ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

神奈川県の産科医不足問題

2008年11月15日 | 地域周産期医療

コメント(私見):

神奈川県の場合、妊娠反応が陽性になってすぐに病院を受診しても、なかなか分娩予約ができない状況のところもあると聞いてます。数年前から話題になっていますが、最近になってもいまだに分娩取扱いを中止する自治体病院の報道が続いています。

首都圏は交通の便がよいので、今のところは最終的に何とかなっているのかもしれませんが、いろいろ努力しても、結局、神奈川県内で分娩予約ができなかった人たちは、一体全体、どこで産むことになるのでしょうか?東京都内に流れることになるのでしょうか?妊婦健診を受けず陣痛開始してからいきなり救急車で病院に駆け込む(飛び込み出産)しかないのでしょうか?

首都圏は人口が集中しているだけに、首都圏からいったんお産難民が大量に出現し始めたら、日本中どこを探しても、どこにもお産難民の受け皿がなくなってしまう可能性が高いと考えられます。

産科医の頭数が圧倒的に不足していますので、多くの新人を獲得する必要がありますが、産科医の養成には10年かかります。日本中どこにも産科医は余ってませんので、他の地域から出来上がった産科医を引っ張ってくるのは至難の業です。今、現場に踏みとどまっている産科医達がこれ以上離職しないような対策を、国策として強力に実施する必要があります。

****** 東京新聞、2008年10月22日

お産難民首都圏でも 横須賀市深刻年300人が市外出産

 深刻な産科医不足で出産場所がなかなか見つからない“お産難民”が、首都圏にも押し寄せている。特に神奈川県では、三浦半島の横須賀市で四年ほど前から始まった産科医不足が、隣接の横浜市などに波及。横須賀市では年間三百人程度の妊婦が、市外でのお産を余儀なくされているという。お産難民が流入する横浜市でも出産施設が非常に少ない区が増加するなど、危機的な状況は悪化の一途をたどっている。【稲垣太郎】

 「うわさでは聞いていましたが、まさかここまでとは思いませんでした」。今月初め、横須賀市内のバス停。臨月のおなかを抱えながらバスを待っていた横浜市金沢区の主婦(31)は、妊娠したころをそう振り返った。今年初め、市販検査薬で妊娠に気づいた。「子宮筋腫を持っていたので、お産は大きい病院の方がいい」と思い、以前から知っていた横浜市と横須賀市の四つの病院にすぐに電話を入れた。だが「予約がいっぱい」と全部断られた。

 さらに五病院に電話したが、すべて「お産はやらなくなったんですよ」と言われて愕然(がくぜん)とした。結局、病院を断念し、地元の診療所に通うことに。「二人目も欲しいが、これからどうなっていくのか」と不安げに話した。

 三浦半島に広がる横須賀市は人口約四十二万人。以前、産科施設は病院と診療所、助産所の計九つあったが、二〇〇四年以降、二病院と一診療所がお産の取り扱いをやめた。

 年間四百件近いお産を扱っていた聖ヨゼフ病院の事務部長は「産婦人科に常勤医が三人いたが、二人が大学の医局に引き揚げられ、もう一人は定年退職して医師がいなくなった」と話す。年間六百件以上を扱っていた民間病院の担当者も「常勤の産科医が三人いたが、全員、大学の医局に引き揚げられた。再開したいが、医師の確保が難しい」と言う。

 市の昨年の出生届は約三千三百件。お産件数との差などから市では、このうち約三百人の赤ちゃんが横浜市など市外で生まれたとみている。

 さらに横須賀市では、年間約六百五十件のお産を扱ってきた民間診療所が今年いっぱいで、院長の健康問題で閉院することが決まり、お産難民は一層増えそうだ。

 神奈川県内でお産を取り扱う病院は、三年前の七十八病院から六十四病院へと18%減少。診療所は二〇〇二年に約百施設あったが、今年は約六十施設と四割も減った。

 人口約三百六十万人の横浜市でも今年四月の市の調査で、お産を扱う施設がなかったのは栄区、一施設だったのは緑、西、瀬谷の計三区、二施設だったのは計五区。

(以下略)

(東京新聞、2008年10月22日)