SpiMelo! -Mie Ogura-Ourkouzounov

L’artiste d’origine Japonaise qui mélange tout sans apriori

年初め雑観〜遺伝子が聴いている音

2022-02-19 09:07:00 | Essay-コラム

最近は最悪に疲れていた。連日、SNSを開くような気力もない、、、ということ「らるちぇにっつぁトリオ交流ページ」もブログも更新なしのまま。。。大変ご無沙汰しておりました。

 (現在、ブルガリアで始動中!!参加したい方はこちらまでhttps://www.facebook.com/groups/624522712202733/)!!!


なぜにこんなに疲れているかというと、ひょんなことから新曲を大量に依頼され、不慣れな作曲に日々精を出しているからである。


こっからは即興で適当にやっちゃえ、みたいなジャズ的な作品はいっぱい書いてきたのだけど、今回ばかりは年貢の納め時、かなりちゃんとした編成で(フランス最大のフルートオケ)きちんと全部書かないといけない(しかも、30分も。長っ笑)ので、相当参っている。


この3月末に行われる予定のトンデモ新曲初演コンサートについては、ものすごく話が長くなるので、コンサート日程の発表を兼ねて、次回ブログで詳しくお話しすることにする。


大体、世の作曲家の方達が座りっぱなしでこんなにいっぱい音符を書きまくっているというのが、本当に凄いと思う。


私は一生のうちでここまでいっぱい音符を書いたことはないが、その間固定した姿勢でずっといるのが本当にキツい。


授業の時も散々動き回るタイプだし、練習やリハなら何時間ブイブイやっても平気なのに。


それに、大体、動き回っている音楽を紙に落とし込む、という行為自体が、即興主体の私には苦行である。だから書くにはものすごい集中力と膨大な時間を必要とする。(相方アタナスは逆なんだそうである私は根っから動的な人間であるらしい。


しかし、それでも何かが現実に「出来上がる」という感覚は、とんでもなく素晴らしいものです。即興だとエリック・ドルフィーの言うように「空中に一度放たれた音は消えてしまう」。


話は飛ぶが、ここに一枚のCDがある。


親友の作曲家でピアニストのタナダさんが家にそっと置いていってくれたものである。




ドイツ在住のフルートの古賀敦子さんと、パリ在住の棚田文紀さんのデュオの、出来立てほやほやの新作CD


あっちゃん(敦子さん)がこれに全力投球したという話は聞いていたが、その噂どおり、なんとも全曲、100パーセント魂をぶつけた音ではないか!やはりそれに命をかけている人には絶対敵わない、この音はあっちゃんでしかあり得ない。


その中の一曲にタナダさんの新曲が入っているのだが、これが今駆け出しで作曲してる身には、めちゃくちゃ印象的だった。もちろんこの二人の鮮烈な演奏あって初めて伝わってくるものなのだけど。


この曲は、なんというか「楽譜を左から右へと読んでいる感じ」が皆無なのである。時間が直線的に過去から未来へと進むのでなく、廻っているように聴こえる、というか


どうしてこんな風に書けるの?と彼に言うと、「それはきっと自分が作品を静止したものとして捉えているからではないか。何故そうなるのかと言うと、自分の遺伝子の中にあるものをずっと丁寧に掻き分けて探していったら、自然にそうなった」という要旨の返事が来た。


遺伝子、そう、それこそが私が最近日々思っているキーワード!


私にとっても作曲とは、まさしく遺伝子が聴いているものを探りに内面に深く降りていく作業だと思う。


だから彼の音楽は、「内側」から聴こえるのね。「外側」の価値観でいくら探してみたところで、どこにも辿り着けない。例えばそれは、「時間は過去から未来へ進む」とか言うような固定観念だったりする。彼はただ頑固に自分の遺伝子に向かうことで、いつの間にかそれをゆうに超えてしまった。世界が変わったのである。


また話が飛ぶが、オリンピックで、大ファンの坂本花織さんが素晴らしいスケートで銅メダルを手にした。(彼女は私と同じ誕生日だ、余談。)


彼女のスケートは、ご存知のように、このご時世の真っ向から逆のやり方で、華やかで点数の高い大技に頼らず、自分の長所をいかに伸ばすか、それを追求したものだ。


人を批判したり、自分の理想を声高らかに叫ぶ人はいっぱいいる。けれど彼女はそうしたことを一切せず、自分の「内側」に競技の中で向かう、という純粋な行為が芸術性となって、それが世界を感嘆させ、あっと気づかせられるのだ、人間の内面を無視した「外側」の価値観の信仰は幻なのだと言うことを。


スポーツ選手のテレビのお涙頂戴劇や、この技は凄いのだ、という価値観の刷り込み、インスタに次々載せられる脚色写真の数々、それらに煽られた心ない中傷コメント、、、そんな安っぽさが全部色褪せてしまう程に、彼女のスケートは本物だった。私もすべからくそうありたい、シンプルに内側に向かうだけでありたい、それこそが本当の意味で世界を変えるということなのだ、と思わされた。


色々あっても、結局人間には本物がわかる。

ほんとに希望が持てるね!!


大好きなワリエワちゃんだって、彼女ならいつか本物になって世界を変える、そう信じて待ちたい。


ところで先日の即興アトリエでは、顔が涙まみれになるほど生徒たちと心底笑い、最近キューバ音楽をやっているのを察知していて、途中から乱入して来た受付のスペイン人マニュと悪友同僚と即興したり踊ったり。


最近例の座りっぱなしで体が硬くなって、即興への瞬発力や感性みたいなのがどうも鈍っていたのだけど、ああ、コレ、コレだった!って突破口になった!また即興する喜びが戻って来た。普通に思った通り物事が運ぶ授業なんて退屈だ。こうやって腹筋捩れるほど笑ったり、時に怒髪が天を突いたり、そういう風に感情を出し切ってこそ、そこに音楽が生まれるんだ。しかし、マニュさん、めちゃくちゃに踊ったりテキトーにパーカッション叩いたりやってるだけなのに、カンペキにスペイン音楽になっちゃってるんだよね。これこそ遺伝子のなせる技か。


そのマニュさんが、夜遅い授業終了後に私たちにデザートをご馳走してくれた。


「これはスペインで朝6時から夕方20時までたっぷり太陽を受けたレーズンの味だよ。」


そのほっこりした、天然の味が焼きリンゴと胡桃に絡み、砂糖を添加して加工された食べ物とは全く別次元の、本物の味がする。夜の職場で食べるその味は、疲労の極限にいる私を別世界に一瞬にして連れて行く。逆に言えば、全力を出し切り、最悪の状態にいるからこそ感じられるこの恵みよ。


全力投球でやっていて良かった、、そう思える瞬間だった。


そして、そんな最上の瞬間を与えてくれる仲間に恵まれることに、またまた感謝。今日のこの味を忘れる事はきっとないだろう。


さて、来週より冬のヴァカンスが到来。前述のマニュは、「来週の今頃はスペインで最高の赤マグロを食べているぞぉ!」とのこと。同僚のCは心の故郷アフリカへ旅立つ。Cによると「パリにずっといるなんて耐えられるもんか」とのこと。同感。私たち家族は、久しぶりに大好きなブルガリアへ、ついに万博助成企画「らるちぇにっつぁトリオ」のオンラインコンサート(3月一週目予定!もうすぐ日時告知あり、お楽しみに!!)を実施するために出発。


オミクロン騒ぎからいち早く脱して、世界に先駆けてさっさと国境を全開にしてくれたフランス。それぞれが旅をし、またパリに戻って来てグータラ不満を撒き散らしながら集う。それこそが本来のパリ。私はそんなパリが好きである。