くろにゃんこの読書日記

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古典落語(続) 興津要

2006年04月11日 | 国内文学 その他
すごいぞ、講談社学術文庫!
ということで、図書館にいきまして、「古典落語」を借りようとしましたところ、無い!
誰かが借りているらしい。
しょうがなく「続」から読むことに相成りました。

先日、何気なく観ていたお昼の番組で、多分NHKであったと思うんですが、
落語をやっていました。
若手お笑い芸人さんたちも出演していましたので、若い方向けの番組だったんでしょう。
一緒に子供たちも観ていて(春休みでしたし、お笑いが好きなのです)、落語ではしらけるかと思いましたが、意外や意外、ゲラゲラ笑って、噺をまともに聞けない有様。
ゲラゲラ笑った割には、その落語がどんな内容であったか、
さっぱり思い出せないという体たらく。
とんだ聴衆もいたもので。
覚えているのは、師匠(立川談志)が高座に上がると、客が緊張するというマクラぐらいです。
落語は、言葉遊びはさることながら、その演者の演じっぷり、演じ分け、所作や表情など、噺家さんの個性や演じ方で面白みも増すというもの。
古くから演じられているものを古典落語といいまして、この本は、有名なものから、現在はあまり口上されていないものまで取り揃え、江戸の大衆文化を知る上では大変役に立つことと同時に、笑えます。
そこが肝心ですね。

本書の中で知っていたのは、恥ずかしながら「まんじゅうこわい」と「茗荷宿屋」だけでした。
内容的には、少し違うものでしたが、まんじゅうが怖いといって饅頭をパクパク食べ、「この辺で濃いお茶がいっぱいこわい」というオチ、茗荷(みょうが)尽くしの料理を食べさせて、客が荷物を忘れていってしまうことを願う宿屋の夫婦者、しかし宿賃をもらい忘れる、というところは変わらず、原点からいろいろ派生したかたちで知られているものも、面白みは変わらずに伝わっているのですね。
ちょっとだけ知っていたのは「千両みかん」。
大店の若旦那が、みかんが食べたくて床につき、真夏の暑いさなか、安請け合いした番頭が、みかんを捜し歩き、やっと見つけたみかんはたったのひとつ。
値段は千両。
やっと見つけたみかんが千両で、しょげて帰る番頭。
しかし、さすがは大店。
「安い!」と言って買う大旦那。
皮だけでも5両くらいの値打ち、10房あるから1房100両、ああ、この筋だけで1両ぐらいにはなる、、、などと思いながら若旦那にみかんをむいてあげる番頭。
若旦那もよいお人だから3房残し、「おとうはん、おかあはんにひとふくろづつあげてんか。あとのひとふくろ、あんた、食べて」と渡された番頭は。。。。
紀文のみかん船伝説を知っていると面白いかも。
私がすっかり失念していたオチもいい。
オチが知りたければ本書を読んでね。

「千両みかん」に出てくる登場人物は、旦那、若旦那、番頭で、
それぞれのキャラクターが生き生きとしていてます。
これは、どの噺でも同様で、世間知らずな殿様、知ったかぶりをする知識人、お金はないけれどのんびりとした雰囲気をかもし出す町人たちなど、実際はどうあれ、笑いというもののなかに、江戸時代の大衆の心意気が伺えます。
大工調べ」は、棟梁と大工、大家と店子という関係が見事に描かれているもので、
なんのかんの文句を言いながらも、気のいい与太者を周囲の人が見守っているというところが心温まります。
江戸の文化で忘れてはならないのは、吉原、品川などにあった花柳文化で、本書の中でも「品川心中」「山崎屋」「たちぎれ」がそれにあたります。
なかでも「たちぎれ」は傑作で、落語が笑いだけではない、
話芸なのだということを感じる一作です。
話芸といえば、「金明竹」はぜひとも一度演じられるのを見てみたい噺で、「寿限無」のような早口ことばと、繰り返しのおかしさと、勘違いもはなはだしい伝言ゲームがサイコーです。

本書は、一作ごとの終わりに解説がついており、その解説がまた愛情たっぷり。
江戸時代の人情と、興津要氏の江戸の笑いに対する愛情を感じ、読んだあとは、なんだかホンワカした気分になりました。

古典落語〈続〉


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