△不惑のアダージョ(2009年 日本 70分)
staff 監督・脚本・編集/井上都紀
撮影/大森洋介 美術/増田佳恵 音楽/柴草玲
cast 柴草玲 千葉ペイトン 渋谷拓生 橘るみ 西島千博
△このアンバランスな感覚はなんだろう?
主題はいたってシンプルだ。
処女のまま不惑を迎えてしまった修道女が抱える不安、焦慮、葛藤、そして性の目覚め。
これがそのまま素直にあらすじになり、
植木職人、ストーカー、バレーダンサーとかいった一般的な会社員ではない男とふれあい、
初潮を迎えた女の子と、赤飯を媒介にして繋がり、それぞれの将来をことほぐ。
季節と人生の秋がいたるところに見え隠れする、静かで上品な映画だ。
ただ、主人公の女性はやけにリアルなんだけど、
どうにもこうにも、絡んでくる男たちがみんなリアルじゃないのは、
いったいどんな狙いがあるんだろう?
いちばんわからないのは、
自転車に乗った彼女を、無数の男どもが追い掛けてくる場面で、
あれは、脳内幻想なんだろうか?
女性が、性衝動と性行為、
それも、不惑となってから恋と性の目覚めを一気に体験するなんていう映画を撮る。
そうした挑戦には、しっかりと拍手したい。
でも、これって、観念的っていったら誤解を招いてしまうかもしれないんだけど、
不惑を迎えてない女性が未知の女性を想像したものじゃない?
てなことを、女性のことなんかなんにもわかっていない僕はおもってしまった。
うまくいえないんだけど、女性が更年期にさしかかるときってのは、
この映画以上に淡々としたものなんじゃないのかな~とかね。
映画がアンバランスっていうのは、
空気がなんとなく自主映画じみてて、
主人公の演技が非常に自然で、とても好感がもてる反面、
話の展開がドキュメンタリとは対照的に、やけに作り物めいていることかもしれない。
植木鋏をぞんざいに扱う植木職人に始まり、男たちがやけにカリカチュアされていて、
なんていうか、現実味が感じられないような演出をしていることなんで、
いったいどこまでが計算されたもので、どこまでが偶然の演出なんだろう?
とかいうことをおもわず感じちゃったってことだ。
観客の女性の立場に立てば、
彼女が拭いてあげる百合のめしべがすべてを物語ってない?…てのに始まり、
早すぎる閉経ってほんとに不安だし、誰にでも訪れるのに誰もが不安なんだよ…とか、
男の人には絶対にわからない女性のひとつの分岐点がリアルに描かれてて…とか、
これまでの映画は男性目線だから性衝動とか描かれてもみんなオーバーで…とか、
なるほどそうだよねっていう意見になるんだろうし、ぼくもそうおもいます。
でも、それなのに、
「どうして、男たちは、設定がどれも濃いのに、透明な印象だけ残してしまうの?」
っていう疑問がわだかまってしまう。
なんとも不思議な映画でした。