dm_on_web/日記(ダ)

ダンスとか。

ニブロール 『Small Island』

2008-11-24 | ダンスとか
日本大通り・ZAIM(4階各所)、夜。
コメント

ナチョ・ドゥアト スペイン国立ダンスカンパニー 『ロミオとジュリエット』

2008-11-24 | ダンスとか
Nacho Duato/Compania Nacional de Danza, Romeo y Julieta

与野本町・彩の国さいたま芸術劇場(大ホール)。
ここまで退屈なロミジュリを作ってしまえるなんて、やっぱりドゥアトが好きだと思った。だいたいダンスと物語なんていうものは、必然的なつながりがない。ドゥアトの面白さは、過剰に折れ曲がり、あさっての方向へ伸びていく奔放な動きの音楽性で、そういうものは、物語のフォルムを脅かしこそすれ強化することはないはずだろう。物語は「人間」中心の恣意に基づく産物だが、音楽は単なる力学(物理学)の産物であり、そもそもドゥアトのダンスでは体の動き自体が十分に語るので「人間」などの出る幕ではない(プロコフィエフの音楽がいかに物語を進めるために進む音楽であるかが丸出しになってしまっていて悲しかった)。ダンスが、常識的な人間のありようから逸脱していく運動だとすれば、そのドゥアト的な瞬間は、この信じがたいほど中身のないバルコニーのパ・ド・ドゥの中で、ロミオがジュリエットの両腕ではなく右腕と右脚をつかんでジャイアント・スイングする(正確にはリフトからゆったりと螺旋を描いて緩慢に着地する)辺りにかろうじて見える。ドゥアトは、縦に長い人間の体が遠心力で引き伸ばされようという時に、それを上/下半身(縦に)ではなく左/右半身に(横に)分割する。すごい。そこに音楽的=非人間的な必然があるとも決して思えなかったとはいえ、このインパクトに比べれば物語的=人間的な尺度に体を従わせようとするこの作品の総体的な不毛さは納得される。とにかく人物のパーソナリティが全く見えてこない。ドゥアトは、非人間的であることにかけて徹底している人なのだと思った。マキューシオが刺された瞬間の機械的な180度アングル変化や、その後のよろめいたかと思えばいきなりスタスタ歩き出す異様な演技、さらにラスト近くでロミオが群衆にダイヴするパンクな行為の奇矯さを付け加えてもいいかも知れない。ちなみに10年も前の作品だが、今まで見たことある中ではむしろ新しい方だった。Jardi Tancat も Na Floresta も Por Vos Muero も Duende も Arenal も Remansos も全部これより前。
コメント