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ダンスとか。

ラボ5~20 #17

2005-01-22 | ダンスとか
横浜・STスポット、ゲネ。キュレーター/伊藤キム。
▼ピンク 『ぷわって突いたり くりって刺したり』
黒沢美香&ダンサーズの若手三人組、須加めぐみ、加藤若菜、磯島未来。下手側の奥の壁のくぼみにハマッて並んでゆっくりポーズを動かしていったり、シンクロしたりするのが前半。ディスコっぽいソウルがチラッと入ってすぐ消えたりする。後半はそこから飛び出し、カットアップしたSMAPでドタバタやる。三人とも体操着にハチマキをして「体操」をパロディにしている感じ。それにしても動きのねじくり方、止め方、視線の流し方、間の取り方/ハズし方、音の選び方等々、何から何まで黒沢美香であり、床に寝て互いに絡んだりすることでそれを崩そうとしているのはわかるが、まだ批判的距離を確保するまでには至ってない。20分。
▼ホナガヨウコ 『アニメカ』
散乱したマンガ本を拾ってそこに描かれてあるものを体で真似る、ということをやっているようではあるのだが、画との対応関係を客席から見ることはできないので、ただもうワケわからない奇矯なポーズとか動き、セリフなどが断片的に唐突に飛び出してくるのをひたすら見る感じになる。ビートのある音楽が時々止まって、そこにピッタリ入るタイミングで「ウワァッ!」とか「まだだよ」とかいった文脈なしのセリフが発せられ、これによって一見デタラメに動いているようでも実は音楽を完璧に聞いているのだということがわかり、体と音楽が一つの平面にカパッとはまる。音にノるというのとは違い、かといって音と体が並行しつつ「等価」に流れているのとも違う。表現としては正直よくわからなかったが、気になるという点では今日一番気になったのがこれ。11分。
▼捩子ぴじん 『呪い』
私見によれば大駱駝艦の中でも一際志の高いダンサーだと思っていたが、退団してしまったのだろうか。光りそうなぐらい明るい緑色で全身を塗り、顔だけ白で、白いフリルのような布を腰の辺りに付けて真横向きに立つ。色からして宇宙人みたいだが、本当に地球の生き物とは違う組成をもっているかのような、異様な佇まい。鎌首を前後に動かしたりしていて、しばらくすると静かに、しかし速く客席の方を振り返る。これを何度もやる。一部のお客がとにかくバカ受けしていて、ぼくもニュートラルには見られなかったが、それはそれで良し。笑いのツボというやつは一度ハマるともうそれこそ「箸が転がってもおかしい」という、どんな小さな変化にも反応し、変化がなければないでそのことにまた反応してしまい、止まらなくなるもので、それがまた人にも感染する。シリアスというかホラーっぽいノイズがずっと流れていて、暗い照明で、恐怖を狙っているのか笑いを狙っているのかわからない辺りは見事というべきだろうと思う(大体タイトルが素晴らしい)。動きとしては前半の歩き回る部分が凄かった。数歩歩いては向きを変えるのだが、向きを変えるまでの間に一度も同じステップがない。歩行に反復が含まれていないのだ。いってみれば7拍子で歩いて、次は9拍子、次は17拍子、次は5拍子、という具合。角度やスピード、力の配分、着地点、重心などがガンガン変化してギクシャク進む。適当な「千鳥足」とかではない。コントロールが利いている。後半にも歩行シーンがあり、あれが出るかと思ったが出なかった。舞台中央のスポットに立って上に伸び上がりながら白目を剥き続ける時間が長い。全体ではやや冗長で、緊張感がもたなかった。「舞踏」だが、その活用の仕方に方法論的な意識の萌芽を感じる。20分。
▼AMM 『それぞれの探し物』
大人から子供まで総勢16人(本当の小学生が出ている)、振付・演出・構成/北島宏子。サラリーマンとか女子高生とか主婦とか色んな格好をした人たちが登場する、公民館とかでよくやっていそうなミュージカルとか創作劇の類ではあるのだが、単なる「平和平等」を描くのではなく、それぞれに個性があり諍いもあり、と「多様性」を描写している点はなかなかに同時代的であると思う。しかし集団における多様性は、個々人においては「他者との緊張関係」として解釈され引き受けられねばならないのに、ここでやられていることは結局ありがちなマスゲームや、ミュージカルの幕間劇みたいなものでしかない。つまり世界観は同時代的でも、表現はそれに追いついていない。ディレクターにおける「多様の統一」が行われてしまっている。19分。
▼PORT+PORTAIL 『あ。』
まず下手の床にコントラバスが置かれ、男(河崎純)と女(Kim Miya)がそれを挟んで座り、ビールを飲みながら交互に弦を弾いていく。その行為が「会話」のアナロジーになっている。いや少なくとも何らかの情報を交換しているわけだから、これは一種の会話であるだろう。このシーンが終わると Kim Miya は踊り、河崎純は演奏をする。とにかくコンセプトが見えず、仲が良さそうだということだけが見える。最後にいきなりキスして終わる。13分。
▼Benny Moss 『NK』
垣内友香里(振付)、根岸由希。黒いストッキングをかぶった女が正座して下手奥に座っているのを見た瞬間フィジカルシアター?と思ったがプロフィールを見ると案の定、錬肉工房からストアハウスカンパニーという経歴である。上手手前にもう一人同じ格好の白ヴァージョンの人がいて、この二人が互いに関係を変化させながら感情を発露していく(NとK、根岸と垣内)。叫んだり泣いたり叩いたり、立場が逆転したり、感情が入れ替わったりする。ダンスは言葉を使わずに表現しなければならないから…なんていう言い方がよくされるが、どうして「言葉を使わずに」とわざわざ断らねばならないのかと思う。ダンスが、そのままで、ダンスであるというだけではなぜダメなのか。この人たちにも、「言葉を使わない」という「消極的」な条件に寄りかかろうとする浅さを感じてしまう。ダンスということに、あるいは身体表現ということに積極的な性質を見ず、ただ言葉や意味によっては決定されない両義的で不安定で反転可能な関係なるものを、その程度のことでしかないものを、再現=表象的に演じている。貧しい。20分。
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2 コメント

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素晴らしい評論だと思います (ぴっきぃ)
2005-02-07 09:19:42
こんにちは初めまして、この前ラボ5~20 #17を

見に行った翌日に、この評論を発見し読ませていただきました。おかげさまで今回の作品に付いての理解を深めることが出来ました、ありがとうございました。

私は道楽で踊りをやっていて、ラボ5~20 #17のオーディションを受けて落選した一人です。本業の傍ら、時々作品をPATIOやブリックワンとかで上演しています。創作に時間的な制約はあるものの経済的制約がないという状況にあり、才能ある多くのクリエイターの皆さんとおそらく違って、道楽で踊りを作っています。それが弱みでもあるのだなあと感じることが多いです。

舞踊をやっている友人にもここの評論を紹介し、作品について話し合いました。

プロの評論家の方なのでしょうか?今後も続けていただきたいと思います、楽しみにしています。
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光栄です (ムトウ)
2005-02-10 14:10:14
評論というほど大層なものではありませんが…

そういえばこのブログからホームページへリンクするのを全く忘れてました。BOOKMARKに入れたので、もしよろしかったらそちらもご覧下さい。
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