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いもりんのヒルズ的生活+貧乏昔話

教師から起業家へ。無一文の外国人夫との超ビンボーな暮しから脱出、奮闘の末つかんだ、ちょこリッチな生活をおバカ調で公開。

クリスマスinサイゴン③通貨とお給料

2008年12月29日 09時10分10秒 | 海外での体験談(米、豪、アジア各地)
ところで・・・通貨ベトナムドンの”へんてこりん”なこと。
200アメリカドルを両替したら、360万(!)ドンをもらった。

スタバ風のコーヒーショップのフラペチーノが10万ドン!550円位なのだけど、数字がデカ過ぎて、頭が混乱する。
高級店で夕食を食べたら130万ドン。7,000円なのだけど、クラクラする。
写真の紙幣は50万ドン、10万ドン、1万ドンなど。

夫はドル建てで、私は円建てで計算するから、通貨の話がうまく行かない。
100ドル=9,000円=180万ドンと暗記しても、買い物の時には忘れている。

ホーチミン中心部はドルが使えるし、英語も通じる。
だから、面倒な交渉は英語が得意な(!)夫に任せてしまえるので便利。

国営デパートがある交差点。

この国の平均月給を聞いてみた。平均は2万円くらい、安い人で8,000円。
でも物価は10分の1ということもなく、電気を引けばそれなりの光熱費はかかる。暮らせないから共働きが多い。
リッチな人は月に15万円くらい稼ぐことが出来るそうだ。

私たちは1000ドル(9万円)の旅行者小切手を持って行ったが、金額が大き過ぎて現金化出来ていない。
現地では、月給の5倍近い、途方もないお金なのだ。
両替所で夫は、
「これは日本の銀行(田舎の銀行だけど)が発行したもので、彼女は日本人で(パスポート見せる)、この小切手は紛れもない本物だ」と叫んでいた。

隣のアメリカ人旅行者が
「アメリカの銀行より、日本の方が信用度が高いのかい?」と話しかけてきたので、
「現世界では、当然!(日本人はブランド)」と夫は返していた。
アジア蔑視の、無知な白人と感じたらしい。

賑やかなホーチミン市内の様子。

ホーチミンのお土産屋さんのお姉さんたちは日本語が上手。
日本人のご婦人相手に日本語で交渉している時、夫が
「日本語うまいですね~」と店員を褒めたら、なんと日本人のおばちゃんの方が「あら、あたしのこと?」などと振り返った(天然かも)。
夫が「あなたが、日本語うまいのは、当然じゃありませんか~」と返答し、二人で大笑いしていた。夫も日本語を話せて楽しいらしい。

ホーチミンから車で1時間ほどの場所で学校発見。アオザイを着た生徒さんたち。
共産国なんだから国立で、授業料も無料なんだろうか・・・。

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クリスマスinサイゴン②飛行機は日系がよい:ホテルは外資

2008年12月28日 17時07分02秒 | 海外での体験談(米、豪、アジア各地)
成田空港から全日空でホーチミン(旧サイゴン)へ。

若い頃は、サービスが良くて安価なタイ航空やマレーシア航空、安くて最悪な(!)ノースウェスト航空などに乗っていましたが、最近は日系しか乗りません。
時間の正確さ、乗務員の優秀さ、サービスの細やかさは世界一だと思います。

ANAだから、日本人の観光客が殆どだろうと思いきや、白人も2割くらい乗っているし、帰省するベトナム人も3割以上乗っているように思えたのが意外。

泊まったのは外資系のホテルなので、日本人はあまり見かけず、英語圏の客が多い。
ウォン安を反映してか、韓国人には会っていない。
ホテルはシェラトン・サイゴン・ホテル&タワーズ
http://www.starwoodhotels.com/sheraton/property/overview/index.html?propertyID=1449
ここの部屋を二つコネクティングにして滞在。

クリスマスの晩には、ノースリーブを着たサンタのお嬢さんたちのコーラスが。ホテルのロビーで。

ベトナム人もLとRの区別が苦手らしく、
ジングる・ベる、ジングる・ベる、サイれント・ナイトと歌う。

ところで、夫は英語圏の人の国籍を言い当てることが出来る。
だから日本語で(西洋人が多いところでは、日本語で内緒話をする)
「何人たちなの?」と聞いたところ、
「コアラの国の人が多い」・・・・といった感じの会話になるのである。

朝食ブッフェでは、朝からフォーを食べられました!感激。

洋風がメインですが、飲茶やチャーハンのようなものも。

中華やベトナム料理の御馳走朝食なのに、白人たちはホットケーキとかマフィンを食べてました。勿体ない。

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クリスマスinサイゴン①はじめての共産圏

2008年12月27日 09時02分37秒 | 海外での体験談(米、豪、アジア各地)
夫は西洋人の例にもれず、アジア周辺国の旅行が好きで、23日から悲願のベトナム入りを果たしました。
サイゴン(現ホーチミン)かハノイ(北部)滞在ですが、やはり資本主義から社会主義へ変わったサイゴンを見たかったので、クリスマスを過ごしました。

中国の支配、フランス植民地の時代があり、近年ではアメリカが軍事介入した国。

私は行く前に勉強をしました。参考書は・・・
オリバー・ストーン監督もの
「天と地」 (1993)
「7月4日に生まれて」(1989) 
「プラトーン」(1986) 
随分昔に見たので、復習ですね。暗いヤツばっかり。

「戦争特派員(ウォーコレスポンデント)」(1990)林真理子 
東京でファッション関係の仕事に就く28歳の女性が、ベトナム戦争を見たおじさんと知り合ってのめり込んでいく話。
それまで、ボートピープルって南なのか北なのか、アメリカが介入したのはどっち?と言った感じだったので、この小説を読んでから調べたりしました。

ということで、ドンコイ通りにあるホテルの18階の部屋からの眺め。サイゴン川を背景に、チャンウンダオ像が見えます。
この像から放射線状に道路が延びているので、東洋のパリとも。

乾季なのに、夕方にスコールが降る・・・傘持ってきてない。

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日本人に生まれて良かったと思うとき2

2008年12月19日 16時00分04秒 | 海外での体験談(米、豪、アジア各地)
「日本が好き」「日本に生まれて良かった」=8割超が回答 だって。やっぱりね。掲示板のコメントを読むと嬉しくなりますね。
私も10月に書いてました。
http://blog.goo.ne.jp/chrispy/e/135dc2026324123f84bba61f1928076d

海外に行く度に、自国の良さを再確認して帰国する。
日本に来る留学生たちの話を聞くと、実感する。

・・・といったところ、でしょうか。私も日本大好きです。

米国で「ど~せ、アメリカに移民してくるんでしょう?」と言われた時に、下記のように反撃したことがある。

戦争で難民になったわけではなく、政治的な弾圧もなく、宗教問題もなく、人種迫害もなく、金持ちが土地を占領し、資産家は永遠に資産家であることもなく、努力をすれば教育も受けられて、文盲率が低く、医療技術は高く、銃が出回っていることもなく、治安が良く自動販売機が当たり前にあって、女性が夜一人で歩ける。

そんな国から、なんで移民しなきゃなんないのさ。
あなたたちは故国を捨てた人の子孫でしょうが(さすがにコレは言ってない)。

と、アメリカ人たちの傲慢さに、ブチ切れたことがあります。
彼らの自分の国がNO1!と思う姿勢には、うんざりしますね。

阪神淡路大震災の時にも、日本人は財布を持ってコンビニに並んだ。
海外のメディアは「なんで略奪が起こらないんだ」と驚いていた・・・。

停電になっただけで、民衆が店を襲う国アメリカ。

日本で良かった。

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いもりん、共産圏に行ってみたくなる:後編

2008年11月10日 07時41分44秒 | 海外での体験談(米、豪、アジア各地)
アルカディは、真夜中に突然訪ねてくる。

まあ、私も突撃することはあったけれども、
スリランカの留学生を訪ねた際も「ごめんね、電話もせずに来て」と非礼を詫びたところ、
突撃されたほうも
「いいんです!スリランカは電話がありませんから、みんな突然訪ねてきます」などと優しかった。

が、このソ連人は、いたわりも配慮もまるで欠けていた。
ナイフで缶を開けてボロボロにされたり、腹の立つことも多かった。

ところで、数年前まで、ロシア人の女の子マリナとよく遊んでいた。
ソ連崩壊後の世代だけあって、現代的で、しかも白系ロシア人なので、ヨーロッパ人の感覚と変わらない。
一緒にテニスもしたけど、シャラポアを少しスタイルを悪くした感じの外見。

そんな経緯もあって、資本主義と共産主義の社会の違いを、肌で感じたくなったのだ。
ということで、今共産圏への旅行を計画しています・・・。夫だけ査証(ビザ)がいるし、ちょっと面倒。うまくいくかな。


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いもりん、共産圏に行ってみたくなる:前編

2008年11月09日 10時03分35秒 | 海外での体験談(米、豪、アジア各地)
蟹工船のブームと、ワーキングプアの問題から、共産党の支持者が増えているという。

そこで夫に聞いてみた。
今世界に共産主義国ってどのくらいあるの?

彼は、「ソビエトや東欧も崩壊したし、それほど数はない」
私は「北朝鮮、中国、ベトナム・・・」
夫は「キューバも忘れないように」

とそんな会話をした。
私は共産圏出身の、変わった友人を思い出した。

夫と出会った頃は、ソ連は崩壊前だった。そして、そのソ連人のアルカディ・クライネフという、博士号を持つ留学生と3人で遊んでいた。
「ボーリングをやったことがない」というので驚いて、一緒に行った。あんなに下手くそな大人は初めて見たので面白かった。
スケートは上手かった。シベリアで滑っていたのかな。

アルカディはとにかく滅茶苦茶な人だった。

まず法律を尊重しないし、(世界の)常識が通用しない人。
それが面白くって遊んでいたのだけど、5万円で買った車を保険も付けずに乗って、帰国時には大学のキャンパスの山のはずれに捨てていった。ソ連では普通だそうだが、(彼だけだと思うけど)、でも教育を受けた博士さんだよ!大いに呆れた。

続きます。

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留学生のお祭りに行く

2008年10月26日 16時53分00秒 | 海外での体験談(米、豪、アジア各地)
毎年10月末に行われる、留学生たちのお祭りに行ってきました。

各国のテントでは料理が出されます。ベトナムのテントでは「フォー」が。
中国の餃子、コロンビアのコーヒー、タイカレー、日本は焼き鳥に焼きソバ。

ステージでは、歌、民族衣装を着た踊りなども披露。・・・でも皆さん本業は、研究者の卵。
アフリカからの留学生が、フランス人と楽しそうにしゃべっている。アフリカには仏語圏が多いことに、あらためて気付く。

夫と出会った当時から、テントを手伝ったり、前売り券を売ったり、ボランティアで手伝ってきましたが、今は参加だけ。
留学生同士は英語で話すので、日本に来てから英会話が上達する。うまくなれば日本語でも話すけど、やっぱり英語は共通語。

キッズのテントでは、留学生の手作りのすごろくを。見ているだけで楽しい。

留学生たちも「ワタシは、日本語うまくないから」と言いつつも、一生懸命遊んでくれてました。
コメント (1)
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日本人に生まれて良かったと思うとき

2008年10月12日 07時53分46秒 | 海外での体験談(米、豪、アジア各地)
生うにをはじめ、刺身を食べられるのは幸せ。
炊き立てのご飯さえあれば、満足できるのも幸せ。

渡米しても、日本人はショッピングを楽しんで、きれいサッパリ帰国するので、入国の時うるさく言われないのが良い。
例えば、国際試合で日本に入国した外国人選手団。集合の度に数が減るという。(不法滞在?荒稼ぎ?)
だから、「集合の為に数えなさい」が合言葉。
日本人で、そういうことは聞いたことがない。

30過ぎてから、ロスのレストランでお酒を頼んだ時「すみませんが、身分証明書を見せてもらえませんか?」と聞かれた。
げー、21歳(米国の未成年)より下に見えた?いい国だと思った。
向こうは単に、東洋人の年齢がよく分からないだけだと思うが・・・。

昔は、ヨーロッパの団体旅行で、山登りに行くような楽なファッションで、マナーも悪いとの評判の日本人だった。アンカレッジに到着するなり、うどんをすすったりね(帰りじゃなく)。
でも最近は、個人旅行で素敵に回る人が多いと思う。

不法に滞在しない、犯罪を犯さない、マナーがいい、お金を落とす、ということで、海外でも丁寧な扱いを受けるようになりつつあるのは、過去の旅行者のお陰だと思う。

思い出した。ヨーロッパ行きの飛行機で、私の大嫌いな梅干し、こんぶ等を「酔い止めに」って、勧められたことがあった。
日本でも絶対食べないのに、海外で食う訳ないって感じ。

こんなところかな。

自宅でたこ焼き。IHのタコ焼き機は、南部鉄瓶使用の本格派。手入れも簡単、オススメ。

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ディナ、あなたにもう一度会いたい:後編

2008年09月13日 07時57分12秒 | 海外での体験談(米、豪、アジア各地)
初夏になると「ギリシャ人は6月からもう夏休みのことを考えています」という絵葉書が来る。
学生も、バイトもしないで3ヶ月間遊びまくるという。
働かずして、この国の経済はどう回っているのだろうか、と首をかしげたくなる。

勤勉で真面目な日本人には、なんだかみんな怠け者に見える。
例えばコーヒーを頼んで、5分くらいして追加で何か頼むと「なんで一度に頼まないんだ」と不機嫌そうに応対する。
アメリカの、チップ欲しさに喜々としてオーダーを取るウェイトレスとか、
日本のフランチャイズ店での、マニュアル通りの、でも勤勉な働きぶりが懐かしくなる。

まあ、でも気候が温暖で、オリーブ畑、紺碧の海、白い家々に囲まれていたら、働く気は起きんわな・・・。

私はギリシャで過ごしたあの夏を懐かしむ。
若さや友情は永遠に続くと思っていたけれど、それは違った。
今の願いは、もう一度ギリシャに行ってディナに会うこと。
シングルマザーの彼女は忙しそうで、いつも懸命に働いているから、いつ実現できるか分からないけど。

写真はミコノス島でくつろぐ、若き日のいもりん。独身最後の休暇。
この後すぐ「極貧時代」http://blog.goo.ne.jp/chrispy/e/1d7b57ff5fc954a24ed301082d3f42a2に突入する。

そうそう、夫のヴァシリオスに「漢字で名前を命名してよ」と頼まれたので、「馬尻雄」という、ぴったりの名前を付けて、「アリガトー」って喜ばれたこともあったな。

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ディナ、あなたにもう一度会いたい:前編

2008年09月09日 08時45分25秒 | 海外での体験談(米、豪、アジア各地)
若い頃は、多くの友人との出会いがあり、毎日が輝いていた。
しかし中年と言われる年齢に達すると、若さとともに失うものも多くなる。

私は「源氏物語」が好きで、円地文子訳(古いな)や瀬戸内寂聴訳などを読んでいた。しかし源氏が、社会的には栄華を極める中年、正妻の不倫や最愛の人との死別など、不幸が忍び寄るあたりでいつもやめてしまう。なんだか悲しくなり、進まないのだ。

学生時代、ギリシャ人夫婦と仲良くなった。
通常1年半の留学が、ご主人の大学院の前期(修士)の進学で、更に2年延長された。私たちの仲人でもあり、人生最大の出会いである。

それが縁で、彼らが帰省する4週間、一緒にくっついて行った。私たち3人はお金がなかったので直行便ではなく、東南アジア経由でアテネ入り。
食べたり踊ったり、楽しい時間を過ごした。私は婚約しており、満ち足りていた。(夫は母国に帰省しており、この時1ヶ月離ればなれ。最後の独身旅行)

しかし前述したとおり、この夫婦はのちに離婚してしまう。
日本語でのダジャレが得意な夫、ヴァシリーにはもう会えないだろう。
ギリシャは遠く、通信事情も良くないので連絡は容易ではない。

あの頃の仲間にはもう会えない人が多く、「楽しい時期は長くは続かない」と、出会いのはかなさを感じるのである。

続く

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海外で迎えるお正月:餅を食べさせてみるの巻

2008年09月07日 09時05分05秒 | 海外での体験談(米、豪、アジア各地)
おせち料理はほとんど食べられない。
昆布巻き、田作り、数の子、煮豆、酢レンコン、カマボコは全部だめ。
数日前から高価な材料を仕入れ、煮込んだり下ごしらえをしたり手間をかけ、大晦日から正月三日にかけて食べるなんて、耐えられない。御馳走のない時代は良かっただろうが、基本的に保存のきく食事は美味しくないし。

ということで、私は元旦からマックやファミレスに行く人間です。ガイジンとの結婚は正解でしょ?

年末を海外で過ごした時、あちらのご家族に食べてもらおうと、切り餅と海苔と醤油を持参した。しかし夫に注意された。
「毎年、お年寄りがモチをのどに詰まらせて亡くなるだろう?気をつけた方がいいよ」

青くなった私は(用心して低めの)年齢制限を設けた。
若い世代は「アツアツなのね~」と喜んで焼きもちを食べたが、60歳以上には食べさせなかった。
その理由を説明した時、
「日本では毎年高齢者がモチで窒息して亡くなっている。食べ慣れてない方には、命がけの食事かもしれない」と、
私の英語がまずいこともあって、ものすごく大げさに、下手くそに伝えてしまったので、場は静まり返った。

寿司を説明する時も、「職人が手で握ったご飯に、なまの魚を乗せるの」と言ったことがある。
料理が苦手な私は、どうも英語で食べ物を紹介するのもダメのようだ。

もう一枚、まずそうなケーキの写真、みっけ。

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インド人と結婚した女友達:後編

2008年09月06日 11時30分31秒 | 海外での体験談(米、豪、アジア各地)
思い出すのは、彼女の夫が女の子を欲しがっていたこと。
インドではダウリー(持参金)の問題で、男児が望まれると思ったが、そうでもないのね。

子供好きな彼女から、こんな相談を受けたこともあった。
「もっと子供が欲しいのだけど、夫を説得する方法はないか」と。

私は無い知恵をしぼった。・・・黙って子供作っちゃえばいいのに。
そうだ、フランス文豪モーパッサンの「女の一生」がある。私は英語が嫌いで選択した、フランス語のテキストを思い出した。

主人公ジャンヌは二人目の子供が欲しいのだけど、夫は「子供は金がかかってうるさいから、一人でたくさんだ」と聞く耳を持たない。
困って神父に相談すると、
=ご主人と周囲に「子どもが出来たみたいよ」と言いふらしなさい。そうすると油断して、本当に妊娠しますよ。=

これだ!と私は早速彼女に「方法」を伝える。こんなところで、フランス語履修が役立ちそうだ。
しかし彼女は一言
「そんなの、(産婦人科医の)夫に調べられて終わり」と言い放った。ダメか~。あえなく玉砕。

ところでジャンヌは、この方法で授かった子を、夫の浮気現場目撃のショックで死産する。

ココがね~、このフランス語を和訳する問題が試験に出たのよ。
訳文暗記していたから完璧だけど、
「彼女は死産をした」と書けば、(ロクに授業出てない癖に)ウマ過ぎて怪しまれるから
「彼女は死んだ赤ん坊を産んだ」と書いたのを覚えているわぁ。

女の一生 (1965年) (旺文社文庫)
モーパッサン
旺文社

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インド人と結婚した女友達:前編

2008年09月03日 10時38分08秒 | 海外での体験談(米、豪、アジア各地)
留学生仲間のインド人が、私と同い年の日本の女の子と結婚した。25歳頃の話である。
彼は産婦人科医で、15歳くらい年上だった。
お酒が好きで、ユーモアもあり「インドの季節は三つね。春と、夏と、雨」といった調子だった。

当時の私たちは、ギリシャ人夫妻、マレーシア(華僑:中国系)+ドイツ人夫妻と、このインド人といつも集まっていた。
彼らは私たちの日本での結婚披露宴に出て、歌や踊りも披露してくれた。
独り身だったインド人が日本人の彼女を見つけたというので、そりゃあーみんなで喜んだ。
インドで結婚した後、日本で盛大な結婚パーティをし、日本で一人目が生まれ、彼らはインドに帰って行った。

何年か経ったある日、インドから手紙が届いた。
「夫が死んだので、これから子供二人連れて日本に帰ります」と書いてあった。驚いた。
産婦人科医だから、現地で何かに感染したのか、事故なのか、とにかく悲しかった・・・。

彼女とは今でもメールしたり、会ったりする。
子供二人を育てるシングルマザーなので、忙しそうだ。
息子さん二人はすっかりたくましくなって、インドの学校に行ったり、こちらの公立に通ったり、バイカルチャーな子供に育っている。

続く

写真はみんなでサリーを着た時のもの。

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いもりん夫と香港に行く

2008年08月27日 12時27分56秒 | 海外での体験談(米、豪、アジア各地)
結婚して3年目くらいに、夫と香港に行った。

タイに行った時は、白人にぶら下がる売春婦に見られた。
香港では、イギリス人と英語のできるリッチな香港マダムに見られて、ちょっとご機嫌だったな。
今でも私は海外で、日本人より香港人に見られる。なんでだろう。

私はとにかく外国で話しかけられる。
10年以上前、仕事でバンクーバーに行った時、2週間の滞在中に何度も道を聞かれた。香港返還直後で、リッチな香港人が多数移住してきたが、いったいナニ人に見られたんだろう。
アメリカでもオーストラリアでも、老若男女構わず、話しかけてくる。英語を話す顔をしているのかなあ。

ところで、香港では食べ物のことで夫と喧嘩した。
私は屋台の点心とか、レストランで本格的な中華料理を食べたかったが、彼はマクドナルドに行きたいという。香港でマックかあー、勘弁してよ。
タイでもピザハットに行かされたしなあ。

ミーハーですみませんが、香港では有名人の豪邸めぐりもした。
バンクーバーでは、本気でロバート・レッドフォードの別宅を(歩いて)探そうとした。・・・くじけたけど。
ビバリーヒルズも好きだし、豪邸フリークかも、ワタシ。

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タイへのバックパック新婚旅行

2008年08月15日 09時30分15秒 | 海外での体験談(米、豪、アジア各地)
私は24歳で籍だけ入れて、彼のボロ屋にセキセイインコだけ連れて転がり込んだ。新婚旅行はタイだったが、お金がなかったのでギリギリの貧乏旅行。当時はタイも物価が安かったんだよね。
まずは青春18切符で成田を目指す。空港に着くまでに体力を使い果たした感じ・・・。
持ち物はパスポート、格安航空券、所持金10万円(2週間分の宿泊費と食費)。

バンコク到着は午前1時。ホテルも予約してない。空港で老夫婦に声をかけられ、謝礼を渡す約束で中心部まで連れて行ってもらった。しかし私たちの行く先は、麻薬や浮浪者のハビコル危ないところ・・・。
でも夫が体の大きな白人だと、結構いろんな所に行ける。英語でがんがん交渉してくれるし、あまりボラれることもない。

ただ、タイの繁華街では「200$, OK?」など、商売女が次々に話しかけてくる。私が隣にいるっていうのに!
私に気付くと「OH, Sorry.(あら、先約があったのね)」と済まなそうに立ち去る。
日焼けもあるけど、タイでは白人と売春婦のカップルに見られるのよねえ、私たち。

写真は沖縄で撮ったドリアンの木。タイでは夏季だったので、旬だった。

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