What A Wonderful World

毎日の暮らしの中で、心惹かれたことを語ります。

「東日本大震災から一年たちます」 その3 子どもたちの成長はなによりの喜び。

2012年03月06日 14時48分13秒 | 日常
 おばちゃん、急にお土産持って家に来てくれたから、嬉しいやらびっくりやらで、舞い上がっちゃったよ~

↓のお話しに登場した、長男の同級生で長野県の旅館に就職したKちゃんが、一週間のお休みを貰えたそうで、実家に帰って来ました♪そしたら、わざわざ家までお土産を持って来てくれたんですよ(嬉涙)大切なお給料なんだから、全部自分のために使えば良いのに、もったいなくて、おばちゃん、お土産のお菓子食べらんないわ~。

こちらと同じく、今年の長野も雪がたくさん降ったそうで、スキーをする為に宿泊するお客さんが大勢いらしたそうです。皆さん早起きして出かけるから、Kちゃんとしては嬉しくないらしい(苦笑)移動するのに丸一日つぶれちゃうから、実質は5日間しかゆっくり出来ないそうだけれど、「お母さんに上げ膳据え膳して貰ってごろごろできると良いね」と言ったら、「毎日お友達と遊ぶ約束が入っていて忙しい」そうです、あはは。

★拙宅の2011年5月5日の記事「あらん限りの願いこめて、こどもの日を祝いましょう」
( http://blog.goo.ne.jp/coffee2006/e/f394192730605be509c26fe179f7acdd )より引用

 長野の有名避暑地の老舗旅館に住み込みで就職したお嬢さんは、お母さん譲りのしっかり者。残念ながら予備校の寮でリベンジをはかっている坊ちゃん二人は、被災したおかげで寮費やら受講料やらが、無料だったり格安だったりするそうです。

どの子も、どうぞ望むように生きていかれますように。

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長男に聞いたところ「予備校でリベンジの坊ちゃん二人」のうちの一人は、東京の某大学に合格が決まったそうです!工業デザインを勉教するそうなんですが、学費その他援助を受けられると言っても、そもそもの単価がお高い学校なんで、親御さんとしては国公立大に進んで欲しいと、受験した頃は言っていたそうです。でも、合格したのを連絡したら「震災以来の初めての良い出来事だから、このさい良いんじゃない!」と進学するのを認めてくれたそうで♪良かったなぁ。

もう一人の坊ちゃんは、発表待ちなんだそうで、良い結果になるよう願ってます。

こうやって、子どもたちが進学したり、職場でがんばっている話を聞くと、嬉しいなぁと思います。あんな大混乱の状況のなかでも諦めずに自分の進路を進んだ子供たちが幸せに暮らせるよう、なんとしても大人は頑張らなきゃなりません。
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「東日本大震災から一年たちます」 その2 このまま負けたくないんです

2012年03月06日 08時54分59秒 | 日常
 「千年に一度」の大災害に遭ってみて痛感したことなんですが、日本人には「自然に負けたくない」という気持ちが、DNAに組み込まれてあるみたいです。

★拙宅の2012年4月27日の記事 「ネット復活しましたー!」
( http://blog.goo.ne.jp/coffee2006/e/08d0a74dae0b94c212c2733cb75212ff )より引用

毎日が「想定外」のことばかりで、それを全部皆さんにお話したかったです。

こうやって、また皆さんにお話できるようになって、良かった。生き延びられて、家族が誰も欠けなくて本当に良かった。全国から、たくさんの支援をして頂いて、暮らしています。いつも「ありがたい」という気持ちでいっぱいになります。東北人は我慢強いと言われてますが、そうじゃなくて、すっごい短腹(たんぱら=短気)なんですよ(笑)地震が来て、津波が来て、もう「チクショー、チクショー」ってずっと思ってました。だから、何年かかっても、何代かかっても、震災前以上になってやると、みんなお腹の底で思っているから、それまでどんな困難も耐えて行くと思います。

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「自然と共に生きる」という考え方は好いんですが、これだと自然と人間って同レベルみたいに聞こえないですか?でも、自然のパワーってそんなもんじゃないです。人間が、ずーーーっと下にあって、どうこうできるもんじゃないです。たぶん「自然に立ち向かう」くらいが妥当じゃないでしょうか。それでようやく、ちょっとだけ近づける、それくらいのレベル差じゃないかと思います。

圧巻、圧倒、無情etc.だからこそ、負けない、負けたくない。

世界中の国々から見て「なんでそんな地震の巣に住んでるの?海外に引っ越せば?しかも原子力発電所も被災して、すごい危険な状態でしょ?なんで?」って、理解不能みたいに言われるのが、まっとうな判断だと思うんです。

でも、日本に住みたい。だから、また震災がおきた時の為に体験した事を伝えて、工夫してもっと良いようにして、助け合う。どう考えてもそれらの原動力は「チクショー」ですよ(笑)


 「被災地支援が遅れてる」とか「復旧はさっぱり進んでいない」とか、一年たっていろいろ言われていますが、私の実感としては「あれから一年も、なんとか生きてこれたよ、すごい!」です。だって、震度7の地震がおきて、津波の水があがって、電気もガスも水道も止まって、寒くて食べ物が無くて家は大規模半壊したんですよ。これだけ自然のエネルギーに打ちのめされても、家族全員元気で生きてこれました。全部、日本全国及び世界各国から手を差し伸べて下さった皆さんのおかげです。義援金や支援物資があったから、ボランティアで炊き出しや片づけの手助けをして下さったから、ここまでこれました。

これって凄くない?人間のちからって凄いと誇って良いんじゃない?負けてないよね。

震災前から、東北の沿岸部は過疎化が進んでいたり、漁業が寂れつつあったり、某県某市は破産寸前と噂さをよんでいたりと、問題を多く抱えていた街ばかりでした。それが「1000年に一度」の大災害の被害を受けて、そんな、たった一年でどうもこうもなりませんよ(苦笑)お気に障られる方がおられるかもしれませんが、阪神淡路大震災から17年たって、あそこまで見事な復興をされたのは、やはり大都市で国の中枢に近いという事があったからだと思います。こちらはもっとね、時間がかかりますよ。そして「元どうり」ではダメなんです。「震災前以上に」作り変えないと、本当に日本が傾いてしまいます。

残念ですが予測されている西日本の大地震がもしも起きた時、この震災で、東日本以外の土地の皆さんに助けて頂いたお返しが出来るような力ある街に復興しなきゃならんでしょと、私は心底から思っています。

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