豊田市、気ままに、彼方此方散歩

豊田市在住の者として豊田市内の、あちこちを徒歩で、自転車で、端っこの所は勿論、自動車で、訪れて見たいです。

随応院と豊田の名木No.118号

2006-04-08 19:20:35 | Weblog
随応院

正式名を浄土宗極楽山随応院不遠寺といい文明十一年(1479)に大樹寺開山愚底の弟子法誉悦叟が力石村(現、豊田市力石町)に創建した浄土宗極楽山浄土院不遠寺を寺部領主鈴木氏初代日向守重時の招きで長亨二年(1488)勧学院文護寺跡と伝えられる現在の地に移したことを始まりとする。
八世生誉の時鈴木氏に代わって寺部領主となった渡辺氏の三代治綱は承応元年(1652)八月、亡母随応院殿(三代重綱夫人)の三三回忌を営んだ際、寺号を随応院と改めた。
本堂西側には寺部領主三代までの婦人の墓所がある。なお、四代以降の婦人は守綱寺に祀られている。
また現在の墓所には、鈴木氏二代梅翁重明、日向守重教の供養塔もある。
本堂正面の中門は六本足の唐破風造りで、「扇なしの門」の別名がある。文政二年(1819)渋川村(現、豊田市広川町)の棟梁江尻儀兵衛の作である。余りにも優美な姿で完成したので十一代寧綱から、「寺格に過ぎたる門」と指摘され、扇を付けなっかたと伝えられる。







豊田市の名木 No.118





豊田市の名木 No.118号
   豊田市寺部町 随応院境内
       胸回り 3.30 根回り 9.80 樹高 25.00  樹齢 ?