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ダンスとか。

オガワ由香 『意志の螺旋(7) 火の輪郭』

2004-06-18 | ダンスとか
千歳烏山・studio GOO。
真新しい小さなフローリングのスタジオ、上手奥にガスコンロがあり、それが全暗の中でボッと点火される。妙に艶めかしい。気合を入れて構えていると無味乾燥なステップを踏む音が聞こえてくる。味のないガムをひたすらかみ続けるような、黒沢系行為。しかし明かりが入ると、すぐに出口→のひどく調子っぱずれなパーカッション(スティックで色んなものを叩く)が入ってきて、たちまち舞台は騒々しくなってしまった。集中力をアゲてかないと退屈になってしまいそうなダンスへの集中が徹底的に妨げられる、何という仕打ちだ。出口→は壁や床を叩きながら前にどんどん出てきて、およそ繊細さとは対極にある無計画な振舞いを続け、しばしばオガワの方に目をやる。リアクションを求め、何とか自己の存在を承認してもらおうとすがるこの男の目線は、黒沢美香と共演した時の万城目純のそれに似ていた。オガワ由香はもちろん目など合わせることもなく、いかにも泰然自若とした姿勢を崩さないのだが、この決して見映えが良いとはいいがたいコントラストをどう楽しんだらいいのかこちらにはなかなか見えてこない。宙吊りになった懐中電灯だの、シャボン玉マシンだの、小さい動物のミニチュアだの、紙袋だの、小道具はたくさん用意してあるのだが、そんなもので波風が立つほど舞台が凪ぐことはない。するとおもむろに客席から緑色の衣装のヘンな男が一人乱入し、さらにもう一人。緑の男はオガワに絡もうとしたり、舞台奥でボサッとしていたりする。後から来た男は自由連想方式で詩みたいなお喋りを始める。Aは体に色々仕込んでいて、ズボンの中から草がはみ出しており、全部脱げばゴロンと柚子が転がり出し香ってくる。それでもオガワは絡んでいかない。ものすごい、笑える画だ。構ってほしい男たちが、引き付けられては返り討ちに遭うこともなくただ所在無げにしており、かといってオガワのソロダンスがそれとして成立しているわけでもなく、ひたすら異物を受け入れつつ関係を遮断して当惑を押し殺している。詩の男は何となく引っ込むことに成功するが、緑の男は引っ込めない。それを出口→が引きずってハケさせ、後を掃除する。そうかと思うと今度は出口→の出番となって、最後までグダグダと1時間強。自分は何をしに来たんだろう、と考えることも虚しく思える。
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Big Dance Show vol.2

2004-06-18 | ダンスとか
ショーアップ大宮劇場。
一日4ステージのうち2ステージ目から入ったが、ゲストの Ko & Edge(Ko 抜き)はこれが1ステージ目。まず両腕を縛られた目黒大路が這いつくばるようにして現われ、続いてその縄を持った鈴木ユキオと林貞之が出てくる。目黒はグルグルに巻かれて置いてきぼりにされ、二人は舞台奥でなぜか半ケツになって一旦消える。再び林が出てきて口琴とか色々やって、鈴木がいつもの彼らしいソロ(全身を突っ張ってマイム風にバラして動き、伸ばした腕をアメリカンクラッカーの如くココンと手首の辺りでぶつける)を踊って、四つん這いの目黒を連れた林が出ベソの回転台(この劇場では、突き出した部分がそのまま回転するようになっている)をグルグル歩き回る。いつもの Ko & Edge のイメージから大きくかけ離れた無茶なことはしていなくて残念。律儀だ。それにしてもこれから「プロ」のダンサーが出てくるのかと思うと、ちょっとドキドキしてしまう。舞踏にしろコンテンポラリーにしろ、新潟を除き日本にプロのダンサーはいないわけだけど、ストリップの人たちは曲がりなりにも芸で食っているのだ。しかしそれもちょっと考えすぎだったらしい。しょっぱなの浜崎みうは踊りといってもエアロビクス程度のもので、あとは表情と雰囲気だけのロウソクショーだし、二番手の大信田ルイは一応踊るといってもそれを売りにしているようにはちょっと思えない。神田優子はかなり踊るが、とにかく振付を無理矢理こなしまくっているから見ていても苦しそうだ。踊りをもっと大事にしてほしいと思った。ここまでで段取りの基本パターンを把握。まずゴージャスな衣装で現われて軽く流し、ちょっと脱いで一度引っ込み、脱ぎやすい衣装にチェンジして再登場、あまり引っ張らずに結構あっさり(しかも一気に)脱ぎ、回転台でマスターベーションしつつ延々とご開帳、メローな音楽に変わってまた袖に入り、ユーロビートがかかって、下半身を出した衣装で軽く盛り上げて終了。一人20分。これでもかとひたすらモロに見せ続けるのでエロくなく、何が面白いのかわからない。このご時世、難しい世界なのだろう。とりあえず「生」ということに賭けるしかないのか。しかし次の御幸奈々、彼女は「本格派」という前評判を聞いていて、なるほど納得だった。和風(というか「アジア」風)の出で立ちで、ヌンチャクのように紐でつながった鞠を持って踊るのだが、何しろ振付の密度が異様に濃く、しかも速い。見たこともないような斬新な動きをしているわけではないが、振付密度では昨日の金森穣といい勝負だ。体中を使って一度に色んなことをやっているし、しかも音楽をちゃんと拾って要所要所で合わせたりもしている上に、時折ジャンプキックのようなアクションも織り交ぜる。ダイナミックに激しく動きながら軸がブレず、顔をしっかり付けているから振りがクリアに決まる。もちろん他の人のようにハイヒールなんか履いていない。ブーツだ。着替えた後もヒールはあくまで低い。身体という限られた空間を割って割って折って詰めていきたい、どうしてもそれがやりたいという一種の空間恐怖にさえ似たダンス的欲望をひしひしと感じる。しかし惜しむらくは、踊り自体が振りほどは強くなかったこと。音との距離がやや緩くブカブカしていて、どうも手を抜いているような気がする。もしかして70%程度なのではないか。一度本気を見たいと思った。マスターベーションの部分も、この人だけ衣装で隠してチラリズムをやるし、回転台の上で回りながらまず向こう側半分にだけ見せ、少し間をおいて今度はこっち側半分にだけ見せる、ということをちゃんと計算している。次の五木麗菜は「囚われの乙女」みたいなストーリー仕立てになっていて、ちょっと特殊。現代舞踊みたいとか言ってはいけない。トリの新庄愛はまたエアロビのインストラクターみたいな風情なのだが(しかもどことなくニューハーフっぽい)、全員の中ではいちばんノリよく踊る人。振付にはさほど凝っていないが、黒いダンスを少しやっているように思われた。一瞬ウィンドミルが出そうな勢いだった。最後はフィナーレで全員出てきて(ゲストは並ばない)、新庄愛が慣れたアナウンスでキレイにまとめる。それにしても、まあ裸を見せる商売だからみんな体はすごく綺麗なのだが、つくづく踊りって何だろうと思う。踊ることによって、踊っている間だけ、体に何かが付け加わる。モノではなくコトであり、実体ではなく現象でしかない。次のステージの Ko & Edge だけ見て出た。一回目より林貞之が良くなっていた。ちなみにこの劇場の照明や音のオペはB級。
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