CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

兵庫県立考古博物館のメインホール展示 on 2017-3-12

2017年03月24日 06時49分06秒 | 神戸市以外の兵庫県
2017年3月12日、兵庫県立考古博物館のメインホール展示を
写真紹介します。






上の3枚の写真は展示物と現地の説明板です。

神戸市北区道場町の平田遺跡から出土の宋代の白磁四耳壺
平安時代末期から鎌倉時代前半に宋から多く輸入された。
多くは蔵骨器に転用されているそうです。



上の写真は当日撮った梅と兵庫県立考古博物館の物見櫓


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いかなごの漁獲量

2017年03月23日 06時13分01秒 | 統計データ

2017年のイカナゴ漁は3月7日に解禁されましたが例年と比べて不作で
とうとう兵庫漁連の大阪湾(淡路東浦沖)と大阪漁連は3月18日までで
イカナゴ新仔漁を打ち切ることとなりました。
兵庫漁連の神戸沖、明石沖、淡路島西浦沖は継続中

不作を受けて小売りの値段も高騰しており先日、イオンジェームス山店では
1Kg 3,800円で販売されていました。

そこで、いかなご漁獲量(単位:トン/年)を調べてみることにしました。

1.兵庫県のイカナゴ漁

兵庫県のサイトにはいかなごの漁獲量と題して昭和51年(1976)から
平成26年(2014)までの漁獲量と漁獲金額の推移をグラフで示されています。
(下に添付)


兵庫県のいかなご漁獲量についてグラフを見てわかることを概観しました。

1)イカナゴは生まれて間もない稚魚を漁獲対象とするため、年々の発生の量変動を
  受けて漁獲量が不安定である。

2)昭和51年(1976)から増減はあるものの平成14年度(2002)ころまで概ね
  2~3万トン/年

3)平成14年以降は1万トン/年前後で推移しています。

4)昭和51年以前では昭和45年に38,948トン/年が最高記録だそうです


2.全国レベルのいかなご漁獲量



平成24年(2012) いかなご漁獲量(単位:トン/年)

都道府県 漁獲高 シェア
兵庫県 11,620   32%
愛知県  8,209   22%
三重県  7,617   21%
北海道  3,646   10%
香川県  2,192    6%
大阪府  1,594    4%
岡山県   906    2%
宮城県   480    1%
徳島県   222    1%
愛媛県   70    0%
和歌山県   17    0%
広島県    6    0%
岩手県    4    0%
福井県    4    0%
青森県    2    0%

 全国の合計漁獲高 36,589トン/年

 出典:http://www.region-case.com/rank-h27-product-ikanago/

平成27年(2015) いかなご漁獲量(単位:トン/年)

都道府県 漁獲高 シェア
兵庫県  10,792    36.9%
北海道   7,170   24.5%
宮城県   3,319   11.4%
愛知県   2,247    7.7%
三重県   1,918    6.6%
香川県   1,314    4.5%
大阪府    803     2.7%
茨城県    498     1.7%
福島県    431     1.5%
岡山県    350     1.2%
愛媛県    204     0.7%
岩手県     70   0.2%
徳島県     42    0.1%
大分県     39    0.1%
青森県     15    0.1%
福井県      6    0.0%

 全国の合計漁獲高 29,219トン/年

 出典:http://www.region-case.com/rank-h27-product-ikanago/

これまで兵庫県のいかなご漁獲量(単位:トン/年)は全国トップをキープして
きましたが最近のニュースをみると本年度は極端に減少してトップの座を他の
都道府県に譲るのではないかと推定されます。


3.世界のいかなご漁獲量
2003年の世界のイカナゴ類(Ammodytidae)漁獲量は664,216トン/年
(出所:FAO 年報)

2014年のイカナゴ漁獲高でランクを示すと
 出所:http://www.globalnote.jp/post-7261.html

 1位 デンマーク 158,991トン/年
 2位 中国
 3位 ノルウェー
 4位 日本
 5位 スウェーデン
 6位 ドイツ
 7位 ポーランド
 8位 韓国
 9位 スペイン
10位 リトアニア



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神戸開港150年記念 「海の本屋」 復活スペシャル on 2017-3-19

2017年03月22日 06時20分48秒 | 神戸情報
2017年3月19日(日)、神戸開港150年記念 「海の本屋」 復活スペシャル
と題したイベントがこうべまちづくり会館であり行って来ました。

多分このようなイベントは今回かぎりになるのではないかと思い記憶に留める
ためにメモ代わりにブログを書いています。




上の2枚の写真はイベントの内容が判るリーフレットです。

「海の本屋」として知られる海文堂は2013年9月30日にファンの方々から
惜しまれながら99年4か月の幕を閉じました。

2013年9月30日の閉幕イベントについてはKobe portさんが下記ブログで
綴っておられます。
 海文堂が99年4カ月の幕を閉じました。


上の写真は2011-11-25撮影の海文堂です。

海文堂の復活に関連して 「海文堂”復活” 神戸市が検討」との見出しで
神戸新聞が2014年4月5日朝刊の1面で報じています。(下の写真)




上の写真は当日(2017-3-19)撮った「こうべまちづくり会館」の外観

海文堂関連の小生のブログ:
 成田一徹 切り絵原画展 in 海文堂 on 2011-11-25

 第1次南極観測隊 観測船 宗谷の模型 in 海文堂

 元町通で100年以上続く老舗 19店舗の写真 on 2016-3-2

神戸開港150年関連の小生のブログ:
 2017年1月、神戸開港150年までの「残日計」

 神戸開港150年プレイベント RED BULL FLUGTAG KOBE 2015 on 2015-10-31

 神戸開港150年 関連イベント

 KOBE TEA FESTIVAL supported by Sir Thomas Lipton on 2017-1-28

 花絵で祝おう 神戸開港150年 in 若松公園 鉄人広場 on 2017-2-26

最後に海文堂の復活と神戸開港150年の諸イベントの成功を祈念して筆を置きます
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第28回アーモンドフェスティバル in 東洋ナッツ食品本社工場 on 2017-3-20

2017年03月21日 05時58分54秒 | 神戸情報
2017年3月20日(月)の春分の日、東洋ナッツ食品本社工場で開催されている
「第28回アーモンドフェスティバル」へ行ってきました。初めての参加です。
毎年、桜が開花する少し前に咲くアーモンドの花を見ようと阪神深江駅から
10分毎に出発するバスが30分待ちということで約2Kmを徒歩で現地へ
行きました。

とにかく人、人すごい人出です。新聞報道では約2万人以上だそうです。

東洋ナッツ食品本社工場の基本情報
住所:神戸市東灘区深江浜町30 TEL:078-452-7217(問い合わせ先)
営業品:ナッツ(種実類)やドライフルーツの食品製造会社
資本金:9060万円(2015年度) 従業員数:180人
設立:昭和34年(1959)12月25日

公式ホームページ:http://www.toyonut.co.jp/

第28回アーモンドフェスティバルについて書かれた東洋ナッツ食品のブログ
 http://www.tons-cafe.jp/

第28回 アーモンドフェスティバルの基本情報
開催場所・会場:東洋ナッツ食品株式会社 本社工場

開催日・期間:2017年3月19日(日)~2017年3月20日(月) 祝日、春分の日

庭園開放日:2017年3月21日~3月23日








上の3枚の写真は説明板がついたアーモンド






上の3枚の写真は説明板がついた別のアーモンドの種類


上の写真はアーモンドに関する一般説明






上の3枚の写真はアーモンド庭園とアーモンド観覧を楽しむ来場者




上の2枚の写真はアーモンドの花の拡大写真




上の2枚の写真は杏(あんず) バラ科の木と説明板
まだつぼみ状態です。




上の写真はふるまいの餅 アーモンドきな粉とピスタチオきな粉がまぶされて
います。

アーモンドコロッケ(150円)、アーモンドオーレ、キャラメルナッツ、
アーモンドのパンやおにぎり等が販売されていたがどこもすごい行列で
ゲットできず。


上の写真はアーモンドオーレの行列


上の写真は第28回アーモンドフェスティバルのポスター
東部市場の中にありました。

帰りに配布されていた見どころ(下に添付)を観て写真を撮ってきました。




当日、訪問しなかった場所は過去に撮ったものを掲載
撮影日を明記していないものは2017-3-20の撮影

A.横川(要玄寺川) 
写真無し

説明にある横川(要玄寺川)の条里制の地割に沿った川の流れは今まで意識
していなかったので新鮮な情報であった。

B.踊り松の碑

踊り松の碑(撮影:2011-12-9)
 関連ブログ:阪神深江駅周辺の散策 その4 踊り松

C.高橋川

踊り松地蔵付近の高橋川(撮影:2011-12-9)

 関連ブログ:阪神深江駅周辺の散策 その3 踊り松地蔵

D.大日霊女神社


 関連ブログ:大日霊女神社と周辺の石碑 on 2016-10-13
       阪神深江駅周辺の散策 その2 浜街道(西国街道)の碑と大日霊女神社(おおひるめじんじゃ)

E.深江生活文化史料館

深江生活文化史料館(撮影:2016-11-5)

 関連ブログ:神戸深江生活文化資料館の展示 江戸時代のだんじり幕 on 2016-11-5

F.神戸大学海事博物館

神戸大学海事博物館 (撮影:2016-10-31)

 関連ブログ:阪神深江駅周辺の散策 その5 神戸大学 大学院 海事科学研究科 付属 海事博物館 見学記
   
       川崎商船学校(現 神戸大学海事科学部)からの校門の変遷

G.清酒・道灌

清酒・道灌 (撮影:2012-6-30)
 関連ブログ: 旧小寺源吾氏の海浜別荘(現 太田酒造貴賓館) on 2012-6-30


H.アーモンドの樹



まだ咲いていませんでした。 枯れた?木もあるようでこのような説明書きが
なければ見逃してしまいそうです。

I.B-29の落とし物 さて何でしょう

多分、川西航空機(現明和工業)に落とされた爆弾の一部

J.海面埋立事業完成記念の碑


K.花塔



裏面の説明によれば昭和29年(1954)5月7日、摘まれた花きの霊魂を慰霊
するために建立された。
因みに近くには神戸市東部卸売市場花き部があります(下の写真)


L.剣菱酒造・浜蔵
訪問せず 写真無し

M.阪神高速道路震災資料保管庫
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2017年2月17日にオープンしたFISH IN THE FOREST~TOOTH TOOTH+そら植物園~ on 2017-3-19

2017年03月20日 06時48分48秒 | 神戸情報
2017年2月17日にオープンしたFISH IN THE FOREST~TOOTH TOOTH+そら植物園
の写真を昨日(2017-3-19)撮りましたので写真紹介します。

当日訪問時はCLOSE状態でしたので外観のみです

FISH IN THE FOREST~TOOTH TOOTH+そら植物園の基本情報

住所:神戸市中央区波止場町2−8 TEL:078-334-1820
営業時間:11:00~23:00

公式ホームページ:http://www.toothtooth.com/teaser/fish-in-the-forest/




上の2枚の写真はFISH IN THE FOREST~TOOTH TOOTH+そら植物園~の
建物外観です。


上の写真はランチのメニュー表






上の3枚の写真は建物の周囲の植物群(名前は未調査で不明)




上の2枚の写真は以前より設置されていたイーグル・アンド・サーモン像を
前面にして撮ったものです。




上の2枚の写真はイーグル・アンド・サーモン像の現地説明板。

「この彫刻は、神戸港とシアトル港の姉妹校提携
20周年を記念して、シアトル港より贈られまし
た。アメリカの国章である白頭鷲とシアトル地方
に多く生息している紅鮭をあしらったものです。
この彫刻はシアトル在住の Lawney
Reves 氏によって製作されました
昭和62年5月」





上の2枚の写真は「そら植物園」を含めた遠景




上の2枚の写真は神戸港とシアトル港の姉妹校提携30周年を記念してシアトル港
より贈呈されたガス灯「フレンドシップ ライト」と現地の説明板。

20周年を記念して





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累計閲覧数 200万PVを突破 on 2017-3-13

2017年03月19日 06時18分53秒 | Weblog
2017年3月13日に累計の閲覧数が200万PVを突破しました。憶えの為、
記載しておきます。

本ブログも2004年に開設していますので12年間続けています。
あと何年生きれるか判りませんが死ぬまで継続出来たらと考えています。

これまで訪問者に関しては節目の時にメモを書いていましたが閲覧数に関しては
今回が初めてです。

 下記ブログで過去の訪問者の記録を記載
  累計訪問者数 55万iPを突破 on 2016-10-31


最近の閲覧数について
 2017年3/12~3/18で1,095PV/日~1,574PVで1週間では9,468PV

過去最高の週間閲覧数は 2016年11/20~11/26で15,672PV

閲覧していただいた方々に感謝致します。
これを励みに無理をしない程度に継続していきたいと思います。




写真がないと寂しいので2017年3月12日(日)「平成28年度 発掘調査報告会」
の講演会を聴講するために播磨町の兵庫県立考古博物館に行った時に撮った写真を
添付しておきます。
兵庫県立考古博物館の眺望塔をバックにして撮った梅の写真です。
(下の2枚の写真)







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日本一長い名前を持つ神社「飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社」 on  2017-1-9

2017年03月18日 05時48分46秒 | 奈良情報
2017年1月9日、奈良県高市郡明日香村稲渕地区にある男綱の架け替えを
見学するために明日香村稲渕に来ていました。

その時に訪問した飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社を写真紹介します。

飛鳥川上坐宇須多伎比売命(あすかがわかみにいますうすたきひめのみこと)神社
日本一長い名前を持つ神社として有名。
大字稲淵・栢森・入谷・畑の氏神で延喜式内社
本殿を持たず拝殿後方の南淵山をご神体としています。古代神社の形式
この神社に祀られている宇須多伎比売命は女神で飛鳥川下流にある飛鳥坐神社
祀られている男神と対になっているとされる。
日本で最も古い雨乞い伝説が残る社としても有名

飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社の基本情報

住所:奈良県高市郡明日香村稲渕698
御祭神:宇須多伎比売命、神功皇后、応神天皇


Goo地図はこちら
 






上の3枚の写真は拝殿を中心にして撮ったものです。
拝殿の建物は本殿のような造りであるが拝殿です。
もともと吉野神宮にあったものを移遷したものだそうです。


正月からまだ時間が経っていない時期であったので正月のお供え物が残って
いました。(上の写真)

上の写真は拝殿の裏。ご神体の南淵山とは木製の瑞垣で結界してあり、中央部に
明神鳥居がある。


上の写真は拝殿の右手の摂社で仁徳天皇社
明治44年(1911)、入谷 に鎮座の大仁保神社(御祭神:仁徳天皇)を合祀


上の写真は拝殿の左手の摂社「武内社」


上の写真は天保時代(1830-1843)に奉納の狛犬


上の写真は境内の御神燈


上の写真は壊れかけた神社の宝庫?
この奥を進むと鳥居のある明治天皇の遥拝所に行けるようです。


上の写真は県道15号線沿いの飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社への入口


上の写真は手水舎の手水鉢


上の写真は飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社への参道
150段あまりの階段を上った後、上の写真の緩やかな道になります。


上の写真は稲渕の棚田を紹介する稲渕地区の地図です。
その中の飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社が書かれている部分を掲載

最後になりましたが、ここ飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社で忘れてならないのは
皇極天皇が行った雨乞いの儀式を起源とする南無天(なむで)踊りが明治初年
までは実施されていたとのことです。
皇極元年(642)、日照りが続き農作物が育たず人々は飢えに苦しんでいた。
当時、政治の実権を握っていた蘇我氏が、先に雨乞いの儀式をするが、少ししか
雨が降らない。ところが皇極天皇が四方拝して雨乞いすると雷が鳴って大雨が
降り出したという。
「高市郡古跡略考」に 「宇佐宮ノ下なる川中ニ少しき淵あり。底ニ駒 の
足跡あり。皇極請雨の所にや」という記述があります。
飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社は近年宇佐宮・宇佐八幡と呼ばれていた。
上記より神南備川に淵がありこの付近で皇極天皇(斉明天皇)が雨乞いをしたと
推定されます。


明日香村稲渕地区について書いた過去の小生のブログ
 明日香村稲渕の竜福寺と竹野王碑 on 2017-1-9

 明日香村の稲渕地区の棚田 on 2016-10-7

 飛鳥川の飛び石(石橋) on 2016-10-7 

 明日香村の飛鳥稲淵宮殿跡 on 2016-10-7

南淵請安先生の墓 in 明日香村稲渕 on 2017-1-9

 明日香村祝戸地区にあるマラ石 on 2016-10-7
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南淵請安先生の墓 in 明日香村稲渕 on 2017-1-9

2017年03月17日 06時12分39秒 | 奈良情報

2017年1月9日、奈良県高市郡明日香村稲渕地区にある男綱の架け替えを
見学するために明日香村稲渕に来ていました。

その時に訪問した南淵請安先生の墓を写真紹介します。

南淵請安先生の墓は、稲渕村落に鎮座する談山神社の神明塚に建てられています。

南淵請安先生は推古天皇16年(608)、遣隋使小野妹子に従い中国に渡り32年間

中国で隋、唐の先進的な国のシステムや文化、技術などを学びました。

帰国後は国博士となり、朝廷に協力し、中大兄や中臣鎌足の儒教の先生となりました。

南淵請安は乙巳の変の影の立役者である。

まず南淵請安先生について簡単に記載しておきます(Wikipediaより引用)

 

南淵 請安(みなぶち の しょうあん、生没年不詳)は飛鳥時代の学問僧。
大和国高市郡南淵村(現在の奈良県の飛鳥川上流の明日香村稲渕)に住んだ
南淵漢人(みなみぶちのあやひと)と称される漢系渡来氏族出身の知識人。

推古天皇16年(608)、遣隋使小野妹子に従い高向玄理、僧旻ら8人の留学生、
留学僧の一人として隋へ留学する。32年間、隋の滅亡(618年)から唐の建国の
過程を見聞して、640年(舒明天皇12年)に高向玄理とともに帰国。
隋・唐の進んだ学問知識を日本に伝え、開塾した。
中大兄皇子と中臣鎌子は請安の塾に通う道すがら蘇我氏打倒の計画を練ったと
伝えられる。請安が伝えた知識が大化の改新に与えた影響は大きいが、彼自身は
新政府に加わっておらず、これ以前に死去したものと思われる。
権藤成卿によると、『南淵書』という本を著したとされるが、現在では偽書と解釈
されている。





上の2枚の写真が南淵先生之墓と刻まれた墓
寛文2年(1662)に建立

南淵請安は「南淵漢人(みなみぶちのあやひと)」という渡来系氏族の出身と
考えられていて、その邸宅は稲渕から飛鳥川を挟んだ対岸の朝風にあったと
伝えられています。




上の2枚の写真は現地の説明板

南渕請安の読み方を「みなみぶち じょうあん」としています。
Wikipediaの「みなぶち の しょうあん」どちらが正しいかは判断できない。

「推古天皇16年(608)、遣隋使学問僧として派遣された南淵請安は、在唐32年、
舒明天皇12年(640)帰国し、中大兄皇子・藤原鎌足らに『周孔の学』、すなわち
儒教を教えた。没年は不明であるが、飛鳥川の上流南淵に居住したと伝える。」



上の写真は大正11年(1922)3月に建立された南淵先生の顕彰碑




上の写真は談山神社の祠が並ぶ小さな神社
神社の境内に南渕先生の墓が設置されています(寛文2年(1662)に建立)
境内には金毘羅大権現、秋葉山大権現などの祠があります。


上の写真は龍福寺に近い道沿いに建つ「南淵先生墓」の標識。

明日香村稲渕地区について書いた過去の小生のブログ
 明日香村稲渕の竜福寺と竹野王碑 on 2017-1-9

 明日香村の稲渕地区の棚田 on 2016-10-7

 飛鳥川の飛び石(石橋) on 2016-10-7 

 明日香村の飛鳥稲淵宮殿跡 on 2016-10-7

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明日香村稲渕の竜福寺と竹野王碑 on 2017-1-9

2017年03月16日 05時24分34秒 | 奈良情報
2017年1月9日、奈良県高市郡明日香村稲渕地区にある男綱の架け替えを
見学するために明日香村稲渕に来ていました。

その時に訪問した龍福寺と竹野王碑について写真紹介します。

龍福寺の基本情報

住所:奈良県高市郡明日香村稲渕1084 TEL:0744-54-2762
宗派:浄土宗  山号:天徳山 御本尊:阿弥陀如来
開祖:義淵僧正(法相宗の開祖)


Goo地図はこちら
 

龍蓋寺(岡寺)、龍門寺、龍泉寺、龍象寺とともに五龍寺と言われ
天武天皇の時代に活躍した義淵僧正が創建したものです。
栢森地区にも同名の竜福寺があります。




上の2枚の写真は龍福寺の本堂です。


上の写真は天保4年(1833)の銘が入った鬼瓦(以前本堂に使用)


上の写真は竜福寺と竹野王碑の説明板


上の写真は道路側より龍福寺を観た景観


上の写真は山門


上の写真は観音堂?と竹野王碑の蓋い屋


上の写真は竹野王碑
地元では、竹野王の撰文によることから「竹野王の石塔」と呼ばれ、在銘
(天平勝寶3年-751年)石造層塔では日本最古




上の2枚の写真は竹野王碑の現地説明板
この塔は天平勝寶3年(751)竹野王の撰文になるもので、在銘(天平勝寶3年-751年)
石造層塔の中でその最古のものとして注目をあつめている。層塔はもと五重石塔で
あったと考えられるが、現在は4層軸部以下が残っている。
上層の軸部の上端は方形の造り出しがあって、中央に円穴があけられているが何か
ここに納められていたものと想われる。(舎利容器or経巻か?)
総高さ190cm石質は流紋岩室凝灰岩で風化が著しく、初層軸部の四方に細字で
銘文が刻まれているが難読である。


竹野王碑は昭和53年4月1日に明日香村の指定文化財に指定

碑文より751年に「朝風」という地に竹野王によって造立されたことも判る
朝風という地名は、現在の飛鳥川と檜前川との間にある丘陵地と考えられ、
現在でも小字「アサカゼ」が残っている

竹野王は『続日本紀しょくにほんぎ』や長屋王ながやおう家け木簡にもその名が見え、
長屋王の近親の女性であったと考えられます。正面にはインドのアショーカ王が
世界中に立てたという石塔についての伝説が記されています。

Wikipediaより竹野女王の解説文を引用紹介します。
竹野女王(たけののじょおう/たかののおおきみ、天智天皇10年(671年)? -
天平宝字2年(758年)以前)は、奈良時代の日本の皇族。位階は従二位。

系譜は明らかでないが、長屋王邸から「竹野王」「竹野王子」の名が記された
多数の木簡が出土したことから、長屋王の近親者と考えられている。
天平11年(739年)1月、藤原房前の未亡人牟漏女王とともに従三位に叙せられる。
聖武朝末の天平感宝元年(749年)4月に正三位に叙せられ、孝謙朝の天平勝宝3年
(751年)1月には女性としては異例の従二位にまで昇進した。
角田文衛の説では、聖武天皇の夫人・北殿の母と目される牟漏女王と並んで従三位に
叙されていることから、聖武天皇の夫人・南殿の母で藤原武智麻呂の妻と推測している




判読できる文字が説明版で解説されているが写真で確認できたのは「天平勝宝三年(751)
歳次辛卯四月二十四日丙子、従二位竹野王」の右側面のみであった。下に添付







上の2枚の写真は龍福寺から観た稲渕の集落
稲渕の集落は50数軒程度の小規模な集落である。
自動販売機が1つも置いてない希少な存在の集落である。






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赤穂城内の山鹿素行像と赤穂市立歴史博物館特別展「山鹿素行」 on 2016-12-14

2017年03月15日 05時08分41秒 | 神戸市以外の兵庫県
2016年12月14日、赤穂義士祭があり赤穂に来ていました。
その際に赤穂城内の山鹿素行像と赤穂市立歴史博物館特別展「山鹿素行」を
見てきましたので写真紹介します。

1.山鹿素行像 in 赤穂城






上の3枚の写真は赤穂城二の丸門跡に鎮座する山鹿素行像の近景、中景、遠景です。

ここで山鹿素行についてWikipediaより引用紹介します。

「山鹿 素行(やまが そこう、元和8年8月16日(1622年9月21日) -
貞享2年9月26日(1685年10月23日))は、江戸時代前期の日本の儒学者、軍学者。
山鹿流兵法及び古学派の祖である。

貞享2年(1622)9月26日会津若松市にて浪人・山鹿貞以の子として生まれる。
寛永5年(1628)に6歳で江戸に出る。
寛永7年(1630年)9歳のとき大学頭を務めていた林羅山の門下に入り朱子学を学ぶ
寛永13年(1636)15歳からは小幡景憲、北条氏長の下で軍学を、廣田坦斎らに神道を、
      それ以外にも歌学など様々な学問を学んだ。

寛文5年(1665)43歳で官学の朱子学を批判し、「聖教要録」を著したことから
     播磨国赤穂藩へお預けの身(1,000石で優遇)となり、そこで赤穂藩士の
     教育を行う。赤穂藩国家老の大石良雄も門弟の一人であり、良雄が活躍した
     赤穂事件以後、山鹿流には「実戦的な軍学」という評判が立つことになる

延宝3年(1675)許されて江戸にもどる。その後の10年間は軍学を教えた。
       その教えは、後代の吉田松陰などに影響を与えている。

貞享2年(1685)63歳で没 山鹿素行の墓は東京都新宿区の宗参寺にある」



上の写真は山鹿素行を紹介した現地の説明板




上の2枚の写真は像の裏の銘板に書かれた内容を示したもの


上の写真は赤穂城内の地図で山鹿素行像の位置も示されています。


上の写真は赤穂駅前に建った素行銅像の案内板
銅像への行き方のほか、素行先生の説明や「赤穂山鹿素行研究会」 の名前も
載っています。


2.赤穂市立歴史博物館特別展「山鹿素行」

中の写真撮影が禁止されていたので赤穂市立歴史博物館入口外観を添付





上の2枚の写真は特別展の案内リーフレット

展示会では下記の内容であった。
 1.山鹿素行の著書・蔵書

 2.赤穂藩との関わり

 3.山鹿流兵学とその受容

 4.近代へ



上の写真は江戸時代初期の軍学者山鹿素行著の三木攻撃図「武家事紀」京都大学本で
平井山の本陣跡や付城の武将名と一部戦闘経緯が描かれている。

おまけに赤穂義士祭の動画も添付しておきます。

 

 

 






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