SpiMelo! -Mie Ogura-Ourkouzounov

L’artiste d’origine Japonaise qui mélange tout sans apriori

ニコレの話、第2弾!

2018-04-19 10:29:00 | Essay-コラム

April 19, 2018


前回のブログ、衝撃的話題だったにもかかわらず、親しいひとたちからは温かい応援を頂いた。有難うございました。とても勇気を頂いたので、その一部をここに記したい。

 

「希望の旗は手放したらアートは終わりです!」

 

「スタンダードな音、スタンダードなスタイル、スタンダードな音楽、これらは芸術の反対だよ」

 

「審査員のものさしで個性を測ることの怖さ。人が人を裁く怖さ。その事を意識していないことの怖さ。裁かれたその生徒の失意と自己否定への道。教えて来たのは主体的自己表現なのにと思うと胸が痛い。。。」

 

その話に関連しているのかも知れないが、最近ガンガン、ガンガン、頭が痛くなる程いきなりニコレじいちゃんからメッセージが送られてくるものだから、ついにニコレの話第2弾を書くときが来たような気がする。(なんやそれ!話題の第1弾はこちら)でも最後に会ってから彼が亡くなるまでの10年間、苦しまれていたせいか、どんなに私がメッセージを送っても返答がなかったのに、やはりあっちの世界というのは居心地が良いようである。良かった!!

 

さて第2弾は日本でのコンヴェンションの時の話。(もう相当昔の話ですが。。。)

 

コンベンションコンクールのセミファイナルの結果が出た後で、たまたまニコレと鉢合わせになった。(この時のコンベンションはニコレ、ジャックゾーン、レングリという私にとってはこの上ない顔ぶれのゲストだったので来ることに決めたのだった)

 

「どうだった結果は?」

「だめでしたー」

「誰が通ったんだ」「●●●●...」「何!お前の方が吹けるじゃないか」「...知りません...()」腹減ってないか。」「はいムッシュ ニコレ、何か食べに行きます?」

「ミエ、正面口から出たら●●●●の連中(イニシャルも書けない())に見つかってしまう!!こっちから出よう」(と楽屋口を教えてくれる)

「ほら、あそこにどうしても行きたかったイタリア料理屋がある、あそこに行こう!」

「ムッシュニコレ。。。執念の時前リサーチですね。。。」

 

と言うことで私たちは無事●●●●の連中に見つからずに目当てのイタリアンレストランにたどり着いた。

 

席に着くや否や、ニコレの愚痴のオンパレードが始まった。

 

「ああ。。私はひとりになりたかった。。。だって日本では全て集団行動をさせられる。旅館なんて寝泊まりまで同じ部屋だ。。耐えられない。。。ああ、ミエはスパゲティをヨーロッパ風に食べている。。。ああ、素晴らしい、、、私はスイスに帰りたい。。。」

 

「ムッシュニコレ、日本人はそういう伝統があるだけで、悪気はないんですよ多分。。。けどお気持ちとても分かります。私もずっとそう言うのが負担だったので」

 

...私は審査員をしていると、他の大抵の審査員と意見が違いすぎて、自分の耳がおかしいんじゃないか、と思うことある。。。ミエは●●××とどっちが音楽的だと思うか」

 

××です」

 

「ではやはり自分の耳は間違っていないのか?」

 

「私は間違ってないと思います」

 

「よし、今夜は乾杯だ。私はお前のおじいちゃんだ。ミエのこれからの人生を祝福しよう!!」

 

そして美味しいキャンティを開けて、私の前途の為に、乾杯してくれたのだった。

 

その夜は心ゆくまで一緒に飲み、色んな話をした。

 

 舎生まれの私は、岡山まで出かけて行って初めてニコレの演奏を聞いたときに、雷に打たれ(それはバッハのロ短調組曲だった)、ニコレは初めてイタリアのシ エナで私の演奏を聞いてくれたときに(ブーレーズのソナチネだった)「あなたは、あなた自身だ。」と言ってくれた。何かが通じ合っている。岡山からシエナま で、紆余曲折はあっても筋が通っている。

 

 の頃コンクール世界に耐え得るような強靭な精神力も競争心も持ち合わせてなく、みんながやっているから、と流れでその波に揉みくちゃにされ、でもどうして も真剣になれなくて、馴染めなくて、結局大した練習もせず、やんちゃで、生意気で右も左も分かってなかった、そんな時に、私の原石だけをみて、 私そのものの存在を祝福してくれた。

 

今でもよく思い出す、あの日本の酷く暑かった日、雑居ビルの中にひっそり輝いていたイタリアンレストランのネオンサイン、街の裏通りの喧騒。その日のニコレの言葉が、どんなに、どんなに今日の私を支えてくれていることか。

 

その人の内なるものを認め、ただただ祝福できるということ。

 

どんなに有名でも絶対に権力の傘を着ない、それどころか驚くほどに素のままでいられると言うこと。

 

そんな彼がくれた愛を、あなたの次の世代に、繋げなさい、とニコレはいま、あちらの世界から強くメッセージを送ってくれている。

 

PS パリ音楽院とイタリアのニコレのところで一緒に学んだ大切な友人、シルヴィア カレッドゥがなんとウィーンフィル初の、女性としてのフルート首席奏者に就任しました。(正式には来年)すごいことです!!*(その後結局彼女は仮就任を経て解雇となり、世界的議論を巻き起こすこととなる…) 先日のウィーンフィルパリ公演では、(私はこの日行けなかったのだけど)素晴らしく音楽的なペトリューシュカのソロで、とりわけ大きな拍手を得ていたと、聴きに行った友人が言っていました!いつまでも昔のようにピュアで、音楽そのものの彼女。こういう話を聞くとやっと春が来たな、という気がします。色んなことを乗り越えてきたであろう、彼女の人生に乾杯!!



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