What A Wonderful World

毎日の暮らしの中で、心惹かれたことを語ります。

さようなら、太白飴。

2012年08月30日 09時02分02秒 | 日常
 八幡様のどんと祭に、正月飾りや古いだるまさんを収めた後は、甘酒を飲んで焼きたてのおせんべ(これいまだに名前が判らないんですが、松島こうれんみたいなサクサクのおせんべなんです)を買って、太白飴を何袋か買って帰るのが常でした。

死んだおじいちゃんが生きてれば100歳ちょっとだから、実家はほとんどの時間を兵頭飴屋さんと一緒に過ごしてきたわけです。両親も、生まれた時から当たり前のようにあった飴が無くなるのにがっかりしてました。私も震災で、ほぼ20年、毎年食べてきたケーキ屋さんが無くなってしまうという体験をしましたけど、親しんだ「味」とかが、自分の「日常」を作っているんだと思い知らされました。

さようなら、太白飴。ずっと変わらぬ味をありがとう。


★「河北新報 / 名物「太白飴」さようなら 明治創業、仙台唯一の専業店閉店」
( http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120829-00000017-khks-l04 )より引用

 仙台市内で唯一、あめの製造販売を専業としてきた「兵藤飴老舗(あめろうほ)」(青葉区広瀬町)が閉店し、間もなく店舗の解体が始まる。創業は1884(明治17)年。4代目夫婦が店ののれんを守ってきたが、東日本大震災で建物が半壊した上に体調不安なども加わり、128年の歴史に幕を引く。

創業以前に建築された店舗は、震災で全体にゆがんだ。作業場の壁はずり落ち、壁に接していた作業台やあめを延ばす機械も傾いた。夫婦はその後も何とか店を続けてきたが、今年5月に〆子さんが体調を崩して入院。休業したのを機に、7月末での閉店を決断した。店舗に隣接して1935年ごろに建てた自宅も、店と共に取り壊す。

あめ専業店はかつて市内に十五、六軒あったが、10年ほど前から兵藤飴老舗のみになった。兵藤さんが高校を卒業して働き始めたころは「甘い物といえばあめ」。70年代半ばごろまでが最盛期で、大崎八幡宮(青葉区)のどんと祭の夜は客足が途切れず、店じまいはいつも午前3時ごろだったという。

七五三の千歳飴などでも取引があった大崎八幡宮の小野目博昭宮司(61)は「やむを得ない事情とはいえ、昔ながらの味も、古い商家の建物もなくなるのは残念としか言いようがない」と語る。

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コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
兵藤飴老舗 (酔漢です)
2012-09-02 09:53:22
しゃねがった!
残念です。
古い宮城・仙台の様子を今少しづつ拾っております。
今はもうすでにない「老舗」の記録も。
昨日、東京で同期会(中学)を少人数でしたが、開催されました(と言っても呑み会です)「赤レンガ」の話題で盛り上がりました。
兵頭飴はやはりどんと祭の記憶と繋がります。
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赤レンガかぁ~。 (すず)
2012-09-03 08:41:03
>酔漢様

 おはようございます。

ご主人がご高齢とか跡継ぎとか、結局は時間の問題だったのかもしれませんが、震災が決定打になったんでしょうね。老舗であればあるほど、建物が古いし、歴史ゆえにいろいろ言われるでしょうし、お気の毒です。

「食べ物の記憶」って、そのまま家族の思い出になっていたりするので、余計に寂しい気持ちになるんでしょうね。
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