SpiMelo! -Mie Ogura-Ourkouzounov

L’artiste d’origine Japonaise qui mélange tout sans apriori

アンサンブル・ノマド「中心なき世界vol.1: ジャズが運んだもの」

2021-05-13 12:39:00 | Essay-コラム

はっきり言うと私はジャズが好きだ。だからクラシックを土台とした現代音楽を演奏するアンサンブル・ノマドが、5月12日の定期公演でどのようにこのテーマに関わるのか、ことさら興味を持って見ていました。


私のジャズ好き、と言うのは、クラシックやその延長線上にある現代音楽は、構造上奏者が床の間の上の置物を崇めるごとく他人行儀になる失敗がありがちなのに対し、(人を批判しているのでなく、自分がそういう体験をパリでしてきたから)、ジャズは音楽の構造上有機的な反応が出やすいから、と言うだけであって、表面的な好みという物差しを差しおくと、ジャズじゃないといやだ、いや逆にジャズは嫌い、またクラシックだ、いや現代音楽だ、というようなジャンル分けにまったく私は興味がない。


ジャズでもクラシックでも何でも、そういう枠に入っている演奏には特に興味がない。


でも物事はそう単純にはいかなくて、国境がどんなに無いといくら観念的に言っても実際には存在するのと同じように、人種差別は不可ません、と言いながら実際には人種間で嫌と言うほど分かり合えないのをパリで散々経験しているように、ジャンル間の壁というものはしっかり存在する。そしてそれを乗り越えられるのは、本気の人だけ。深い思慮と柔軟性と、弛まない鍛錬と経験と不屈の心を持っている感性のみに可能なことは、失敗に失敗を重ねた私は身を持って知っている。だからジャンルを超える、とか、それぞれの音楽のルーツも本質的に理解せずに簡単に嬉しげに(香川の方言!)言うのを信じない。


昨日のライヴ配信コンサートでは、その時代にしか出来ない完成形でインスピレーションに溢れたストラヴィンスキー作品、ミルトン・バビットや牛島安希子さんの曲の中にある葛藤や様々なアイデアを、非常に興味深く聴いた。それは、紀雄さんが言うように、いつもジャズを横目に見ていた、近づきたい、しかし「書く」という方向で。真摯な葛藤が丁寧に描かれる。


そして面白かったのが、休憩を挟んだ最終曲、大友良英さんの「ストレイト・アップアンドダウン組曲」(初演)で、そんな葛藤の壁を2021年現在、気持ちよく撃ち破ったこと!


佐藤紀雄さん始めとするノマドの奏者たちと大友良英さんの個人個人の力量の化学反応。


それは歴史的成功だったと思う!


誤解を恐れずに言うなら、ピアノの中川賢一さんのフリーインプロなんて、よく聴く懐古主義的なジャズのインプロより100倍すごかったです。


壁を乗り越える瞬間って、そうはない。そしてそこには笑いがある。最後に私が爆笑しちゃったのは、このこの美しい壁の破壊の瞬間を一緒に生きたからだ。ベルリンの壁、見事崩壊!


その成功が日本で、日本人の感性を経て、というのも納得できる。

クラシック音楽の産まれた地ヨーロッパでは、本場クラシックとフレンチジャズという歴史が邪魔して、(これは日本にはない深さなんだけれど)雑多で柔軟な土壌がないならだ。そこではそれぞれの存在意義は譲らないが、その分クリアーに線引きされる。


だからこそ、この地で日本人として壁を壊したいと思っているのだけど。


でも国とかそんなこと関係なく私が一番好きなのは、一緒に息を呑んだり、葛藤したり、腹から笑ったり、そこにはもう聴衆と奏者、作曲者と奏者、指揮者と奏者、楽譜と即興という壁もなくなっている、この感覚!!


私が8年ぐらい前、パリのゲットーにある小学校に赴任して、人種の坩堝のどうしようもなく荒廃した地区の生徒たちを教えて、1年の異様な葛藤の挙げ句、やっとお互い本音を分かち合えた瞬間、子供たちがみんな破顔一笑したのを、鮮やかに思い出しました。


笑いって、実は一番高度な、身体反応なのかも知れない?!


そこで大友さんのプロフィールを見たら、アマプロ関係なくコンサートやワークショップを掛け合わせて聴衆を巻き込む参加型プロジェクトもされているようで、私のパリ19区でやっている「スパイラルメロディー・プロジェクト」と趣旨がとても似ていて驚きました。


今日のみんなを巻き込んで壁をぶち壊す感覚は、実は昨年310日の「スパイラルメロディー」ライヴinパリ、以来だったんです。

(このライブでも、あの時共有した感覚が忘れられない、と言ってくれる人が何人もいました。)


あと紀雄さんが話しているように、この状況でコンサート配信による新たな可能性が開けていることは、とても面白い!何しろ1000キロ離れたパリで、感動を共有出来たのですから。


音楽に何よりも未来がある、この中心を無くした世界において。こんな可能性に酔いしれた、ノマド公演。次回はなんと、私たち「らるちぇにっつぁトリオ」の来日に伴い、私たち三人をなんと、ノマドが招いてくれるのです!


この続編に自分たちが含まれているなんて、幸せ過ぎます。初来日となる、とんでもブルガリア音楽の巨匠ペーター・ラルチェフ(アコーディオン)と私ミエ・ウルクズノフのフルート、ギターのアタナス・ウルクズノフが、「中心なき世界vol.2:弦が運ぶもの」にゲスト出演させていただきます。


これは、はっきり言って自分たちでさえ、どういう展開になるのか予想もつきません!


1011(月/祝)19時、東京オペラシティにて。どうぞお楽しみに!!


こちら仮チラシです。






新緑の季節、ワクチン、オリンピック。

2021-05-08 16:33:00 | Essay-コラム

パリも新緑の季節となりました。

この季節には一度どーんと気温が下がって寒いこと、5月は学年末が迫っているというのに祭日が多く仕事が中断され捗らないこと、夏のヴァカンスは目と鼻の先だと言うのにこのジレンマに晒される、あまり愉快とは言えない月になることが多い。




このコロナの状態が収まらなくて音楽院はネットレッスンを続行する状況の中、小学校では陽性者が出て次々にクラス閉鎖が続く中、五人の小さいフルート奏者に息を吹きかけられる状態で週2回勤務という、かなり厳しい曝露労働条件にある私も、ついに来週にワクチン接種の予約が出来ました。


2回目接種の6月末以降、ワクチン証明を持って旅行できるので、夏にはデュオのコンサートがドイツで、トリオのコンサートがデンマークで控え、ついに出口が見えて来たかも知れない?!という感じがしています。



音楽院脇の運河、月曜日の朝。

しかしインドの非常に厳しいパンデミック、また日本のオリンピックの進退問題、それに伴うワクチン接種の遅れと感染爆発、コロナとは違うけれどミャンマーの人権危機を見ていると、世界的にはとても出口が見える状況とは言い難い。


このような中で私たち音楽家に出来ることは、やはり少しでも音楽を演奏し伝えていくことだけだと思うので、ネットレッスンになろうと、配信になろうと、観客が半分になろうと、その状況状況でできる限りのことをしていくため、少しでも思考がブレてネガティブにならないようにと思っています。



初夏の小学校の校庭。



先日めでたく万博助成国際交流事業に採択された、「らるちぇにっつぁトリオ」10月日本ツアーが6ヶ月後に迫り、日程を出したい気持ちが山々なのですが、なかなか緊急事態宣言が明けるまで決まり切らない状態です。


そんな中で、私達を助けるために持てる限りの知恵を使って、日本で走り回って下さっている方達がいます。地元高松でお世話になった先生方、そしてブルガリア音楽、また新しい音楽への情熱を共有する友達たち、そして驚くべきことに、まだ顔見知りでもないのに、なんとか私たちの音楽を日本に届けるため、奔走して下さっている、また心から助けて下さる事を厭わない方たちがいます。


この方々の情熱に、本当に心が熱くなる思いです。ご自分達の生活も大変ななか、それでも自分が信じる音楽への使命を共有してくださる。こんなに素晴らしいことが、人生で起こるとは思ってもいなかったです。


音楽バカでロクに企画した経験のない私に、いかに欲を出すことや、状況を見据えないことが命取りになるのか、この方たちから教えていただきながら試行錯誤で前に進んでいます。


この場を借りて、この美しい方々に心からお礼を申し上げたいです!




私たちの音楽院では、突然4月から学長が不在になって、どうしたんだろう?と思っていたら、なんと19区のワクチンセンターで一日中朝早くから夜遅くまで、週末も返上してワクチンを打つ手伝いをしているのだそうです。


正直学長先生とはお互い音楽的に理解できかねる事も色々あった。(その度にきちんと向き合って来たけれど)、今回コロナによる音楽院の運営悪化の長期化に絶望した彼が、ワクチン接種をもってしかこの社会正常な状態に戻せないと悟り、自分を捨てても社会奉仕をしているなりふり構わない姿に、感動しました。


自分には絶対出来ないやり方で、使命を果たしている人がいる。


私たちは、極限状態になって初めて、個人がやらなければいけない使命に気づいている。


あんなに楽しかったスポーツの祭典オリンピックはいつしか巨大化し、巨大なカネのシステムが化け物のように独り歩きして、個人の暖かい人間的な思慮や、臨機応変に対応できる柔軟性などの入り込む余地が無くなって暴走している。


そこでは善意のスローガンは、悪意にすり替わる。


ただでさえ切迫疲弊している医療を無償で使えるとか、絶対安心安全とか、独裁者が歴史的に使ってきた上から目線の常套句を、麻痺した人たちが口々に叫ぶ。


この暴走を、人間はその本来の人間性で止められるのだろうか?

世界中の個人の、特に当事者日本人の力量が問われていると思う。




今、私は個人のとてつもない力に感動し、個人を潰す巨大なシステムに絶望する。


しかし私は、個人の力が必ずシステムに勝つはずだと、強く信じている。



よく見ると、マスクが!