goo blog サービス終了のお知らせ 

HOPE 

Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

櫻井正上さんの声明文(2/3)

2017-10-04 13:52:10 | 統一家の行くべき道

櫻井正上さんの声明文(2/3)  

ここから字数制限の関係上字体を明朝に改めます。



2001年に始まる天一時代は、子女と祝福家庭とが一つとなって、ご父母の勝利を受けぎ、天一創建に向けた最後の峠を越えて行く時代でした。その理が座礁した原因は何だったのでしょうか?が父母順屈服できず、財産を奪して飛び出した、と、本でそう信じておられるのでしょうか?私はたとえ年間であれ、から直接、指導を受け、その思想や信念、人格にれてきた人間です。教会から聞かされる像には、大きな“歪み”を感じざるを得ませんでした。

 

もしが自らの立場に固執し、父母の座を狙うような“政治的”な方であったなら、むしろ時、お父の元を離れはしなかったでしょう。それは誰が見ても“賢くないから”です!人の誤解や不信を買い、十年の信基盤を失うことにしかなりません。それよりも、“先代”に寄り添い、自らの立場をえていく方がよっぽど“賢い”でしょう。また、もし本に弟たちに嫉妬心をえたなら、むしろ何もせずに静観し、お父の傍らにあって、彼らを讒訴する機を待ちけたに違いありません。

 

は自らの信仰生命を賭して理を守り、父母統を守ろうとした…。それが、私自身が年にわたり、時の文書に目を通し、起こってきた事をもとに考え、その場にいた人を訪ね、議論し、祈り、真実を求めようとして至った結論でした。さらに言えば、そうしたと父母との間を引き裂いたのは、他ならぬ、私たち祝福家庭であり、私たちを代表する指導者たちだった!と、私は思います。

 

批判を恐れずに言うなら、“の父母宣布文”は、本、世に出てはいけない文書だったと思えてなりません。“の父母の指示と命令に絶する”のが、本に父母の打ち立てたかった“統一家の統”だったのでしょうか?私は違う!と思います。父母が一生涯を通して打ち立てられた統とは“の愛の統”であり、“神のみ旨のために生きる統”です。私はあの文書が最初に表された時、慄をえました。部の組織闘争にお父までんだ!と思えてならなかったからです。 

 

皆さんにもう一度、思い出して頂きたいのです!父母の結は“の家庭”であり、天一時代における中心的課題は“アベルの子女とカインの子女の一体化”にありました。時、天から見て“善・悪”があったとすれば、の家庭を守り、アベルの子女をお守りする側が“善”であり、の家庭の係に裂を生じさせ、アベルの子女を打つ側が“”だったはずです! 

 

周藤先生はかつてこうえられました。「祝福家庭はカインの子女として全存在をかけてもアベルの子女を守らなければならない…カインの子女がこの責任を果たせない時にはアベルの子女が牲となり、ひいてはに勝利されたの父母にしてさえサタンが打ってくるようになる…(成約理解P272)」

 

こうしたことは、かつての私たちにとっては“常識”でした。しかし、今や“の父母”のみを絶視し、“の子女”は相化され、天の理が“の家庭”にあったことなど、とうに忘れ去られてしまったかのようです。かつて、が公的に立たれ、これを中心に二世が立ち上がっていたあの時代、サタンが何よりも打ちきたかったのは、未へとく“の家庭の基台”でしょう。父母の勝利統を本で相しようとする未の指導者を、サタンは何よりも恐れたはずです!時、を激しく糾した一連の事件が“サタンの業”でなくて何だったのでしょうか? 私たちは全員で“の子女を打った”のです! あの時の私は、半ば真実付きながらも、“自分のような小さな者にできることなど何もない”として沈し、傍した“二千年前の弟子たち”と同じだったのかもしれません。 

 

お母を信じよう、必ず解決してくださるはずだ”…、私もそう考えようと努めました。が、起こってる現をみる時、深刻な思いにならざるを得ませんでした。“の父母”の勝利は“の子女”に相されなければなりません。原理的に見るなら、“父”の統を受けぐ“息子”を立てることこそ“母”の最も本的な使命であり、それを助けるのがカインの子女の務めではないでしょうか。

 

お母が今、語られる“生女”の御言にして、皆さんは本に心から納得しておられるのでしょうか?本にそれがお父の語ってこられた容と同じものに聞こえるのでしょうか?私は祝福の講義を担してきた者として、どうしても疑問を抱かざるを得ませんでした。批判しようと思ってきたのではありません。皆さん同、“苦”してきたのです。 

 

天聖が編纂された時、私たちは「お母はお父の御言に手を加えたのではない、ただ整理されたのだ」と明してきました。その後、お母が胎中聖別をほのめかす話をされた時、本部では「血統換を意味しているのではなく、お母の出生の値を調されたのだ」と解してきました。しかし今や「お母の無原罪誕生」はほぼ公式見解となり、異論を唱えるのもはばかられるようになりました。

 

今後、「お父には原罪があった!」とされても、「お母の御言なのだから信じよ」となるに違いありません。お母がそれを語られたのは“事”だからです! 付かぬうちに、私たちが値視すべき原理や信仰の根幹がずれてきているように感じるのは、私だけではないはずです ! 

 

信仰の長い方は、こうも言われます。“私たちがそれを指摘したところでお母が考えをえてくださるではないのだから、たとえ間違っていようとも、侍って行くことが子女の道理ではないか” と。しかし、本に、ただって付きうことが“お母のため”なのでしょうか? 

 

私はお母を愛する者です。二世である私にとって、父母は、御言を知る前から父母でした。しかし、お母を愛することと、お母を神格化して無批判的になることとは違うはずです。また、私はお母のお父する深い愛情を信じる者です。しかし、そのことと、お母の語られる言葉と示される方向性とがお父の原理・摂と一致しているかは別の話ではないでしょうか?どこまでも“神の理”の方向に向かってお母を支え、共にむことが“子女の道理”ではないでしょうか? 

 

統一運動は“神の理”に生き、それを果たそうとする運動でした。私たちは、父母を崇めて天に行こう、という宗を信じてきたのではありません!父母の生き方を相し、神の願いに生きようとする群れが統一家であり、それが私にとっての統一運動でした。いつから、の父母の“一代記” を信じ崇める信仰集へとわってしまったのでしょうか? 

 

HJ 天苑は誰のためのプロジェクトなのでしょうか?食口のためでしょうか?世界平和のためでしょうか?それを見た人が、本に心から父母を慕い、そこに“神の理”を感するようになるのでしょうか? 私は平の地に新たな建造物が立ち並んでいく姿を見る度に、喜びや感動よりも“痛み” をえました。私の信仰のなさ故でしょうか? 食口たちの苦と窮を知る牧者の皆さんなら、同じような思いを抱かれないでしょうか? 

 

の父母の生涯の結は、天一の起点は、荘厳な建造物などではなく、“の家庭”であり、“祝福家庭”であるはずです!私たちの運動の本質が、“行き先”が、わっててしまっているのではないでしょうか? 私は日本教会の改革の努力を否定したいのではありません。教会改革、祝福推進、環境創造…、それは私が最も成したいことであり、皆さんと共に、夜なく、力をくしてきた容でもありました。しかし“船の中”の改革を必死に進めたとしても、もしその船の“行き先”が間違っているとしたら、そうした努力はどこに結し得るのでしょうか? 

 

私は今回の祝福が終わったら、またその一連の業務を終えたら、“表”を出そうと考えていました。その間、責任者の方に、自らの思いや危するところをえてきましたが、する姿勢も、UCI訴訟も、生女理論も、HJ天苑プロジェクトも、それらは全て“大本”の方針であって、日本教会でどうこうできる問題ではありませんでした。

 

組織の方針を受け入れられないなら、己の信念を貫きたいなら、自らが潔く、かに身を引くのが組織人としての筋でしょう。しかし、表を書き上げてみた時、思いました。これは本の意味で、責任ある行動ではないんじゃないか!と。“行き先が違うから”と言って、“家族”をし、自分だけ“船”から降りるという選ができるのか!と。私にとって、食口たちは“家族”です!苦の中を、共に“神の御旨”を果たそうとんできた方に他なりません。

 

私はこれまで、こう考えてきました。もし仮に家庭連合が“セウォル”であるなら、私は最後までその改革に死力をくして共に沈もう、と。この思いは、多くの牧者の方の思いと同じでしょう。それが“船員”としての道理なのかも知れません。しかし、私は今、思います。“船員”の本の使命とは“客”の命を最後まで守り、彼らを“目的地”にけることなのではないだろうか!と。私たちは“船”を守ろうとするあまり、本質的なことを見失っているのかも知れません。私たちが“船”にんだ理由は“目的地”のためでした。“客”もまた同じであり、彼らをその目的地まで運ぶことが“船”の目的であったはずです!

 

食口の“的生命”を守るため、と言うなら、今、この家庭連合の“本丸”がどこに向かっているのか、食口たちの汗とと精誠が、日本教会革の努力が、本に神の理に直結しているものなのか、とことん追求しなければならないのではないでしょうか?それが“船員”の務めであるはずです! 

 

無論、現にあって、食口たちが求めているのは義論真実の追求ではないのかも知れません。苦の中にあって、彼らが欲しているものは癒しであり、慰めであり、身近なサポトであることを、私もよく知っています。目の前にいる一人を助けることがこれまでの私の務めであり、私にできる唯一の貢でした。しかし、どんなに心をもってくしたとしても、食口たちを導く“行き先”が誤っているとすれば、また、私たちが食口たちを誤導してしまっているのだとしたら、私たちは何をもって、彼らの“的生命”に責任をもつことができるのでしょうか? 船員が何よりも見失ってはならないものは、彼らを導く“目的地”であり、“行き先”ではないでしょうか? 

 

思えば、がかつて私たちにえてくださったことは“の行き先”についてでした。は“自分に付きうこと”を私たちにえたのではなく、私たちが共に“神の御旨”を見つめ、その御旨に生きることをえてくださいました。父母を愛するということは、父母に名前をえられ、愛されることではなく、父母が生涯をかけて果たそうとされた“神の願い”を果たすことであり、その御旨に生きることだとえてくださったのです! 

 

がお父に異を唱えることも躊躇わなかったのは“神の御旨”にして真剣だったからだと、私は思います。弟の子女方の言動を深刻に見つめられたのも、この運動が“行き先”を見失うことを危されていからだ、と思うのです。かつて教会側が躍起になってへの批判キャンペンを展開していたっ只中でさえ、心はただ、お父のご存命中に、また基元節までに“どうお父の悲願を果たすか”だけだったように思えました。時、側のメンバと議論する度に思い知らされたのです。にとっては、ご自分の真実を明かすことよりも、父母の願い、神の理を成すことのほうがよっぽど大切なことなのだ!と。は言わば、この運動の“行き先”のために、自らの首をかけてってられたのです! 

 

私は心を決めました。真実とそのを食口たちにけます。の語る言葉に真実と原理を見出し、指し示す方向性の中に“神の理”を見るからです。「お母を守らなければならない」と語る指導者たちの孝情よりも、悲痛な心情で「お母を“勝利されたお母”として立てて差し上げなければならない !」とされるの中に“本物の孝情”を見るからです! 

 

もし兄弟たちが誤った方向に進もうとするなら、を荒げてでもそれを食い止め、万一、親が方向性を見誤るようなことが生じたなら、自分がどう言われようと、必死になって、それを食い止めようとするのがの孝子ではないでしょうか? は「自らの力をもってお母威に挑もう」というような、そんなレベルの低い方ではありません!お母を最後まで背負って、御旨をまれる方です! それが、私がその間、見聞きし、感してきた真実の姿でした。 

 

私たちが作り上げた歪んだ情報と“城壁”ゆえに、また相次ぐ分派闘争によるトラウマゆえに、その方の言葉が食口にかなくなってしまっているのだとすれば、それを正しくけなければならない…、そう思いました。その間、まない日はありませんでした。しかし、何度祈っても、拒んでも、躊躇っても、恐れても、私のく示される思いはそれでした。 

 

 

 


全国の牧会者の皆様へ(日本二世櫻井正上)  櫻井家のお兄さんが発表した全国牧会者に宛てた声明文

2017-10-04 13:28:06 | 統一家の行くべき道

既に数多くのブロガーの皆さんが当ブログ村に掲載している「会者(日本二世櫻井正上)」の声明文です。

HOPE管理人(Y)も読ませていただきました。

篤い心と、真摯な心に触れることができて、深く感銘させていただいています。

やはり、統一家の統一丸は行き先が問題のようです。

顯進様に関する誤った情報が統一丸の乗客である教会員、食口たちを支配してきていたようです。

真のお母様に関しても、本当にお母様のことは心配し、お母様を本来の位置で愛し守って差し上げようとしているのは誰なのか、はっきりわかるようです。

この声明文は、日本家庭連合の全国の牧会者に宛てたものですが、一般食口や、様々な立場を保持している人たちにも真摯に受け止め読んでもらいたい内容です。

特に、二世のリーダーたちは正上兄の真摯な声に耳を傾けてほしいものです。櫻井正上兄は日本の二世のリーダーの中でも格段に信頼の篤い方でした。素直にその声に耳を傾ける二世のリーダーはたくさんいるものと思われます。

今、統一家はそのかじ取りを大きく変えて行くべき時が来ています。混沌と矛盾で行き場を失って彷徨する時は過ぎ去っていっています。

善悪、正邪が明らかになって行く時代です。正義と不正義が明白になる時代です。本物と偽物が分けられる時代でもあります。

今回の櫻井正上さんの声明は、新しい時代が訪れていることの大きな証でもあると思います。

『目覚めよ!』全国の牧会者、二世たち、そして古参の食口たちも すべてが目覚めて新しく出発する時が来ているようです。




以下、櫻井正上さんの声明文です。


会者(日本二世櫻井正上)

 

 

その間、胸に秘めてきた思いがありました。その思い故に、長い間、出口のない袋小路に迷いみ、答えのない問いかけを、知れず、繰り返してきました。ここに記すことは、そうした年間の苦と祈りの果てに辿り着いた私自身の結論であり、その間、私の底にありけた、らざる本心の叫びです。

 

周知の通り、我が家はいつからか“渦中の家庭”になりました。弟が、また母が、教会の志向するものとは別の方向に進み出したからです。しかし、私が見る時、彼らに問題とされる要因があったとすれば、それはただ、“真実を追求したから”に他なりません!

 

私は母よりも先にという方に出い、その指導にれました。また弟が支持を表明し、活動を始める前から、側の情報にれていました。親しかった韓の先輩たちがに付いて行った際、幾度となく、彼らと議論を交わし合ったからです。そのため、私は分前から、教会で言われる容が、事と大きく異なっていることに付いていました。いえ、もっとはっきり言うなら、私は“が愛の減少感ゆえに飛び出した”とか、“お父の前に自己否定できなかった”という話がどれほど“真実”から遠いものであるかをく感じてきた者の一人です! 

 

にもかかわらず、私が沈しようと思ったのは、多くの方の家庭の課題は私たちがれていい容でも、解決できる問題でもなく、必ずや子女御自身が、お父が、お母が解決してくださるものと信じたからです。しかし、それは違いました。この問題は“の家庭”だけの問題ではなく、私たち祝福家庭を代表する指導者たちの問題が深くわっているからです ! 

 

もし問題の端が“父母と子女との間の心情係”にあったなら、そこで解決すべきでしょう。もし問題の原因がの家庭の“兄弟間の葛藤”にあったなら、そこで和解して頂くほかありません。しかし、もし、この一連の問題を引き起こし、深刻化させた要因が“私たち自身”の信仰姿勢や言動にあったなら、この問題解決にする責任の5%は“私たち”にもあるはずです!少なくとも、私はその責任を果たそうとはしてきませんでした。或いは、自らにえられた職分をこなすことを“口”に、問題を“傍”してきてしまったのかも知れません。 

 

私がこんなことを訴えたところで、現場の理に何の益があるのかと言われるでしょう。分派闘争むな!と思われる方も多いに違いありません。しかし、私は今、改めて思います。これはなるお家動でも、分派闘争でもありません。神の理の終着点は“の家庭”であり、神とサタンの一線もそこであって、これが今後の統一運動の方向性を決する一線だと思うのです ! 

 

もし、私たちが分派だ !として叩いてきた相手が、神の理の中心に立っている方であり、もし私たちが自らの固定念と信仰をもって打ってきた相手が“神の言葉”を語っている方であり、もし私たちが二千年前、イエスキリストをの化身として民衆にえてきたパリサイ人、律法者のような立場に立っているとしたら、私たちは神の理の前に重大な“罪”を犯す立場になり得るのです! 

 

もし、今のの家庭の態と統一運動の方向性に、何の問題も感じていないと言われるなら、私に言えることは何もありません。しかし、一人の信仰者として、率直に、深刻な事態が起こっていると感じておられるなら、この問題の端がどこにあり、それらが何に起因し、何を正さなければならないのかを、もう一度、深刻に見つめ直してみなければならないのではないでしょうか? 

 

<続く>


2009年2月は教権勢力にとってみると衝撃的で過酷な月だった  (統一家の混乱の最終的収拾のためにⅨ 5 教権勢力の危機意識)

2017-10-04 01:17:46 | 統一家の混乱の最終的収拾のために

5. 2009.02.20-教権勢力の危機意識 

(1)20092月は教権勢力にとってみると衝撃的で過酷な月だった

2008には、教権勢力(統一家の教会権力を握った幹部集団)彼らなりの千辛万苦の努力の末、最も彼らが彼らの利権を行使するうえで障害となっていた顯進様が就いていたアメリカ総会長職を剥奪することのできる可能性のある世界会長職の座に亨進様を就かせるという一定の勝利を収めることが出来た。

 

ところで、お父様は顯進様にたいしては父子協助時代においてお父様の継代を継ぐという象徴的な権威としての祝福執典権を移譲され1)、祝福執典の特権を付与されるという祈祷をされ2)、翌日に地上では顯進様が祝福執典権を行使されるとのみ言まで語られ(3)てい。これらのことすべてを亨進様は見聞きして知っておられたはずです

 

その前の20061023には、顯進様の摂理推進の結果をご覧になったお父様は今、死んでも心残りがない1)とまで語られていますし、2007年度には顯進様が神様の摂理を80%まで完成したので、残りの20%は統一家の指導者が一致協力して共に成すように2)と指示されていました

 

2008年になり亨進様が世界平和統一家庭連合の世界会長として登極されました。世界会長職に就かれた亨進様でしたが、亨進様はこともあろうにお父様のヘリコプター事故をされ入院中で身体の不自由であられたその最中に顯進様からアメリカ総会長職を剥奪してしまったのです。兄の重要な役職を父に無断で奪うという考えられない暴挙を行ってしまわれたのです。その時亨進様からは、顯進様を総会長職から辞任させるなんの理由の説明ありませんでした。総会長職を奪うだけではなく、当時、顯進様がアメリカ総会長としてサポートを受けていたアメリカ理事会委員人事さえ、お父様の許可なく全て交代させてしてしまっていのでした

 

2009115日、お父様はよりによってそのようなお父様の意に反した職権乱用人事を行った張本人である亨進様を解放圏戴冠式を通して代身者相続者宣布をされました。その日その段階でお父様は、教権勢力のいつわりの報告により、亨進様がまさかの不法人事を行った張本人であるとはまったくご存じで無かったのです。さらに重要なことは2009115日に行われた神様解放圏戴冠式の時、に亨進様に王冠は被せたものの、亨進様をして後継者であるとは何等明言はされていませんでした。この時点において、お父様はまさか亨進様が不法な人事を行ったと言うことをご存じでなかったことはもとより、その前後のみ言をみても、明らかにお父様の継代を継ぐ、使命者は顯進様であるという明白な意思をお持ちだったのです。

 

 お父様の立場から見れば、亨進様に代身者相続者という職級はあたえたもののそれはあくまで神様と真の父母様、そして顯進様に侍る立場で遂行されなければならない職級であったのです。すでにこれに関して20081224日に兄を中心として、神様、父母様に侍らなければならない。」とお父様はそのみ言で、亨進様の位相について明確に語られているのです。  :み言選集604巻、200205ページ 参照



如何に亨進様がお父様から代身者相続者と語られたとしても、その職分の位置は兄である顯進様の父子協助時代の掲載を継ぐ立場を超えるものではなかったことは明白です。

20091月の段階で、お父様が亨進様が父子協助時代の摂理に逆行して、摂理を妨げる不法な人事処置を行っていたことをご存じであったなら、果たして解放圏戴冠式を通して代身者相続者宣布をされただろうかと言う疑問が残ります。お父様が最も大きな期待を寄せ、基元節に向けての重要な摂理遂行の基盤であるアメリカ総会長とアメリカ理事会の改変を許される筈はありませんでした。当然お父様の意に反した行為を為した亨進様を重要な職責に置くことは無かったに違いありません。



お父様の心情と事情を弄んできた教権勢力  重大な岐路に立つ統一家の祝福家庭が果たさねばならないこととは (統一家の混乱の最終的収拾のためにⅨ 4の3)

2017-10-03 06:57:41 | 統一家の混乱の最終的収拾のために

<お父様の心情と事情を弄んできた教権勢力>

 

これ等の事実を通してみれば、亨進様、國進様、さらにはお母様を前面に立てた教権勢力が2008から2009年にかけての一年間、お父様を完全に騙し続けてきた客観的事実を誰も否定することは出来ないでしょう。

 お父様は彼らが偽りの報告をしてきていることを本当に全く知られていなかったのでしょうか?実際のところは真のお当様は彼らの嘘を見抜いておられたのかもしれません。しかし、真のお父様はそのご性格からして、あるいは摂理的事情のゆえにか、身近な側近の報告を疑いの目をもって見られることは一切されませんでした。

 

側近や身近な者からの報告をいったんはそのまま信じられて、行動に移されて来られたのがお父様のやり方であり考え方でもありました。そういうお父様の性格や立場を十分に知り尽くしていた、教権勢力からしてみればお父様と言う方は実に騙しやすい方だと見られていたのかもしれません。

彼らは、時としてお父様は全知全能のようなお方で、全てを見抜き全てを知り尽くしておられる方だと宣伝しながらも、実はお父様は何もわからない愚鈍な人であると思っていたのかもしれません。お父様を騙すことも、そのようなお父様を絶対的に信じている食口たちを騙すことも実に容易なことだと考えていたのかもしれません。

 お父様は時として偽り者が偽りの報告をしたとしても、そしてその結果、もしや間違った判断をすることがあったとしても、それらのことはすべて天がご存じであって、最終的には天の神様ご自身が裁定を下されるものだとのお考えでした。

 

真のお父様に生涯侍り通され昨年聖和された神山会長は、お父様の事情をこのように語っておられました。

お父様がなぜ、明らかに偽りとわかるようなことまで、信じて聞かれるのか疑問に思いお聞きしたときに、お父様は「先生は疑って聞くと言うことが出来ない。(なんでもその通り信じて聞くしかできない。)」とおっしゃておられたと言うことです。ここにはお父様の切ない事情が如何ほどあることだろうかと思います。神とサタンの戦いの中で、神の側に立つお父様は、たとえサタンが偽りを持ってきたとしても真実で戴さざるを得ないと言うことです。偽りに対しても真実であると対してこそサタンは屈服して行くのです。疑って受け止めてはサタンは屈服して行かないというのです。

 

お父様は顯進様に関して、側近たちの報告がそのまま事実だとはゆめゆめ思ってはおられなかったのでしょう。しかし、それが偽りであると思われたとしても、まずはそのまま事実として受けとめ、その事実に対して正邪を判断されて行かれたのです。そういうお父様の心情と事情をご存じであったからこそ。一見理不尽と思われるお父様の叱責や判断にも、一旦は反論されるようなことがあったとしてもお父様に対して叛逆されたり恨みを抱くなどと言うことは一切されず、絶対的孝の心情を貫かれた顯進様でした。

 

実際のところは、真のお父様は父子協助時代において、万服の信頼を置いていた顯進様に関して偽りの報告がなされることをどれほど心痛く受け止められていたことでしょうか!偽りの報告であると知りながらも、それを偽りではなく真実であるものとしてわが子を断罪せざるを得なかったお父様の心痛ははかり知ることが出来ません。

 教権幹部たちに普通の良識や良心があれば、真のお父様がどれほど心を痛めて顯進様に関する偽りの報告を聞かれていたかわかってしかるべきことのはずでした。しかし、彼らはそのようなお

父様の心の傷みには目もくれません、たとてでした。かえって「お父様と言う方は騙しやすい方だ」と勝ち誇ったような思いで、偽りの報告を繰り返してきたとしか思えません。

 

お父様のお考えはすべては天がご存じであって、もしや偽りがあれば、いずれ真実が明らかにされて、裁くのは天が裁かれるであろうというお考えでした。だから一旦は幹部たちの偽りの報告をいかにもそのまま信じたかの如く発言され行動されて行っていたのです。

 側近幹部や身近な方たちの報告をそのまま受容されて行かれたがゆえに、側近幹部に何らかの野心があったとしてもそういうお父様を騙すことは一旦は容易いことだったのかもしれません。

その後の様々な事件や事象を見れば、その当時側近幹部たちがお父様に顯進様に関する偽りの情報を報告し続けていたことは明白です。

 

重大な岐路に立つ統一家の祝福家庭が果たさねばならないこと

今日、統一家は重大な岐路に立たされています。お父様90年の生涯をかけてご自身を何処までも犠牲にし、人類世界の真なる平和と幸福実現の為に投入し続けて来られました。そうして世界人類のために貢献する世界的基盤を形成して来られました。しかし、お父様の聖和後それらの基盤は悲しくも崩壊の危機に瀕しています。世界平和実現のために組織され編成されてきた数多くの期間がその機能を停止し、あるものはその機能と基盤をすべて失う結果ともなってきました。

真のお父様の勝利された基盤を継承し守り抜いて行くためには、分裂と混乱意陥っている統一家の諸問題を根本的に解決して行かなければなりません。

 

お父様の真なる教えによって生まれ変わった食口が再び一つとなり世界を舞台に摂理的な使命を完遂して行かなければならない時がやってきています。志を新たにして世界平和の改革運動に邁進していくことが切に求められているのが今の時です。

 統一家の摂理基盤は、天の摂理に反逆して、教会基盤を自らの恣に操っている小賢しい権力者たちのためのものではありません。神様の摂理や真のお父様の願いよりも個人の利益や権利を守ることに必死となり、お父様の指示も願いも無私し続けて来た、教権勢力の意のままに任せるわけにはいきません。

 

 統一家の混乱を克服する為のこの戦いは、統一家においてカルト化してしまった教権指導者の誤りを完全に遮断しなければならない宿命的な責任が全ての祝福家庭には託された課題となっています。この後、卑劣にカルト化してしまった教権勢力の実態をさらに明らかにしていきたいと思います。

サタンの偽りを暴くのはカインの子女たる祝福家庭の責任分担です。そのことを自覚して行かなければならない私たちではないでしょうか。

 


教権勢力がお父様を騙してきたという証拠 2 (統一家の混乱の最終的収拾のためにⅨ 4の2)

2017-10-02 23:13:31 | 統一家の混乱の最終的収拾のために

 

<教権勢力がお父様を騙してきたという証拠 2>

もう一度振り返ってみてみましょう。

第一に、2008729日、お父様は世界会長である亨進様が不法に顯進様のアメリカ総会長職を剥奪してしまい、仁進様にアメリカ総会長を任命した事実自体を、2009220日まで、全くご存知ではありませんでした

 

第二に、2008914日、金ビョンファ大陸会長夫妻が、直接お父様に顯進様がアメリカ総会長であるのかどうかを確認し、そのお父様の指示内容を亨進様に通知したにもかかわらず、亨進様がお父様の指示を拒否したという事実もご存じではありませんでした

 

第三に、200894日、國進様がアメリカの指導者を集め、「アメリカ総会長はお父様が任命された顯進様ではなく、世界会長である亨進様が任命した仁進様である。」とお父様の意向とは異なる話を2時間にわたって話されましたこの時の國進様の話し方は、亨進様はお父様の上にいる指導者であることを暗黙のうちに強調するような発言の仕方でした。そこで、アメリカの指導者たちは人事権を掌握した指導部の強圧に勝てず、顯進様こそがお父様の指示された総会長であられるということを知りながらも2008年9月から2009220に至るまで、仁進様に対してアメリカ総会長として侍ったということが実際に行われていた事実でした。そうであるにもかかわらず、これらの事実お父様は全くご存知ではありませんでした

第四に、2008418日、お父様の特別な配慮により世界会長に任命された亨進様によって、顯進様のアメリカ総会長を剥奪したことのみならず、亨進様によってお父様の許可なく総会長に就任した仁進様によって、顯進様のアメリカ摂理の最重要サポート基盤であったアメリカ理事会が不当に交代させられてしまいました。このことを知られたお父様「元通りに復帰するように」という指示をされましたが、このお父様の指示さえも拒否し一部分だけを復帰させて胡麻化しました。これらの事実をお父様は全くご存じではありませんでした。

 

亨進様、國進様、さらにはお母様をまで前面に立てた教権勢力のこの反乱の核心問題は、顯進様一人を対象にしてなされたことではなく、真のお父様の権威と位相を軽んじ、真のお父様ご自身を騙すと言う本来あり得ない不法な策略が継続的になされ続けてきていたのです。

これ等の実際的状況を見れば、亨進様、國進様、お母様を前面に立てた教権勢力が「お父様を完璧に騙してきた」という真実は、もはや否定しがたいものであり、これ等の事実関係を通して完全にその事実が証明されたと言わざるを得ないでしょう。