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めがね

2013年04月25日 21時31分33秒 | 邦画2007年

 ◎めがね(2007年 日本 106分)

 staff 監督・脚本/荻上直子

     撮影/谷峰登 美術/富田麻友美 音楽/金子隆博

 cast 小林聡美 市川実日子 加瀬亮 光石研 もたいまさこ 橘ユキコ 薬師丸ひろ子

 

 ◎旅と人生と死の関係

 旅の終わり、人生の始まり、

 人生の終わり、旅の始まり。

 どちらでもいいんだけど、この映画について、

 映画を観終わってすぐに、こんな話を聞いた。

「あれって、死後の世界の話じゃない?」

 だって、南の島に旅に出るってのはわかるけど、

 時の流れがまるでないし、生きているせせこましさもないし、

 ただたそがれるだけというのに、現実感がまるでないし…。

 授業をしなくてもいい、メルシー体操だけすればいい、かき氷も無料、

 ハマダの食材はいつのまにか揃ってるし、

 かき氷の元になる氷も、小豆も、食器を洗う水も、機械を動かす電気も、

 どこから持ってきているのかわからないけど、まるで足りなくならないし、

 いや、だいいち、宿賃すら払ったかどうかよくわからないし、

 そもそも民宿ハマダに辿り着くまでもいろいろな道をさまよってるでしょ?

「なるほど」

 と、おもった。

 だから、小林聡美は帰ろうにも帰れないのか?

 加瀬亮は後追い自殺でもしでかしたのか?

 市川実日子も授業ノイローゼになって人生をはかなんだのか、と。

 で、こんなことをおもいだした。

 昔の知り合いに、とあるお寺の和尚さんがいた。

 その和っさんがいうには、極楽と地獄の差は、人のおもいやりだけだそうな。

 極楽も地獄も俗世とほとんどおんなじなんだけど、ひとつだけ異なっているものがある。

 箸の長さなんだと。

 それも、1メートルくらいありそうな箸なんだって。

 箸が長いと食べるのにものすごく苦労するっていうか、ほとんど食べられない。

 だから、極楽ではおたがいに食べさせてあげるからお腹いっぱい食べられるけど、

 地獄は自分のことは自分でしないといけないので、他人に食べさせるのはあかんと。

 で、

 薬師丸ひろ子のマリン・パレスで野良仕事に従事させられるのは、

 自分のことはすべて自分でするっていう決まりだから、地獄ってことになる。

 してみると、小林聡美を迎えに来て、

 極楽へ連れ帰ってくれるもたいまさこは地蔵菩薩なんだろか?

 あのかき氷屋は地蔵堂なのか?

 もたいまさこがときおりいなくなるのは地獄と俗世をめぐっているからか?

 てなことをおもった。

 お地蔵さんは実をいうと閻魔大王の変わり身で、

 地獄に落ちた亡者を救いに来てくれるんだと。

 蜘蛛の糸を垂らしてくれるのはお釈迦さんだから、

 もしかしたらお釈迦さんなのかなとおもうけど、風貌からだとお地蔵さんだよね。

 こんなふうに考えていくと、

 つまり、あの美しい海は、三途の川なのね?

 とか、

 沖縄みたいなところだから、ニライカナイってことかしら?

 とかいった想像が働いちゃう。

 これは、もう一回、観てみる必要あるわ。

 とはおもったものの、このゆるさは嫌いじゃない。

 時間に余裕があったら浸っていたいところなんだけどね。

 ただ『かもめ食堂』でもそうなんだけど、

 ひとつの完成された世界があって、そこに異邦人がやってくるという設定は、

 どうやら、この映画でも踏襲されているらしい。

 異邦人がその世界をかき回すかどうかは別にして、

 とある、まとまりのある世界を認識することによって、

 ようやくその世界の住人になれる、つまり、自己と他者を肯定できる、

 っていうことなんだろうけど、

 この映画ではその世界が、天国かどうかって話だ。

 さて、どうなんだろう。

 たしかに南の島は、天国にいちばん近い島かもしれないけど。

 あ、でも。

 こんな解釈は、製作した人達にしてみれば、

 めいわくな事、この上ないよね。

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