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ダンスとか。

武内靖彦 『重力の都 遷都計画1』

2006-06-18 | ダンスとか
野方・スタジオ サイプレス。
入り組んだ住宅街の中を進んだところにある、個人宅の一部を改造したスタジオが会場。20人しか入れない「秘演」といわれると理屈抜きに見たくなってしまう。真っ暗闇に舞台奥上方からスッと光が差し込むと、上半身が日本海軍のような制服に制帽、下半身がロマンティック・チュチュのような生地を何枚も重ねたスカート、という格好の武内が座り込んでうつむいていた。武内の舞踏は前に麻布die pratzeで一度見たことがあって、その時にもこの衣装が使われていたような気がするが、そのミスマッチ感は今回強烈に主張していた。帽子を目深に被って動かない堅牢な彫刻じみた体が、徐々に大きくなってくる地鳴りのような音にただ身を晒しているその緊張感で、視線が一点に集中させられ、意味の上でズレた上半身と下半身との、そのズレをひたすら見つめることになる。つい意味を求めてしまうけれども、ただじっとしていて何も展開してくれないから、手がかりは与えられないままだ。「ズレている」、その事実をただ見つめて、収まりのつかない、居心地の悪さに耐え続ける。と同時に、動かない武内は、動かない(身を静止状態に留め置く)という動きによって、光と漸増する音と活発に戯れているように感じられもした。戯れているとはいっても複雑な駆け引きなどがあるわけではなく、むしろ環境の中で環境とともに颯爽と歩んでいる、光と音の波に乗っているといったような感触に、どこか、子供が何かになり切っている時のような(「ごっこ遊び」のような)興奮を味わわせてくれるものがあった。そのまま一通り時間が過ぎて、溶暗する。また明かりが入ると、力を込めて震えたり、舞台手前にグッと迫り出して来たりもする。しかしどうも、武内は空間をつかんでいないような気がした。つまり視覚的な配置にせよ、観客の体との位置関係にせよ、何が行われているのか見ていてもよくわからない。武内が自分のすぐ傍にいても、自分との間に関係があるのかないのか、どう絡んでいいのか見当を付けられないのだ。壁に寄って、そこに映った影をなでる場面があり、その手つきや目はエロティックなのだが、それをこちらに見せているのかどうか、やはりわからない。わからないなりに、それでもそのつもりで見ようかなと思うと、すぐ止めてしまう。ただ、前回見た時にはとにかく終始「動かない」という印象が強く残ったので、それに比べると舞台中央で激しく身を宙に躍らせるなどといった動きが意外に思えた。そしてそうした比較的激しい動きにおいて武内が見せる「不完全さ」「闇雲さ」にだんだんと意識の焦点が絞られていった。つまり武内は、決して若い踊り手ではないのに、ほとんど何の技術的な裏付けとも関わりなく、単に高めた衝動でもって動こうとしているようなのである。何かをイメージしたり、腹筋を中心に力んだり、バランスを崩したまま跳んだりする。それは非常に素朴な行為に思えたが、そうした素朴な行為をこのようにやれるというところにむしろ、手軽にそれらしい形を得ようとしてしまう若いダンサーにはない種類の思い切りを感じた。46分。
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