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デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

情けは人の為ならず

2023-02-18 03:14:30 | 日本人・日本文化・文学論・日本語
 

情けは人の為ならず

 


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デンマンさん。。。 どういうわけで「情けは人の為ならず」を取り上げたのでござ~ますかァ~?


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実は、三遊亭圓生の次の落語を聴いたのですよ。。。

 



 


あらすじ

 


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今戸の八幡様境内に茶店があって、そこにザルや味噌こしを商う安七(やすしち)が昼時に弁当を使うので寄っていた。
今日も女将から、小金を残しているのでしょうと冷やかされる

安七は、身の上話を始める。
「冷やかされるようになれば一人前と親父によく言われました。女房子供も居たが、子供は5歳の時に亡くし、追うように女房も亡くなり、ヤケになって博打、喧嘩をやり自由気ままにしていた。名前の安七より賭場では半目が好きでグニ安と呼ばれていた。親父が亡くなると聞いて、枕元に行くと「もう堅気になってくれ、これは一生掛かって貯めた金だ」と言って、布団の下から小判一枚を出した。それで生まれ変わって働くようになった」

女将は、身の上話を聞いて安七の過去を初めて知る。半分驚き、半分感心する。
そのすぐあとで、女将は用が有るからと店番を頼んで出掛けた。

茶屋の近くで、まだ年端も行かない子供が凧を抱えて自分の物だと言い張っている。
その隣で、凧屋が落とした凧だからけぇせと怒鳴っている。
安七が凧屋に嘆願して、子供にくれてやってくれと言うが、凧屋は頑として受け付けない。
「称福寺裏の長屋に住んでいるから、親に談じ込むんだ」と鼻息が荒い。
「商売物をくれてやっていたら切りが無い」

安七がどんなに頼んでもイヤだと言う。買ってあげたいが、今日の商いは一つも無いからお金が無い、ザルと交換しようと言っても納まらない。子供も納得しない。
仕方なく、親父からもらった1両を出す。
「お釣りは無い」
「出せ」、「出せない」の繰り返しをしていると、女将が帰ってきて立て替えてくれた。
釣りはいらないと、安七は凧屋の顔面を殴って、喧嘩になった。

そこに浪人風の男が現れ、みんなに謝り、安七とお茶を飲みながら話し出す。
「私はそこの称福寺裏の弐兵衛店(だな)という長屋に住む小森孫一という浪人者です」
「わしは、鳥越に住んでいる安七というザル屋です」
「越後の高田から浪人として出てきましたが、妻は病で亡くし、私も病気がちで1年もすると手元も使い果たし、落ちぶれました」
「お侍様は二度の主取りはしないからでしょ」
「そうです」
「貴方が悪いのでは無く、浪人させる世の中が悪いのだ。やな世の中だ」

早く家に帰って、凧揚げをしようと子供がせがむので、先程の小判を子供に握らせた。浪人は狼狽したが鳥居の脇から侍が出てきたので、顔を伏せるようにして引き下がって行った。

今の経緯(いきさつ)を鳥居の影で見ていた身なりの良い侍が、ザル屋を今戸橋の慶応寺を過ぎたあたりで呼び止め、料亭・金波楼に案内し酒肴をご馳走して先程の行いを褒めた。

しかし、ザル屋は試し切りのつもりだろうと腹の中をうかがっていたが、それが目的で無いと分かるとホッとし、酒の旨さも堪能した。
凧屋との一件を見ていて感服したと浅尾信三郎、人の世の美しさを見せてもらったと、金子を出したが受け取らなかった。

気持ちよく飲んでいたが、安七が突然言う。
「酒は旨くない。貴方はでくのぼうだ。酒をご馳走するぐらいなら、浪人の生き方を一言褒めてあげないのか」
「人の心は、侍同士だとなおのこと、遠慮しなくては成らないことが有る」
「そんな人情の無い人と飲むのはイヤだ。もう帰る」
「まて、わしが悪かった。謝る」
「じゃ~、一緒に称福寺裏の小森孫一の所に行きましょう」。

長屋に入ると入口に「手習い指南所」の看板が掛かっていた。入口が開かないので強く叩くと戸が外れ、仏壇に灯明が着いている。おかしいと慌てて覗き込むと孫一は割腹して果てていた。

 


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枕元に手紙と小判一両が置いてあった。手紙を黙読すると浅尾は落涙している。

やがて安七に手紙の内容を語る。
「大家さんに部屋を汚して申し訳ない。麻布古川町の縁者のところに子供を預けて欲しい。浪人をしていて子供一人養えず、行きずりの他人から恵みの金子をいただき、我が身のふがいなさを見た」
「行きずりの他人て言うのはこのザル屋の俺か。恵んだのでは無い、あれは親父の形見の小判だ」
「親切が仇になった」
子供は親にしがみついて泣いている。

「こんな分からないことが有るか。坊や泣かないでくれ、考えているので静かにしてくれ。頭の中がこんがらがっている」
「安七、良く聞け。およそ生ける者は、自負を持っている。橋の上の乞食、道ばたの物乞いでも、他人が見るほどさもしいとも哀れだとも思っていない。浪人は自負も望みも持っていたが、今日我が子の行い、見ず知らずの者に恵みをもらい、我が身を振り返った。その姿を己で見てしまった。もう生きていても用の無い自分を悟ったのだ。世に捨てられた人間の心が分かった」

「・・・、わしが悪うございました。人の心が分かりました。『侍同士情けを掛けぬのが情けだ』と言った意味が初めて分かりました。私みたいな人間に情けを掛けられ、世の無常を感じた先生に申し訳ない。人間が分からないこんな屑のために、立派な人を死なせてしまった。生まれつきのお節介が、肌身離さず持っていた親父の形見の小判一枚が、とんだアダになってしまった。坊やここに来な。お前のお父っつぁんを殺したのはこの俺だ。俺がお父っつぁんの仇だ」

「安七。済んでしまったことは悔やんでも仕方が無いことだ。情けがアダになったことは残念だけれども、そちのしたことは決して間違ってはいない。今の気持ちを忘れるなよ」。

浅尾信三郎の情けで小森孫一をねんごろに葬ってやり、麻布の縁者から小市を養子にもらい受け、信三郎は立派に小市を育て、安七も親戚同様の付き合いをした。



 



こういう人情噺なんですよ。。。



人の心に訴える良いお噺でござァ~ますわねぇ~。。。

卑弥子さんが珍しく涙ぐんでいるではありませんかァ~!

このようなお話を聞くと あたくしは、ついほだされて涙がじんわりとこみ上げてくるのですわァ~。。。

卑弥子さんは意外に涙もろいのですねぇ~。。。

そうなのでござァ~ますわァ~♬~。。。で、どういうわけでこの人情噺を持ち出してきたのですかァ~?

この人情噺を聞いてから、すぐに次のことわざがオツムに浮かんだのですよ。。。

 



情けは人の為ならず

 


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情けは人の為ならずとは、日本語のことわざの一つ。
情け無用が反対語。

 

原義

「情けは他人の為だけではない、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、誰にでも親切にせよ」という意味である。

英語には「Today you, tomorrow me」(今日のあなたは明日の私)という同様の語句がある。

 

原義と異なる解釈

1960年代後半、若者を中心に言葉の意味を「情けをかけることは、結局その人の為にならない(ので、すべきではない)」という意味だと思っている者が多いことが、マスメディアで報じられた事が話題となった。

この意味を持つことわざは「情けが仇(相手にかけた情けが逆に悪い結果を招く、という意味)」である。

2000年頃より、再びそのように解釈するものが増えていると報じられる。

平成13年(2001年)の文化庁による『国語に関する世論調査』では、この語を前述のように誤用しているものは48.2パーセントと、正しく理解している者の47.2パーセントを上回った

この諺の原義と異なる解釈の根本は、「人の為ならず」の解釈を、「人の為(に)成る+ず(打消)」(他人のために成ることはない)と、中世日本語(「ならず」は「に非ず」の音便)の意味合いを誤って理解してしまう所にある。

本来は「人の為なり(古語:「だ・である」という「断定」の意)+ず(打消)」、すなわち「他人のためではない(→自分のためだ)」となるからである。

このため、人の為にならないとなれば『情けは人の為なるべからず』となる。
この諺の原義と異なる解釈が広まった背景には、現代日本語文法が普及して、中世日本語の意味が日本国民の意識から次第に薄れつつあり、「情けは質に置かれず」(経済的な意味のない情けは役に立たない)とか、「情けが仇」ということわざがあることも、このことわざの原義と異なる解釈を広めた一因でないかとも言われている。




出典: 「情けは人の為ならず」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



実は、僕も社会人になるまで長いこと間違って覚えていたのですよ。。。。



あらっ。。。デンマンさんも「情けをかけることは、結局その人の為にならない(ので、すべきではない)」という意味だと思っていたのでござ~ますかァ~?

そうなのですよ。。。

確かに、そのように理解してしまうのも、もっともなのですわァ~。。。なぜなら、この諺ができたのは、ずいぶん昔なのでござ~ますゥ。。。だから、諺ができ始めた頃の中世の文法では、「人の為なり(古語:「だ・である」という「断定」の意)+ず(打消)」、すなわち「他人のためではない(→自分のためだ)」となるのですわァ~。。。だから、「情は人の為ならず」という諺は「情けは他人の為だけではない、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、誰にでも親切にせよ」という意味になるのですわァ~。。。

なるほどォ~。。。

現在の日本語の文法に従うならば、「情は人のためではないのだから、他人に情けをかけるべきではない」と解釈してしまうのは、いわば当然のことなのでござ~ますわァ~。。。

さすがは、京都の女子大学で腐女子たちに「源氏物語と日本文化」を講義している橘卑弥子・教授ですねァ~。。。おみそれしました。。。

このような時に社交辞令で褒めないでくださいましなァ~。。。おほほほほほほ。。。

いや。。。社交辞令ではありません。。。卑弥子さんの見識(けんしき)に感服したのです。。。

デンマンさんが あたくしを褒めてくださるなんて珍しいことですわァ~。。。

でもねぇ~、上の人情噺を聴いたあとでは、僕が間違って覚えていた意味でも、「人の道」として間違っていないと思うのですよ。。。

どういうことでござ~ますかァ~?

あのねぇ~、安七は、親切心から浪人者に小判一両を与えた。。。正に、「情けは人の為ならず(誰にでも親切にせよ)」という諺通りのことを実行したわけですよ。。。でも、それが裏目に出てしまった。。。受け取った浪人者は、その時初めて客観的に自分のこれまでの人生、それに今の自分姿を見て、生きてはいられないと思い割腹してしまった。

そうですわねぇ~。。。安七には、浪人者の心までは読めなかったのですわねぇ~。。。

そうなのですよ。。。でも、浅尾信三郎は武士だから、浪人者の気持ちがよく分かっていた。。。だからこそ、『侍同士情けを掛けぬのが情けだ』と言ったわけですよ。。。浪人者は安七の親切心に触れたばかりに「生きる価値がないクズの廃人」だと気付かされたのですよ。。。それで割腹してしまった。。。

でも、あの悪名高い「現実主義者」と自称している現実君は「生きる価値がないクズの廃人」と自慢するかのようにネットで公言していますけれど、羞恥心をかなぐり捨てて生きていますわねぇ~。。。

あのねぇ~、現実君は、トコトン馬鹿だから、「生きる価値がないクズの廃人」と自覚しても、上の噺の浪人者とは違い 死のうという気持ちがオツムに浮かばない! 

 




『現実主義者 馬鹿の見本』


 



しかも、底抜けの馬鹿だから「生きる価値がない廃人であることをネットで広めたい」と恥ずかしがりもせずに自慢げにネットで宣言している。。。「馬鹿は死ななきゃ治らない」という諺があるでしょう! だから、あの男は一生馬鹿です。。。利口になったら、自殺してしまいますよ。。。だから、そうならないことを僕は願いながら、なるべくまともな人間になるようにと期待して、現実君のことで記事を書いて助言しているのです。。。



難しいですわねぇ~。。。

そうです。。。マジで難しい。。。親切心で手を差し伸べても、相手の気持をよく理解しないとアダになることがありますからねぇ~。。。

つまり、現実君が普通の人間になったら自殺してしまうかもしれないのですわねぇ~。。。

そうです。。。だから、彼が馬鹿のままで まともな人間になってもらうしかないのですよ(微笑)。。。そうじゃないと「生きる価値がないクズの廃人」とマジで自覚して、噺の浪人者のように割腹してしまいますからねぇ~。。。


 


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

確かに、現実君のように「生きる価値がないクズの廃人」だと自覚しているのに、生きていられるというのは、馬鹿か? マジで底抜けに鈍感なのでしょうねぇ~。。。

貴方は、どう思いますかァ?

ええっ。。。「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で あたくしに ご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわァ。。。。

では、あなたもビックリするような

忠臣蔵のとっても古い映画をご覧くださいまし。。。

なんと。。。昭和3年(1928年)制作の『忠臣蔵』ですわよう!

無声映画ですけれど、弁士の方がなかなかうまい説明をしてくださいますわ。。。

つい、引き込まれて観てしまうのですわ。。。

浅野内匠頭がどうしてヘマをしでかしたのか?

そのへんのところが詳しく映像に残っております。

観るだけの値打ちがありますわ。。。

では、どうぞ。。。

 



 

ところで、どうして小百合さんが

「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?

 


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あなたは ご存知ですかァ?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわァ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉



軽井沢のイルミネーション



秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩



とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


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メチャ面白い、

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■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


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■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


『熟女下着』ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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『センスあるランジェリー』



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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




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キスと源信

2023-02-11 03:16:31 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 

キスと源信

 


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デンマンさん。。。 “キスと源信”ということは、恵心僧都の源信さんが接吻をしたのでござ~ますかァ~?


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たぶん、そうです。。。

そのような事は絶対にないと、あたくしは信じておりますわァ~。。。

どうしてですか?

だってぇ~、源信さんと言えば、とっても偉いお坊さんだったのでござ~ますわァ~。。。

 



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   源信

 

源信は、平安時代中期の天台宗の僧。
恵心僧都(えしんそうず)と尊称される。

浄土真宗では、七高僧の第六祖とされ、源信和尚、源信大師と尊称される。

源信は日本の浄土教の祖と称され、法然や親鸞に大きな影響を与えた。

浄土宗の開祖である法然は、源信の主著「往生要集」によって7世紀の唐の僧善導の浄土思想を知ることとなった。

浄土真宗の宗祖とされる親鸞は、主著『顕浄土真実教行証文類』(『教行信証』)「行巻」の末尾にある偈頌『正信念仏偈』(『正信偈』)「源信章」で、「源信広開一代教 偏帰安養勧一切 専雑執心判浅深 報化二土正弁立 極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我」と源信の徳と教えを称えている。
また『高僧和讃』において、「源信大師」10首を作成し称讃している。

なお、紫式部の『源氏物語』、芥川龍之介の『地獄変』に登場する横川の僧都は、源信をモデルにしているとされる。

略歴

(年齢は、数え年。日付は、文献との整合を保つため、旧暦(宣明暦)表示(生歿年月日を除く)とした。)

天慶5年(942年)、大和国(現在の奈良県)北葛城郡当麻に生まれる。幼名は「千菊丸」。父は卜部正親、母は清原氏。

天暦2年(948年)、7歳の時に父と死別。

天暦4年(950年)、信仰心の篤い母の影響により9歳で、比叡山中興の祖慈慧大師良源(通称、元三大師)に入門し、止観業、遮那業を学ぶ。

天暦9年(955年)、得度。

天暦10年(956年)、15歳で『称讃浄土経』を講じ、村上天皇により法華八講の講師の一人に選ばれる。そして、下賜された褒美の品(布帛〈織物〉など)を故郷で暮らす母に送ったところ、母は源信を諌める和歌を添えてその品物を送り返した。その諫言に従い、名利の道を捨てて、横川にある恵心院(現在の建物は、坂本里坊にあった別当大師堂を移築再建)に隠棲し、念仏三昧の求道の道を選ぶ。

 母の諫言の和歌 - 「後の世を渡す橋とぞ思ひしに 世渡る僧となるぞ悲しき まことの求道者となり給へ」

永観2年(984年)11月、師・良源が病におかされ、これを機に『往生要集』の撰述に入る。永観3年(985年)1月3日、良源は示寂。

寛和元年(985年)3月、『往生要集』脱稿する。

寛弘元年(1004年)、藤原道長が帰依し、権少僧都となる。

寛弘2年(1005年)、母の諫言の通り、名誉を好まず、わずか1年で権少僧都の位を辞退する。

長和3年(1014年)、『阿弥陀経略記』を撰述。

寛仁元年6月10日(1017年7月6日)、76歳にて示寂。臨終にあたって阿弥陀如来像の手に結びつけた糸を手にして、合掌しながら入滅した。




出典: 「源信 (僧侶)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



つまり、偉いお坊さんは接吻しないのですかァ~?



もちろんで ござ~ますわァ。 偉いお坊様は、絶対に女性を身近に近づかせなかったのでござ~ますわァ。

あのねぇ~、建前はそういう事になっていたのだけれど、坊主ほど花街に出入りした者はいなかったのですよ。。。

いいえ。。。、昔のお坊様は妻帯も許されていなかったのですわァ。。。

だから、禁欲もできないで花街に出入りしていたのです。。。

それは、デンマンさんの独断と偏見ですわァ~。。。

卑弥子さんだってぇ~、接吻ぐらいしたことがあるでしょう!?

 


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あらっ。。。 あたくしが接吻するのをデンマンさんは隠しカメラで撮っていたのですわねぇ~。。。 うふふふふふふ。。。



キスしている上の女性は卑弥子さんではありませんよ!

デンマンさん!。。。 そのような事を言わなければ、この記事を読み始めたネット市民の皆様は、あたくしが星の王子様と接吻していると思うのですわよう! んもおおおォ~!

誰も、そのような事を考えませんよ!

とにかく、どうして“キスと源信”というタイトルにしたのでござ~ますか?

実は夕べ、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。

 


  キス


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【キス】 大河『義経』の打ち合せ中に「はたして平安時代の人はキスをしたのか?」という話題になった。

『今昔物語』には大江定基が死んだ妻への愛惜に耐えかね、死体の「口を吸ひける」に異臭がして、それが出家のきっかけになったというグロテスクな話がある(巻19の2)。

また寛和元年(985)に完成した、源信の『往生要集』に「(う)」という言葉が出てくる。

「鳥が互いにクチバシを突き合う」意味でつまりキスのことである。

「いはんや抱(うほう)[接吻して抱き合うこと]して淫楽せんをや」(岩波書店『日本思想大系 源信』38頁)。

とすると平安時代すでにキスはあったということになる。

しかし、九歳で比叡山に入った日本史上屈指の学僧源信はいかにしてこの言葉を知り、わざわざ自著に使ったのだろうか。


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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




82ページ 『考証要集』
著者: 大森洋平
2014年6月25日 第9刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋

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つまり、九歳で比叡山に入った日本史上屈指の学僧源信はいかにしてこの言葉を知り、わざわざ自著に使ったのだろうか?。。。と、デンマンさんも不思議に思ったのでござ~ますかァ~?



いや。。。 僕は別に不思議とは思わなかったのですよ。。。

どうして、不思議とは思わなかったのござ~ますかァ~?

卑弥子さんは忘れてしまったのですか?

あたくしが何を忘れたとデンマンさんは言うのでござ~ますかァ~?



『源氏物語』に描かれた春画

 


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平安時代中期の祭主・歌人で36歌仙の一人、大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ 921-991)が、春画を前にして和歌を詠んでいるのです。

「又、男女けしからぬことどもかかれたるところに」という詞書(ことばがき)につづいて、「うしろめた したのこころは しらずして 身をうちとけて まかせたるかな」という和歌が、『能宣集』(984~986年の成立)という能宣自撰の和歌集に収められています。
男女のいけないことが描かれた絵というものを能宣は目にしていたのです。

そこにあからさまな官能を詠む歌が寄せられます。
10世紀に春画が描かれていたことを示す貴重な記録です。

この序文には「勅ありて歌集をめす」とあり、春画にまつわる和歌が選ばれているのです。
『源氏物語』(11世紀初期成立)のなかにも、男女がともに寄り添って横たわる絵が描かれる場面があります。

宇治十帖の「浮舟」のなかで、貴公子・匂宮は宇治にいる浮舟という女性を訪ねます。
浮舟は薫(源氏の妻・女三宮と柏木との不義の子)の想い人でしたが、匂宮は薫を装って寝所に入り、浮舟と契ります。
その強引な振る舞いのなかに、浮舟は匂宮の情の深さを感じます。

匂宮は浮舟に男女が添い寝している絵を描いて見せ、「お逢いできないときは、この絵を見てください。いつもこうしていたいものです」といいます。


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浮舟は匂宮の描いた絵を時々見ては、自分の境遇に涙するのです。

江戸時代には『源氏物語』のこのシーンは、匂宮が春画を描いたものと理解されていました。

(略) 月岡雪鼎が描いた18世紀後半の肉筆春画には、春画を描くに当たって雪鼎が参考にした文献の名が書かれていますが、そのなかに『源氏物語』の「浮舟」の段を読んで、参照したことが記載されています。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




67-68ページ 『春画を旅する』
著者: 山本ゆかり
2015年9月25日 第1刷発行
発行所: 柏書房株式会社

『春画@源氏物語』に掲載。
(2016年12月29日)


 



去年の大晦日を前にして、僕と卑弥子さんで『源氏物語』に描かれた春画について語り明かしたのです。。。 まだ1ヶ月と経ってないのですよ。。。 卑弥子さんは忘れてしまったのですかァ~?



思い出しましたわァ~。。。 大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ 921-991)が、春画を前にして和歌を詠んでいるのですわねぇ~。。。 つまり、10世紀に春画が描かれていたことを示す貴重な記録なのですわねぇ~。。。

そういうことですよ。。。 春画を前にして和歌を詠んだ大中臣能宣が10世紀の人ならば、恵心僧都の源信さんも10世紀の人物なのですよ。。。 だから、好奇心が旺盛な源信さんも次のよな春画を見ていたはずなのです。。。

 


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だから、当然、キスシーンも見て知っていたのですよ。。。

 


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初出: 2017年1月15日



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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。

あなたは デンマンさんの意見に同意いたしますかァ~?

確かに、キスなど、もっともっと ずっと昔からあったのかも知れませんよねぇ~。。。

ところで、話は変わりますけれど、あたくしは“平成の紫式部”と呼ばれているのでござ~ますわァ。

うふふふふふふ。。。

ええっ。。。 信じられないってぇ~。。。?

じゃあ、『卑弥子の源氏物語』を お読みくださいませぇ~。。。


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『卑弥子の源氏物語』

どうですか? あたくしが “平成の紫式部”だと納得がゆきましたか?

ええっ。。。 ちょっと納得がゆかないのでござ~ますかァ?

でも こう見えても 一応 京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義しているのでござ~ますわァ。

ただし、なかなか あたくしの魅力を認めてもらえないのでござ~ますう。

つまり、結婚相手が 現れないのですわァ。

この際 高望みはいたしません。

“寅さん”のような人でもいいですわ。

旅に出ていることが多いので 手がかからないと思うのでござ~ますう。

ついでだから、寅さんの映画でも見て、希望をつなごうと思います。

“袖触れ合うも他生の縁”と申します。

あなたも 一緒に寅さんのYouTubeでも見てくださいねぇ~。。。

 


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ちなみに、紫式部のお話も面白いですけれど、古代のお話も心にしみますわァ。

たまには、日本の古代史の記事も読んでくださいませぇ。

そういうわけで あなたのために平安史、古代史の記事を用意しました。

ぜひ 覗いてみてくださいね。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。
 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?


マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?


とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。


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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。



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『女帝の平和』

『アタマにくる一言』

『悪女レオタード@昌原市』

『スウィートビーン』

『ガチで浦島太郎やし』

『ご苦労さま』

『デンマンのはなし』

『卑弥呼の墓』

『室生犀星と人間学』

『松平春嶽ダントツ』

『英語は3語で伝わる』

『くだらない物』

『漢字で体操』

『面白い漢字テスト』


(hama10.jpg)

『日本のエロい文化』

『女のオナラ』

『紫式部と宮本武蔵』

『頼朝の死の謎』

『パンツと戦争』

『海外美女 新着記事』

『日本語を作った男』

『江戸の敵を長崎で』

『芸術は尻だ』

『尻の芸術』

『左翼的な下着』

『エロい源氏』

『ネット市民は見ている』



軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)


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エモい女

2023-02-04 05:25:01 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 

エモい女

 


(nopan33.jpg)


(shitagi78.jpg)


(jpn102x.jpg)


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(question8.png)


(june901b.png)

 




(june001.gif)

デンマンさん。。。、今日はエモい女を取り上げるのですかァ〜?



そうです。。。いけませんか?

でも、「エモい」という言葉を知らないネット市民がいるかも知れませんわァ〜。。。

ジューンさんは、知っているのですか?

知ってますわ。。。かつてデンマンさんと この言葉のことで語り合いましたから。。。わたしはネットサーフィンしていたら次のランキングに出くわしたのですわ。。。

 


(cancam2b.png)

 



ランキングの2番に「エモい」って、実際どういう意味なの?。。。と、書いてあるでしょう! 「キモい」は知ってますけど、「エモい」は初めて見ました。



確かに、あまり見かけません。。。でも、知る人ぞ知る新語ですよ。 ウィキペディアには次のように書いてあります。

 



 

エモい

 


(question8.png)

 

エモいは、英語の「emotional(エモーショナル)」を由来とした、「感情が動かされた状態、「感情が高まって強く訴えかける心の動き」などを意味する日本のスラング(俗語)、および若者言葉である。

感情が揺さぶられたときや、気持ちをストレートに表現できないとき、「哀愁を帯びた様」、「趣がある」「グッとくる」などに用いられる。

元々は音楽のジャンルの一つである「イーモウ(Emo)」からきており、メロディアスで哀愁的な音楽性と切ない心情を吐露する歌詞が特徴的なロックミュージックを指す。

音楽シーンでは1980年代から使われていた。
パンクロックの一種である「エモーショナル・ハードコア」の略称であるとも言われる。
エモーショナル・ハードコアは、メロディアスな音楽に感情的な歌詞をのせたロックミュージックで、ここから派生して激情的・感動的な音楽を「エモい」と表現している。

コラムニストの荒川和久は、「『エモい』を日本で一番よく使っているのはメディアアーティストの落合陽一。
落合にとっての『エモい』とは、ロジカルの対極にある、一見ムダなもの。
『もののあはれ』や『いとをかし』である」と解説している。

また、荒川本人も著書「超ソロ社会」の中で、「エモい」という感情が消費を動かすという「エモ消費」という概念を提唱している。

日本語学者の飯間浩明も、同様に古代の「あはれ」と似た意味があるとしており、「『いとあはれ』と言っていた昔の宮廷人は、現代に生まれていたら『超エモい』などと表現していたはず」と述べている。

 

若者言葉としての「エモい」

若者言葉としての「エモい」自体は2007年頃から存在していたが、三省堂の「今年の新語 2016」で2位にランクインしたことをきっかけに話題になった

ベンチャー企業「COMPLExxx(コンプレックス)」の調査に拠れば、10 - 20代の女性中心516名のうち、79%が「エモい」について「知っている」と回答。
使うシーンとしては「ぐっと来た瞬間、感動した瞬間」53%、「『ヤバい』の代用」20%、「悲しい、寂しいなど暗い感情のとき」10%であり、同社代表より「言葉にできない絶妙な感情を表現する目的で、これまでの『ヤバい』と似た使われ方をしている」との指摘がなされている。

日経MJの記事でも、「エモい」について「『うれしい、切ない、寂しい』などの複数に交じった感情を表現するとき、『ヤバい』と似た使われ方をされる」と解説しているが、前出の荒川は「ヤバい」の代用という意味は正しくないと述べている。

2016年に入り若者の間で「エモい」が使われるようになった要因として、「ストレートに感情を表現できないモヤモヤが増えたため」との指摘がある。

2006年12月に出版された大修館書店「みんなで国語辞典!」においては、「エモい」について「怒って感情を露にすること」と解説されている。




出典: 「エモい」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



つまり、「エモい女」というのは「怒って感情を露にする女」ということになりますよねぇ〜。。。



でもねぇ〜、「ヤバイ女」という意味だと思っているネット市民もかなり居るようです。。。

。。。で、どういうわけで「エモい女」を取り上げたのですか?

ちょっと次のリストを見てください。。。

 


(goo23-01-28.jpg)


『拡大する』

『12歳少女の死』

『エモい』

『モナリザエロ』

(このブログでは未公開にされてしまった!

『モナリザエロ』

公開されているライブドアの記事


 



この上のリストは GOO の「デンマンのブログ」のバンクーバー時間で2023年1月28日のアクセス解析のリストです。。。アクセス元ページ の3番と4番の赤枠で囲んだ箇所に注目してください。。。



あらっ。。。ロシアの yandex で検索したのですわねぇ〜。。。

そうです。。。このリンクをクリックすると次の検索結果が出てくるのです。。。。

 


(yandex23-01-28.jpg)


『拡大する』

『実際のページ』

『エモい』


 



ロシア語で検索したネット市民は 「デンマンのブログ」の『エモい』 を読んだのですわねぇ〜。。。



そうです。。。

でも、日本語で書いてあるから、普通のロシア人には解らないでしょう?

だから、GOOGLEで自動翻訳して読んだのですよ。。。

 


(art20-04-27.jpg)


『拡大する』



『ロシア語に自動翻訳されたページ』


上のリンクをクリックするとロシア語に自動翻訳されるまでに2分程かかります。

 



日本語の「エモい」は、次の写真ではロシア語で どういう意味に使われるのですか?

 


(shitagi78.jpg)

 



この上の写真の見て「エモい」と言った場合には、「感動する程グッときた!」という意味になるのですよ。



。。。で、次の写真の場合には。。。?

 


(jpn102x.jpg)

 



この写真を見て「エモい」と言えば、当然「ヤバい」ということになりますよ。

。。。で、次の写真は。。。?

 


(lonely30.jpg)

 



この場合は「悲しい」という思いを「エモい」と言って伝えようとしているわけです。。。



なるほどォ~。。。じゃあ、わたしの次の写真が出てきて「エモい」と言われた場合には、どのように解釈されるのですかァ〜?

 


(june901b.png)

 



この上のジューンさんの写真を見て「エモい」とロシアのネット市民が言ったら、これはもう「ジューンさんの姿が強く心に訴えかけてきて感激してしまった」という意味で使われるのですよ。。。



それはデンマンさんが勝手に考えだした意味ではありませんかァ!?

いや。。。上のウィキペディアにも ちゃんと出てますよ。。。「感情が高まって強く訴えかける心の動き」と。。。

なんだか下心が見え見えの解釈の仕方ですわねぇ~。。。

やっぱり、下心が見えますか?

見えますわァ〜。。。で、ロシアのネット市民が検索した写真の「エモい」は、どう言う意味ですかァ〜?

 



 



もちろん、ロシアのネット市民は「エロい」という意味のロシア語で検索したのですよ。。。



マジで。。。?

上の写真を見たら、それ以外に考えられないでしょう!



(laugh16.gif)


(june902.jpg)


【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~。。。

あなたもロシアのネット市民は、ロシア語の「エロい」で画像検索したと思いますかァ〜?

ええっ。。。 「そんなことはどうでもいいから、他にもっと楽しい話をしろ!」

あなたは、そのような命令口調で あたくしに強要するのでござ~ますわねぇ~。。。

分かりましたわぁ。。。 では、ちょっと次のクリップを見てくださいなァ。。。

思わず笑ってしまいますわ。。。

 





(dog807.jpg)

 



 



 

ええっ。。。? 「犬や猫のことは どうでもいいから他のもっと面白い話をしろ!」

あなたは、更に あたくしに そのような強い口調でご命令なさるのでござ~ますかァ~?

分かりましたわァ~。。。

あなたが、そうおっしゃるのならば、あたくしの個人的なお話しをいたしますわァ。

実は、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”が殿方の注目を集めているのでござァ~ますわよう。

うふふふふふふふ。。。

ええっ。。。 信じられないのでござ~ますかァ?

じゃあ、ちょっと次の検索結果を見てくださいまし。。。

 


(gog60409a.png)


『拡大する』

『現時点での検索結果』


 

「卑弥子 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。

つまり、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわァ~。。。

うふふふふふふ。。。

あなたも、ビックリするでしょう?

ジムで汗を流して “ヴィーナスのえくぼ”をゲットいたしました。。。


(buttdimp5.jpg)

スタイルもよくなったのでござ~ますわァ~。。。


(curtain5.jpg)

いかがでござ~ますか?

でも。。。、でも。。。、“天は二物を与えず”と申します。。。

これほどスタイルが良くなったというのに、あたくしは未だに独身でござ~ますのォ。。。

世の中は、なかなか思うようにゆかないものですわァ~。。。

ところで、あなたは『万夜一夜物語』を読んだことがござ~ますかァ~?

“千夜一夜物語”ではなくてぇ、“万夜一夜物語”ですわ。


(manya02.jpg)

『万夜一夜物語』

デンマンさんが書いたのでござ~ますわよう。

ええっ。。。 10,001の話が書かれているのかってぇ~。。。?

とにかく、上のリンクをクリックして読んでみてくださいませぇ~。。。

あなたも、絶対にビックリするようなお話が出てきますわァ。

『万夜一夜物語』だけでは、物足りないのでしたら、

ジューンさんが登場する面白いお話もたくさんあります。

興味のある方は、どうか次のリンクをクリックして読んでくださいましねぇ~。。。





(roten101.jpg+cleoani.gif)

『出会い系より腰を使う熟女』

『ブリスベンの従妹』

『アヒルが行く』

『英語ペラペラ勉強法』

『ブラウザとOS』

『二千二夜物語』

『大晦日のおばさんパンツ』

『下着の人類学』

『万夜一夜@ロンドン』

『ヒトラーとトランプ』


(malata019c.jpg)

『ロマン@マルタ島』

『下着の人類学@大阪』

『ハロー@ロックビル』

『孀婦岩の人気 なぜ』

『マグダラのマリア 娼婦か聖女か?』

『マグダレンの祈り』

『女子大生の多い混浴』

『アンネフランクの言葉』

『ビクトリア朝の慎み』

『銭湯と円タク』

『女装ブログ』

『注目記事』


(sylvie122.jpg)

『風邪が治るまで』

『ひょうたんde徒然』

『アヒルが並んだ』

『なぜ骨なの?』

『にべもない』

『やぶさかでない』

『おかしなパンツ』

『みもふたもない』

『自動翻訳はダメ』

『慫慂』

『ヤンキー』

『及び腰と二の足』

『ジューンさんの従妹』


(fan004.jpg)

『ナマズにされた』

『美術解剖学』

『太ったチャンス』

『ジューンさんの下着を探して』

『おおどかさ』

『高級娼婦@パリ』

『つい見たくなった』

『混浴 女子大生』

『FBI捜査官のツブヤキ』

ジューンさんの熟女下着
(30june.jpg)

『熟女下着 投稿ブログ』

『おばさんパンツ@ネット』

『がめつい奴』

『二股ラジウム@VIDEO』

『手塩にかけて』

『ジューンさんのパンツ』

『女子大生の秘湯』

『百姓と農民』

『庇と屁』

『2002夜物語』

『機械翻訳イマイチ』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人
(godiva05.jpg)

『出か知りおばさん』

『リチャード3世』

『マルタ島ロマン』

『おこがましい』

『鹿爪らしい』

『原爆死の真実』

『映画で英語を』

『二律背反』

『腰曲がりのを』


とにかく、次回も興味深い記事が続きますわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。


(hand.gif)


 


(chiwawa5.gif)

こんにちは。ジューンです。

スパムメールが相変わらず多いですわよね。

あなたのメールボックスにも、

ジャンクメールがいっぱい入っているでしょう!?

スパムメールを飛ばしているのは

いったい、どういう人たちなのでしょうか?

出会い系サイトのオーナーたちが多いそうですわ。

彼らは会員を集めるためにスパムメールをばら撒きます。

そのためにメールアドレスのリストを購入しています。

では、そのようなリストを販売している人は

どうやってメールアドレスを集めているのでしょうか?

ロボット(自動巡回プログラム)によって

自動収集させているのです。

ところで、サーチエンジンの自動巡回ロボットは

毎日世界中のサイトを訪問し、

その内容をデータベースに書き込んでいます。

同じように、このメールアドレス収集巡回ロボットも、

HTMLソースを分析し、

メールアドレスらしきものをどんどん記録してゆきます。

でも、使っていないメールアドレスが

たくさんあるのですよね。

あなたの使っているメールアドレスのことを

考えてください。

あなたはメールアドレスをいくつ持っていますか?

一つだけではないでしょう?

10以上持っているのではありませんか?

多分、ほとんどのメールアドレスは使ってないでしょう?

そのために、現在実際に使っている

メールアドレスを集めるために、

怪しい人物が使用度の高いメールアドレスを

集めているのですわよ。

だから、あなたもむやみに信用できない人に対して

返信しないようにしてくださいね。

詳しいことはデンマンさんが次の記事で書いています。

『コメント魔』

(2012年4月3日)



(himiko92.jpg)

ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。

『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ



(juneswim.jpg)


『センスあるランジェリー』



(byebye.gif)

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他人の不幸は…

2022-12-25 04:24:51 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

他人の不幸は…

 


(maiko19.png)

 


『鑓の権三重帷子』

(やりのごんざかさねかたびら)



(gonza05.jpg)

あらすじ

鳥取藩士の笹野権三は、若殿の祝言で茶を点(た)てることを命じられた。
権三は「鑓の権三」と異名をとる遣い手だったが、太平の世に剣術では出世できない。
そこで、茶道役での出世を狙う。

しかし、この手前は格式の高い「真(しん)の台子(だいす)」で行わなければならない。 ... これは茶道指南役・浅香市之進から伝授を受けたものしか扱えず、権三はまだ伝授を受けていなかった。
しかも市之進は現在、江戸詰めで鳥取にはいない。
そこで権三は、市之進の妻おさゐから、真の台子の伝授を受けようと考えた。

権三が目指す祝言の茶道役を彼の同僚・川側伴之丞も狙っていた。
権三は伴之丞の妹・お雪と縁談を進め、本来なら伴之丞と親しく付き合えるはずだったが、権三は、嫌味な性格の伴之丞が好きになれず、伴之丞も権三をライバル視し、やはり真の台子の伝授を受けようと、おさゐに近づいた。
伝授を望む権三の来訪を、おさゐは喜んだ。 美男の誉れ高い権三で、娘の夫になってもらいたいと、おさゐは権三に伝え、もし承知してくれれば伝授すると約束した。
権三は悩んだ。 自分にはすでに許婚(いいなずけ)がいる。 ここは恋を取るか、出世を取るかの選択となった。

悩む権三の姿を見て、おさゐはいらつく。 権三には許婚がいるのを知っていた。 権三が締めていた帯も許婚が贈ったもの。
このままでは権三が取られてしまう。
おさゐは忌々(いまいま)しい帯をを権三から取り、私のを締めればいいと自分の帯を解いた。 すると、この状況を伴之丞が目撃する。

伴之丞は夜這(よば)いをして、おさゐから伝授を得ようと企(たくら)んでいた。
しかし、権三に先を越されたと早合点し、二人の帯を持ち去り、それを証拠に不義密通を訴え出た。

権三とおさゐは、二人で鳥取から逃げ去るが、逃亡先の京伏見で、おさゐの夫・浅香市之進の手に掛かる。

ここを観て聴いて

二人に不義密通の事実はなかった。
しかし、解かれた帯を証拠にされては、もう言い逃れは出来ない。
権三はもう、武士が廃(すた)ったと切腹を覚悟するが、おさゐはそれを押し止め、そして権三に懇願する。
私の夫・浅香市之進は妻の不義で恥をかき、その上、不義相手を討ち果たす妻敵討(めがたきうち)が出来なければ恥の上塗り。
それでは妻としてあまりに不憫なので、「どうせ死ぬのなら夫に討たれてください!」。
理不尽とも思えるこの願いを権三は受け入れる。
これも出世を望み、許婚を捨てようとした罰か……。

印象的なラストシーン

二人は、おさゐの夫・浅香市之進以外の者に斬られないように国を出た。
その二人を見つけ手に掛ける市之進。
権三は何の弁明もせずに討たれるが、おさゐは夫に真実を告げたかった。
しかし市之進は何も聞かずにおさゐを斬った。

この後、刀をじっと見つめてから捨てた、市之進役の人形遣いがいた。
今までに見たことのない演出だったが、妻を斬った苦しさ、武士の空しさが痛いほどよく判った。

赤字はデンマンが強調のため。
読み易いように改行を加えました。
写真はデンマン・ライブラリーより)




102-103ページ 『名作文楽50』
著者: 高木秀樹
2005年7月1日 初版第一刷発行
発行所: 株式会社 世界文化社





(merange12.jpg)

デンマンさん。。。あんさんは古臭い文楽などに関心がありますの?


(kato3.gif)

あきまへんか?

あっかァ~ん!と言うつもりはないんやけど、どないなつもりで文楽など持ち出してきやはったん?

あのなァ~、めれちゃんは文楽が古臭いというけど、この『鑓の権三重帷子』は、『堀川波鼓(ほりかわなみのつづみ)』と『大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ』と共に近松門左衛門の三大姦通劇と言われて現在でもよく知られてるゥ。 実際、1986年には映画化されてるのやでぇ~。。。

 


鑓の権三

 


(gonza04.jpg)

 

近松門左衛門原作の世話浄瑠璃『鑓の権三重帷子』の映画化で、1986年に作られた。
「卑弥呼」の富岡多恵子が脚色。
監督は「瀬戸内少年野球団」の篠田正浩。
撮影は同作の宮川一夫がそれぞれ担当。

あらすじは世話浄瑠璃『鑓の権三重帷子』とほぼ同じだが
おさゐは「どうせ冥土へ行くのなら、権三と夫婦の契りをかわしてから」と、旅篭(はたご)で激しく愛しあう。

宇治の川岸にかかる橋の上で、ふたりはついに市之進と出会った。
そして、彼の刀に倒れるのだった。
一件落着し、浅香家では遺児・虎次郎が亭主となり、茶を立てている。

配役:

郷ひろみ (笹野権三)
岩下志麻 (市之進女房・おさゐ)
火野正平 (川側伴之丞)
田中美佐子 (伴之丞妹・お雪)
加藤治子 (お雪の乳母)
津村隆 (浅香市之進)
水島かおり (市之進娘・お菊)
嶋英二 (市之進伜・虎次郎)
浅川奈月 (市之進娘・お捨)
大滝秀治 (岩木忠太兵衛)
三宅邦子 (忠太兵衛女房)
河原崎長一郎 (忠太兵衛伜・甚平)
竹中直人 (権三の同僚・文右衛門)
浜村純 (道具屋の主人)
小沢昭一 (船頭)




篠田正浩監督作品

『乾いた花』 『鑓の権三』





 



デンマンさん。。。あんさんは上の映画を観やはったん?



もちろんやァ。 『堀川波鼓』は1707年2月15日に、大坂竹本座で初めて演じられた。 1706年に起きた、鳥取藩士が妻敵(めがたき)を討った事件を基にして近松門左衛門が書いたものなのやァ。 そやから、『鑓の権三重帷子』も、実際に起きた事件を基にして近松が書いたものやと思うねん。

つまり、実際に起きた事件を基にして近松のおっさんが書いたものやさかいに、あんさんは観る気になりはったん?

そうやァ。。。そやけどなァ~、次の箇所はドラマチックにするために付け足したと思うねん。


(gonza15.jpg)

おさゐは忌々しい帯を権三から取り、

私のを締めればいいと自分の帯を解いた。

すると、この状況を伴之丞が目撃する。




この場面はあまりにも不自然やと思うねん。



どうして。。。?

このような見え見えの事をするかいな! これでは、「私たちが不義をしている所を見て!見て!」と宣伝しているようやないかいなァ! アホらしくて、観ているわての方が恥ずかしくなったでぇ~。。。

なにも、あんさんが恥ずかしくなることはおまへんがなァ~。。。

とにかく、観客の目に不自然やと思われるような事はせ~へんこっちゃ!

。。。で、あんさんは、その事が言いたいために、わざわざ『鑓の権三重帷子』を取り上げはったん?

ちゃうねん。。。そのような些細な事で記事を書くかいなァ!

そやったら、どないな理由で『鑓の権三重帷子』を取り上げはったん?

あのなァ~、このような不義密通をテーマにした作品は“姦通物(かんつうもの)”と呼ばれておるのやけど、戦後、姦通罪が無くなったのに、どうして未だに人気があるのか? その事をわては考えさせられたのやがなァ。

それで、記事のテーマにしようと思いはったん?

そうやァ。 江戸時代から太平洋戦争まで、この姦通罪は、不義をした妻と、その相手の男だけに適用されて、この二人が罰せられた。 つまり、夫が妻以外の女と浮気をしようが2号さんを持とうが罪とはならへん。

それは男女同権に反しますやん。

そやから、戦後、姦通罪は廃止されたのやがなァ。 それにもかかわらず、未だに『鑓の権三重帷子』が上演されたり 1986年には映画にもなった。 つまり、人気が続いているねん。

『忠臣蔵』が未だに人気があるのと同じ理由やと、わたしは思うわァ。 つまり、吉良上野介を悪者にして、悪い奴をみなで懲らしめはるゥ。 そういう場面を見て日本人は気分良く日常生活に戻ってゆきはる。 気分がすっきりして癒されますねん。

なるほどォ~。。。言われてみれば分かるような気がする。 そやけどなァ、『鑓の権三重帷子』の場合はちょっと違うと思うねん。

どないに。。。?

実は、日本の家庭の主婦は、多かれ少なかれ「おさゐ」さんのような中年女性が多いと思うねん。

伝授を望む権三の来訪を、おさゐは喜んだ。

美男の誉れ高い権三で、

娘の夫になってもらいたいと、

おさゐは権三に伝え、

もし承知してくれれば伝授すると約束した。


つまり、たいていの主婦は打算的で、スーパーならば人よりも良い物を安く手に入れたいと思う。 夫に失望している妻は、せめて娘だけには夫よりも有望な若者を探して見合いでもさせたいと思うてる。 しかも、最悪の状態になっても、諦め切れない未練がましい気持ちにとらわれる。 そやから映画のような状況に共感する。

 


(gonza14.jpg)

おさゐは「どうせ冥土へ行くのなら、

権三と夫婦の契りをかわしてから」と、

旅篭(はたご)で激しく愛しあう。


 



つまり、このような願望を日本の中年主婦が持っていると、あんさんは言わはるのォ~?



夫に失望している妻ならば、当然やろう?

そうやろか?

そやけどなァ、おさゐも権三も殺されてしまうのや。 それを見定めて観客の中年主婦は、きっと次のように思うねん。

 


(kaisendon.jpg)

ああ~  思えば、わたしだってぇ、

同じような状況であれば、

同じような事をするかも。。。

駄目な夫と生活しているけれど、

殺されるよりは

生きて旨い物でも食べていた方がええわァ。


ここで初めて常日頃不満タラタラの家庭の主婦は蜜の味を感じるのやァ。

 

“他人の不幸は蜜の味”

 
 


あんさん!。。。、これはかな~り性格の悪い解釈ですぇ~。。。



さよかァ~。。。?




初出: 2012年1月8日



【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ~。。。
デンマンさんは近松門左衛門の作品にハマっているようですわ。
かつて『心中天網島』(しんじゅうてんのあみじま)について次の記事を書きました。


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『心中と切腹』

(2010年11月25日)


同名の人形浄瑠璃は1721(享保5)年に、大坂竹本座で初演されました。
実際に1721年に起きた、紙屋治兵衛と遊女小春の心中事件を基にして書いた作品です。
愛と義理がもたらす束縛が描かれており、近松の世話物の中でも、特に傑作と高く評価されています。
また、道行「名残の橋づくし」は名文として知られています。
後に歌舞伎化され、今日ではその中から見どころを再編した『河庄』(かわしょう)と『時雨の炬燵』(しぐれのこたつ)が主に上演されています。

とにかく、次回も興味深い話題が続くと思います。
あなたも、また戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。


(hand.gif)



(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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『夢とロマンの横浜散歩』

『あんさんに会いたい』 

『愛とロマンの小包』

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『ロマンと夢とババア(2011年11月4日)』

『愛の地獄(2011年11月8日)』



(bare02b.gif)

こんにちは。ジューンです。

『堀川波鼓(ほりかわなみのつづみ)』も

近松門左衛門の三大姦通劇の一つですが、

この人形浄瑠璃は1707年2月の初演以来、

上演が途絶えていたのです。

それが1964年にNHKで復活しました。

これを映画化したものが今井正監督による『夜の鼓』です。

新劇では俳優座が『つづみの女』として上演しました。

鳥取藩士小倉彦九郎の妻・たねは、

夫が江戸詰めで国許を留守にして間に、

酒席で飲みすぎて、そのはずみで

鼓師・宮地源右衛門と褥(しとね)を共にしてしまいます。

そして不義の子を身ごもるのです。

その噂のために、妹のお藤(ふじ)の縁談は

破談になってしまいます。

隠しきれなくなったたねは、

夫への忠節を示すため自分の胸を突き、

非を詫びながら夫の手で絶命します。

たねの妻仇(めがたき)を討つべく、

彦九郎は復讐に燃える妹らを連れて

宮地宅へ討ち入り、本懐を果たすという物語です。

ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。


(bitegirl2.gif)

『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ



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室生犀星とふるさと

2022-12-19 04:34:16 | 日本人・日本文化・文学論・日本語


室生犀星とふるさと

 


室生 犀星 (むろう さいせい)

 



 

本名: 室生 照道(てるみち)
1889年(明治22年)8月1日に生まれる
1962年(昭和37年)3月26日に肺ガンのために亡くなる。
石川県金沢市生まれの詩人・小説家。
 
1889年、加賀藩の足軽頭だった小畠家の小畠弥左衛門吉種とハルという名の女性の間に私生児として生まれた。
生後まもなく、生家近くの、真言宗寺院雨宝院住職室生真乗の内縁の妻赤井ハツに引き取られ、その妻の私生児として照道の名で戸籍に登録された。
住職の室生家に養子として入ったのは7歳のときであり、この際室生照道を名乗ることになった。

私生児として生まれ、実の両親の顔を見ることもなく、生まれてすぐに養子に出されたことは犀星の生い立ちと文学に深い影響を与えた。
「お前はオカンボ(妾を意味する金沢の方言)の子だ」と揶揄された犀星は、生みの母親についてのダブルバインド(二重束縛)を背負っていた。
『犀星発句集』(1943年)に見える次の句は50歳を過ぎた後も、犀星がこのダブルバインドを引きずっていたことを示している。

夏の日の匹婦の腹に生まれけり

抒情小曲集の次の詩句が有名である。

ふるさとは遠きにありて思ふもの

そして悲しくうたふもの


この句の通り、文壇に名を轟かすようになった後も金沢にはほとんど戻ることがなく、そのかわり犀川の写真を貼っていたという。






出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 





今日は室生犀星と金沢のお話でござ~♪~ますか?


 
なんだか卑弥子さんは、つまらなそうな表情を浮かべていますねぇ~。。。金沢では不満なのですか?

別に不満だと言う訳ではござ~♪~ませんわ。ただ、日本はまだ三賀日気分が抜けないので、お正月にちなんだ話題の方がこの記事を読んでくださる方に悦ばれるかもしれないと思ったまでのことでござ~♪~ますわ。

お正月にちなんだ話題ですよう。

でも、タイトルにはお正月にかかわるようなものは何も見えてませんわ。

タイトルはお正月とは関係ないのですよう、でも、日本はまだ正月気分なので僕も少しでも正月にちなんだ話しをしようと、これでも苦労しているのですよう。うへへへへ。。。

それで、金沢とお正月にちなんだ話って、いったい何でござ~♪~ますか?

卑弥子さんは“お盆と正月が一緒に来たようなものどすえ”と言うのを聞いたことがありますか?

ええ。。。もちろんありますえ~。

ほおォ~。。。京都弁になると、体のしぐさまでがなよなよと柔軟になって、急にしおらしくなるのですねぇ~。うしししし。。。

あたくしをからかうつもりで京都弁を持ち出して来たのどすか?

いや、違いますよう。関東でも、とりわけ賑わいを見せたり、予想以上にうれしい事があった時など“盆と正月が一緒に来たようだ”と言うのですよう。

。。。んで、その事と金沢がどう関係あるのどすう?

金沢には昔、マジで「盆正月」と言う行事があったのですよう。

それって、ほんまの話どすゥかぁ~?

ほんまですがなぁ~

デンマンさんまでが関西弁を使わなくてもよろしおすえ~。。。んで、その「盆正月」って、どのようなものでござ~♪~ますか?

昔、加賀藩の時代に、大きな慶事があった場合。。。、たとえば藩主の継承があった時とか、または、お殿様の官位が昇進した時とか、あるいは、世子が誕生した時とか。。。、そういう時には、城下の市民がこぞって祝ったのですよう。

祝うってどのように。。。?

だから、城下の商人や町人は、すべて仕事を休みにするのですよう。それで、家々では祝い幕をかかげ、各町内では造り物をこしらえ、獅子舞や、祇園ばやしなども出て、藩主はこの催し物を特設の物見台より見物したのですよう。

つまり、「盆正月」と言う行事は、いついつにすると言うように、日にちが決まっている訳ではないのでござ~♪~ますわねぇ。

決まってないのです。正月と言う名が付いているけれど、1月にあるわけではないのですよう。記録によると、盆正月の始まりは、五代藩主・前田綱紀(つなのり)の頃からだったらしい。はっきりと記録に残っているのでは、延享2年(1745)前田宗辰(むねとき)が藩主になったのを祝って、8月11・12日に町奉行がお触れ書きを出して「盆正月」を執り行ったと記(しる)されているのです。

現在、金沢では「盆正月」は行われていないのでござ~♪~ますか?

明治2年(1869)に最後の加賀藩主・前田慶寧(よしやす)が恩賞を受けたときが最後の「盆正月」だった。それまでに40回以上行われたらしい。

金沢では、もうやらないのでござ~♪~ますか?

残念ながら、現在、やってないのですよう。でも、この「盆正月」を再開しようと考えている人たちも居るそうですよう。

。。。んで、この「盆正月」と室生犀星が何か関係あるのでござ~♪~ますか?

何か関係はないものかとずいぶん調べたのだけれど、全く関係がないのですよう。うへへへへ。。。

うへへへじゃござ~♪~ませんわ。それでは、無理やり「正月」と言う文字を持ち出しただけで終わりじゃござ~♪~ませんかア!

でも、少しは正月にちなんだ、おめでたい話になっているでしょう。。。うしししし。。。

もう、よろしいおすゥ。今日のタイトルに戻ってお話してくださいな。

あのねぇ~、実は、正月と言えば、僕はもう日本の正月を30年以上味わってないのですよう。

マジで。。。?

大真面目ですよう。

つうことわあああぁ~。。。紅白歌合戦も30年以上も見てないと言うことでござ~♪~ますか?

見てません!見たいとも思ってません!

それって。。。それって。。。ちょっと異常ではござ~♪~ませんか?

どうしてですか?

日本の大晦日と言えば、紅白歌合戦。。。紅白歌合戦と言えば日本の大晦日でござ~♪~ますわア。

卑弥子さんも毎年、大晦日になると紅白歌合戦を見るのですか?

見ませんわ。

どうしてですか?日本の大晦日と言えば、紅白歌合戦。。。紅白歌合戦と言えば日本の大晦日なのでしょう?

そうでござ~♪~ますわア。

それなのに、卑弥子さんは見ないのですか?

だってぇ~。。。見ると言ったら、デンマンさんに馬鹿にされるのですものォ~。。。典型的なオツムの足りない日本のミーちゃんハーちゃんだってぇ~。。。デンマンさんは、きっと。。。、きっと、あたくしを馬鹿にするのですわア~。

それで。。。、それで、見ているのだけれど、大きな声で見たと言わないのですか?

うふふふふ。。。

うふふふじゃないですよう!んも~~。。。正月早々、日本人特有の“本音と建前”を使い分けないでくださいよう!正直に答えてくださいよう!正直にィ~。。。

分かりましたわ。。。んで、デンマンさんは30年も日本のお正月を味わってなくて、何が一番恋しいのでござ~♪~ますか?

小百合さんから次のよなメールをもらうと、やっぱり、おせち料理が懐かしくなりますよう。

 



[504] Re: ○ 門松とロマンポルノ ○ 2009年1月3日 
Name: sayuri E-MAIL
Date: 2009/01/02 00:55
(バンクーバー時間: 1月1日午前7時55分)




2009 おめでとう ございます。
元旦の夜は新年会で親戚一同が集まります。
お刺身 かに お寿司 PIZZA おせち 色々用意して
やっと よっぱらいも さっき帰りました。

 













 

疲れた~ ( ̄Д ̄;)
自分の好きな事は 疲れないけど
あ~ おさんどん は疲れるー。
台所のゴミがすごいので 明日まとめます  これが現実。
では またね。




『RE: 門松とロマンポルノ (2009年1月2日)』より


 

だったら、お正月に帰省なさればよいでしょうに。。。?

あのねぇ~、大晦日も元旦も、日本では、皆、てんやわんやですよう。飛行機は混むし、航空券は高いし、どこへ行っても騒がしい。疲れるだけです。小百合さんの上のメールを読んでも分かるでしょう?だから、小百合さんに逢うどころじゃない。。。

つまり、日本に帰省するのは小百合さんにお逢いになるのが第一の目的なのでござ~♪~ますか?

もちろん、小百合さんにも逢いたいのですよう。でもねぇ、一番の目的は、老い先短い母親に会うことですよう。あとで次のような後悔をしたくないからですよう。

“親孝行したい時には親は無し”

つまり、犀星さんがふるさとに足を運ばなかったのは、お母様が居なかったと言う事でしょうか?

違うと思いますよう。

どう違うのでござ~♪~ますか?

例え、室生犀星の産みの母親が生きていたとしても、当時、里子に出した産みの親は、我が子とは絶対に会わない、という事を心に誓ったものですよう。だから、産みの母親が金沢に住んでいたとしても犀星とは会わなかったでしょう。

犀星さんもそう思って、ふるさとに帰らなかったのでしょうか?

複雑な気持ちだったと思いますよう。

どのように複雑だったのでござ~♪~ますか?

だから、犀星の次の句に、その複雑な心境が表れていると思うのですよう。

 


『犀星発句集』(1943年)に見える次の句は50歳を過ぎた後も、犀星がこのダブルバインドを引きずっていたことを示している。

夏の日の匹婦の腹に生まれけり


この句がどうだとおっしゃるのでござ~♪~ますか?

卑弥子さんは京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義しているのですよう。分からないはずがないでしょう!

京都の女子大学とは関係ござ~♪~ませんわ。

あのねぇ~、日本語が母国語でないジューンさんだって次のように言っているのですよう。




 

こんにちは。ジューンです。

夏の日の匹婦の腹に生まれけり

なんとなく意味は分かりますよね。

でも、わたしは“匹婦”という言葉を

初めて見たのでした。

“匹”は動物を数えるときに使いますよね。

“婦”は成人女性のことです。

だから、“動物的な女性”だろうと

わたしは直感的に意味を考え出したのです。

念のために辞書を引いてみました。

 


ひっぷ 【匹婦】

身分の低い女。
また、道理をわきまえない卑しい女。

【用例】 
「欲にのみふける匹婦の情/人情本・梅児誉美(後)」

三省堂「大辞林 第二版」より


なるほどね~。

男性の場合は“匹夫”です。

ところで、“匹”は何をかたちどって

出来た漢字だと思いますか?

なんと、馬のお尻だそうです。

そう言われてみれば、

馬のお尻のようにも見えますよね。(爆笑)

ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。







『室生犀星を旅する (2008年12月28日)』より


 

つまり、犀星さんは自分の産みの母親を“身分の低い、道理をわきまえない卑しい女”だと俳句の中で詠んだのでござ~♪~ますわね?

そうですよう。犀星は自分の出生について50歳を過ぎた後でも、心の底に重くわだかまっているものを感じないでは居られなかったのですよう。

そのわだかまりとは。。。?

犀星を生んだお母さんは、実は小畠弥左衛門吉種の正妻ではなかった。

どういう方だったのでござ~♪~ますか?

木畠家に仕えていた奉公人だったのですよう。

つまり、お手伝いさんだったのでござ~♪~ますか?

まあ、分かり易く言えば、そういうことなのですよう。犀星は、祝福されながら生まれたわけではないのですよう。ハルさんは当時32歳だった。木畠家は、とりわけ裕福である訳ではないから、水子にして処分しないのであれば、後は里子に出すしかなかったのですよう。

つまり、他の人に赤ん坊を貰ってもらうのですわね?

そうですよう。それで、生後まもなく雨宝院住職の室生真乗の内縁の妻、赤井ハツさんにもらわれたのですよう。

つまり、この赤井ハツさんも、世間で言うところの“お妾(めかけ)”さんだった訳でござ~♪~ますか?

そうなのですよう。

“人の口に戸は立てられない”

諺にもあるように出生の秘密というのは、どういうわけか漏れてしまう。それで、上の略歴にも書いてあるように、犀星は「お前はオカンボ(妾)の子だ」と馬鹿にされたのですよう。

でも、犀星さんは赤井ハツさんの子供ではないのでしょう?

そうですよう。噂というものは、いい加減なものだという事ですよう。真実を知る人は少ない。でも、“妾の子”と馬鹿にされただけでも子供心には、深い心の傷になってしまう。

つまり、ダブルバインドという事は、“お妾さんの産んだ子”だと馬鹿にされた事とは別に、自分の父親が奉公人の女に手をかけて産ませた子だという事実を犀星さんは知ったということですか?

その通りですよう。要するに自分の出生にまつわる2重の苦しみの種を抱えてしまったのですよう。

夏の日の匹婦の腹に生まれけり

その苦しみ、悩みがこの俳句に詠み込まれていると、デンマンさんはおっしゃるのですか?

そうですよう。50歳を過ぎた後でも、犀星はこのダブルバインドを引きずっていた、と言うのですよう。

つまり、自分の産みの親を憎んでいたのでござ~♪~ましょうか?

憎んだ事もあったでしょうね?

つうことわぁ~。。。犀星さんがこの句を詠んだ時には、もう産みの親を憎んでいなかったと。。。?

上の句を詠んだ時には、犀星は産みの親を憎んでいなかったと僕は思いますよう。

どうして、そのようなことがデンマンさんに分かるのでござ~♪~ますか?

犀星は生みの母に会った事がないのですよう。だから、なおさら憎めなかったのでしょうね。

どうして会えなかったのですか?

当時、我が子を里子に出したら産みの親は2度と別れた子に会うべきではない、というのが里子に出した産みの親の守るべき事だと言われていたのですよう。

つまり、会ってはいけないと。。。?

そうですよう。いわば暗黙の掟(おきて)のようなものだったのですよう。

犀星さんは、さぞかし産みのお母様にお会いしたかったでしょうね。あたくしは、いつも『徳光和夫の感動再会"逢いたい"』を見て感動しているのでござ~♪~ますわ。もし明治時代にあの番組があったならば、犀星さんも産みのお母様にお会いできたかもしれませんわよねぇ~。(卑弥子さん、番組の感動シーンを思い出しながら目頭に熱いものがこみ上げてくる。。。)

ちょっと、卑弥子さん!。。。涙を浮かべて。。。それではまるで司会の徳光さんのようじゃないですかア~

デンマンさんは。。。、あのォ~。。。日本に帰省した時に、その番組をご覧になりませんでしたのォ~?

実は、僕のお袋があの番組が好きでしてねぇ~。僕も、仕方なしに一緒にみましたよう。

産みのお母さんとの再会なんて、実に感動的でござ~♪~ますでしょう?

卑弥子さんもTBSテレビで見たのですか?

あたくしは関西でござ~♪~ますから毎日放送(MBS)ですわ。。。んで、犀星さんは一生、産みのお母様にお会いしなかったのでござ~♪~ますか?

会えなかったのですよう。お母さんは行方不明のままだったのですよう。それで、室生犀星は生涯にわたって、この「見えない母」を思慕しつづけたのですよう。

どうして。。。、どうして、そのような事がデンマンさんに分かるのでござ~♪~ますか?

長編小説『杏(あんず)っ子』を書いあとで、犀星は次のような率直な感想を書いていたのですよう。

「ただ、このような物語を書いているあいだだけ、

(母に)お会いすることが出来ていた。

物語をつづるということで、

生ける母親に会うことのできるのは、

これは有難いことのなかの

特に光った有難さなのである」


卑弥子さんも、これを読めば分かるでしょう!?会えない産みの親というのは男にとって“心のふるさと”なのですよう。

そう言うものなのでしょうか?。。。でも。。。でも、それならばなぜ、犀星さんは産みのお母様を侮辱するような次の句を読んだのでござ~♪~ましょうか?

夏の日の匹婦の腹に生まれけり

だから、そこですよう。

どこでござ~♪~ますか?

犀星が書いた次の詩をじっくりと読んでみてくださいよう。




 

我は張りつめたる氷を愛す

斯る切なき思ひを愛す

我はそれらの輝けるを見たり

斯る花にあらざる花を愛す

我は氷の奥にあるものに同感す

我はつねに狭小なる人生に住めり

その人生の荒涼の中に呻吟せり

さればこそ張りつめたる氷を愛す

斯る切なき思ひを愛す


昭和三十五年十月十八日  室生犀星之建




詩集『鶴』巻頭詩「切なき思ひぞ知る」より


 

産みの親を“匹婦”と呼んでいたけれど、それは決して母親を侮辱したり憎んでいるために、そう書いたわけではないのですよう。

でも、“匹婦”とは、ジューンさんが調べたように、とっても悪い意味でござ~♪~ますわ。産みの親が、デンマンさんのおっしゃるように男にとって“心のふるさと”であるならば、犀星さんは絶対にそのような悪い言葉を使わないはずでござ~♪~ますわ。

だから、その言葉は産みの母親に向けたわけではないのですよう。

。。。では。。。では。。。いったい、どなたに向けた言葉なのでしょうか?

室生犀星自身に向けた言葉ですよう。

犀星さんご自身に向けた言葉でござ~♪~ますか?

その通りですよう。

それならば、匹婦ではなくて匹夫になるはずですわ。

でもねぇ、匹夫と書いたのでは、全く馬鹿馬鹿しい句になってしまう。普通の人が読んで誰でも分かるようにするには、やはり匹婦と書かざるを得ないのですよう。

でも、あたくしには、まだ良く分かりませんわ。

あのねぇ、次のような諺を卑弥子さんも聞いたことがあるでしょう?

“三つ子の魂百までも”

ええ。。。聞いたことがありますわ。

人間は三歳までにいろいろ経験したことが、その後の性格を形成する、というのですよう。つまり、幼い時に培われた性格は、いくつになっても変わらない、とのたとえです。

犀星さんの場合、具体的には、どう言う事なのでござ~♪~ますか?

三歳という年齢にこだわる必要はないのですよう。問題は、傷つきやすい時期に犀星は「お前はオカンボ(妾)の子だ」と言われ、馬鹿にされたり、イジメられたりした。犀星に落ち度があるわけじゃない。犀星自身は、何も悪い事をしたわけじゃない。犀星にはどうする事もできない事で、馬鹿にされたり苛められたりした。

その経験が。。。嫌な思い出が50過ぎても、犀星さんの心の底に重く沈んでいたとデンマンさんはおっしゃるのですか?

そうですよう。それで、次の句を読んだのですよう。

夏の日の匹婦の腹に生まれけり

でも、この句を詠んだ時の犀星は、もはや少年の頃の犀星ではない。犀星の生い立ちの事で馬鹿にする人も居なければ、苛める人も居ない。冷静に考えれば、犀星自身は、何も悪い事をしたわけじゃない。犀星にはどうする事もできない事だった。でも、“三つ子の魂百までも”。。。子供の頃、苛められたり馬鹿にされた悪夢は、心のどこかに残っている。

その事に対して犀星さんは素直に向き合って上の句を読んだと。。。?

そうですよう。その事が上の詩の中にも、再度表れていますよう。

どこにでござ~♪~ますか?

我はつねに狭小なる人生に住めり

その人生の荒涼の中に呻吟せり


狭小なる人生とは。。。結局、その生い立ちの柵(しがらみ)から抜け出そうとして抜け出せない自分ですよう。そのような事を考えても仕方がないのだけれど、やはり考えない訳にはゆかない。そういう心の状態が“人生の荒涼の中に呻吟せり(苦しくてうなる)”ですよう。

。。。んで、それに続く次の詩句はどういう意味なのでござ~♪~ますか?

さればこそ張りつめたる氷を愛す

斯る切なき思ひを愛す


それを理解するためには、犀星が書いた長編小説『杏(あんず)っ子』を読むと分かるのですよう。犀星の人生は、苦しくてうなるような荒涼とした人生だったけれども、幸いな事に一人娘の朝子さんを授かったのですよう。

それで。。。?

「娘というものはその父の終わりの女」である

ということだ。

ヒョットコ顔の平四郎は、

娘を美しい女に育てあげることによって、

「自分自身のどこかにあるはずの女というもの」を、

もういっぺん一から組み立てたくなっていた。


小説の中で犀星は、このような事を書いている。つまり、犀星は「母親とは何か?」、「我が子を里子に出さねばならない母の気持ちとはどういうものなのか?」。。。「女とは。。。?」。。。そのような事を考えない訳にはゆかなかったのでしょうね。。。自問自答しながら書いたのが『杏っ子』だった。。。それで、書き終えてから犀星が書いたのが次の感想だったわけですよう。

 

「ただ、このような物語を書いているあいだだけ、

(母に)お会いすることが出来ていた。

物語をつづるということで、

生ける母親に会うことのできるのは、

これは有難いことのなかの

特に光った有難さなのである」


。。。それで。。。?

創作の中で生ける母親に会うことこそ、犀星にとって“愛すべき張りつめたる氷”だったのですよう。

さればこそ張りつめたる氷を愛す

斯る切なき思ひを愛す


それが、犀星さんがふるさとに帰らなかった理由なのでござ~♪~ますか?

そうですよう。犀星にとってふるさとは、あまりにも生々しい記憶を呼び戻してしまう所だと思うのですよう。

つまり、“匹婦”のお母さんが住んでいる所。。。犀星さんがそのお母さんのために馬鹿にされ、イジメられたところ。。。犀星さんは、そのように感じてしまうとデンマンさんは思うのでござ~♪~ますか?

そうですよう。だから、犀星は創作の中で母親に会い、切ない思いに浸る事の方を選んだのですよう。

ふるさとは遠きにありて思ふもの

そして悲しくうたふもの



【卑弥子の独り言】



ですってぇ~。。。
確かに、犀星さんにとって、ふるさとは、あまりにも生々しいものだったのかもしれません。

でも、デンマンさんは、どうして30年もの間ふるさとのお正月を味わっていないのでござ~♪~ましょうか?
あなたは、なぜだと思いますか?
あたくし、あさってデンマンさんにお聞きしてみたいと思いますう。

とにかく、興味深い話題が続きますわ。
あなたも、どうか、読みに戻って来てくださいね。
じゃあ、また。。。




初出: 2009年1月7日







ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

“三つ子の魂百までも”

そうですよね。

幼児の頃の教えやしつけは

終生、その子供の心に

刻み込まれてしまいますよね。

さて、上の諺を英語で何と言うのでしょうか?

いくつか言い方がありますよ。

よく見かけるものに次の言い方があります。

The child is the father of the man.

つまり、幼児の頃のしつけが

大人になってからの性格を

形付ける、と言う事です。

次の諺は、そのものズバリを説明しています。

What is learned in the cradle is

carried to the grave.

ゆりかごで習い覚えたことは、

墓場まで持ってゆく


次の言い方も分かり易いです。

The leopard cannot change its spots.

ヒョウがもって生まれた斑点は

自分で変えることはできない。


その通りですよね。

ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。







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あんどん かつどん

2022-12-18 04:49:40 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 

あんどん かつどん

 


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あんどん (あんかけ丼)


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かつどん (かつ丼)


(tendon20.jpg)

てんどん (天丼)


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(himiko22b.gif)

デンマンさん。。。 あんどん というのは「あんかけ丼」のことでござ〜ますかァ〜?


(kato3.gif)

京都でもあんどん というのは「あんかけ丼」と言うのですか?

いいえ。。。「あんどん」というのは、時代劇に しばしば出てくる照明器具ですわァ〜。。。

 


(andon20.jpg)

 



「あんどん」と言えば、日本全国でこの時代物の照明器具を意味するのではござ〜ませんかァ〜? デンマンさんの埼玉県の故郷ではレストランで「あんどん」と言うと、「あんかけ丼」が出てくるのですか?



いや。。。そういうことはありません。。。レストランで「あんどん」と言ったら、おそらく注文を取りに来た女性が、不思議な顔をすると思いますよ。。。

じゃあ、「あんどん」が「あんかけ丼」を意味するのは、どこの地方の方言なのでござ〜ますかァ〜?

僕の知る限り、そういう方言はないと思います。

じゃあ、どういうわけで「あんどん」を持ち出したのですか?

あのねぇ〜、最近、記事を書いて頭が疲れた時など、息抜きに落語を聴くのですよ。。。2,3日前に古今亭志ん朝の次の落語を聴いたのです。。。

 


(shincho10.jpg)



 



「首提灯」という面白い話なのですよ。。。

 



落語「首提灯」

 


(kubi12.jpg)

 

首提灯(くびぢょうちん)は古典落語の演目の一つ。
原話は、安永3年(1774年)に出版された笑話本『軽口五色帋』の一遍である「盗人の頓智」。

元は小噺程度の短いものであったが、4代目橘家圓蔵が一席物にまとめた。
古今亭志ん朝は『頭山』と並んでSF落語の嚆矢としている

後に上方にも伝えられたが、まったく異なる話となった。

主な演者には、6代目三遊亭圓生(この噺で芸術祭文部大臣賞受賞)、そして林家彦六などがいる。

 

あらすじ

酩酊状態の男が品川遊郭へ行こうと人気のない夜の芝山内に差し掛かった時だった。近頃、芝山内には追い剥ぎや辻斬りが出るという噂が立っており、さっさと通り抜けようとするところ、男は背の高い侍に突如声をかけられる。
侍は道に迷ったと言い、麻布へはどう行けばいいかと尋ねてくる。

噂の辻斬りと疑い内心で焦っていた男は虚勢を張るが、侍の口調に訛りがあることに気づくと酔いも手伝って田舎侍と罵倒を始める。
怒るものの、しょせんは酔っ払いが相手だと穏便に対応する侍であったが、これに気を良くして男はさらに増長し、罵詈雑言を浴びせた末に、痰を吐き掛ける。
これについに侍は激怒し、目にも留まらぬ居合抜きで男の首を斬ると、その場を去る。

あまりにも見事な居合だったために、自分が斬られたことに気づかない男はそのまま歩みを始める。
しかし、声が喉から漏れたり、段々首がズレたり、首元を触れば血糊がべったりとしていて、ようやく首を斬られたと気がつく。

男はニカワでもあれば元に戻るかなどと軽口を言っていると、道先で火事が起こっていることに気づく。
既に大量の野次馬がおり、人混みを無理に掻き分け進むと首が落ちてしまうだろう。
そこで、男は首を掴むと提灯のように持ち「はいごめんよ、はいごめんよ」。

上方版(上燗屋)

上方に移る際、まったく別の話となった

まず立ち飲み屋(上燗屋)での店主と客のやり取りが主となる。
演者は泥酔した客を演じ、初めてきた上燗屋の酒や料理を仕切りに褒める。

やがて会計の段になり、客は細かい持ち合わせが無かったためにツケにしようと浅い策を練るが、店主にあっさり拒絶される(この最後の場面をサゲとして「上燗屋」という題で演じられる場合もある)。
仕方なく客は近くにあった古道具屋に入り、仕込み杖を買って金をくずして支払う。

その後、酔客は家路につくが、せっかく買った仕込み杖を使いたいとウズウズとする。
そこであえて家を無防備で留守であるかのように見せる。

すると案の定、泥棒が入ってくる。
そして泥棒が中の様子を見るため首を伸ばしたところを、スパンと一刀の下に斬る。

しかし、泥棒は首が斬れているのに死なず、慌てて家の外に飛び出し首を斬られたとボヤく。
すると近所で火事があり、自分の首を提灯のように持ってその場を逃げる。

 

備考

江戸時代、提灯には明かり以外に名札としての役割があった。
提灯には紋や屋号を特注して入れ、これで遠目にも誰であるか容易に特定できるようになっていた。
この演目のサゲ(オチ)はこのことが前提となっている。

コトバンクでは、「首や胴が切られても活動するという奇抜な発想がおもしろく、この種の咄はほかに『胴取り』『胴斬(ぎ)り』などが現代に残されている」と評している。

落語評論家の山本益博も解説で取り上げている。

1995年に古今亭志ん朝が高座で取り上げ、NHKにおいて放送された。
放送の際、志ん朝が自身で解説を行った。
林家彦六から稽古をつけてもらったこと、冬の話なので夏には出来ないこと、SF落語の嚆矢として他に『頭山』を引き合いに出すなどの話をした。

演者としては、その志ん朝がよく知られた他、上方に移った演目では桂枝雀が得意としていた。




出典: 「首提灯」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



この話に入る前の「枕」で、最近の20才前後の若者は、古今亭志ん朝さんが若い頃に知っていた日本語が解らないという話をするのですよ。。。その話の中に「あんどん」が出てくる。。。若い女性に尋ねると、「あんどん」と語呂が似ている「かつどん」や「てんどん」の連想から「あんかけ丼」のことですか?…という返事が帰ってきたと言うのです。。。



あらっ。。。知らないとは言うものの、絶妙な答えではありませんかァ〜。。。おほほほほほほ。。。

確かに、「行灯(あんどん)」を知らなければ、語呂が似ているので「あんかけ丼」だと思うかもしれません。。。

デンマンさんは、当然知ってますよねぇ〜。。。

もちろん、知ってます。。。僕が子供の頃は時代劇映画をたくさん見ましたからねぇ〜。。。夜の場面では、行灯が必ずお屋敷の座敷に出てましたよ。。。

他に、どのような日本語を志ん朝さんは取り上げたのですか?

次のような言葉が出てくるのですよ。。。

 



にこごり(煮凝り):魚を似た汁が、冷めて固まったもの

そこつ(粗忽):そそっかしい

せっちん(雪隠):トイレ

はばかり(憚り):トイレ

しきい(敷居):引き戸や障子などを開けたてするための床や畳のそばにある横木

かもい(鴨居):引き戸や障子などを立てる、溝のある上の横木



 



このような言葉の後で、古今亭志ん朝さんが昔 サントリーのCM(コマーシャル)に出たことがある、という話が続くのです。。。

 


 



その時の撮影現場でスタッフの人達と話をした時に、たまたま『オーケー牧場の決闘』の話になったと言うのです。。。。

 



OK牧場の決闘

 


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OK牧場の決闘(英語: Gunfight at the O.K. Corral)とは、1881年10月26日、アリゾナ州コチセ郡トゥームストーンのO.K.コラル近くの路上で起こった銃撃戦。

1881年10月26日、ワイアット・アープらを始めとする市保安官たちと、クラントン兄弟(父親オールド・マン・クラントンはこの2ヶ月前に既に物故)をはじめとするカウボーイズがアリゾナ州コチセ郡トゥームストーンの町で撃ち合い銃撃戦となった。

これは正式な意味での決闘ではなく、表面的には市保安官が銃不法所持者を武装解除しようとした際に発生した銃撃戦と言える。

そして実際にはアープ組とカウボーイズ組とのさまざまな確執の結果であるというのが今日の見方である。
すでにダッジシティで保安官として名を馳せたワイアット・アープが、1879年の12月1日、銀鉱山であるトゥームストーンへ一旗揚げようと兄弟のジェイムスとバージルの家族と共にやって来た。

当初はまだカウボーイズらとの仲は悪くなかったと言われている。
それが銃撃戦にまで至る事情はおおむね次のような原因が重なったためと言われている。

トゥームストーンでワイアットは2番目の(しかし内縁の)妻のマティと不仲になり、その頃郡保安官ジョン・ビアンと付き合っていたジョセフィン・サラ・マーカスと三角関係になり、結局ジョセフィンを手に入れる。

カウボーイズらの郡党(County Party。民主党支持)と、アープ組の法と秩序党(Law And Order Party。共和党支持)の対立。
それは1880年10月、カーリー・ビルによるフレッド・ホワイト保安官殺害事件となり、両陣営の亀裂をさらに深める。

1881年7月、駅馬車強盗の容疑者として、ドク・ホリデイがジョン・ビアンにより逮捕される。後に無罪判決となる。
駅馬車強盗の犯人に関する闇取引(アイク・クラントンに対して、仲間を売るように持ち掛けた)に関する諍いで、アイク・クラントンはワイアット、ドク・ホリデイ双方と喧嘩状態になる。決闘前夜にドクとアイクは酒場で喧嘩となる。

このようないきさつにより、アイク・クラントンは、「アープ兄弟と決闘だ」、「ワイアットを殺す」と町の仲間らに言いふらしており、アープらも「決着」をつけなければいけない気持ちになっていた。

ドク・ホリデイは、肺結核を患っており半ば死に場所を探しているような節があり、最初からこのいざこざに加勢するつもりでいた

当日は、「フライ写真館の隣にある空き地から、フリモントストリートに出たあたりで、カウボーイズ組が銃を所持しているので、武装解除するべきだ」と市民の忠告を受けた、バージル・アープは、彼らをただ武装解除するだけのつもりで出かけた。

決闘は、郡保安官の仲裁も失敗に終わり、約30秒、30発の銃弾でほとんど至近距離での撃ち合いとなった。

決闘後、アープ組は全員殺人罪で起訴されたが、全員無罪となった。
この判決を受け、カウボーイズ組はバージルとモーガンを闇討ちし、バージルは腕を、モーガンは命を失う。
その後、ワイアット・アープら自警団は、モーガン殺害の実行犯と見られたフランク・スティルウェルをツーソン駅構内で殺害したと言われている。

その後、ワイアットとドクはロサンゼルスへと移ったが恩赦はおりず、貧困を極めたが、やがて1920年代に当時映画撮影の中心地となったハリウッドで西部劇の決闘の演技を指導する仕事に就いた。
そしてその折りにワイアットはこの決闘を題材として売り込んだと言われている。

決闘の名称について

「OK牧場の決闘」の名称は、1957年にジョン・スタージェス監督が制作した西部劇映画『OK牧場の決斗』の邦題に由来する。
映画の原題(および英語での事件名)であるGunfight at the O.K. Corralは直訳すれば「OKコラルの銃撃戦」となる。

コラルとは家畜の囲いを意味し、牧場の畜舎を指すこともあるが、ここでは旅の集団が牛や馬を一時的に預けたり繋いでおくために用いられる、西部開拓時代特有の囲い場を指し、実際に映画の中で描かれている「O.K. Corral(オーケー・コラル)」も町はずれにあって柵で囲ってあるだけの簡素な囲い込み場で、一般的な意味での牧場ではない。

しかしこの映画の日本公開にあたり、配給会社が「OKコラルの決闘」では分かりにくいので「OK牧場の決闘」と意訳し、この映画を受けて日本では史実の決闘のことも「OK牧場の決闘」と呼ぶようになった。
映画の題名がそのまま史実の名称として語られることになった珍しい例といえる。

関係者

アープ組
バージル・アープ - 市保安官で、ワイアット・アープの兄 右太腿負傷
ワイアット・アープ - 市保安官 無傷
モーガン・アープ - ワイアット・アープの弟 負傷
ドク・ホリデイ - ワイアット・アープの友人 大腿部打撲

カウボーイズ組
アイク・クラントン - オールド・マン・クラントンの子 決闘には不参加(逃走)
ビリー・クラントン - オールド・マン・クラントンの子・アイクの弟 死亡
フランク・マクローリー - アイクの友人 死亡
トム・マクローリー - フランクの弟 死亡
“ザ・キッド”ビリー・クレイボーン - カウボーイズの知り合い 決闘中に逃走。リンカーン郡戦争で有名なビリー・ザ・キッドとは別人。




出典: 「OK牧場の決闘」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



この有名な「OK牧場の決闘」を扱った映画は、何度か映画にもなっている。。。だから、、僕もバンクーバー市立図書館でDVDを借りて 2本「OK牧場の決闘」を扱った映画を観てます。。。

 


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この映画に出てくるドッグホリデーが労咳(ろうがい)病(や)みで、…今で言う肺炎(肺結核)を病んでいて、健康な人よりも、こういう病弱な人が決闘のような場面に出てくるところが格好がいい、と志ん朝さんが言うわけです。。。日本ならば、さしずめ平手造酒(ひらてみき)だろう、と志ん朝さんが続ける。。。

 



平手造酒

 


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平手 造酒(ひらて みき)は、江戸時代幕末の剣客。
本名は平田 深喜、名は深木、三亀とも書く。

仙台藩あるいは紀州藩の藩士など諸説あるが、流浪の末下総国香取郡松崎(現在の神崎町松崎)の名主宅に身を寄せ剣術道場を開いていた浪人といわれる。

博徒の親分笹川繁蔵と知り合い、天保5年(1844年)8月6日、飯岡助五郎との大利根河原の決闘に笹川方の助っ人として参加し闘死した(臨終は翌日の朝6時ごろ)。
享年30、あるいは30代とも。

争闘は笹川方優位に決し、笹川方で死んだのは造酒一人のみと伝わる。
墓所は千葉県香取郡東庄町の延命寺。
また、神崎町松崎の心光寺にも、身を寄せていた名主の建立した平田三亀の墓がある。

講談や浪曲の『天保水滸伝』では、江戸は神田お玉ヶ池の千葉道場で、北辰一刀流千葉周作門下の四天王のひとりとされた俊英であったが、酒乱のため破門されて胸の病におかされながら博徒の用心棒となった素浪人として語られ、笹川繁蔵や飯岡助五郎に劣らぬキャラクターとして人気を博した。

 

平手造酒を扱った作品

一連の騒動を別個に取材した宝井琴凌と5代目伊東陵潮が、お互い材料を持ち寄って1856年(安政3年)にひとつの台本に仕上げたとされる講談『天保水滸伝』が有名である。

これとは別に、河竹黙阿弥作の歌舞伎『群清滝贔屓勢力(むれきよたきひいきのせいりき)』が1867年(慶応3年)に上演されている。
浪花節では、正岡容脚色による2代目玉川勝太郎が人気を博した。

講談

飯岡助五郎:改良天保水滸伝(講演:松の家太琉 他)

小説

天保水滸伝(高木為鎮)
半身のお紺(笹沢左保)
今朝もまた夢―平手造酒外伝(笹沢左保)
武蔵野水滸伝(山田風太郎)
花も刀も(山本周五郎)
月とよしきり(津本陽)

浪曲歌謡

大利根月夜(唄:田端義夫)
大利根無情(唄:三波春夫)
大利根ながれ月(唄:氷川きよし)

映画


平手造酒(1925年、監督:大久保忠素、平手造酒:森野五郎)
祐天吉松(1925年、監督:中山呑海、平手造酒:尾上多見太郎)
天保悲剣録(1927年、監督:山崎藤江、平手造酒:坪井哲)
平手造酒(1927年、監督:村越章二郎、平手造酒:光岡龍三郎)
平手造酒(1928年、監督:志波西果、平手造酒:大河内伝次郎)
阪東侠客陣 第一篇・中篇・最終篇(1928年、監督:仁科熊彦、平手造酒:片岡左衛門)
天保水滸伝(1928年、監督:丘虹二、平手造酒:葉山純之助)
天保水滸伝(1930年、監督:押本七之輔、平手造酒:澤村國太郎)
天保水滸伝(1930年、監督:押本七之輔、平手造酒:明石緑郎)
平手造酒(1930年、監督:山口哲平、平手造酒:葉山純之輔)
平手造酒(1931年、監督:星哲六、平手造酒:明石潮)
決戦大利根の暁(1932年、監督:橋本松男、平手造酒:片岡左衛門)
喧嘩道中記(1932年、監督:青山正雄、平手造酒:清水隆之助)
闇討渡世(1932年、監督:伊丹万作、平手造酒:片岡千恵蔵)
平手造酒 白衣剣鬼録(1933年、監督:山口哲平、平手造酒:葉山純之輔)
一刀流酒供養(1933年、監督:石山稔、平手造酒:海江田譲二)
一刀流闘士陣(1933年、監督:渡辺邦男、平手造酒:鳥羽陽之助)
八州侠客陣(1933年、監督:石田民三、平手造酒:木村正二郎)
平手造酒(1934年、監督:西原孝、平手造酒:市川百々之助)
天保水滸伝(1936年、監督:山本松男、平手造酒:杉山昌三九)
義憤の血煙(1936年、監督:山本松男、平手造酒:大河内龍)
八州侠客陣(1936年、監督:マキノ正博、平手造酒:清水英朗)
平手造酒(1937年、監督:稲葉蛟児、平手造酒:海江田譲二)
春秋一刀流(1939年、監督:丸根賛太郎、平手造酒:片岡千恵蔵)
関東剣豪陣(1941年、監督:田崎浩一、平手造酒:原健作)
天保水滸伝 大利根の夜霧(1950年、監督:佐伯清、平手造酒:山村聡)
平手造酒(1951年、監督:並木鏡太郎、平手造酒:山村聡)
天保水滸伝 利根の火祭(1952年、監督:安達伸生、平手造酒:坂東好太郎)
やくざ狼(1953年、監督:萩原遼、平手造酒:杉山昌三九)
地獄の剣豪 平手造酒(1954年、監督:滝沢英輔、平手造酒:辰巳柳太郎)
潮来出島 美男剣法(1954年、監督:安田公義、平手造酒:黒川弥太郎)
関八州大利根の対決(1957年、監督:志村敏夫、平手造酒:丹波哲郎)
天保水滸伝(1958年、監督:渡辺邦男、平手造酒:鶴田浩二)
花の遊侠伝(1958年、監督:安田公義、平手造酒:千葉敏郎)
あばれ街道(1959年、監督:小沢茂弘、平田深喜:戸上城太郎)
遊太郎巷談(1959年、監督:田坂勝彦、平手造酒:植村謙二郎)
関の弥太っぺ(1959年、監督:加戸敏、平手造酒:千葉敏郎)
血闘水滸伝 怒涛の対決(1959年、監督:佐々木康、平手造酒:大友柳太朗)
大利根無情(1960年、監督:的井邦男、平手造酒:三波春夫)
草間の半次郎 霧の中の渡り鳥(1960年、監督:内出好吉、平手造酒:須賀不二男)
美男の顔役(1961年、監督:沢島忠、平手造酒:鈴木金哉)
座頭市物語(1962年、監督:三隅研次、平手造酒:天知茂)
男度胸のあやめ笠(1962年、監督:佐々木康、平手造酒:黒川弥太郎)
勢揃い関八州(1962年、監督:佐々木康、平手造酒:近衛十四郎)
天保遊侠伝 代官所破り(1965年、監督:山内鉄也、平手造酒:内田良平)
天保水滸伝 大原幽学(1976年、監督:山本薩夫、平手造酒:高橋悦史)

テレビドラマ

東芝日曜劇場 第125回「剣」(1959年、平手造酒:木村功)
平手造酒(1960年、平手造酒:嵐寛寿郎)
新国劇アワー / 地獄の空ッ風(1960年、平手造酒:辰巳柳太郎)
講談ドラマ / 孤影(1963年、平田深喜:御木本伸介)
甲州遊侠伝 俺はども安(1965年、平手造酒:平幹二朗)
新・日本剣客伝 第4話「平手造酒」前編・後編(1969年、平手造酒:鶴田浩二)
日本任侠伝 第1シリーズ 第2話「笹川繁蔵」(1969年、平手造酒:宗方勝巳)
女殺し屋 花笠お竜 第23話「女ごころを酒が呼ぶ」(1970年、平手造酒:高宮敬二)
めくらのお市(1971年、平手造酒:丹波哲郎)
青空浪人 第8話「血風お玉ヶ池」(1971年、平手造酒:上野山功一)
遠山の金さん捕物帳 第119話「平手造酒を斬った男」(1972年、平手造酒:若林幾夫)
天下堂々(1973年、平手造酒:村野武範)
天保水滸伝 平手造酒(1973年、平手造酒:栗塚旭)
必殺仕事人意外伝 主水、第七騎兵隊と闘う 大利根ウエスタン月夜(1985年、平田深喜:樋口隆則)
必殺まっしぐら! 第11話「相手は向島の元締」(1986年、平田深喜:内藤剛志)
必殺スペシャル・秋! 仕事人vsオール江戸警察(1990年、平田深喜(平手造酒):滝田栄)
女無宿人 半身のお紺(1991年、平手造酒:萩原流行)
名奉行遠山の金さん 第3シリーズ 第18話「美女の陰謀!関八州あばれ旅」(1990年、平手造酒:寺田農)※スペシャル
あばれ八州御用旅 第4シリーズ 第1話「男涙の大利根無情!抜荷街道の謎を追え!」(1994年、平手造酒:萩原流行)※スペシャル
秋のスペシャル時代劇 / 平手造酒 利根の決闘(1997年、平手造酒:古谷一行)
御家人斬九郎 第4シリーズ 第3話「大利根の月」(1999年、平手造酒:近藤正臣)





出典: 「平手造酒」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



日本では、確かに、平手造酒は色々な作品に登場して有名なのですよ。。。ところが、古今亭志ん朝さんがサントリーのCMに出て、その時の撮影現場でスタッフの人達と話をした時、平手造酒を持ち出すと、知っている人はたったの一人だったと言うのです。。。



あたくしは、詳しいことは知りませんけれど、名前だけは度々聞いたことがござ〜ますわァ〜。。。それに、平手造酒が出ている時代劇の映画も、おぼろげながら観たことを覚えていますわ。。。。デンマンさんは平手造酒の映画をご覧になったことがあるのでござますかァ〜?

もちろん観てますよ。。。僕はバンクーバー市立図書館でDVDを借りて『座頭市物語』を観て、その中に出てきた天知茂が扮している平手造酒を見ています。。。

 


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あらっ。。。上の映画を2013年の1月に観てコメントを書き込んだのですわねぇ〜。。。



そうです。。。平手造酒の映画を観るつもりではなかったのですよ。。。僕は『座頭市』にハマっていて、座頭市シリーズは 26作品ある内で、バンクーバー市立図書館にあるものは全て観ました。。。平田造酒は1962年に制作された 上の第1作目に出てきたのです。。。この話をしてから、志ん朝さんは家に帰って、丁度いい機会だからというので息子を呼んで、平手造酒の話をしたと言うのです。。。「平手みきなんて、僕は知らないよ。もしかして女性歌手?」 息子さんは、そう言ったそうですよ。。。

そういえば、女性歌手に仲宗根美樹と言う人がいましたわねぇ〜。。。

 



 



その名前の連想で「平手みき」が別の女性歌手だと思ったのですわねぇ〜。。。



そういうことなのですよ。。。平手造酒と書いて、「どうして造酒を《みき》と読むんだい?」と逆に尋ねたそうです。。。

確かに「造酒」は、普通ならば「ぞうしゅ」、あるいは訓読みにしても「つくりざけ」としか読めませんわねぇ〜。。。おほほほほほ。。。

志ん朝さんは 1938年3月10日に生まれて 2001年10月1日に亡くなっているのですよ。。。今の若者とは時代が違うから、話が通じないのも無理はありません。。。

デンマンさんは志ん朝さんのお話を聞いて違和感はありませんでしたかァ〜?

僕は戦後生まれでも、今の若い20代の人たちよりは、志ん朝さんの世代に近いから、それほどの違和感はありません。。。それに、平手造酒が出てくる『座頭市物語』も観ていましたから。。。


 


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ〜。。。

あなたも、平手造酒が出てくる映画を観たことがありますか?

ええっ。。。「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で あたくしに ご命令なさるのですかァ〜?

分かりましたわァ。。。。

では、あなたもビックリするような

忠臣蔵のとっても古い映画をご覧くださいまし。。。

なんと。。。昭和3年(1928年)制作の『忠臣蔵』ですわよう!

無声映画ですけれど、弁士の方がなかなかうまい説明をしてくださいますわ。。。

つい、引き込まれて観てしまうのですわ。。。

浅野内匠頭がどうしてヘマをしでかしたのか?

そのへんのところが詳しく映像に残っております。

観るだけの値打ちがありますわ。。。

では、どうぞ。。。

 



 

ところで、どうして小百合さんが

「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?

 


(sayuri5.gif)

 

あなたは ご存知ですかァ?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわァ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉



軽井沢のイルミネーション



秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩



とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


(hand.gif)


メチャ面白い、

ためになる関連記事




(linger65.gif)

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(house22.jpg)

■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


『熟女下着』ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)

『センスあるランジェリー』



(surfing9.gif)



(sayuri5.gif)

ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




(zurose2.jpg)

『女帝の平和』

『アタマにくる一言』

『悪女レオタード@昌原市』

『スウィートビーン』

『ガチで浦島太郎やし』

『ご苦労さま』

『デンマンのはなし』

『卑弥呼の墓』

『室生犀星と人間学』

『松平春嶽ダントツ』

『英語は3語で伝わる』

『くだらない物』

『漢字で体操』

『面白い漢字テスト』


(hama10.jpg)




『キャドバリーチョコ』軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)


(byebye.gif)


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可愛すぎてバグる

2022-12-12 03:45:34 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 

可愛すぎてバグる

 


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デンマンさん。。。、なんだかセクシーで可愛い動画を貼り出しましたわねぇ~。。。


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今日はジューンさんが可愛い質問をすると言うので用意したのですよ。。。で、ジューンさんの質問というのはどういうものですか?

タイトルに書いてありますわ。。。

可愛すぎてバグる という意味がジューンには分からないのですか?

初めて目にしましたわ。。。

どこで。。。?

ネットサーフィンしていたら次のニュースに出くわしたのですわ。。。

 


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「バグる」というのはコンピューター・プログラマーが仕様通りにプログラムを書いたつもりなのに、いざプログラムを走らせたら、仕様どおりに動作しなかった場合に「このプログラムのどこかにバグがある」「バグってしまった」というように使われる言葉でしょう?



そうです。。。それだけ分かっていたら、「可愛すぎてバグる」という意味も分かるでしょう?

分かりませんわ。。。「バグる」というのは、一般的に「不具合が起こる」ということでしょう!?。。。だったら「可愛すぎて不具合が起こる」というのでは、全く意味をなさないではありませんかア!

確かに、ジューンさんの言うことには一理あります。。。可愛い女性を見ると不具合が起こるというのは、すぐには納得できない。。。

。。。でしょう? デンマンさんはどのように理解しているのですか?

その前に、ウィキペディアの バグ(BUG) の記事を読んでみてください。。。

 



バグ(BUG)


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ソフトウェア・ハードウェア開発における契約文書など、法的な文書ではバグのことを「瑕疵」(かし)と記述する。

原因や責任の所在などが不明なものを特定性の低い表現の「不具合」と呼ぶことがある。

なお、発生したバグを探して取り除く作業はデバッグと呼ばれる。

プログラミング上の主なバグには、論理的なバグと誤記によるバグがある。

論理的なバグは、プログラムの設計過程において発生する。
無限ループや計算間違いなどを引き起こし、時にはコンピュータを暴走させたり、逆に停止させたりすることもある。

誤記によるバグは、プログラムの実装過程において発生する。
存在しないプログラムの参照、意図した範囲を超えた計算結果、数値計算の誤りなどを引き起こす。
論理的なバグと同様に、コンピュータを暴走させたり停止させたりすることもある。

 

語源

「バグ」は英語からの外来語であるが、この言葉はコンピュータの登場以前から、機械装置の原因不明な不具合をあらわす符牒として技術者の間で使われていた。

たとえば1878年にエジソンが同僚に宛てた手紙のなかで、彼は機械の不具合のことを「バグ」と呼んでいる。また、第二次世界大戦中には、レーダーの故障をバグと呼んでいたという記録が残っている。

現在の米口語では、バグはコンピュータのバグや虫の意味のほかにも、動詞として「人を悩ませる、いらいらさせる」という意味でよく使われる。

コンピュータのソフトウェアに間違いが入るという概念自体は古く、その起源はチャールズ・バベッジによる解析機関にまでさかのぼる。解析機関のプログラミングを担当したエイダ・ラブレスはすでに1842年に残したメモの中で、計算手順を示したカードの入れ間違いにより誤った計算結果が得られる危険性を示唆していた。

 


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コンピュータの中に入りこんでいた

「虫」の、おそらく最初の写真。


 

コンピュータに関しては、グレース・ホッパーが、Harvard Mark II(英語版)のプロジェクトで働いていた時に、バグとして本物の虫を発見したという話がある。不調になったMark IIを調べたところ、リレーの間に虫(蛾)が挟まっていたのを別の技術者が発見した。彼女はこれを、作業日誌にテープで貼りつけて「本物の虫が『バグ』として発見された最初の例」と書き残した。この日誌は米海軍歴史博物館に保管されている。

他にも、シェイクスピアの『ヘンリー四世』で忌まわしきものという意味で使われていた「バグ」という単語に由来するという説もある。プログラム上の欠陥を虫に見立てて呼ぶようになったという説もあるが、これは誤りとされている。




出典: 「バグ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



現在の米口語では、バグはコンピュータのバグや虫の意味のほかにも、動詞として「人を悩ませる、いらいらさせる」という意味でよく使われると書いてあるでしょう。。。

 


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つまり、可愛すぎてバグる という意味は「可愛すぎて人を悩ませる、いらいらさせる」という意味ですか?



それに近い意味ですよ。。。ちょっと次の動画を見てください。。。

 


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あらああああァ~。。。 かなり大胆な女性が居るものですわねぇ~。。。 うふふふふふふ。。。



この動画を見て僕が「可愛すぎてバグる」と言ったとします。。。さて、どういう意味になるでしょうか?

要するに、この可愛い女性の大胆な振る舞いを見てデンマンさんが「悩殺された」ということですわねぇ~。。。

その通りですよ!。。。ジューンさんも「悩殺」という日本語を知っていたのですねぇ~。。。改めてジューンさんの日本語能力を見直しました。。。日本語検定の審査員が見ていたらジューンさんに日本語検定1級の免状をあげると思います。。。




初出: 2020年8月3日



(laugh16.gif)


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【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~

あなたも出会った女性が「可愛すぎてバグる」ことがありましたか?

ええっ。。。 「そんなことはどうでもいいから、他にもっと面白い話をしろ!」

あなたは、そのような命令口調で あたくしに強要するのでござ~ますわねぇ~。。。

分かりましたわぁ。。。 では、ちょっと次のクリップを見てくださいなァ。。。

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だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。


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でも、使っていないメールアドレスが

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あなたの使っているメールアドレスのことを

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集めているのですわよ。

だから、あなたもむやみに信用できない人に対して

返信しないようにしてくださいね。

詳しいことはデンマンさんが次の記事で書いています。

『コメント魔』

(2012年4月3日)



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富士山と芸者

2022-12-09 03:23:33 | 日本人・日本文化・文学論・日本語


 

富士山と芸者

 


(lookanim.gif)


(maiko19f.png)


(june901b.png)

 




(june001.gif)

デンマンさんは日本人なのに、外人のように富士山と芸者を取り上げて わたしと語り合うのですか?



いや。。。僕は、とりわけて富士山と芸者には興味がないのですよ。。。

それなのに、どう言うわけで外人が好むタイトルにしたのですか?

ちょっと次のリストを見てください。。。

 


(liv22-12-02.jpg)


『拡大する』

『Fujiyama Geisha』


 



これはライブドアの僕の「徒然ブログ」の日本時間で12月2日の午後1時55分から午後4時8分までのアクセス者の記録です。。。赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。。。



あらっ。。。 12月2日の午後1時55分に GOOGLEで検索して Fujiyama Geisha を読んだネット市民が居たのですわねぇ〜。。。この記事はデンマんさんが英語で書いた記事ではありませんかァ〜?

そうです。。。実は、バンクーバーに住んでいる天城亜里沙(あまぎ ありさ)さんが読んだのですよ。。。

 


(ip81151.jpg)

世界で最も住みやすい街バンクーバー





 



もしかして、デンマンさんがロブソン・ストリートでナンパした女性ではありませんかァ〜?



僕は、そういう破廉恥なことをする人間ではありません。。。

あらっ。。。わたしと初めて出会った時、デンマンさんはナンパしようとしたのですわァ〜。。。わたしがマリリン・モンローに似ていると、取って付けたようなことを言って近づいてきたのですわァ〜。。。

 


(monroe07b.jpg)


(santo001b.jpg)

 



マリリン・モンローとわたしは、全く似ていませんわァ〜。。。



似てますよう。。。二人共金髪です。。。

それだけが似ているのですわ。。。とにかく、マリリン・モンローに似ていると言ってデンマンさんは、わたしをナンパしようとしたんですわァ〜。。。

あのねぇ〜、そういう昔のことは言わないでください。。。この記事を読んでいるネット市民の皆様が誤解するではありませんかァ〜。。。

。。。で、亜里沙さんはバンクーバーで何をしているのですか?

UBC(ブリティッシュ・コロンビア大学)で英文学を学んでいるのですよ。。。

 


(ubc10.jpg)



 



亜里沙さんは、どのようにして記事を見つけたのですか?



次のように検索したのですよ。。。

 


(gog22-12-02.jpg)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

『Fujiyama Geisha』


 



memoirs geisha fujiyama と入れて検索したのですわねぇ〜。。。



そういうことです。。。323,000件ヒットするのですよ。。。僕が書いた記事が6番目に出てくるのです。。。

亜里沙さんは、どういうわけでデンマんさんが投稿した記事を探して読んだのですか?

あのねぇ〜、英文学の講義の中で宿題が出たのです。。。タームペーパーを書かなければならない。。。亜里沙さんは、日本文化を紹介する記事を書こうと思い、外国人が決まったように口にするFujiyama Geishaのことを取り上げようと思ったのです。。。

それで、『Memoirs of a Geisha』という映画を取り上げてタームペーパーを書こうとしたのですか?

そうです。。。

だったら、ウィキペディアの映画の紹介記事が上の検索結果の2番目に出ているではありませんか!

あのねぇ〜、ウィキペディアだけを参考にして書いたら、すぐにコピペして書いたとバレてしまうでしょう。。。だから、できるだけたくさんの記事を読んで、日本文化が、特に、外国人に受け入れられているFujiyama Geishaに関する文化が 誤解を元にして受け入れられていることをタームペーパーに書こうと思ったわけですよ。。。

つまり、亜里沙さんは、検索結果の上から順々に読んでゆき、デンマンさんが書いた記事を ついでに読んだというわけですかァ?

そういうことです。。。

。。。で、『Memoirs of a Geisha』という映画の中で紹介されている日本文化は、現実の日本文化とは違ったように描かれているのですか?

そうなのです。。。所々違っている。。。ウィキペディアでも、そのことが指摘されてます。。。

 




(geisha01.jpg)

 

『SAYURI』(原題:Memoirs of a Geisha)は、2005年のアメリカ映画。1997年にアメリカ合衆国で出版されたアメリカ人作家のアーサー・ゴールデンによる小説『さゆり』を原作とした作品である。

監督はロブ・マーシャル、主演はチャン・ツィイー。
第二次世界大戦前後にかけて京都で活躍した芸者の話である。
第78回アカデミー賞で6部門ノミネートされ、3部門で受賞した(この年の最多受賞タイ)。

 

あらすじ

1929年、世界恐慌の折、貧しい漁村の9歳の少女、千代が京都・祇園を模した架空の町の花街の置屋に売られ、厳しい生活の中で人気芸者に成長していく姿を描いている。

第二次世界大戦へ向けて戦時色が強まってゆく日本を背景に、戦争、敗戦といった社会の変化によって影響される人生を表現している。

 

キャスティングにまつわる論争

中心人物を日本人が演じていない
キャスティングは奈良橋陽子が担当しているが、主演のチャン・ツィイーとコン・リーは中国人、ミシェル・ヨーはマレーシア人である。

また、このキャスティングは中国のインターネット・コミュニティーで物議を醸した。
中国政府と一部の煽動により反日感情が伴って喜ばしく思わない人々がいたのだが、特に芸者を売春婦と誤解していることも原因のひとつである。

昔の中国には、芸者と同様の職業が存在している。彼女たちは芸術、文学、歴史、社会慣習に通じていた。
売春宿に住んではいたが、体を売って生活していたわけではなく、音楽やチェス、書画などで男性のゲストをもてなしていたのである。

中国語ではこれを"賣藝不賣身(体の代わりに芸を売る)"と呼ぶ。
彼女たちは高度に洗練され、名声がある(無数の中国の詩歌、文学、伝説、民間伝承に登場する。

一方、日本の芸者のような地位を得ることはなく、この文化の違いに馴染んでいない人々が、芸者を否定的に誤解したのである。

これは、芸者に対する中国語の名称で説明される。
日本語では"芸者"と書かれるが、中国語では"藝伎/艺伎"と書かれる。
日本語の“芸妓”は、「芸者(女芸者)」、「芸子(げいこ)」と呼ぶのが古い言いかたであるが、明治以降、「芸妓(げいぎ)」という呼名も行われるようになった。

しかし、多くの人が、故意ではないにしろ(過激な国家主義者の場合は故意にだが)、"藝妓/艺妓"と書く。
この二つの非常によく似た文字 "伎" と "妓" の現代中国語のおける違いは、前者が芸術、技術の専門家を意味し、後者は売春婦を意味する点にある。

しかしながら、古典中国語では両方とも正しく(“伎”は男性用、"妓"は女性用です)、ともにチャン・ツィイーが『LOVERS』で演じたような、音楽と踊りで男性客をもてなすことを職業とする女性を表すのに使われた。

文化の特定の一部分であることと"妓"の意味が変化したことは、中国の人々にとって、「チャン・ツィイー、コン・リーが日本関係の映画に出演するのはかまわない(実際チャン・ツィイーは、鈴木清順監督作『オペレッタ狸御殿』で主演している)が、売春婦役は受け入れられない」という間違った議論を招いた。

この為、中国での反日感情を煽るとの理由から中国での同映画の上映中止が決まった

否定的な反応の一部は、「中国映画では、有名女優が売春婦を演じることは比較的稀なためである」という意見もある。
香港でさえ、ミシェル・ヨーは、「なぜこのような選択をしたのか」と彼女に問いつめるリポーターに囲まれた。

しかし、たとえばセシリア・チャンが『ワン・ナイト・イン・モンコック』(2004年)で売春婦を演じたときは論争はなく、大部分の中国人は気にしなかった。

アメリカでも批判が起き、「日本を舞台にした映画で、日本人が主人公なのに日本人を使わないのか」「主人公は日本人でハリウッドデビューを果たした栗山千明や小雪を使うべきだった」という意見もあった。

しかしこのキャスティングは、ハリウッド映画業界での組合協定のためである。

 

誤った日本文化の描写

映画中で描かれる日本像には、特に日本において公開当初から疑問の声が多数上がった
代表的なものとして、以下が挙げられた。

花街文化

芸妓の着物着付け(帯を折返さずに幅広のまま胴体に巻きつけ、芸者の帯や舞妓の「だらりの帯」結びではなく、名古屋帯のように「お太鼓結び」で着付け、事実と異なる

着物専門家不在で技術力不足により日本の文化が再現できていない。
また、芸妓の普段着物を屋外でもおはしょり無しでドレスのように裾を引き摺って着用された。

髪型(和髪が簡易な現代風で、日本髪ではない。結髪士不在で技術力不足の結果である)

所作(歩き方など)

舞踊(あまりに前衛的)

座敷遊び(旦那衆が花街のお茶屋遊びを知らない

建造物など映画の美術に中国的要素が強い

神社の鈴緒を鳴らすシーンで鐘の音が響く

着物コンサルタントは徳永優子が担当した。製作も事前視察に日本を訪れており、可能な限り日本、特に芸者の文化・慣わしなどを調べたうえで映画製作にあたった。

全編が日本を舞台としており、その上日本の繊細かつ深遠な文化に焦点を当てた作品であるため、製作はかなりの難易度を伴ったが、「日本の美」の体現を意欲的に目指した努力作であるとはいえる。

実際の衣装は、日本の着物コレクターが所有するビンテージ着物をレンタルして使用された。
映画の衣装デザイナーColleen AtwoodはCOSTUME DESIGN部門オスカー受賞。




出典: 「SAYURI」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



あらっ。。。色々と問題のある映画なのですわねぇ〜。。。



僕は、いい映画だとは思ったけれど、違和感を感じさせるところが確かにありましたよ。。。

デンマンさんは、コメントでどのように書いたのですか?

次のように書きました。。。

 


(lib20810.gif)


『実際のページ』


 




デンマンのコメント

 

To the eyes of a Japanese, the film seems quite authentic.
I thought at first the film was made based on a real story told by a real geisha.
When I looked into the behind-the-scenes materials, however, I've found out that the movie was made based on the book of the same title written by Arthur Golden---a non-Japanese.
What a surprise!

How could he have possibly written such an authentic novel?
Then I learned that the author was sued for breach of contract and defamation of character by Mineko Iwasaki, a retired geisha he had interviewed for background information while writing the novel.

After the author revealed her identity, Iwasaki had received criticism and even death threats for violating the traditional geisha code of silence.
After all, the author didn't realize how important the code of silence was.
It is indeed difficult for a non-Japanese to understand the Japanese traditional culture.Read less




日本人の目には、この映画はかなり本物に見える。
最初は、この映画は本物の芸者が語った実話に基づいて作られたものだと思っていた。
ところが裏資料を調べてみると、この映画は外国人アーサー・ゴールデンの同名小説が原作であることが分かった。
驚いた!

なぜ彼はそのような本物の小説を書くことができたのか?
その後、著者が小説の執筆中に背景情報について、引退した芸者である岩崎峰子にインタビューした事を知った。
ところが、著者は、契約違反と名誉毀損で訴えられた。

著者が身元を明らかにした後、岩崎は伝統的な芸者の「沈黙の掟(おきて)」に違反したとして批判を受け、殺害の脅迫さえ受けた
結局のところ、著者は「沈黙の掟」がどれほど重要であるかを理解してなかった。
外国人にとって、日本の伝統文化を理解することは確かに難しい。



 



デンマンさんも初めて映画を観たときには、日本人が作った映画だと思ったのですか?



そうなのですよ。。。日本人でなければ作れない映画だと思った。。。でも、後で調べてみると、コメントに書いたように引退した元の芸者から随分と話を聞いていたのですよ。。。でも、そういう事を知らなければ、現在生きている日本人の目には、よくできた映画だと思うはずです。。。

専門家の目で観ると、細かなところで、色々な違いがあるようですわねぇ〜。。。

そうです。。。特に中国では、芸者の意味を誤解している人が多くて、上の映画は上映禁止になったのですよ。。。やっぱり、国際的には、「芸者」はまだよく理解されていないのです。。。

亜里沙さんも、そのようなことをタームペーパーに書こうと思ったのですか?

そうです。。。

デンマンさんは、どうしてそんなことまで知っているのですか?

亜里沙さんがメッセージを寄越して僕に感想を書いてくれたのですよ。。。



(laugh16.gif)


(june902.jpg)


【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~。。。

あなたも 図書館でDVDを借りて ぜひ上の映画を観てくださいませ。。。

昭和時代の芸者の文化がどのようなものであったのか?

新しい発見があるかもしれませんわァ〜。。。

ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、他にもっと面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で あたくしにご命令なさるのでござ〜♬〜ますかァ〜?

いけ好かないお方ァ〜。。。!

分かりましたわ。。。

それでは、ローレル&ハーディの面白いドタバタ喜劇を観てくださいまし。。。

 



 

どうでした? 笑いが止まりませんでしたかァ〜?

ええっ。。。 「そんなことはどうでもいいから、他にもっと楽しい話をしろ!」

あなたは、そのような命令口調で 更に、あたくしに強要するのでござ~ますわねぇ~。。。

いけ好かないお方ァ〜。。。

分かりましたわぁ。。。 では、ちょっと次のクリップを見てくださいなァ。。。

思わず笑ってしまいますわ。。。

 


(funnycat10.gif)


(dog807.jpg)





 

ええっ。。。? 「犬や猫のことは どうでもいいから他に もっと面白い話をしろ!」

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後家殺し

2022-11-23 02:36:07 | 日本人・日本文化・文学論・日本語
 

後家殺し

 


(ken203h.jpg)


(goke04.jpg)


(goke09.jpg)

 


夜のしずまに 鳴く虫の

ぬれたあの夜の 秘伝の味は

人から人へ うわさにのぼる

明の鳥も のど鳴らし

もいちど飲みたや 御家ごろし



 


(junko05.gif)




(junko11.jpg)

デンマンさん。。。 なんだかエロい雰囲気ですわねぇ~。。。 うふふふふふ。。。


(kato3.gif)

。。。ん? ジュンコさんは、エロい雰囲気を期待しているのですかァ~?

だってぇ~、上のイラストや詩を読むと なんとなくエロい気分になるではありませんかァ~!

そうですかァ~。。。

あらっ。。。 今日はエロいお話ではないのですかァ~?

実は、真面目な話なのですよ。。。

あらっ。。。

ジュンコさん!。。。 急にガッカリしたような表情を浮かべましたねぇ~。。。

別に。。。

じゃあ、とりあえず、次のクイズに答えてください。。。 江戸時代に使われた次の農機具の中で「後家殺し」と呼ばれたのはどれでしょうか?

 

1) 備中鍬(びっちゅうくわ)


(bicchu01.gif)


弥生時代から存在していた股鍬が改良されたもの。
弥生時代のものは木製だったが、古墳時代になると鉄製のものも生まれた。

刃の先が2本から6本に分かれているものを「備中鍬」と呼称した。
「備中鍬」の名前で呼ばれるようになったのは江戸時代からで、別名に「万能」、「マンガ」などがある。

歯が三本の備中鍬は三つ子、三本鍬、三本万能、三本マンガと呼び、歯が四本の備中鍬を四つ子、四本鍬、四本万能、四本マンガと呼んだ。
刃の形状には、尖ったもの、角形、撥形がある。

備中鍬は文化文政時代に普及、平鍬と違い、湿り気のある土壌を掘削しても、金串状になっている歯の関係で歯の先に土がつきづらいのが利点。
粘土質の土壌や、棚田を耕すために使われた。

また、馬や牛を所有することが出来ない小作農にもよく使われた。





 

2) 唐箕(とうみ)


(toumi01.jpg)


唐箕とは、臼などで籾殻をはずしたあと、風力を起して穀物を 籾殻・玄米・塵などに選別するための農具。

中国で開発されたといわれており、宋応星の『天工開物』に「風扇車」として最初の記述が見られる。

日本では、佐瀬与次右衛門の『会津農書』(1684年刊)で紹介されたのが最初である。

『和漢三才図会』(1712年刊)にも記載されており、そのころから日本の農家にも広がっていったと考えられ、近世期から現代まで使われてきた。
稲作が機械化したのちも唐箕は豆やソバ等の選別に使われ、現在でも農機メーカーからかつての木製のものと基本的に同じ構造の唐箕が市販されている。
価格は数万円程度である。





 

3) 踏車(ふみぐるま)


(fumikuru2.jpg)


踏車とは、日本において江戸時代中期以降に普及した足踏み揚水機。
人が車の羽根の上に乗り、羽根の角を歩くことで車を回し、水を押し上げるからくりをいう。

別名を水車と称すが、原動機である水車とはエネルギー(人力と位置エネルギー)の変換方向が異なる。
なお類似のものはアジアの稲作地域に見られる。

大蔵永常の文政5年(1822年)の著作『農具便利論巻之下』によると、寛文年中(1661年から1672年の間)に大坂農人橋の京屋七兵衛と京屋清兵衛が制作し、宝暦から安永の頃(1751年から1780年の間)までに日本諸国に広まったと記録されている。





 

4) 唐棹(からさお)


(karasao2.jpg)


唐棹は日本の農具の一種で、麦や大豆など、穀物の脱穀作業に使用する道具。
唐竿、連枷、くるりなどとも呼称する。
長い竹竿の先端に、回転する短い棒を取り付けた形状をしている。
この竿を持ち、むしろの上に広げられた穀物を、短い棒を回転させながらたたき、脱穀する。
このような脱穀方法を、千歯扱きなどの「梳き」に対して「打穀」と呼ぶ。

この唐棹による脱穀は、稲や麦だけでなく他の作物にも幅広く応用できたので、世界各国に数多く似たようなものがある。

西洋では唐棹状の農具を元にしたフレイルと言う打撃武器が開発され、甲冑を身に纏い、剣では有効な打撃を与えることが難しい重装騎兵に対する対抗手段として大いに普及した。

沖縄のヌンチャクも、唐棹をもとに考案されたと言われている。

日本ではお殻打ち棒といわれ、竿と短い棒を連結していた金具は鉄鎖、短い棒は鉄造りとなった。





 

5) 千歯扱(せんばこき)


(senba01.jpg)


千歯扱は、元禄期に和泉国大鳥郡高石北村字大工村(現在の大阪府高石市高師浜の一部)の宇兵衛により考案された日本の古式の脱穀用農具。
木の台の上から鉄製の櫛状の歯が水平に突き出した形をしている。
また竹製の歯の場合もある。
稲扱きと麦扱きに分かれる。

木製の台に付属した足置きを踏んで体重で固定し、櫛状の歯の部分に刈り取った後に乾燥した稲や麦の束を振りかぶって叩きつけ、引いて梳き取る。
稲の場合にはこれで穂から籾が落ちるので、脱穀が完了する。
麦の場合には穂が首から折れて穂のまま落ちるので、これをさらに叩いて脱穀する。

この農具の開発までは、手に持った扱箸(こきばし)という大型の箸状の器具で穂を挟んで籾をしごき取っていたため、束のまま一気に脱穀できる千歯扱きの発明によって、脱穀の能率は飛躍的に向上した。

大正時代になると、千歯扱きからの発展形として、足踏み方式の回転ドラムにループ状のピンが多数植え込まれた足踏み式脱穀機が開発されてさらに脱穀効率が向上し、さらにこれが動力式に発展した。
これを機に改良の余地が無い千歯扱きは急速に衰え、昭和初期に製造の終焉を迎えるが、大切な種籾を痛めず扱く事が出来たため、昭和の半ば頃まで使われていた。


 



本当に真面目なクイズですわねぇ~。。。



だから、言ったでしょう!。。。 僕はウソとジュンコさんの尻は突きませんから。。。 うしししししし。。。

そのような下卑たギャグはおやめになってくださいなァ。。。

。。。で、ジュンコさんの答えはどれですか?

もちろん、踏車(ふみぐるま)ですわァ~。。。 こんなのに1日中乗らされて ハツカネズミのように働かされたら、日が暮れる頃にグッタリして死んでしまいますわァ~。。。

 


(mousewheel.gif)

 



実は僕も、これかなァ~、と思ったのですよ。。。 でもねぇ~、違うのです。。。 答えは、千歯扱(せんばこき)なんです。。。 これを江戸時代の農民は「後家殺し」と呼んだのですよ。。。



どうしてですか? それほど重労働とは思えませんけれど。。。

あのねぇ~、重労働になるから後家さんを殺すという意味ではないのです。。。 千歯扱が利用されるまでは、手作業で稲穂から籾を落としていたのですよ。。。 この作業が多くの未亡人(後家さん)の仕事だった。。。 これによって、後家さんは収入を得ていたのです。。。 ところが千歯扱が導入されると、後家さんの仕事がなくなってしまったので、後家さんは殺されたのも同然になったというわけで、「後家殺し」とか「後家倒し」と呼ばれたのですよ。

なるほどォ~。。。 このクイズのために、わざわざ私をお呼びになったのですか?

いや。。。 もちろん、そればかりじゃありません。。。 実は、落語に「後家殺し」という演目があるのですよ。。。

 



 



どうですか? 上の落語を聞いて面白かったですか?



私は、人が殺される場面が出てくる話は、好みではありませんわァ。。。 どこが面白いのですか?

あのねぇ~、ただ聞いただけで、現在の日本人で、この落語の面白さを理解できる人は、かなり落語のオタクですよ。。。

あらっ。。。 それほど深い意味がある落語なのですかァ~?

あのねぇ~、噺の最後にお奉行さんが、ポンと膝をたたいて「よっ、後家殺しッ」と言う所がミソです。。。

どういうことですか?

「後家殺し」というのは、関西では、浄瑠璃にかける“ほめ言葉”なのですよ。。。 語源は不明だけれど、後家を悩殺するほどの色男、という意味なんです。。。 また、浄瑠璃に使われる 義太夫の三味線は「太(ふと)ザオ」なのです。

太ザオと言うと。。。?

三味線は四角状の扁平な木製の胴の両面にネコやイヌの皮を張り、胴を貫通して伸びる棹(サオ)に張られた弦を、撥(ばち)で弾くものです。。。 この棹が太いわけですよ。。。 だから、太いモノを後家は喜ぶという連想から「よっ、後家殺しッ」と言うわけです。。。 うししししし。。。

つまり、この事を言うために、わざわざ私をお呼びになったのですか?

いや。。。 それだけではありません。。。 あのねぇ~、ジュンコさんが好きなゴルフ用語に「後家殺し」があるのですよ。。。

 


(golfer20.gif)

 



そのような用語を聞いたことがありませんわァ~。。。



だから、僕はジュンコさんは知らないと思ったので呼び出したのです。。。 たぶん、ジュンコさんは 聞き過ごしていたのですよ。。。

いったい、ゴルフの どういう時に「後家殺し」が使われるのですかァ~?

あのねぇ~。。。、 パターで打った球が穴の周囲をなめて入らなかった時ですよ。。。

 


(golfball3.jpg)


(golfball2b.jpg)

 



なぜ、そういう時に「後家殺し」と言うのですか?



アソコを舐めるだけで入らないからですよ。。。

(ジュンコさん、判ったらしく、ニンマリと笑って 恥ずかしそうに顔を赤らめて スカートの裾を持ち上げて顔を隠しています! だけど、パンツが丸見えです! 頭隠して尻隠さず! 顔を隠してパンツ隠さず!

 


(panty83.jpg)




初出: 2018年3月8日



(laugh16.gif)


【ジューンの独り言】


(bare02b.gif)

ですってぇ~。。。

ヤ~らしいですわあああァ~。。。

デンマンさんは、結局 最後に エロい話でオチをつけたのですわァ~。。。

エロい お話が好きな人は 満足したかもしれませんけれど、

それ以外のネット市民の皆様は イマイチだと思いますので、

ここで、日本の古代史の興味深い不思議なお話を紹介いたしますわ。

たまには、日本の古代の話も読んでください。。。

では次の記事から興味があるものをお読みくださいねぇ~。。。


天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。
 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?


マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?



ところで、他にも面白い記事がたくさんあります。

興味のある方は次の記事も読んでみてくださいね。

 


(sunwind2.gif)


『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』

『チョコレートと軍産複合体』

『チョコレートと甘い権力』

『CIAの黒い糸』

『美しい日本語再び』

『宮沢りえブーム?』

『また、宮沢りえ?』

『浅間山噴火とフランス革命』

『なぜアクセスが急増したの?』

『気になる検索ワード』

『なぜ塩野七生批判』

『その検査、ムカつく!』


(miya08.jpg)

『宮沢りえと床上手な女』

『MH370ミステリー』

『なぜ死刑廃止?』

『真犯人はそこにいる』

『MH370ミステリー裏話』

『お裁きを信じますから』

『ジャルパックと国際化』

『古代ローマのセックス』


(nopan05.png)

『CIAとノーパン』

『エロいローマ再び』

『エロいけれどためになる話』

『えろあくにめ温泉』

『エロいけれどためになる』

『地球上のネット普及率』

『原発はダメだったのに』


(sylvie500.jpg)

『スカートをはいた兵隊』

『行田シンドローム』

『幻の暴走機関車』

『CIA@NOパンツ』

『エリュトゥラー海案内記』

『伊藤若冲 ランブータン』

『知的快楽』


(teacher9.jpg)

『シャフリ・ソフタ』

『閨房でのあしらい』

『漱石とグレン・グールド』

『女性の性欲@ラオス』

『美学de愛と性』

『女の本音』

『にほん村からの常連さん』

『日本初のヌードショー』

『可愛い孫』

『ネットで広まる』

『なぜブログを書くの?』

『アルゼンチンから』

『潮吹き』

『ヨッパライが帰ってきた』


とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


(hand.gif)




(spacer.gif+betty5de.gif)
(hiroy2.png+betty5d.gif)
『スパマー HIRO 中野 悪徳業者』

 


(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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平成の紫式部、橘卑弥子でござ~ます
(himiko92.jpg)

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(rengfire.jpg)


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二階ぞめき

2022-11-13 02:53:13 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 

二階ぞめき

 


(zomeki11.jpg)


(question8.png)


(himiko93.jpg)




(himiko22b.gif)

デンマンさん。。。 どういうわけで二階ぞめき を取り上げるのでござ〜ますかァ〜!


(kato3.gif)

実は、調べることがあってYouTubeのクリップを探していたら、次のクリップに出くわしたのですよ。。。

 


(zomeki11.jpg)



 



デンマンさんは、最近、落語にハマっているのでござ〜ますかァ〜?



落語は中学生の頃から好きだったのですよ。。。最近、記事を書き終えて、暇ができると夜になってから落語を聴くようにしているのです。。。

古今亭志ん生さんというのはずいぶん年をとった落語家ですわねぇ〜。。。

でもねぇ〜、とってもユニークで面白い落語家ですよ。。。

 




(shinsho5.jpg)

1890年〈明治23年〉6月5日 - 1973年〈昭和48年〉9月21日)

 

五代目 古今亭 志ん生は、明治後期から昭和期にかけて活躍した東京の落語家。
本名∶美濃部 孝蔵。生前は落語協会所属。出囃子は「一丁入り」。戦後を代表する落語家の一人と称される。

長男は十代目金原亭馬生、次男は三代目古今亭志ん朝。孫に女優の池波志乃(十代目馬生の娘)。

 

出生

1890年(明治23年)、東京市神田区神田亀住町(現・東京都千代田区外神田)の生まれ。
父・美濃部戍行(みのべもりゆき)、母・志う(しう)の五男。

出自は高位の士族。生家は菅原道真の子孫を称する徳川直参旗本であった美濃部家で、祖父は赤城神社の要職を務めた。
明治維新の際の支給金を父の代ですべて使い果たし、孝蔵が生まれた頃父は警視庁で巡査をしていて貧乏暮らしだった。
しかし子供の頃から父に連れられ、寄席で売られるお菓子目当てに寄席通いをした。

下谷区下谷北稲荷町(現在の台東区東上野5丁目)に転居し、1897年(明治30年)、下谷尋常小學校に入学。
1901年(明治34年)、小学校卒業間際の11歳の時、素行が悪いため退学させられ、奉公に出される。

奉公先を転々とし、朝鮮の京城(現在のソウル)の印刷会社にいたこともあるが、すぐに逃げ帰った。
1904年(明治37年)には北稲荷町から浅草区浅草新畑町(現在の台東区浅草1丁目)に移転し、ここを本籍にした。

 

落語との出会い

博打や酒に手を出し、放蕩生活を続けた末に家出。以来、二度と実家へ寄り付かず、親や夭折した兄弟の死に目にも会っていない

この頃、芸事に興味を抱くようになり、天狗連(素人やセミプロの芸人集団)に出入りし始める。
1907年(明治40年)頃に三遊亭圓盛(2代目三遊亭小圓朝門下、本名:堀善太郎)の門で三遊亭盛朝を名乗るが、まだプロの芸人ではなくセミプロであった。
同時期、左の二の腕に般若の刺青を入れたという。

1910年(明治43年)頃、2代目三遊亭小圓朝に入門し、三遊亭朝太との前座名を名乗る。
5代目志ん生自身は、当時名人と称された4代目橘家圓喬の弟子であったと生涯語っていた。

1916年から1917年(大正5年から6年)頃、三遊亭圓菊を名乗り、二つ目になる。
1918年(大正7年)、4代目古今亭志ん生門に移籍し、金原亭馬太郎に改名。
その後、1921年(大正10年)9月に金原亭馬きんを名乗り、真打に昇進する。

 

満州へ〜帰国後

1945年(昭和20年)、陸軍恤兵部から慰問芸人の取りまとめの命令を受けた松竹演芸部の仕事で、同じ落語家の6代目三遊亭圓生、講釈師の国井紫香(2代目猫遊軒伯知)、比呂志・美津子の名で夫婦漫才をやっていた坂野比呂志らと共に満州に渡る。

満洲映画協会の傍系である満洲演芸協会の仕事を請け負ったがそのまま終戦を迎えて帰国出来なくなり、現地で引き揚げ船の出航を待ちわびながら生死ギリギリの生活を強いられる。

1947年(昭和22年)1月12日、命からがら満州から帰国。なお、圓生よりも先の帰国となった。
同月27日帰宅。帰国がニュースに取り上げられるなど注目され、後は一気に芸・人気とも勢いを増し、寄席はもちろん、ラジオ番組出演なども多くこなす大変な売れっ子となった。

あちこちで仕事を掛け持ちするので、寄席の出番よりも自分の都合を優先してしまい、周囲からわがままな仕事ぶりを非難されることもあった。
この頃から人形町末廣で余一の日に独演会を催すようになった。
8代目桂文楽と並び称されて東京の落語家を代表する大看板として押しも押されもせぬ存在となり、全盛期を迎える。

1953年(昭和28年)にはラジオ東京専属、翌年にはニッポン放送専属になる。
1956年(昭和31年)6月、自伝『なめくじ艦隊』を発行。
5代目志ん生当人は読むのはまだしも書くのは不得手で、弟子の初代金原亭馬の助による聞き書きであった。
同年12月、『お直し』の口演で芸術祭賞を受賞する。

 

会長就任

1957年(昭和32年)、8代目文楽の後任で落語協会4代目会長に就任。1963年(昭和38年)まで会長を務める

5代目志ん生の後任の会長を選出する際、一部で2代目三遊亭円歌を後任に推す動きがあり、2代目円歌本人も会長就任に意欲を示していたが、5代目志ん生は「人気や活躍の期間では円歌の方が上だが、芸の力量では圓生の方が上」と判断し、力量重視で6代目圓生を後任に推した。

一時は対立を回避するために8代目文楽が会長に復帰することで人事は決着したが、1964年(昭和39年)に2代目円歌が亡くなったため、結局、翌1965年(昭和40年)に6代目圓生が会長に就任することとなる。

 

病気

1961年(昭和36年)暮れ、読売巨人軍優勝祝賀会の余興に呼ばれるが、口演中に脳出血で倒れる。
3か月の昏睡状態の後に復帰するも、その後の高座からは以前の破天荒ともいうべき芸風が影を潜めた。

この時を境に5代目志ん生の「病前」「病後」とも呼ばれる。
療養を経て復帰した5代目志ん生は半身不随となっていたため、講談で使用する釈台を前に置き、釈台に左手を置いて高座を務めた。

1964年(昭和39年)、自伝『びんぼう自慢』を刊行。さらに5年後に加筆して再刊されたが、いずれも小島貞二による聞き書きである。
同年11月、紫綬褒章受章。

1967年(昭和42年)、長女が1964年(昭和39年)に亡くなった2代目円歌の息子と結婚したため、一時は円歌の遺族と姻戚関係があった[注釈 12]。
この年、勲四等瑞宝章を受章する。

1968年(昭和43年)、上野鈴本演芸場初席に出演。これが最後の寄席出演となった。
同年10月9日、精選落語会に出演。これが最後の高座になる。

この時、「二階ぞめき」を演じていたはずが途中で「王子の狐」に変わってしまったことをマネージャーである長女に指摘されたため以降高座に上がらなくなったが、5代目志ん生当人は引退した気などなく、少し休んでやがて高座に復帰する意志は持っていた。

 



 

1971年(昭和46年)12月9日、妻・りん逝去。12月11日に葬儀が行われる。
その翌日には8代目文楽が逝去。晩年の文楽は寄席や落語会に出演せず引退同様の状態であったが、高座に上がる気持ちは持ち続けていた。

この年、すでに高座を去っていた文楽がウイスキーを土産に志ん生を訪ねて歓談し、別れ際に「二人会の相談をしよう」と呼びかけていたと家族が証言している。
妻の葬儀でさえ涙を見せなかった志ん生だが、文楽の訃報を聞いて「皆、いなくなってしまった」と号泣した

1973年(昭和48年)9月21日、自宅で逝去。享年83。
戒名は「松風院孝誉彩雲志ん生居士」。墓所は文京区小日向の還国寺。
現在では同じ墓に息子の3代目志ん朝も眠っている(一時、同じく息子の10代目馬生も同じ墓に眠っていたが、2011年に墓所を移転している)。

 

芸について

6代目三遊亭圓生・宇野信夫・坊野寿山らによれば売れない頃の5代目志ん生の芸は「うまいとは思ったけど、どうしても売れるとは思えない芸」(坊野寿山)、「噺はうまくなかった」(宇野信夫)、「とても速かった」「セカセカして、さっぱり間がとれない」(6代目圓生)といった状態であった。

6代目圓生は「芸の幅が五十をすぎて、パーッと開けちゃった」「人間はズボラだったが、芸にウソはなかった」「志ん生の芸は傷だらけ(中略)その芸も完璧なものじゃなかったわけで、人間描写もいい加減なところがあった」「小さく固まらなかったから、いつかその芸がなんともいえない独特の芸風にふくらんでしまった」

口演の出来不出来が激しかったが、「そこがいかにも志ん生らしいところで」「志ん生さんにはフラがありましたが、あれも型があっての上での自在な間なんです。型のないものは芸じゃありません。」と評している。

「完成した5代目志ん生」を見ると「天衣無縫」と思えるが、実際は売れない時代が長く、芸について苦労して非常に考えた上であの芸風を苦心して作り上げたことが窺える

6代目圓生は「志ん生とは道場の試合では勝てるが、野天の真剣勝負では斬られるかもしれない」と芸へのアプローチの違いを剣に例えて、5代目志ん生の芸を評した。

一方、5代目志ん生の方は6代目圓生について「まんべんなく人物描写をしているが、それだと噺にヤマが出来ない。主人公だけ浮き彫りにさせてやらなきゃ駄目だ」と評して、「主人公を躍動させ、脇の人物は少しばかり殺す」という演出法を取っていた。

満州滞在中に満洲電信電話の新京放送局が主催した演芸会で、当時アナウンサーだった森繁久彌と出会う。
5代目志ん生と6代目圓生の二人でバレ噺(下ネタがかった噺)を交代で演じ、森繁が「こんなバレ噺もある」と紹介しながら司会進行した。

演じる側としても実に楽しい会だったようで、客が鈴なりになって他のお座敷の仕事を放り投げて延々と続け、そのあと森繁が酔い潰れた5代目志ん生をおぶって帰った。

森繁の芸達者ぶりに二人は瞠目し、5代目志ん生は森繁を「あなたなら日本ですぐに売り出せる」と絶賛した。
のちの森繁の活躍で5代目志ん生の目の確かさが証明された
ことになる。

独特のクスグリのセンスで高い評価を得ている5代目志ん生であるが、実際はそのかなりは初代柳家三語楼の作に負うものである。
三語楼宅が火事になった折、そのどさくさにまぎれて三語楼のネタ帳を盗み出して自分のものにしてしまったのは落語家内では有名な話であると、後に5代目柳家小さんがTBSラジオ「早起き名人会」で川戸貞吉に述懐している。

噺のディテールはかなり大雑把で、「井戸の茶碗」を口演中に登場人物である「千代田卜斎(ちよだぼくさい)」の名がいつの間にか「千代田売卜(ちよだばいぼく)」になってしまったことがある。
「卜斎」なら武士や医師などの人名だが、「売卜」は占い師のことである。
このように、人名・地名や言い立ての順序・内容を誤るなどは日常茶飯事であった。

次男の3代目古今亭志ん朝が噺の登場人物名を問うと「何だっていい」と答えたり、噺の途中で登場人物の名前を忘れてしまったが「……どうでもいい名前」と何食わぬ顔で済ませて客を爆笑させたりするなど、登場人物の名前を忘れて高座を去った8代目文楽とは対照的であった。

これについては5代目志ん生から噺を教わった5代目三遊亭圓楽が「落語のとらえ方、解釈の仕方を大事にし、登場人物の本質、了見をまずつかんでいた。それさえ肚にいれれば、『台詞なんざ、自分でこさえたっていい』という考え方だった」と評している。

3代目志ん朝が入門した後、5代目志ん生は「自分が教えちゃ物にならない」として、自分では稽古をつけず、8代目林家正蔵(後の林家彦六)のところに稽古に行かせていた。
3代目志ん朝は、「(5代目志ん生に)なろうとしてもなれるものではない。(8代目桂文楽を)お手本にしている」と語っている。

気に入らぬ客の前ではいい加減な噺で切り上げ、周囲を呆れさせていた。
その一方で、数名の酔客にヤジを飛ばされた時、一切無視して丁寧にじっくりと「富久」を演じた。
酔客は黙ってしまい、5代目志ん生が退場すると大きな拍手を送った。

大阪でも8代目文楽らと共に戎橋松竹などの寄席に上がることがあったが、当時大阪はトリオ漫才(かしまし娘など)の全盛期で、客席には漫才を見に来た団体客が多く、落語はまったく受けなかった。
そのため、5代目志ん生は時間を守らずにすぐ切り上げてしまい、次の出番の芸人を慌てさせていた。
東京でも気分が乗らないとさっさと高座から下がってしまった。

1958年(昭和33年)10月11日、「第67回三越落語会」において「黄金餅」をトリで演じる予定であったが、8代目正蔵がその前に似たような内容の「藁人形」を演じてしまった。
これは落語会の事務関係者のミスによるものだが、落語界では、一つの興行で同じ傾向の噺が続くことは「噺がつく」と呼ばれるタブーである。
8代目正蔵の後に高座に上がった5代目志ん生は、客席に断って演目を変更し、手持ちの噺の中から艶笑噺の「鈴振り」をたっぷりと演じた。

芸にはプライドを持っており、ある落語会で「牡丹灯籠 〜御札はがし〜」を演じることになった際には「これは生半可なことじゃあできねえんだから、ワリ(出演料)に「牡丹灯籠代」が付くよ」と言い出して関係者を困らせた。
このゴタゴタでやる気をなくしたのか、高座では散々な出来であったという。

自身が得意な噺はなかなか人に教えなかった一方で、一度人に授けた噺は以後高座でやらないようにけじめをつけていた。
かつて演じていた「夕立勘五郎」や「町内の若い衆」などは、他人に教えた後はピタッと演じなくなったという。
余芸として端唄などを得意とした。元慶應義塾塾長・小泉信三は5代目志ん生の「大津絵」を聴き、度々目頭を濡らした。

「酒気を帯びて高座を務める」「時間通りに来ない」「自分の独演会に来なかった」などズボラなエピソードが多く伝わるが、当時電通でラジオ番組制作を担当しており、親しく交流していた小山觀翁によると、小山が担当した録音の当日に酔っていたり遅刻したりしたことは一度もなく、録音する演目の口演時間を前日に寄席で計測し、録音時に時間調整するといった丁寧な仕事ぶりだったという。

5代目志ん生は「(前略)売れない噺家に用はないとまでいわれた(中略)あのときの気持ちだけは、あたしゃァ忘れない(後略)」
「(前略)いまに見てやがれ畜生め。席亭のほうから出てくれッていわせてやるんだ(後略)」と思ったと語っていた。
売れない頃に関係者に粗略に扱われた恨みは根深かった

相手の都合など意に介さず気ままに振る舞ったのは、「(前略)あの寄席の親父が気にいらないとか、あいつは……っていうと、周囲の迷惑は思わない。そいつに迷惑かけてやろうという一心で(後略)」というケースと、仲間内で多少の甘えが許されると踏んだ場合にというケースがあると小山は推測している。

小山いわく「(前略)この野郎にはズボラをいいのか悪いのかってえのを、ちゃんと心得てズボラをする男ですね(後略)」。
貧乏・天衣無縫・融通無碍・出たとこ勝負、といったイメージばかりが紹介されるが、小山は「(前略)型がないどころか、きちんとあるんですよ(中略)一点一画をゆるがせにしないという芸であるのに、それを天衣無縫に見せるという、この親父はたいした親父だ(中略)タヌキですよそりゃァ(後略)」と語っている。

貧乏についても小山は、落語の速記本の購入や音曲の修行など芸事にはしっかり資本を掛けていることを根拠に、貧乏時代を売り物とするためにいささか誇張して「(前略)自ら神話を作っていたのではないか(後略)」と推測している。

8代目文楽は、「(前略)あちらは、いまンなって若い時分の貧乏を自慢してますがネ。あの時分金のないのはおたがいだったんだ。その、おたがい金のなかった時分、なけなしの五円貸して、返してもらえなかった身のことは、誰も考えてくれない……(後略)」と語っている。

出演料がまとまった収入源になるメディアがNHKの前身にあたるラジオ放送(日本放送協会の沿革参照)以外存在しなかった当時、5代目志ん生だけでなく落語家がそもそも儲かりにくい稼業だった。

出たとこ勝負、いいかげん、というイメージについては小山は「(前略)八十何年も落語を演っててねェ、そんなに出鱈目でいいかげんであろうはずがないという、この原点をわりに皆さんが考えませんねェ(中略)だからむしろ逆に、いいかげんに見せる技術が秀れていたと。(後略)」と語っている。

晩年は総入れ歯で、入れ歯の床(粘膜に当たる部分)は金合金だったらしい。

 

酒について

関東大震災発生時は、酒が地面にこぼれるといけないと思って真っ先に酒屋へ駆け込み、酒を買った。
酒屋の主人はそれどころではないと勘定をとらず、その場でタダで1升5合ほども飲んで泥酔して帰宅した。
夫人のりんは当時長女を妊娠中で、大地震の最中に家から飛び出して泥酔して帰宅した亭主にさすがにたまりかねて大変な剣幕で面罵した。

戦時中、漫談家の初代大辻司郎と銀座数寄屋橋のニユートーキヨーでビールを飲み、「エビの絵が描いてある大きな土びん」にビールを詰めたものを土産にもらって都電で帰宅中、日本橋の付近に差し掛かったところで空襲が始まった。電車から降ろされたが逃げることをあきらめ、地下鉄入口に腰を下ろした。爆弾がおちて死にでもしたら、せっかくもらったビールがもったいない。飲んでしまわなければ死んでも死にきれないとすべて飲み干して、そのままその場で寝入ってしまった。

翌朝、奇跡的に無傷のまま目覚めて帰宅。いつまでも帰宅しないのであるいは空襲で死亡したのでは、と家族は諦めていた。

満州で終戦を迎えたものの、混乱状態の満州から帰国する目処がつかず、1946年(昭和21年)頃の国内では「志ん生と圓生は満州で死んだらしい」と噂が流れていた。
実際、本人も今後を悲観して、支援者から「強い酒なので一気に飲んだら死んでしまう」と注意されたウォッカ一箱を飲み干し、数日間意識不明になったことがあったが、その後意識を回復した。

当時、6代目圓生と二人で極貧生活をしていた時、苦労して手に入れて持ち帰った酒瓶を蹴躓いて落として割ってしまった。人生で情けなくて涙をこぼして泣いたのは後にも先にもこの時だけだと後に語っている。

酒に酔って高座に上がったことが何度かある。1958年(昭和33年)5月30日の「第13回東横落語会」では大幅に遅刻し、真っ赤な顔、怪しい呂律で高座を務めた。
噺も支離滅裂だったが、その様子が笑いを誘い、当日一番客の拍手を浴びたのは5代目志ん生だった


人形町末廣の大喜利でも居眠りしてしまい、トリの4代目(自称9代目)鈴々舎馬風がいくら起こしても起きなかった。

新宿末廣亭でも一度居眠りしたことがある。
家でよく飲んだ酒は菊正宗特級。蔵元から特別なものをもらっていた。なお、大好きな食べ物は納豆、苦手なものは漬物。

 

改名遍歴

5代目志ん生は幾度も師匠替え・改名をしていることで有名である。
度重なる改名の背景には、借金から逃亡する目的と一向に売り出せない状況の打破を願う意味があったと言われている。




出典: 「古今亭志ん生 (5代目)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



あらっ。。。ずいぶんと破天荒な噺家なんですわねぇ〜。。。



そこが,また面白いところですよ。。。人形町末廣の大喜利でも居眠りしてしまい、トリの4代目鈴々舎馬風がいくら起こしても起きなかった、というのだから、呆れるほどユニークな人物ですよ。。。もう、こういう噺家は今後 現れないと思いますよ。。。

デンマンさんは古今亭志ん生さんの「二階ぞめき」を聴いて、吉原に足繁く通っていた頃のことを思い出したのですかァ〜?

卑弥子さん、何を言うんですかァ〜。。。僕は戦後生まれですよ。

日清戦争のあとで生まれたのでござ〜ますかァ〜? うふふふふふふ。。。

太平洋戦争のあとですよ。。。僕が物心ついた頃には、もう吉原の昔ながらの妓楼も戦前の赤線もありませんでしたよ。。。でも、もし吉原が現在も商売を続けていたら、僕も「ひやかし」に足繁(あししげ)く通うと思うのですよ。。。

「二階ぞめき」の若旦那の趣味に共感したのでござ〜ますかァ〜?

古今亭志ん生さんの「二階ぞめき」を聴きながら吉原の様子が目に浮かぶようでした。

あらっ。。。デンマンさんは吉原に通ったこともないのに、吉原の様子が目に浮かぶのでござ〜ますかァ〜?

時代劇で吉原の様子は見ていますからねぇ〜。。。例えば次のようなシーンですよ。。。

 


(yoshi31.jpg)

 



こうして張店の前に陣取ってひやかすのですよ。。。もちろん、遊びたい人は、こうして気に入った女を選んで妓楼に上がるのです。。。でも、太夫と呼ばれるような高級花魁と遊ぶには、茶屋を通さなければならなかったのですよ。。。

 


(yoshi32.jpg)

 



妓楼に上がったら懐具合に応じて宴会を開く。。。女芸者を読んだり幇間(男芸者)を呼ぶ場合は別途に料金がかかります。。。この辺の事情が次のクリップで詳しく解説されています。

 



 



ひやかし客というのは ずいぶんと居たのでござ〜ますかァ〜?



随分と居たらしい。。。川柳などに詠(うた)われているのです。。。そのへんのことを次のクリップで16代目の櫻木庵川柳先生が詳しく説明してくれます。。。

 



 



昔の吉原で働いていた遊女たちにもお客との間や従業員との間に恋愛関係が生まれることってあったのでござ〜ますかァ?



落語にもなっているくらいだから、随分とあったらしいですよ。。。次のクリップは古今亭志ん朝さんの「幾代餅」という噺で、職人の恋煩いの相手が幾代太夫という花魁ですよ。。。

 



 



この他にも吉原の遊女の悲恋を描いた映画があります。。。

 



 



『花宵道中』(はなよいどうちゅう)は、宮木あや子による日本の連作短編小説集作品。
第5回(2006年度)女による女のためのR-18文学賞大賞・読者賞受賞の表題作含む5編を収録し2007年2月22日に新潮社より刊行、1編を加え2009年9月1日に新潮文庫より文庫化された。

江戸時代末期の新吉原を舞台に遊女たちの叶わぬ切ない純愛を描いた官能小説。

江戸吉原の小見世・山田屋が舞台。
5部構成で、それぞれ主人公が異なる。最新号より、第6部「大門切手」の連載がスタートした。

2009年より斉木久美子作画で『女性セブン』(小学館)で漫画化、2014年に表題作を原作として豊島圭介監督、安達祐実主演により映画化された。




出典: 「花宵道中」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 


(yoshiwara_map2.jpg)


『拡大する』


 



上の地図は1846年の新吉原の地図です。。。赤枠で囲んであるのが山田屋です。。。地図を拡大して、当時の吉原をじっくりと眺めてください。。。


 


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【ジューンの独り言】


(june500.jpg)

 

ですってぇ〜。。。

あなたも、新吉原には興味がありますか? 現在は日本最大のソープランドになっているようですわァ。。。

ええっ。。。「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で あたくしに ご命令なさるのですかァ〜?

分かりましたわァ。。。。

では、あなたもビックリするような

忠臣蔵のとっても古い映画をご覧くださいまし。。。

なんと。。。昭和3年(1928年)制作の『忠臣蔵』ですわよう!

無声映画ですけれど、弁士の方がなかなかうまい説明をしてくださいますわ。。。

つい、引き込まれて観てしまうのですわ。。。

浅野内匠頭がどうしてヘマをしでかしたのか?

そのへんのところが詳しく映像に残っております。

観るだけの値打ちがありますわ。。。

では、どうぞ。。。

 



 

ところで、どうして小百合さんが

「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?

 


(sayuri5.gif)

 

あなたは ご存知ですかァ?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわァ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


(suikyu9.jpg)

それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉



軽井沢のイルミネーション



秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩



とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


(hand.gif)


メチャ面白い、

ためになる関連記事




(linger65.gif)

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(house22.jpg)

■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)

『センスあるランジェリー』



(surfing9.gif)



(sayuri5.gif)

ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




(zurose2.jpg)

『女帝の平和』

『アタマにくる一言』

『悪女レオタード@昌原市』

『スウィートビーン』

『ガチで浦島太郎やし』

『ご苦労さま』

『デンマンのはなし』

『卑弥呼の墓』

『室生犀星と人間学』

『松平春嶽ダントツ』

『英語は3語で伝わる』

『くだらない物』

『漢字で体操』

『面白い漢字テスト』


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『日本のエロい文化』

『女のオナラ』

『紫式部と宮本武蔵』

『頼朝の死の謎』

『パンツと戦争』

『海外美女 新着記事』

『日本語を作った男』

『江戸の敵を長崎で』

『芸術は尻だ』

『尻の芸術』

『左翼的な下着』

『エロい源氏』

『ネット市民は見ている』




軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)


(byebye.gif)
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ピンタレスト

2022-11-04 02:48:51 | 日本人・日本文化・文学論・日本語
 

ピンタレスト

 


(pinterest10.jpg)


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デンマンさん。。。 どういうわけでピンタレスト を取り上げるのでござ〜ますかァ〜!


(kato3.gif)

ちょっと次のリストを見てください。。。

 


(liv22-10-24.jpg)


『拡大する』

『黙庵 四睡図 エピソード』


 



これはライブドアの僕の「徒然ブログ」の日本時間で10月24日の午後2時11分から午後4時46分までのアクセス者の記録です。。。赤枠で囲んだ箇所に注目してください。。。



あらっ。。。10月24日の午後2時57分にピンタレスト(pinterest.jp)からやって来て 黙庵 四睡図 エピソード を読んだネット市民がいたのですわねぇ〜。。。

そうなのですよ。。。

あたくしは初めて目にしたのですけれど、ピンタレスト(pinterest.jp)というのは、いったいどのようなことをするサイトなのでござ〜ますかァ〜?

卑弥子さんにも一目で分かるように僕のピンタレストのホームページを見せますよ。。。

 


(pin22-11-01.jpg)


『拡大する』

『実際のページ』


 



あらっ。。。きれいな女性の写真がたくさん出ているではありませんかァ〜!



いや。。。女性の写真ばかりではありません。。。このホームページにはカテゴリの名前と写真が出ているのです。。。ピンタレストではカテゴリと言わないでボード(Board)というのですよ。。。

あらっ。。。「デンマンブログの女たち」にあたくしの写真が出ているではありませんか。。。

 


(pin22-11-01b.jpg)

 



そうです。。。上の写真をクリックすると、「デンマンブログの女たち」カテゴリ(ボード)のページが出てきます。。。

 


(dengal22-11-02.jpg)


『拡大する』

『実際のページ』


 



あらっ。。。ジューンさんと軽井沢タリアセン夫人の小百合さんと並んで第一線に出ているのですわねェ〜。。。で、あたくしの写真をクリックすると、どうなるのでござ〜ますかァ〜?



卑弥子さんの写真をクリックすると卑弥子さんのページが表示されます。。。

 


(himiko22-11-02.jpg)


『拡大する』

『実際のページ』


 



上のページの緑の枠で囲んだリンクをクリックすると卑弥子さんが登場する記事が表示されるのですよ。。。

 


(liv14-03-28.jpg)


『拡大する』

『実際の記事』


 



なるほどォ〜。。。つまり、あたくしを含めて魅力的な女性を貼り付けるのは、ネット市民の皆様の関心をひきつけ、最終的には、その写真が出てくる記事を読んでもらうのがデンマンさんの目的なのですわねぇ〜。。。



そういうことです。。。

でも、例えば、次の「美女・熟女・美少女」カテゴリ(ボード)には、とってもきれいな女性たちがでてきますけれど、この人たちはすべてデンマンさんの記事に登場するのでござ〜ますかァ〜?

 


(beauty22-11-02.jpg)


『拡大する』

『実際のページ』


 



赤枠で囲んであるのはジューンさんの写真だけれど、この写真をクリクするとジューンさんが登場するページが表示されます。。。

 


(june22-11-02.jpg)


『拡大する』

『実際のページ』


 



デンマンさんが投稿した記事の中に、上のジューンさんの写真が出てくるのでしょう?



そうです。。。

その記事を見るにはどこをクリックするのですか?

上のページの緑の枠で囲んであるリンクをクリックするとジューンさんが登場する記事が表示されます。。。

 


(june22-11-02.jpg)


『拡大する』

『実際の記事』


 



一つ一つの写真はピンタレストでは「ピン」と言うのですよ。。。このピンは、自分が撮った写真や、コラージュして作り上げた写真を「ピン」としてアップロードすることもできるけれで、「美女・熟女・美少女」カテゴリ(ボード)の中に出てくる ほとんどの写真や動画は他のピンタレスト会員の「ピン」を共有したものです。。。



つまり、デンマンさんの記事には登場しないのですわねぇ〜。。。

そうです。。。だから、例えば、次の青枠で囲んである動画をクリックする。。。

 


(beauty22-11-02c.jpg)


『実際のページ』


 



上の青枠で囲んだ動画をクリックすると次のページが出てくるのですよ。。。

 


(ch22-11-02.jpg)


『拡大する』

『実際の動画のページ』


 



つまり、ピンタレストの他の会員の気に入った「ピン」を自分のサイトに貼り付けることもできるのですねぇ〜。。。



そういうことです。。。

ところで、どなたが 黙庵 四睡図 エピソード を読んだのでござ〜ますか?

東京の港区西麻布に住んでいる梶原美咲(かじわら みさき)さんが読んだのです。。。

 


(ip6033.jpg)



 



あらっ。。。和服が似合うきれいな方ですわねぇ〜。。。西麻布の高級住宅地に住んでいるのですかァ〜?



そうです。。。美咲さんは日本画の私塾に通って日本画家をめざして勉強しているのですよ。。。先生から「黙庵の『四睡図』を参考のために見てご覧なさい」と言われたので、まずネットで探して、ピンタレストに出くわしたというわけです。。。

 


(liv22-10-24c.jpg)


『黙庵 四睡図 エピソード』


 



リファラのリンクをクリックすると、どのようなページが出てくるのでござ〜ますかァ〜?



次のページが表示されます。。。

 


(pinhome22-11-02.jpg)


『拡大する』

『実際のページ』


 



美咲さんは、このぺージからやって来たのですか?



いや。。。上のページからではありません。。。当然、黙庵の『四睡図』の絵が貼ってある 僕の 絵画 のカテゴリ(ボード)のページからやって来たのですよ。。。

 


(kaiga22-11-02.jpg)


『拡大する』

『実際のページ』


 



赤枠で囲んだ画像をクリックすると黙庵の『四睡図』のページが表示されるのです。。。

 


(kaiga22-11-02.jpg)


『拡大する』

『実際のページ』


 



上のページの 緑の枠で囲んだリンク をクリックすると次の記事が表示されるのですよ。。。

 


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『拡大する』

『実際の記事』


 



美咲さんは、記事を読んでなにか参考になることでも見つけたのでござ〜ますかァ〜?



次の話を読んで納得したことがあったのですよ。。。

 





デンマンさんは源氏物語の世界ではなくて水墨画の世界にハマッているのでござ~ますか?



いや。。。ハマッているというほど水墨画が好きではありません。 でもねぇ、赤枠で囲んである本をパラパラめくっていたら水墨画に出くわしたのですよ。

あたくしの背景にある水墨画は雪舟さんが書いたのでござ~ますか?

その通りです。 でも、雪舟さんの自筆のものではなくて他の人が模写したものですよ。 だけど、まるで本物のように良く描けています。

デンマンさんは、この背景になっている水墨画が気に入ったのですか?

いや。。。気に入ったというより僕の心がスウ~ッと吸い込まれてゆくようなすがすがしさを感じたのですよ。

あたくしには、なんだか落書きのように思えるのですけれど。。。おほほほほほ。。。んで、どういう所がそれほど良いのでござ~ますか?

もともと僕は幻想的なものに惹かれる感性を持っているのかもしれません。 (微笑)

マジで。。。? 上の背景の水墨画は幻想的なのですか?

あのねぇ~、雪舟さんが生きていた頃、水墨画を描くということは日本の風景ではなく中国の風景を描くことだったらしい。 上の方に霞(かす)んで見えるのは霧がかかってうっすらと見える中国の山ですよ。 なんとなく幻想的な気分が表現されていると思いませんか?

そうでしょうか?

あのねぇ~、僕が初めて水墨画を見た小学生の頃、どうしてこんな出鱈目(でたらめ)な山を書くものかと不思議に思ったというよりも呆れたものですよ。 こんな山があるはずないじゃないか! 山と言えば富士山のような山が典型的な日本の山ですからね。。。 僕が生まれ育った行田市からは、よく晴れた日には富士山が見えるのですよ。

 



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あらっ。。。今度は富士山を背景にあたくしが癒されているのですわね。 うふふふふふ。。。でも、デンマンさんのふるさとからマジで富士山がこんなにきれいに見えるのですか?



マジですよ。 僕の実家から自転車で20分ぐらい行ったところに久下橋がある。 その橋の袂から見たのが上の写真の富士山ですよ。

あたくしも一度、デンマンさんのふるさとから富士山を見てみたいものですわ。

僕の実家の東北の方には赤木山、それに北の方には榛名山。。。どの山も裾を引いて山水画に書かれているような垂直にそそり立っているような山とは大違いですよ。 初めて水墨画に描かれている山を見たとき、とても山とは思えなかった。 こんな山があるはずがない! 下手糞な絵を描くものだと子供心に馬鹿にしていたものですよ。 でもねぇ、中国へ行って初めて水墨画で描かれているような実物の山を見た時にはビックリしましたよ。

 


(sesshu0.jpg)

「桂林水墨画」の世界



 



「百聞は一見にしかず」。。。たぶん、これは雪舟が中国へ行って実物の山を見た時に言った言葉じゃないか! そう思ったほどですよ。



あらっ。。。デンマンさんは実物の変な山を見るために中国に行ったのですか?

もちろん、山だけを見るためではありません。 上海に行ったついでに水墨画の世界に浸りたいと思って田舎に言ったのですよ。

ところで、雪舟さんも中国に行ったことがあるのですか?

あるのですよ。 本には次のような書いてあります。

 



雪舟は、日本の水墨画の転換期にいる。
雪舟によって「水墨画の日本化」が“始まる”、あるいは“達成された”ということになっているからだ。
雪舟は「日本的水墨画の完成者」ということになっていて、「それまでは“本場の中国の方がエラくて、日本製のものはオリジナリティーのない二流だ”と思われていたのを雪舟が覆(くつがえ)した」ということになっている。
がしかし、これは別に室町時代の評価ではなくて、ず~っとあとの近代になってからの評価である。

 (中略)

中国から日本に帰ってきた雪舟は、大内氏の山口県には行かず、大友氏のいる大分県に行く。
なにしろ当時は応仁の乱でゴタゴタしていた。
雪舟は大分県に天開図画楼(てんかいとがろう)というアトリエを開く。
大友氏の援助があったのは当然のことだろう。
天開図画楼で制作に励んだ後、しばらくの間、雪舟は日本各地を転々と旅する。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易いように改行を加えています)




156ページ 『ひらがな日本美術氏 2』
著者: 橋本治
1997年8月25日発行
発行所: 株式会社 新潮社


 



遣唐使は廃止されて定期的に中国へ行くことはなくなっていたけれど、中国文化・芸術は当時ではやはり現在の“アメリカ映画”や“欧米ファッション”のようにもてはやされていた。 だから雪舟も当然、本場の水墨画に触れたいと思って当時の明国に渡ったに違いないのですよ。



。。。で、中国で絵の勉強してきたのですか?

ところが雪舟はそのつもりで中国へ行ったのだけれど、ついに素晴らしい絵の先生に恵まれなかったらしく、自分が日本で師事していた先生である周文(しゅうぶん)。 それに周文の先生である如拙(じょせつ)の絵の方が素晴らしくて、ますます日本人の二人を尊敬したと言うのですよ。

つまり、“灯台もと暗し”だったのですわね。

そうなのです。

でも、雪舟は日本各地を転々として、どうして京都に住まなかったのですか?

あのねぇ~、雪舟が生きていた頃は京都は応仁の乱で大変だったのですよ。 なにしろ、応仁の乱で戦国時代が幕を開けたようなものですからね。 雪舟が生まれたのは1420(応永27)年ですよ。 明国に渡ったのが1468(応仁2)年。 つまり、応仁の乱が勃発したので、まるで逃げるようにして中国に渡ったのですよ。 中国の各地を回り、約2年間本格的な水墨画を勉強しようとした。 結局、あまりいい先生に恵まれずに1469(文明元)年に日本へ帰ってきた。

でも、応仁の乱の最中でしょう?

そうですよ。 だから、京都を離れて各地を放浪したのですよ。 周防、今の山口県や。。。、豊後、今の大分県、それに石見にまで行って水墨画を描いた。

でも、戦国時代になるから京都以外でも戦いが始まっているのではありませんか?

でも、京都はすっかり興廃してしまって、むしろ地方に行った方がいいスポンサーが居たのですよ。 冒頭の卑弥子さんの背景になっている「破墨山水図(はぼくさんすいず)」を雪舟が描いたのは1495年、雪舟が76歳の時なのです。 今の山口県で描いたのですよ。

あらっ。。。76歳になっても、まだ絵を描いていたのでござ~ますか?

そうなのです。 1501(文亀元)年にも「天橋立(あまのはしだて)」まで行って水墨画を描いていますよ。 没年は確実な記録はないのだけれど 1506(永正3)年に87歳で亡くなったと言われているのです。 どうやら死ぬまで水墨画を描き続けていたようです。

あらっ。。。87歳まで生きたのですか。。。現在でも長寿者の仲間入りができるではござ~ませんか!

そうなのですよ。

それで雪舟さんが87歳まで生きられた事と水墨画が関係あるとデンマンさん言いたいのですか?

当然でしょう! 雪舟が生きていたのは騒乱の時代ですよ。 現在のように平和な時代ならば80歳を過ぎても生きている人は珍しくないけれど、今から500年ほど昔ですよ。 平均寿命はおそらく40歳から、長くても50歳ですよ。 織田信長が「人間50年。。。」という謡(うたい)を唸(うな)っていた頃ですからね。

つまり、水墨画を描くことによって雪舟さんは癒しを得られてストレスから開放され、癌にかからず戦争にも巻き込まれないで長く生きられたと言うのですか?

そうですよ。 だから雪舟さんが死ぬまで水墨画を描いていた事が何よりの証拠じゃありませんか!

でも、ちょっと信じられませんわ。

信じてくださいよ。 「信じる者は救われる」と言うじゃありませんか! (微笑)

それと、これとは違いますわ。 冗談言ってないで、その長寿の秘訣を話してくださいな。

あのねぇ~、雪舟さんより百年ほど前に黙庵(もくあん)さんという禅僧が居たのですよ。 この人は鎌倉幕府が滅亡する10年ほど前に、元の時代の中国に渡った。

禅の修業のためにでござ~ますか?

そうです。 日本に帰ってくる気持ちはあったようだけれど、結局日本には帰ってこないで、1345年に中国で亡くなったのですよ。

あらっ。。。まあ。。。じゃあ、デンマンさんと同じように異国で骨になったのでござ~♪~ますわね。

卑弥子さん!。。。んもお~~。。。僕はまだバンクーバーで骨になってませんよ!

冗談ですわよ。 そのようにムキにならないでくださいな。 それで、その黙庵さんがどうだとおっしゃるのでござ~ますか?

あのねぇ~、黙庵さんよりも100年後に、明の時代に中国に渡った雪舟さんは「中国にはロクな先生はいない」と言って日本へ帰ってきたのだけれど、当時の中国人で水墨画を描く連中は雪舟さんのことなど全く知らなかったに違いない。

あらっ。。。それでは、黙庵さんは中国人の間で有名だったのですか?

そうなのですよ。 中国では水墨画でチョー有名人である牧谿(もっけい)の「再来」とまで言われたのですよ。

マジで。。。?

だから日本では、ある時期まで黙庵さんを中国人だと思っていた人がほとんどだったと言うのです。

それはすごいことでござ~ますわ! それで、黙庵さんはどのような水墨画を描いたのでござ~ますか?

あのねぇ~、雪舟さんや黙庵さのように禅僧で絵を描く専門の人を「画僧」と呼んでいたのだれど、この人たちは元々禅の修業の一環として水墨画を描いた。 だから、何を描いてもいいと言うようなものではなかった。

。。。んで、「画僧」さんは何を描いていたのでござ~ますか?

本来、「道釈画(どうしゃくが)」を描く人を「画僧」と言ったのですよ。 “道”は道教、 “釈”は“釈迦”で、禅の思想にかかわってくる道教系の仙人と仏教系の人物を描いたのですよ。

それなのに雪舟さんはどうして風景画などを描いたのですか?

「道釈画」だけじゃつまらないので風景画を“禅の心”で描いたのですよ。

。。。んで、具体的に黙庵さんは、どのような「道釈画」を描いたのでござ~ますか?

僕が最も感銘を受けたのは次の「四睡図」ですよ。

 


(mokuan2.jpg)

 



こんなものにデンマンさんは感銘を受けたのですか?



あのねぇ~、これも誰かが模写したもので本物ではない。 でもねぇ~、本物を写真で見ると、それでも素晴らしさが心にひしひしと染み透って来るのですよ。

それで、具体的に何に感銘を受けたのでござ~ますか?

描く人の心が円満で癒されてなければ、とてもこの二人の表情を一筆では描けないと思ったのですよ。

二人の表情というのは中央の人物と、向かって左側の目を細めて薄ら笑いを浮かべている人のことですか?

その通りですよ。

薄ら笑いがそれほどにデンマンさんの心に染み込んだのでござ~ますか?

あのねぇ~、中央の人は「豊干禅師(ぶかんぜんじ)」という禅僧なのですよ。 なぜかいつも虎を連れているお坊さんです。 その両側の二人は寒山(かんざん)と拾得(じっとく)ですよ。 禅の修行をして悟りを開く、それで自由人になる。 寒山と拾得は子供のままジジーになったと言う自由人です。 この薄笑いには自由で癒されて満ち足りている様子が見える。

そうかしら。。。?

つまり、禅の修業を通して「道釈画」を描き、「道釈画」を描くことによって禅の修行をしている。 その禅の心がこの二人の表情に良~く出ているなァ~。。。そう思って僕は感動したのですよ。

じゃあ、「破墨山水図」を描いた雪舟さんは禅の修行をおろそかにしていたと、デンマンさんは言うのですか?

いや。。。雪舟さんは「道釈画」を書く境地で「破墨山水図」を描いたと思いますよ。 京都は応仁の乱で荒廃している。 世は戦国時代に向かって荒(すさ)んでゆく。 そのような不安で未来がないような時代にあって雪舟さんがどうして87歳まで水墨画を描いていられたのか?

雪舟さん自身が子供ジジーの心境にでもならない限り、87歳まで生きられなかったと。。。?

その通りですよ。。。水墨画を通して禅の心。。。無と、すべてのものからの自由をゲットしていたのですよ。 そうでなければ、僕の心に訴えるものがなかったはずです。




『黙庵 四睡図 エピソード』より
(2013年2月23日)


 



美咲さんは、この上の文章を読んで何が参考になったのでござ〜ますかァ〜?



黙庵さんは、実は、日本人だけど、中国では水墨画でチョー有名人である牧谿(もっけい)の「再来」とまで言われたのですよ。。。

雪舟さんは、黙庵さんのことは知らなかったのでござ〜ますかァ〜?

そうらしい。。。その雪舟さんが当時としては87歳の超高齢になるまで生きられたということは、水墨画を通して禅の心。。。無と、すべてのものからの自由をゲットしていた。。。

それで、美咲さんは、何が参考になったのでござ〜ますかァ〜?

先生がなぜ「黙庵の『四睡図』を参考のために見てご覧なさい」と言ったのか?…美咲さんは上の文章を読みながら、先生は、きっと、黙庵さんの心情、雪舟さんの心情を考えてみなさい、と言ったのだと思い当たったのですよ。。。

どういうことですか?

つまり、子供のような心に立ち戻って、すべてのものから自由になって、素直に対象を見つめて描く。。。そのようなな心境で絵を書くということが大切だと思ったのですよ。。。雪舟さんが87歳の超高齢まで生きられたということが、その正しさを物語っている、と納得したのです。。。

でも、その事は水墨画や日本画に限ったことではないでしょう?

そうです。。。芸術家というのは、すべてのものからの自由をゲットしなければならないということですよ。。。


 


(laugh16.gif)


【ジューンの独り言】


(june500.jpg)

 

ですってぇ〜。。。

あなたも、芸術家というのは、すべてのものからの自由をゲットしなければならない、と思いますかァ〜?

ええっ。。。「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で あたくしに ご命令なさるのですかァ〜?

分かりましたわァ。。。。

では、あなたもビックリするような

忠臣蔵のとっても古い映画をご覧くださいまし。。。

なんと。。。昭和3年(1928年)制作の『忠臣蔵』ですわよう!

無声映画ですけれど、弁士の方がなかなかうまい説明をしてくださいますわ。。。

つい、引き込まれて観てしまうのですわ。。。

浅野内匠頭がどうしてヘマをしでかしたのか?

そのへんのところが詳しく映像に残っております。

観るだけの値打ちがありますわ。。。

では、どうぞ。。。

 



 

ところで、どうして小百合さんが

「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?

 


(sayuri5.gif)

 

あなたは ご存知ですかァ?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわァ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


(suikyu9.jpg)

それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉



軽井沢のイルミネーション



秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩



とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


(hand.gif)


メチャ面白い、

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(linger65.gif)

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(house22.jpg)

■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)

『センスあるランジェリー』



(surfing9.gif)



(sayuri5.gif)

ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




(costa04b.jpg)

『朝妻船』

『阿修羅を探して』

『羅漢と良寛』

『源氏エロ』

『元寇船』

『ハマガソ』

『歴史ロマン@バンコク』

『平安のキス』

『大久保独裁政権』

『愛情ゲットの呪術』

『源氏物語とおばさん』

『たこつぼ探し』

『光源氏の弟』

『勝負服』

『大伴家持の野心』

『そこが天才の偉いとこか?』




軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)


(byebye.gif)
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あっちかち

2022-10-23 01:13:50 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 

あっちかち

 



(cherry21.jpg)



(river20.jpg)

(roses3.jpg+spacer.png)




(sayuri2.gif)

Subj:3月21日 3度目のメール

Date: 20/03/2008 6:43:41 PM
Pacific Daylight Saving Time
日本時間: 3月21日 午前10時43分
From: fuji@adagio.ocn.ne.jp
To: barclay1720@aol.com



(kiss990.jpg)

■ 日本語の『別れの朝』

そうです。こんな感じの歌でした。
ありがとう

そのまま 「別れの朝」 だったんだ

でも朝 10時半 なのに 夕方の気分

ところで、「カブる」 とは 
重なってとか 同じように見えて
似てる とか
お互い 洋服が似てたりすると、
「今日 洋服カブったねェ~」

なんて 子供が言ってますが。

忙しいデンマンさん 朝早くからオタワに電話ご苦労さまでした。
ブログに戻ってください

小百合でした。





(himiko22b.gif)

今日も、「カブる」についてお話しするのでござ~♪~ますか?


(kato3.gif)

いや、違いますよ。今日は僕の「方言」について話そうと思うのですよ。

デンマンさんの「方言」ですか?個人の「方言」なんて聞いたことがござ~♪~ませんわ。

上のメールの中で、小百合さんが“なんて 子供が言ってますが”と書いているでしょう?

ええ、そうでござ~♪~ますわねぇ。

でもねぇ、子供は主にお母さんから言葉を覚えるのですよ。なぜなら、幼児の頃から学校にあがるまでは、圧倒的にお母さんと過ごすことが多い。だから、当然、言葉もお母さんから覚えるのですよ。

つまり、「カブる」という言葉を子供たちは小百合さんから聞いて覚えた、とデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか?

そうですよ。その可能性が最も高いのですよ。

。。。んで、デンマンさんの「方言」って、どのようなものでござ~♪~ますか?

忘れもしない高校1年生の時に、僕の「方言」が元でクラスに爆笑の渦を巻き起こした事があるのですよ。

どのようにして。。。?

たぶん、ホームルームの時間だったと思うのですよ。何を話していたのか覚えていないのだけれど、僕が発言する機会があって、話し始めたのですよ。

それで。。。?

僕が、「あっちかち、こっちかち」と言ったら、それが可笑しいらしくてクラスの皆が笑うのですよ。僕にとって、その言葉は可笑しくも何ともない言葉ですよ。

それは、どういう意味なのでござ~♪~ますか?

「あちら側、こちら側」と言う意味なんですよ。ところが、当時、その言葉を聞いてクラスの全員が爆笑の渦を巻き起こしたのですよ。それ以来、僕の言った言葉で、あれほどの笑いを巻き起こした事なんてないのですよ。でも、僕には、全くその可笑しさが分かりませんでした。

なぜ、それ程可笑しかったのですか?

僕の高校は熊校(くまこう)と言って、埼玉県の県北では有名な県立高校なのですよ。その名は群馬県にも聞こえていて、小百合さんが生まれ育った館林からも、明治時代の頃から生徒が通って来たものでした。もちろん、明治の頃は旧制中学でしたが。。。

学校が有名な事とデンマンさんの「方言」が関係あるのですか?

つまり、僕が言おうとしている事は、学校が有名だから、埼玉県はもちろん、群馬県からも生徒が集まってくる。広い地域から多くの生徒が集まってくるから、初めて耳にする「方言」を同級生から聞く機会も多い訳ですよ。それで、僕の言った言葉は、ほとんどの生徒にとって初めて聞く言葉だったらしいのですよ。卑弥子さんは聞いたことがありますか?

いいえ、「あっちかち、こっちかち」って、聞いたことがござ~♪~ませんわ。

面白いですか?

いいえ、別に、特に面白いとは思いませんけれど、ただ、その時のクラスの雰囲気の中で、デンマンさんが言った言葉が可笑しく響いたのでござ~♪~ますわよう。

そうでしょうね~。僕は、今でも、どうしてクラスメートがあれ程笑ったのか、不思議でならないのですよ。

でも、行田市からその高校に通っていたクラスメートも居たのでしょう?

居ましたよ。坪田君とは、ほぼ毎日一緒に通学していましたからね。それで、僕は坪田君に同意を求めたものですよ。“行田では使うよな?” そう言ったのですよ。

そうしたら。。。?

そんな言葉、使わね~よ!。。。と坪田君は答えたものですよ。


(cherry21.jpg)

“まさかぁ~ マジかよう?” 本当に僕は信じがたい思いでしたよ。僕は「あちら側、こちら側」と言う意味で何度も使ったものですよ。実家のすぐそばに“忍川(おしかわ)”が流れていましたからね。「向こう岸」と言う時には、「あっちかち」と言ったものです。これは多分、母親の実家の南河原村(現在は合併して行田市)の言葉ではないか?そう思って、当時、南河原村から通っていた末柄君に、“南河原村では使うよな?”と、同意を求めたのですよ。

そしたら。。。?

“そんな言葉、使わね~よ!”と末柄君も言うのですよう。僕はまるで、クラスの全員が僕に反抗しているように感じたものですよ。

デンマンさんは、クラスでは嫌われ者だったのではござ~♪~ませんか?

いや、いや。。。決してそのような事はありませんよ。本当に嫌われ者だったら、それ程の笑いの渦は巻き起こりませんよ。皆が無視したはずですよ。

そうでしょうか?

学校から帰ってから、僕は、その事をお袋に話したのですよう。

そしたら、お母様は何とおっしゃったのでござ~♪~ますか?

僕のお袋は、“あたし、そのような言葉、使ったことがないと思うけれど。。。”と言うのですよう。その時の僕は、全く狐に鼻をつままれたような気分でしたよ。言葉は母親から覚えるものですよ。その母親が“使ったことがない”と言ったら、じゃあ一体、僕はどこでその言葉を覚えてきた事になるの? 僕自身分かりませんでしたよ。

それで、デンマンさんは、一体その言葉をどこで覚えたのですか?

だから、僕は母親から聞いて覚えたものだとばっかり思っていましたよ。それなのに、お袋が“使ったことがないと思うけれど。。。”と言うのですからね。。。僕は、本当に四面楚歌と言う気持ちになりましたよ。

それで、未だに分からないのですか?

分からない。だから、“僕の方言”と言ったのですよ。

でも、デンマンさんは、必ずどこかで聞いて覚えてきたのでござ~♪~ますわ。

おそらく、この記事を読んでいる人の中から、“あたし、使ったことがあるわ” とか、“俺、使ったことがあるぜぇ” と言うようなコメントがもらえるのではないか?僕は、淡い期待を持って書き始めたのですよ。うしししし。。。

デンマンさんの記事にコメントをつける人は少ないから、あまり期待しない方がよいですわよ。

うん、うん。。。でも、可能性が全くないとも言えませんよ。これを読んでいる、あなた、もし使ったことがあったら是非コメントに書いてね。

それで、他に面白い方言って無いのでござ~♪~ますか?

方言ではないけれど、ちょうどこの頃に面白いエピソードがあるのですよ。

どのような。。。?

英文法の先生で、とてもユニークな先生が居ましたよ。ユニークと言っても、このエピソードがあったから、僕はこの先生がユニークだと思うようになったのですよう。寺田先生と呼ぶ事にします。僕は名前を忘れてしまったのですよ。思い出せません。まだ入学して日の浅い頃でした。春から夏になる頃の話です。

その寺田先生は女性でござ~♪~ますか?

もちろん、男の先生ですよ。女性の先生は一人も居ませんでした。当時、埼玉県の有名校は別学だったのですよ。熊校は男子校でした。

その先生は、どのような感じの先生でござ~♪~ますか?

山岳部の顧問をしている先生でした。また、油絵を描くのが趣味でしたよ。どちらかと言えば寺田先生は、あまりパッとしない先生なのですよ。40代だったでしょうか。。。山岳部の顧問と言う響きから山男か?というと、そういう印象でもない。がさつな感じでもない。そうかと言って繊細で洗練されている印象でもない。ざっくばらんで自然体、と言う感じでしたね。

。。。んで、どのような事があったのでござ~♪~ますか?

いつものように、とりわけ変わった事もなく授業は進んでいったのですよ。僕は、寺田先生の教え方がうまいと思った事もなく、とりわけ魅力的な授業をする先生だ、と思ったこともない。いわば、いつもどおりにマンネリ化した、興味のあまり感じられない授業を進めていましたよ。

それで。。。?

ふと、先生は窓の外に眼をやったのですよ。当時の校舎は木造で、僕のクラスは学校で最も古い昭和の初期に建てられた木造平屋の教室だったのですよ。寺田先生は、しばらく黙って外を見ていた。生徒の幾人かは、オヤっと思って先生の目線の行き着くところを見定めるような風でした。でも、ほとんどの生徒は無関心に教科書を見たりノートに落書きをしているようでした。僕は先生が何を見ているのだろか?と思って窓の外を見たのだけれど、僕の座席からでは窓の外の風景は垣根と空だけしか見えない。

それで。。。?

先生は、感極まったように言ったものですよ。“う~~ん。。。いい尻をしているなあぁ~。。。”

つまり、先生は窓の外を通る女性を眺めていたのですか?

そうですよ。生垣(いけがき)の向こうは砂利道になっていて、そこを女性が歩いてゆくのが見えたのでしょうね。僕の座席からでは人が通る様子は全く見えないのですよ。先生は窓辺に立っていたから見えたのでしょう。

それで。。。?

“オイ、いいケツだとよォ~” クスクスっと笑って、僕の後ろに居た原島君などは、ポルノ雑誌を見たようなエロい笑いをもらしながら、僕の背中を小突(こづ)いたものですよ。教室の、そこここで、くすくす笑いが起こりました。先生も皆に聞こえるような声を出した事に初めて気づいたかのようにニヤニヤしながら、教壇の方に歩いてゆきました。

デンマンさんは、どう思ったのでござ~♪~ますか?

女性の尻を見て、その素晴しさに感極まるような感嘆を漏らす人が僕以外にもやっぱり居るものだ、と僕は半ば同志に巡り会ったような気持ちでしたよ。

つまり、高校1年生のデンマンさんは、すでに女性のお尻を見て“う~~ん。。。いい尻をしているなあぁ~。。。”と、感嘆したことがあったのでござ~♪~ますか?

ありましたよ。声には出さなかったけれど、まさに声に出てしまうほど感嘆したことが何度もありましたよ。

。。。んで、そのように感嘆してしまう素晴しいお尻って、一体、どのようなお尻なのでござ~♪~ますか?

これは個人、個人によってだいぶ違うと思うのですよゥ。美意識の問題ですからねぇ。でも、卑弥子さんが僕にマジで尋ねるのならば、僕はシャロンさんの次の写真を見せる他に思い浮かびませんよう。


(2004f.gif)

うふふふふ。。。このようなお尻が素晴しいのでござ~♪~ますか?

卑弥子さんは、同性として何か感じるものはないのですか?

確かにシャロンさんは、きれいな方だとは思いますわ。でも、特にお尻に魅力を感じる事はござ~♪~ませんわ。

そうですかぁ~。。。でも、着こなしがセクシーだとか。。。そのように思うことはありませんか?

う~♪~ん。。。確かに、着こなしが洗練されていると思いますわ。でも、芸能人の写真を見るようで、身近な美しさを感じませんわ。

なるほどねぇ~。。。そういうものですかぁ~。。。確かに人体の一部に感じる魅力は人によって違うのでしょうね。寺田先生も、クスクス笑う生徒を見て次のように言ったものですよ。

“まだ、君らには分からないかもしれないなぁ~”

「いえ、先生、僕には分かりますよ」 僕は手を上げて寺田先生に、そう言いたい衝動に駆られたものですよう。

そのようなエピソードがあったので、デンマンさんは寺田先生がユニークだと思うようになったのでござ~♪~ますか?

そうですよ。思っていても、なかなか生徒の前で口に出せるものではないですよ。それを自然体で感嘆し、自然に口に出す。凡人には、なかなかできない事だと僕はその時に思ったものですよ。考えてみたら、寺田先生は油絵をやりましたからね、当然デッサンなどで女性のヌードを描いていたと思うのですよ。

つまり、生垣の外を歩く女性を、寺田先生はヌードをデッサンするような目で眺めていたと。。。デンマンさんは、そう思うのでござ~♪~ますか?


artist5.gif)


(picasso3.gif)

そうですよ、常日頃から美術的に女性の美しさを見出そうとしているような習慣ができていない限り、授業中に窓から見えた女性の尻の美しさに感嘆できる人はまず居ないですよ。しかも、生徒の前で、自然に感嘆の言葉を漏らすのですからね。

その事がデンマンさんには、とっても感動的だったのでござ~♪~ますか?

そうですよ。ちょうど女性の美しさの話題が出たので、僕はもう一つ心に残るエピソードを思い出しましたよ。

また、女性のお尻でござ~♪~ますか?

いや、今度のエピソードは女性の体の一部ではありませんよ。歴史的に超有名な美人の話ですよ。

クレオパトラでござ~♪~ますか?

いや、中国の楊貴妃ですよ。このエピソードは、高校1年生の時の漢文の先生のことです。名前がどうしても思い出せません。仮に大島先生としましょう。当時50才を越していたと思うのですよ。校長先生にしても可笑しくないような貫禄のある先生でした。小柄な先生でしたが、威厳があって、どこと無く近寄りがたいオーラを感じたものですよ。

つまり、あまり親しみを感じるようなお人柄ではなかったのでござ~♪~ますわね?

そうです。見た目は怖い感じでしたよ。でも、大島先生は教え方が実にうまかった。これほど情熱を込めて教える先生を僕は見たことがありませんでしたよ。

デンマンさんは、何をそれほどまでに感動したのでござ~♪~ますか?

大島先生の『長恨歌』の授業ですよ。今でも一週間前の出来事のように鮮明に思い浮かべる事ができますよ。

どう言う所がそれ程素晴しかったのでござ~♪~ますか?

この先生自身が、若い頃『長恨歌』の授業に感銘を受けて漢文の先生になろうと決めた、と言うのですよ。だから、とりわけ『長恨歌』には思い入れがあったのでしょうね。実際、素晴しい授業でしたよ。僕も引き込まれるように、この先生の熱のこもった説明に魅了されたものでした。まるで人間国宝級の講談師が講釈をしているような熱の入れ方なのですよ。卑弥子さんも『長恨歌』を知っているでしょう?

もちろん、名前だけは知っておりますわ。でも、あたくしの専門は平安時代の源氏物語でござ~♪~ますから、中国文学はイマイチでござ~♪~ますわ。おほほほほ。。。

 


長恨歌(ちょうごんか)

 


(youkihi2.jpg)

 

華清池は秦の時代(前221~前207年)から続く温泉地で、唐代(618~907年)中期には玄宗皇帝がここに華清宮を建てた。
華清池の中には華清池という池があるわけではなく、この楊貴妃の像は九龍湖の中に立っていた。
(この時、2006年3月、池は改修中で楊貴妃像は引っ越して陸に上がり、花壇の真ん中に立っていた)

九龍湖は規模としては湖と言うより池である。
上の写真の奥には、九龍橋や龍石舫がある。
背後の驪山にはロープウエイが山頂に向かって伸びている。

中国の四大美人(西施,王昭君,貂蝉,楊貴妃)の1人として名高い楊貴妃が華清池で温泉に入り、皇帝の寵愛を受けたことで知られる。
1986年には2人が使用したと思われる浴槽が発掘された。
現在残っている建物は、清朝末期に西太后が築いたもの。

華清池があるのは西安市。
日本語読みでは「せいあん」
中国語では「しーあん」と呼ばれる。
中華人民共和国陝西省の省都であり、古くは中国古代の諸王朝の都となった長安である。

 

【解説】

長恨歌は中国・唐の時代、白居易(白楽天)によって作られた長編の漢詩である。
唐代の玄宗皇帝と楊貴妃のエピソードを歌い、平安時代以降の日本文学にも多大な影響を与えた。
806年(元和元年)、白居易(白楽天)が盩厔県(陝西省周至県)尉であった時の作。
七言古詩(120句)。

 

【あらすじ】

漢の王は長年美女を求めてきたが、どの女性にも満ち足りないものを感じていた。
ところが、ついに探し求めていた美女に出会った。楊家の娘だった。
それ以来、王は彼女にのめりこんで政治を忘れたばかりでなく、その縁者を次々と高位に取り上げる。

その有様に反乱(安史の乱)が起き、王は宮殿を逃げ出す。
しかし楊貴妃をよく思わない兵は動かず、とうとう王は兵をなだめるために楊貴妃殺害を許可する羽目になる。
結局、楊貴妃は殺されてしまった。

反乱が治まると王は都に戻ったが、楊貴妃を懐かしく思い出すばかりでうつうつとして楽しまない。
道士が術を使って楊貴妃の魂を捜し求め、苦労の末、ようやく仙界にて、今は太真と名乗る彼女を見つけ出す。

太真は道士に、王との思い出の品とメッセージをことづける。
それは「天にあっては比翼の鳥のように」「地にあっては連理の枝のように」
かつて永遠の愛を誓い合った思い出の言葉だった。

 

【史実との相違】

時代が唐代から漢代に変えられている。
長恨歌が発表されたのは安禄山の蜂起に始まった安史の乱が終結して間もなくのことであり、現政権に遠慮してのことであろう。
楊貴妃は、そもそもは玄宗皇帝の子息の一人の妃であった。
さすがに息子から妻を奪うのをはばかり、いったん道士となった後で玄宗の後宮に迎え入れられている。
太真は楊貴妃の道士時代の名。

 

【楊貴妃の美】

■ 「温泉水滑洗凝脂」「雪膚」

温泉の湯水がなめらかに凝脂を洗う、と表現されるように、むっちりとした白い肌の持ち主だった。 


(babatan9x.jpg)

■ 「雲鬢花顏」「花貌」「芙蓉如面柳如眉」

ふんわりとした髪の生え際、芙蓉の花のような顔だち、柳のようなほっそりとした眉、など顔のパーツも重要であったようだ。

■ 「侍兒扶起嬌無力」「金歩搖」

侍女に助け起こされてもぐったり、歩くに連れてかんざしがしゃらしゃらと揺れる、といった感じで、北宋ごろから流行しだした纏足(てんそく)という習慣にも見られるように、いかにもなよなよとした頼りなげな様子が女性らしいしぐさとして愛されたらしい。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 

「漢詩」と言うのは、日本の若者の間では「浪花節」とか「浪曲」ぐらい人気が無くなっていると思うのですよね。卑弥子さんも『長恨歌』と言う名前は知っていても、内容までは良く知らない。。。そうでしょう?

デンマンさんは、大島先生の授業で聞いたお話を未だに感銘深く覚えていたのでござ~♪~ますか?

そうですよ。だから僕は中国に行ったら、ぜひとも古代中国の長安の都で楊貴妃に会いたいものだと思っていたのですよ。

それで、ついにその思いをかなえた訳なのでござ~♪~ますか?

そうなのですよ。ついに楊貴妃の像にお目にかかりましたよ。ちょうど小百合さんが中学生の頃『エマニエル夫人』を見て、その時の感動が忘れられずに、パリではなく、バンコクに行ったようなものですよ。


(sylvia16.jpg)


(thai001.jpg)

つまり、デンマンさんにとっては、エマニエル夫人よりも『長恨歌』の中の楊貴妃に、すっご~♪~く惹かれたのでござ~♪~ますか?

そうなのですよ。卑弥子さんだって知らずに、この『長恨歌』の影響を受けているのですよう。

あたくしがですか? この『長恨歌』の影響を知らずに受けているとデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか?

そうですよ。

どのようにでござ~♪~ますか。。。?

卑弥子さんも「比翼連理(ひよくれんり)」と言う四字熟語を聞いたことがあるでしょう?

ええ。。。一応知っておりますわ。

この四字熟語は『長恨歌』から生まれたのですよ。僕も記事の中で何度か紹介しましたよ。

 


『比翼連理(ひよくれんり)』


(chicks2.gif)

男女の相思相愛の仲をいう。
思い寄せる二人のきずなが永遠であること。

中国の西の果てに想像上の鳥が居ると伝えられています。
その鳥はオスとメスがそれぞれ一足、一翼、一目で常に雌雄一体で翼を比(なら)べて飛んでいる。
これが比翼の鳥です。

連理とは、根元は別々の二本の木がくっついて幹や枝が重なり、木目(理)が連なったものを、そう呼びます。
そのような枝のことを“連理の枝”と言います。
だから「比翼連理(ひよくれんり)」と言えば、いつでもくっついて離れられない男女(夫婦や恋人や愛人同士)の仲睦まじいさまを言います。

白楽天の「長恨歌」では、死んだ楊貴妃の魂は、天にあっていかにも寂しげに、梨花一枝(りかいっし)春雨を帯びる風情だった、と詠まれています。
玄宗との仲睦まじかった日々をしのんで楊貴妃は次のように語ります。

 



(himiko90.gif)

七月七日長生殿

夜半人無く私語せし時

天に在りては願わくば

比翼の鳥と作(な)り

地に在りては願わくは

連理の枝と為らん


 

もっと分かり易く言い直すと次のようになります。

七夕の夜、二人きり。
陛下はわたしにささやかれた。
天にあっては比翼の鳥、
地にあっては連理の枝。
二人はいつでもいっしょだよと。
その誓いも今は空しく、
私は天にあり、陛下は地にとどまって、
別れ別れです。




『不変の愛 (2007年5月5日)』より


 

こうして、なんとなく『長恨歌』の一節を僕は記事の中に盛り込んでいたのですよ。

デンマンさんは、とりわけ『長恨歌』に思い出があるからでござ~♪~ますわ。その辺で遊んでいるミーちゃんハーちゃんは知らないと思いますわア~

いや、そんな事はありませんよ。ミーちゃんハーちゃんでも知っていますよ。

そうでしょうか?

例えば、大阪に住んでいるミーちゃんハーちゃんならば、あの有名な近松門左衛門の『心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)』の主人公ー小春と治兵衛のお墓が「比翼塚」と呼ばれている事を知っていると思うのですよ。

そうでしょうか?

とにかく、僕は『小百合物語』の中で、次のように紹介したことがありますよ。

 



(amishim7.jpg)


(amishim2.jpg)

大阪・都島区の大長寺にある比翼塚。
比翼塚は、ひとつの墓に男女の戒名が並んだもの。
心中をした二人の遺書は現存し、墓の隣の石碑に2枚の遺書がそのまま写し彫られている。




『本音と大長寺 (2008年1月9日)』より


 

この「比翼塚」も「比翼連理」から取った言葉ですよ。

つまり、遠い昔の中国のお話が日本人の心にも影響を与えているとおっしゃるのでござ~♪~ますか?

そうですよ。大島先生も、若い頃『長恨歌』の授業に感銘を受けて漢文の先生になろうと決めた、と言うほどでしたからね。

その大島先生の講義を聴いてデンマンさんも強い影響を受けたのでござ~♪~ますか?

そうですよ。

。。。んで、具体的には、どのようなところで感銘を受けたのでござ~♪~ますか?

“講釈師 見て来たような ウソを言い”

卑弥子さんも、このような川柳があるのを知っているでしょう?

ええ、聞いたことがござ~♪~ますわ。

大島先生は、まるで玄宗皇帝になりきって、つい一週間程前に楊貴妃と華清池の温泉に一緒に入って、その忘れがたい思い出を語っているような調子で語って聞かせたものですよ。

 


(kinuga25.jpg)

 

どのようにでござ~♪~ますか?

特に、楊貴妃が一糸まとわぬ姿になって温泉に浸かる様子が、何とも言えない雰囲気の中で妖艶に語られましたよ。ちょっと、僕には、その時の表現を再現する事ができませんよう。なんと言うか。。。温泉から立ち上る湯気、その白い湯気の中に楊貴妃の白い肌が浮かんで見える。

 

「温泉水滑洗凝脂」

温泉の湯水がなめらかに楊貴妃の白いつややかな肌をしっとりと濡らしてゆく。。。、楊貴妃が女性の気品と魅力を保ちながら、なよなよとした「いでたち」で、そっと足を温泉に浸して、それからゆっくりと体を沈めてゆく。その姿を温泉につかって、玄宗皇帝はうっとりとしながら見上げる。そのシーンを見えるように語って聞かせる大島先生の語り口には、まるで映画でも見るような臨場感がありましたよ。

デンマンさんは、かなりハマッてしまったようでござ~♪~ますわね。おほほほほ。。。

あのねぇ、高校生の頃、僕はまだ司馬遼太郎さんの次の言葉を聞いていなかったのですよ。

 


生前、司馬遼太郎さんが次のように言いました。


(shiba3.gif)

“作品は作者だけのものと違うんやでぇ~。。。

作者が50%で読者が50%。。。

そうして出来上がるモンが作品なんやでぇ~”




『ん?社会派? (2008年3月3日)』より


 

でもね、大島先生の『長恨歌』の講義を聴いて、なるほどォ~。。。作品と言うものは作者だけがいくら頑張って書いても、読み手が作者と同じような力量で理解しない限り、感動は伝わらないものだ、としみじみと実感したものですよう。

ところで、お話は違いますけれど、上の楊貴妃の像ですわ。。。あたくしがイメージしていた楊貴妃は、柳腰の細面の女性像だったのですけれど、上の大理石の像を見ると、腰の辺りがムッチリとして、とってもボインなのでござ~♪~ますわぁ~。おほほほほ。。。唐の時代の魅力的な女性って、実際にはどうだったのでござ~♪~ましょうか?

うん、うん、うん。。。良い所を指摘してくれましたよ。僕も、その事で話したい事があったのですよ。でも、記事がちょっと長くなりましたよねぇ~。

あさってになるのでござ~♪~ますか?

楽しみは後に延ばした方がいいでしょう?うしししし。。。




初出: 2008年3月25日



【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~~

あなたは、どう思いますか?
昔の中国の美人は、柳腰で細面だったのでござ~♪~ましょうか?

あさってが待ち遠しいですわ。
あなたも、また読みに戻ってきてくださいましね。
では。。。


(artface2.gif)



(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

ためになる関連記事



ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)

■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(temple30.jpg)

■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


■ 『今すぐに役立つホットな情報』

■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』

■ 『楊貴妃 と 「長恨歌」』



(bare04e.gif)

こんにちは。ジューンです。

そうですよね。

前にも書きましたけれど、

Beauty is in the eyes of the beholder.

“美人って見る人によって違うのよ。”

どの国にも、このような言い方がありますよね。

ところで、ネットを見ていたら次のようなサイトがありました。

Top Ten Most Beautiful Women In The World

1. Catherine Zeta Jones

2. Alessandra Ambrosio

3. Adriana Lima

4. Josie Maran

5. Zhang Ziyi

6. Eva Green

7. Scarlett Johansson

8. Natalie Portman

9. Jennifer Connelly

10. Aishwarya Rai

http://hubpages.com/request/975/best

日本人の名前が無いのですよね。

中国人の名前が5位に挙がっています。

あなたは、どう思いますか?

ところで、デンマンさんが小百合さんの記事をまとめて

次のサイトを立ち上げました。

時間があったら下のリンクをクリックして覗いてみてくださいね。

■ 『夢とロマンを持って前向きに生きる小百合さんの物語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。



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(drinker.gif)

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天平の裸婦もビックリ

2022-10-13 01:27:45 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 

天平の裸婦もビックリ

 


(kichijo15b.jpg)


(kichijo16.gif)




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デンマンさん。。。 “天平の裸婦もビックリ”に どうして わたしが出てこなければあかんのォ~?


(kato3.gif)

めれちゃんは忘れてしもうたのかァ~?

わたしが何を忘れてしもうたと あんさんは言わはるのォ~。。。

かつて『天平の裸婦』という記事を わては書いたのやがなァ~。。。

 


(kichijo22.jpg)

 


息づく女


(gigei02.jpg)

秋篠寺の技芸天像

 

高校時代からの仲良しと二人連れ、あちこち旅したあげくに(秋篠寺のこの像に)たどりついたのでした。 友人は美大にすすみ、わたしは詩を書き始めたたばっかりでした。

「うちのおかあさんに似ている」と友人が天女像を前にして言いました。 たしかにそのとおり、それは、ふくよかで落ち着いた中年の女に見えました。 表情と、体型と、そして置かれた暗がりが、妙に心に残りました。

それからわたしは、何度ひとり旅してそこに立ち戻ったかわかりません。 何にそんなに惹かれるのか考えぬまま、何度も何度もその前に立ちました。

数年前のことです。 わたしは『日本霊異記』に夢中になり、それを語り直そうと試みていたんです。 その中に、「修行僧が吉祥天の塑像に恋をして、夢の中で交接し、その証拠に、塑像の裳裾に精液がついていた」という話がありました。

まず、思い浮かべたのがこの像です。 もちろんこれは吉祥天じゃなく、技芸天です。 塑像でもなく、乾漆像です。

 


(kichijo90.jpg)

東大寺の吉祥天像

 

吉祥天の塑像といえば東大寺ですけれど、なんだかあいまいな顔をしておられたし、浄瑠璃寺のは福々しすぎました。

女の体臭と体温がむんむんして、修行僧の熱意にほだされてつい交接してしまうような人情味のある天女像といえば、やはりこれだ(秋篠寺の技芸天像)と思ったのです。

詩人・伊藤比呂美

(注:写真はデンマン・ライブラリーから貼り付けました。
赤字はデンマンが強調)




158ページ
『別冊太陽 日本のこころ156』
2010年4月1日 初版第3刷発行
編集人: 湯原公浩
発行所: 株式会社 平凡社


 




この上の文章のどこが気になりはったん?



あのなァ~、この技芸天が「女の体臭と体温がむんむんして、修行僧の熱意にほだされてつい交接してしまうような人情味のある天女像」とは、わてには思えんのや。

どうして、そないな事をあんさんは言わはるのォ~?

まず、わてが修行僧なら、上の技芸天に「体臭と体温がむんむんし」た女を感じやへん。 伊藤さんの女友達が「うちのおかあさんに似ている」と言うたように、わても母親像を感じ取ってしまうねん。 そやから交接したいなんて気持ちが端(はな)からおこらへん。

つまり、女と男の感じ方の違いやと、あんさんは言わはるの?

そうやなァ。。。わてが修行僧やったらなァ、もし、それほどまでに交接したい女性を仏像の中に見たいのやったら、薬師寺の日光菩薩か月光菩薩にエロチックな女性を見つけるだろうと思うねん。

 


(nikko2.jpg)

日光菩薩像


(gekko2.jpg)

月光菩薩像

 



つまり、技芸天像と比べると日光菩薩像や月光菩薩像の方に、あんさんは「体臭と体温がむんむんして」いる女を感じはるのォ~?



そうやァ。。。めれちゃんも、そう思わんか?

 



 



どう見たって技芸天像よりも日光菩薩像や月光菩薩像の方が、ジューンさんに似て「体臭と体温がむんむんして」いるでぇ~。。。うしししし。。。



わたしは、あんさんの視点と伊藤さんの視点が違うと思うねん。

ん。。。? 視点が違う。。。?

そうですう。

めれちゃんは、どう違うていると言うねん?

あんさんは仏像の中にエロスの対象を探してるねん。 そやけど、伊藤さんは仏像の中に「修行僧の熱意にほだされる人情味」、あるいは母性を見ているねん。 

 



 



つまり、伊藤さんは“受け入れる女”を見ている。 あんさんは“エロスの対象”を見つけようとしているのやわァ。



なるほどォ~。。。めれちゃんは、なかなか穿(うが)った事を言うなァ~。。。うん、確かにそうかも知れへん。

女は“エロスの対象”を見つけようとするよりも、“受け入れる女”に共感を覚えるねん。

さよかァ~。。。?

あんさんは“エロスの対象”に拘(こだわ)り過ぎていると、わたしは思いますう。

そうやろか?。。。でもなァ、めれちゃんは女でありながらも“エロスの対象”を見ようとしているように、わてには思えるでぇ~。。。

その根拠でもあるん?

もちろんやァ。 めれちゃんが書いた次の手記を読んでみィ~なァ。

 


「エログロナンセンス」の時代

特有の、妖しげな表現に

魅せられました。


2007-04-13 13:53

 


(renge94.gif)

 

デンマンさん
わたしの言う「エロい」は、
やはり少々お下品だったかな?
この表現って、
わたしにとっては「ギャグ」に近いんですよ
わたしは関西人のなかでも特に?
ウケをねらう傾向が強すぎるものでして、
必要以上に自分をコミカルにデフォルメするという、わるーい癖があるんですよね

で、回答へとまいりますね。。。

江戸川乱歩全集に関してですが、
とにかく横尾氏のイラストが、
エロチックだったのです。


(yoko02.jpg)

幼いころから、女性の肉体の美しさに
強烈に魅了されていたわたしは、
偉大な画家たちの描く裸婦や、
女性のヌード写真を見て
「わたしも早くこんな風にキレイになりたいなあ!」
と、成熟へのあこがれを強く感じていました。

乱歩の作品自体については、
「エログロナンセンス」の時代特有の、
妖しげな表現に魅せられました。


(chair69.jpg)

「人間椅子」での、愛する女性のソファに、
自ら入り込み、悦楽にひたる男の異常な愛などは、
「家畜人ヤプー」に通じるものがあり、
それはむしろ、純粋なものすら感じました。

そういえば…
乱歩の時代のことが知りたくて、
おばあちゃんに
(今は亡き愛するおばあちゃんです!)
「見世物小屋行ったことある?」
「衛生博覧会って、どんなんやった?」
などと、聞きまくっていたものです

「チャタレイ夫人の恋人」ですが…
ぶっちゃけエロい箇所の拾い読み、
というのが事実です!
だってねえ…あの小説の大半は、
ロレンスの思想の
展開だと思いませんか?

小学生のわたしに、
そんなものを理解できるような
知性も理解力もなかったっす…
で、大人になってから読み返したのですが、
森の番人の野卑でありながらも、
深い洞察力に満ちた性格に、
恋愛感情にも似た気持ちを感じました。
おまけに、セックスは上手ですしね(キャー!)

女性が自らの性欲を恥じる必要など
ないということを、
わたしは少女時代に、
あの小説によって知ったのかもしれませんね。


フロイトも、ヒステリーの原因は、
性的欲求不満であると、言ってましたよね?
セックスとは、
愛を基盤とした自由なものであるべきだと、
わたしはずーっと信じてます!

 

by レンゲ




『ゴスロリと黒パンツ』より
江戸川乱歩の世界
(2009年5月6日)


 



めれちゃんは、こないな事を2007年の4月に書いていたのやでぇ~。。。



つまり、わたしが“エロスの対象”を求めていたと、あんさんは言わはるの?

いや。。。“エロスの対象”を求めていたとは言わへん。。。そやけど、“受け入れる女”に共感しているわけでもないねん。

それで、わたしが何を言おうとしていると、あんさんは思うてるん?

つまり、めれちゃんは女として声高らかに“女のエロス”のあるべき姿を宣言しているのやないかいなァ。




『天平の裸婦』より
(2011年4月30日)


 



めれちゃんは 4年前に こないな事を言うていたのやがなァ~。。。 



あんさん。。。 ネットで3年は一昔と言いますねんでぇ~。。。 4年前に言うた事を 覚えてますかいなァ~。。。 で、あんさんは どないなわけで、急に 4年前に書いた記事を持ち出してきやはったん?

実は、Denman Blog の「人気記事リスト」を見てたら、『天平の裸婦』が目についたのやんかァ~。。。

 


(wp50323d.png)

 



これは Denman Blog の 3月23日の「人気記事リスト」やねん。 赤枠で囲んだ記事に注目して欲しいねん。



そやけど、『天平の裸婦』を読みはったのは たったの二人やんかァ~。。。

 


(kiss007.gif)

『床上手な女の7つの見分け方』

 



確かに、『床上手な女の7つの見分け方』が 227人のネット市民の皆様に読まれたことを考えると、二人というのは少ない。。。 そやけど、わては、いったいどのような検索キーワードを入れて 上の記事を読みにやって来たのか? それが知りたくなったのやがなァ~。。。



「人気検索キーワード」のリストを見れば、すぐに解りますやん。

わても、そう思って 「人気検索キーワード」を調べてみたのやがなァ~。。。

 


(wp50323c.png)

『拡大する』

 



『床上手な女の7つの見分け方』を読みはったネット市民の皆様が どのようなキーワードを入れて検索してやって来たか? それは見れば すぐに解るねん。



“床上手”関連のキーワードがずいぶんと並んでますやん。。。

そうやァ~。。。 ところが、『天平の裸婦』を読みはった二人が、一体どのキーワードを入れて読みにやって来たのか? 上のリストをじっくりと眺めて見たのやけど、ついに解らんかった。

検索キーワードの合計が 201で、不明なキーワードが 105もありますやん。。。 おそらく、その不明なキーワードの中のどれかで検索したのかもしれへん。。。 それで、あんさんは ついに特定するのを諦めはったん?

いや。。。 諦めへんかったでぇ~。。。 わたは“天平の裸婦”を入れて検索してみたのやァ。。。 その結果を見て欲しいねん。

 


(gog50324a.png)

『現時点での検索結果』

 



上のリストを見てゆくと トップから4番目までの記事は わてが書いたとすぐに解るのやがなァ~。。。 そやけど 5番目の記事は、すぐには解らへんかった。 でもなァ~、わてが書いた見慣れた文章が出てきよる。 

 


(gog50324b.png)

『拡大する』

 



青いアンダーラインを引いた箇所は わてにとっては見慣れた語句やがなァ~。。。 そやけど、URL を見ると わてには 見覚がない。



それで、あんさんは クリックしてページを調べやはったん?

そうやァ~。。。 すると次の宣伝が まず飛び出すねん。

 


(gog50324c.png)

 



あらっ。。。 これは宝石店の宣伝ですやん。



そういうこっちゃがなァ~。。。 わては宝石には興味があらへんさかいに、X CLOSE をクリックして この宣伝ページを閉じたわけやァ。。。 すると次のページが その下から出てきよる。

 


(gog50324c2.png)

『拡大する』

 



あらっ。。。 これは。。。 あんさん。。。 検索ワードを入れて、ヒットする記事を集め、自動的に更新するブログですやん。。。



そうなのやがなァ~。。。 “ブログ自動投稿ツール”を使ってぇ、宝石店の宣伝のために こうして自動的にブログを更新してるねん。

つまり、この上のページは 2014年1月31日に 「黒 真珠」という語句を検索して ヒットしたエントリーの概略を集めて 記事にしたのやねぇ~。。。

そうやァ~。。。

あんさんの『続・天平の裸婦』が検索結果のトップに表示されたので、そのタイトルを記事のタイトルの一部として使ってますやん。

そうなるように “ブログ自動投稿ツール”のプログラムが組まれてるねん。 そうすれば、この“宣伝ブログの記事”が検索結果の上位に出てくる。 実際、「天平の裸婦」を入れて検索すれば、5,670件ヒットするうちの 5番目に出てきよる。

 


(gog50324a.png)

『現時点での検索結果』

 



うまく考えたもんやねぇ~。。。



めれちゃん! 感心している場合やないでぇ~。。。

それで、あんさんは今日の記事のタイトルを“天平の裸婦もビックリ”としやはったん?

そうやァ~。。。 わてもちょっとばかりビックリしたし、おそらく 記事の中に出てくる“天平の裸婦”のおばさんもビックリしたと思うねん。



(laugh16.gif)


【レンゲの独り言】


(manila07.gif)

ですってぇ~。。。
ですよねぇ~。。。 宝石店が、自分の店の品が良くないから売れないのに、
何とかして、売り込もうと、あの手この手を考えて、
最終的に、“ブログ自動投稿ツール”を使って 宣伝のために ブログを作ることを考え出したのですよね。

だから、自動的に集めた記事は、“黒 真珠”とは、全く関係ない記事がほとんどです。
デンマンさんの記事『続・天平の裸婦』の中には「黒真珠」の事は 全く書いてありません。

どうしてこうなるの?

なぜなら“ブログ自動投稿ツール”は、人間が作ったプログラムですから、
しかも、未熟なプログラマーが作ったので
『ゴスロリとパンツ』と「日本の真珠湾」を見ただけで、
「黒真珠」の事が書いてあると判断して 宣伝ページに載せてしまうのです。

結局、上の宣伝ページには 「黒真珠」の事は 全く出てきませんわ。

2番目の「黒真珠」は“黒真珠”と呼ばれるバラの花のことです。

3番目はゴルフの記事ですわ。

でも、この宝石店の店主は、ブログの内容などはどうでもよいのです。
検索エンジンの検索結果の上位に 記事が表示されれば、それをクリックして、宣伝を見て 宝石を買ってくれると思い込んでいるのです。

でも、品物が良くないから売れないとは思ってないのですわね。
そこが 笑えます。 (微笑)

そういうわけで、あなたも、このような宣伝に騙されないでくださいね。
模造品をつかまされるのがオチです。

それこそ“天平の裸婦もビックリ”ですわァ。 (爆笑)

ところで、めれんげさんは 2013年の6月に『即興の詩』サイトを再開しました。

めれんげさんの『即興の詩』サイト

再開して間もないのに 検索結果 3,960,000件中の 9位に躍り出るなんてすごいですよね。


(gog30703.gif)

『現時点での検索結果』

現在、めれんげさんは お休みしています。
でも、これからも、ブログを通して「愛のコラボ」を続けて欲しいですよねぇ~。。。

かつて めれんげさんの「即興の詩をはじめました!」の『極私的詩集』サイトは 次の検索結果で見るようにトップを占めていたのです。


(gog30928a.png)

でも、現在は、2位です。

また、ブログを更新して トップに返り咲いて欲しいものです。

ところで あなたは「どうしたら、上位に掲載されるのォ~?」と考えているかもしれません。

その秘訣を知りたかったらデンマンさんが面白い記事を書いていますわ。

次のリンクをクリックして読んでみてください。


(seo001.png)

『おばさんの下着に見るSEO』

話は変わりますけれど、めれんげさんは可愛い猫を飼っています。

あなたも、猫ちゃんを飼っていますか?

ええっ。。。 ワンワンちゃんを飼っているのですか?

そういえばデンマンさんが『ワンワンちゃん』という面白い記事を書いていました。

気が向いたら下のリンクをクリックして読んでみてください。


(dog202.jpg)

『ワンワンちゃん』

とにかく、次回も興味深い話題が続きます。

あなたもどうか、また読みに戻ってきてくださいね。

では、また。。。


(hand.gif)



(surfing9.gif)

メチャ面白い、

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(linger49.gif)


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こんにちはジューンです。

卑弥子さんが面白いお話を集めて

楽しいサイトを作りました。

次のリンクをクリックして

ぜひ覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ



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坊っちゃんと敬語

2022-10-08 01:34:30 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 

坊っちゃんと敬語

 


(kiyo003.jpg)


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デンマンさん。。。あんさんは敬語に対して反感を持ってますのやねぇ?


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出鼻からそうそう、めれちゃんは、どうしてそないな事を言うのやァ~?

そやかて、あんさんは次のよな事を言うてましたやないかいなァ。

 




(keigo03.jpg)

敬語には・尊敬語・丁寧語・謙譲語・美化語・気くばり語の5種類があり、人間関係や生活感情の潤滑剤になっている。
「日本は敬語が多くてわずらわしい」という学者先生や芸術家がいるが、どう致しまして、欧米にだって敬語表現がヤマのようにある。
一例を挙げると、丁寧語の言葉の使いわけは、日本語は7対3だが、アメリカは9対9である(井出祥子・日本女子大文学部教授)。

赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
イラストはデンマン・ライブラリーより)




19ページ
『きれいな敬語 羞(はず)かしい敬語』
著者: 草柳大蔵
2002(平成14)年3月1日 初版第5刷発行
発行所: 株式会社 グラフ社


 



僕は人生の半分以上を海外で、主に欧米で暮らしている。 アメリカでも、カナダでも暮らしたことがある。 カナダには20年以上住んでいる。 でもねぇ~、実感として「日本は敬語が多くてわずらわしい」のですよ。


(himiko22b.gif)

あたくしもバンクーバーに行ってから、そう感じるようになったのでござ~♪~ますわ。

そうでしょう? 可笑しな敬語を使っている卑弥子さんならば、マジでそう実感したでしょう?

そうなのですわよ。 あたくしは京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義しているのですけれど、女子学生からも、あたくしの敬語の使い方が可笑しいと言われるのでござ~♪~ますわ。

解(わか)りますよ。 卑弥子さんの日本語は源氏物語の影響を受けてかな~り時代錯誤していますよ。 (微笑)

そうでござ~♪~ますでしょうか?

今時、卑弥子さんのように源氏物語の時代を感じさせてくれる女性なんて日本でも化石的な存在ですよ。

つまり、あたくしは化石のような女なのでござ~♪~ますか?

その通りですよ。

。。。んで、デンマンさんは草柳さんに対して反論があるのですか?

もちろんですよ。。。あのねぇ~、アメリカやカナダに住めば dumb という言葉は日常茶飯事のように、よく耳にする。 自分は使わなくても子供たちが使うから耳に入ってくる。

 (中略)


(dumb01.gif)

SOURCE:"Urban Dictionary"

 



つまり、dumb という単語は(北米では)子供時代からよく使う言葉なのですわね?



その通りですよ。 ネットの俗語辞典などにも載っています。 つまり、これほど頻繁に耳にする言葉なのにもかかわらず、草柳さんは耳にしたことがない。 おそらくアメリカやカナダに旅行に出かけたことはあるかもしれないけれど、日本人とだけ話していたのでしょう。 もちろん、北米で暮らした経験はまずないでしょう。 暮らしたとしても3ヶ月程度で、日本人だけと話していたのでしょうね。

でも、どうして、そのようなことがデンマンさんに判るのですか?

実に簡単なことですよ。 草柳さんは次のように書いている。

 



(ikeda02.jpg)

「えひめ丸」のときも池田小学校のときも、「いま、どんなお気持ちですか」のダムベストな声を聞かされたのである。


 



「dumbestな声」を北米で暮らしたことのある人ならば、「ダメストな声」と書くものですよ。 「b」は発音しないのですよ。 確かに、英語にも敬語の表現はあります。 でも、日本語の敬語の体系と比べたら、現実の生活では、ほんのわずかしかない。 草柳さんは欧米にだって敬語表現がヤマのようにあると書いているけれど、自信がないから丁寧語の言葉の使いわけは、日本語は7対3だが、アメリカは9対9であると井出祥子・教授の言葉を引用している。 



丁寧語の言葉の使いわけは、アメリカにはないのでござ~♪~ますか?

学問的にはあるかもしれないれど、現実の生活で日本人が敬語の使い方を気にするように、丁寧語の言葉の使いわけをアメリカ人が気にしているなんて考えられない。 それはアメリカで暮らしてみれば3ヶ月以内に、どんなに遅くとも3年以内には、はっきりすることですよ。 日本の敬語表現がエベレストぐらい高いヤマに相当するとすれば、アメリカの丁寧語など元横綱の高見山ぐらいの高さですよ。

 


(sumo09.jpg)

 



そんな程度ですか?



もちろんですよ。 草柳さんは「敬語には・尊敬語・丁寧語・謙譲語・美化語・気くばり語の5種類があり、人間関係や生活感情の潤滑剤になっている」と書いているけれど、僕は敬語が潤滑剤になっているとは思えない。 むしろ、人間関係や生活感情の邪魔になっている。 だから敬語が廃(すた)れてくるのですよ。

デンマンさんは、敬語はない方がいいと主張るのでござ~♪~ますか?

いや。。。敬語を廃止しろ!とは言いませんよ。 でもねぇ、草柳さんは次のようにも書いている。

 



(cha03.jpg)

 

葉書にせよ電話にせよ、人と会話をはじめ会話を終わるときの、人間としての敬虔(けいけん)な態度がなければ、敬語を遺漏(いろう)なくふんまえた手紙は、かえって、“つくりもの”の味が濃厚になってしまうのではないだろうか。

つまり、「最初に敬語ありき」ではなくて、「最初に態度ありき」なのである。
その「態度」とは、通信をする相手の状況による。
結婚への祝いの言葉、破婚や失恋を慰める言葉、子どもが誕生したことへのよろこび、肉親を失ったことへの慰め、昇進ないし受賞した人へのよろこび、倒産失業した人へのいたわり……つまり、人生の光のスポットに自分の手紙を落とすとき、人生の陰の叢(くさむら)にメッセージを落すとき、それで心構えができるだろう。

赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




136-137ページ
『きれいな敬語 羞(はず)かしい敬語』
著者: 草柳大蔵
2002(平成14)年3月1日 初版第5刷発行
発行所: 株式会社 グラフ社


 



つまりねぇ、敬語の使い方を考えること自体が本末転倒なのですよ。 問題は心なのですよ。 心に人を敬(うやま)う気持ちがあれば、どのような言葉を使おうが、その人の態度に敬語の意味が表現されている。



そうでしょうか? そんなに簡単に言って済ませていいものでござ~♪~ましょうか?

だってぇ、現に敬語が廃(すた)れているのですよ。 言葉は生き物なのですよ。 無駄な敬語は無くなっても当然なんですよ。 それが自然の成り行きなのです。




『愚か者と敬語』より
(2012年2月18日)


 



確かに、わてはこのように言うたでぇ~。。。 その事が、めれちゃんには気になるのんかァ~?



わたしは敬語は日本の文化の大切な一部やと思うてますねん。

わてかてぇ、そう思うとるのやでぇ~。。。

そないな風には、よう見えしまへんがなァ~。

あのなァ~、言葉は生き物なんやァ~。。。人がああせい、こうせい、と言うたところで言葉は政治家や時の権力者の思い通りにはならへん。 その証拠に江戸時代の武家の言葉は現在、使われてえ~へん。 現在は庶民の世界やんかァ! 男は刀も差してえ~へんし、ちょんまげも結(ゆ)うてへん。 女は腰巻もつけてえ~へんし、髷(まげ)も結うておらへん。

あたりまえやんかァ! 時代が違いますやん。

そうやろう!? そやから言葉かてぇ、時代とともに変わってゆくんのが当たり前なんやァ。 そやのに、一昔前の敬語にこだわるのは、男はちょんまげを結うて、女は腰巻をつけろ!と言うてるようなものやんかァ!

そうやろかァ~?

あのなァ~、米谷ふみ子さんも次のような興味深いエピソードを書いていたのやァ。 めれちゃんも、ちょっと読んでみィ~なァ。

 



(gal03.gif)

 

敬語がいかに人間関係を難しくしているかを、あるフランス語の(日本人の)教授のエッセイが如実に示していた。
教授が授業を終えて教室を出た時、入り口で待っていた学生に呼び止められ、何かパンフレットのようなものを見せられて「これを訳してもらいたいんだけど」と言われた。
教授はそのものの言い方にむっとしたと書いている。
そしてよくみると、女性の避妊具の説明書きであった。
医者のところに行って相談しなさいぐらいに言ってその場を去ったと書いていた。
とにかくこの頃の学生の言葉遣いや態度に呆れたというのだ。

これを私はアメリカ人の夫に英語に訳して聞かせた。
彼は「なんと若者に不親切なんだろう。 若者に分からないことを教えてやるのが先輩としての義務ではないか」と言ったのだ。

つまり、英語には敬語がないからこの教授が失礼だと怒っている理由が分からないのだ。
日本では真実に入る前にこの敬語で人間関係を壊してしまう。
両者にとって不幸なことである。
永年アメリカで英語の生活をしていると、日本に帰った途端にこの人は私の上か下かと地位を考えねばならず、それが脳を充たし、肝心の重要な真実を、どこの世界にも通じる倫理的思考を、考えるスペースが脳からなくなってしまうように感じる。
人間は平等でないと真実を追究できないのではないかと思うようになった。
ことに自然科学分野では上下関係は有害である。

日本語は要らないことにエネルギーを消耗させている。
そして、それが美であるというまやかしをベールとして、日本人は騙されているのである。


赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
イラストと動画はデンマン・ライブラリーより)




154-155ページ
『なんや、これ? (アメリカと日本)』
著者: 米谷ふみ子
2001年6月5日 第2刷発行
発行所: 株式会社 岩波書店


 



このエピソードを見る限り敬語に対する中年の教授と女子大生の考え方は喰い違ってるねん。 女子大生が教授を見下したり、馬鹿にしたようには思えん。 それにもかかわらず敬語を使わなかったというだけで教授はムカついている。



そやけど、若い女子大生といえども常識的な敬語の使い方ぐらい知っているべきやと私は思うわ。

その常識かて敬語と同じやァ。。。時代と共に変わってゆくのやでぇ~。。。腰巻や、ちょんまげは江戸時代には常識やったのやァ。 今時、そないな物を身に着けていたら、チンドン屋と間違われてしまうでぇ~。。。そのチンドン屋も、わての子供の頃には行田市でも、よう見かけたけど最近、帰省しても全く見かけんようになってしもうたのやァ。 常識も変わる、時代も変わる、敬語も変わるものなんやァ。。。ただ、心だけは変わらへん。 そやから、アメリカ人である米谷さんの夫は、敬語抜きで教授と女子大生のやり取りを読んで、教授が不親切やと思うたのやないかいな。 それが変わらぬ心というものやんかァ。 日本語にあるような複雑な敬語を知らないアメリカ人の目から見たら、教授が女子大生の質問に対して誠意を持って答えるのが当たり前やァ。

そうやろか?

そうやァ。。。ところが日本人は敬語にこだわる人が居る。 草柳さんも、そのうちの一人やァ。 それで次のようなことも言うている。

 


敬語はそれが意識されずに語られたり書かれたりすると、まるで生命(いのち)あるもののように、いきいきとしたり、冴(さ)えわたったりするようである。
その心地よさ、おもしろさを味わって頂こうと、日本の名作八篇から素敵に運ばれている会話の部分を収録した。
「素敵」の条件は、会話の中の言葉がその位置にふさわしいこと、短切(たんせつ)な表現なのに過不足なく意味と情感を伝えていること、一人の話にリズムがあって、しかも二人の会話にひびきあうものがあること、以上の四つである。

 (中略)

夏目漱石の作品からは明治・大正の会話を選んだ。
昭和の言葉の基礎になっているからそれほど大きな違いはないが、それでも言葉の響きの微妙な違いが聞き取られると思う。
『坊っちゃん』では、清(きよ)という、“ばあや”の言葉を伝えている。
わずかに江戸時代の武家言葉が残っているのではないだろうか。


(kiyo004.jpg)

赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
イラストはデンマン・ライブラリーより)




182-183ページ
『きれいな敬語 羞(はず)かしい敬語』
著者: 草柳大蔵
2002(平成14)年3月1日 第5版発行
発行所: 株式会社 グラフ社


 



その例として次の『坊っちゃん』が紹介されてるう。

 



(kiyo003.jpg)

 

清はおれがうちでも持って独立したら、一所(いっしょ)になる気でいた。
どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。
おれも何だかうちが持てるような気がして、うんおいてやると返事だけはして置いた。
ところがこの女は中々想像の強い女で、あなたはどこが御好き、麹町ですか麻布ですか、御庭へぶらんこを御こしらえ遊ばせ、西洋間は一つで沢山ですなどと勝手な計画を独りで並べていた。
 (略)
そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。
すると、あなたは慾がすくなくって、心が綺麗(きれい)だと云(い)って又賞(ほ)めた。
清は何と云っても賞めてくれる。
 (略)
愈(いよいよ)約束が極(き)まって、もう立つと云う三日前に清を尋ねたら、北向きの三畳に風邪を引いて寝ていた。
おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊っちゃん何時(いつ)家(うち)を御持ちなさいますと聞いた。
卒業さえすれば金が自然とポケットの中に湧(わ)いて来ると思っている。
そんなえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのは愈馬鹿げている。
おれは単簡(たんかん)に当分うちは持たない。
田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子(ようす)で胡麻塩の鬢(びん)の乱れを頻(しき)りに撫(な)でた。
余り気の毒だから「行く事は行くがじき帰る。 来年の夏休みにはきっと帰る」と慰めてやった。
それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴(ささあめ)が食べたい」と云った。
越後の笹飴なんて聞いた事もない。
第一方角が違う。
 (略)
出立(しゅったつ)の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。
 (略)


(kiyo001.jpg)

車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もう御別れになるかも知れません。 随分御機嫌よう」と小さな声で云った。
目に涙が一杯たまっている。

おれは泣かなかった。
然(しか)しもう少しで泣くところであった。
汽車が余(よ)っ程(ぽど)動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。
何だか大変小さく見えた。
 (略)
それから二 三日して学校から帰ると...清からの便りだ。 ...坊っちゃんの手紙を頂いてから、すぐ返事をかこうかと思ったが、生憎(あいにく)風邪を引いて一週間ばかり寝ていたものだから、つい遅くなって済まない。
その上今時の御嬢さんの様に読み書きが達者でないものだから、こんなまずい字でも、かくのに余っ程骨が折れる。
甥に代筆を頼もうと思ったが、折角(せっかく)あげるのに自分でかかなくっちゃ、坊っちゃんに済まないと思って、わざわざ下たがきを一返(いっぺん)して、それから清書をした。
清書をするには二日で済んだが、下た書きをするには四日かかった。
読みにくいかもしれないが、これでも一生懸命にかいたのだから、どうぞ仕舞いまで読んでおくれ。

 (略)

おれは早速辞表を書こうと思ったが、何と書いていいか分からないから、私儀都合有之(これあり)辞職の上東京へ帰り申候(もうしそろ)につき左様御承知被下度(くだされたく)候以上とかいて校長宛(あて)にして郵便で出した。
 (略)
清の事を話すのを忘れていた。
---おれが東京へ着いて下宿へも行かず、革鞄(かばん)を提(さ)げたまま、清や帰ったよと飛び込んだら、あら坊っちゃん、よくまあ、早く帰ってきて下さったと涙をぽたぽたと落とした。
おれも余り嬉しかったから、もう田舎へは行かない、東京で清とうちを持つんだと云った。

その後ある人の周旋で街鉄(がいてつ)の技手になった。
月給二十五円で、家賃は六円だ。
清は玄関付きの家でなくっても至極満足な様子であったが気の毒な事に今年の二月肺炎に罹(かか)って死んでしまった。
死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんの御寺へ埋めて下さい。
御墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。

だから清の墓は小日向(こびなた)の養源寺にある。

赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真とイラストはデンマン・ライブラリーより)




『坊っちゃん』
著者: 夏目漱石
新潮文庫 2001年刊


 



敬語はそれが意識されずに語られたり書かれたりすると、まるで生命(いのち)あるもののように、いきいきとしたり、冴(さ)えわたったりする」 マジで、その通りやと、わても思うねん。 つまり、上の『坊っちゃん』の二人の会話が「いきいきとしたり、冴(さ)えわたっ」ているのは、もうすでに読み手の心に敬語が意識されてないからやないかいなァ! この上の部分を敬語を全く使わずに英語に訳しても、坊っちゃんとお清さんの心の交流は間違いなくアメリカ人にもカナダ人にも伝わる。



そうやろかァ?

第一、わては上の文章を読んで、敬語が全く日本語に溶け込んでいるので、どれが敬語なのか?と考える気にもならへんかった。 つまり、坊っちゃんとお清さんの心の交流は敬語を越えている。 だから、敬語を意識しなくても、すんなりと読めるのやないかいなァ! 敬語が重要なのではなくて、心の交流が大切なのやがなァ~。



【レンゲの独り言】


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ですってぇ~。。。
あたしは坂本九ちゃんが主演している『坊っちゃん』を観ましたわ。

 

映画『坊っちゃん』


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とっても面白い映画でした。
でも、あの悲惨な飛行機事故で坂本九ちゃんは帰らぬ人となってしまいましたわ。
本当にお気の毒なことでした。

とにかく、次回も興味深い話題が続くと思います。
また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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(linger65.gif)

『センスあるランジェリー』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(house22.jpg)

■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』

■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』


(vansnow2.jpg)

『夢とロマンの横浜散歩』

『あんさんに会いたい』 

『愛とロマンの小包』

『下つきだねって言われて…』

『銀幕の愛』

『パリの空の下で』

『夢の中華パン』

『愛の進化論』

『漫画家と平和(2011年3月6日)』


(vanc700.jpg)

『漫画家の壁(2011年3月10日)』

『漫画家と奴隷(2011年3月12日)』

『畳の上の水練(2011年3月15日)』

『パール判事とゴーマン(2011年3月18日)』

『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『あんさんに会いたい(2011年10月31日)』

『ロマンと夢とババア(2011年11月4日)』

『愛の地獄(2011年11月8日)』



(june24b.jpg)

こんにちはジューンです。

和製英語って聞いたことがあるでしょう?

日本で作られた英語風のカタカナ言葉のことです。

ただし、英語圏ではまず通じないものが多いようです。

「フォアボール」は英語では「base on balls」です。

「ベースアップ」は「pay raise」。

「レベルダウン」は「level decrease」。

「ファンタジック」は「fantastic」というのが

英語本来の言葉です。

また、「ワープロ」は「word processor」。

worpro と言っても通じません。

「パソコン」は「personal computer」

pasocom といっても北米人には通じないでしょう。

「エンゲージリング」は

「engagement ring」です。

engagering と言えば、

頭の回転が速い北米人には、

なんとなく意味が判るかもしれませんが、

普通の人は多分聞き返してくるはずです。

ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。


(dogs12.gif)

『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ



(rengfire.jpg)


(byebye.gif)
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浜野矩随

2022-10-01 01:37:21 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 

浜野矩随

 


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デンマンさん。。。 浜野矩随(はまの のりゆき)さんというのは政治家でござ〜ますかァ〜?


(kato3.gif)

いや。。。政治家ではありません。。。現在生きている人ではありません。。。江戸時代の人ですよ。。。

名前を聞いたことがござ〜ませんわァ〜。。。

実は、僕も知らなかったのですよ。。。先日、次の落語を聴いて初めて知ったのです。。。

 



 



浜野矩随という人は金物細工をする職人のようですわねぇ〜。。。



そうです。。。

。。。で、どういうお話なのでござ〜ますすかァ〜?

あれっ。。。卑弥子さんは上のクリップをクリックして面白い話を聴いてないのですかァ〜?

あたくしは一応聴きましたわァ〜。。。でも、この記事を読んでいるネット市民のなかにはスピーカーが故障して音が出ないかもしれないじゃありませんかァ〜。。。

分かりました。。。次のような話ですよ。。。

 



落語 浜野矩随

 


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明和から安永年間にかけて、武蔵国大森村に腰元彫りの名人で浜野矩康(のりやす)という者がいた。
腰元彫りとは刀の小柄・柄頭、あるいは煙草入れに彫る彫刻である。

矩康は酒のために若死にする。残されたのが一人息子の矩随(のりゆき)であるが、不器用で何を彫らせても駄作である。
代々の家にもいられなくなり、芝・浜松町の裏長屋に年老いた母親と住む。

矩随は貧しくとも親孝行であり、そんな矩随を芝神明の道具屋、若狭屋新兵衛はなにかにつけ面倒を見てくれる。

ある日、矩随は新兵衛のところに小柄に彫った作品を持っていく。
ブタかと思ったらこれはイノシシだと言う。
それでも新兵衛は二朱の金を与える。

それから三日目、また矩随は若狭屋を訪ねる。
この日は新兵衛は酔っぱらっていて、機嫌が悪い。

今度の作品は馬だが足が三本しかなく、しかも一本が異様に太い。
亡くなった父親の足がむくんでいたのを思い出しながら彫っていたらこんな風になったと言う。
新兵衛は、こんな物は売り物にならない。

今まで矩随が持ってきた作品も一つも売れず、抽斗に入ったままになっている。
矩随が親孝行だからこそ、二朱ずつの金を出しているが実は迷惑している。
倅がこんな出来の悪いものばかり拵えているのを父親の矩康さんは草葉の陰で嘆いているだろう。

いっそのこと、腰元彫りなんかやめてしまえ、あるいは思い切って死んじまえと言う。
新兵衛は二朱の金をポーンと放り投げ、矩随はそれを掴んで若狭屋を出る。

その後で、なんであんなキツイことを言うのかと、新兵衛は女房から叱られる。
家に戻った矩随は母親に、とうとう若狭屋さんにまで愛想を尽かされたと話す。

母親は若狭屋さんの言う通りお前は死んでおしまいなさいと言い、矩随も承知する。
母親は、その前に形見として観世音菩薩を彫って貰いたいと言う。
母親は観世音菩薩の描かれた掛物を掲げて一心不乱に祈る。

 


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矩随はこの観世音菩薩を手本に彫ろうと思ってジッと見入る。
それから21日経って身を清め、仕事場へと入っていく。
観音経を唱えながら、不眠不休でタガネを打つこと7日7晩。

8日目の朝、フラフラしながら矩随は仕事場から出てくる。
彫り上げた観音様を母親に見せる。
見事な出来栄えだと母親は言う。

これを若狭屋へ持っていって、値を付けてもらってくれ。
形見にしようと思ったけれど、オマエが亡くなったら金銭が必要だから、50両で売っておくれ。
50両以下だったら家へ戻ってはいけない、どこへでも行って死んでおしまいなさいと言う。

矩随は若狭屋を訪ねる。
すっかりやつれた姿を見て新兵衛は驚くとともに、前来た時に暴言を言ったことを詫びる。
矩随が新兵衛に観音菩薩を見せると、これは父親の矩康が作ったものだと勘違いをする。

新兵衛がこれは50両で売れる品だと言うと矩随は泣き出す。
矩随はこの観音菩薩は自分で彫ったものだと打ち明ける。
彫り上げるまでのいきさつを話すと新兵衛は感心する。

家を出る際、湯飲みに入った水を半分ずつ母親と飲んだことを矩随が話すと新兵衛は驚く。
それは別れの水盃だ。
浜松町の裏長屋へと急ぐと、母親は梁(はり)から紐をたらし、首をつってすでに死んでいた。

この後、矩随の彫るものは傑作ばかりで、早速江戸中で名工・名人と評判が立つ。
矩随の作品は引っ張りだこで、どこへ行っても見つからない。

若狭屋は大坂から来た男に、かつて矩随が作った駄作、ブタに似たイノシシを売りつけるが、それでも男は大喜びする。
不器用であった矩随が、努力の末いつしか名人と呼ばれるようにまでなった。




古今亭志ん生の『浜野矩随』より


 



この浜野矩随というお人は実在した歴史上の人物なのでござ〜ますかァ〜?



実在した人物なのですよ。。。

日光東照宮のあの有名な眠り猫を彫った左甚五郎は、日本人ならば、おそらく誰もが知っている名工だと思いますけれど、この浜野矩随というお人は あまり知られていないようですわァ〜。。。あたくしも初めて目にしたお名前ですわァ〜。。。

もともと講談で取り上げられたのですよ。。。講談は、落語よりも古いのです。。。講談の起源は戦国時代の御伽衆(おとぎしゅう)であると言われているのです。。。寄席演芸としての講談の原型は、江戸時代の大道芸のひとつである辻講釈ですよ。

初めから講談と呼ばれたのでござ〜ますかァ〜?

いや。。。江戸時代の宝永年間に公許の常設小屋で上演されるようになり、「講談」というより「講釈」と呼ばれるようになった。文政年間には話芸としてほぼ確立し、幾つかの流派が誕生したのです。。。

落語も江戸時代にはあったのでしょう?

ありました。。。元禄期、京都の四条河原や北野などの大道(だいどう)で「語り手」が面白い話を人々に聞かせたのですよ。。。これを「辻噺」といい、これを行った人々を「噺家」と呼んだのです。。。これが落語家の始まりとされるている。。。でも、実際に「落語」と呼ばれるようになったのは明治時代になってからのことなのですよ。。。

あらっ。。。知りませんでしたわァ〜。。。つまり、江戸時代に 下手くそな「彫り師」だった男が、やがて見違えるような名工になったという話を講釈師が取り上げたのですわねぇ〜。。。

そういうことですよ。。。当時は、浜野矩随が江戸市民の間にも知られるようになっていたのです。。。

講釈師が、その話を広め、やがて落語家もそのネタを取り上げて噺にまとめたわけなのでござ〜ますかァ〜?

そういうことです。。。やはり、面白いのでこれまで語り継がれてきたのですよ。。。事実、上のクリップでは古今亭志ん生さんが語っているけれど、息子の古今亭志ん朝さんも語っているのですよ。。。

 


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あらっ。。。親子で語りついでいるのですわねぇ〜。。。



実は、この親子にも、ちょとばかり似たような話がある。。。志ん朝さんは、初めから落語家になるつもりはなかったのですよ。。。

あらっ。。。初めは何になるつもりだったのでござ〜ますかァ〜?

当初は外交官になるという夢があり、獨協高等学校ではドイツ語を学んだのですよ。。。でも、大学受験に失敗し、役者になろうかとも思った。。。だけど落語家になるつもりはなかった。。。浪人している時に父親の志ん生さんから「歌舞伎役者は親が役者でないと上に行けないが噺家は扇子一本で偉くなれる」と説得され入門した。

あらっ。。。意外に簡単に進路を変えてしまったのでござ〜ますわねぇ〜。。。

でも、浜野矩随のように頑張ったのですよ。。。入門してから5年目という異例のスピードで真打に昇進した。。。10年以上頑張っても真打ちになれない人もたくさん居る世界です。。。同業者からの評価も非常に高く、若手の頃の志ん朝さんを指して八代目桂文楽は「三遊亭圓朝を襲名出来るのはこの人」と志ん生さんに述べたほどです。。。圓朝は落語界では誰も継げない止め名であり、文楽はそれほどに志ん朝さんを買っていたのですよ。。。入門から5年目に真打に昇進したというのも、文楽の鶴の一声によるものだった。。。

他の落語家の評価も高かったのですか?

例えば、志ん朝さんの晩年に七代目立川談志は「金を払って聞く価値のあるのは志ん朝だけ」と語っていることからも分かるように、志ん朝さんは大学受験に失敗したとはいえ、落語の世界では異例の出世を遂げた人なのです。。。親子ともに落語の名人と言われても恥ずかしくない。。。

 


(shinshou10.jpg)

 



上の様子は、父親の志ん生さんが息子の志ん朝さんに新しい噺の稽古をつけているところでござ〜ますかァ〜?



いや。。。息子の志ん朝さんが父親の志ん生さんに将棋を教えているところですよ。。。

お二人は、今でもお元気で活躍しているのでござ〜ますかァ〜?

いや。。。すでにふたりともあの世の人です。。。二人共、実にうまい噺家だった。。。マジで惜しまれます。。。


 


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ〜。。。

あなたも、古今亭志ん生親子の落語を聴いて、二人共うまい噺家だと思いましたかァ〜?

ええっ。。。「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で あたくしに ご命令なさるのですかァ〜?

分かりましたわァ。。。。

では、あなたもビックリするような

忠臣蔵のとっても古い映画をご覧くださいまし。。。

なんと。。。昭和3年(1928年)制作の『忠臣蔵』ですわよう!

無声映画ですけれど、弁士の方がなかなかうまい説明をしてくださいますわ。。。

つい、引き込まれて観てしまうのですわ。。。

浅野内匠頭がどうしてヘマをしでかしたのか?

そのへんのところが詳しく映像に残っております。

観るだけの値打ちがありますわ。。。

では、どうぞ。。。

 



 

ところで、どうして小百合さんが

「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?

 


(sayuri5.gif)

 

あなたは ご存知ですかァ?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわァ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


(suikyu9.jpg)

それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉



軽井沢のイルミネーション



秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩



とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


(hand.gif)


メチャ面白い、

ためになる関連記事




(linger65.gif)

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(house22.jpg)

■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)

『センスあるランジェリー』



(surfing9.gif)



(sayuri5.gif)

ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




(zurose2.jpg)

『女帝の平和』

『アタマにくる一言』

『悪女レオタード@昌原市』

『スウィートビーン』

『ガチで浦島太郎やし』

『ご苦労さま』

『デンマンのはなし』

『卑弥呼の墓』

『室生犀星と人間学』

『松平春嶽ダントツ』

『英語は3語で伝わる』

『くだらない物』

『漢字で体操』

『面白い漢字テスト』





軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)


(byebye.gif)
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