会長はジャズしか聞かないのか?ということになったら困るので、今回はちゃんとクラシックのコンサートも聴きに行きますぞ!
ということを証明しておきたい。
なんて。この年になってくると仕事やなんやとややこしい事が増え(光栄なことですが)なかなかコンサートに足を運べない。しかも変なコンサートを聞くとその後一週間は頭痛に苛まれてしまう。。。というので、(職業病ですね)やっぱりものすごくセレクトしたコンサートに行くことになるのである。
そして!じゃじゃん!数少ない今回はパリ音楽院時代から知ってる畏れ多い(日本だったら先輩と言う)千々岩英一さんのヴァイオリンのコンサートであります!
なんで畏れ多いかというと、まず名前が畏れ多い。なんか、さざれ石の巌となるところなんかを想像してしまうからである。(なんやそれ!)
それだけじゃなく曰く付きの畏れ多さは、私がパリ音楽院時代に初めて参加した現代音楽アンサンブルで初めてチヂイワさんに出会ったときに由来している。いまだに耳に焼き付くすごい演奏と助言。あの時はいろいろ助けていただきお世話になりました。
今日のプログラムはピアノにオリヴィエ・ペイルブリューヌを迎え、モーツアルト、ドビュッシー、フランクのソナタ。
全曲中一曲もヴァイオリン・アクロバット曲のないピュアなリサイタルってあんまりない。
フルートのリサイタルもそうでしょ?だいたいフルートの曲芸みたいな曲、とかラジオ体操みたいな曲
(曲名は言わないけど)を入れてくるから行く気が失せる。
いつもヴァイオリンの「弓」をフルートの「息」に置き換えて練習しているわたしには、チヂイワさんの弓使い、そして左手の音程の取り方の微妙さに目と耳が釘付けでした。
ヴァイオリンって最悪の音程にもなりうるけど、最上の音程を作れるのもまた、この繊細な楽器にしかありえない。
なんて、実はいろんなヴァイオリンを聴いて来たけど、そう感じたのは実は今日が初めてなんです。
だから、まあ楽器の問題じゃなく、誰が弾くか、なんですけど。
それにしても。
よいヴァイオリンを聴くことは、フルート奏者にとってこんな勉強になることはないんじゃないかしら。
フルートの息使いとちがって、ヴァイオリン奏者の弓使い、左手の音程をとる指のジェスチャーははっきりと目にみえるから。
最上の音程を耳で聴きとり、その場で作れること。これはインド音楽で痛い程習ったことですが(インド音楽では音程がぴったりと会うことを「音に神が宿った」というのですが)このコンサートでは、そういう場面が何度もあったよ。
音程(とリズム)って音楽の全てだと思います。適当な音程やリズムには神が宿りません。
本当に完璧な演奏!しかし、完璧なだけじゃない。最後のフランクのソナタでは、その完璧ささえもぶちこわしてやろう、壁をつきぬけてやろう、というような気迫の音がしてました。(注 本当に完璧にできる人のみが完璧ささえもこわせるのだ!)この瞬間。自分のエゴを打ち破る瞬間。これこそが音楽だよね。その時、音のエネルギーは無限大になって、どこまでもどこまでも届いていく。けど、クラシックの演奏でこういう瞬間に出会えたのは、何年ぶりだろう。。同じ感動をキース・ジャレットのパリ公演では聴いたけど(このことについては、絶対に書き残さなきゃいけないと思っているので、また後ほど!)
ブリリアントな学生時代を過ごし、コンクールなんか採ったりしてちやほやされ、30を過ぎるころには「なんで音楽やってるんだっけ?」という空っぽな演奏しかできなくなるクラシック演奏家が多いなか、こういう人を聴くと、根っこの部分にたっぷり水をあたえられたように、潤います。
演奏会後はみんなでカルチェ・ラタンのカフェへ。私なんかよりは随分とお年を召した、生粋パリジャンの音楽家の方々とフランス6人組の話や、歴代の大ピアニスト談義に花が咲きました。こういう時、ストレス満載に走り回ってる普段のパリじゃなく、古き良きパリを感じて、あ~、パリに住んでて良かった、と久々に思えるのでした。
なぜ「会長」かというと、以前友人のパリ在住クラリネッティスト、森あゆみさんのブログ「ボチクラ」でコラムを書かせていただいていた時のペンネームだからです。
読みたい方はコチラからどうぞ!
http://blog.goo.ne.jp/kedamayu/c/b1a92148acfd575de66a5fa80e5b3c02
友人でパリ在住の作曲家・ピアニスト 棚田文紀さんのサイトがオープンしました!!
作品も聴けます。彼の自然に満ちあふれた世界観に触れてみたい方!コチラから
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