SpiMelo! -Mie Ogura-Ourkouzounov

L’artiste d’origine Japonaise qui mélange tout sans apriori

巨匠は違う~村上春樹「1Q84」

2010-05-31 19:58:03 | Essay-コラム
  
4回目になりました、人気シリーズ「巨匠は違う」。これまでに、チックコリア、キースジャレット、朝青龍さんに登場いただきました。今回は作家の村上春樹さん。(なんやそれ~

ところで話題の1Q84、ついに3巻読み終えました。最高傑作だと思います。

もちろん、これまでの「ノルウェーの森」や「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」や「ねじ巻き鳥クロニクル」や「海辺のカフカ」なども大傑作としか言いようがありません。でも、これらの作品を自らの血を分けて書いた後での、あの「卵と壁」のエルサレム賞での演説、そしてこの1Q84にたどり着く、という軌跡がすごい。

これはあくまで私の感想だから実際とは違うかもしれないけど、音楽用語で言うと、「ノルウェーの森」でかすかに見えていた2次元(2声)の世界が、「ハードボイルド」で明確な2声になり、(いちばんある意味「完璧」な小説と思う)革命的なテクニックを身につけられた。しかしそのテクニックにとどまらず、(ふつうだったら自らのスタイルをみつけたらここに留まる。ここからが巨匠が巨匠たる所以)「ねじ巻き鳥」で歴史、というパラメーターを描くことで3次元(3声)以上を描き出そうとし、(この小説にはその3次元を描きだすのにものすごい苦悩されている印象がある、でその真摯な産みの苦しみが感じられるのが一番この小説のすごいところだとおもう)そして、その試みを今度はいとも簡単に(そりゃあ簡単な訳ないだろうけど、苦労をを読者に感じさせることもしない、という意味で)「1Q84」で3声のフーガを実現してしまった、しかも最後に
これ以上もない完全なカデンツを導いて。

2声や3声というと、もちろんバッハの手法である。

そこにはクラシック期以降の左手が伴奏となって右手に「従う」という概念がなく、ひとつひとつのラインはそれぞれ同じ重要性を持つ。

バッハの音楽ですごいのは、本当に何百、何千通りの解釈ができる、ということだと思う。
だからバッハはコンクールじゃ課題として成り立たない。たとえ課題曲になっていたとしても。
というのは、コンクールというものは、「ひとつの価値観が正しい」という理念を念頭において作られたものだから。
バッハの音楽は、そういう狭量なやりかたを絶対に許さない。
バッハ自身が「キリスト教」を信じる、という宗教的な狭い背景からでてきたものなのに、その音楽的な愛は全てを凌駕する。
青豆さんみたいに。

1Q84にはっとさせられる記述があった。「世界というのは、ひとつの記憶と、その反対側の記憶との果てしない戦いである」

この小説の重要なひとつの主題は(私なりの解釈ですが)ものごとには常に2つ以上の側面がある、ということ。
物事を自分のおもう方向からだけ見る場合、それは原理主義など狭量で危険な思想に結びつく。

これからの世界で、この事柄に気づくことだけが、私達を救う唯一の方法だ、とメッセージをおくっていると思う。

もうひとつ、織り交ぜられた主題は多分、「壁に打ち勝つ卵」

エルサレム賞受賞スピーチで春樹さんは、人間が作り出すシステムの「壁」につぶされる、かけがえの無いひとりひとりの人間
を「卵」と表現しました。

これこそ私達の突き当たっている壁。誰だってひとりひとりがかけがえのない命だ、と分かっていながら、国家>権力>戦争、そしてそのときシステムは、個人を殺す。元はと言えば、その個人個人だった人間がが作り出したのがシステムなのに。これこそ物事のニ面性である、としか言いようが無い。

そして、春樹さんは、どんなことがあろうと、自分は卵の側に立つ、とおっしゃられた。
この言葉、その辺のセイジカが言う言葉とは重みがちがう。
彼の文学を読んだあとでは。言葉は真実になる。
そして、その信念を、卵である青豆と天吾が、壁(システム)を乗り越える物語を作ることによって、また違った形で、世界に送り出した。
なぜ彼らは壁を乗り越えられたのか?
物語の有る時点から、青豆はこれ以上自分の意思以外のものに物語を進行させまい、と思ったところから流れは変わって行った。
あの最後の階段をのぼっていくシーンにすべてが凝縮されている。
「自分の愛を信じること」

どっかの政治家にノーベル平和賞をあげてるひまがあったら、ほんと、春樹さんにあげるべきである。

平和賞と文学賞、ダブル受賞でしょ!でもそんなものなくったって(ノーベル賞だって一種のコンクールだから、当てにはできん。)これほどのメッセージを世界に放つことができるひとは今、彼しかいない。

心から、彼と同時代を生きられることに、感謝したいと思います。
これからの世の中をセイジカに任せっきりにしちゃいけない!
なんと芸術の必要な世の中になったことか。「仕分け」で芸術を排除している場合ではないぞ。

「卵」を守る、表現者たちよ、もっと立ち上がれ



にほんブログ村 クラシックブログ フルートへにほんブログ村

にほんブログ村 音楽ブログ ジャズへにほんブログ村

にほんブログ村 クラシックブログへにほんブログ村

にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へにほんブログ村


























2010夏、日本でのコンサート予定

2010-05-21 19:52:08 | Info Concert-コンサート予告
しかし、白鵬、無敵すぎ!
大関との差は、これ。「苦手」がないこと。何にも「怖くない」こと!!
まったく、横綱とは、音楽家の見本ですね。。。
白鵬、朝青龍の引退会見のとき本当の涙を見せてから、好きになったよ。
他には、白馬と、北太樹が面白かったとおもう、今日この頃。
ところで。

  

この8月は日本でのコンサートが目白押し写真は関係ないけど、世界一うまい、地元香川のさぬきうどん。

 ー8月12日(木)19:00開演 浜松・アクトシティー・ホール

     小倉美英(fl)&アタナス・ウルクズノフ(guitar)デュオ・リサイタル

 ー8月13日(金) フルート・レッスン(聴講あり)

http://www.actcity.jp/floor/index.php

「フルート上達法」ブログでおなじみ!フルート奏者で地元静岡で教えていらっしゃる小林聡さんの教室で主催していただくことになりました。毎日まじめにフルート奏法を考え発信されている、その姿勢が素晴らしい。
http://ameblo.jp/flute-nayami/theme-10020588895.html

ここのところギター関連のコンサートが多い中、フルート関係の方にも興味を持っていただき、大変うれしい限りですフルートやってる方ともっとお会いしたい!!ぜひどしどしいらしてくださいね
翌日のレッスンに関しては、追って情報追加します。

 ー8月20日(金) 19時開演 東京・白寿ホール 

「Hakujuギター・フェスタ」

第1部 福田進一&荘村清志(guitar)
第2部 小倉美英(fl)&アタナス・ウルクズノフ(guitar)デュオ

 ー8月21日(土) 18時30分開演

第1部  ウィリアム・カネンガイザー(ギターソロ)
第2部  荘村清志(ギター)/福田進一(ギター)
     ウィリアム・カネンガイザー(ギター)/アタナス・ウルクズノフ(ギター)

 ー8月22日(日) 15時開演

第1部  渡辺香津美~ジャズ with 小倉美英(fl)ウィリアム・カネンガイザー(guitar)
第2部  福田進一&渡辺香津美 

http://www.hakujuhall.jp/top/concert/d_100820_22/index.html

ご覧の通り、日本クラシック・ギター界の巨人、福田進一さん、荘村清志さん、ロサンジェルス・ギター・カルテットの要として活躍されるアメリカの星、カネンガイザーさん、そして日本ジャズ・ギター界の第一人者、
渡辺香津美さんとニューフェースな私達を縦横無尽に組み合わせるという、大胆不敵な企画ですもちろんアノ渡辺香津美さんとは初顔合わせ。。どんな演奏になるのだか、とにかくわくわく

 ー8月26日(木) 19時開演 山形県庄内町文化創造館「響ホール」

  「庄内国際ギターフェスティヴァル」

 小倉美英(fl)&アタナス・ウルクズノフ(guitar)デュオ・コンサート

http://www.shonaiguitarfes.com/concert.html

前にも一度参加させていただいたことのある、この庄内フェス!とにかく食べ物おいしいお酒おいしいそして温かいもてなしと三拍子揃ったものすごいお土地柄。しかも景色、音響最高の響ホールあ~一刻も早く行きたいですそして、みんなでおいしい時を過ごしませんか。

これ以外に、現在8月初旬、地元香川県・高松市でのコンサートを調整中であります。決まり次第ご報告いたします















Eric Dolphy~Last Date

2010-05-09 17:47:44 | Essay-コラム
  
"When you hear music, after it's over, it's gone in the air. You can never capture it again." by Eric Dolphy

「音楽は空中に放たれると、二度とそれを取り戻すことはできない」

その瞬間を真摯に、本当に身を削るように音楽をやっている人にしか、言える言葉ではないと思う。

このアルバムは、エリック・ドルフィーの生涯最後のライブ録音。その演奏の後でアルバムの最後に収められたこの言葉を聴くと、ものすごい切迫感を持って、「今、その時」を音楽で生きたドルフィーの、はかない実感が胸に迫ってくる。

このアルバム、もう20年来持っているにも関わらず、このアルバムのSouth street exitとYou don't know what love isの美しいフルート・ソロをちゃんと勉強したことがなかった。
大好きなローランド・カークやジョー・ファレルのフルートは書き出したり真似したり分析したりして、さんざん勉強したのにな。

「いえ~い!」とノリノリで楽しむ種類のソロでなく、そこには一回きいたら、パタリとCDを停めて、静かに考え込んでしまうような恐ろしく浮き世離れしたものがある。

あまりの敬意から、そんな簡単にはこのソロを気軽な気分では勉強できない。

それは、パウル・クレーの絵を見て、あまりに均整のとれた多次元さに圧倒され、それを一気に学ぶことができないのと、同じである。

フルートの曲でいったら、ブーレーズのソナチネ、だなあ。あれはパリ音の卒試でもやったし、その後も何度も演奏会でやっている。しかし、この曲の持つあまりの次元の多さを表現しきることはできず、演奏するたび振られっぱなし、なのである。

そうそう、ブーレーズの書いた、クレーの本"le pays fertile Paul Klee"は素晴らしい。

話が逸れた。

1センチキューブの中に、1トンくらいの質量がつまってるような、絶対に超えることが出来ない、という複雑さに、あえて挑戦したくなるような甘美な魅力を醸し出す、これらの芸術は、やっぱり一生かけて追求していくしかないんだろうね。

ドルフィーのフルートソロに話をもどすけど。それはあえて説明すると、ジャズの根本であるビバップの伝統に根ざしつつも現代音楽のような音使い、空間使いで、超個性的でありながらものすごい普遍性を感じさせ、これ以上ないほど超即興的でファンタジーにあふれているのにまるで書かれた音楽のように理路整然とし、最終的に宇宙を表現しているんではないか、という果てしない気分になる。

どんなんや~~

私のジャズの師匠が言っていたが、偉大なアドリブ・ソロを分析して勉強することは、ある意味その秘密のヴェールを剥がしてしまうことなのだと。でも、私は、秘密のヴェールを剥がし、考えに考えて分析した結果、もっと高い次元のインスピレーションに還元できるのではないか?と考えている。

「考えて、考えて、考えて、忘れろ。」by ニコレ

冒頭の言葉を言った時、晩年とはいえドルフィーは若干36歳。今朝
このアルバムを聴きながら、私ももうそろそろそれを勉強する時に来ているんじゃないかと
思った。

そんなことのんびり思ってる時点で、私、長生きするかもですな。



にほんブログ村 クラシックブログ フルートへにほんブログ村

にほんブログ村 音楽ブログ ジャズへにほんブログ村

にほんブログ村 クラシックブログへにほんブログ村

にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へにほんブログ村