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ダンスとか。

CORPI ALTRI(第一日)

2007-06-23 | ダンスとか
神楽坂・セッションハウス。
▼フランチェスカ・プロイア 『Buio, Luce, Buio』
Francesca Proia, Buio, Luce, Buio.
タイトルは『闇、光、闇』。ソロ。ひたすら下に崩れ落ち、様々な格好で倒れている状態、ないしは、止まっている状態ということをし続けているように見えるのだが、どこをどう見ればいいのかよくわからなかったというのが正直なところ。フォルム的な強度や身体的な強度がほとんど放棄されているように思われ、動きは止まっていても完全には停止していなくて、ユルいし、時たま激しく動いても体は伸び切らなくて、常に不安定に流れている。液体が床にこぼれて、そのままあるという感じに見える。顔に貼っているパックのようなものを剥がしたり、ストッキングを脱いだり、一度脱いだブラウスをまた着たりする身振りが、ほとんど素の動作に近いままいきなり挿入されたりするところなども、わからなすぎた。
▼森下真樹 『Capiron』
強烈に自己反省的なプロイアの後にこれだけ自在に動くダンスを見ると、その楽観性にかえって戸惑ってしまうが、実際どこをとっても面白いとしかいいようがない作品だった。「面白いとしかいいようがない」というのは良くも悪くもで、やろうとしていることがことごとくうまくいっていて意図など考えずに感覚で十分楽しめるのだけれども、同時に、ただ単に「面白い」ということのもつ物足りなさも感じてしまった。やはりこういうダンスを見に行く側としては、その場限りの娯楽ではなくて、見る前と見た後で自分の中に何か変化が起きるような、精神にグサッと刺さる宿題を受け取って帰りたい。実をいえば途中まで、これは「記憶」をテーマにしているのかなと考えながら見ていた。つまりまず冒頭に長い振付シークエンスがあって、これが見る側にとってスムースな流れを鋭く裏切っていくような、つまり一回ではなかなか覚えにくい動きになっていて、それが左右反転形で少しだけ繰り返される。こういうのは、記憶に基づく判別というちょっとした課題を観客に与える。中盤では、自分の体の表面を目でなぞるようにして規則的なオノマトペを唱える場面がある。全く意味をなさないのに驚くほど破綻がなく、しかも途中で体の表面にメモしてあるのではなくて暗誦しているのだということがわかり、さらにオノマトペは驚異的な速度にまで高まっていく。記憶力の強度で観客が圧倒される。だからこの二つの場面を「記憶」というテーマで自分なりに結びつけながら見ていたのだが、他に、ガムを膨らませるところから下腹部のうねりを口まで伝わらせて唇を振動させるところとか、空間いっぱいにシャボン玉が舞う中を踊るラストとか、全体を貫いているといえるようなコンセプトはどうしても見えて来なくて、にもかかわらず個々の場面の面白さはそれぞれに否定しようがなく、困ってしまった。
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