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あるSEの業務日報

日報代わりの記録です。

入院翌日

2009-10-31 23:23:54 | 闘病記録
入院した翌日の朝であるが、寝ていたら看護士に「朝です。ご飯食べますよ」と起こされた。ベッドを起こし車椅子に移動する。
昨夜はもう夜8時をまわっていたので、ほとんど誰も会わなかったとおもうが、朝は大勢の患者がいた。どうやら食堂らしい。
ほどなく自分の食事が用意されたので、ぎこちない右腕一本だけで食事を始める。
昨夜は遅かったので箸など身の回りの品は何もなく、食堂から支給されたと思われるスプーンを使って食事した。付き添いの看護士が、慣れた手つきでご飯に乗せるふりかけをかけてくれた。
白米をスプーンにすくって食べるのはほとんど記憶がなく、やはり違和感がある。
昨日の午後、病院に行く前でも視野が狭くなていることも自分で認識していたが、朝の食事の様子で視野が本当に狭くなっている。顔の正面しか見ることができず、人がいることしか見えなかったとおもう。
その後毎日必ず食堂で食堂で食事をとる事になるのだが、他の患者の様子を観察できるようになったのは、おそらく3、4日後の事だとおもう。これは急に目が見えるようになったわけではなく、少しずつ入院生活に落ち着いてきたと言えるだろう。

入院時の様子

2009-10-30 19:49:53 | 闘病記録
入院することになったのだが、病棟に入る前、最初に医師から診察を受けたのは前回の通りである。
医師からの質問で「お名前は?」の質問が言えなかった。
後から考えると氏名を伝えれるだけで良いわけだが、心の中では「名前?知ってるよ。なんでこんな事聞くの?」と思っていた。この時も「名前は知ってるけど何をすればよいの?」とどうしたらよいか判らずただ黙り込んでしまっていた。
やはり正常な判断はできてなかったようだ。後日同僚から当時の様子を詳しく聞かせてくれたが、他にも全く答えなかったり別の所を向いて違う事を話したりして、同僚も完全にイカレてしまったと思ったらしく、そのままの状態になってしまうのではと真剣に考えたそうだ。
実はこの時、左眼、左手だけでなく、両耳とも聞こえない状況になっていた。近くでゆっくりと話すと聞き取れるのだが、相手がちょっと離れたり普通の会話の速度になると会話が聞き取れなくなるようだ。まるで知らない国の言葉のようである。
視覚的に視野が本当に狭くなり正面しか見ることができない。違う方向に向いて話いていたのは、相手のどこかわからず、よく聞こえないので見当をつけて会話していた。それゆえ周囲からはイカレたように思われたのだとおもう。

つづく

トイレで「脱いでください」

2009-10-29 20:50:44 | 闘病記録
入院した最初の夜は両親と同僚が来てくれたが、もう消灯時間の21時を過ぎており半ば強制的に返されたようだ。
一人でベッドで過ごす事になるが時計がない事を心配した。普段なら携帯電話を使うのだが今はそれもできない。夜が明けるのがとても長く感じた日だった。

次に行った事はトイレで、夜中になっての事だと思う。
ナースコールではなく(実際にナースコールボタンを押したのは3、4日後)、時々見回りに来てくれる看護士に伝えてトイレに車椅子で連れて行ってもらった。
後日の行動を振り返ってみると、回復室と介護用トイレはすぐ近にあるのだが、けっこう長い場所に感じられた。
介護用トイレに到着し車椅子から便器に移動しようと思っていたら、「そのまま脱いでください」と言われびっくりしてしまった。まさか人前でパンツを下ろされるとは思っていなかった。動転していると何をしたら良いのかわからず看護士に名前を連呼されてしまった。
後から考えると満足に動かすことも出来ず正常な判断も出来ない状況ではないかとおもう。
トイレに行ってもらい「ああ、車椅子で当面ご厄介になるんだ」と実感した瞬間でもあった。
ベッドに戻りほどなく眠りについた。
次の巡回の時だろうか看護士に起こされた。「nさん起きてください。今日は何日かわかりますか」。
「8月31日」です。
「そうですね日付が変わってますね。ご自分のお名前がわかりますか?」
[○○○○です。」と自分の名前を伝える。
この状況では、ひとまず正常な判断はできていると記憶している。実は最初の診察では自分の名前が言えなかった。

つづく

丼もの (今日のテーマ)

2009-10-29 00:59:24 | 話題
BlogPet 今日のテーマ 丼もの
「いろいろな丼ご飯がありますが、あなたの一番好きなのは?」
カツ丼。一番好きな丼物。
先週ようやく退院したので、正直真っ先に食べたい所。
しかし・・・糖尿病だと判り、たんぱく質と塩分制限がかかってしまった。食べられてもごく少量だな(悲)


入院直後

2009-10-29 00:52:24 | 闘病記録
入院直後の状態を話そう。
まず診察されたのだが、正直あまり覚えていない。断片的にしか記憶がないのである。
MRIにかけられた事は覚えている。20分ほどかかります」「大きな音がするので耳栓をします」大体このような内容だとおもう。覚えているのは耳栓がうっとうしかったことと、機械の中がせまく、目の前に機械のようなものが迫ってきており、とても圧迫感があったくらい。
検査が終わり「終わりました」の話し声が聞こえた。そのままストレッチャーのようなものに寝かされたまま別の部屋に移動した。それからの記憶が途絶えてしまっているが、MRIから終わって耳栓がされたままなので「いつまで耳栓つけてるの?」が知りたかった。ほどなく耳栓を取り出してほっとしたことが記憶している。
検査が終わり病棟にエレベーターで移動したのだが、その間の記憶がないままだ。病棟といっても通常の病室ではなく詰め所の一角にカーテンとベッドが置いてある。
後日わかったのだが「処置室」と呼ばれている部屋だった。
処置室に移動してから覚えているのは、それまでの衣服を脱いで病院服に着替えさせてもらったことと、看護士から説明を受けた事も断片的に覚えており、容態が安定したら大部屋に移動することも話を聞いた。できれば大部屋は嫌なので個室にしたいと内心おもったのだがわがままも言えない。

つづく

闘病の記録

2009-10-28 00:26:07 | 闘病記録
8月30日に入院し10月23日に退院した。
その間ほぼ2ヶ月。出来る限り思い出した事を記録していく。

入院する事になってしまったのだが、直接の原因は脳梗塞なわけで、症状としては左手麻痺だが、病院で待っている時に左眼が見えない事に気づいた。前を歩いているはずの同僚が、突然姿を消したり現れたりする。今後1週間は車椅子での生活を余儀なくされる。

つづく

脳梗塞

2009-10-27 20:31:33 | 出来事
昨日のブログで書きましたが、入院とは脳梗塞です。
結論から言いますと、左手の回復が若干遅れていますがそれ以外は順調です。
仕事柄キーボードが使えることが必須ですので、まだまだ自在に使えるまでには程遠い状況で、両手で一応は使えるようになったものの、まだ目を見ながらの作業となります。
元の状態に戻るまでにはもう少しかかりそうですが、そのうち元に戻ると思っています。

後遺症ですが、左手が若干不自由ですが元々右利きなので日常生活では特に支障ありません。先にも書いたようにキーボードでの入力に支障がでるくらいです。
また入院直後では左眼が見えませんでしたが、1週間ほどで見えるようになりました。少し眼底出血があるそうで、その影響からか視力が落ち、いつもチラチラしたような感じです。最初は狭い範囲しか文字を読むこともできませんでしたが、徐々に戻り、現在ではテレビも見られます。
記憶などは問題ありません。

同僚には2ヶ月間びっしりと付き添って支援してしていただきました。心から感謝しています。改めて御礼を言います。本当にありがとう。