Sorry!! When I write essays,I can't translate in English.Too difficult!
Pandit Hariprasad Chaurasia
来週の土曜日に即興音楽のアトリエの公開授業でインド音楽のレクチャーをしてくれ、と学校から頼まれまして、
"Une présentation publique sur "la musique indienne" animé par l'atelier de musiques improvisées de Mié OGURA -Samedi 14 Janvier de 15h à 16h Au Centre d’animation Solidarité Angèle Mercier
135 boulevard Serurier 75019 Paris Métro/Danube Entrée libre Plan:
http://www.evous.fr/Centre-d-animation-Solidarite,1130979.htmlそりゃあ私は2年間の勉強の末の北インド即興音楽の小さなディプロマは持ってますけど、常にラーガを演奏し追求している専門家では全然ない!!こんな私でいいの?と言ったら「でも他にインド音楽のこと知ってる人この学校にいないんだよね、よろしく頼む
」と言われてしまいまして、仕方なくここ数週間、昔授業で使っていたノートを取り出したり、ヴィデオを見直したりしていました。
まず、私のノートの第一ページ目に書かれていること。
「インドでは「即興する」という言葉は「構築する」「発展させる」「創造する」という3つのことを意味する」
これは私がインド音楽を習い始めて、雷にあたったようにインスピレーションを得た言葉でした。
それまで、私は即興という方法で音楽をやることで何かを得られる、と感じていていたものの、西洋世界では「即興する」という言葉は「準備しないで適当に
」「練習いらずでご気楽で
」「自分の気のむくままに好きなことをやる
」という3つの意味
で用いられていて、私が即興するときに感じていることと真っ向から矛盾していたから、このとき私の疑問は雪解けのように解決してしまった訳です。
それ以来、どんな音楽を演奏するときでも、インド音楽は私のなかの一番大切なベースとしてあり続けています。
インド音楽ではラーガによってそれぞれに音のキャラクターがある。「おしゃべりな音」「次におしゃべりな音」「召使いの音」「停まらなければならない音」「時々必要な音」「禁止の音」などなど。。
それらの音の持つキャラクターをありのままにひとつひとつ紹介しながら、順序にしたがって最初はリズムのない空間に、後にはタブラと一緒にどんどん速くなって行くパルスのなかで、即興的にフレーズを構築していく。
そこでは絶対的な摂理を表現するために、厳格な数学的なセオリーを理解することと、即興的にその瞬間のインスピレーションで演奏する、という一見相反するふたつのことを同時に行わなければならない。
インドでシタールを習ってきたMoutal先生
彼の充実のインド音楽情報サイト
http://moutal.eu/には、一音でもリズムや音程や規則から外れていたら怒鳴られた。できるようになるには自分の内側の感覚に最大限に耳を開くしか方法はない。
それを実現した演奏をしているひとり、バンスリ奏者の「ハリプラサド・チョラシア」さんは私の永遠の神様で、彼の演奏会にいったときの、あの、音の始め方、存在感、全てがポジティブやネガティブといった通常の感情表現とはちがう、もっと透明なエネルギーの次元にいて、いまだにあれはどうやってやっていたんだろう?と毎回自分がコンサートをやるたびに思い出す程です。
(ユーチューブに沢山動画が出ていますから、是非みてみてください。)
フランスで教え始めてさんざん感じていることなんだけど、この国では「ソルフェージュ」が楽器の授業より先行していて、子供達はソルフェージュの授業でめっちゃくちゃにややこしいリズムを習っているくせに、楽器のクラスでは付点四分音符と八分音符がまともに吹けない、という事態になっている。
まずは子供達のなかで拍を一定にタン、タン、タン、と取れる子は本当に少ない。冗談じゃなく、はい、じゃあ手で拍子を一定のテンポで叩いてみて、というと、タン、ターン、タ、、、となる。パルスが一定じゃなくちゃ実際楽器でどんなリズムを構築することもできる訳が無い。でもソルフェージュで「外側から」理解していればそれは「成績の良い子」なのだ。
これを音楽にとって非常に危険な事態だ!と思っている人は、実感としてほとんどこの国にはいないのではないか??
もうひとつの話。むかしとある作曲家の人と話していたとき、作曲家さんが言った事が大変印象に残った。「あなた即興やってるの?即興するってなに?私達だって作曲するときはまず即興をちょっこっとやってから書くよ。即興って、それだけでは芸術にはなり得ないよね。(書かれた音楽には及ばないよね。)」
どういう風に楽譜にかいたから私の音楽は素晴らしい、とか、即興は適当で作曲は素晴らしいとか、この逆パターンで、「クラシックは書かれた物でどうも面白くないから、これからは即興ダゼ!!」とかいう話、よく聞くけど。
同じ「ミ」だって、どういうふうに出すか、誰がいつどこで出すか、によるし。音楽ってサウンドになった瞬間が全てであり、それが「即興演奏されたものだったから」とか「書かれた音楽だったから」だとか「クラシックのジャンルだから」とかいう理由で素晴らしくなったり素晴らしくなくなったりする訳がないよね。そういう外側から外側から音楽を見るやりかたは大変危険だとおもうのですよ。
それってまるで「あなたは何々人だからこうでしょ」とか「何々人は何々人より優れている」と言っているのと同じです。
まあ実際にそういう考えかたをする人って沢山いて、そのせいで世界では毎日戦争が絶えないわけですから、そんなに簡単なことではなく、音楽に関してだってそう考える人がいて全く当然だと思います。毎日どんなに少しずつでも「外側から物事を判断する見方」を変えて「自分の内側から感じることができる」エネルギーをみんなでつくっていけたら、と思っています。