異国舩のまとめ(その①)
定(さだめ)又は定書(さだめがき)とは、江戸時代、法令・規則などを記したものの事。
この「定」は、異国船を発見した時、及びキリシタン取締に関する規則を書いたものです。
一、で始まる文章は、一つ書きと呼び、項目が変わる毎に一で始まります。現在の様に① ② ③ と番号が変わる方が説明する時は便利が良いのにと思います。
最初の一は、陸上に居る時に、海上に異国船風の船を発見した時の定めです。発見した人は、発見した場所の庄屋(現在の村長)に報告すること。聞いた庄屋は確認した上で、自分が所属する組の大庄屋に報告すると共に、組内の他の村々へも報せること。
附則、もし大庄屋が不在の時は、近くの組の大庄屋へ報告すること。
庄屋・大庄屋・組・浦・村について
庄屋・・・江戸時代、藩主が村民の名望家の中から選任し、代官に所属、納税や通達等の事務を統括させた、村落の長のこと。ここには出て来ないが、助役の仕事をする役を「肝煎」(きもいり)と呼びました。庄屋は年貢を立て替えたりする事が出来るほど、相当な資産家が任命されたようです。(関東地方では庄屋と呼ばず「名主」と言ったようです。)
大庄屋・・・庄屋が一村の長で、大庄屋は一組の長になり、相当な権力者でした。普通、苗字と帯刀が許されます。(苗字帯刀人) 私の地方で言えば、周参見代官所管内の五つの組は「周参見」「江田」「古座」「三尾川」「四番」です。当地は「江田組」に属し、仮に田並の沖で異国船を見つけたら、その人は田並の庄屋に報告、田並の庄屋は江田の大庄屋に報告し、大庄屋がたまたま留守だつた場合は、隣の古座組の大庄屋に報告しなければなりません。大庄屋は「おおじょうや」と濁って言いました。
浦・村・・・一般的に最小行政単位は村でした。江戸時代米穀経済の時代ですから、年貢(税金)は米で納めます。浦は一般的に海岸沿いの村を言い、漁業を主体とした経済ですから、年貢はお金で納めます。上記の五つの組内には、百六十二の村や浦が有り、その内、浦は十七だけでした。
二つめの一つ書きは、舟で沖へ漁に出ていた時に、異国船を見つけたら、早々に庄屋に注進すること。近くに仲間の舟が居る時は、仲間の舟に報せて置いた上で、港に漕ぎ戻る事。仲間の舟は、跡に残って、異国船の進行方向を見届ける事。
附則、異国船をいち早く見つけた者及び残って行衛を見届けた者には、ご褒美を下さる事。
以下つづく。