40からのインラインsk8

娘にさせようと買ったのに、逆にハマってしまった中年男。果たして自由自在に操れる日は来るのか?

大阪CR 12

2008-01-09 12:40:28 | 大阪CR
いよいよ大阪CRレポートも最終回です。大阪城を出て、NHK大阪放送局前を通って大阪駅へ戻ろうと思います・・・が大きな道を滑ってばかりが大阪CRではない!とよせばいいのに欲を出したワタシは御堂筋へ向かう道を大通ではなく、路地裏を縫って行ってみました。

 ・・・が、やはり道に迷った!どこを滑ってるのかだんだん分からなくなって、しまいに方位も怪しくなってしまいました。だって見渡す限り高いビルばかりで見通しがきかないんだもの。しかも路上駐車に自転車、歩行者に店先の品物と気を遣うものばかり。だんだん訳が分からなくなり・・・悪戦苦闘して大通へ出て、案内表示があるところまで滑っては方向を修正する、という作業を繰り返し、だいぶ時間がかかってしまいました。と言うわけで、焦って滑っていたときの写真はありません。そんな余裕がなかったのよ・・・

 そんなこんなしているウチにふと気付くと心斎橋にいまして。このあたりになるとなんとか大阪駅方向が分かってきました。そのまま御堂筋へ出て一路大阪駅へ。
 御堂筋は人が多かったですが、滑りよかったです。他もこんな風ならいいのに・・・。

 とにかく事故もなく、関西最大の都市、大阪を(まがりなりにも)CRしました。こりゃ関西ならどこの町でもCRできそうだ。次はどこいこうかな・・・

大阪CR 11

2008-01-08 08:09:50 | 大阪CR
桜門を下るときもそうだったんですが大手門下のスロープを下るときもとっても怖かったです。坂は案外急だし、人は多いし。こんなところで無様にコケるのはイヤだけど、ブーツ脱いで靴に履き替えるのも面倒だし。

 横着しようとすると人は工夫しますねぇ。スキーみたいにカニ歩きで下るのは時間がかかると思ったのでスピンターンを繰り返して下りました。しかも同じ方向に回ったら目も回るから8の字描いてみたりして。ちょっとスペースを取ってしまうので迷惑かけたかもしれませんが、こうすれば意外と急に思える坂も案外降りられてしまうもんですねー。

 さて、本丸南側へ移動して、大阪城に別れを告げようと思います。やっぱりこの石垣はスゴイわ。幕末の古写真を見るとこの石垣上に連綿と櫓と塀が続き、見る者を圧倒します。もし現在これらの建物群がすべて残っていたら、さぞ壮観だったと思います。幅は広いし、深さは深いし。うーん、イイですなー。

 さて、お城を後にして、大阪駅へと戻ろうと思います。

大阪CR 10

2008-01-07 08:17:17 | 大阪CR
みなさま、新年あけましておめでとうございます。年末年始は私用でばたつき、ブログが更新できませんでした。というわけで、年が改まったにもかかわらずまだ「秋」にしたCRのレポートの続報です(笑)

 さて、天守を後にして豊国神社のあたりをうろうろしていると、立派な石碑が。なんか浄土真宗のお寺があったらしいですねぇ。そういえば大阪城の出来る前は織田信長が手を焼いたという石山本願寺があったらしいし。読んでみたものの、イマイチ理解できなかった。まだまだ勉強が足りませんなー。

 その石碑の横にずいぶん立派なスロープがありました。この坂、インラインスキーしたらさぞおもしろいでしょうねー。自分の技量ではてっぺんから滑り降りる勇気がなかったんですが・・・また今度来たときにはストック持ってこよう。

 スロープを見た後は大手門へと向かいます。いよいよお城見学も終わりです・・・

大阪CR 9

2007-12-28 09:38:01 | 大阪CR
いよいよ天守閣とご対面です。いやぁ、大阪のシンボルだけあってでかいですなー。しかも緑色の屋根に金シャチがまぶしい!目の前にそびえる天守閣は1931年に大阪市民の熱意によって鉄筋鉄骨コンクリートで築城されました。地上55m、徳川大阪城の天守台に五層の天守閣が立ち上がっています。下三層は徳川時代の天守閣をまね、その上に豊臣天守を模した高欄付き最上階を載せたいわば「複合型」です。江戸時代の土台に鉄筋コンクリート建築を載せるには強度が心配ということで何本もの杭を打ち込み、その上に築城したそうです。しかし戦前の日本全体がさほど豊かではない頃によくぞこの規模の建物を造るだけの寄付が集まったもんですなぁ。当事の城に掛ける思いのほどが伝わってきます。

姫路城という「本物」をよく見る機会があるワタシには天守を間近に見て城ではなくビルという感じを受けました。姫路城は石垣も天守自体も職人の手で一つ一つ造られたためか、微妙なゆがみや誤差、丸みがあります。キレイに仕上げられているようでもどこかに「脇の甘さ」が感じられるんです。それをたぶん”温かみ”というんでしょうが、今見上げている大阪城天守閣には定規でシャープに計測され、機械で削り出されたような無機質感があって手工業品というより工業製品を見ている印象があるんですよねー。それが手で積み上げられた石垣群のなかに鋒立していてなんか写真やTVなんかで見ていたのとは違うなー、と思いました。

さて、天守のそばにはお土産屋さんが並んでいて、そこに信州かどこかからの修学旅行生が大勢たむろっていました。その生徒の側を当たらぬようにスイスイとすり抜けると路上パフォーマンスを見るような視線を投げかけてくるじゃないですか。うひひ・・・ちょっとうれしかったりして。でも子ども連れの家族や外国からの観光客やでそこらじゅう人だらけ。かっこつけてバックで滑ってみたかったけど事故りそうでやめました。

写真右の金蔵は天守から少し離れたところにあります。空襲の被害も免れた江戸時代の貴重な建造物。今の目からするとちっちゃく見えますが、大判小判がこの建物の中全部に充満してたかとおもうとやっぱりスゴイですよねぇ。盗難を防ぐために床を石敷きにして地下からの侵入を防ぐなど、各種の工夫が凝らされているそうです。

大阪CR 8

2007-12-26 08:39:16 | 大阪CR
もうクリスマスも過ぎて、年賀状もポストに入れた今日この頃というのにまだ秋のCRをレポートしているワタシ。しかし大坂城はでっかくて、そう簡単には全貌を捉えることが出来ません。・・・というわけでひつこく更新だ!

 さて、桜門を入って振り返りますとこの門の形式がよく分かります。裏側に屋根付きの補強が付いた「高麗門」形式。なかなか格調が高くてワタシは好きな形式ですな。その門の両側に連なる土塀には狭間が設けられていますが、さすがに築城技術が完成に達した頃の作らしく、土塀の土台部分の石垣上端をキレイに削り、狭間の一部分としています。またこの狭間の形からは弓矢より銃を用いることを想定しているのが分かります。(弓矢を使うには縦に長いスペースが必要ですがこの狭間の形は横長)銃が主流になると狭間は「銃眼」と呼ばれるようになります。

 さて、蛸石をすぎて本丸に入るとどーんと洋風の建築物が目に入ってきました。この建物、旧大阪市立博物館は昭和天皇の即位を祈念し、昭和6年に市民の寄付によって当時の金額にして150万円が集められ、天守閣の再建、大阪城公園の新設と合わせて、第四師団司令部として建設されたんだそうです。

 戦後は大阪市警視庁として、その後は大阪府警本部として使用されてきましたが、改装し昭和35年から平成13年まで、大阪市立博物館として使用されました。

大阪CR 7

2007-12-24 08:48:11 | 大阪CR
いよいよ本丸に向かって進んでいこうと思います。

まずは三の丸をぐるりと滑って玉造口方面へ。このイチョウ並木の道は滑りよいですなぁ。ジョギングする人や散歩する人がのんびり行き交う中、スイスイ~と滑る感覚はとっても快適です。しかもこのCRした日は黄色く色づいたイチョウがとてもキレイでますますα波出まくりでしたよ。これだけ幅があればちょっとくらいパイロン置いても大丈夫ではないかしら?イベントがある日なんかはクレームが出るかもしれませんが・・・。

しばらく行くと左手に大阪城ホールが。一万人の第九を演奏したりするホールですね。城郭ファンのワタシ的にはこういった施設より武家屋敷だの大名庭園だののほうが嬉しいんですが21世紀では時代錯誤ですわな・・・。

さて玉造口を入って(ここのスロープはインラインには上りにくいですな)左折し、一番櫓を左手に見ながら本丸へ進みます。すると桜門が!この門、スロープの下から見上げてみると遠方に天守が見える設計で、なんだかわくわくさせますなー。この門のスロープもブーツを履いた足にはやっぱり登りにくいですがそんなの関係ねー、とばかりに這い上がり。桜門門扉周辺はでこぼこしてて静止しにくい。が、門を入って正面にものすごい巨石が!これが有名な蛸石ですな。よくこんなものをここまで持ち上げて設置したもんです。まぁ実際は薄く削った板状で、さほど体積があるわけではなく、見かけ倒しなんですけどね。

さていよいよ天守閣とご対面です。

大阪CR 6

2007-12-20 16:50:30 | 大阪CR
大阪城方面へ滑っていますと川上に変わった形の船が。これが大阪名物「水上バス」ですな。川面から見上げる大阪の街はなかなか風情があってよいそうなので、いつか乗ってみたいもんです。

 さて、京橋口から大坂城へ向かいます。北外濠越しに天守閣を望むとなんだか興奮しますなー。しかしでっかい!姫路城も大概でかいですが、さすが豊臣大坂城に盛り土までして徳川の威光を天下に知らしめんとしただけのことはあって、スケールでかすぎ。堀見ただけで難攻不落の四文字が浮かんできます。

 この石垣は見たところ野づら積み。徳川大坂城を築いた頃は石材加工技術も成熟し、隙間なく積み上げることも可能でした。確かに本丸周辺はそんなキレイな石垣が続いていますが、全部そんなことしてたら時間が掛かりすぎるので目立つところだけキレイにしてあとは強度に問題ない程度に手を抜いたのでしょう。そのあたりに「誰を意識して築城したか」が伺われる気がします。(←この場合は西国外様大名を主要ターゲットにしていたことでしょう)

 三の丸・大阪城ホール方面へ滑っていきたいと思います・・・

大阪CR 5

2007-12-19 08:06:21 | 大阪CR
中之島を過ぎて北浜に入ってきました。ここは証券取引所があるところ。道行く人の服装もスーツに鞄でビシッと決めたビジネスマンが多く見られます。写真右は地下鉄の北浜駅にあったライオンのオブジェ。なんか証券関係ってライオンがシンボルになってることが多いんですよねぇ。百獣の王の厳しいイメージが証券取引のシビアな世界とシンクロしてるのかな?このあたりの歩道は幅も狭く、舗道上に商品や段ボールや品物を積んだ車が乗り上げてたりしてちょっと滑りにくいですな。

大阪CR 4

2007-12-18 08:07:08 | 大阪CR
市役所を過ぎると淀屋橋が。「淀屋」といえば江戸初期の豪商にしてあまりの贅沢三昧をお上にとがめられて全財産没収処分になった、あの伝説の商人ですねぇ。堂島米相場を支配し、小堀遠州とも親交があったという大物ですが身分を越えたその態度が逆鱗に触れたんでしょう。ふーむ、昔の大阪人はスケールがでかい。

 さて、中之島を東進すると中之島公会堂がありました。ワタシの想像より随分小さい建物だったです。その近くに「木村重成戦死の地」の石碑が!豊臣秀頼の乳母の子にして最後まで秀頼と豊臣家のために戦い、華々しく散った彼は「花は桜木、人は武士」を体現した武将としてワタシのお気に入りの侍なんです。ちょっと滑るだけでいろんなものに出会えるのはさすが大阪ですなー

大阪CR 3

2007-12-17 08:06:12 | 大阪CR
この週末は神戸ルミナリエへ出かけて消耗してしまったちょうです。うぅ、ぐったり。

 ルミナリエへは土曜日に行きまして。元町から並ぶとJR高架沿いに神戸方面へ一旦誘導されました。それから元町商店街を通り、大丸前を過ぎ、三ノ宮方向へ流て生田筋まで来た後、再び折り返してまた大丸前まで。やっと会場に着いたと思ったら押し合いへし合いでゆっくり見る間もなくはき出されてしまいましたよ。2時間並んでまで見る価値があるか、と言われると微妙ですな・・・来年開催が危ぶまれているそうですが、それもうなずけました。警察や市当局は「安全」のことばかりで人を流すことしか考えていないし、あまりに歩かされるので観客は店に立ち寄る余裕もなく人を追い越そうとぎすぎすしてるし。店の人も一生懸命客を呼び込むのもあきらめて元町商店街は何万って人が歩いてるのに閑古鳥が鳴いてる。市・観客・地元商店がシンドイ思いをしてるルミナリエって開催場所を変えない限り限界なんじゃないかなぁ・・・と思いました。旧居留地に何十万人も人間集まれませんて。

 と余りに疲れたのでグチばかりになりましたが、大阪CRの続です。

 御堂筋を南下して大江橋まできますと、東に水晶橋が見えました。水の都らしいアーチ型の風情がある橋ですな。大江橋南には大阪市役所、道向いには日本銀行大阪支店が。中之島界隈って大阪の「古き良き繁栄」がそこここに残ってて日本一の商都だった頃が偲ばれますなー(←こんなこと書き込むと「大阪は東京に負けてへんでー!」と怒られそうだな)