豊田市、気ままに、彼方此方散歩

豊田市在住の者として豊田市内の、あちこちを徒歩で、自転車で、端っこの所は勿論、自動車で、訪れて見たいです。

梅坪神社

2007-01-16 10:37:37 | 散歩
梅坪神社
この付近には「第2ひまわり学園」「上水道運用センター」
「西山公園」などがありますがちょっと梅坪神社は気づきにくいかと思います。
道路沿いにひまわり学園への案内表示がありますので、これを目安に進んでください。
すると解かるかと思います。



梅坪神社
1)鎮座地 豊田市梅坪町四丁目五十八番地
2)祭神 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
兎道稚郎子(うじのめけいらっこ)
3)沿革 創立の年代は詳らかでないが古くは「神明宮」と称し、現在の梅坪町九丁目(旧字神明)に鎮座した。
江戸中期に至って水害を恐れ現在地に遷座した。
大正12年 神明宮に若宮神社(現在の陣中町一丁目)を合祀し、梅坪神社と改称する。
昭和2年 村社に列格する。
昭和27年 宗教法人となる。
昭和46年 本殿祝詞殿を改築し遷宮する。
4)境内社
天神社 祭神 天之御中主神
胸形社 祭神 多紀理比売命 挟依比売命 多岐都比売命
山形社 祭神 大山祇命

境内にある慰霊の碑


碑文にこう書いてある。
昭和6年満州事変に端を発し支那事変続いて太平洋戦争へと戦火は拡大する。その間、大東亜共栄圏確立の旗印の下応召し従軍され尊い護国の神となられた勇士の霊をここに奉祀し慰霊の碑と識すものである。顧みるに十五年の長きに亘った大戦に国民は一丸となり艱難辛苦によく耐えた大字梅坪三百余戸の中から百八十余名の男子が極寒の満蒙、広漠果てしない中国、密林昼なお暗きフィリッピン、沖縄を始めとする東南アジア、ソロモン、インド洋にと赴いたまた内地においても戦場となり激しい空襲下の本土防衛に軍人として一身一家をかえりみず尽忠報国の念に燃え勇戦奮闘した。然るに惜しみてあまりある73名の勇士が尊い護国の神となられたこの英霊に対し衷心より感謝の誠を捧げ永遠に安らかに鎮まり給えと祈念するものである。戦後四十余年焦土と化した日本は国民の不撓不屈の努力により今や世界にも勇たる国に隆盛した。ここに梅坪地区四町町民が相計り由緒深い梅坪神社境内に碑を建立し戦争の厳粛なる事実を後世に伝えると共に郷土の限りなき繁栄と世界の永遠の平和を祈念するものです。
平成13年4月吉日 慰霊の碑建立委員会

境内にある日露記念碑