SpiMelo! -Mie Ogura-Ourkouzounov

L’artiste d’origine Japonaise qui mélange tout sans apriori

自分の中のブラックボックス

2018-09-07 09:49:00 | Essay-コラム

September 7, 2018


日々更新!!と言うか、学期が始まらないヒマなうちにいそいそ、更新()

 

行ってきました、古い友人Mくん企画の「即興」に関するパリ市教授向けにに開かれた勉強会。このMくんはクラリネット奏者で、学生時代よりimprovisation générative という現代即興のクラスで一緒で、しかもずーっと即興なり現代音楽なりで共演していた「私のいっつも隣に座ってた人」である。私を知る人ならもう誰かお分かりなはず!色んなグループで100万回共演してるので本当にどこまでも気が知れている。ただし最後に「スフォタ」という現代即興グループにいた時に袂を分かち合い、それぞれがグループを離れて自分の道に進んだ。それ以来10年以上会っていなかった。私は「非イディオム」即興(分かりにくい方は前ブログ参照)に限界を感じジャズとインド音楽に没頭し始め、彼は脇目も触れず「非イディオム」の道を突き進んだ。(らしい。)そして今日!やっと再会を果たしたわけです。その間彼は2児の父に。私は一児の母になっておりました()

 

相変わらず彼の真面目で正直で上から目線の全くない爽やかなレクチャーと即興演奏、どんなに自分と道が違っても、とても嬉しく聞かせていただいた。

 

やっぱり彼はimprovisation générative  クラスでやってた事をとても踏襲している。そして久々にやった懐かしの「耳初見」!なんやそれ?って、これは当時インプロのクラスの教授であったサブレ先生が発明したエレクトリックバンドテープを初めて聴きながら、それに合わせて即興する、というものである。当時得意だったのでやらせていただいた。久々にやる とやっぱり私はあの頃から何も変わってない!という思いと、随分自分のやってることに確信が持てるようになった(ような気がする)という思いが交錯し、大 変感慨深かった。

 

彼の音楽院ではMくんが「非イディオム即興」を担当し、「イディオム即興」又は「ヨーロッパ外音楽」については他の先生がいるのだそうだ。

 

私の音楽院のアトリエでは、この二つを私がミックスして教えている。ただし「イディオム」が8-9割、「非イディオム」が1-2割というところだ。「イディオム」はやはり「ヨーロッパ外言語」、ということのなるだろう。( ルカンやアンダルシアは地理的にはヨーロッパ内なのだが、この場合「クラシック以外の言語」という意味になるのだろう)私のやり方では徹底的にまず既存の 枠を叩き込み、そこから出たり入ったり、自由と規則、の関係を経験して貰うというスタイルになっている。(もちろん流動的だし今年もそうなるという保証は ナシ)

 

レクチャー後の質問コーナーでは、やはりジャズ(などのイディオム系即興)に対する賛否が出た。

「ジャ ズは練習している人を聴いていても、結局ストックフレーズをあれこれ組み合わせているだけで、結局本当には即興とは呼べないのではないか」という意見。同 時に「非イディオム」を面白いと感じつつ、それだけでは何か足りないと思う人もいるようで、「では調性での即興はどうやって教えれば良いのか?」などの質 問もあった。

 

ジャズの即興はストックフレーズ(手グセ)で出来上がっている、と言うのであれば、非イディオムだって沢山やってみれば分かると思うのだけど、その内自分の手グセが構成されストックされていくのを実感できると思う。どっちにしろ手グセとは畢竟存在するんじゃないかな。

 

じゃあ全く手グセがないのが本当にピュアな即興の状態なのか?というと実は私はちょっと違うと思っている。

私がジャズを仰いだ師、ジャンシャルルがデイヴ リープマンのすごいソロに関してこう言っていた。「こう言うソロは多分、身体から出てくる自動性、それにその場でしかあり得ないインスピレーションが相まって、こういうすごい事になっているのではないか?」

 はこれは大変正直かつマトを得ていると思う。だって、そんなフレーズがどうして出てきたのか本当のところは誰にも分からない。それどころかリープマン自身 だって分かんないだろう。更にいえば、自分がコントロールして何を出しているか分かっている状態では即興をしているとは言えないだろう。「ストックフレー ズ」(いわゆる手グセ)と、鍛錬によって培われた身体の自動性を一緒くたにしてはいけないと思う。この辺が分かっているところが、さすがジャンシャルル、 頭で考えて出てきた言葉じゃなく、第一線で即興やってる経験があってこその言葉だと思う。

 

 個人の意見では、即興とはブラックボックスだと思う。それは既成イディオムであろうと非イディオムであろうと、自分がしてきた経験、鍛錬を一度全て忘れ、 自分の中のブラックボックスから出てくるに任せる。誰も、自分でさえも次に何が出て来るのか分からない。「考えて、考えて、忘れろ」(by コレ)いつも思い出す師匠のこの言葉、考えれば考えるほど、鍛錬すればするほど(もちろん良い方向にだけどね)このブラックボックスの脅威は増すのじゃ。 しかもこの世に居るからには、そのブラックボックスのありか、身体を鍛えなければ、そこから何かを取り出すことは出来ん!忘れろ、とはブラックボックスに ほうりこめ、という事だ。そしてこの自分の中のブラックボックスは、実は全宇宙共通の意識に繋がっている。これね、きのうアタが教えてくれたんだけども、 仏教や哲学でずっと言われて来た「全宇宙が一つの意識として繋がっている」ということ、ついに科学的に証明さてたんだって。凄いよねー。


ジャズとクラシックの違い

2018-09-06 13:05:00 | Essay-コラム

September 6, 2018


この15年ジャズを掘り下げてやってきて(詳しくは前のブログ参照)、その前は(正確にははジャズを勉強している間も)

クラシックや、その現代版であるコンテンポラリーを相当掘り下げた経験があるのだから、どっちの世界もよく知ることが出来たのは、2本柱で私の土台となる大変貴重な経験だったと思っている。

 

みんなはジャズとクラシックの違いについてどう思っているのかな。音(音質)が違う、と思っている人は結構多いかも知れない。

 

私は自分なりに苦しみもがきながら違いを理解し習得しようとした結果、違うのは音質ではなく、音への接触の仕方、「アーティキュレーション」だと言える。あとはリズムの取り方、即興性などいくらでも違いはあるのだが、話が大きくなりすぎるのでまた次回に。

 

フィギュアスケートのニコライ モロゾフコーチの書いた本があって、とても興味深い事が書いてあった。

 

モロゾフ氏は若い頃、男子シングルスケーターのトップを目指し研鑽を積んでいたのであるが、同じコーチのところで学んでいたとある将来有望な選手を見て、自分は到底トップにはなり得ないと悟り、17歳という若さでアイスダンスに転向したのだそうだ。そこでシングルとはあまりに違うアイスダンスの滑りに困惑し、必死で違いを分析し学び取ろうとした経験が、いまのコーチングスキルに非常に役立っている、という内容であった。

 

 はスケートのことはよく分からないが、氏の言うところの「エッジワークの違い」と言う言葉が目を引いた。以下抜粋「シングルとアイスダンスとでは、氷の接 触の仕方が全く異なるのだ。スピードを出すにも、シングルのように氷を押すことはほとんどなく、エッジの体重をかける位置を巧みに使い分けることでスピー ドをコントロールする。いわゆるエッジワークだ。、、、同じスケートとは思えないほどの技術的な違いがあるのだ。」

 

こ、 これは!まさしくシングルとは音に重心をかけて伸ばす「クラシック」で、細かなアーティキュレーション(エッジワークだ!)を使い分けるアイスダンスが 「ジャズ」では無いのかっ。なるほど、どっちも違う感動、見応えがある意味がよく分かった。しかしどちらも習得するのは並ではない精神の柔軟性が必要だ し、ひとつの道を極めた人に与えられる輝かしいタイトルには縁遠かったことだろう。モロゾフ氏はしかし後にこの経験を活かし、生徒を教える時にはこの二つ の要素を結びつける事によって、フィギュアに新しい可能性を切り開いた。ええなあー。。。音楽もその二つの要素の融合が、必ず新しい扉を開くと信じて、私 も日々精進しているのだけど。

 

おーっと話が逸れまくってますね。

私の思うジャズでの細かな「エッジワーク」とは「アーティキュレーション」であって、聞けば聴くほどその深い魅力、各楽器奏者によって極められた、あまりに表情の違うアーティキュレーションの美学に、引き込まれてやまない。

 

ここでいくつか最近よく聴いているアルバムを紹介したい。

 

Rip rig and panic Roland Kirk

 

ジミ ヘンドリックスがボロボロになるまで聴きこんだアルバムだそうである。しかしこのカークの骨の髄までスウィングしつつ耳の直ぐそばで話しかけているかのようなアーティキュレーションの、子供のような純真さ。

ドラムスがエルヴィン ジョー ンズで、このアルバムを南仏に友人の車で旅行中に窓を開けっ放してイヤホンで聴いていたのだが、そうするとごーごー外の音がうるさくてエルヴィンのシンバ ルだけが強調されて聴こえるんだけれど、これがもう!!圧倒的な黒のスウィング。そうスウィングとは人間の作り出すナマのアーティキュレーションだっ!打 ち込みのドラムだと何故感動出来ないのか、遅ればせながらよく分かります。

 

Cher Baker quartet vol.1 “This time dream’s on me”

 

黒い激しい揺れ幅のスウィングに疲れたら必ず聴きたくなる、白いスウィング。同じスウィングでも何故これだけ違うんだか、チェットのスウィングは川を渡る水面のように狭い幅で永遠にせせらぎ、揺れる。

それにしてもこの、アーティキュレーションの芸術的なまでの完璧さ。。。付け足すべきものもひとつなく、

削ぎ落とさなければならないものも一つもない。そこにはチェットの深い宇宙があるのみだ。

 

Miles Davis Doo-Bop

 

敬愛するマイルスの遺作で、彼がヒップホップに足を踏みいれようとした意欲作。

 イルスはこのアルバムが出来た時にはもう亡くなっていたそうだから、直接制作には関わらず、ヒップホップの打ち込み音楽に合わせて即興していたテイクを組 み合わせて作ったアルバムらしい。さっき打ち込みのドラムはイヤだと言ったばかりだが、マイルスは打ち込みで何が悪い?それは使いようだ、と言っていたそ う。それもそのはず、彼が即興でフレーズを吹けば、ヒップホップであろうがポップであろうがロックであろうがファンクであろうが、打ち込みの平坦ささえあ まりの個性の強さにマイルスの音楽に調理されてしまう。。しかしこんなミュージシャンは彼ひとりしかいないのでは?死の直前65歳での彼のアーティキュレーションは、枯れていて滑らかで、到底マネのできそうなものじゃない。ちなみにキースジャレットはマイルスのこの特技について、「カチカチしたデジタル仕様の音楽の中でマイルスひとりがオーガニックに動く面白さ」と言うように表現していたと思う。

 

長くなってしまった!これからパリ音時代に大変仲良かった友人が企画した「即興」アトリエのパリ市交換勉強会に行ってきます。私と逆に「非イディオム即興」に留まった彼の即興や現在はいかに?すっごく楽しみです。結果はまた次回ブログで!