豊田市、気ままに、彼方此方散歩

豊田市在住の者として豊田市内の、あちこちを徒歩で、自転車で、端っこの所は勿論、自動車で、訪れて見たいです。

土居の二観音と津島社(豊田市)

2012-07-15 07:57:18 | 散歩

土居の二観音と津島社

所在地 豊田市常盤町土居

156号線を豊田市駅方向に向かい、ちょっと右に入った所に
小さな、可愛い三社が並んで建てられていました。

左から「津島神社」「稲荷観音」「千手観音」のようです。

「津島神社」のお堂の内部です。

「稲荷観音」のお堂の観音様です。

「千手観音」のお堂の観音様です。

二枚の説明板がありました。

ここには次のように書かれています。

土居 津島神社
 この神社は明治40年頃(1907)、大字相生町周辺に赤痢伝染病が
蔓延しこの常磐町へ広がり、水野又次郎、都築重吉、加藤種冶ら
中心となり、防衛作として津島神社を祀り、病が撲滅したと伝える、
 その後、地元の人々により、家内安全、無病息災を祈願など信仰をあつめる。
          七州城城下町まちづくり協議会

ここには次のように書かれています。

土居の観音
 右側の「千手観音」は嘉永七年作で土橋道上鴻巣(新生三丁目)筋界橋脇
にあったが、多くの人に崇められるよう、この地に移動した。
大正から昭和に掛けて草競馬が盛んな時期があり、毎年四月一日の神竜寺
稲荷さんの折、現在の朝日丘中学校運動場で競馬が行われ、
馬頭観音として親しまれてきた。
 五番組の皆さんで「講」つくり、初観音(1月17日)九萬九千日(旧8月9日)
と月参り、週一回の献花をし信仰を集めている。
 左側の「薬師観音」は夫婦の墓であったが、のち道標として使われたもので、
当時の馬主の一人、川上葛實氏が石切り場で家大怪我をされ九死に一生を
得られたが、その恩返しとして、この地に移動したものと云われる。

               七州城城下町まちづくり協議会