What A Wonderful World

毎日の暮らしの中で、心惹かれたことを語ります。

ウルトラジャンプ6月号&サンデーGX6月号&花とゆめ13号&別冊花とゆめ7月号

2006年06月07日 15時00分12秒 | 漫画
>ウルトラジャンプ6月号
 私にとってウルトラジャンプでのチェック作品は、荒木先生や荻原先生ではなくて(載ってないって・爆)伊藤悠先生の「皇国の守護者」なんですね~。そもそも「銀河英雄伝説」を読み終わってしまい、寂しいなァと図書館をうろうろしていて、佐藤大輔さんの原作を読み始めたのですが、これが面白い!そして、原作の雰囲気を実に忠実に漫画化した、この作品も面白いです。まだまだお話の序盤なのですが(原作も9巻で止まってます)しんどい戦いの場面が続きます。

>サンデーGX6月号
 「新暗行御史」がようやく山場に近づいて来ました。もう毎号泣けて泣けてしょうがないお話ばかりだった過去編なのですが、現在のお話と繋がってきて、ますます目が離せなくなりました。あ「新吼えよペン」も好きです(笑)

>花とゆめ13号
 「フルーツバスケット」が、急展開で突っ走っています。いやいや長く読んでいるお話なので、まだ安心は出来ないぞと脳内で警鐘が鳴っているのですけどね。このお話の怖いところは、幸せ話の次にドーンと来る半端でない不幸話なんですよ。「ホスト」とか「遙か」とか色々人気作品ありますが、これですね。

>別冊花とゆめ7月号
 「ボクを包む月の光」今回は、ボク球読者だった方は一緒に泣きましょうというお話。どんなに輪君がありすを想っていたか、判っているよ知っているよ~と語り合いたいです。
 そして、ちょっとほっとしたお話だった「京&一平シリーズ・麗しの綾小路京さま」(この題名見ただけで、笑いますよね)三十歳の京君が見れるとは思わなかった!しかも若がえってるし!
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槙原則之・LIVE ALBUM cELEBRATION 2005~Hert Beat~

2006年06月07日 13時10分41秒 | 日常
 15周年記念なんですね~。薬物使用で逮捕されたり、ホモ疑惑もあったなァとしみじみしました。この人の生み出す歌詞とメロディーは、何度も励まされたし、何百回聴いても聴き飽きないと思います。

 「どんな時も」「世界に一つだけの花」はやっぱり名曲だと思います。このアルバムの中のアレンジを聴いて、すごくそう思いました。たくさんの楽器&たくさんの人の声が響きあって生み出される温かさは、半端無いです(笑)

 もう一曲は「見上げてごらん夜の星を」
永六輔さんの歌詞と、いずみたくさんのメロディーが素晴らしいのは、言い尽くされているかもしれないけれど、槙原さんの声と歌い方がすごく良かった。平井堅さんが、昨年末に坂本九さんとのCG合成で合唱したのも素晴らしかったけれども、未来を信じる力や人の持つ可能性を感じさせた、槙原さんの方が好きです。


 見上げてごらん 夜の星を 小さな星の 小さな光が 
 ささやかな幸せをうたっている

 見上げてごらん 夜の星を ぼくらのように 名も無い星が 
 ささやかな幸せを祈っている
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小松左京・日本沈没

2006年06月07日 10時21分25秒 | 
 私は、宮城県沖地震と三陸沖地震を体験しています。その影響で、どんな小さな地震でも「この後に本震がくる」と思ってしまいます。大きな怪我をしたわけでもありませんし、家が住めなくなるくらい壊れたわけでもありませんが「怖い」と思うくらい揺さぶられた事。TVが落ち、部屋の中のあらゆる物が散乱した事。ガス漏れや水道の断水、電気の無い生活を過ごした事、忘れられません。
 日本は地震の巣です。その中での生活で、日本人の感覚が麻痺している部分があるのは、否めません。でも「その日」が来た時の恐ろしさ、想像しただけでも本当に怖いです。

 その体験が、小説「日本沈没」をより身近な恐怖を感じて読んだ事につながったのは間違いないのですが、それよりも強く感じたのは「愛国心」でした。作中、少しでも、日本から脱出させようと動き続ける人たち、女・子供を先に逃そうとする男たち、あらゆる「その日」を示すデータを前に恐怖に立ち竦む学者たち、新たな土地で自分の家族を守らなくてはと決意し涙する父親、その描写の積み重ねの先にあるのは、私たち日本人が、如何に日本という国に守られ、また国を愛しているかという想いです。
 島国に生きる私たち日本人が国へ感じる想いは、おそらく判りづらいものかもしれません。多くの人たちが、地続きの土地と混合民族の中で生きているのですから、その人たちが声高に語る思いよりは、理解しがたいのではと思います。表面に現れる態度や言葉では、その人たちの方が判りやすいでしょう。でも、心の底には、わざわざ「愛国心教育」などしなくても、その想いがあると思います。
 不幸な事に、戦争で多くの人たちが「愛国心」故に死んで生きました。そして、その後の生活で、声高にそれを話す事は極力控えられてしまいました。でも、無くなった訳では無いと思います。戦争の不幸を体験していない世代が増える中で、忘れてはいけない事実ですが、それに引きずられて、枷をつける必要は無いと思うのです。


 このお話は、1970年代に書かれていますが、今もって古さを感じません。それは「地震」に対する恐怖や、そのメカニズムの解明や制御が、いまだに不確実なものだからだと思います。SF作家の瀬名さんが、以前公演で話されたように、SFには科学を導く力があると思います。いまも各地で多くの学者さんたちが、地震を予知しようとデータを集め、分析しているのだと思います、そして、その知識と技術が役立つように、不幸が僅かでも少なくて済む様に、働き準備し続けている人たちが大勢おられると思います。その道標になる、そんな力を持つお話だと思いました。

 最後の部分で、日本人はこれまで体験した事のない苦難と戦っていかなければならない、と田所博士は涙します。そして老人は、それこそが日本人がおとな民族になって行くかの賭けなのだと言い放ちます。その言葉に、小松左京さんの大いなるメッセージの縮図を感じました。
 そして読後に、アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」が、即座に思い出されました。この壮大な、人類が第二段階へと進化する長い道を書いたSF小説に籠められた願いとの、リンクを感じました。この作品は、1950年代の不安を象徴すると言われたものですが「日本沈没」と同様に、人々の道標になる作品だと強く思います。

 幸運な事に、構想のみで発表されなかった「第二部」が、いよいよ小松さんと谷さんとの共著という形で出版されるそうです。けっして軽いお話ではないと思いますが、楽しみに発売を待ちたいと思います。
コメント (2)
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