夢中人

sura@cosmic_a

佐渡狐

2008年12月10日 | 狂言
先日見た狂言の感想です。

「佐渡狐」
年貢を納めに上京する途中でたまたま出会い一緒に行くことになった
佐渡のお百姓と越後のお百姓。
いろいろ世間話をしながら旅をするんですよ。
ふとした会話で越後のお百姓が佐渡のお百姓に「佐渡には狐がいないと聞いたけど本当?」
と訊いたんです。
そしたら佐渡のお百姓は、佐渡に狐がいないのに「えぇ?なにそれ、佐渡には狐はいるけど」と
嘘を言っちゃうんです。
そしたら越後のお百姓は「うっそー。佐渡には狐はいないって聞いたけどぉ。」と言い返す。
佐渡のお百姓「いや、いるって。佐渡には狐いるよ」、越後のお百姓「いや、佐渡には狐はいないって聞いたってば」
。。。とお互いむきになっちゃって、しまいには、お互いの小刀を賭けて、佐渡に狐がいるかいないかの証明をするんです。
そしてそのジャッジを年貢を納める取次ぎ人にお願いしようということになったんです。
絶対に越後のお百姓に佐渡には狐はいないと認めたくない佐渡のお百姓。
絶対に認めたくないという気持ちからか、越後のお百姓より先回りして、取次ぎ人に会い、
いきさつを話して、なんとか佐渡には狐はいると言ってもらえないだろうかとお願いするんです。
取次ぎ人は、「嘘はつけないからさぁ、やめてくれるぅ。そういうのに巻き込まないでくれるかなぁ」とそんな感じで断るんですけど、
佐渡のお百姓がワイロを差し出しはじめたんです。
えぇ!?ナニそれ。そんなの困るし。。。と思いつつも、取次ぎ人はそのワイロを受け取っちゃうんです。
佐渡には狐がいないと知っている取次ぎ人。
ワイロを受け取ってしまったからには、佐渡に狐がいると証明させなければならない。
だからして、佐渡のお百姓と打ち合わせをするんです。その内容は、狐がどんな姿をしているかの確認。
取次ぎ人は、佐渡のお百姓に丁寧に教えてあげます。狐の顔、身体、毛の色の特徴などなど。
佐渡のお百姓は「これでばっちり」という感じです。
そんなこんなしているうちに、越後のお百姓がやってきて、取次ぎ人に訊きます。
「私は、佐渡には狐がいないと聞いたんですが、取次ぎ人さんはどう思われます?」みたいな感じでしょうか。
取次ぎ人は当然「佐渡には狐はいるよ」と答えちゃうんですね。
それで、むきになっちゃう越後のお百姓。
「えぇ!?いや。聞いた。佐渡には狐はいないって聞いた。佐渡に狐はいないはずっ」
な感じでしょうか。
越後のお百姓は納得がいかない。ここで引き下がれない。
「よし、本人に最終的な確認確認だ」な感じで、佐渡のお百姓を呼んで、狐の特徴を訊くんです。
これはしめたと佐渡のお百姓と取次ぎ人。。。のはずが、佐渡のお百姓はチンプンカンプンな
返答をしてしまうわけです。
「まずい!」とばかりに取次ぎ人は、越後のお百姓が背中を向けている隙にゼスチャーなどでせわしなく教えようとするんです。
その場はなんとかしのぐことはできたものの、最後に「狐はどういう風に鳴く?」と訊いたんですよ。
なんと、この狐の鳴き声は、取次ぎ人は佐渡のお百姓に教えていなかったんです。
答えなければいけない佐渡のお百姓。そこで断念することもなく、なにものともわからない
鳴き声を発してしまったのです。
この時点で佐渡には狐がいないと証明されたのです。
が、佐渡のお百姓は負けを認めず、越後のお百姓の小刀を持って逃げていっちゃうんです。


。。。このお話、なんというか、「むき」になっちゃうお話なんですね。
ありますよねぇ。なんかむきになってしまう時って。。。
自分でもなんでかわかんないんだけどむきになるときってあるんです。
このお話のように「この人だけには負けられない」というむきさもあるし、
あと物にもむきになる人がいますよね。むきになってある物を集める人とか。
むきななって仕事や勉強をする人もいる。
むきになってる時って、他人には理解できないことが多いんじゃないかな。
「なんであの人あんなのにむきになっているんだろう」ってね。
そうじゃなくても、本人にとっても時間がたてば「どうしてあんなむきになれたんだろう」と思うこともある。
でも、むきになっている最中の人にはかなり重要なことなんですよね。
むきになるって、周りが見えていない状態だよね。それしか見えない。
ある意味、集中力といってもいいかもしれないね。
それってエネルギーだよね。むきさはエネルギーでもあるんだ。
むきになる時期って大事だよね。むきになるむきは「向き」と書くんだね。
だからして、いい方向の向きでなければいけないんだけど。
純粋にむきになる時期って若い時が多いんじゃないかな。
むきになっていると周りが見えない。だから、周りの人がちょっと見守ってあげなきゃいけないんだね。
だからといって、むきになることが恥ずかしいことではないと思う。
これが大人になってくると、むきのコントロールができるようになってくるんじゃないかな。
じゃ、ちょっとむきのエリアにはいろうかなとか、今はやめといたほうがいいかなとか。
でも、コントロールが利かない時もあるかもね。
この「佐渡狐」の中のむきさはよくない方向のむきさだね。
そのよくないむきさに巻き込まれる人たちも、よくない方向へといってしまっている。
だからして、良い方向のむきさには巻き込まれてもいいのかもね。
まぁ、それぞれのエネルギー、ペースなどあると思うけど、いいのかもしれない。
でも、これに巻き込んじゃう人は、ちょっと気をつけなきゃいけないかもね。
そう思うんだけど。
むきさはエネルギー。それに輪をかけたのが「ひたむき」なんだね。
「ひたむき」は「直向き」と書くんだね。さらにまっすぐなんだね。
この「ひたむき」さって、強大な力を発揮してしまいそうな感じだな。
だから「見守ってもらう」ということが大事なんだ。そう思わない?
それは、自分達も「見守ってあげなきゃいけない」ということに繋がってくるんだね。
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