くろにゃんこの読書日記

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ちょこっとSFの話

2008年07月03日 | SF 海外
久しぶりにSFを読む。
がっちりしたSFを読むのはちょっとかったるいので、手ごろなやつを家の本棚から引っ張り出してみた。
選んだのは「12モンキーズ」と「アンドリューNDR114」。
「アンドリュー」は映画を観ていたけれど「12モンスターズ」は観ていなかったりして。
じゃあ、なんで「12モンキーズ」のノベライズの単行本を持っていたのかと言えば、
著者がエリザベス・ハンドだったからという、ただそれだけの理由なのだ。
だからあまり期待せずに読んだのだけれど、これが結構面白い。
エリザベス・ハンドらしさは極力抑えられ、多分、忠実に映画を再現しているのだと思う。
本を読みながらも、まるで映画を観ているような気分で、次はどうなる、
いったいラストはどうなるんだと息をもつかせぬ勢いでストーリィは展開する。
繰り返される記憶がモチーフとなって、かなり想像力を酷使するが、そこがSFの醍醐味であることはいうまでもない。
きっと映画も面白いんだろうと思わせるこの小説は、ノベライズとしてかなり成功しているのではあるまいか。



ロボットという言葉と概念を確立させたのはチャペックだけれど、その戯曲「R・U・R」はチャペックの真意とはうらはらに、ロボットは反乱を起こして人間の敵になるという恐怖の種も植え付けてしまったのは、残念としか言いようがない。
労働力として作られたロボットに、もし知性が現れ、搾取されることに不満を持ち始め、人の支配下から開放されることを望んだとしたら?
果たして、ロボットに感情は芽生えるのだろうか。
われわれが日々感じている喜びや悲しみ、あせりや不安、愛情や憎しみといった感情は、進化の過程で獲得してきたものである。
進化という道筋をすっとばかしたロボットが、そういった複雑な感情を持つことはありえない。
だが、アンドリューのような自立した陽電子頭脳、柔軟な人工頭脳を持つロボットならば、ミーム的な進化を遂げる可能性はある。
もし機械生命体となれば、ホーガン「創造主の掟」のような進化も面白い思考実験であるだろう。

「アンドリューNDR114」は、同タイトルの映画の原作である。
映画とは内容もこ異なり、文章でしか味わえない部分もある。
アンドリューは人間と対等になることを望み、ほとんど人間と変わらない身体になって、どこが人間と違うのかと問う。
読者はどう思うだろうか。
アンドリューは人間だと思えるだろうか。
私個人としては、たとえ人間の身体に限りなく近づこうとも人間とは思えない。
人間以上であることは間違いないけれど。
アンドリューのとった最後の決断に、手のひらを返したように態度が急変する人間とは、まったく何なのか。
だが、私はチャペック「創造者アダム」のようにこのままにしておくかと問われたらアダムと同じように答えるだろう。
「はい、はい、はい」と。


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