◎ベニスに死す(1971年 イタリア、フランス 131分)
伊題 Morte a Venezia
英題 Death in Venice
staff 原作/トーマス・マン『ベニスに死す』
監督・製作/ルキノ・ヴィスコンティ 脚本/ルキノ・ヴィスコンティ ニコラ・バダルッコ
撮影/パスカリーノ・デ・サンティス 音楽/グスタフ・マーラー
衣裳デザイン/ピエロ・トージ
cast ダーク・ボガード ビョルン・アンドレセン シルヴァーナ・マンガーノ ロモロ・ヴァッリ
◎1911年、ベニス
大学時代、都内にはたくさん名画座があった。
いまの若い人達に名画座といってもわかんないかもしれないけど、池袋文芸坐、池袋文芸地下、飯田橋佳作座、飯田橋ギンレイホール、大塚名画座、大塚鈴本シネマ、中野名画座、三鷹オスカー、八重洲スター座、銀座並木座、新橋文化、高田馬場パール座、そして、早稲田松竹など。
名画座にはそれぞれの町の名前が冠されていて、ぴあを片手に毎日のように名画座へ通い、固い椅子に身を沈めた。お金がなくて(今もないけど)、佳作座に行ったときだったか、電車賃をひくと250円しか残っていなかった。日は暮れるし、お腹は空いたし、下宿に帰っても米粒ひとつないし、一緒に見に行った同級生もやっぱり300円くらいしか持ってなくて、結局、飯田橋の駅前にある洋食屋に入って、オムライスをひとつだけ注文して、ふたりで分けて晩ご飯にしたこともある。
大学時代は4年間を通じてだいたいそんな感じで、電車がなくなるとオールナイトにもぐりこんだ。もちろん『人間の条件』とか『戦争と人間』とか『仁義なき戦い』とか、全作一挙上映のオールナイトに行くときは、おもいきり昼間寝て挑戦した。浅草東宝で黒澤明オールナイトがあったときは、同級生4人で出かけて、朝、映画館を出た足で鎌倉まで遠征した。
名画座にはそれぞれの特徴があって、八重洲スター座ではよく溝口健二を上映にしてた。銀座並木座は黒澤明と小津安二郎、新橋文化も黒澤明だった。高田馬場パール座は春になると決まって『青春の門』を上映してたし、早稲田松竹では『スティング』と『明日に向って撃て!』が定番で、ときどき『追憶』や『卒業』や『俺たちに明日はない』が入れ替わってることもあった。
ルキノ・ヴィスコンティ(この頃では、ルキーノと書くらしい)は池袋文芸坐の得意技で、あらかたの作品を、そこで観た。この『ベニスに死す』も、そうだ。けれど、1971年に封切られたこの作品は、きっかり40年後の2011年にニュープリントで公開された。今回、早稲田松竹で観たのは、どうやらそれらしい。
「早稲田松竹でヴィスコンティをやるのか~」
と、なんだか不思議な感慨だったけど、いそいそと出かけた。
この世界的な名画について、いまさらどうこういうつもりもないし、だいいち、ヴィスコンティを論じられるほど、ぼくは知識も教養もない。さらに困ったことには、美少年をめでるような芸術的感性もない。だから、台詞がいっさいないビョルン・アンドレセンの美しさもよくわからない。ヴィスコンティがヨーロッパ中をめぐり歩いてようやく見つけた美少年らしいけど、メイキングを観るとなんだか無邪気に笑ったり、妙にはにかんだりしてて、それが本編になると神秘的な雰囲気を醸し出してくるんだから、こういう凄さが、ヴィスコンティの演出力なんだろう。
ダーク・ボガードの一連の行動、平凡さゆえに指揮者として大成しえず、傷心のひとり旅に出た先で、美少年をめで、同時に自分の老いに悩み、醜態をさらすようにして付きまとい、その果てに、南から吹くシロッコに乗ってきたコレラに罹患して死への旅に出るさまは、若い頃に観たときよりもより醜悪で、惨めで、儚く、そして悲しかった。
「映画に限らず、どんなものでも、おそらく、鑑賞する際の年齢は重要だわ~」
てなことも、うすぼんやりと考えたりした。
さて。
劇中、ボガードは「芸術は自然に大成するものなのだ」というような意味の呟きめいた台詞を吐くが、たしかにそうで、芸術はみずから求め、みずから創り出そうとしたところで、それは所詮、作り物でしかない。ビョルン・アンドレセンに象徴される少年の美を芸術とするのかどうかはよくわからないのだけれども、少なくとも人の容貌がかぎりなく美しいと感じられるとき、それが自然に出来上がったものであれば、たしかに人の手によらない方が美しいかもしれないなどともおもったりした。