40からのインラインsk8

娘にさせようと買ったのに、逆にハマってしまった中年男。果たして自由自在に操れる日は来るのか?

CR番外編 長島愛生園 10

2009-03-07 11:36:27 | CR番外編
長々と書き込んできた番外編も今回で終わり。最後は愛生園から見える瀬戸の海です。長島は島全体が療養所なので、民間の開発がされていない手つかずの海岸線があちこちに残っています。この写真のあたりもワタシが幼い頃に見た瀬戸内海の自然海岸そのものの風景が広がっていました。瀬戸内海の春先なんかはホント、極楽のイメージです。

 しかも療養所と言うことで敷地内での釣りや魚介類の採取は禁止されています。長島の周辺は開発され尽くした瀬戸内海にあって、あるべき姿をそのまま残す貴重な空間ですねー。

 さて、ここを訪問しての印象ですが。「インラインは出来なくもないが、ちょっと遠慮した方が良い雰囲気」です。療養所なんだから当たり前ですが。でも遊びに気楽に訪れるってのは「アリ」だと思いますよ。日本の人権史に大きな問題とそれを克服しようとした人々の尊い業績を学ぶだけでも愛生園を訪れる価値はあります。春爛漫の時期にぜひ出かけてみてはどうでしょうか?

CR番外編 長島愛生園 9

2009-03-06 08:49:40 | CR番外編
今回の写真はスーパーの側にある理髪店です。高齢で路線バスに乗るのも大変な方が多いので、園内には理髪店も完備。園内だけの生活で特に不自由を感じませんね。

 この周辺が愛生園の中でも平たい場所が多くてインラインするならまぁまぁかな?と思いましたが、ブラインドコーナーたくさんがあるので、”もしお年寄りがそこにいたら!”と思うとさすがに怖くなります。現に園内の交通事故は多いようで、あちこちに「制限速度20キロ」「事故多し!注意!」の看板が。長らく本州との交流がなかったからか、園内の道幅は狭く、カーブはきつくて曲がりくねり、坂も急。車が走りまわるようにはなってませんな。長島内ではあちこちで工事を行ってますので、関係車両が走る度にコワイです。

 2008年にハンセン病問題基本法が制定されたのを受け、これからは地域に開かれた医療施設として運営されて行くであろう療養所。本州の患者さんが風邪やねんざなどでも気軽に長島の療養所を利用するためには園内の道路環境の整備をしないといけないと思いますなー。

CR番外編 長島愛生園 7

2009-03-04 07:41:54 | CR番外編
入園者の方の住まいです。入園者は平均年齢80歳以上とか。長年の隔離政策で地元と強制的に引き離され、身寄りも既に亡くなってしまった方の中には自由に往来が出来るようになった現在も地元へは戻らず、ここで生活する方がよい、と居住を続けていらっしゃいます。しかし重い後遺症や高齢のために一人で身の回りのことができないことも多く、職員がサポートしているそうです。高齢者に対する在宅介護については愛生園は全国の最先端を走っている気がします。各家庭へ日用品の配達をしていたり、ここには写ってませんが、生協の宅配用の車も見かけました。

CR番外編 長島愛生園 6

2009-03-03 07:48:15 | CR番外編
園内の道路は幅が狭く、舗装も綺麗になってるところもあれば継ぎはぎのあるところもあります。園の奥へと進むと坂道が急になって、インラインでは交通事故起こしそうだ。もっとも「療養所」という場所でインラインをするのは常識的に”?”ですけど。

 そんな軽トラでも側面擦りそうな道を通っているときに見つけたのが画面左に写ってるスピーカー。なんでも目の不自由な入園者が移動する際に手がかりになるように設置されているそうで、この日は地方ラジオの女性パーソナリティがワイワイしゃべっている声が大音量で響き渡っておりました。正直”へぇー!”こーゆー「新たな知見」が広がるから、CRはやめられませぬ。

CR番外編 長島愛生園 5

2009-03-02 17:53:07 | CR番外編
万霊山納骨堂ですねー。天皇陛下も御献花された園内の聖地。3500名近い方が眠っておられます。この日はあんまり天気が良くなかったんですが、晴れたらさぞキレイな風景が眺められる気がしますよ。

 園内では葬儀が非常に重要な地位を占めていて、葬儀のある日は当日の諸行事が中止になってみんな参列した、と言われています。納骨堂は平成14年に改装されて、非常にきれいでした。

CR番外編 長島愛生園 4

2009-03-01 09:44:51 | CR番外編
さて、歴史館で職員の方に「園内見て歩きたいんですが」と聞きますと、「どうぞどうぞ。ゆっくり見てください」と笑顔で送り出していただけました。

 館を出て坂を降るとそこに看護学校があります。こじんまりとした外観ですが、若い子が学ぶ学舎はなんとなく華やいでますなー。周囲にはここへ通う生徒さんの乗り物なんでしょうか?何台か置かれてました。イマドキのマスコットやらシールが貼ってあって、さきほどの”お堅い”雰囲気とはまた違った感じですな。若い生活感があるというか。

 では車で園内を一回りしてみます。

CR番外編 長島愛生園 3

2009-02-28 09:24:50 | CR番外編
歴史館です。昭和初期の建築で、当時は園の事務など、運営の中心的な役割を果たしていた建物です。この日はどこかの学校が学習会に訪れていました。ワタシもちゃっかりその一団に紛れ込んであちこち見学。内装がずいぶん改装されていて、でっかいスクリーンを備えたホールやパソコンで資料を検索したり、ビデオを見られたりする閲覧室などがあって「相当気合が入ってるなー」と感心。そういう部屋はセンサーで自動点灯する照明も備わっていて至れり尽くせりです。ただし入館には事前に予約が必要ですが。(ホント、学習会に紛れ込まねば入れないとこだった)

 この建物で特に印象に残ったのが資料室と園長室。資料室にはハンセン病に関するありとあらゆる書籍、園内で発行されていた会報や行事の記録、来園者の記録や皇族方の活動記録などとともに国家賠償訴訟に関する資料がずらり。それも新聞記事や雑誌の切り抜きではなく、入園者の日記や証言を記録したものなどの第一級資料がファイルに細かく整理されていて壁一面を埋め尽くしています。そのインデックスを見るだけでハンセン病に対する長い差別と偏見の中で苦しんできた人々の声が聞こえてきそうで、正直圧倒されますな。

 また1Fの園長室は歴代園長の写真とともに執務机が置かれ、いろいろな資料も展示してあります。初代園長の光田健輔については日本ハンセン病の父、ハンセン病研究への国際的貢献、患者救済への取り組みなどの光の部分と隔離政策、ハンセン病患者への断種・中絶手術の断行、周囲の人々の偏見を助長したなど、人権に関するいろいろな影の部分をも指摘されている人物ですが、部屋に飾ってある写真は功なり名を遂げた証である文化勲章をかけたもの。展示では多くの業績とともに問題点にも触れていて、否定しつつも否定しきれないという、複雑な気持ちが伝わってきたなー。

 この歴史館から奥にハンセン病の方々が生活していた地区があります。ちょうど外界との境目に建てられていたんですね。

CR番外編 長島愛生園 2

2009-02-27 08:55:27 | CR番外編
島内にはいるとすぐ光明園が。その側を通り越してどんどん細い道を進んでいきますと愛生園につきます。島の小さな山が上手い具合に愛生園を取り囲み、”懐に抱かれた”って感じがしました。逆に言うと本州側から全体が見えないように隠されてるんですねー。愛生園周辺の時間は明らかに本州とは違った流れ方をしてます。

 案内板をしげしげと眺めます。色んな施設がありますなー。生活に必要な物は一通り揃っています。このあと園内をぐるりと一周したんですが、案内板ではかなり広いイメージですが、実際は歩いてすぐの所にぎっしりと施設が並んでいますわ。

 まずは歴史館へ。なんといってもここは療養所。後遺症や障害に悩む高齢の方が生活する場所です。物見遊山な気分で不快な思いをされるような行為は慎まねばなりません。やはりどういうところか、ということを正しく学んでおかないとねー。

CR番外編 長島愛生園 1

2009-02-26 09:28:43 | CR番外編
うっとうしい雨が続く今日この頃ですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?
ワタシは滑りたくてストレスが溜まっております。そこで地図を眺めてほっつくととに。近くでよさげなところは・・・おっ!車で1時間ほどの所にハンセン病の施設として名高い「長島愛生園」があるじゃないの。ということでインラインの道具一式担いで行ってきました。

 写真は長島と本州を結ぶ「長島大橋」です。現在長島には光明園と愛生園の2つのハンセン病療養施設があり、多くの入園者さんと職員の方が生活されています。長年の”隔離政策”によって本州と長島の間には橋がなく、交通に大変不便でしたが、昭和63年にこの橋が架けられました。現在では路線バスも運行されて長島と本州は気楽に行き来できるようになっています。