SpiMelo! -Mie Ogura-Ourkouzounov

L’artiste d’origine Japonaise qui mélange tout sans apriori

Greece〜初ギリシャ旅行!

2018-04-23 19:55:00 | Concert Memories-コンサート旅行記

April 23, 2018


音楽院の試験を挟んで、また2日後に今度はギリシャのテッサロニキ、というアテネにつぐ第2都市に飛び立ちました。

 

着くと、空港の名前が「テッサロニキ=マケドニア空港」になってますがな。えーと、ここ、ギリシャだったよね?

 

ブルガリアのマケドニア地方を訪れたときも感じたんだけど、このギリシャ、ブルガリアにまたがるマケドニア地方の人々は、マケドニア国内でなくても、どうやら自分はゼッタイにマケドニア人である、と思っているらしい。戦争の事情で同じ地域を取ったり取り返されたりかってに国境を引かれてるわけだから、仕方ないけど、その辺の事情をよく知らん観光客には非常に紛らわしいネーミングではある。

 

市内着!一日中なんにも食べてない私たちはアパートホテルに荷物を置くや否や、近所のカフェにてさっそくギリシャビールとギリシャ料理を注文ー!!えーと、満面笑顔のおじさんがビール持って来たのが30分後、超ドヤ顔で料理がでてきたのがさらに1時間過ぎ後なりー!!(笑)

さっすが、ギリシャの実力を見せつけてもらった、としか言いようなし!!しかし、文句なく、全部めちゃくちゃ美味しい。





Very tasty Greek Beer....

しかし経由地セルビアのベオグラードではだいたいの言葉が分かったのに、(私はちょっとブルガリア語を勉強したのでスラブ系の言葉がちょっとだけ分かる)しかし、ギリシャ語は、見事に一言たりとも分からん!!言語のオリジンがまったく違うらしい。スペインやイタリアなどラテン語系もだいたい分かるんだけれど、これとも全く違うぞ。。。ただしスラブ系のキリル文字はギリシャ文字をもとにしてこの辺りで作られた、ということで、けっこう似てる。半分以上は読めるかな?読めてもどうせ意味分かんないんだけど。

 

海ーー!エーゲ海!!初めて見た。





 First time to see the Aegean Sea!!





 

アパートのある通りのカフェでは、一日中ブズーキ(ギリシャの民族弦楽器)を弾きながら歌って、みんなぐだぐだしております。ちなみに夜中もずっとです。ポータブルスピーカーとipod持って来たけど、これは出番がない!!

A café on our street...they play "Bouzouki" and singing all the day...and night!

 





 

聴こえて来る音楽は地中海風で、5拍子や7拍子もあったけれど、隣国ブルガリアのよりずーっとぐだぐだしててテンポが遅い(笑)やっぱり海があって暖かいと、人間ゆったりするのか?

 

のんびりしたこの国は、予定を入れないと気が済まない日本人、またはProjetをやっていないと気が済まないフランス人の療養にお勧めかも!(笑)しかしどうやら私は例外らしく、「ミエはこの国に住んだりしたら本領発揮しそうで怖いな。。。」(by アタ)ということでした(爆)

 

このギターフェスティバルはの中心部のレストランが立ち並ぶまっただ中にあり、海の幸を堪能することができました!!

Grilled Octopus!!





 Calamaris!!










 Greek Salada!!




 Pasta di fruiti di mare!!


 

いつも笑顔が炸裂している、素晴らしいオーガナイザー、フォティスとアレクス。

そして集まってくる人々のなんとオープンで温かい、開けっぴろげなこと!!

私たちのコンサートのあいだも、うちの娘はいろんな人と遊んでもらい、まったくシッターさんなど必要ありませんでした。こんなの、ほんと初めて!すごいなー、ギリシャの人々は、完全に子どものペース、子どもの目線に自然に合わせられるんです。そう、子どもは子どもという二度とない時を過ごしてるんです、完璧な大人ななる準備をしているわけじゃない。ああ、パリじゃあ、あり得ない。。。子どもはヒステリックに命令ばっかりされている!それで子どもがいい子になるかというと、、、そうではなくて、子どももヒステリーになるんですね。

 Thank you for this great moment....Fotis and Alex and Natacha,and very kind persons who played with our daughter!!





 

 

 

 The festival is really in the center of Thessaloniki. We were so enjoyed these good days  with such a good foods with so kind and open people here , under the blue sky in Greece!!





 

 この国の人々は失業率が40パーセントなのにも拘らず、シリア難民を最大限に受け入れ、助けている。

 

フォティス 「前はみんなもっとオープンだったんだ、それが経済危機でみんな内向的になってしまって。。。」

 

じゃあ、前はどんだけオープンやったんや!!って思わず突っ込みいれたくなりました(笑)





 Thank you so beautiful Greece,and we will come back!!!!





 Feta cheese in the market

善意のシャワーを浴びせかけてくれたギリシャの人々にはいろんなことを学びました!ありがとう。

道行く人々さえ、なんの悪意もないんです。。

パリから来るとそれさえも感動的です。

ストレスに溢れ、自分を守って相手を攻撃しようとばかりするのは良くないはず。。。

こんなに良い所、またゼッタイに来たいです!

世界中の人がギリシャでヴァカンスを過ごしたい意味がわかったぞー!!

ほんとにお勧めします、この国っ!!!

 

PS The next concert will be...in PARIS!!! Don't forget le jeudi  3 Mai à 20h,entrée libre!!!

Au cpnservatoire Jacques Ibert: Métro Jaurès.

次回のウルクズノフデュオ、コンサートはなんとーー!!!パリです。

え、当たり前やろ地元やろ?などと言わないでください。すっごいレアなんです、ほんとです。

しかも、オールブルガリアン音楽!!入場無料!!

なんやそれー?!という方も知ってる方も、5月3日(木)20時、どうかお見逃しなく!!すっごいエキサイティングな時間をお約束致します(むふっ!!)


Spain〜フルートコンベンションin スペイン

2018-04-22 18:22:00 | Concert Memories-コンサート旅行記
´April 22, 2018


 

忙しーい合間を縫って飛び立った、スペインはヴァレンシア。

着くと南だわーー、さわやかな南風、きらきらした日差し。。。やっぱり私は南が好き。

しかし、スペインは実はバルセロナの辺りしか知らない。。。しかもあそこはカタルーニャじゃ。

聞くとここヴァレンシアでは、カタルーニャ語とスペイン語の中間のような言語があるのだそう。

Where the Spanish national convention was done...the conservatory of Valencia. Thank you so much Roberto Casado,for your invitation and organisation!!





 

青い空の下、ここで噂のフルートコンヴェンションが行われているらしい。。。

?ロドリーゴ音楽院だぞー!ほれそこのギターリスト、はよー写真、写真!!聖地やぞー?

「そういえばロドリーゴってヴァレンしア生まれだったな」(アタ)そっけないがな!

 

それにしても、あれー、気のせいかやや客が少ないぞー?プログラムに有名曲が入ってないからか?ほかのプログラミングを見ると、「カルメン幻想曲」やら「プーランクのソナタ」やらウィーンフィルやらミュンヘン主席やらのコンサートがあるから、確かにそれに集客で対抗するのは難しいぞ。。。ムムムっ!!しかも、フルートとギターって、面白くない、という先入観もあるかも知れないしな。でもこれって残念よね。もし来てくれたら、絶対にいい時間を過ごせる事、保証するのになあ!!みなさま、ウルクズノフデュオを見つけたら、フルートとギター、という先入観を捨てて来てくださいよね、ゼッタイ!得するから!!ま、昔からの大切なスペイン人の友人、ロベルトが大変気に入ってくれたので、満足、満足!!でも、考えてみれば、何何オケ主席とかいう肩書きもないのに、(フルートって、お堅いヨーロッパじゃまるでオケマンでなければフルーチストにあらず、みたいな風潮があるんだよね、オケはただの音楽の一形態に過ぎないというのに)こういう場所に招待していただけた、ということは音楽をピュアに評価していただけたと、そういう人もいるんだということを認めてもらえるのは、名誉だしすごく嬉しいことですよね。

 

スペインではレストランが開くのは20時以降。。。翌日日の出前に飛び立たなければいけない私たちはスペイン一美味しい、という噂のパエリアも食べられず。でも通りを歩いていると、なつかしの大好きなオルチャータが!!(チューファという木の実からできたジュース)




 Orchata (drink from kind of nuts"chufa")  in Valencia.

慌ただしかったスペイン旅行、、、
絶対また来たい大好きなお隣さん!!
音楽院の試験を挟み、すぐに初ギリシャへ飛びます!!(次回ブログへ続く)



ニコレの話、第2弾!

2018-04-19 10:29:00 | Essay-コラム

April 19, 2018


前回のブログ、衝撃的話題だったにもかかわらず、親しいひとたちからは温かい応援を頂いた。有難うございました。とても勇気を頂いたので、その一部をここに記したい。

 

「希望の旗は手放したらアートは終わりです!」

 

「スタンダードな音、スタンダードなスタイル、スタンダードな音楽、これらは芸術の反対だよ」

 

「審査員のものさしで個性を測ることの怖さ。人が人を裁く怖さ。その事を意識していないことの怖さ。裁かれたその生徒の失意と自己否定への道。教えて来たのは主体的自己表現なのにと思うと胸が痛い。。。」

 

その話に関連しているのかも知れないが、最近ガンガン、ガンガン、頭が痛くなる程いきなりニコレじいちゃんからメッセージが送られてくるものだから、ついにニコレの話第2弾を書くときが来たような気がする。(なんやそれ!話題の第1弾はこちら)でも最後に会ってから彼が亡くなるまでの10年間、苦しまれていたせいか、どんなに私がメッセージを送っても返答がなかったのに、やはりあっちの世界というのは居心地が良いようである。良かった!!

 

さて第2弾は日本でのコンヴェンションの時の話。(もう相当昔の話ですが。。。)

 

コンベンションコンクールのセミファイナルの結果が出た後で、たまたまニコレと鉢合わせになった。(この時のコンベンションはニコレ、ジャックゾーン、レングリという私にとってはこの上ない顔ぶれのゲストだったので来ることに決めたのだった)

 

「どうだった結果は?」

「だめでしたー」

「誰が通ったんだ」「●●●●...」「何!お前の方が吹けるじゃないか」「...知りません...()」腹減ってないか。」「はいムッシュ ニコレ、何か食べに行きます?」

「ミエ、正面口から出たら●●●●の連中(イニシャルも書けない())に見つかってしまう!!こっちから出よう」(と楽屋口を教えてくれる)

「ほら、あそこにどうしても行きたかったイタリア料理屋がある、あそこに行こう!」

「ムッシュニコレ。。。執念の時前リサーチですね。。。」

 

と言うことで私たちは無事●●●●の連中に見つからずに目当てのイタリアンレストランにたどり着いた。

 

席に着くや否や、ニコレの愚痴のオンパレードが始まった。

 

「ああ。。私はひとりになりたかった。。。だって日本では全て集団行動をさせられる。旅館なんて寝泊まりまで同じ部屋だ。。耐えられない。。。ああ、ミエはスパゲティをヨーロッパ風に食べている。。。ああ、素晴らしい、、、私はスイスに帰りたい。。。」

 

「ムッシュニコレ、日本人はそういう伝統があるだけで、悪気はないんですよ多分。。。けどお気持ちとても分かります。私もずっとそう言うのが負担だったので」

 

...私は審査員をしていると、他の大抵の審査員と意見が違いすぎて、自分の耳がおかしいんじゃないか、と思うことある。。。ミエは●●××とどっちが音楽的だと思うか」

 

××です」

 

「ではやはり自分の耳は間違っていないのか?」

 

「私は間違ってないと思います」

 

「よし、今夜は乾杯だ。私はお前のおじいちゃんだ。ミエのこれからの人生を祝福しよう!!」

 

そして美味しいキャンティを開けて、私の前途の為に、乾杯してくれたのだった。

 

その夜は心ゆくまで一緒に飲み、色んな話をした。

 

 舎生まれの私は、岡山まで出かけて行って初めてニコレの演奏を聞いたときに、雷に打たれ(それはバッハのロ短調組曲だった)、ニコレは初めてイタリアのシ エナで私の演奏を聞いてくれたときに(ブーレーズのソナチネだった)「あなたは、あなた自身だ。」と言ってくれた。何かが通じ合っている。岡山からシエナま で、紆余曲折はあっても筋が通っている。

 

 の頃コンクール世界に耐え得るような強靭な精神力も競争心も持ち合わせてなく、みんながやっているから、と流れでその波に揉みくちゃにされ、でもどうして も真剣になれなくて、馴染めなくて、結局大した練習もせず、やんちゃで、生意気で右も左も分かってなかった、そんな時に、私の原石だけをみて、 私そのものの存在を祝福してくれた。

 

今でもよく思い出す、あの日本の酷く暑かった日、雑居ビルの中にひっそり輝いていたイタリアンレストランのネオンサイン、街の裏通りの喧騒。その日のニコレの言葉が、どんなに、どんなに今日の私を支えてくれていることか。

 

その人の内なるものを認め、ただただ祝福できるということ。

 

どんなに有名でも絶対に権力の傘を着ない、それどころか驚くほどに素のままでいられると言うこと。

 

そんな彼がくれた愛を、あなたの次の世代に、繋げなさい、とニコレはいま、あちらの世界から強くメッセージを送ってくれている。

 

PS パリ音楽院とイタリアのニコレのところで一緒に学んだ大切な友人、シルヴィア カレッドゥがなんとウィーンフィル初の、女性としてのフルート首席奏者に就任しました。(正式には来年)すごいことです!!*(その後結局彼女は仮就任を経て解雇となり、世界的議論を巻き起こすこととなる…) 先日のウィーンフィルパリ公演では、(私はこの日行けなかったのだけど)素晴らしく音楽的なペトリューシュカのソロで、とりわけ大きな拍手を得ていたと、聴きに行った友人が言っていました!いつまでも昔のようにピュアで、音楽そのものの彼女。こういう話を聞くとやっと春が来たな、という気がします。色んなことを乗り越えてきたであろう、彼女の人生に乾杯!!


「音」の意味すること

2018-04-16 10:26:00 | Essay-コラム

April 16, 2018


 「てんとうむしくん、なんなんだ、その君の色は。」

 

...10代の女の子の10人に9 が、自分の身体に不満があると答えており、彼女たちの間で摂食障害のために入院するケースが急増している。私はこの傾向が、ソーシャルメディアの普及と、 「プロアナ(拒食症支持)」や「プロミア(過食症支持)」に関係するサイトの増加にリンクしていると考えている。それらは脆弱で、自意識が過剰になる傾向 のある10代の若者に、大きな影響を与えてしまうのだ。....

(今日たまたま目に留まった、メアリー エイケン博士の記事より)

 

 んでこういう記事の抜粋を載せたのかというと、それは先日行われた我がパリ市立音楽院での生徒の試験であった出来事(といってももう何度も何度もこれまで にイヤという程見聞きしてきたことなのだけれど)、学長と審査員の言動について一言、わざわざ世界に向けて書きたいからである。

 

このことをここに書くのは、実際に私が彼らの前ではっきり明言したからであり、決してネット上だからと言っている愚痴ではない。

 

それは、今回もまた、審査員によって放たれたこの言葉。「何なんだ、その君の音は?!」

 

一生懸命フルートを8年も10年も、好きでやってきて、また私が音楽を表現しないで受け身でいるのを許さない先生だから、緊張を必死で吹き飛ばして、健気に各自の才能に見合った方法で音楽を、勇気を持って最大限に奏でた10代の子供たちを、一言で挫かせ自信喪失させるのに、最高の贈り言葉ではないですか。

 

私、 普段は怒ってもどうしようもない場合、何も言わない方なんです。。。でもね、「なんなんだ、この子の音は。どうしてレッスンでこれまでに、ちゃんとお前の 音は悪い、といって治さなかったんだ?」と私に言ってきた日には。。!!はっきり言いますよ。「失礼ですが学長先生、各自の音そのものを否定することは、 その子の顔を否定することと同じなんです。あなたの顔は悪いから、じゃあ手術しなさいねって、それと変わらないほどその子を傷つけますよ。音に関しては、 より多くの音楽的表現を得るため、呼吸やアンブシュアの技術、音への感性、理解を高め、いくらでも向上発展させることが可能です。でも私はあなたのいうよ うな方法で教育するつもりは全くありません」

 

 こで今日、冒頭の記事が目に留まってきた。ナイーブな少年少女はネットや世間の風評、痩せている方が綺麗だという。。。ステレオタイプに影響されて摂食障 害に陥る。音楽の世界で、私は何度、ステレオタイプのいわゆる「美しい音」から外れているために、音が悪い、と言われ続け、傷ついた子を見てきたことだろ う。

 

これはフランスだけの問題だろうか?いや、現在のスタンダードなクラシック界そのものが、「音楽することをまるで床の間の上の置き物の完成品を作るかのように考え、音楽とは必竟自分なのだ、ということも分からずに習得に明け暮れる」(八村義夫著 ラ・フォリア、ひとつの音に世界を見、ひとつの曲に自らを聞く」より)という歪んだ思考を持っているからではないだろうか。

 

 んな審査員からコンクールを受けるたび「音に問題がある」と言われ続けて、しまいにフルートで一番大切な「呼吸」を忘れてしまうまでに追い込まれる。自分 の顔を隠すが如く、自分の呼気=音を出すことに恐怖感を持っていく。それは拒食症になる子たちが、生命維持に一番必要で生の根源である「食」を忘れていく 過程と酷似している。前述の作曲家、八村義夫さんが言うように、音とはその人の「生」そのものであって、工業製品のように「不良品」だからと修理するもの ではない。

 

 ういう学内試験の話を一度パリに留学に来ていた生徒のいーちゃんにしたら、彼女は自分がやはりそのように言い続けられてきて、全く自分の自信をなくすとこ ろまで追い詰められたのだと言い、そして傷ついた小さな生徒たちの為に泣いてくれた。私は彼女の涙を、そして先日もまた流された若い生徒たちの涙を忘れな い。

 

「音」はその人の根源的アイデンティティを示すものだ。人間、しかも音楽に携わっている人間が、上にいるという立場を利用してここまで悪意を持てるとは、本当に信じがたい。これは生徒を思い厳しいことを言っているのとは断じて違う。

 

私は10年間教えてきて、18歳の今回の試験をもって音楽院を「追放」になった私の大切な生徒に、このようなメールを送った。

 

「悪 意というものも、善意というものも、人間界にいる限り、あなたのすぐ隣にいる。いつ降りかかってくるか、誰に降りかかるのか、それは誰にも予想がつかな い。私は今晩泣いている。でも私は、私が誰の評価も得られなかった厳しい時代に、私の最高の師匠ニコレが私にしてくれたように、あなたに、あなたの人生を 祝福したい。さようなら、今この音楽院の小さな世界から出なさい。そしてあなたのこれからの人生に乾杯!!」

 

彼女から来た返信は私の宝物なので、ここには記さないことにする。