普通は等価交換なんじゃ?幸せと犠牲と

2006-04-02 01:07:49 | Weblog
NHKの男女討論番組みたいなもの、「仕事で家庭を犠牲にする」社会をいろいろ考えてる番組をちらりと見たけれど、

結局はそういうのって最後は個人的な問題になってしまうのではと思ってしまう。

私の人生では、棚からぼたもちみたいなおいしい経験がないので、唯一まともな家庭に生まれることができたってことはラッキーだったと言えるのかもだけれど、基本的には何か欲しければ何かを犠牲にするのが普通だと思っている。

ゆとりとお金のどっちをとる?と言う選択みたいに。

何を幸せと感じるかは人それぞれ。人にうらやまれる自分になるっていうのは確かにいいけれど、やっぱりそれなりの代価は払っているものだ。だれにもうらやましいと思われない生活っていうのは、結構お気楽なものだったりすることもある。うらやましいと思われなくてもいいと吹っ切ってしまえばそれはそれで別の幸せがありそうだと思う。

ただ、まあ死ぬほどの努力まではいかないけれど、平凡な人生であり続けるだけでも、凡人にはかなりの犠牲を払うような気がする。がんばってがんばってやっとこの平穏みたいな・・・。

今のままでありたければ、死ぬまでそれ続けるしかないんだよねえとも思うことが多いこの頃。せめて夢は持ち続けたいなあ。


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