くろにゃんこの読書日記

マイナーな読書好きのブログ。
出版社など詳しく知りたい方は、記事下の書名をクリックするとamazonに行けます。

読みました グレッグ・イーガン「祈りの海」「しあわせの理由」

2008年08月19日 | SF 海外


面白いと評判が高いグレッグ・イーガンに手を染める。
え、今頃?
と思う人も少なくなかろうが、あまり流行に頓着しない人種なので、そのへんのところは勘弁してもらいたい。
どこからかのうわさで、イーガンはかなりハードなSFだと聞き及んでいたのだが、実際に読んでみると、そうでもない。
確かに、サイエンスフィクションとしての部分は、かなりハードである。
現実的にどうかということではなくて、フィクションとしての世界観を科学的な思考をもとに巧みに構築しているという点がである。
時には説明を一切加えず、読者を置き去りにしてストーリィは展開する。
読者はついていくために想像力と理解力を駆使するか、そのまま鵜呑みにしてわかったつもりで前に進んでいかざるおえない。
それができなければ、イーガンの小説を読むことはできない。
文章もわかりやすいとは決して言えない。
では、どこが「そうでもない」のかといえば、イーガンの小説は頑強に作られたSFという城壁を潜り抜けてしまえば、待ち受けているものは普通小説とそれほど違わないというところである。
舞台が未来であったり、仮想の空間であろうとも、そこにあるのは現代の社会であり、われわれであり、わたしという個人である。
文学的な切り口を評価するかしないかは個人の自由であろう。

『祈りの海』も『しあわせの理由』も短編集である。
最初に読んだのは「適切な愛」で、ジェームズ・ティプトリー・ジュニアの「接続された女」以来の衝撃を受けた。
ジェンダーを扱う男性の作家はいるが、これほど女性視点であるものにお目にかかったことはない。
ーーあたしはも踏みにじったし、母性も踏みにじった。ざまあみろだ。
と叛旗を翻すのは、不慮の事故に巻き込まれ、大怪我を負った夫の脳をクローン体が成長するまで自分の胎内で維持させる女性である。
クローン体は代理母による出産であり、胎児のうちに脳に干渉して生命維持以外のあらゆる能力の発達を阻害し、細胞以下のレベルでの処置により強制的に成長させられる。
胎内で維持された脳をクローン体に移植して、夫の健康が蘇るというわけである。
彼女がこのような選択をしたのは、そういう特約をつけた保険を契約していたからである。
愛する者が死に瀕しているとき、生きて帰ってきて欲しいと望むのは当然のことではないだろうか。
技術には感情はないが、利用するのは感情を持つ人間なのである。
件の保険会社は<グローバル保険>と言う。
この保険会社は「しあわせの理由」にも登場する。
ちょっとしたお楽しみ程度だろうと最初は考えていたが、2冊の短編集を読み終えてみると、どうもそこにはお楽しみ以上のものがありそうだ。
イーガンの短編集には<宝石>にまつわるものが数編収められている。
<宝石>は不死を実現させるテクノロジーであり、完成された<新世界>は「ボーダー・ガード」に示されている。
他の短編の多くは<新世界>へとたどり着く過程にあるものであり、その周辺にあるものである。
永遠の命と苦しみのない世界というキーワードは、ある特定の宗教を思い起こさせるが、宗教も見逃せないキーワードのひとつである。
個人的には、「闇の中へ」「無限の暗殺者」のような、わけのわからないものが好きだが、この2つの短編もつながっているような気がしてならない。
確信はないが、イーガンの物語はひとつの世界観に集約されるのではないだろうか。
中心にあるのはイーガン本人なのではないだろうか。
自分の思想や意思、体験したことを小説として昇華させるのは、きわめて文学的なことである。
イーガンの小説を非常に文学的だと感じさせる要因はそこにあるのかもしれない。

最後に、「愛撫」に出てくるリンドクイスト主義についてだが、以前、なにかのTV番組で、ある絵画と同じ服装、同じ小道具を用意して、大きな額縁の向こうで、人が絵画を再現するというものを見たことがある。
海外のどこかの小さな村の町おこしかなにかのイベントだったと思うが、参加している普通の村人たちがとても楽しそうだった。
立体的なものを、平面的に見せるところが苦労のしどころのようで、本物の絵画と寸分たがわない出来栄えに感心した。
「愛撫」を究極に再現させようとするのは行過ぎだと思うが、こういうアートの形も面白いと思う。

祈りの海 (ハヤカワ文庫SF)
しあわせの理由 (ハヤカワ文庫SF)


最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
リンドクイスト (めるつばう)
2008-08-20 17:58:15
これは相当ぶっ飛びました。
SFに絵画。森村泰昌をちょびっと思いうかべたり。

イーガンの"宝石”と言う概念とそれにまつわる自己同一性が
今のわたしにはとても重要な思考をもたらしてくれています。

くろにゃんこさんの、イーガン自身を中心において描かれているというのは
なかなか面白い考えですね。

イーガンの小説はなかなか読んでいて結像しないことが多く、
毎度苦しみますが、SFと言う形をとっていても
書いている内容は人間なんですよね。
返信する
小説と絵画 (くろにゃんこ)
2008-08-21 00:10:16
絵画が重要な位置を占める小説はわりとありますね。
SFに限って言えば、「地球に落ちてきた男」もそうですね。
絵画を文章でどう表すかとというのが、ひとつのネックになると思うんですが、「愛撫」の場合は、絵画そのものを再現するというもので、ちょっと小説の中の絵画とは別物という気がします。
「愛撫」を読んだことで、あのTVの記憶がよみがえったんですが、読まなければきっと忘れてしまったことでしょう。

イーガンの小説は、想像力を屈指しても、なかなか結像するのは難しく、わかったつもりで行くしかありません。
そういうところが玄人好みになっちゃうところでもあるし、SFはこうでなくちゃねと思うところです。
SFなのに恋愛小説な「ミトコンドリア・イブ」もわりと好きです。
返信する
結局 (manimani)
2008-08-21 11:21:25
ハードな設定の元で人間はどのような存在であるのか?ということにイーガンの興味はあるのだと思います。だからハードな部分は適当に鵜呑みしても、その先に面白いものが待っている小説になるのだと思います。文学としてどうなのかということについてはよくわかりませんが、とっても刺激的なことは間違いありませんね。

「宝石」の概念はずっとイーガン的素材でありますね。脳の活動をすべてシミュレートするものがあればそれは「自分」となりうのるか?という問題。わくわく。

絵画も、映画ではゴダールやグリーナウェイ、シュヴァンクマイエルなどなど多くの作家が絵画の再現に手を染めています。ここにはなにか面白い問題が潜んでいそうですが、なかなか言葉にはなりません。

TBしようと思いましたがワタシこの二つの短編を6回くらいにわけて書いていたのでヤメました(笑)
返信する
始めまして (エウロパS2)
2008-08-21 21:47:06
「シュトルム」というキーワードで検索していてこのブログを見つけました。
沢山本を読まれているのですね。
私は学生時代にシュトルムの作品を研究していましたが、大学院のとき指導教官に全く指導してもらえず研究は諦めました(能力もなかったのですが)。
ホームページに学生時代に行ったヨーロッパの写真を掲載しています。
その中にシュトルムの故郷フーズムの写真もありますので、もし興味があれば覗いてみてください。
うん十年前の写真をスキャナーで取り込んだので綺麗ではありませんが。
返信する
manimaniさま (くろにゃんこ)
2008-08-22 09:40:39
映画と絵画という組み合わせで、最近(といっても数ヶ月前)観た映画では「ヒヤシンス・ブルーの少女」ですね。
世に知られていないフェルメールの一枚の絵画をめぐるオムニバスで、時間軸の扱い方が面白い映画でした。
それぞれの登場人物が、それぞれの理由で絵画に魅了されるのですが、動かないからこそ絵画だからこそ、そういう力があるのかもしれません。
私は映画はあまり詳しくないのですが、それほど映画の中で絵画の再現がなされているとは知りませんでした。

6回の記事に?
それは力が入ってますね~。
私は書こうにもまとまらなくて、この記事を書くだけでずいぶん時間がかかってしまいました。
manimaniさまの記事は、ゆっくり読ませていただきますね。
返信する
エウロパS2さま (くろにゃんこ)
2008-08-22 09:56:51
おおー!
シュトルムの研究ですか!
わたくし、素人なので、そういう方の目に触れるのは、ちょっと恥ずかしい。
ヨーロッパの写真、見せていただきました。
シュトルムの像やお墓が、まるで森の中にあるようで、シュトルムらしい感じがしました。
ノルウェーの写真も美しかったです。

アクセス解析によれば、シュトルムの探索ワードで訪問される方は、結構多いです。
人気があるのか、それとも、季節的に夏休みの宿題のためなのか、どちらでしょうね。
返信する