SpiMelo! -Mie Ogura-Ourkouzounov

L’artiste d’origine Japonaise qui mélange tout sans apriori

« Ralchenitsa Trio » Japan Tour schedule in October! らるちぇにっつぁトリオ10月日本ツアー日程発表!と今の心境。

2021-06-28 14:04:00 | Info Concert-コンサート予告

ここまで全速力で企画してまいりました、「大阪万博基金expo’70」の国際文化交流事業の助成事業に採択されました「らるちぇにっつぁトリオ10月日本ツアー」の日程を発表させて頂きます。


  1013()19時 入間市武蔵ホール (YouTube配信あり)

  15()19時 東京・オペラシティ近江楽堂

  16()13時 渋谷クラシックス(ブルガリア音楽ワークショップ)

        17()16時 高松穴吹学園ホール

  21()13時 高松サンポート内()(ブルガリア音楽ワークショップ)

  23()15時 高知市オーパスクラブ/ライラホール

  24()~28()九州/確定待ち(決定次第お知らせ)

  30()1345分 大阪府立労働センター内プチエル/ブルガリア音楽レクチャーコンサート


« Ralchenitsa Trio » Japan tour in October 2021 Schedule;


(This tour is subsidized by Expo’70 fund for the culture exchange projects.)


13/10 19h Iruma-city at Musashi-hall (also online concert on YouTube)


15/10 19h Tokyo Opera city/Omi-Gakudo


16/10 13h Tokyo Shibuya/Bulgarian music Workshop at koendori-Classics


17/10 16h Takamatsu Anabuki-Gakuen hall


21/10 13h Takamatsu/Bulgarian music Workshop at Sunport hall 


23/10 15h Kotchi-city at Opus-Laila hall


(24/10-28/10  at Kyushu waiting confirmation)


30/10 13h45 Lecture concert at Osaka Petit-L hall 





Promotion vidéo 






詳細はこのブログにて随時発表していきます。九州の一箇所が未定になっておりますが、数多くの市町村が文化事業のキャンセルを選択したこの厳しいコロナ禍の中、日本で稀に見る精神のオープンさ、類稀な文化への強い好奇心で私たちのプロジェクトに興味を示して下さったその市は、現在オリンピックのホストタウンとして大変なご試練の只中にいらっしゃいまして、まだ10月の予定の詳細が出せない状況ですので、確定してからの発表になります。


その市の関係者方々、また間に入って対応してくださっている企業の方は、顔見知りでもないのに私たちの音楽にかけて下さる情熱で、度々ヘコみそうになる私に多大なる勇気を与えてくれます。


それに地元香川で助けてくださる方々、各地のアコーディオン奏者の方々、多大な音楽への情熱を持った日本の友達のみんな。。。大きな風に煽られて倒れそうになりながらも、こうしてブレない人たちがいるからこそ、文化は救われるのだと思います。その出会いに心より感謝したい。


私は一ミュージシャンで、ただでさえ企画のシロウトなのに、ここまで状況が視界不透明だと、一体なにが勇み足でなにが遅すぎるのか、まったく分からなくなってくる。でも、今は世界中がそういう状況なんである。数ヶ月先のことは誰にも分かりはしない。。。


チラシやホームページ、運営の全てが遅れていることを、この場を借りて関係者の皆さまにお詫び申し上げます。


私たちは2回の接種を終え、ヨーロッパ旅行パスを得て、この夏はヨーロッパ内のコンサートが可能になるけれども、未だオリンピックを控え論議の只中にある日本で、10月にそれが可能になるのか?


それは運命のみが知る、です。

すること全てやったら、もう天に任せます。

疲れてヘコみそうになるたびもう、そう言い聞かせます。

何事も無理矢理押し通すのでなく、運命に乗ってサーフィンして行きたいと思います!



皆様どうか引き続き「らるちぇにっつぁトリオ」の応援を宜しくお願い致します!


らるちぇにっつぁトリオメンバープロフィール✏️

ペーター・ラルチェフ/アコーディオン


ついに待望の初来日を果たす、ブルガリアの「アコーディオンの王」ペーター・ラルチェフ。世界有数の超絶技巧を擁し、目眩くテクニックでブルガリア音楽の魂を表現するラルチェフ は、聴いたものの心を深く捉えて別世界に誘う。伝統音楽の盛んな自国ブルガリアで、巨匠と呼ばれ国民的スターとして知られる。

自身のグループでのツアー、ソロ、オーケストラとの共演及び国際マスター クラスを精力的に行うラルチェフは、今や世界中のアコーディオン奏者のインスピレーションの源である。国境を超えた奏者との共演を通して、伝統に留まることのない創造への挑戦を熱望する。ミエ&アタナス・ウルクズノフと意気投合し「らるちぇにっつぁトリオ」を始動。ヨーロッパ各地のフェスティバルでスタンディングオベーションを受ける。


ミエ・ウルクズノフ(小倉美英) /フルート


香川県出身、高松第一高校音楽科卒。パリ国立高等音楽院フルート科に入学、その後即興科を最高位で卒業。現代音楽、ジャズ、インド音楽、ブルガリア音楽に魅せられる。そのフルートを超える圧倒的表現力は「色彩の扇」と呼ばれ、世界各地で演奏。多様な言語をミックスし、聴衆をも巻き込みながら複数楽器演奏で臨む自作自演即興プロジェクト「スパイラル・メロディー」をパリを拠点に展開。一方でアタナス・ウルクズノフとデュオでの20年に渡る共同作業は「他の追随を許さない至宝」と国際的に評される。

教育面でも「多様性」に向けて挑戦し、パリ市立音楽院唯一の日本人フルート科、即興科教授として、人種の坩堝パリ19区で生徒達と共に音楽の可能性を探る。


アタナス・ウルクズノフ/ギター


ブルガリアの民族音楽とストラヴィンスキーに挑発され、ギターを弾き始めると同時に作曲し始めた鬼才。パリ国立高等音楽院ギター科主席卒、現在パリ市立モーリス・ラヴェル 音楽院教授。 その作品は数々の国際コンクールで最高位を受賞、ギター作品を始め室内楽曲や協奏曲など、怒涛の創作意欲は今日までとどまるところを知らない。トレードマークであるキャッチーで親しみやすいメロ ディーや強烈なブルガリアン・リズム、斬新な現代奏法などが世界中の注目を集め、ソロやミエ・ウルクズノフとのデュオで数多くの国際フェスティバルに招聘される。

トップ奏者でありながら非常に多作な独特のスタイルで、現代ギター界を牽引する孤高の存在。


佐藤洋嗣/コントラバス(ゲスト)


高校時代はエレクトリック・ベースを演奏し、卒業後コントラバスの魅力に触れ、転向。東京音楽大学卒業。日 本現代音楽のパイオニアである「アンサンブル・ノマド」のコントラバス奏者に就任し、数多い現代作品を初 演、コントラバス界の時代の寵児となる。 オーケストラやタンゴで下から音楽を支えつつも、ソロで4回のリサイタルを実現するなど、精力的な活動でコ ントラバスの可能性を極限まで探る。20192~3月、スパイラルウルクズノフプロジェクトと題し、ウルクズノフデュオと共に日本ツアーを 実施、全国8カ所で公演、大成功を収める。

現在バンドジャーナル誌でワンポイントレッスン連載中。


先生の目、先生の音

2021-06-06 07:52:00 | Essay-コラム

私は教育ディプロマに全く縁がなくて、気づいたらいつの間にか教えていた、という人なので、この度やっとフランス一級国家器楽教育免許に経験値で準ずるパリ市公認証明を取得した訳けれども、「教え方を教わった」ことが一回もないので、全部自分で手探りでやってきて、自分でやり方を組み立ててきた。


ここのところ、国家教育免許を取得するために若い子が私のクラスで教育実習をしに来てくれていて、最後に実習の締めくくりとしての最終試験(審査員の前で実際に私の生徒に教える実技)の審査員として参加することになった。


審査員、とは言ってももう3ヶ月以上彼女とディスカッションしたり、彼女に私が教えるところを見せるだけでなく、彼女が実際に私の生徒たちに教えるのをサポートしてきたので、試験ではちょっとした板挟みの難しい立場に立たされることになる。


でも、これまで成り行き上出会ったことのなかった「教えることを教える」エキスパートである他の審査員の方たちは、さすがそういう立場を最初から理解してくれていたので、安心して意見を言えたし、その道の専門の意見やディスカッションの仕方を、とても興味深く聞かせて頂いた。


教えている間彼女が一度もフルートを吹かなかったことは、もちろん大きな焦点になった。


レッスン中にフルート吹きまくる、あー、そうじゃないんだよなー、こうしてよね、と説明する前に音が出てしまう私のようなタイプからは想像もつかないのだけれど、演奏せずに口頭で説明するやり方の先生というのは、聞くところによると結構いるみたいで、彼女もそういうタイプらしかった。私も彼女のレッスンを見ていてとても気になって助言したことではあったのだけど、なにせ「母親と住んでいるしコロナが怖いのでフルートは持ってこない」と言われたらそれ以上「でも次は持ってきてね」と言うことも出来なかった。しかし、実技の時にかなり意図的にそうしているようで、せっかく持ってきたフルートもピアノの上にちょこんと置かれたままだったので、あー、これはもっとちゃんとそれについてツッコんでおくべきだったのかも、、、という私の後悔をよそに、そこに全員から早速槍の如く彼女に質問が入った。


彼女の答えは「自分が吹くことで生徒が自分のやったことをマネしたら、生徒の自主性がなくなるから」だった。


あと、彼女は口癖のように毎回生徒に「これはどう思う?」「どうやりたい?」と聞いていて、一度たりとも「こうやったら」「こうしなさい」などという断定的な言い方がなかった。


一見これは、「生徒の意思を尊重している」ように見えるが、果たしてそうだろうか?と言うのがエキスパートさんの意見。実は生徒の自主性という名目で自分が間違ったことを言わないように安全なところに隠れているのではないか?マネされると生徒の自主性がなくなると言うが、そう言うならばフレーズを歌いながら説明したりしている時点で生徒らはもうあなたならこうするという影響を受けている。それならばなぜ、フルートを吹くことのみ拒否するのか?


おー、さすがの鋭いご意見!そっかー、何回か彼女のレッスンを聞いていて、いまいち腑に落ちず、なんか喉につっかえていたのは、そうそう、それだっ!さすがエキスパート!と膝を叩いてしまった。 


彼らエキスパート様たちは完璧に「客観性に終始する」ということに慣れているので、「嫌われてもいいから音出せ!音に耳を浸させろ!」とか「こんな単純な音楽を根掘り葉掘り掘り起こして分析すんじゃねえ、バッハじゃないんだし」とかいう私の主観のみの単細胞コメントに爆笑しまくっていた。


確かに彼女のやり方には、どこかに何らかの自己防衛というか、ブロックがある。自分をマネされては困る、という考えが実は自分自身のコンプレックス、または「間違いたくない」という完璧主義由来の怖さから来ているのだとしたら、、、そのレッスンはいつの日か生徒を同じ種類の不安に陥し入れるかも知れない。


生徒の方はやはり先生の音が聞けないとフラストレーションがたまるのじゃないかなあ、先生の方にどうしても演奏出来ない事情があり、生徒も納得しているケースは別として。


人の音を愛するには、まず自分の音を愛することなのか知らん。


あとは、子供を育てていて特に思うのだけれど、子供には「母親、また父親はこのような人であった」というようなれっきとした「モデル」が必要なんじゃないかな、と。それを元にして、子供はそのようになりたいと思うなり、反面教師にするなり、自由にして行けばいい訳でしょ?もし良かれ悪かれモデルが示されてもいなければ、一体何を基準に「自分の意見」を作ればいいんだろうか。


私は生徒に選択肢が無いことに対して意見を聞くことは意味がないし、もし聞いたとしても、靄がかかってそうな時はこっちから察して、さっとモデルを示すべきだと思う。


そうやってモデルをいっぱいいっぱい示しているうちにどんどん生徒の選べる可能性が増えていくんじゃないかなあ。


教育者だった私の母の言うところの「それぞれの空っぽの箱を満杯にするまでとにかく詰め込め!そしたら各自の創造性は勝手に溢れ出してくる」、これである。


本質はたぶん、演奏した、しなかった、という事よりも、自分はこう考えているから、と自分目線で物事を見てしまっていることだ。自分のアイデアがどうこうより、先ずは相手を見て、相手の可能性を高めることを考える。でもこれには何より先生自身の箱が一杯であること=自分に自信を持ってないと無理だから、本当に若い生徒にはとても難しいことだと思う。


だから若い時は色んな意見を言って、間違っていようが何だろうがどんどん色んな世間の意見とぶつかって行くしかない。色々発言している若きテニスプレイヤーの大坂なおみさんを見ていて思うんだけど、それが出来るこの人はきっと素晴らしい、自信を持った大人になっていくことだろう。


それに比べて、私の知っている範囲でも、自分の固いカラに閉じこもって、何かとぶつかると嫌がり、他の誰の言っていることも内側には本当は何も聞こえていないんじゃないか?と思う若者の、なんと多いことか。


そのような若者の一人に見えた彼女には、密室に一人で入って教える前に、気付く機会が与えられた。私も彼女には逆方向から素晴らしいことに気付かせて貰ったと思う。


その証拠に、この試験が終わった後、あんなに厳しいディベートだったにも関わらず、(この辺本当に、真の客観性を持てるフランス人のディベート力には心底感心させられる)「あなたがちゃんと偽らず自分のやり方を頑固に示したから、あれだけのディベートを巻き起こしたね。おめでとう」と言ったら、彼女は3ヶ月前に知り合ってから初めて、心から私に笑顔を見せてくれた。彼女が心を許してくれた瞬間だったように思う。


それは彼女の未来に差す一筋の光のように見えた。


普段着コンサートvol.6 〜ブルガリアと日本の架け橋〜 my new compositions on « two Japanese traditional melodies »

2021-06-03 09:22:00 | Essay-コラム


This video is the sketch of my new composition on « two Japanese traditional melodies ».


今回の普段着コンサートでは、

「らるちぇにっつぁトリオ」10月日本ツアー〜ブルガリアと日本の架け橋〜のために現在編曲(作曲?)している曲のスケッチを紹介します。 使った題材は日本の民謡二曲。何の曲か分かりましたでしょうか?はい、四国地区限定です笑!


ある意味ネタばれだけど、実際にトリオで演奏したら、この核とは全く違ったものになると思うので。


ツアー日程は、ほぼ決まっているものの、今は誰だって数ヶ月先のことまでは考えが回らない。日程発表はこのブログ上で、緊急事態が収まって、少しでも状況が落ち着いてからにしたいと思いますので、もうすぐ、もうすぐ状況は良くなるはず!と希望を持って発表できる日を楽しみに待っております。


コロナでまだまだコンサートが再開されてなくて、_次回7月にドイツ、8月にコペンハーゲンと、夏頃にはちょこちょこ再開予定。嬉しすぎる!_演奏面で暇な割にまあ、いろんな雑用(アパート購入の気が遠くなりそうな煩雑な手続きと、ハプニングの連続、普段と違うオーガニゼーション(刻々変わるネットレッスンと対面レッスンの混合やワクチン接種、スト、ツアー企画の慣れない事務的側面などなど)に疲れ果てている状態ではあるのだけど、少しずつ時間を縫って作、編曲している。


私は何でもいいけどいっつも何かを作っていないと、気が済まない性格なので、_我がウルクズノフ家では考えてみれば、三名全員そうですね。新居は三人が三人とも好きなだけ好きなものを作れるような、ニュートラルな空間の家にしたいと思う。_最初は単に編曲しようと思っても、途中からイメージが広がってきて、その曲を素材にした自作になってしまう。頼まれたら、ガチに楽譜のあるトランスクリプションだってやるけど、そういう最初から形のあるものよりは、耳からのイメージで好きなようにどんどん膨らませて作れるやつが一番好きだと思う。


で、即興が構成の中でキー的な位置を占めること。これ一番大事、私にとっては。


即興によって、どんな風にも変幻自在になるような懐の深い曲が理想。そんな曲が書ける日が来たならめちゃ嬉しい!みんなが好きなように自分の曲で即興するなかで「想像したように、また想像以上に実現された」あるいは「予想だにしなかった恐るべき展開になった」、どっちにしてもこれに勝る喜びはない。


今回は、日本とブルガリアの架け橋、ということで、この企画を考えた時から、日本民謡をブルガリア風に編曲してみたい、というアイデアがあった。


で、実際にやってみないと分からなかったのだけど、(アイデアというのは、アイデアのままだと絶対音楽にならない、実際に音にするには自分の深部に降りていく必要がある日本の民謡の持つフィーリング、タイム感というのは、非常に独特で、拍子に入りきらないアシンメトリーであるということ。


ブルガリアの旋法と日本の旋法を混ぜたり、ジャズの和声付けを接着剤にするのはカラクリみたいなもので、遊び、楽しさでもある。でもそういう表面上の遊びから始まったものが、どんどん二つの世界の深部に連れ込まれたのが面白かった。


日本民謡は旋法なんかはすごく単純なものが使われていても、なぜこんな深みのあるフィーリングがあるのか。それを掘り下げ、ただ洋風にするのでなく、自然な流れを大事にしながら、その裏にある世界観、タイム感を表現したかった。


作曲する時特有の、普段とは違う、深層心理?無意識?のチャンネルに入ることで、自分が日本人としてブルガリア音楽をやる意味、自分がこの80%即興でやる音楽を演奏するにあたって、どのようなスタイルで即興するのか?を前よりは少し納得できたような気がする。


ブルガリア音楽というのは変拍子が多いことで有名で、それが1番の難点であり面白さではあるのだけど、彼らが即興する時のアシンメトリーはブルガリアの織物のような永遠にアシメントリーに繋がっていく幾何学模様であり、私日本人の感覚にあるアシンメトリーとは、それとは全く意味の違うものなのだということ。


それこそが我らがリーダー、ペーター・ラルチェフの言ってくれた「あなた自身の言語」だと思うのだけれど、この感覚は残念ながら言葉では表現出来ない、私の貧相な語彙では。村上春樹とかならすごく上手く言ってくれそうだけど。


でも、私には自分の楽器があって、その掴んだフィーリングを表現することはできる。

なんと幸せなことか。


よし、編曲はできたとしよう。でも、深いところで、この二つの違った世界を結びつけるには、竜の目を入れるように、奏者たちが実際に舞台で即興することでしか実現されない。


そこでは対立もあるだろうし、共感もあるだろうし、一体何が起こるか予想もつかない。


でも、演奏できるその日が、確実に現実のものとして近づいて来ている!たぶん。音楽院も今週からほぼ通常通りとなった。念願のワクチンを打てたこと、新しい技術を開発された方々、それを早く打てるように日々働いて下さっている医療の方々に心から感謝したい。同時に、国ごとにシステムの違いや膨大な経済格差があり、世界中の人がワクチン接種を終えるまでは当然パンデミックの出口は見えない。


そういう中でIOCによる「日本が緊急事態でも五輪を開催する」という表明は、民主主義と資本主義の矛盾が、極限まで表面化したものだと思います。一民主主義国家の主権に対して、そんなものよりもカネの方が大事なのだという宣言。人類は自ら獲得して来たものを、自らの欲によって破壊する。 


そして欲と差別はいつもワンセットだ。私も残念ながらヨーロッパで、日本人の勤勉さや人の良さ、大人しさを自分の利益のために利用する人たちに出くわしてきた。悲しくなるばかりだけど、今現在の世界の現実を、嫌というほど見せつけられているのだと思います。


東欧ブルガリア出身の相方はいつもそう言っているなあ、、、冷戦終了後、西欧諸国によって頭の上から爆弾を落とされて分断させられた経験のある東欧やアラブの人達から見たら、こんなの前からあいつらの常套手段じゃないか、あんたら今頃気付いたのかい、ってね。でも彼らは少なくともそれに抵抗し、忘れず、人間としての尊厳だけは失っていない。


せっかくの音楽の話から一気に話が飛んで残念だけれど、音楽家にだって口はあるし、字も書ける。


私の尊敬するマイルス・デイヴィスやローランド・カークはいつだって、自分の受けた差別や屈辱と真っ向から戦い、誰にも臆せず真実を発言し、その純粋な尊厳こそがあんなにも美しい音楽を創る原動力だったと思う。



この普段着コンサートシリーズはこの第六回をもって一応終了。これからは現実に行われるコンサートに向けて準備いたします!ここまで毎回付き合って下さった方、本当にありがとうございました!!