昨日の8月9日は61回目の長崎原爆の日でした。
この日は、いつもいつも暑くて、あの日も暑かったんだろうなぁと思う。
あの時の状況は子供の頃から何度も聞いている。
原爆が落ちたあの日、原爆が落ちる前に、空襲警報があったそうです。
そして、空襲警報が解除され、みんな防空壕から出て、自宅に戻ったそうです。
自宅へ戻って、いつものように家の用事を済ませたり、仕事をしていた時、
空が少し暗くなったかと思ったらキラキラする光を感じて何かな?と思った瞬間に
ゴォーという地鳴りとともにものすごい強風で吹き飛ばされたそうです。
この時があの時計が止まった午前11時02分。
ふと気が付くと、自分がいた場所からだいぶんと離れた所に倒れていたそうです。
街はめちゃめちゃで、すごい火傷をしたたくさんの人々が
「水をください」と言って、さまよい歩いていたそうです。
まさに、この世の地獄だったと言っていました。
そして「黒い雨」が降ったとも聞きました。
この光景は何度も何度も聞いてるけど、それぞれに体験者の方が言われているんですよね。
それぞれの状況から言われているので、1つ1つ違う気持ちがこみ上げてきます。
この時に被爆された方でその本人には影響がなくても、その人から生まれた子供に
影響が出てくる場合もあるみたいです。
現代は、科学の影響がたくさん詰まった社会だ。
便利で時間や距離の短縮などが科学の力によってできている。
科学ってすごいと思う。
夢だ、魔法だ。
でも、この科学の影響によって作り上げられてきたものを壊すのは科学だ。
原爆は科学の力によって作り上げられた。
科学者や物理学者は、自然と対話する人達だと思う。
その自然の力を知って、あやつれた時、それはものすごい力を発揮する。
いい方にも悪いほうにも・・・。
その日の夜に、さだまさしさんの歌がテレビで流れていた。
「フレディもしくは三教街ーロシア租界にてー」
作詞・作曲さだまさし
フレディあなたと出会ったのは 漢口
揚子江沿いのバンドで
あなたは人力車夫を止めた
フレディ 二人で 初めて行った レストラン
三教街を抜けて
フランス租界へとランデブー
あの頃私が一番好きだった
三教街のケーキ屋を覚えてる?
ヘイゼルウッドのおじいさんの
なんて深くて蒼い目
いつでもパイプをくゆらせて
アームチェアーで新聞をひろげてた
フレディ あなたも 年老いたらきっと
あんなすてきな おじいさんに
なると思ってたの 本当に思ってたの
フレディ それから レンガ焼きのパン屋の
ボンコのおばあさんの 掃除好きなこと
フレディ 夕暮れの 鐘に十字切って
ポプラの枯葉に埋もれたあの人は一枚の絵だった
本当はあなたと私のためにも
教会の鐘の声は響くはずだった
けれどもそんな夢のすべても あなたさえも奪ったのは
燃えあがる紅い炎の中を飛び交う戦斗機
フレディ 私は ずっとあなたの側で
あなたはすてきな おじいさんに
なっていたはずだった
フレディ あなたと出逢ったのは 漢口
なんかこの歌をミサイルを作る人達にも聞いてほしいなと思った。
この日は、いつもいつも暑くて、あの日も暑かったんだろうなぁと思う。
あの時の状況は子供の頃から何度も聞いている。
原爆が落ちたあの日、原爆が落ちる前に、空襲警報があったそうです。
そして、空襲警報が解除され、みんな防空壕から出て、自宅に戻ったそうです。
自宅へ戻って、いつものように家の用事を済ませたり、仕事をしていた時、
空が少し暗くなったかと思ったらキラキラする光を感じて何かな?と思った瞬間に
ゴォーという地鳴りとともにものすごい強風で吹き飛ばされたそうです。
この時があの時計が止まった午前11時02分。
ふと気が付くと、自分がいた場所からだいぶんと離れた所に倒れていたそうです。
街はめちゃめちゃで、すごい火傷をしたたくさんの人々が
「水をください」と言って、さまよい歩いていたそうです。
まさに、この世の地獄だったと言っていました。
そして「黒い雨」が降ったとも聞きました。
この光景は何度も何度も聞いてるけど、それぞれに体験者の方が言われているんですよね。
それぞれの状況から言われているので、1つ1つ違う気持ちがこみ上げてきます。
この時に被爆された方でその本人には影響がなくても、その人から生まれた子供に
影響が出てくる場合もあるみたいです。
現代は、科学の影響がたくさん詰まった社会だ。
便利で時間や距離の短縮などが科学の力によってできている。
科学ってすごいと思う。
夢だ、魔法だ。
でも、この科学の影響によって作り上げられてきたものを壊すのは科学だ。
原爆は科学の力によって作り上げられた。
科学者や物理学者は、自然と対話する人達だと思う。
その自然の力を知って、あやつれた時、それはものすごい力を発揮する。
いい方にも悪いほうにも・・・。
その日の夜に、さだまさしさんの歌がテレビで流れていた。
「フレディもしくは三教街ーロシア租界にてー」
作詞・作曲さだまさし
フレディあなたと出会ったのは 漢口
揚子江沿いのバンドで
あなたは人力車夫を止めた
フレディ 二人で 初めて行った レストラン
三教街を抜けて
フランス租界へとランデブー
あの頃私が一番好きだった
三教街のケーキ屋を覚えてる?
ヘイゼルウッドのおじいさんの
なんて深くて蒼い目
いつでもパイプをくゆらせて
アームチェアーで新聞をひろげてた
フレディ あなたも 年老いたらきっと
あんなすてきな おじいさんに
なると思ってたの 本当に思ってたの
フレディ それから レンガ焼きのパン屋の
ボンコのおばあさんの 掃除好きなこと
フレディ 夕暮れの 鐘に十字切って
ポプラの枯葉に埋もれたあの人は一枚の絵だった
本当はあなたと私のためにも
教会の鐘の声は響くはずだった
けれどもそんな夢のすべても あなたさえも奪ったのは
燃えあがる紅い炎の中を飛び交う戦斗機
フレディ 私は ずっとあなたの側で
あなたはすてきな おじいさんに
なっていたはずだった
フレディ あなたと出逢ったのは 漢口
なんかこの歌をミサイルを作る人達にも聞いてほしいなと思った。
結婚を諦めたり(子供に影響が出るから)、差別にあうなどして、ひっそりと生活されている方々がたくさん居るというのを耳にしました。
彼らにとって、ずっと戦後が来ないのかなと思ったら、
せめて日本に生まれた人だけでも、
この日は決して忘れちゃいけないと思いました。
多いと思うんだけど、一番影響がくるのは一般市民なんですよね。
戦後61年ということで、実際に原爆が炸裂したのを見た人も
高齢となってきて、少なくなってきてるそうです。
今、戦争をやっている地域がありますね。
映像を見ていると、同じようにTシャツを着て、ジーンズをはいている人がいる。
きっと、同じような映画を観たり歌を聴いたりもしているかもしれない。
国は違っても、同じ時代を生きているのになぜなのかと思う。
そうですね。戦争を知らない世代として生まれたけど、
それを知っている人達は生きている。
すべてをひっくるめて、戦争の悲惨さを知っておくべきですね。そして忘れることのないようにしなければなりませんね。
放っておけないブログですな。
私ももちろん戦争を直接知らない世代です。
しかし。小中学校と他府県の人より
戦争・原爆教育を多く受けているのでは
ないでしょうか?
長崎・広島共に原爆の資料館には、
2度以上訪れています。
あれは、大人になっていくものですね。
小中学校でも行ったけど、
大人に入って改めて行ってみると、
難しいこととか抜きで、
『あぁ、戦争ってなんて恐ろしいんだろう。
ほんとにやっちゃいけないんだ。。。』
って、こみ上げてくるように心に思います。
8/6と8/9。
リトルボーイにファットマン。
決して忘れてはなりませんね。
そうですよね。原爆の日は小中学校では、
夏休みなのに登校日で、原爆投下の時間に黙とうしましたよね?
私は、広島、長崎の原爆資料館にはそれぞれ1回しか行ったことがありません。
しかもどちらも学校行事です。
確かに、子供の頃に戦争のお話を聞いていました。
でも、それだけが事実じゃなかった。
大人になっていろんなことがわかってきた。
原爆資料館に行ってみようかなぁ。。。
そこで、どう思うかはわからないけど、
なんかそう思いました。