What A Wonderful World

毎日の暮らしの中で、心惹かれたことを語ります。

「家族が離れて暮らす=何かあってもこれで誰かは生き延びるんじゃない?」と、いまだに思ってしまいます。

2015年03月26日 19時14分36秒 | 日常
 お彼岸でお線香をあげに出かけるついでに、親戚の皆さんに子ども達の就職&進学のご報告をしてきました。そしたらほぼ100%、私の顔を見ながら「寂しくなるわね~」って慈母のごとき微笑で声をかけられてしまいました(苦笑)

いやさ、そりゃおじいさんと旦那と私の三人になって数日でも暮らしてみれば、じわじわ寂しいという気持ちも湧いてくるんでしょうけれどもね。そこまでみんなで言わなくてもイイじゃ~ん。みなが通る道でしょうけれども、とりあえずはひと山越えたと一服させて下さいな~。


 そんなんで思い出した四年前の気持ち。長男がなんとかあちらで暮らせるように、車を借りて必要最低限な生活品を一日で必死で揃えて、家に帰ってほ~~っと一息ついた時に、「これで少なくとも長男は、あっちに居るから、こっちでまた地震が起きても生き延びれるな」と、本気で思いました。当時、電気・水道・ガスといったライフラインが、まだ復旧したかしないかくらいで、家も一階は、浸水した畳を剥がした床板にブルーシートを敷いて、二階のみで寝起きしていて、ドロドロが残る廊下や台所なんかは、外履き用のつっかけを履いて暮らしていました。だから、長男のごく普通の1ルームのアパート暮らしが、それはキラキラと感じられて(脳内イメージ→高級ホテル)あぁ、ずっとましな暮らしをさせられて良かったなぁ、という安堵感でいっぱいで、離れて寂しいという気持ちは、まったくおきませんでした。次男も我慢ばかりさせてきたので、独りで暮らすのに慣れるまで、まぁしんどい事もあるでしょうけれども、のびのびと、自分勝手な暮らしというのを体験して欲しいです。

4月から、家族が三市に分かれて住む事になるんですが、「何か災害がおきても、これなら家族の誰かは生き延びるんじゃないかな」と、いまだに考えてしまいます。震災で受けた「怖い」って気持ちは、いったいいつまで影響するものなんでしょうね。四年たって、ずいぶん薄まったと思うんですが、ふと、こころの底から浮かんできたりします。(あ、もちろん乾電池や懐中電灯にロウソク&マッチ、非常食に10年持つ飲料水などなど、緊急用品は持たせました)


さて、家族そろっての晩餐はしばらくないだろうから、お寿司とロゼワインを用意して、旅立ちを祝うとしましょう。

コメント (2)
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