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ダンスとか。

ダンス トリエンナーレ TOKYO '06(Bプログラム)

2006-10-29 | ダンスとか
表参道・スパイラルホール。
▼斉藤美音子 『整形』
井手茂太の振付によるソロ。登場したと思ったら両肩がやや前に出気味なイデビアン風の直立姿勢でなかなか動かず、何度も入退場を繰り返すのは井手のソロと同じパターン。イライラさせておいてノイズ音がリズムを刻み始めると同時に始まる最初のダンスのピークは振りが濃密に詰まっているのだが、回転しながら異様に胸を突き出して(胸部の推進力で?)移動とか、1.5回の反復など、意表の突き方がとにかくマニエリスティックで(というか主にバレエという閉じた体系への悪意でしかなくて)、確かに予想を裏切られることにドキドキしつつもどこかで「だから何なの」と言いたくなる。後半は小林麻美が歌う『雨音はショパンの調べ』がずっと続き、安いシンセドラムに合わせてドラムスティックを使う。自虐的なまでに下らなくて、ピクリとも笑うことを許さないというかそもそも正視を許さないほど徹底的にサムい、シニカルな屈折ぶりによって「80年代」とアナクロニックな心中を遂げる。本質的にはもの凄く凶暴な表現なのだと思うがそれすらも共同体的に自閉していて、外にはほとんど漏れ聞こえない。不毛なる密室の猟奇。30分。初演。
▼トンミ・キッティ/トンミ・キッティ&カンパニー 『Pasos Nuevos, second movement』
Tommi Kitti / Tommi Kitty & Co.
フィンランドから。真上からの円形の照明の中で踊るキッティの短いソロ、音楽はフィンランド人と思しきミュージシャンによるピアソラ。大きな体でフロアをも使って激しく体勢を変化させながら四肢を振り回す大味な動きばかりだが、原則としてフレーズの反復が排除されていてひたすら次々と新しいフォルムが現れ続ける。それゆえ Pasos Nuevos(New Steps)というわけだが、レイナーの『トリオA』と決定的に違うのはあくまでもダンスとしてのドライヴがかかっている点で、だから見ていて個々のフレーズに明確な単位としてのまとまりを与えることがいつまでもできず、常に動きの末端が開きっ放しになっているような居心地の悪さから奇妙な焦燥感が生じる。ヨロヨロと急き立てられるように見てしまう。もちろんそもそもフレージング(動きのフォルム化)への欲望すら干上がらせる『トリオA』はもっと手が込んでいるわけだし、反復のないフレーズの集積ぐらいのことはさほど珍しい発想でもないと思う。ただダンスとして破綻なく成功している。「second movement」というのはより大きな作品の一部ということか。7分。2006年初演。
▼トンミ・キッティ/トンミ・キッティ&カンパニー 『Spiral』
サトゥ・ハルットゥネン Satu Halttunen との男女デュオ。ほぼ同じ照明のセッティングで、ベースやパーカッションなどの音楽。「反復なし」にしろ「螺旋」にしろ、この振付家は幾何学的というか抽象的な構造に執着するスタイルなのかも知れないが、この作品の「螺旋」は見ていてもよくわからなかった。リフトやユニゾンなどを織り交ぜた良くも悪くも「普通」の内容に思えた。二人ともパーツは大きいが形を外に向けて誇張しないで踊りを楽しむ感覚が動きをスムースにしている。18分。2000年初演。
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