40からのインラインsk8

娘にさせようと買ったのに、逆にハマってしまった中年男。果たして自由自在に操れる日は来るのか?

大阪CR 9

2007-12-28 09:38:01 | 大阪CR
いよいよ天守閣とご対面です。いやぁ、大阪のシンボルだけあってでかいですなー。しかも緑色の屋根に金シャチがまぶしい!目の前にそびえる天守閣は1931年に大阪市民の熱意によって鉄筋鉄骨コンクリートで築城されました。地上55m、徳川大阪城の天守台に五層の天守閣が立ち上がっています。下三層は徳川時代の天守閣をまね、その上に豊臣天守を模した高欄付き最上階を載せたいわば「複合型」です。江戸時代の土台に鉄筋コンクリート建築を載せるには強度が心配ということで何本もの杭を打ち込み、その上に築城したそうです。しかし戦前の日本全体がさほど豊かではない頃によくぞこの規模の建物を造るだけの寄付が集まったもんですなぁ。当事の城に掛ける思いのほどが伝わってきます。

姫路城という「本物」をよく見る機会があるワタシには天守を間近に見て城ではなくビルという感じを受けました。姫路城は石垣も天守自体も職人の手で一つ一つ造られたためか、微妙なゆがみや誤差、丸みがあります。キレイに仕上げられているようでもどこかに「脇の甘さ」が感じられるんです。それをたぶん”温かみ”というんでしょうが、今見上げている大阪城天守閣には定規でシャープに計測され、機械で削り出されたような無機質感があって手工業品というより工業製品を見ている印象があるんですよねー。それが手で積み上げられた石垣群のなかに鋒立していてなんか写真やTVなんかで見ていたのとは違うなー、と思いました。

さて、天守のそばにはお土産屋さんが並んでいて、そこに信州かどこかからの修学旅行生が大勢たむろっていました。その生徒の側を当たらぬようにスイスイとすり抜けると路上パフォーマンスを見るような視線を投げかけてくるじゃないですか。うひひ・・・ちょっとうれしかったりして。でも子ども連れの家族や外国からの観光客やでそこらじゅう人だらけ。かっこつけてバックで滑ってみたかったけど事故りそうでやめました。

写真右の金蔵は天守から少し離れたところにあります。空襲の被害も免れた江戸時代の貴重な建造物。今の目からするとちっちゃく見えますが、大判小判がこの建物の中全部に充満してたかとおもうとやっぱりスゴイですよねぇ。盗難を防ぐために床を石敷きにして地下からの侵入を防ぐなど、各種の工夫が凝らされているそうです。

大阪CR 8

2007-12-26 08:39:16 | 大阪CR
もうクリスマスも過ぎて、年賀状もポストに入れた今日この頃というのにまだ秋のCRをレポートしているワタシ。しかし大坂城はでっかくて、そう簡単には全貌を捉えることが出来ません。・・・というわけでひつこく更新だ!

 さて、桜門を入って振り返りますとこの門の形式がよく分かります。裏側に屋根付きの補強が付いた「高麗門」形式。なかなか格調が高くてワタシは好きな形式ですな。その門の両側に連なる土塀には狭間が設けられていますが、さすがに築城技術が完成に達した頃の作らしく、土塀の土台部分の石垣上端をキレイに削り、狭間の一部分としています。またこの狭間の形からは弓矢より銃を用いることを想定しているのが分かります。(弓矢を使うには縦に長いスペースが必要ですがこの狭間の形は横長)銃が主流になると狭間は「銃眼」と呼ばれるようになります。

 さて、蛸石をすぎて本丸に入るとどーんと洋風の建築物が目に入ってきました。この建物、旧大阪市立博物館は昭和天皇の即位を祈念し、昭和6年に市民の寄付によって当時の金額にして150万円が集められ、天守閣の再建、大阪城公園の新設と合わせて、第四師団司令部として建設されたんだそうです。

 戦後は大阪市警視庁として、その後は大阪府警本部として使用されてきましたが、改装し昭和35年から平成13年まで、大阪市立博物館として使用されました。

大阪CR 7

2007-12-24 08:48:11 | 大阪CR
いよいよ本丸に向かって進んでいこうと思います。

まずは三の丸をぐるりと滑って玉造口方面へ。このイチョウ並木の道は滑りよいですなぁ。ジョギングする人や散歩する人がのんびり行き交う中、スイスイ~と滑る感覚はとっても快適です。しかもこのCRした日は黄色く色づいたイチョウがとてもキレイでますますα波出まくりでしたよ。これだけ幅があればちょっとくらいパイロン置いても大丈夫ではないかしら?イベントがある日なんかはクレームが出るかもしれませんが・・・。

しばらく行くと左手に大阪城ホールが。一万人の第九を演奏したりするホールですね。城郭ファンのワタシ的にはこういった施設より武家屋敷だの大名庭園だののほうが嬉しいんですが21世紀では時代錯誤ですわな・・・。

さて玉造口を入って(ここのスロープはインラインには上りにくいですな)左折し、一番櫓を左手に見ながら本丸へ進みます。すると桜門が!この門、スロープの下から見上げてみると遠方に天守が見える設計で、なんだかわくわくさせますなー。この門のスロープもブーツを履いた足にはやっぱり登りにくいですがそんなの関係ねー、とばかりに這い上がり。桜門門扉周辺はでこぼこしてて静止しにくい。が、門を入って正面にものすごい巨石が!これが有名な蛸石ですな。よくこんなものをここまで持ち上げて設置したもんです。まぁ実際は薄く削った板状で、さほど体積があるわけではなく、見かけ倒しなんですけどね。

さていよいよ天守閣とご対面です。

大阪CR 6

2007-12-20 16:50:30 | 大阪CR
大阪城方面へ滑っていますと川上に変わった形の船が。これが大阪名物「水上バス」ですな。川面から見上げる大阪の街はなかなか風情があってよいそうなので、いつか乗ってみたいもんです。

 さて、京橋口から大坂城へ向かいます。北外濠越しに天守閣を望むとなんだか興奮しますなー。しかしでっかい!姫路城も大概でかいですが、さすが豊臣大坂城に盛り土までして徳川の威光を天下に知らしめんとしただけのことはあって、スケールでかすぎ。堀見ただけで難攻不落の四文字が浮かんできます。

 この石垣は見たところ野づら積み。徳川大坂城を築いた頃は石材加工技術も成熟し、隙間なく積み上げることも可能でした。確かに本丸周辺はそんなキレイな石垣が続いていますが、全部そんなことしてたら時間が掛かりすぎるので目立つところだけキレイにしてあとは強度に問題ない程度に手を抜いたのでしょう。そのあたりに「誰を意識して築城したか」が伺われる気がします。(←この場合は西国外様大名を主要ターゲットにしていたことでしょう)

 三の丸・大阪城ホール方面へ滑っていきたいと思います・・・

大阪CR 5

2007-12-19 08:06:21 | 大阪CR
中之島を過ぎて北浜に入ってきました。ここは証券取引所があるところ。道行く人の服装もスーツに鞄でビシッと決めたビジネスマンが多く見られます。写真右は地下鉄の北浜駅にあったライオンのオブジェ。なんか証券関係ってライオンがシンボルになってることが多いんですよねぇ。百獣の王の厳しいイメージが証券取引のシビアな世界とシンクロしてるのかな?このあたりの歩道は幅も狭く、舗道上に商品や段ボールや品物を積んだ車が乗り上げてたりしてちょっと滑りにくいですな。

大阪CR 4

2007-12-18 08:07:08 | 大阪CR
市役所を過ぎると淀屋橋が。「淀屋」といえば江戸初期の豪商にしてあまりの贅沢三昧をお上にとがめられて全財産没収処分になった、あの伝説の商人ですねぇ。堂島米相場を支配し、小堀遠州とも親交があったという大物ですが身分を越えたその態度が逆鱗に触れたんでしょう。ふーむ、昔の大阪人はスケールがでかい。

 さて、中之島を東進すると中之島公会堂がありました。ワタシの想像より随分小さい建物だったです。その近くに「木村重成戦死の地」の石碑が!豊臣秀頼の乳母の子にして最後まで秀頼と豊臣家のために戦い、華々しく散った彼は「花は桜木、人は武士」を体現した武将としてワタシのお気に入りの侍なんです。ちょっと滑るだけでいろんなものに出会えるのはさすが大阪ですなー

大阪CR 3

2007-12-17 08:06:12 | 大阪CR
この週末は神戸ルミナリエへ出かけて消耗してしまったちょうです。うぅ、ぐったり。

 ルミナリエへは土曜日に行きまして。元町から並ぶとJR高架沿いに神戸方面へ一旦誘導されました。それから元町商店街を通り、大丸前を過ぎ、三ノ宮方向へ流て生田筋まで来た後、再び折り返してまた大丸前まで。やっと会場に着いたと思ったら押し合いへし合いでゆっくり見る間もなくはき出されてしまいましたよ。2時間並んでまで見る価値があるか、と言われると微妙ですな・・・来年開催が危ぶまれているそうですが、それもうなずけました。警察や市当局は「安全」のことばかりで人を流すことしか考えていないし、あまりに歩かされるので観客は店に立ち寄る余裕もなく人を追い越そうとぎすぎすしてるし。店の人も一生懸命客を呼び込むのもあきらめて元町商店街は何万って人が歩いてるのに閑古鳥が鳴いてる。市・観客・地元商店がシンドイ思いをしてるルミナリエって開催場所を変えない限り限界なんじゃないかなぁ・・・と思いました。旧居留地に何十万人も人間集まれませんて。

 と余りに疲れたのでグチばかりになりましたが、大阪CRの続です。

 御堂筋を南下して大江橋まできますと、東に水晶橋が見えました。水の都らしいアーチ型の風情がある橋ですな。大江橋南には大阪市役所、道向いには日本銀行大阪支店が。中之島界隈って大阪の「古き良き繁栄」がそこここに残ってて日本一の商都だった頃が偲ばれますなー(←こんなこと書き込むと「大阪は東京に負けてへんでー!」と怒られそうだな)

大阪CR 2

2007-12-14 18:21:36 | 大阪CR
ヨドバシカメラからキヤノンサロンへ。場内には綺麗なおねえさんがたくさんいて、商品の説明やアドバイスを訪れた人にしていました。平日だったのでお客さんにはリタイアした位の高齢者が多かったですな。ブースには各種のカメラが置いてあって自由に触れます。その中にこの当時まだ発売されていないEOS1-DsMarkⅢが。やはり人気があるようで、順番待ちがありました。が、やっぱり触りたいので並んで・・・う~ん、フルサイズはやっぱり気持ちいいデスなぁ。広々としたファインダーはKissDXのファインダーが「覗き穴」のように感じられます。心配された重さもこれくらいなら平気ですよ。ぜひキヤノンさん、10万円で売ってください。←無理ですな。

 写真はEOS1-DMarkⅢ。このカメラもいい!こっちでもいいのでキヤノンさん、10万円で売ってください!!ちなみにDsは発売前と言うことで写真はNG。おねえさんに1Dを持ってもらって、左に小さくDsを写し込んでみたりして。(写真では見えないか)うーん、充実した時間を持てたな~♪

 キヤノンサロンを後にして、御堂筋へ行きます。途中高いビルが建ち並んでて「おぉっ、大都会!」という感じがしてよいですな~。標識に従い、曲がります。 

大阪CR 1

2007-12-11 08:05:37 | 大阪CR
いよいよ関西最大の都市、大阪をCRで制覇するぞ!ということで秋も深まる一日に突撃してきました。今回の目的は梅田にあるキヤノンサロンでEOS1DsMarkⅢのサンプル機を触りに行くことと大坂城でインラインすること。はたして播磨の田舎者に大阪の大都会は優しかったのでしょうか?

 まずはJR大阪駅を下車。一度行ってみたかった「ヨドバシカメラ」へ。ワタシの住む地域ではこんなどでかいショップはないので”なんでもそろう””カタログでしか見たことのない商品にさわれる”と妄想で頭がいっぱいですぞ。

 とりあえず行った場所は「レンズコーナー」キヤノン製大口径レンズに初めて触れて感激です。EF400 2.8L USMに涎が出そうでしたがな。その近くには双眼鏡コーナーが。視野角60度以上という広角双眼鏡に「あー、星見に一つ欲しい」とか対物60ミリの大口径双眼鏡に「案外軽いやん」と感心したり。ずいぶん時間を取ってしまいました。

 そのそばに天体望遠鏡コーナーもあったので、ついでに覗いてみました。ビクセンとケンコーとミードが中心でした。タカハシとかはやはり専門店でないと数がさばけないんですかねぇ。

 ヨドバシカメラで随分時間を喰ってしまいました。あわてて次の目的地へ。こんなんじゃ予定消化できないよ~。都会は誘惑が多すぎです。

明石CR 13

2007-12-10 14:05:32 | 神戸や明石でLR&CR
ついに明石CRレポートも最終回となりました。

 さて、展望所からのぞいた神戸方面です。眼下に三角屋根の一風変わった建物が見えますが、これが「孫文記念館」またの名を「移情閣」と言います。

 辛亥革命を主導し、中国の現代史を創始した孫文はこの日本でもその大志を貫徹すべく活発な活動を行っていました。孫文は革命成就後、日本を訪問した際関西へやって来ます。そして1913(大正2)年3月14日、神戸の中国人や、財界有志が開いた歓迎の昼食会の会場にこの移情閣がつかわれたんだそうです。

 巡回通路の一部に下が見えるスケルトンの一角がありました。この日は真下がよく見え、運行している船の細部までリアルに分かる見通しの良さ。ワタシ、高所恐怖症で実際この場所を通るのは勇気が要りましたよ。

 さて、ここまで食事を取っていなかったので、少々遅くなりましたが展望レストランで穴子丼を食しました。味は場所だけにそれなりでしたが、やはり遠くに明石科学館の展望台や明石城を見ながらの食事はまた格別でした。

 帰りは最寄りのJR駅から電車に乗って。姫路駅で乗り換えの時間の間に姫路名物「えきそば」などを。このえきそば、中華麺に和風だしという一見ミスマッチな麺ですが、妙に後を引くおいしさ。駅で時間があれば毎回いただくくらい、好きなんですなー。写真は大盛りです。

 さて、短い行程ではありましたが、なかなか盛りだくさんだった今回のCR。回数を重ねて次第にCRの要領も掴めてきたので今度は大阪に挑戦してみたいと思います。