SpiMelo! -Mie Ogura-Ourkouzounov

L’artiste d’origine Japonaise qui mélange tout sans apriori

ボルドーで「思い出の交響曲No2 」

2024-09-12 18:47:00 | Essay-コラム

アーティストのシャルリー・オブリーという人は、私のイメージでは空高く舞い上がってさーっと降りてきて獲物を捕まえる大きく自由な鷲のようで、空を飛び回ってはアートの元になる材料をぱっと見つける。


「思い出の交響曲」と名付けられたこのプロジェクトでは、彼は眼を付けた老人ホームにさっと舞い降りる。彼の欲しいものは老人たちの「記憶」だ。

その「記憶」を老人たちが視覚的に掘り起こし、それを私が即興的に音に変換する。その音や色や形やの全てを、彼が今度は美術作品に変換していく。


この度「思い出の交響曲」第二番がボルドーでスタートした。


1回目のパリも素晴らしい体験だったが、第2回ここボルドーの老人ホームでは、何とも覚醒したとんでもない老人たちと出会うこととなった。


驚いたことにここの人たちは全員非常にオープンで、シャルリーのやりたいことを理解しようとし、その為には人生で培った知恵を駆使してどんな垣根だって取り払おうとしてくれるのだ。


そんなJugement(判定?)prétention (気負い?)の全くないピュアな感性のみに囲まれて、即興演奏をするのにこれほど理想的なシチュエーションはこれまでになかったと断言できる。



絵を見ながら即興中



1回目のセッションでは、「人生の原風景」とも言える光景を二人のおばあちゃんが描いてくれた。


一人は草原に寝っ転がって、気持ち良い風が吹いていて、雲が動物などの色んな形に変わっていくというもの。


もう一人は港でバナナやタンクが荷積みされているのを柵のこっち側から見ている、という光景。「タンクは縦ではなく横の方向に積まれているのよ」などという詳細付きで。こういうのはその人の核となっている人生の原風景なのだろう。


私がその絵に対して即興すると、


「あなた途中ちょっと音程から外れたような奇妙な音を吹いたでしょう。あの音こそ、私の記憶そのものの音だったのよ。その時私は涙が出そうになった」のだそうだ。


確かリゲティーは、「色んな種類の時計が倉庫の中で、色んな時を刻んでいる」風景が彼の作品の原風景となったと言っていたっけ。


そんな事をふと思い出した。


絵を描くのが大好きで、家で展示会まで行うというおばあちゃんは耳が遠く殆ど聞こえないのだが、その木のデッサンの筆の細かさは驚くべきで、木の葉の動きを忠実に繊細な通常の目線では見えないほど細かい線で表現し、小さく太陽の光が一箇所だけオレンジ色で入っているのが、まるで臥龍点睛みたいに完璧なバランスだ。


そのおばあちゃんは「超意識の中で、絵を音に置き換える、それがあなたのやっていることなのね」と真っ直ぐに私を見つめて言う。


彼女はどんなプロのアーチストよりアーチストである。




もう一人の80歳という頭脳明晰なおばあちゃんは、躊躇いがちなタッチでやはり「木」をデッサンし、「私たちにに発明できることなんて何もないのよ。私たちはただ自然に生かされているのよ。音楽も、芸術も、それを表現するためにあるのよ」と言う。あれ、これって最近一番私が考えていることなんだよね、あまりの一致に心を掴まれるようだ。生きれば生きるほどこの真理に近づけるのか知らん、そうだといいのだけれど。


その時、最初からずっと黙って聴いていたおじいちゃんがぽつぽつ隣のおばあちゃんに話し始めたので、その人の前に行って意識を集中させる。どうやら彼の息子さんの職業は船乗りで、彼の意識と息子さんの意識は柔らかい泥のように彼意識下で混ざり合い、__そうなるともう共通意識となって、もう自分と他人の間の壁がないのだ__、マルセイユからアルジェリアに行くには昔は24時間かかった、でも今はもっと速く行ける、今は何をするにも全部速くなった、でも速すぎて何も感じることが出来ない」、要約すると彼の人生では時間の観念の変容が大きなテーマであるようだった。


彼のデッサンを見ると、柔らかい泥の中から記憶の線を拾い出すように、色んな形状の線が絡み合ったり、また失われたり震えたり、まるで色んな線が感情を持っておじいちゃんの人生の記憶を紐解いているように見える。


話を上手く引き出して聞いてあげていた隣のおばあちゃんによると、この寡黙なおじいちゃんが心を開いて話したのは、今日が初めてなのだそうだ。


その隣の心優しいおばあちゃんはスパイラル状の絵を描いて、「人生は何もないところからこういうふうに出てきてね、その後はスパイラルのように上がっていくのよ」と説明してくれた。


「スパイラル」は私の人生のキーワードなので、あまりの一致にまたびっくり。その絵の印象に私の曲「スパイラル・メロディー」も交えた即興となった。今日は起こること、彼らの言動、何から何までがすごすぎる。


翌日のセッションでは、「これまで読んできた本の言葉が、音楽を通して本から飛び出して音になって空間に溢れていく」というアイデアのデッサンが早速出来上がってきた。このおばあちゃんによると、昨日の私の即興演奏からこの絵のイメージが生まれたのだと言う。


この後は「星の王子様」を彷彿とさせるデッサンを描き、「これを音楽に出来る?読んだことはあるわよね?」と、挑戦的でイタズラ心に溢れた視線を送ってくるおばあちゃんも現れた。


「思い出」、「原風景」から出発したセッションも、2日目にはおばあちゃん達と一緒に「イタズラなアートを企む」ところまで仲良くなってしまったのだ。


「イタズラなアート」、それこそシャルリーのアートという気がする。


最後には、この老人ホームにいることが楽しくて楽しくて、これまでに60もの国籍の人と出会ったのが嬉しくて堪らない、という、キラキラした目で楽しい絵をたくさん描いてくれたおばあちゃんが、「あなたの演奏は、ここでセッションしている人だけでなく、絶対老人ホームの全員に聴かせてあげなくっちゃね」と言って、施設の食堂やらチャペルやら色んなところに連れて行って紹介してくれたのだった。まさにみんなの「世話係」の暖ったかいおばあちゃん。


帰りのTGVの時間が迫ってきたので、結局食堂で演奏することなくお別れになってしまったけれど、次回は10月、先日の即興演奏を元にこれから私が楽譜を書き、なんと地元ボルドーの吹奏楽団がその楽譜を基にした即興演奏に加わることになる。


そして11月にはボルドー近代美術館MECAにて、老人ホームの人たちの絵を取り入れたシャルリー・オブリーの作品展示と同時に吹奏楽団と即興コンサートをする予定。



ボルドーのギャロンヌ川沿いのMECA美術



「思い出」をキーワードに何層にも音や色を重ねるシャルリー・オブリー監督の生きた作品。最終的にどんな音が出てくるのか?!それはまだ誰にも分からない。先日の録音が届いたらどんな楽譜を書こうかと、今からワクワクしてしまう。続!