SpiMelo! -Mie Ogura-Ourkouzounov

L’artiste d’origine Japonaise qui mélange tout sans apriori

ニコレのこと Aurele Nicolet

2016-01-30 14:00:58 | Essay-コラム
本当に長い間苦しまれたニコレが、ついに旅立ったと聞きました。
ニコレに会えずに私もとても悲しかったけれど、誇り高く、もうこのような状態で誰にも会いたくない、といってひとりで暮らされていたニコレは本当にとても辛かったのはないかと思う。会えなくなってから10年、とても、とても長い、生きていらっしゃるのを知っているのに会えない、辛い時間でした。何人かの彼に近い人になんとか近況だけでもと聞いていたのだけれど、とても幸せそうには思えなかった。手紙も送ったけれど読んでもらえたのかも分からない。思えば、キジアナでの最後の講習会の時、フルートを吹けなくなったときから崖を転がるような状態だった。
もう私はフルートも吹けないのに教える価値はない、と絶望のふちに立っていらっしゃった。誰にも止めることができなかった。有名だからと、その名前にすがる人では決してなかった。逆に、いつも自分を無名の人として扱ってほしい、という願いを持っている人だった。
旅立たれて、その後本当に安らかになれるのかは私には分からない。けど、ふたつの世界の間を誰にも会わずに彷徨っているよりはきっと、今頃彼の会いたかった人に会えているのではないかと、そしてまた、私もいつかは彼に出会えるのではないかと思えるのです。あんなに人間と人生が好きだったニコレだもの。


これは私が数年前に書いたニコレについての記述です。今日は悲しいけれど、また続きも書いていきたいと思っています。



これはついに手に入った、謎のCD

パユやレングリに続いて、私の名が実はこれ、2000年にスイス・ジュネーヴ音楽院を一日貸し切り、彼の生徒たちや友人らによって行われた「オーレル・ニコレの一日」という企画のコンサートの実況録音CDなのです。私は彼の生徒ですから、トリオ・エスパスというグループと、即興でコンサートに参加しました。確か。

「確か」というのは、こともあろうに、私、このときやった音楽の内容をちっとも覚えていないからです。
もちろん、コンサート自体は思いで深いものだけど。。。特にレングリのバロック・フルートと木管モダン・フルートでサンドイッチしたスゴいリサイタルは一生忘れられないものだったけれど。。。なぜか自分がやったことはまったく覚えてなく。。
ということで、このCDの存在は知っていたものの、買うのは躊躇していました。
だって、なんか自分で覚えてもない演奏が、しかもパユやらレングリやらと一緒のCDに入っているなんて、恐怖じゃないですかしかも誰もくれなかったし

と、先日、あのとき以来久々にレングリのマスター・クラスでレングリの素晴らしい音楽に触れ、その後でこの話をふと思い出してパリ音楽院フルート科伴奏者タナダサンに話していたら、なんと私の誕生日に買って来てくれました。

聴いてみるとこれが。面白いCDです。

先述のレングリによる超人的なコンサートや、パユによる武満や平の作品の演奏が中心で、普通のフルート関連のCD
にありがちな保守的なおとなしさとは無縁。なんだかニコレの生徒達は、ニコレ、という大木から四方八方、縦横無尽に元気に伸びて行く枝たちのようで、ものすごく勢いがある。無限の探究心、ひとりひとりの深い知性。

それこそがニコレの教えたこと。
イタリアのシエナでのニコレのクラスは、すごいもんだった。
一ヶ月の課程を終えて、最終コンサートの日に、すごく感じたのは、ひとりひとりが、全く違う、より本当の「ひとりひとり」に回帰して、自然に自分自身の根っこから演奏をしている、ということでした。

ニコレはだれにも教えられないことを教えられる。

例えば、モーツアルトのコンチェルトをみんなでやった日。しっかり練習してきてテクニックもある生徒が、いくらうまくフレーズを吹いても、ニコレは「non!」「 non!」の連発である。

なぜか?それはその生徒が「今、その場で、感じたことを、音にしていないから」。

フランス語で言う、"ici et maintenant"

ニコレの前では、音楽とは切ったら血がでるほど新鮮で、真摯でないと許されなかった。

なまぬるい演奏をする生徒には、部屋のうしろの壁まで行かせて、声の限り叫ばせた。

サッカーのワールドカップの決勝の翌日には、「練習していたので見ていません」と言った生徒はえらい怒られた

音楽で表現するには、先ず人生があり、自分の感情を開放させること。音楽以外の世界にも興味を持つこと。ニコレの存在は、私達が自分自身にしかできない人生を生き、自分の感覚に正直になることを、徹底的に学ばせます。

私が初めてニコレに演奏を聴いてもらった日のこと。ニコレは私に、「食事にお誘いしたい。なぜかというと、あなたはオリジナル(注あなたそのもの)だから。」すごい言葉だと思いませんか?それからというもの、15年間にわたりレッスンはもちろん、いっしょに食事しながら、また飲みながらおじいちゃんのような存在で、私にいろんなことを教えてくれた。

一緒に酔っぱらって徒党を組んで夜中のシエナの広場を練り歩いたり、日本のコンヴェンションでは抜け駆けして一緒にイタリア料理を食べに行ったり。
生粋のヨーロッパの文化人でありながら、ハメを外すのも大好きだったニコレおじいちゃん。

私の音楽人生は、16歳で岡山でニコレのコンサートを聴いて感動したときから始まったんだから、ほんとうにすごい絆だとおもう。

このCDの最後に収められている、ニコレの言葉。

「若いロシア人やルーマニア人に多く会って来た。かれらは音楽をやろう、と決めたりはしない。彼らにとって、音楽とは酸素のように必要なものだから。」

すべてを言い得た、素晴らしい言葉。この言葉をニコレのあの声で聴いていると、不覚にも涙が出そうになった。
今は体調が悪く、入退院を繰り返されていて、会うこともできないニコレ。

本当にタナダサンは良い誕生日プレゼントをくれたと思います!