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ダンスとか。

ランコントル・コレグラフィック~(二日目)

2004-01-11 | ダンスとか
▼岡登志子 『ECHO』
アンサンブル・ゾネはこのコンペ久々の登場、三度目。去年の11月にやったやつを何とフルサイズ(55分)で上演した。ぼくはファンだから歓迎だが、大方の観客は退屈したようで、近くに座っていた審査員も寝ていた。寝たら審査なんかできないんだけど。トヨタの時と比べるとはるかにゾネ本来の風合いが出ていたが、稽古不足なのか、振りが十分体に落とし込めていなくて踊りのクオリティは全体に低かった。それとやはりぼくとしては、ゾネはシアターXの空間と切り離せない。タッパが低く、客席が平らで、舞台が少し高く、音響的にも密閉感が強いあのハコでは、ダンサーたちが自分の目線の延長上にある水平面に並んで動き回り、肉感が浮き出る。あの感じが案外重要なのかもしれない。こういうコンペというのは「どこのハコに持っていっても(ある程度)再現可能な作品」という無根拠な観念(イデオロギー)の上に成り立っている。今回良かったのは岡のソロ、特に二度目のソロの部分はまさに渾身の踊りで、ハングリーな剥き出しの野心、鬼気迫るものさえ感じた。それと終盤近くにある、女性陣三人のユニゾン。腕で両肩を抱き、内股の摺り足で右右、左左とバックしていく。右、左、右、左ではなく、右右、左左というささやかなハズしのリズムがたまらない。しかしそれにしても、スッとさりげなくデュオまたはトリオのユニゾンが始まるだけでどうしてこんなにゾクゾクさせられるのだろう。視線を真っ直ぐに、顔を動かさず、体の向きだけを幾何学的に細かく操作して面を強調する動きとか。しかし本音をいえば、この人の振付の真価は「フォルクヴァンク系」というフレームの中で相対化されるべきなのだろうとは思う。
▼伊藤郁女 『a person』
キム・ミヤと組んだデュオ新作。ドゥクフレ「IRIS」をきっかけにしたコンビだが、伊藤郁女はいい相方を見つけたと思う。二人とも同じような、締まった筋肉質の体だが、それでいて動きの質感はずいぶん違う。コントラストをもっと巧く出せば面白くなりそうだと思った。作品のアイディアはドゥクフレのパクリ+ありがちな分身ネタでつまらないが、キム・ミヤの安定感のあるソロがまず目を引いた。宙をひっかくようなダイナミックな上体の動き。伊藤はこんな振付も作れるのかと最初は期待したが、本人のソロになってしまうと、ムチのように足を振り上げるいつもの動きといつものリズムだった。ソウルっぽいヴォーカルの選曲がカッコいい。
▼康本雅子 『脱心講座 昆虫編』
この作品を見るのは三回目。大好きな作品なのだが、今回は後半に余計なシーンがたくさん追加されていた。ヴィデオだけで終わってしまえばいいのに結局生身の本人の出番が大幅に付け足されて、しかもそれが、展開として必然性がないどころか、非常にいい加減というか、どうでもいいような内容でがっかり。実際サンバがかかった辺りでぼくはちょっと泣いてしまったのだが、そこからもう一ひねりアイロニーの折り目を重ねてくれるならまだしも、ただゴチャゴチャしているだけで締まりのない作品だった。今回面白かったポイントは、三浦宏之の足を船のオールに見立てるシーンに昆虫のモチーフが混ざり込んでいたこと。想像力の中で船と昆虫が一緒くたになっている。ついでにロボットとかヴィデオデッキとかも一緒くたになってクローネンバーグみたいになったら面白い。曲げた膝にピンジャックを差すのとか、黒いバッグの先端から康本の両手両足が見えているところとか、エロの形象は横溢している。
<結果>寝ていた審査員少なくとも一名を含む「ナショナル協議員」による「ナショナル協議員賞」は伊藤郁女と康本雅子が受賞した。前回の黒田育世と矢内原美邦と比べると小粒感は否めないが、そんなことより、今回のこのラインナップの幅からするともう少し判断基準を鮮明に打ちだすべきではないのかなと思う。ぼくなら岩淵多喜子と小浜正寛の間で悩む。伊藤と康本はこの中間に入る。つまりどっちつかずの中途半端なところが選ばれているように感じた。
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