンドル名を書かなかったのか?
なぜ、URLを書かなかったのか?

その理由を書いてくれると、僕にも、これを読んでいる人にも、
とっても参考になると思うんですよ。

どうですか?

社会的な自我が確立しているのなら、書けるはずですよね?へへへ。。。

僕は、君を馬鹿にしているわけではありませんよ。
余り堅苦しくなると、君が更に書きづらくなると思っておどけているんですよ。。。
うへへへへ。。。。。


(laugh16.gif)

そういうわけです。

君が人間性に目覚めて理由を書いてくれると、
更に有意義な記事が書けると思うのです。

どうか協力してくださいね。

とにかく、僕の記事にコメントを書いてくれてありがとう。
感謝していますよ。(マジで。。。)

じゃあね。


(byebye.gif)




『“士農工商”という身分制度はなかったのか?』のコメント欄より





初出: 2006年2月25日



(himiko22.gif)

またお会いしましたわね。

おほほほほ。。。。

『新しい古代日本史』サイトの

マスコット・ギャルの卑弥子ざますゥ~。

これからもよろしくね。


 

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火祭りのあとで

2022-07-10 01:33:18 | 日本人・日本文化・文学論・日本語


 

火祭りのあとで

 


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デンマンさん。。。火祭り のあとで何があったのですか?


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ちょっと次のリストを見てください。。。

 


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『拡大する』

『Halloween@Shibuya』

『火祭り』

『現実主義者 馬鹿の見本』

『神武君を踊らせる廃人』


 



これはアメブロの僕のブログ「バークレーの書きたい放題!」の記事に付いた「いいねリスト」です。。。バンクーバー時間で6月29日の午前9時19分にソフトカメラで撮ったものです。。。赤枠で囲んだ箇所に注目してください。。。



デンマンさんが2017年11月2日に投稿したHalloween@Shibuya“いいね”が36個付いてますねぇ〜。。。5年も前に投稿した記事に、どういうわけで36個もの“いいね”が付いたのですかァ〜?

実は、36個、すべての“いいね”が6月29日に付いたわけではないのですよ。。。次のリストも見てください。。。

 


(fire22-06-29m.jpg)


『拡大する』

『Halloween@Shibuya』


 



Halloween@Shibuyaに“いいね”が36個付いて居るけれど、6月29日の午前9時までの24時間以内に付いた“いいね”は2個なのですよ。。。



それでも5年も前に投稿した記事に、どういうわけで2個の“いいね”が連続して付いたのですかァ〜?

“いいね”を付けた2人のアメブロ会員は、僕が6月28日(日本時間では29日)に投稿した次の記事を読んだのですよ。。。

 


(art22-06-28a.jpg)


『拡大する』

『火祭り』

『Halloween@Shibuya』


 



6月28日(日本では29日)に僕が投稿した上の記事を読んで、記事の中の赤枠で囲んであるHalloween@Shibuya をクリックして記事を読み、“いいね”を付けたのです。。。



『火祭り』を読んで、この記事に“いいね”を付けたアメブロ会員が二人、記事の中の『Halloween@Shibuya』のリンクををクリックして『Halloween@Shibuya』に“いいね”を付けたアメブロ会員がさらに二人。。。でも、たったの二人ではありませんか? どういうわけで、敢(あ)えて、この事を取り上げるのですか?

現実主義者 馬鹿の見本には“いいね”が1,075個もついている! だから、“いいね”を付けたアメブロ会員の数を『現実主義者 馬鹿の見本』と比べると、取るに足りない数です。。。でも、さらに次のリストも見て欲しい。。。

 


(fire22-06-30a.jpg)


『拡大する』

『Halloween@Shibuya』

『火祭り』

『現実主義者 馬鹿の見本』

『神武君を踊らせる廃人』


 



これはバンクーバー時間で6月30日の午後1時23分にソフトカメラで撮った「いいねリスト」です。。。赤枠で囲んだ箇所に注目してください。。。



デンマンさんが2017年11月2日に投稿したHalloween@Shibuya“いいね”が40個に増えてますねぇ〜。。。

そうです。。。『火祭り』を読んで、さらに4人のアメブロ会員が『火祭り』ではなく、Halloween@Shibuya“いいね” をつけたのですよ。。。

 


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『拡大する』

『Halloween@Shibuya』


 



つまり、29日に『火祭り』を読んだアメブロ会員が、『火祭り』ではなく、記事の中のリンクをクリックして読んだHalloween@Shibuyaに、4人のアメブロ会員が “いいね” をつけたので、こうして記事で取り上げたのですか?



そうです。。。要するに、親記事よりも、その記事の中で紹介された子供の記事を読んで、共感するものがあって、親記事ではなく、敢(あ)えて子供の記事であるHalloween@Shibuyaに、4人のアメブロ会員が “いいね” をつけたのですよ。。。

『Halloween@Shibuya』の記事の中に読者が“いいね”を付けるだけの感動を誘うようなエピソードがあるのですわねぇ〜。。。

そういうことです。。。おそらく、次の火祭りの写真とクリップを観て感動したのですよ。。。

 


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Konohanasakuya-hime


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Konohanasakuya-hime (木花咲耶姫) is the blossom-princess and symbol of delicate earthly life.

She is the daughter of the mountain god Ohoyamatsumi.

She is often considered an avatar of Japanese life, especially since her symbol is the sakura (cherry blossom).

Kono-hana is also the goddess of Mount Fuji and all volcanoes.

Kono-hana-hime is the wife of the god Ninigi.

She met him on the seashore and they fell in love.

Ninigi asked Oho-Yama, the father of Kono-hana-hime for her hand in marriage.

Oho-Yama proposed his older daughter, Iwa-Naga-hime, instead, but Ninigi had his heart set on Kono-hana because Iwa-Naga-hime was ugly.

Oho-Yama reluctantly agreed and Ninigi and Ko-no-hana married.

Because Ninigi refused Iwa-Naga-hime, the rock-princess, human lives are said to be short and fleeting, like the sakura blossoms, instead of enduring and long lasting, like stones.

Kono-hana became pregnant in just one night, causing suspicion in Ninigi.

He wondered if this was the child of another kami.

Kono-hana was enraged at Ninigi's accusation and entered a doorless hut, which she then set fire to, declaring that the child would not be hurt if it were truly the offspring of Ninigi.

Inside the hut, Ko-no-hana had three sons, Hoderi, Hosuseri and Hoori.

Shrines have been built on Mount Fuji for Konohanasakuya-hime.


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It is believed that she will keep Mount Fuji from erupting, but shrines to her at Kirishima have been repeatedly destroyed by volcanic eruptions.

She is also known for having tore up the Yatsugatake Mountains, because it was higher than Mount Fuji.






SOURCE: "Konohanasakuya-hime" from Wikipedia


 



小百合さんも、この上の写真とクリップを観て 日本には2000年も前から民間に伝わっている伝説があってぇ、現代にも、このような素晴らしい火祭りとなって脈々と受け伝えられている。。。素晴らしいことだとは思いませんか?



そうですわねぇ〜。。。確かに感動を誘いますわァ〜。。。でも、デンマンさんは、どういうわけで『火祭り』をしばしば取り上げるのですか?

ちょっと次の検索結果を見てください。。。

 


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『拡大する』

『現時点での検索結果』

『ハロウィーンと火祭り』

『火祭り』


 



Halloween Shibuya 火祭り と入れて検索したのですわねぇ〜。。。



そうです。。。すると、4,720,000件もヒットするのですよ。。。僕が投稿した「火祭り」の記事がトップに表示されるのです!

つまり、日本の火祭りのことをもっと知ってもらうために、こうして火祭りの記事をしばしば取り上げるのですか?

そうです。。。

 

日本一危険な火祭り





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【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~。。。

あなたも上の火祭りのクリップを観て肝をつぶしましたかァ〜?

ええっ。。。? 「そんなことは どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で あたくしに ご命令なさるのでござ〜♬〜ますかァ?

いけ好かないお方。。。

わかりましたわ。。。

では、デンマンさんが暮らしているバンクーバーに一度も行ったことがない人のためにバンクーバーを紹介するクリップを貼り出しますわ。

ジックリとご覧になってくださいませぇ〜♬〜。

 


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世界で最も住みやすい街バンクーバー






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ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。

だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。

じゃあねぇ~~。

 


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メチャ面白い、

ためになる関連記事




(linger65.gif)

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(house22.jpg)

■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)

■ 『かぎろいミステリー』

■ 『40代女性の魅惑』

■ 『私のバレンタイン』

■ 『バレンタイン@4月』

■ 『豆まき@バレンタイン』

■ 『夢のココナッツ』

■ 『日本の失敗』

■ 『しじみ@愛のロマン』

■ 『とろけるカレー@バレンタイン』

■ 『バレンタイン夫人』

■ 『昭和の表象空間』

■ 『ズロースなの?』

■ 『焼きそばサンド』

■ 『平成の表象空間』


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■ 『かぎろい夫人』

■ 『人気の40代女性ヌード』

■ 『宗長の奥の細道』

■ 『ネットの接続が遅い』

■ 『元気に再会しましょう』

■ 『スルーパスと芦雪』

■ 『鬼怒川の洪水』

■ 『最後の焼きそばソース@パリ』

■ 『初めてのヌード』

■ 『感じていても分かってない』

■ 『おかえりなさい』

■ 『スープカレー@再会』

■ 『またカレー?』

■ 『手作り弁当@船着き場』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)

■ 『盛り上がる@馬車道』

■ 『ゼリーフライ@鐘つき堂』

■ 『愛と憎しみの丸墓山』

■ 『忘れられない!』

■ 『大名行列@行田』

■ 『別れの朝も…』

■ 『婚外恋愛』

■ 『婚外恋愛と人間失格』

■ 『月夜の美人』

■ 『ふるさと 行田』

■ 『愛の偶然と必然』

■ 『田中角栄と軽井沢』

■ 『うさぎ追いしかの山』


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■ 『アブラッソ不在の美』

■ 『さらに軽井沢ブーム』

■ 『バンクーバーの生活』

■ 『別れの朝に』

■ 『思い出の天の川』

■ 『隠し子』

■ 『ウィーンの空』

■ 『ハルヴァ@軽井沢』

■ 『二人の母親』

■ 『アダルトダメよ』

■ 『月の男』

■ 『アダルト駄目』

■ 『ホロドモール』

■ 『ワンダフルライフ』

■ 『上原良司の自由主義』

■ 『季節外れのハロウィーン』

■ 『アダルトと成人』

■ 『やらしい夢』

■ 『ハロウィーンと火祭り』

■ 『火祭り』




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火祭り

2022-06-29 01:45:59 | 日本人・日本文化・文学論・日本語


 

火祭り

 


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デンマンさん。。。どういうわけで、火祭り を話題にするのですか?


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ちょっと次のリストを見てください。。。

 


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『拡大する』

『Halloween@Shibuya』

『季節外れのハロウィーン』

『現実主義者 馬鹿の見本』


 



これはアメブロの僕のブログ「バークレーの書きたい放題!」の記事に付いた「いいねリスト」です。。。バンクーバー時間で6月20日の午前9時11分にソフトカメラで撮ったものです。。。赤枠で囲んだ箇所に注目してください。。。



デンマンさんが2017年11月2日に投稿したHalloween@Shibuya“いいね”が29個付いてますねぇ〜。。。5年も前に投稿した記事に、どういうわけで29個もの“いいね”が付いたのですかァ〜?

実は、29個、すべての“いいね”が6月19日に付いたわけではないのですよ。。。次のリストも見てください。。。

 


(hallo22-06-20m.jpg)


『拡大する』

『Halloween@Shibuya』


 



Halloween@Shibuyaに“いいね”が29個付いて居るけれど、6月20日の午前9時までの24時間以内に付いた“いいね”は8個なのですよ。。。



それでも5年も前に投稿した記事に、どういうわけで8個もの“いいね”が連続して付いたのですかァ〜?

“いいね”を付けた8人のアメブロ会員は、僕が6月19日に投稿した次の記事を読んだのですよ。。。

 


(art22-06-19.jpg)


『拡大する』

『ハロウィーンと火祭り』

『Halloween@Shibuya』


 



6月19日(日本では20日)に僕が投稿した上の記事を読んで、記事の中の赤枠で囲んであるHalloween@Shibuya をクリックして記事を読み、“いいね”を付けたのです。。。

 


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『Halloween@Shibuya』

『季節外れのハロウィーン』


 



ハロウィーンと火祭り を読んで“いいね”を付けたアメブロ会員はたったの3人だったのに、記事の中のリンクをクリックして Halloween@Shibuya を読んだ 8人のアメブロ会員が親記事よりも子の記事の方が良かったので親記事には“いいね”を付けずに 子供の記事に“いいね”を付けた というわけですかァ〜?



そういうことです。。。さらに次のリストも見てください。。。

 


(hallo22-06-21a.jpg)


『拡大する』

『Halloween@Shibuya』

『季節外れのハロウィーン』

『現実主義者 馬鹿の見本』


 



翌日、6月21日にソフトカメラで撮ったリストです。。。



Halloween@Shibuyaに“いいね”が34個に増えましたねぇ〜。。。つまり、その後の24時間に 5個の“いいね”が付いたということですねぇ〜

そういうことです。。。

 


(hallo22-06-21m.jpg)


『拡大する』

『Halloween@Shibuya』


 



Halloween@Shibuyaに“いいね”を付けた 5人のアメブロ会員はハロウィーンと火祭り を読んでも この記事には“いいね”を付けずに、記事の中のリンクをクリックして Halloween@Shibuya を読んで 5人とも、親記事よりも子供の記事の方が良かったので子供の記事に“いいね”を付けた というわけですかァ〜?



そういうことです。。。

Halloween@Shibuya は人気があるのですわねぇ〜。。。

そうです。。。

でも、Halloween@Shibuya は英語で書かれた記事でしょう? “いいね”を付けた34人のアメブロ会員は英語が堪能(たんのう)なのですかァ〜?

たぶん英語が得意なのですよ。。。でもねぇ〜、英語が読めないとしても“いいね”を付けることができますよ。。。

それは、どういう意味ですか?

おそらく、次の火祭りの写真とクリップを観て感動したのですよ。。。

 


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Konohanasakuya-hime


(firef02.jpg)

Konohanasakuya-hime (木花咲耶姫) is the blossom-princess and symbol of delicate earthly life.

She is the daughter of the mountain god Ohoyamatsumi.

She is often considered an avatar of Japanese life, especially since her symbol is the sakura (cherry blossom).

Kono-hana is also the goddess of Mount Fuji and all volcanoes.

Kono-hana-hime is the wife of the god Ninigi.

She met him on the seashore and they fell in love.

Ninigi asked Oho-Yama, the father of Kono-hana-hime for her hand in marriage.

Oho-Yama proposed his older daughter, Iwa-Naga-hime, instead, but Ninigi had his heart set on Kono-hana because Iwa-Naga-hime was ugly.

Oho-Yama reluctantly agreed and Ninigi and Ko-no-hana married.

Because Ninigi refused Iwa-Naga-hime, the rock-princess, human lives are said to be short and fleeting, like the sakura blossoms, instead of enduring and long lasting, like stones.

Kono-hana became pregnant in just one night, causing suspicion in Ninigi.

He wondered if this was the child of another kami.

Kono-hana was enraged at Ninigi's accusation and entered a doorless hut, which she then set fire to, declaring that the child would not be hurt if it were truly the offspring of Ninigi.

Inside the hut, Ko-no-hana had three sons, Hoderi, Hosuseri and Hoori.

Shrines have been built on Mount Fuji for Konohanasakuya-hime.


(fuji199.jpg)


(fuji198.jpg)

It is believed that she will keep Mount Fuji from erupting, but shrines to her at Kirishima have been repeatedly destroyed by volcanic eruptions.

She is also known for having tore up the Yatsugatake Mountains, because it was higher than Mount Fuji.






SOURCE: "Konohanasakuya-hime" from Wikipedia


 



小百合さんも、この上の写真とクリップを観て 日本には2000年も前から民間に伝わっている伝説があってぇ、現代にも、このような素晴らしい火祭りとなって脈々と受け伝えられている。。。素晴らしいことだとは思いませんか?



そうですわねぇ〜。。。確かに感動を誘いますわァ〜。。。日本には、火祭りは どれほどあるのでしょうか?

各地で たくさんの火祭りが行われているのですよ。。。

 



火祭り


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火祭りとは、特に火や炎が重要な役割を持つ祭りである。

各地の主な火祭り

下記の他、小正月の左義長(どんど焼)は全国各地で行われている。

オロチョンの火祭り - 北海道網走市



青森ねぶた - 青森県青森市
竿燈 - 秋田県秋田市
松明あかし - 福島県須賀川市
大日向の火とぼし - 群馬県南牧村
愛宕社の火祭り - 富山県魚津市、魚津神社
滑川のネブタ流し - 富山県滑川市
向田の火祭り - 石川県七尾市能登島、伊夜比咩神社
鬼ヶ嶽火祭り - 福井県越前市、大虫神社
左義長まつり - 福井県勝山市
吉田の火祭 - 山梨県富士吉田市、北口本宮冨士浅間神社・諏訪神社(境内社)
南部の火祭り - 山梨県南巨摩郡南部町
中里の火の花祭 - 東京都清瀬市中里、中里の富士塚
秋葉の火まつり - 静岡県浜松市天竜区春野町、秋葉神社
館山寺火祭り - 静岡県浜松市西区、舘山寺
御神火まつり - 静岡県富士宮市、富士山本宮浅間大社
松明祭り - 長野県松本市浅間温泉、御射神社
榊祭り - 長野県佐久市望月町
道祖神祭り - 長野県下高井郡野沢温泉村
手力の火祭 - 岐阜県岐阜市、手力雄神社
今尾の左義長 - 岐阜県海津市平田町今尾、今尾神社
滝山寺鬼まつり - 愛知県岡崎市滝町、滝山寺
夏山八幡宮火祭り - 愛知県岡崎市夏山町、夏山八幡宮
鳥羽の火祭り - 愛知県西尾市鳥羽町、鳥羽神明社
火柱祭り - 三重県鳥羽市志摩加茂五郷
河内火祭り - 三重県鳥羽市河内町
松尾火祭り - 三重県鳥羽市松尾町
名のり・注連縄切り・火祭り - 三重県志摩市大王町
紀和の火祭り - 三重県熊野市
五山送り火(大文字の送り火) - 京都府京都市



鞍馬の火祭 - 京都府京都市左京区鞍馬、由岐神社
岩倉火祭 - 京都府京都市左京区岩倉、石座神社
お松明 - 京都府京都市右京区嵯峨、清凉寺
松上げ - 京都府京都市左京区、北区、南丹市美山町
久多の松上げ - 京都左京区久多
雲ケ畑の松上げ - 京都市北区雲ケ畑
修二会 - 奈良県奈良市、東大寺二月堂
稲村の火祭り - 和歌山県広川町、広川町役場〜八幡神社
御燈祭 - 和歌山県新宮市、神倉神社
扇祭(那智の火祭り) - 和歌山県那智勝浦町、熊野那智大社
山口七夕ちょうちんまつり - 山口県山口市
鬼すべ - 福岡県太宰府市、太宰府天満宮
鬼夜 - 福岡県久留米市大善寺、大善寺玉垂宮
火振り神事 - 熊本県阿蘇市、阿蘇神社
火の神祭り - 熊本県熊本市、近津鹿島神社
都井岬火まつり ‐ 宮崎県串間市、都井岬

スペイン

サン・ホセの火祭り - バレンシア(毎年3月)



サン・ファンの火祭り) - アリカンテ(毎年6月)

スイス

ゼクセロイテン - チューリッヒ(毎年4月)

スコットランド

シェトランド諸島のウップヘリーアー (毎年1月最終火曜日)



多くのキリスト教国

聖ヨハネの前夜祭(毎年6月末)




出典: 「火祭り」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



上の説明には行田の火祭りは載ってないのですよ。。。だから、上の記述以外にも まだ他に知られていない たくさんの火祭りがあるかもしれません。。。



でも、日本には、どうしてこれほど多くの火祭りがあるのでしょうか?

火山が多い国だからでしょうねぇ〜。。。ところで日本で一番危険な火祭りはどこの火祭りだと思いますか?

そういう危険な火まつりがあるのですかァ〜?

僕も知らなかったのだけれど、すごい火祭りがあるのですよ。。。ここにクリップを貼り出すから小百合さんも観てください。。。

 





(foolw.gif)


【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~。。。

あなたも上の火祭りのクリップを観て肝をつぶしましたかァ〜?

ええっ。。。? 「そんなことは どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で あたくしに ご命令なさるのでござ〜♬〜ますかァ?

いけ好かないお方。。。

わかりましたわ。。。

では、デンマンさんが暮らしているバンクーバーに一度も行ったことがない人のためにバンクーバーを紹介するクリップを貼り出しますわ。

ジックリとご覧になってくださいませぇ〜♬〜。

 


(stanley50.jpg)


(seawall3.jpg)


(seawall2.jpg)

世界で最も住みやすい街バンクーバー






(wetsuit.jpg)


(wetsuit3.jpg)


(gastown20.jpg)

 

ビデオを見ても、なんだかワクワクしてくるでしょう?

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。

だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。

じゃあねぇ~~。

 


(hand.gif)


メチャ面白い、

ためになる関連記事




(linger65.gif)

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(house22.jpg)

■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)

■ 『かぎろいミステリー』

■ 『40代女性の魅惑』

■ 『私のバレンタイン』

■ 『バレンタイン@4月』

■ 『豆まき@バレンタイン』

■ 『夢のココナッツ』

■ 『日本の失敗』

■ 『しじみ@愛のロマン』

■ 『とろけるカレー@バレンタイン』

■ 『バレンタイン夫人』

■ 『昭和の表象空間』

■ 『ズロースなの?』

■ 『焼きそばサンド』

■ 『平成の表象空間』


(sayuri201.jpg)

■ 『かぎろい夫人』

■ 『人気の40代女性ヌード』

■ 『宗長の奥の細道』

■ 『ネットの接続が遅い』

■ 『元気に再会しましょう』

■ 『スルーパスと芦雪』

■ 『鬼怒川の洪水』

■ 『最後の焼きそばソース@パリ』

■ 『初めてのヌード』

■ 『感じていても分かってない』

■ 『おかえりなさい』

■ 『スープカレー@再会』

■ 『またカレー?』

■ 『手作り弁当@船着き場』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)

■ 『盛り上がる@馬車道』

■ 『ゼリーフライ@鐘つき堂』

■ 『愛と憎しみの丸墓山』

■ 『忘れられない!』

■ 『大名行列@行田』

■ 『別れの朝も…』

■ 『婚外恋愛』

■ 『婚外恋愛と人間失格』

■ 『月夜の美人』

■ 『ふるさと 行田』

■ 『愛の偶然と必然』

■ 『田中角栄と軽井沢』

■ 『うさぎ追いしかの山』


(fragran11.jpg)

■ 『アブラッソ不在の美』

■ 『さらに軽井沢ブーム』

■ 『バンクーバーの生活』

■ 『別れの朝に』

■ 『思い出の天の川』

■ 『隠し子』

■ 『ウィーンの空』

■ 『ハルヴァ@軽井沢』

■ 『二人の母親』

■ 『アダルトダメよ』

■ 『月の男』

■ 『アダルト駄目』

■ 『ホロドモール』

■ 『ワンダフルライフ』

■ 『上原良司の自由主義』

■ 『季節外れのハロウィーン』

■ 『アダルトと成人』

■ 『やらしい夢』

■ 『ハロウィーンと火祭り』




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北国方言

2022-06-23 01:27:50 | 日本人・日本文化・文学論・日本語
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輩はノミである

2022-06-22 01:16:10 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

我輩はノミである


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『蚤の自叙伝』なる翻訳書が、やはり筆禍に遭った。 こちらは西洋の有名な春本で、文芸資料研究会が四百部限定で製作し、会員に頒布した。 価格は5円26銭である。 この年の歌舞伎座の正月興行の桟敷席一人当たり料金が、5円30銭。 現在同座の桟敷席は普通興行で1万6千円である。 正月興行は特別の顔見世だから、もう少し高くなる。 春本としては、良い値段であったと見るべきだろう。 臙脂(えんじ)色のラシャ紙表紙、本文351ページ、奥付はないが、訳者は佐藤紅霞(こうか)とわかっている。

 (中略)

では今では読むことができない、当時の西洋翻訳本の代表として、『蚤の自叙伝』をご紹介しよう。

書き出しは、こうである。 「私は此世に生を受けたものである、然しどうして、いつ、どこで生まれたのか申し上げることが出来ない。 何(いず)れそのことはひとりでに知れることだろうと、皆さんのご推量にまかせることにする」

ここで「私」とは、「蚤」のことである。 蚤が語り手である。 そう、皆さんがすぐさま思い浮かべるように、文豪、夏目漱石の『吾輩は猫である』だ。 あちらは猫、こちらは蚤。 実は漱石先生はこの有名な春本をヒントにして、『吾輩は猫である』を書いたのではないか、と某氏が推測していたが、もう一人の文豪の鴎外先生さえ、古今東西の春本を読了している、あながち妄説とはいえぬ。 大体、昔は(鴎外先生は、けしからぬとか馬鹿げているなどとののしるが)、春本は教養の一つで、学を好む者はひと通り目を通していた。 それが証拠に江戸期のものは、写本でたくさん残されている。 皆、啄木のように書き写して所持したのである。 断定するが、明治以降の文学者で、春本春画を愛好せぬものは一人もいない。 かの真面目な宮沢賢治でさえ、春画の収集家だった。

それはさておき、『蚤の自叙伝』は、一匹の蚤がベラーなるいささか好き者の女性に食いつく。 その蚤が眺めた世界を描いてある、といえば、それ以上の説明は不要だろう。 蚤が助兵衛なることは、皆さん経験で承知のはず。 舞台は教会で、たくさんの「僧侶」が、入れかわり立ちかわり、ベラーを相手に「秘儀」を披露する。 最も聖なるものを穢(けが)すのが、春本の基本理念である。 同時にこの本が書かれた時代は、教会が堕落しており、それを諷したとも言えよう。 




20-21ページ
『春本を愉しむ』
著者: 出久根達郎
2009年9月20日 第1刷発行
発行所:株式会社 新潮社





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デンマンさん。。。あんさんは春本を持ち出してきて漱石先生が『蚤の自叙伝』を読んでいたと言いたいん?


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そうや。。。

そやけど、『蚤の自叙伝』を読まへんでも『吾輩は猫である』というタイトルを思いつくことぐらい有り得ますやん。

もちろん、そういう事だってあるやろなァ~。

だったら春本を持ち出してきて『蚤の自叙伝』と『吾輩は猫である』を結びつける必要ないやんか!

あのなァ~、わては漱石先生が間違いなく『蚤の自叙伝』を読んでいたと思うのや。

その証拠でもあるの?

芥川龍之介がエロ本を探して欲しいという依頼の手紙を書いてるねん。 ちょっと次の部分を読んで欲しいねん。

 


大正10年3月、芥川はある人にこんな手紙を書いている。

「拝啓 支那の本中楊貴妃の生殖器なぞの事を書いた本と云(い)ふのは何と云う本ですか御教示下されば幸甚です
なほそんな本で面白いのがあつたら御教へくださいませんか
僕の知つてゐる誨淫(かいいん)の書は金瓶梅。
肉蒲団。 杏花天。 牡丹奇縁。 痴婆子。 貪官報。 歓喜奇観。 殺子報。 野嫂曝言(やそうばくげん)。

 


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如意君伝(にょいくんでん)。 春風得意奇縁(しゅんぷうとくいきえん)。 隔簾花影(かくれんかえい) 等です
以上」




172ページ 『春本を愉しむ』
著者: 出久根達郎 2009年9月20日発行
発行所: 株式会社 新潮社


 



わたしは芥川龍之介がエロ本を読んでいたということを問題にしているのではないねん。 漱石先生のことを訊(き)いてるねん。



分かってるがなァ。

だったら、漱石先生の手紙でも出したらどうなん?

あのなァ~、芥川龍之介が師と仰いだのが漱石先生なのやァ。

つまり、弟子が中国の有名な春本をすべて読んでいるので師である漱石先生が『蚤の自叙伝』を読んでないわけがないと、あんさんは言わはるの?

そうや。。。しかも、『春本を愉しむ』の著者は次のように書いてるねん。

 

断定するが、明治以降の文学者で、

春本春画を愛好せぬものは一人もいない。

かの真面目な宮沢賢治でさえ、

春画の収集家だった。


 

鴎外先生は「けしからぬとか馬鹿げているなどとののしるが」それでも古今東西の春本を読んでいた。 しかも『ヰタ・セクスアリス(性的生活)』という作品まで書いていた。

 


僕は女の体のある部分を目撃したことがない。 五月雨の晴れたころであった。 僕が裏庭の蔵の前で遊んでいると、ときどき家に来る勝(かつ)という娘がやってきて遊ぼうという。 僕はたちまち「あの縁から飛んで遊ぼう」と一計を案じた。

「こうして飛ばんと、着物が邪魔になっていけん」

僕は尻をまくって活発に飛び降りた。 勝はしばらく困った顔をしていたが、無邪気で素直な子であったので、とうとう尻をまくって飛んだ。 僕は目を丸くして覗いたが、白い脚が二本、白い腹に続いていて、なんにもなかった。 僕はおおいに失望した。

 (中略)

僕は東先生の家にいるあいだ、性欲上の刺激を受けたことは少しもない。 強いていえば、書生と手伝いの女とが話をしていたのを聞いた。 女の器械はいつでも用に立つ。 心持に関係せずに用に立つ。 男の器械は用に立つときと用立たないときとがある。 女は耳を真っ赤にして聞いていた。 僕は不愉快を感じて、自分の部屋に帰った。

 (中略)

金井君はある夜ここまで書いた。 金井君は腕組みをして考え込んでいる。 金井君は一度も自分から攻勢を取らねばならないほど強く性欲に動かされたことはない。

 


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いったん筆を置いて考えてみると、このような不必要の衝突が偶然に繰り返されるのを書くのが、無意義ではあるまいかと疑うようになった。 金井君は断然筆を絶つことにした。 そしてつくづく考えた。 世間の人は性欲の虎を放し飼いにして、どうかすると、その背に騎(の)って、滅亡の谷に墜(お)ちる。 自分は性欲の虎を馴らして抑えている




19 - 22ページ 「ヰタ・セクスアリス」
『あらすじで読む日本の名著 No.3』
編者: 小川義男
2003年12月28日 第1刷発行
発行所: 株式会社 樂書館


 



『春本を愉しむ』の著者は鴎外先生が「けしからぬとか馬鹿げているとののしるが」と書いているけれど、上の文章を読むと春本や性欲がけしからぬとか馬鹿げているとののしったわけではないねん。



鴎外先生は何をけしからぬ、アホらしいと思うていたん?

鴎外先生は次のように書いてるねん。

世間の人は性欲の虎を放し飼いにして、

どうかすると、その背に騎(の)って、

滅亡の谷に墜(お)ちる。

自分は性欲の虎を馴らして抑えている


つまり、性欲に振り回されているような人間になるのはけしからん、アホらしいと言うてはるのやね?

そうなのや。。。実は、『ヰタ・セクスアリス』は1909(明治42)年に発表されたのや。 でも、この作品を掲載した『スバル』7号は発売禁止処分を受けてしもうたのや。

どうして。。。?

性的表現が多すぎて社会に悪影響を及ばすと関係当局が考えたのやがな。 当時、鴎外先生は47歳やった。 陸軍軍医総監・医務局長の要職についていたのや。

仕事を辞めさせられてしもうたの?

辞めさせられへんかったけれど、上司から叱られたそうや。

鴎外先生は、内心ではそのような堅物(かたぶつ)の上司もけしからん、アホらしいと思うていたん?

そうや。。。鴎外先生は両極端を嫌っていたようや。 春本や性欲を何が何でも害悪視する堅物(かたぶつ)を嫌悪しておったようや。

春本や性欲に振り回されるって具体的にどういうことやねん?

あのなァ~。。。興味深い具体例があるねん。

そんなら、もったいぶらんで話したらええやん。

石川啄木の面白いエピソードや。 ここに書き出すから、めれちゃんも読んでみたらええやん。

 


「創作の興と性欲とは よほど近いように思われる。 貸本屋がきて 妙な本を見せられると、なんだか読んでみたくなった。 そして 借りてしまった。 ひとつは“花のおぼろ夜”、ひとつは“なさけのトラの巻”。 “おぼろ夜”の方をローマ字で 帳面にうつして、三時間ばかり ついやした」

 


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石川啄木がローマ字で日記にこう記したのは、明治42年4月14日の項である。 妙な本とは春本のことだが、啄木は大いに気に入ってしまい、翌日も書き写して、寝たのは午前三時であった。 目がさめたのは十時半頃で、とうとう勤めを休んでしまった。 啄木はこの頃、東京朝日新聞社の校正部で働いていたのである。 休んで何をしたかというと、春本を書き写していた。 夜っぴて、せっせと写していた。 午前二時頃、火事があった。




101ページ 『春本を愉しむ』
著者: 出久根達郎 2009年9月20日発行
発行所: 株式会社 新潮社


 



あらっ。。。エロ本を午前3時までかけて写して会社を休んでしまいはったのやね。 うふふふふふ。。。



石川啄木は何かにつけて熱中してしまうタイプやったのやでぇ。。。それで無理をして若くして病魔に冒されて早死にしてしもうたのやがな。

鴎外先生はお医者さんやったので啄木先生と比べると、さすがに長生きしてはるわ。

そうや。。。鴎外先生は確かに「性欲の虎を馴らして抑えてい」たので勤務に差し障りが無いように無難に過ごす事ができたのや。

そやけど、『ヰタ・セクスアリス』を発表して上司に叱られてしもうたやないの。

まさか、上司が『ヰタ・セクスアリス』を読むとは思わんかったのやろなァ。。。

それにしても、鴎外先生はどうして『ヰタ・セクスアリス』を発表しやはったん?

『ヰタ・セクスアリス』が発表されたのは1909年やけれど、その2年前、つまり、1907(明治40)年に田山花袋が『蒲団』を発表したのや。

つまり、『蒲団』に対抗するつもりで鴎外先生は『ヰタ・セクスアリス』を書きはったん?

対抗するつもりと言うよりも批判するつもりやったと思うでぇ~。。。

いったい『蒲団』のどの部分に鴎外先生はアホらしさを感じはったん?

次の部分やと思うでぇ~。。。

 



(mauve12.jpg)

 

意を決した(女弟子の)芳子は(中年作家の)時雄に一通の手紙を手渡す。 そこには隠し続けていた(恋人の)田中との関係の告白と、時雄を欺いたことに対する煩悶、詫びが書かれていた。 心を激した時雄は、すべてを打ち明けて懺悔をしようとした芳子の態度を解釈する余裕がないまま、師として父親のもとに帰るように命令するのであった。

翌朝、なにも知らない田中は時雄を訪ね、芳子がすべてを打ち明けたことを知らされる。 羞恥の念と激昂の情と絶望とが田中の胸を刺した。

時雄の胸は激してはいたが、恋する女を競争者から父親のもとに戻したことで、前よりは軽快になっていた。 同時に、芳子のその美しい表情を見ることができなくなる侘しさも感じていた。

時雄と芳子、父親の三人は最後の会食をすませ、新橋の停車場に向かった。 わが身と芳子とに尽きない縁を感じていた時雄は、発車を待つ間、芳子と結婚した場合の自身の姿と、その可能性を空想していた。

発車直前、芳子は柱のかたわらに一人の男が立っているのを見つけ、胸を轟かせる。 しかし、空想にふけっていた時雄はその存在を知る由もなかった。

芳子が去ったあと、時雄には、再び荒涼たる生活が待ち受けていた。 時雄は芳子が使っていた二階の部屋に入っていった。 かすかに残っている芳子の面影を偲びたかったのである。

部屋は芳子がいたときのままで、恋しい人がまだここで暮らしているのではないかと錯覚するほどであった。 時雄は芳子が使っていた蒲団と夜着を引き出し、女の懐かしい油と汗の匂いを心ゆくまで嗅いだ。

性欲と悲哀と絶望とがたちまち時雄の胸を襲った。 時雄はその蒲団を敷き、夜着をかけ、冷たい汚れたビロードの襟に顔を埋(うず)めて泣いた




57 - 58ページ 「蒲団」
『あらすじで読む日本の名著』
編者: 小川義男
2003年11月19日 第15刷発行
発行所:株式会社 樂書館


 



この上の最後の赤字にした部分が鴎外先生には気に喰わんかったと思うねん。



それほど問題にいなるところやろか?

鴎外先生は1862(文久2)年生まれやがなァ~。。。つまり、江戸時代の末期に侍の息子として生まれたのやがなァ。。。女弟子が使っていた蒲団と夜着を持ち出してきて、女の懐かしい匂いを心ゆくまで嗅(か)いで中年作家がビロードの襟に顔を埋めて泣く。 そんな姿を見ることは、武士に生まれついた鴎外先生には女々しいとしか思えなかったのやァ。 愛欲と性欲に翻弄される中年作家の姿は、まさに「性欲の虎を放し飼いにして、どうかすると、その背に騎(の)って、滅亡の谷に墜(お)ち」てゆくように見えた。 それで、鴎外先生は筆を取らずにはおられんかったのや。

そないにして書いたのが『ヰタ・セクスアリス』やと、あんさんは言わはるの?

そうやァ。。。でもなァ、鴎外先生の批判をよそに、田山花袋は『蒲団』によって日本の自然主義の方向を決定付けた。 この作品が“私小説”の始まりとなったのやがなァ。

あんさんも、そないに思うてはるの?

いや。。。『蒲団』は田山花袋にとって習作やったと、わては思うとるねん。 本当に書きたかったのは『田舎教師』やったのやァ。。。その事については次の記事の中で書いたから、ここでは、これ以上言うつもりはないねん。 時間があったら、めれちゃんも読んでみィ~なァ。

 


(tayama2.jpg)

『「蒲団」と「田舎教師」』

(2009年9月24日)


 



要するに、田山先生の『蒲団』が発表されて、当時の文壇の主流が自然主義に占められていったのやね。



そういう事になってるねん。 鴎外先生は、性欲の虎が走り回っているような自然主義文学への風刺として『ヰタ・セクスアリス』を書いたのや。

そう言えば漱石先生も自然主義文学にハマりませんやったなァ~。

そうなのやァ。。。その点は鴎外先生とよく似ている。

二人とも古今東西の春本には明るかったのに性欲の虎に振り回されんかった。 鴎外先生は性欲の虎を飼い馴らしはったけれど、漱石先生は、どうしやはったん?

漱石先生は「則天去私」に徹したのやんか!

「天に則(のっと)り、わたくしを去る」とは、どういうことですねん?

私的視点や私心に囚われずに、私情や性欲から距離を置いて俯瞰的に物事を捉えると言う事やん。。。

そやけど、表現者として「わたくしを去る」ことは無理やと、わたしは思いますわ。

もちろん無理や! 要は、性欲の虎に振り回されんようにしよう!と言う事なのやァ。 そやから、漱石先生は『我輩はノミである』ではなく、『吾輩は猫である』を書いたのやァ。 うししししし。。。




初出:2011年2月9日



【レンゲの独り言】


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ですってぇ~。。。
漱石先生が自然主義に走っていたら、『蚤の自叙伝』ならぬ『我輩はノミである』を書いていたかもしれません。

ところで『蚤の自叙伝』は、エロ事に積極的なベラーさんと好色な神父・アムブローズさんが登場します。


出来るだけ彼女の股を広げ、しばらく、その真白な下腹の末に現れた、美しい桃色の裂け目を眺めておりましたが、やおら身をかがめ、防ぐまもなく、彼は、ベラーさんの股間へ顔を差し入れ、色情を誘発する舌先を湿(うるお)いきった陰溝の中へ、出来るだけ深く突込み、巧みに舐め廻しました。
ベラーさんは、情慾をいやがうえにもそそられ、身も心も溶けるように恍惚となり、体を震わせておりました。
(略)やがて彼女はドロドロした精汁をしたたかに出しかけました。
それを師父アムブローズは舌打ちしながら、とろろでも吸うように、うまそうに吸い取りました。




22ページ 『春本を愉しむ』
著者: 出久根達郎 2009年9月20日発行
発行所: 株式会社 新潮社


このありさまをノミが観察しているというお話です。
そして、ノミは次のように告白します。



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なんぼ生まれつき凡蔵(ぼんくら)な私だとて、現在、自分の目の前で、起こっている出来事に対して、知らん顔をしているわけにも参りません。 常日頃に倍して一しお敏感に五官を動かしました。 そして我ながら馬鹿らしい程両頬を熱くしたのです。


とにかく、さらに興味深い話題が続くと思います。
あなたもどうか、またあさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。


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『小百合さんの香水10月14日)』




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こんにちは。ジューンです。

『デカメロン』(Decameron)という作品があります。

ジョヴァンニ・ボッカッチョによる物語集です。

デカメロンはギリシャ語の「10日」(deka hemerai)

に由来しています。

1348年にイタリアで大流行した

ペストから逃れるために

邸宅に引き篭もった男3人、女7人の10人が

退屈しのぎの話をするという趣向です。

10人が10話ずつ語り、全部で100話あります。

内容はユーモアと艶笑に満ちた恋愛話や失敗談などで、

エロいお話もたくさん出てきます。

そうなのです。『千一夜物語』からも影響も受けています。

退屈しない読み物ですよ。

もし、時間があったらあなたも図書館から本を借りてきて

ぜひ呼んでみてくださいね。

ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら、ぜひ覗いてください。

『あなたのための楽しい英語』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。



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日本で一番長い五月

2022-05-24 00:33:59 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 

日本で一番長い五月

 



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デンマンさん。。。 あんさんは、どないなわけで けったいなタイトルを付けはったん?


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ん。。。? けったいなタイトル?

そうですがなァ~。。。 五月は31日と決まってますねん。。。 それ以上でも、それ以下でもあらへん。。。 それやのに、“日本で一番長い五月”なんてぇ、あるわけあらへん。。。

あのなァ~、めれちゃん。。。、映画のタイトルで“日本のいちばん長い日”というのんがあるねん。

 


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あらっ。。。 ホンマやわァ~。。。で、あんさんは上の映画を観やはったん?



もちろんやがなァ~。。。 わては、その事で かつて次のような記事を書いてるねん。

 



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デンマンさん。。。 “日本の一番長い日”ってぇ~、いつのことでござ~♪~ますかァ~?


(kato3.gif)

あのねぇ~、正確に言うと1945年(昭和20年)8月14日の正午から、国民に対してラジオ(日本放送協会)の玉音放送を通じてポツダム宣言の受諾を知らせる8月15日正午までの24時間のことです。

何で、急に“日本の一番長い日”を取り上げたのですか?

あのねぇ~、僕はバンクーバー市立図書館でDVDを借りて上の映画をしばらくぶりで観たのですよ。

 


(lib40830.png)

『実際のカタログページ』

 



これがバンクーバー市立図書館の“日本の一番長い日 (Japan's Longest Day)”を紹介しているカタログページですか?



そうです。

デンマンさんは、2014年8月28日に観て、それから上のコメントを書き込んだのですか?

そうです。

。。。で、どのような内容なのでござ~ますか?

『ウィキペディア(Wikipedia)』には次のように書いてありますよ。

 


日本のいちばん長い日

 


(longday3.jpg)

『日本のいちばん長い日』は、1967年に公開された日本映画。製作及び配給は東宝で、東宝が創立35周年を記念して製作した白黒映画。

大宅壮一の名で発表されたノンフィクション『日本のいちばん長い日』(文藝春秋、初版1965年)を、東宝創立35周年記念作品として映画化。

タイトルの「日本のいちばん長い日」とは、昭和天皇や閣僚たちが御前会議において降伏を決定した1945年(昭和20年)8月14日の正午から、国民に対してラジオ(日本放送協会)の玉音放送を通じてポツダム宣言の受諾を知らせる8月15日正午までの24時間を指している。

陸軍将校の暴発(宮城事件)や厚木飛行場の小園安名大佐の反乱(悩乱)、政府首脳等の苦衷を通して、ポツダム宣言の発表の後、広島と長崎への原子爆弾投下を経て迎える8月14日から15日にかけての極限状態の1日を中心に、ポツダム宣言を受諾するまでの大日本帝国の姿を描く。
テーマとは別に異常なまでのカットバックとナレーションの多さも、多くの議論を起こした。今日でも脚本家「橋本忍」論の重要なテーマである。

原作はクレジット上では「一億総白痴化」「駅弁大学」など多くの名言を残した、ジャーナリストで評論家の大宅壮一となっているが、実際は当時『文藝春秋』の編集者で、後に作家となる半藤一利が執筆した。
俳優陣も三船敏郎以下豪華な顔ぶれとなり、いわゆるオールスター映画とされる。


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ラストの青年将校たちが疾走する砂利が敷かれた広場は本物の皇居二重橋前であり手持ちのカメラも含め、普通は撮影許可は下りない場所である。
監督の岡本喜八は逮捕を覚悟の上でゲリラ的にロケを敢行し、制止されてもおかしくはないと考えていたが、警備員達は笑いながら見物しているだけで特に問題は起きなかったという。

なおエンディングの配役クレジットタイトルは、昭和天皇役の八代目松本幸四郎以外は登場順で表示された。




出典: 「日本のいちばん長い日」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 


(longday1.jpg)



 



あらっ。。。 予告編を見ただけでも なんだか すごい映画ですわねぇ~。。。



卑弥子さんは まだ一度も観たことがないのですか?

あたくしは戦争の映画が嫌いなのでござ~ますわァ。

どうして。。。?

だってぇ~、なにも好んで戦争の映画を観ることはないじゃありませんか! 幸せな気分にはなりませんもの。。。

確かにその通りです。 でもねぇ~、戦争の悲惨さを忘れて、また戦争に備えて軍備を調えなければならないと、真面目に本まで出版して書いている“とっちゃん坊や”が居ますからねぇ~。。。

そう言えば、デンマンさんは次の記事を書いていましたわねぇ~。

 


(tchan02.jpg)

『とっちゃん坊やも日本を滅ぼす』

 



戦争を繰り返さないためにも、世界のネット市民が上の映画を観るべきだと僕は思いますね。



それで、デンマンさんは世界のネット市民の皆様が上の映画を観るように英語でコメントを書き入れたのでござ~ますか?

そうなのですよう。

でも、デンマンさんがコメントを書いたぐらいでカナダ人がDVDを借りて観るものなのですかァ~?

それがバンクーバー市立図書館には現在 上の映画の DVD が 2本しかないのだけれど、どれも借り出されてカナダ人が観ているのですよ。

 


(lib40901.png)

『拡大する』

『デンマンが観た映画のページ』

 



上のリンクをクリックして 赤い矢印で示した Availavility details をクリックすると 現在 2本の DVD がどうなっているかを示すウィンドーが飛び出します。



つまり、デンマンさんが書き込んだコメントを見て、二人のカナダ人が DVD を借りたのですか?

そうです。 その人たちが観てからコメントを書けば、さらに多くの人が見るのですよ。

どうして、そうだと解るのですか?

あのねぇ~、コメントを書くと図書館のログイン ページに次のように DVD のカバー写真が出るのですよ。

 


(lib40902.png)

『ログイン ページ』

 



上の赤枠で囲んだ The Crown Prince という DVD も 借りた人が観終わってコメントを書き込んだので、こうしてログイン ページに表示されるのです。



つまり、デンマンさんがコメントを書き込んだ時には Japan's Longest Day のDVDのカバー写真が表示されていたのでござ~ますか?

そうですよ。 それを見た人が 2本の DVD を借りたというわけです。

。。。んで、上の映画を観ると、どのような感想を持つのでござ~ますか?

戦争の悲惨さを実感できるのです。 要するに、戦争というのは3年も5年も続けば、ほとんどの一般市民は、夫や兄弟や親戚の若者が戦死して、悲しい思いにさらされる。 それに、食糧事情も悪くなって、厭戦気分になるものですよ。 つまり、以前にも書いたけれど、宮松芳子おばあちゃんのように、「もう戦争はこりごりだわ」という気持ちになるのですよ。

 


戦後50年と私

 


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(終戦の)1年前、結婚して7年半だった主人は、赤紙とともに南方の島フィリピンに送られていました。
もちろんなんの消息もなく---生きているのか死んでいるのかも知れず---人づてに最初はミンダナオ島に送られたと聞いておりましたが、その後セブ島に渡ったという噂もあり、本当のところはわからずじまいです。

軍人でもない1民間人だった36歳の主人は、家計が裕福だったこともあり、趣味の油絵を勉強するために「戦争が終わったらフランスに行ってみたい……」などと、夢のようなことを言っておりました。
しかし、それも実現しないまま、帰らぬ人となってしまいました。


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出征したあの日のことは、今でも鮮明に脳裏に焼きついております。 (略) 1歳の次女を背に、6歳の長女、4歳の長男の手を引き、みんなと駅までぞろぞろ歩いては行ったものの主人の姿は見当たりません。
どうしたことかと心配していましたが、汽車の出発時間も迫ってくることですし、見送りの方々もプラットフォームに上がって来られました。
私も一緒に上がって行きましたら、なんと主人は長いホームの先端にたった一人で立っていたのです。

戦争を心底憎み、自由人でありたいと願っていた主人のやり場のない思いが、そんな行動を起こさせたのかもしれません。
軍律の厳しい軍隊の中で、その後どう生活したものかと考えると、胸がふさぎます。

終戦の翌年、昭和21年3月に、政府から正式に死亡公報が送られてきたときには、「皆さんと一緒に出発しなかったからよ」と、一人ごちたものでした。
同時に出征した町内の若者二人は無事帰還しましたが、桐箱の中に石と化した主人は、いったいどんな死に方をしたのでしょうか。
目の前で死を確かめていない別れ方は、いつまでもいつまでも中途半端な思いを引きずるものです。


(dokuro3.gif)

 (中略)

しかし人間というものは、本当に悲しいときには涙は出ないものだということを、この主人の死によって私は身をもって体験しました。
主人の遺骨の箱を手にした時は、涙よりも先に自分の肩にずっしりとかかってくるこれからの生活と、混沌とした将来を思い、「とにかく、しっかりしなければ」と自分に言い聞かせました。
「何があってもこの家族を飢え死にさせることはできない……」と心に誓ったとき、涙の一滴も落とす余裕はなかったのです。

 (中略)

(横浜のカトリック系)女学校で夢中で勉強した英語のおかげで、その後、私は外国商社で仕事をはじめました。
終戦直後、舅を送り、姑とは25年間生活をともにし最期を看取りました。
戦後のどさくさで荒稼ぎする人も多いなか、女の細腕を頼りの生活は本当に心細いこともたびたびでしたが、みんなが健康であってくれたのが何よりと思っております。

進駐軍の手から初めて日本側に戻された横浜のデパートというものを、「デパートってなあに?」と不思議がる次女に「何でも売っている所よ」と言ったら、「じゃあ、お父様を買ってきてよ」とダダをこねて私を困らせたものです。

その娘の住むトロントに移住して今年で18年が過ぎ、こちらの生活にもすっかり慣れました。
日本のように物があり余るぜいたくさはないにしても、生活に不自由しない適度な余裕を心から有り難いと思います。

そして、ここに来てからお知り合いになったご親切にしてくださる多くの方々との繋がりは、85歳という人生の先が見えている者には、何にもましての財産と日々感謝しております。

主人と、また沖縄の高射砲部隊で弟をも戦死させたこの大戦の「私の戦後」は死ぬまで消えることはないにしても、あの軍国主義の日本がなくなったことは、一日本人として全く悔いがないことを最後に付け加えたいと思います。

赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真とイラストはデンマン・ライブラリーより)




213-218ページ 『カナダ生き生き老い暮らし』
著者: サンダース・宮松敬子
2000年12月10日 第1刷発行
発行所: 株式会社 集英社

『きびしい暮しの中のロマン』にも掲載。
(2014年7月28日)


 



この宮松芳子おばあちゃんのようにあの軍国主義の日本がなくなったことは、一日本人として全く悔いがないことを最後に付け加えたいと思いますというのが、あの戦争を経験した人たちの実感だと思うのですよ。 ところが、上の映画で観ても解るように、負けるのが判っているのに日本人が最後の一人になるまで戦争を続けなければならない!と思い込んでいる狂気じみた軍人がいたのですよ。



マジで。。。?

上の映画を観れば解ります。




『日本の一番長い日』より
(2014年9月1日)


 



なるほどォ~。。。 あんさんも上の映画を観やはってぇ~、いろいろと考えはったのやねぇ~。。。



そうやがなァ~。。。

わたしも観てみたいわァ~。。。

あのなァ~。。。、今年の8月に『日本のいちばん長い日』のリメイクができるねん。

 


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そやから、8月8日に公開された時に観に行けばええやん。。。



それで、“日本で一番長い五月”というのは、日清戦争の終戦の日のことやのォ~。。。?

ちゃうねん。。。

そいじゃあ、日露戦争の終戦の日のことやのォ~。。。?

ちゃうねん。。。 戦争とは全く関係あらへん。。。

いったい いつの5月のことやのォ~。。。?

2006年の5月やんかァ~。。。

2006年の5月に、いったい どのような大事件があったと、あんさんは言わはるのォ~。。。?

あのなァ~。。。、2006年の5月には、めれちゃんが呆れるほど長い日記を書いていたのやがなァ~。。。

つまり。。。、つまり。。。、あんさんは わたしの書いた 2006年の5月の日記を見て“日本で一番長い五月”というタイトルにしやはったん?

あきまへんかァ~?

そやかてぇ~。。。 そやかてぇ~。。。 わたしの長い日記などを取り上げはっても、ネット市民の皆様は退屈するだけやん!

そういう人もおるやろなァ~。。。 そやけど、めれちゃんの熱烈なファンもたくさんおるのやでぇ~。。。 そやさかいに、そういう人のために、ここで、“日本で一番長い五月”を再現しようと思ったわけやがなァ~。。。

どのように。。。?

次のように。。。

 


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『特別な愛を捧げる人』(1-5日)

 


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『「詩」で検索して見に来てくれた』(6-7日)

 


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『大好きな夏』(8-9日)

 


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『えっちなんです』(10-11日)

 


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『エロマンガ島』(12-13日)

 


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『マカオのおかま』(14-15日)

 


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『わたしの生きる意味』(16-17日)

 


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『愛と信頼と絶望』(18-21日)

 


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『最大限の本音で…』(22-23日)

 


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『こわ~い話』(24-26日)

 


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『喪失して超ショック』(27-28日)

 


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『夢みるわたし』(29-31日)

 


 



めれちゃんの2006年5月の日記が呆れるほど長いさかいに、こないして 12回に分けて紹介したのやがなァ~。。。



あんさんも 物好きやねぇ~。。。

めれちゃん!。。。 物好きで めれちゃんの日記を取り上げているのやあらへんでぇ~。。。 めれちゃんの失われた日記に きらめくモノを見たさかいに こうして取り上げているのやんかァ~。。。

そないに言うてくれるのは あんさんだけやねぇ~。。。

いや。。。 わてだけとちゃうでぇ~。。。 岩下さんも次のように言うてたのやがなァ~。。。

 


新しい才能を直感

 


(lonely30.gif)

つまり寂寥感なんですね。
孤独なんですね。
詩は、でも癒してはくれません。
孤独を際立たせるだけです。
他者に訴えるには、それなりのフィクションが必要です。
虚実皮膜の間でしか芸術はありません。

こどくな心情を吐露して、
自分の死にたがっていることを、主張しても、
他人は喜びません。
文学も詩も所詮エンタメですから、
多くの視聴者を得るしかありません。
それ以外は自慰行為です。

孤独な詩は、孤独な死であり、
表現はエンタメ、それほど自分を貶めたくない、
芸人になりたくないのなら、自慰行為をつづけるしかありません。

小説家や詩人にたくさん会いましたが、
彼らは自分を売る芸人でした。
それが悪いとはいいませんが、
それをしたくない人間はブログしかありません。
どこかでだれかが、こころの叫びをきいているかも、


というパーソナルな、しかしみえないつながりしかありません。
でもマスコミのように汚れていない、
ミニコミは、これからの芸術かもしれません。


ネットサーフィンしてたら、
たまたま新しい才能を直感したので、コメントしました。
ブログのタイトルが変わっても、本質はおなじです。
がんばってください。応援します。


 

岩下俊三

July 30, 2009 17:00




『「極私的詩集」 極私的詩集にチェーンジ!』
コメント欄より

『美しい愛のコラボ』に掲載
(2009年11月26日)


 



解るやろう、めれちゃん。。。 そやから、めれちゃんも 夢と希望を胸に抱いて、ノーベル賞を目指して頑張りやァ~。。。



あんさんが、そないに言うよってに、最後になってぇ、この記事を読みはってるネット市民の皆様が白けるやん。

さよかァ~。。。 とにかく、戦争で人が死ぬよりましやでぇ~。。。




初出:2015年5月6日



(laugh16.gif)


【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ~。。。

ところで、めれんげさんは 2013年の6月に『即興の詩』サイトを再開しました。

めれんげさんの『即興の詩』サイト

再開して間もないのに 検索結果 3,960,000件中の 9位に躍り出るなんてすごいですよね。


(gog30703.gif)

『現時点での検索結果』

現在、めれんげさんは お休みしています。
でも、これからも、ブログを通して「愛のコラボ」を続けて欲しいですよねぇ~。。。

かつて めれんげさんの「即興の詩をはじめました!」の『極私的詩集』サイトは 次の検索結果で見るようにトップを占めていたのです。


(gog30928a.png)

でも、現在は、10位内に はいってません。

また、ブログを更新して トップに返り咲いて欲しいものです。

ところで あなたは「どうしたら、上位に掲載されるのォ~?」と考えているかもしれません。

その秘訣を知りたかったらデンマンさんが面白い記事を書いていますわ。

次のリンクをクリックして読んでみてください。


(seo001.png)

『おばさんの下着に見るSEO』

話は変わりますけれど、めれんげさんは可愛い猫を飼っています。

あなたも、猫ちゃんを飼っていますか?

ええっ。。。 ワンワンちゃんを飼っているのですか?

そういえばデンマンさんが『ワンワンちゃん』という面白い記事を書いていました。

気が向いたら下のリンクをクリックして読んでみてください。


(dog202.jpg)

『ワンワンちゃん』

とにかく、次回も興味深い話題が続きます。

あなたもどうか、また読みに戻ってきてくださいね。

では、また。。。


(hand.gif)



(surfing9.gif)

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(june24b.jpg)

こんにちはジューンです。

卑弥子さんが面白いお話を集めて

楽しいサイトを作りました。

次のリンクをクリックして

ぜひ覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ



(beach02.jpg)


(byebye.gif)
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スルーパスと芦雪

2022-05-22 01:19:45 | 日本人・日本文化・文学論・日本語
 

スルーパスと芦雪

 


(nakata02.jpg)


(rosetsu81.jpg)


(salon22.jpg)





デンマンさん。。。 今日はなんだか場違いな所に出てきてしまいましたわ。



。。。ん? 場違い。。。? どうしてですか?

だってぇ~。。。 サッカーと掛軸のお話でしょう?

いや。。。 サッカーと掛軸の話ではないのですよ。

でも、上の写真はサッカーと掛軸ですわ。

確かに、写真を見るとサッカーと掛軸なのだけれど、実は、話のきっかけにサッカーと日本画家の長沢芦雪(ろせつ)が出てくるのですよ。

それで、サッカーと掛軸の写真を出したのですか?

そういうことです。。。

。。。で、そのきっかけのお話というのはどういうことなのですか?

あのねぇ~、バンクーバー市立図書館で本を借りて読んでいたら次の箇所に出くわしたのです。

 


中田のスルーパスと芦雪

 


(nakata02.jpg)



 

かつて中田英寿が現役だった頃、伝説的なパスがあった。
と、言っても、実は、私自身そのプレーを見たわけでなく、サッカー好きの友人が何度も熱弁をふるって、あたかもそこでその試合が行われているかの如くしゃべるのを聞いているうちに、私の内でもテレビで見たかのように如実な記憶として育ってしまったのである。

ご存じの通り、パスとは通常、サッカーやバスケットボールなどの球技で「送球」、つまり持っていたボールを味方に渡すことであるが、パスの中にもいろいろ種類がある。
もらったボールをくれた人に戻すリターンパスや自分のところに来たパスボールをそのまま即時に誰かにパスするダイレクトパスなどがある。

他にもサッカーに特有なものとして、スルーパスというものがある。
スルーとは“through”つまり、「~を通り抜けて」という意味である。

相手ディフェンダーの間にボールを蹴り込み、通り抜けさせて、その背後に走り込む味方に合わせるパスのことである。
成功すると一気に形勢が変わり、得点できるチャンスが生まれる。

ある試合、走っている中田に味方から速めのパスが来た瞬間のことである。
縦目の速いパスだったので、たまたま中田は、そのボールに触れずにしばらく全力で併走し、敵陣をめざす結果となった。

 (中略)

その直後のことである。
観客は思いも寄らぬ行為を見ることになるのである。
一体中田はどんなプレーをしたのか。

中田は、なんと何もしなかったのである。

それまで、ドリブルも行わず、その速いボールに付き添うように全力で併走していた中田は、スルーパスを出したい選手に正確に出すには、今のボールが持っている角度とスピードが最適であると判断した。
そして、そのままそのボールから離れたのだ。
すると、果たせるかな、ボールはなんと、受けてほしい味方の選手の前方、最良のポイントに躍り出たのである。

中田の伝説的なパスは、中田が少しも触れていないパスなのである。
何もしなかったが故に最高のパスになったのだ。 

(略) こんなことを思いおこしながら、画家の福田美蘭(みらん)さんが日本経済新聞に寄せた永沢芦雪(ろせつ)の解説記事を読んでいた。
(略) その記事は平成18年の7月のものである。 
気になって切り抜きにしてあったものの いつの間にか紛失し、忘れてしまっていた。
それが、机の上を片付けた拍子に (略) 発掘されたのだ。
その切り抜きには、最初に読んだときにも感じたのか、青いボールぺンで「中田のスルーパスのような……」と私の筆跡で走り書きのメモが端に書かれていた。 

芦雪は近年、人気のとみに高い若冲(じゃくちゅう)と同じく江戸時代後期に京都で活躍した日本画家だが、その解説は「白象黒牛図屏風」について書かれ、その屏風絵も載っていた。


(rosetsu1.jpg)


(rosetsu2.jpg)

 (中略)

私は、この屏風を見ているうちに、中田のスルーパスをなぜか思っていた。

(略) この屏風を構成する一枚(白象図・左から四曲目)を目の当りにすると、新聞記事の写真であっても、そんな軽いめまいのような状態が生まれる。


(rosetsu1b.jpg)

その一瞬のクラッという思いが、中田の触れたのか、
触れなかったのか、という思いを呼び起こしたのだった。

もちろん芦雪の屏風の一曲は絵筆で色を塗ってあり、
何もしていないというわけではないが、
(略) その一枚だけ眺めると意味を決定することができなかったのである。

 (中略)

我々は物事の意味を決定するとき、無意識ではあるが、必ずある思考的枠組みを重層的に用意する。
そして範囲を狭め意味を明確にしていく。

 (中略)

しかし、この枠組みが固定化したり、その繫がり方もパターン化してくると、新しい気持ちが起こらなくなってしまう。
まるで錆とか埃がこびりついた動きの悪い機械のように、毎日行う思考に自由さが失われてしまうのである。

多くの人にスポーツや芸術が愛好されるのは、枠組みの固定化や繋がり方のパターン化を壊し、新しいそれらを見せてくれるからであろう。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




59-65ページ 『考えの整頓』
著者: 佐藤雅彦
2012(平成24)年1月27日 第3刷発行
発行所: 暮らしの手帳社


 



上の文章を読んでデンマンさんは感銘を受けたのですか?



いや。。。 感銘と言えば感銘と言えるかもしれないけれど、僕は上の文章を読んでオツムに閃(ひらめ)いたモノがあったのですよ。

また、どう言う訳でひらめいたのですか?

中田は、なんと何もしなかったのである」と書いてある。 確かに、その時 何もしなかったから、ボールは、受けてほしい味方の選手の前方、最良のポイントに躍り出たのですよ。 つまり、何もしないことが時には最良の判断になることもある。

そのことがデンマンさんのオツムに衝撃を与えたのですか?

いや。。。 その事よりも、「この屏風を構成する一枚(白象図・左から四曲目)を目の当りにすると、新聞記事の写真であっても、そんな軽いめまいのような状態が生まれる」と書いてある。

 


(rosetsu1b.jpg)

 



つまり、上の写真の赤枠で囲んだ部分は屏風の 6つの面の一つなのですよ。。。 その赤枠の部分だけを見ると“空白”のように見える。。。 つまり、画家が何も描いてないように見える。。。 要するに、中田選手のように何もしてないように見える。



その“空白”の部分を見て 佐藤雅彦さんは「軽いめまいのような状態が生まれる」と書いてますけれど、 デンマンさんも その“空白”の部分を見てオツムに閃いた物があったのですか?

そうなのですよ。

。。。で、いったい何が閃いたのですか?

あのねぇ~、柿本人麻呂が詠んだ次の和歌を見てください。


東(ひむがし)の

野に炎(かぎろひ)の

立つ見えて

かへり見すれば

月傾(かたぶ)きぬ


 


(kaki003.jpg->kaki005.png)

 


東方の野には

曙(あけぼの)の光が

さしそめるのが見えて

西を振りかえると

月が傾いて

淡い光をたたえている



 



何度読んでみても、とりわけ心が揺さぶられるような素晴らしい歌ではないのですよ。



それはデンマンさんの個人的な意見ですわ。

あのねぇ~、小百合さんも、もう一度マジで読んでみてくださいよ。 いったい、どこに『万葉集』に載せるほどの魅力があると言うのですか?

だから。。。いいと思った人が昔に居たのですわ。

でもねぇ、その良さを『万葉集』日本古典文学大系を書いた人は全く理解してないのですよ。 だから、上のように月並みな説明をしているだけ。。。 しかも「東方の野に 曙の光が見えて 西を振りかえると 月が傾いて淡い光をたたえている」というような、正に月並みなことしか書いてない。 バカバカしい! こんなバカバカしいことしか書けないから、日本のミーちゃんハーちゃんは万葉集など読まないのですよ。

デンマンさんは、なんだか上の和歌の本当の素晴らしい意味が分かっているようなことを言ってますわね?

そうですよ。。。僕は上の和歌の真意を理解しているのです。

マジで。。。?

このような時に冗談やウソが言えますか!?

分かりましたわ。 それで、その真意って一体どのようなものなのですか?

あのねぇ~、それを説明するには、ちょとばかり歴史を知らないと理解できないのですよ。 小百合さんのためにここに書き出しますから読んでみてね。

 


高市皇子(たけちのみこ)

 

生年:654年(白雉5年)?
没年:696年8月13日(持統天皇10年7月10日)

 

日本の飛鳥時代の人物で、天武天皇の皇子(長男)である。
後皇子尊(のちのみこのみこと)と尊称される。

672年の壬申の乱勃発時、高市皇子は近江大津京にあり、挙兵を知って脱出し父に合流した。
若年であったが美濃国の不破で軍事の全権を委ねられ、乱に勝利した。

679年に天武天皇の下で吉野の盟約に加わり、兄弟の協力を誓った。
この後には他の皇子とともにしばしば弔問に遣わされた。
686年に持統天皇が即位すると、太政大臣になり、以後は天皇・皇太子を除く皇族・臣下の最高位になった。

壬申の乱

大海人皇子は高市皇子に、「近江朝では、左右大臣と智謀の群臣が一緒に議を定めている。今朕はともに事を計る者がない。幼少の子供がいるだけだ。どうしたものか」と言った。
高市皇子は腕まくりをして剣を握りしめ、「近江の群臣は多いといえども、どうして天皇の霊に逆らえますか。天皇独りであっても、ここに臣高市、神祇の霊を頼り、天皇の命を請け、諸将を率いて征討します。これをどうやって防げましょうか。」と答えた。
大海人皇子は誉めて高市の手をとり背を撫でて、「慎め、怠るな」といった。
そこで鞍馬を与え、軍事をすべて委ねた。

各地から来た大海人皇子の軍勢は、和蹔に集結して高市皇子に掌握されたと考えられる。

7月23日に大友皇子(弘文天皇)が自殺したことで、壬申の乱は終わった。
8月25日に、大海人皇子は高市皇子に命じて、近江の群臣を処罰させた。

天武天皇の時代

乱の終結した直後、高市皇子を除く他の皇子たちはまだ幼く(最年長の忍壁皇子でも10歳前後)、天武天皇の皇親政治のもと、高市皇子が重要なポストを占めていたことは間違いないだろう。
『日本書紀』天武天皇4年(675年)11月4日の条には既に、高市皇子より以下、小錦より以上の大夫らに衣、袴、褶、腰帯、脚帯、机、杖を賜う」とある。この時点で皇族・臣下の序列としては既に最高位だったのかもしれない。

天武天皇8年(679年)5月6日に、天皇、皇后(持統天皇)、草壁皇子、大津皇子、高市皇子、川島皇子、忍壁皇子、志貴皇子は、吉野宮で互いに助け合うことを約束した(吉野の盟約)。
10日に六皇子が大殿の前で天皇を拝した。
天武天皇が自らの死後に壬申の乱のような皇位継承争いが起こることを恐れたためとされる。

この頃から高市皇子は天武天皇の皇子の中で3番目とされるようになった。

皇女を母にもつ草壁皇子、大津皇子に次ぐ。
母親の身分による序列では10人中8番目。

太政大臣

天武天皇が亡くなった直後、皇太子につぐ皇位継承資格を持つと見られていた大津皇子が謀反の罪で死刑になった。
続いて皇太子の草壁皇子が持統天皇3年(689年)4月13日に薨去した。
そのためそれまで天武天皇の皇后として政務を執っていた鸕野讚良皇女が翌年(690年)1月1日に即位した。持統天皇である。
この年の7月5日に全面的な人事異動があり、高市皇子は太政大臣に任命された。このときから薨去まで、高市皇子は皇族・臣下の筆頭として重きをなし、持統政権を支えた。

持統天皇4年(690年)10月29日、高市皇子は多数の官人を引き連れて藤原宮の予定地を視察した。

持統天皇5年(691年)1月13日、高市皇子の封が2000戸を増し、前のとあわせて3000戸になった。持統天皇5年(691年)1月4日、高市皇子の封が2000戸を増し、前のとあわせて5000戸になった。

持統天皇7年(693年)1月2日に浄広壱の位に進んだ。

持統天皇10年(696年)7月10日薨去。『延喜式』諸陵によれば墓は「三立岡墓」で、大和国広瀬郡にあり、東西6町南北4町で守戸はなし。だが、高松塚古墳の被葬者を高市皇子とする説もある。

挽歌

万葉集巻第2の199~202番に柿本人麻呂作の高市皇子への、万葉集中最長の壮大な挽歌が収められている。


(kaki004.jpg->kaki199.jpg)

ここに「高市皇子尊」「後皇子尊」と尊称されている。
この尊称から高市皇子が立太子されていたのではないかとの説がある。
また柿本人麻呂がこれほど壮大な挽歌を寄せていることから、この2人は親交があったのではないかと言われている。

高市天皇説

上記の挽歌、高市皇子の長男・長屋王の邸宅跡から発見された「長屋親王宮鮑大贄十編」の木簡、政治情勢、壬申の乱における功績、母の実家の勢力、莫大な資産などから彼が天皇であったという説もあるが、はっきりとはしていない。(参考:九州王朝説)

高市皇子の歌

•万葉集巻第2 156~158番(高市皇子作の十市皇女への挽歌)
自作の歌はこの3首のみ

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)




出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



つまり、上の和歌の本当の意味と高市皇子が関係しているのですか?



もちろんです。 だから高市皇子の略歴を持ち出したのです。

もしかしてデンマンさんは高市皇子が天皇になっていたと考えているのではありませんか?

確かに、そのような説があるのですよ。 上の略歴を読んでも天武天皇の子供の中では「壬申の乱」で高市皇子が一番活躍したのです。 だから、天皇になっていたとしても不思議じゃなかった。

天武天皇の長男だったのに、どうして天皇になれなかったのですか?

高市皇子のお母さんが天皇の娘ではなかったからですよ。 母親の身分による序列では10人中8番目だった。 でも、実力はナンバーワンだった。

それで柿本人麻呂が高市皇子を尊敬していたのですか?

そうですよ。 だからこそ、万葉集の中で最長の挽歌を高市皇子のために柿本人麻呂が詠んだのです。 つまりねぇ、高市皇子を天皇にしたいと思っていた人がかなり居たということですよ。

実力主義でなかったので高市皇子が天皇になれなかったのですわね?

いや。。。そう言う訳でもない。 実際、天武天皇が天皇になたのは「壬申の乱」というクーデターによって天智天皇の長男である大友皇子を破って天皇になったのですよ。 要するに実力によって天皇になったということですよ。 だから、高市皇子が天皇になっても不思議じゃなかったのです。

でも、そうならなかったのはなぜですか?

天武天皇の第一夫人の力が強かったのですよ。 クリントン夫人のようなものです。

 


(hillary07.jpg)

 



クリントン夫人って、それほど実力があったのですか?



クリントンが大統領になたのもクリントン夫人がついていたからですよ。 夫人が居なかったらまず大統領にはなれなかったでしょう!?

。。。で天武天皇の第一夫人って誰ですか?

天武天皇のすぐ後で持統天皇になった鸕野讚良皇女ですよ。

つまり、クリントン夫人のような、でしゃばっている夫人が居たために高市皇子は天皇になれなかったのですか?

その通りですよ。 持統天皇は自分の子供に天皇になって欲しかった。 だから、自分の子供が天皇になる間だけ自分が天皇になって時間稼ぎをしたというわけですよ。

つまり、その間に柿本人麻呂を含めたグループが高市皇子を天皇にしようという動きがあったのですか?

その通りです。

でも、失敗してしまったのですか?

その通りですよ。

どうしてデンマンさんは、そうだと思うのですか?

あのねぇ、そういう動きに参加していたために柿本人麻呂は持統天皇に睨(にら)まれて左遷され、一生を棒に振ってしまったのですよ。

マジで。。。?

もちろんですよ。 柿本人麻呂の略歴を読んでみてください。

 


柿本人麻呂


(kaki003.jpg)

660年頃 - 720年頃


 

柿本人麻呂は、飛鳥時代の歌人。
名は「人麿」とも表記される。
後世、山部赤人とともに歌聖と呼ばれ、称えられている。
また三十六歌仙の一人で、平安時代からは「人丸」と表記されることが多い。

出自・系譜

近時は宮廷歌人であったと目されることが多いが、宮廷歌人という職掌が持統朝にあったわけではなく、結局は不明というほかない。
ただし、確実に年代の判明している人麻呂の歌は持統天皇の即位からその崩御にほぼ重なっており、この女帝の存在が人麻呂の活動の原動力であったとみるのは不当ではないと思われる。
後世の俗書では、持統天皇の愛人であったとみるような曲解も現れてくるが、これはもとより創作の世界の話である。

『万葉集』巻2に讃岐で死人を嘆く歌が残り、また石見国は鴨山での辞世歌と、彼の死を哀悼する挽歌が残されているため、官人となって各地を転々とし最後に石見国で亡くなったとみられることも多いが、この辞世歌については、人麻呂が自身の死を演じた歌謡劇であるとの理解や、後人の仮託であるとの見解も有力である。
また、文武天皇4年(700年)に薨去した明日香皇女への挽歌が残されていることからみて、草壁皇子の薨去後も都にとどまっていたことは間違いない。藤原京時代の後半や、平城京遷都後の確実な作品が残らないことから、平城京遷都前には死去したものと思われる。

代表歌

•天離(あまざか)る 鄙(ひな)の長道(ながぢ)を 恋ひ来れば 明石の門(と)より 大和島見ゆ

東(ひむがし)の 野にかげろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ

•ま草刈る 荒野にはあれど 黄葉(もみぢば)の 過ぎにし君が 形見とぞ来し

•近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに いにしへ思ほゆ

また、愛国百人一首には「大君は神にしませば天雲の雷の上に廬(いほり)せるかも」という天皇を称えた歌が採られている。

官位について

各種史書上に人麻呂に関する記載がなく、その生涯については謎とされていた。
古くは『古今和歌集』の真名序に五位以上を示す「柿本大夫」、仮名序に正三位である「おほきみつのくらゐ」と書かれており、また、皇室讃歌や皇子・皇女の挽歌を歌うという仕事の内容や重要性からみても、高官であったと受け取られていた。

人麻呂にまつわる異説・俗説

その通説に梅原猛は『水底の歌-柿本人麻呂論』において大胆な論考を行い、人麻呂は高官であったが政争に巻き込まれ刑死したとの「人麻呂流人刑死説」を唱え、話題となった。
また、梅原は人麻呂と猿丸大夫が同一人物であった可能性を指摘する。
しかし、学会において受け入れられるに至ってはいない。

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)




出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



上の略歴に手がかりがあるのですか?



そうですよ。 人麻呂は高官であったが政争に巻き込まれと書いてあるでしょう? 僕は人麻呂が刑死したとは思わないけれど、間違いなく政争に巻き込まれ、持統天皇ににらまれて左遷されたと思っているのですよ。

その根拠は。。。?

あのねぇ、『万葉集』を編纂したのは大伴家持なのです。 大伴家持も柿本人麻呂も日本では「歌人」として知られているけれど、当時の文人は中国の伝統に則(のっと)って、現在の感覚で言えば政治家としての活動もしていた。 その政治家としての活動の部分が日本史では取り上げられてない。 脱落している。 特に柿本人麻呂の略歴からは政治的活動はすっぽりと脱落している。

大伴家持の場合には政治的活動も略歴の中に書かれているのですか?

書かれてますよ。 だから、そのことで僕は『万葉集』は単なる歌集ではなくて、政治的批判の書であると次の記事の中で書いたことがある。

 


(temple53.jpg)

『万葉集の謎と山上憶良』

 (2006年7月1日)


 


(sayuri55.gif)

つまり、柿本人麻呂が高市皇子を天皇にするための政治的活動をして、それが持統天皇の知るところになって、人麻呂は左遷されて一生を棒に振ったとデンマンさんは信じているのですか?


(kato3.gif)

そうです。

持統天皇はそのような事をする人なのですか?

する人なのです。 子供の頃に不幸な事件が度重(たびかさ)なってぇ心にトラウマを受け、権力に人一倍こだわるようになってしまった不幸な女性なのですよ。 その事で僕は次の記事を書いたのです。 ぜひ読んでみてください。

 


(bond010.gif)

『古代のある女の悲劇』

 (2006年7月3日)


『愛と怨霊』

 (2007年6月9日)


『いにしえの愛とコミュニケーション』

 (2007年1月8日)


 



。。。で、柿本人麻呂の詠んだ「かぎろい」の和歌は、実は、政治批判の歌だとデンマンさんは主張するのですか?



その通りですよ。

 


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東(ひむがし)の

野に炎(かぎろひ)の

立つ見えて

かへり見すれば

月傾(かたぶ)きぬ


 



上のつまらない和歌が『万葉集』の中に柿本人麻呂の代表的な歌として載せられている。 なぜだと思いますか?



どうしてですか?

万葉集を編纂した大伴家持が歴史の真相を後世の我々に知って欲しかったからですよ。

その歴史の真相ってぇ何ですのォ~?

だから、高市皇子を天皇にするための政治的活動があったということですよ。

でも、そのような事を歴史の時間に先生は言いませんでしたわ。

多分、そのような事を言った人はあまり居ないでしょうね?

でも、デンマンさんはマジで柿本人麻呂が高市皇子を天皇にする政争に巻き込まれたと信じているのですか?

マジで信じています。

。。。で、上の和歌の真意はどのようなことになるのですか?

次のようになるのですよ。

 


東(ひむがし)の

野に炎(かぎろひ)の

立つ見えて

かへり見すれば

月傾(かたぶ)きぬ


 


(kaki003.jpg->kaki005.png)

 


ああ、何ということだ
持統天皇の野心と陰謀は
ついに、ここまで剥(む)き出しにされ
大津皇子は自殺に追いやられてしまった。

この分では高市皇子が皇位につくこともあるまい。
命を永らえることさえ危(あや)ういのだ。

高市皇子の運命は、今、まさに沈もうとする
月のようではないか…。



 



でも、柿本人麻呂の和歌に上のような歴史的事実が込められているという根拠があるのですか?



ありますよ。 あのねぇ~、柿本人麻呂の和歌を選んだのは万葉集・編集長の大伴家持なのですよ。 この人は万葉集の最後に自分の歌を載せている。

 



(yakamo3.jpg)

 

新しき 年の初めの 初春の

今日降る雪の

いやしけ吉事(よごと)


 



新しい年の始めの初春の

今日降る雪のように、

これからの世には

よい事がいっぱいありますように…。



 



これは天平宝字3(759)年の元旦に詠んだ歌なのですよ。 でもねぇ、大伴家持の願いとは裏腹に、このあと家持には良い事は起こらなかった。 むしろ悪い事が待っていた。



どのような。。。?

あのねぇ~、この歌を詠んでから26年後の延暦4(785)年8月28日に、大伴家持は奥州の多賀城で68歳の生涯を閉じたのです。 ところが、藤原氏は家持が死んだ後も、そっとしておいてはくれなかった。

大伴家持が亡くなってからって。。。死んでからでは何もできないでしょうに。。。

でも藤原政権はしつこいのですよ。。。翌年、京都で藤原種継(たねつぐ)暗殺事件が起きた。

その事件と大伴家持が関係あるのですか?

大いに関係がある。 権力を握る藤原氏によって大伴家持は、その事件の首謀者の一人に仕立てられてしまったのですよ。 しかも、大伴家持の遺骨は掘り返されて隠岐(おき)の島に流刑にされてしまった。

わざわざ遺骨を掘り起こして隠岐(おき)の島まで持っていったのですか?

そうなのですよ。 現在から見れば常識では考えられないような事をした。 つまり、それほど大伴家持は睨まれていた。

なぜ。。。?

だから、大伴一族は藤原氏に抵抗する集団と考えられていた。

どうして。。。?

なぜなら、大伴家持のお父さんの大伴旅人(たびと)は長屋王に協力していた。 当然のことだけれど、長屋王の父親・高市皇子や、その協力者・支援者だった柿本人麻呂の事なども大伴家持は、お父さんの旅人から聞かされていた。

つまり、大伴家持は柿本人麻呂が高市皇子を天皇にしようという政治活動に参加していたこと、それがもとで持統天皇に睨まれて左遷されてしまった事などをお父さんの旅人から聞かされていたとデンマンさんは主張するのですか?

その通りですよ。 だからこそ、一見つまらなそうに見える柿本人麻呂の和歌を大伴家持は『万葉集』に取り上げたのですよ。

要するに、何百年後に生きているデンマンさんのような歴史馬鹿に、歴史の真実を知ってもらおうとして『万葉集』の中に柿本人麻呂の「かぎろい」の和歌を取り上げたのですか?

そうです。。。でも「歴史馬鹿」だけ余計ですよ。(苦笑) とにかく、歴史の事実をはっきりとは書けなかった。 つまり、柿本人麻呂が芦雪のような日本画家だったとしたら、当時、巨象の姿、つまり持統天皇の悪事をすべて描くことができなかったのですよ。

 


(rosetsu1.jpg)

 



どうしてですか?



持統天皇に睨まれたら首が飛んでしまう。。。 じっさい、彼は左遷されてしまった。 だから、次のようにしか描けなかった。

 


(rosetsu1c.jpg)

 



上の赤枠の部分が柿本人麻呂が詠んだ「かぎろい」の和歌ですよ。 当たり障りのない和歌しか詠めなかった。。。 だから、背景を何も知らずに読むとつまらない和歌なのですよ。。。 でも、大伴家持は背景を充分に知っていた。。。 だから、“空白”の和歌にも“巨象”を見ていた。 それで、一見つまらない人麻呂の歌を『万葉集』に載せたのです。



つまり、大伴家持は上の赤枠で囲んだ空白しかない和歌を『万葉集』に載せて、現代の私たちが“巨象の姿”を見て欲しいと思ったわけですか?

その通りですよ。。。 「かぎろい」和歌を読む我々が 歌の中に込められた歴史の真実を理解して欲しいと願いながら 大伴家持は『万葉集』に載せたのです。 “行間を読む”という格言があるけれど、この場合、“余白”を読む必要があるのです。

つまり、その事が芦雪の屏風の“空白”を見て デンマンさんのオツムに閃いたのですか?

そういうことですよ。。。




初出:2015年9月17日



(laugh16.gif)


【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~。。。
確かに、デンマンさんの お話を伺っていると、そうなのかなァ~、とも思いますよね。

でも、あたくしは、柿本のおじさまが単純に「かぎろい」の美しさに魅せられて詠んだと思うのですわ。

いづれにしても、そのような事よりも、今のあたくしは お腹がすいたので 具のたくさん入った“あんかけ焼きそば”を作ろうとしているのでござ~♪~ますわァ。

あなたのために、作り方を教えますわねぇ。


(joe306.jpg)



どうですか? 美味しそうでしょう?

でも、あたくしは これだけでは満足できませんのよう。
デザートに“たいやき”をいただくのでざ~♪~ますわよう。
うふふふふふふ。。。

最近では、餡に替わってクリームや溶かしたチョコレート、キャラメル、カスタードクリームなどの洋菓子素材を詰めたものもでてきましたわ。

サンドウィッチ式に肉類や生野菜、各種ソースやリゾットなどを挟む「おかずたい焼き」もあらわれました。


(taiyaki5.jpg)

あなたも 好きなものを“たいやき”に詰めてみませんか?

そういう面白い“たいやき選手権”があったのですわよう。
うふふふふふ。。。

では、あなたのためにビデオクリップを貼り付けますので ご覧になってくださいまし。

 



 

お腹がすいてきて、“たいやき”が食べたくなってきたでしょう?
でも、この記事を最後まで読んでから台所に走ってくださいね。

では、小百合さんのお話に戻りますけれど、
どうして小百合さんが「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?
あなたは ご存知でござ~♪~ますかァ?

実は簡単な事なのですわよう。
小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。
分からない事ではござ~ませんわァ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。
現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


(suikyu9.jpg)

それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉



軽井沢のイルミネーション



秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩



とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。

だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。

じゃあねぇ~~。


(hand.gif)


メチャ面白い、

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