私はもともと、スポーツ好きだけど、(豊ノ島、千秋楽まで沸かせてくれましたね!すごいぞ。)フィギュア・スケートとか、シンクロナイズド・スウィミングとか、新体操などの、芸術系
競技は、音楽に対するインスピレーションになるから、昔から特に大好きである。
10年程前に現代ダンスカンパニーと舞台初演の仕事を一緒にしていたとき、監督が異常に音楽に入れ込んでいる人で、「本当に音楽家はうらやましいよな。なんたって私達ダンサーは体っていう融通のきかないでかい入れもので表現しているから、音、という繊細な媒体をもって芸術を表現できるのは、すばらしいことだ。」とおっしゃっていたのを印象深く思い出す。
でも私からみれば、音、というものは時に繊細すぎて融通のきかないモドカシイものであり、やっぱり体を使ってどか~ん!と表現するものに憧れてしまうのである。ようするにないものねだり、だよね。
ということで、この時期に恒例のパリ・ベルシーで行われるエリック・ボンパール杯、日程の関係で、今回は、男女シングルのショートプログラムに行きました。
スケートの氷へのタッチというのはひとりひとり違っていて、音楽でいうところの、楽器へのタッチを思わせる。
選手それぞれのタッチの個性や才能が、テレビで見るのと違って実際にリンクから感じられるのが素晴らしい。
テレビだと顔の表情を中心にみてしまうのだけど、実際に見ると空間をいかにその人の表現力で支配しているかのほうが大事ですね。
会場ではすごい音量で音楽を鳴らすので、それに負けないだけの表現をしているか、どの選手がどれだけ音楽を聴いて理解して動いているか、よく分かる。そうじゃないと、残念ながら音楽をかけて体操をしていますという風に見える。
最近のジャッジングはわりに芸術面が重視されてて、数十年前頃より私が思うのと重なるようになった。
もちろんフィギュアはスポーツであるから、もっとジャンプを中心にジャッジしろ、という向きもある。難しいテクニックへの挑戦や開発は、とてもエキサイティングだし、重要だと思う。けどその分表現面を削るんだったら、音楽かけずにリンクに入ってジャンプだけする競技を作ったほうがいいって思うね。
このように私の目からみたフィギュアは、スポーツとしてのフィギュアとはちょっと違うので、その辺は勘弁していただきたい。
日本の優秀な選手が多く出て来たことは誇りに思うけど、それでも私は選手の国籍によって見方を変えないし、ましてや誰がナントカ3回転、4回転やったか、とかは素人判断ではよく分からんから、ジャッジに任すとして。ここでは印象に残った選手の感想を書きたい。
村主選手は成熟した自分のスタイルを持っているし、しなやかで音楽的だと感じたけど、なぜ点数があまり出ないのかは、素人にはよく分からん。
長洲選手は、驚くべき柔軟性とバカテクで、気持ちよい迫力があり大変印象に残った。
浅田選手は、スポーツとしての体の才能を人一倍もっているにも関わらず自信なく、というより、せっかく身につけてきた自信を周囲から吸い取られてしまっているように見えた。前にモロゾフコーチが、「日本は選手をアイドル扱いしすぎて、それは選手の為にならない。もっと選手の人間的成長を支える支援体制が必要」というようなことを言っていたけど、悲しそうな真央選手をみているとそれを感じてしかたない。日本のマスコミは、視聴率のためなら選手の一挙一動や演技での失敗を一日中流したり、ライバル関係を煽ったりして個人を踏みにじることも平気だ。白鵬じゃないけど、「フィギュアを潰す気か!」ですね。そういう意味で、海外に脱出して復活した安藤選手は、賢いと思う。
傍目からみるとフィギュアの世界では、20歳頃、というのは若く才能だけで滑っていた時代から脱皮し、成熟したスケーターになれるかどうかの境目のように見える。これは音楽でも同じで、若くして才能がある、というのと、30歳、40歳と過ぎて成熟した本当の音楽家になれるか、というのはまた違った問題である。長く成長するためには、自分を客観的に知り成長させられるインテリジェンスが、才能とは別に必要になってくる。もちろん、悪いワインが時が経って良いワインに変わることはないのだけれど。
男子シングルのフローラン・アモディオ選手は、なにか自分の内側から出る表現するものを持っていて、前から好きだったけど、今回モロゾフ・コーチの色っぽいコレオグラフィーがまた、彼の良さをすごく引き出ていた。私、モロゾフさんの振り付けはモダンで、メリハリがあって、大ファンです。そうそう、コーチと、選手との関係や成長、というのも、音楽と似ていて興味深い。自分を高めてくれるコーチを選べることも、才能のうちですね。
女子で一位だったキーラ・コルピ選手はこれまでは印象に残ったことはなかったのに、今回のオーヴァー・ザ・レインボーにはやられた。曲があまりに彼女のイメージにぴったりで、コレオグラフィーや彼女の解釈が完全に音楽のタイミングに合っていて、清冽なインスピレーションが溢れ出るかのようでした。
おー、こんなに良い曲だったんだな、これ?って音楽家に認識させるほどの演技には、めったに出会えない。
ところで音楽家をぎゃふんと言わせた、と言えば、去年ボンパール杯に来ていたキム・ヨナ選手である。たまたまあのオリンピックでやった歴史的なガーシュウィンのフリーが見られたのだけど、あれはすごかったね。他のひとたちが音楽に合わせて動いているのに対して、彼女は、音楽を先取りしていた。だから、会場で音楽が鳴り響いているんじゃなく、まるで彼女から音楽が生み出されるように見えたんだよね。これって本当の音楽的才能と、それを表現できる高い技術がないと、できんよなあ。。。
ここに、スポーツと、芸術の最高の融合をみたのでした。
私ももうちょっとヨナさんのようにがいな(これ、香川弁。ちょっと説明しにくい。。香川オリーブガイナーズ参照。)性格やったら、是非スポーツ選手になったのになあ。
まあ麗しいスタイルの必要なフィギュアとは言いませんが
それでは、きょうはここまで。ちゃんちゃん。