ブルガリアの伝統音楽の偉大なアコーディオン奏者ペーター・ラルチェフさんと知り合い、彼と一緒に夫のアタナスのギターを加えて演奏していく中でこれを日本に伝えたい、と思って、その情熱があったからものすごく苦闘して書類を送って、2020年に難関の大阪万博の助成金まで取得したのだった。
でも時はコロナショックの真っ最中。日本という国は良くも悪くも新種の脅威に対してものすごく注意深く疑心暗鬼なところがあるので、待っても待っても、他の国が全部国境を開いた後でも何年も国境を開かず、結局念願だった日本ツアーは実現出来ず。(東京オリンピック以外は、ということだけれど。カネと権力さえあれば国境は開くのだ)
それで結局ブルガリアからの中継コンサートと特別CD制作いう形で何とか助成を遂行させてさせて頂いたのだが、その1年後、ペーター・ラルチェフの本拠地、ブルガリアのプロヴディフで演奏した際にまたもや問題が持ち上がる。
彼の取り巻きが、私と一緒に演奏することにストップを掛けたのだった。ブルガリアでは神のように崇められた存在で、そんな人と日本人でしかも女性が一緒にステージに乗ってしかも同等に即興で演奏するなんて、それまで考えてもみなかったことなのだけれど、閉鎖的なブルガリア伝統音楽界ではとてもショッキングで許されることではなかった。
ラルチェフ自身はそういう人ではなくいつも自分の音楽の地平を外に押し広げようとしていたし、パリ郊外のアントニーのフェスティバルで初めて彼に出会って一曲演奏した時、一緒にこれからも演奏して行こう、と提案したのはもちろん彼の方であった。(私にそんなこと持ち出せる訳がない、私だって神様だと思っているのだから)
幻のCDのみを残してこのトリオを修了して以来(終了ではなく修了と言いたい)、私に伝えていけることは何か。
やっぱり私はラルチェフの持つ、あのフィーリングしかない思うのだ。
ではそのフィーリングとは何か。
ラルチェフはその音楽の一つの頂点であるが、それらの頂点を形作るブルガリアの肥沃な音楽の可能性、ひいては今の西洋諸国にない、その土地と直に繋がった音楽。ただ「我々の音楽」とはっきり感じる音楽。
我々の音楽、そう呼べるものものはフランスには永遠の昔からもう無い。もちろんクープランやドビュッシー、ビゼーの素晴らしい作品を我々の音楽と呼んだって差し支えない訳だけど、それらは遺産であり、国民全員が日常的に聴いたり演奏するような、生きて呼吸している音楽とはまた意味が違う。私はフランス植民地だったカリブのアンティーユ諸島・マルティニーク島のマックス・シラの音楽を聴いて、それが呼吸し続けなければいけないということがすぐに理解できた。(出会ってから3年でオーケストラバージョンにまで編曲して初演することに成功した、そこに私の自作曲も足して日本とアンティーユの「二文化の出会い」とした) そして、そのプロジェクトはこれで終わらずに続けていくことが課題である。
ペーター・ラルチェフを日本に伝えることには失敗した。それを阻んだのは、私やアタナスあるいはペーターさん自身も求めた西側的な音楽に対するオープンな考え方と、神聖なブルガリア土着文化の間の大きな壁だったと言える。
我々の音楽、そしてその神聖さとは何か。マイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーン、ローランド・カークはアフリカ/アメリカという出自から湧き上がる創造性を「我々の音楽」と呼んだ。
今日のジャズフェスティバルで、そういう音に出会えることはほぼない。(20年前にはまだ本物のオリジナリティーやエネルギーが多くのグループにあったと思うのだけれど)そこにあるのは聴衆に擦り寄った態度、自分に酔った大袈裟な表情、今流行のコンセプトの羅列、ちっぽけな音楽に釣り合わない派手な舞台演出、、、
話は変わるが、ここ最近どうもアフガニスタンという国に惹かれるので(数日前は美容院に行った時にアフガニスタンでのピルの入手困難、妊産婦の死亡率のついての雑誌の記事を読んだ)、ネットを辿っていくと、3年前にアフガニスタンで糾弾に倒れた中村哲医師の中村哲医師特別サイト-西日本新聞に出会った。
(遅ればせながら、こんな素晴らしい文章が無料で掲載されているなんて!ぜひ出来る限り多くの人に読んでもらえれば。)
アフガニスタン東部の死の砂漠と呼ばれている地域に、なんと用水路を作って緑と命を蘇らせたという、この偉大な人物の書いていることはいちいち納得するも通り越して心にズドンと響くものばかりだ。
砂漠と木一本生えない険しい山岳地、インダス川の荒れ狂う支流という壮大な光景をバックに、西側諸国の「アフガン復興」という言葉を振り翳した西側の軍事介入の兵士たちが「人為の思考の中で敵を作り、人為の政治に振り回され、人為の手段で殺し殺される空虚な姿」で銃を持って徘徊するのに対し、砂漠に生き一緒に用水路を作っている現地人たちは「厳しい自然の恩恵によって特別に生かされていることを知っている、大地に根ざした姿」をしていると、真理に溢れた表現で対比している。
彼は世界一難しい場所で、彼にしかできない方法での「平和」を体現してみせた。
彼にとって「平和」とは言葉、スローガン、カネ、ましてや血を流す争いではなく、そこに生きる人たちを心から理解し、一緒にただただ自然の摂理の前に首を垂れ、緑と生命を取り戻すことだったのだ。
まさにそれ、ブルガリアの伝統音楽は大地の生命に根ざしていて、滔々と流れる川の水のような音楽を紡ぎ出すラルチェフさんをブルガリアからとり出して根無草にすることは出来ない、たとえ本人が望んだとしてもだ。
そして先述の最近聴いたあのフランスのジャズフェスティバルに溢れていた「新しいジャズ」という言葉を振り翳した空虚な音は、人為的で、エゴに溢れていて、自然への畏敬から切り離されていた。
一緒に演奏することももうないであろうペーター・ラルチェフのその音は、今も異次元の取水堰を通って、これから自力で体現していくべきブルガリア音楽ではない「我々の音楽」を、このフランスの地で、ここの人たちと一緒に中村哲さんの用水路の如く育み、緑溢れる生命を音楽に取り戻すために私の耳に聴こえ続けている。